八 角 形 に ゅ ー す
2013年7月20日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
目次
断章(11)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・主任司祭 鈴木
辻堂ブロック集会―・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 市瀬
第22回湘南キリスト教セミナーに参加して・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 井上
医療講座(第2回)――身近な感染症について・・・・・・・・・・大庭 三神
震災を忘れない〜―被災地のための音楽と祈りの集い・・辻堂1区 久慈
聖歌隊交歓会に初参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 荒井
富士二合目「富士の聖母子像」を訪ねて・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 高橋
藤沢茅ヶ崎朝祷会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・戸塚教会 青木
エルダーズ20周年感謝の旅行・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 片桐
日本と聖座の外交関係・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 高木
断章(11)
主任司祭 鈴木
本当に良いことは手応えがないもの。
「神父さんのスケッチ、沢山たまってますよ」と、ある方のことば。思いがけないときに働きの効果は見える。
聖霊が語らせる言葉は、語った人は覚えていないもの。
「あいつ、いたの?」といわれるくらい目立たずにちゃんと何かをしているのが良い。
埋もれたままで、忘れ去られる歴史があってもいいのだ。
「反省はなんべんしても意味がない」と、あるおじいさんが言っておられました。
「なぜ、教会に通われるのですか?」「罪滅ぼしですよ」これも、あるおじいさんのことば。
日本人の感受性の特徴は、「繊細」「丁寧」「緻密」「簡潔」だそうです。いかが?
「無常感」とか「肌合い」などという表現がありますね。
「空っぽ」を美しく感じたり、何かに見立てたりもそうでしょうか。
「球」に完全なものを感じられるでしょうか。
自他のない世界が「本当の世界」だとすれば、少し「神の国」「永遠の生命」がイメージできるでしょうか。
「赦される」というのもこのイメージで受けとめられるでしょうか
教会委員会報告(2013年6月15日)
1. 教会の10年後の姿について
担当の押木財務部長より、「今改めて、自分の見えているところに10年後に起きるだろうと思えるイメージを持ち寄り、皆で具体的な姿を予測したい。年齢や維持費などデータ的な裏付けのできるものを元に類推しているが、これと皆さんからのイメージとを併せて『2020年のビジョン』を実りあるものにしたい。そして起きるであろう状況に対して、今から心構えや準備をしておくことが必要と思えると」提題があり、これに対し以下の意見があった。
・ 5年後でもいいか
・ お年寄り、外国人が増えている。こうあったらいい…、でもいいか
・ 教会に来られないお年寄りのためにミサをネット配信する
・ 次世代の方たちのために考える
・ 心配だけを出すのではない
・ データと一人ひとりの直感を合わせて考える
・ 数字だけで考えがちだが、イメージを大事に数字と照らし合わせる
まとめ: 各活動部と各ブロックは7月、8月一杯を使って、自分の10年後を想いながら、「教会がどうなっているかのイメージ」をまとめて、文書で押木さんか委員長に出すこととなった
2. 今年度のバザーについて
辻堂と北1ブロックから意見がきている。辻堂も北1も、今までどうしてきたかに囚われないで、何らかのかたちでやりたい、継続していきたいと言う意見だった。その他にブロックを越えてチームとして引き受けるという人たちもいるが、縮小して実施するにしても司令塔を引き受ける人がいなければ難しいのではないか
・ 年齢的体力的にも難しくなっているが、バザーについて真剣に考えて自主的に力を合わせてやりましょうという人たちがいる
・ 司令塔をやると言う人が必要か
・ チームでやるならできる
・ 「チームでやる」という女性が5、6人いる
・ 男性の中に「設営」ならやるという人もいる
・ バザーの目的は何か
・ 支援を含めた福祉と修繕そして交流や人材発掘など
・ 「楽しかった」で終わりたい
・ 「会計ならできる」など実務を割り振ってやればいい
・ やれるという人たちで集まってみたらどうか
・ 今までの問題がクリアーできるなら、簡素化してやればいい
・ 半年前から集まって話し合ったり、会計も一円まで合わせるなどの必要はない
・ 2ヶ月でできることをする などの意見があった
まとめ: 「今年は肩肘をはるのはやめる年にしましょう」という委員長の呼び掛けで、10月の第3日曜日を目処に9月から準備を始める。信徒の有志による実行委員会主催で実施する。できれば鵠沼からもリーダーを一人出して欲しい。若い人たちにも声かけをする。有志のグループの一人としてやれる人は、今月一杯に「有志呼び掛け人」に申し出てほしい
1. ホームページ作成・運用体制について
広報部は「八角形ニュース」を担当しているが、今後、広報部の中に「ホームページの担当」を置く方向で考えたい。核になれる人が決まったので、チームとしてやってくれる人が欲しい。内容の企画をする、htmlを使って文章を書いて載せてくれる人、少なくとも数年は続けてくれる人を募集する。横浜教区には「小教区ホームページ規約」があるので、そのガイドラインに沿って運用していく
2. 田邊神父初ミサについて
藤沢教会として田邊敏彦神父に初ミサをお願いしたが秋以降になる予定。日程の調整は引き続き鈴木神父にお任せする
3. ガーデンパーティーについて
今年は浮田さんを中心に有志で実施することに決まった。国際部の皆さんは楽しみにしているので、日程は外国籍の人たちの参加しやすい日曜日にしたい。8月4日で調整する
7月は辻堂ブロック、8月は北1ブロックの担当になる
(北1)7月15日(月・海の日)に十二所黙想の家の英神父(イエズス会)の指導で「緑陰黙想会」を行う。テーマ:交わりとしての共同体を目指して。場所:聖心の布教姉妹会本部修道院。申込締め切り:6月30日。7月21日(日)にブロック集会をする
(藤沢) 5月19日(日)に新しい方の歓迎会を兼ねてブロック集会をした。57人の参加があった。新しい方も9人参加した
(宣教)
・ キリスト教講座の開講:6月3日から月曜クラスと6月8日から土曜クラスが始まった
・ 湘南台センターのロバート神父の講座:第1、第3木曜日10:30〜12:00に旧約聖書から女性をテーマに「聖書を読む」。第2火曜日14時〜16時「カテキズム、教会の教え」
・ 結婚講座:9月開講予定
・ 5月25日(日)に第5地区キリスト教セミナーが片瀬教会で開催された。講師はシスター山本紀久代(援助修道会)で200名の参加があり盛況だった。来年度のセミナー実行委員長は藤沢教会で、会場が大船教会となる
・ 8月3日(土)に市内キリスト教連絡会主催「平和のための合同祈祷会」が聖マルコ教会で行われる
・ 9月23日(月、秋分の日)に函嶺白百合にて一粒会大会が行われる。
・ 幼児洗礼:5月26日(日)ベトナム人1名の洗礼式が行われた。6月30日(日):過去7回の幼児洗礼保護者を対象としたティーパーティ開催予定
・ 堅信準備講座を9月から3月まで開催予定。テキストは「聖霊とともに」を使用。8月25日(日)ミサ後、中高生対象のフォローアップバーベキューを計画している
・ 6月9日(日)9:30ミサ後の共同宣教フォーラムは、木村恵子講師(日本基督教団霊南坂教会員)を招き「エンディングノート 愛する人に遺す私のノート」をテーマに講演と分かち合いを行った。50人ほどの参加があった
・ イエズス会三浦功神父の連続講座「人生の終わりを迎える日に備えて」の第1回講話は50人の参加があった。第2回は6月22日(土)14時〜16時「この驚くべき神秘 永遠に生きる人間のいのち」をテーマに開催する。今後も毎月第4土曜日に定期的に終活関連のテーマで開催する。参加費は無料、信者ではない家族や友だちを誘っていただきたい
(教育)12人の子ども達の初聖体が無事に終わった。学校の運動会と重なり一人が初聖体を受けられなかったので、16日に初聖体を受ける
・ 7月14日(日)日曜学校一学期終業式:キャンプ説明会
・ 7月26日(金)〜29日(月)ボーイスカウトキャンプ
・ 8月 6日(火)〜 8日(金)ガールスカウトキャンプ
・ 8月23日(金)〜25日(日)第5地区日曜学校・中高生会合同キャンプ
(国際)
・ 典礼部長と6月30日(日)の国際ミサの打合せをした もっと国際ミサの回数を増やしては、という意見が信徒の中からでていると聞いたが、この件については、各コミュニティーは持ち帰って意見を聞くことになった
・ 6月16日(日)13時からフィリピンコミュニティ設立25年のお祝いのミサがある。その後パーティがある。日本人の参加を歓迎する
(典礼)
・ 6月23日(日)13時から「第57回湘南地区聖歌隊交歓会」がある。200人ほど集まる予定。聖歌隊以外の方も聞くことができる
・ 6月29日(土)聖ペトロ・聖パウロの祭日は10:00〜ミサがある
・ 典礼奉仕者養成コースの第1回〜第4回参加者の集いを計画している
(広報)6月23日(日)原稿締切、7月7日(日)発行予定
鈴木神父より 国際ミサは「主の祈り」や「聖歌の一つ」を声を合わせられるように工夫してみてはどうか
6月2日に12名、16日に1名、計13名の子ども達が初聖体を頂くことができました。みんなの緊張した顔つきが嬉しそうな表情に変わり、忘れられない瞬間になった事と思います。保護者の方々の、我が子だけでなくみんなを大切に思い合って下さる姿も感動しました。教会の皆様が温かく見守って下さった事も心 より感謝致します。そしてイエス様とともに歩む子ども達の豊かな成長を、これからもお祈り下さいますようお願い致します。
6月2日に「うれしい、はつせいたい」をおこないました。みんなは、しょうじょうみたいなやつや、ネックレスももらいました。やっぱり、一番うれしいのは、キリストの体がはじめて食べられることですね。これで、ひとつ、せいちょうしたことになりますね。とてもいいことです。ひとつキリストの体を食べたら、一だんかいキリストとなかよしになったり、体の中にキリストがいるからまもってくれるようになります。ますますうれしいですね。だから、はつせいたいをうけたときは、いいことたくさんだし、すごくうれしいですね。だから「うれしいはつせいたい」と言います。
1年間初聖体クラスでがんばってきました。クラスでは、大事な友だちも出来ました。シスターとリーダーにほめられてうれしかった事も思い出です。 5月26日はゆるしのひせきをうけました。すごくきんちょうしましたが終わった後は気がぬけてしまいました。神様はやさしいと思います。わるい事をした時にもあまりはなれていらっしゃらないかんじがしたからです。
6月2日に初聖体をいただきました。ミサ中はすごくきんちょうしました。ほうのうも歌もがんばりました。ご聖体はおいしかったです。これからは、神様にいつもつながっているようがんばります。
6月1日土曜日、初聖体のリハーサルの時にだい1ろうどくをしたときあんまりきんちょうしなかったけど本ばんのときには、とってもきんちょうしました。入ってきた時にいろんな人がじろじろみてたのでとってもきんちょうしました。ろうどくのときにちゃんと大きい声でるかなぁとか、はきはきした声で読めるかとかとてもしんぱいでした。でも、自分が思ったいじょうにちゃんと読めたのでよかったです。さいしょはちゃんとじっとしてしんぷ様のお話をきけるかわからなかったけど、ちゃんとしずかにきけました。わたしはすわっていたせきが一番前でした。となりはみくちゃんのママでした。イエス様の体ってどんな味がするのかなと思ったらあんまり味がありませんでした。わたしはしおっぽい味がするのかなと思ったけどそうぞういじょうの味でした。イエス様の体をいただいた後に証明書とおメダイをもらう時に何でおメダイに水をかけるのかなと思いました。
ごせいたいを食べた時、ここまでべんきょうしてきたかいがあったなぁと思いました。おかあさん方がよういしてくれたパーティは本当に楽しかったしとってもうれしかったです。
家族しょ介の時にちょっときんちょうしました。ロバート神父様のお話はとてもためになる話でした。これからは、ねる時やごはんを食べる前だけでなくいろんな時においのりをします。
5月19日、湘南白百合学園の体育館でタム神父様司式のミサが捧げられ第5地区の合同運動会は始まりました。パン食い競争ではなみなみならぬエネルギーを感じました。
運動会に行きました。とってもたのしかったです。ぼくはパンくいきょうそうでビリになったけどむらさきチームはさいごに勝てたからうれしかったです。
うんどうかいは、つなひきがいちばんたのしかった。ぼくはあかチームで、しろチームにかってうれしかった。
はじめて、にちようがっこうのうんどうかいへいった。おおだまおくりもたのしかったけど、いちばんたのしかったのは、やっぱりリレーがたのしかった。
6月9日(日)日曜学校では、春の遠足で本郷台の「あーすぷらざ」と鍛冶ヶ谷教会に行きました。とても楽しく遊び、楽しく勉強できた1日を過ごす事が出来ました事を神様に感謝いたします。楽しい1日を有難うございました。
・ トランポリンがとても楽しく、何度もやった
・ いろんな国の民族衣装があって、それを着て写真をとってもらった
・ 暗闇の部屋に入った。真っ暗で何も見えなかったけど、がんばってやっと部屋からでた
・ 鍛冶ヶ谷教会のイエス様は壁に付いていて藤沢教会のイエス様とは違っていた(ご復活のイエス様と十字架のイエス様)
・ イエス様の体(聖櫃)が聖堂にあった
あーすぷらざに行きました。お勉強する所かと思っていたらあそぶ場所もたくさんありました。一番楽しかったのは、トランポリンです。他にもいろいろのってすごく楽しかったです。3年生もいっぱいいて、みんなと仲良くなれました。また来年の遠足も行きたいです。
6月9日、日曜学校の遠足で本郷台にあるあーすぷらざへ行きました。そこには、足でふむと光や音がでる部屋などがありましたが、ぼくが一番おもしろかったのは、光で壁に落書きをする機械で遊んだ事でした。鏡の部屋もありました。楽しかったです。また行きたいと思います。
今日は教会の遠足であーすぷらざに行きました。あーすぷらざに着いてお弁当を食べました。食べ終わってからは、自由時間になりました。
私は最初にこどもの国際理解展示室に行っていろいろな事や家を見ました。その中ですごかったのは、モンゴルの家でテントみたいな形で持ち運ぶ家でした。なぜかというと馬が葉っぱを全部たいらげてしまうから家を動かさないといけないのです。次はこどもファンタジーに行きました。そこにはカガミの世界や暗やみの世界があって、カガミの世界は自分が10人以上いるようにうつって見えておもしろかったです。暗やみ世界は何もみえなくてこわかったけど、おもしろかったです。
あーすぷらざは勉強になる事や世界のいろいろな国のせかいがわかって楽しかったです。
辻堂ブロック集会
辻堂1区 市瀬
6月23日(日)のミサ後、センターホールで辻堂地区ブロック集会が開催され35人が出席しました。 冒頭、佐々木ブロック長から教会委員会報告があり「藤沢教会の10年後のビジョン」について「人、建物」の両面で何が考えられるのか話し合ってほしいとの要請がありました。
出席者の年齢がやや高い(?)こともあり、「高齢になり、教会に行けなくなった時どうするかを具体的に考える」、「自分だけ信者の場合、葬儀・告別式の形態を覚書にして残す」、「高齢者向けだけの講座、分ち合いを設ける」「教会を引き継ぐ若者、まずは自分の子供、孫などにいろんな形で教会との関わりを持たせる」などの提案がありました。また、増加している若い外国人信徒ともっと交流を深める必要があるとの意見も出されました。藤沢教会の立地条件の良さ、広い敷地を活用して教会・信徒会館を「利益を生み出す施設」に建て替えるとの案もありました。教会の厳粛な雰囲気を失わずにどういう形態が考えられるのか、維持費、修繕費などとの絡みもあり、遠からず真剣な討議が必要だと思われます。「老人ホームを教会で建設してほしい」との声も。
懸案のバザー開催は地区、ブロックを問わず教会内に「企画チーム」を作って当面続けるという基本方針が説明され、了承されました。ブロック会議当日は、多数の犠牲者を出した太平洋戦争・沖縄戦68年目の「慰霊の日」。最後に出席者全員で「アベマリア」を唱え集会を終えました。
第22回湘南キリスト教セミナーに参加して
鵠沼3区 井上
5月25日の午後、カトリック片瀬教会に於いて同教会ご出身の山本紀久代シスター(援助修道会)を講師として、≪信仰年「愛される者」となっていく道≫というテーマでセミナー講演会がありました。始まりの歌、「聖霊来てください」を歌って、第1部≪信仰年「愛される者」となっていく道≫のお話に入りました。信仰年にあたっての司教団メッセージは「わたしたち自身がどのように信仰の喜びを生きているか、信仰からくる希望と愛をいただいているかを問い直す」です。皆、神様の子ども。洗礼を受けている人も、神様のことをまだ知らない人も皆神様から愛されている。洗礼を受けるとは、その神様の愛にハイ!と応えること、ありがとう!と言うことです。
イエスの洗礼の場面はマルコ福音書では、≪そのころ、イエスはガリラヤのナザレからきて、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて、"霊"が鳩のようにご自分に降ってくるのをご覧になった。すると「あなたはわたしの愛する子。私の心に適うもの」という声が天から聞こえた。≫わたしたちの洗礼の時にも、同じメッセージがありました。その「あなたはわたしの愛する子だ」というメッセージをわたしたちはどれくらい信じているか、受け入れているか、わたしは神様から愛されているという事実をどこまでわたしの全存在に浸透させているか?信仰を深めるとは生涯このメッセージをもっと深みにおいて受け取り、自分自身に刻み付ける道。洗礼の時の「あなたの愛を信じます」という答えを、日々生きていくことです。
また、これは人生をかけて神と共に織りなしていく布地のようなもの。縦糸は神様が私を愛しておられるという事実。横糸はそれに対して生涯を通してなされるわたしの答。「あなたは私を愛するか」「私の子羊の世話をしなさい」、自分が「愛される者」であることを知り、それをより深く受け取る。これが神様に愛された者としての行ないです。
この後、シスターの個人的な事がらとして修練中の阪神大震災被災体験を話されました。さらに年月を経て東日本大震災が起き、修道女として塩釜、石巻、釜石に派遣されることになったのです。
第2部はシンガーソングライターとして神様を讃える歌をギターを弾きながら何曲か歌ってくださいました。(1)イエスの恋文(2)想いのままに。この曲は初誓願の想い出だそうです。(3)シロアム、暗闇中であっても神様は皆に喜びを与えて目を開かれると言われる歌だそうです。(4)友よ、被災地の友にささげる(5)平和の使徒となろう。どの歌も優しく心から神様をお慕いするものでした。
第3部はシスターが活動している東日本被災地の現状をスライドで説明しながら釜石、石巻、福島の現状をお話しになりました。釜石、石巻の写真80点、福島の写真71点、やはり被災当初の情景は印象的です。特に福島南相馬市の立ち入り制限区域では原発のことが気になりました。ただただ神様にお祈りするのみです。シスターは、広島・長崎に加え福島でも悲しいことになったことを受けて、日本はもとより世界中が平和であることを深く願って祈っておられることを感じました。祈りの歌により、被災地での体験を乗り越えて福音宣教をされているお姿には心を打たれます。齢を重ねても拙い私は反省するばかりで、セミナーに参加したことが信仰についてもう一度考えさせていただく良いチャンスとなり神様に感謝のお祈りをしなければと思います。併せて教会共同体にも信仰年のお恵みをお与えくださいますようにお祈りさせていただきます。
医療講座(第2回)――身近な感染症について
大庭 三神
2回目の医療講座が6月7日(金)13:30〜15:00、303号室で行われました。今回のテーマは「身近な感染症について」、講師は湘南藤沢徳州会病院の臨床検査部で細菌検査を担当されている池上朋子さん。今話題になっている「風疹」、そしてこれからの季節に多く発生する「食中毒」が講座の中心となりました。
最近テレビ等でも話題となっている風疹は昨年から急速に増え始め、今年はすでに昨年1年間の数倍の患者が報告されています。とくに東京・神奈川・大阪など大都市、20〜40代男性に多く、その原因はワクチンを打っていない人が多いということです。風疹は赤い発疹が出て発熱しリンパ節が腫れるなどの症状が現れる病気です。俗に「三日ばしか」とも呼ばれ子供は比較的軽く症状は2〜3日で解消しますが、大人がかかると重症化する場合もあります。いま問題にされているのは妊娠されている方で、とくに初期のころに罹ると障害をもった赤ちゃんが生まれてくる可能性があります。しかし風疹はウイルス感染症の一つで抗体があれば罹る心配はないとされています。ワクチンは副作用の問題もあり、そのときどきで国の指導方針も変わってきました。丁度20〜40代男性にはワクチン接種が義務化されていなかったのでしょう。いまは任意となっているのでそれぞれの状況により個人管理が必要ということになります。
これからの季節は食中毒が問題になってきます。フグ・毒キノコなどの自然毒食中毒、洗剤など薬品による科学性食中毒などもありますが、これからの話しは細菌性食中毒です。とくに今頃の季節から腸管出血性大腸菌O157が増加してきます。大腸菌には180種ぐらいあり、そのなかの157番目という意味です。最初はハンバーグから発見されましたが、カイワレ大根が疑われた大阪堺の食中毒で有名になりました。大腸菌自体はどこにでもいますが、とくに毒素を出すタイプのものが悪さをします。ほかにも鶏にいるカンピロバクターがあり1年を通して気をつける必要があります。またウイルス性食中毒のノロウイルスが冬場にも胃腸炎をおこすものとして注意する必要があります。
食中毒を起こす微生物のなかにはある程度菌が多くなければ発病しないもの、僅かな菌で発病するものがありますが、それを防ぐ3原則があります。
@ 食べるものにつけない
A 細菌の量を増やさない
B 加熱をする
先に話したカンピロバクターは鶏肉、O157は牛肉また腸炎ビブリオは魚介類にいます。市販されているものにもある程度菌はついていると考えた方がいいです。その菌をよそに移さないようにすることで、例えばこのような生ものを調理する前にそのまま食べる野菜類とかを先に調理し、肉類等は後から調理するというように調理の順番を考えることも大切です。また菌の増え方はかなり速く、一番短いもので8分で倍になり、O157は17分で倍になります。仮に10分で倍になる菌を考えた場合、1時間後には64個、3時間で26万個となります。胃腸炎を起こすブドウ球菌などは万の数が必要とされていますが、カンピロバクターなどは100個程度で発病します。これらの菌は気温35〜36度が発育にちょうどいいといわれていますので、調理したものはなるべく早く食べること、冷蔵庫を利用することが肝要です。もう一つは加熱です。O157など細菌性のものは摂氏75度1分以上で死滅するといわれています。まな板に熱湯をかけるとか、次亜塩素酸ナトリウム(キッチンハイターなど)で台所回りを消毒しておきましょう。「つけない」「増やさない」「加熱」が食中毒予防の原則です。
このあと感染症の総論になり、免疫力の話・感染経路の話があり、手洗いや体調管理の大切さなどに耳を傾けました。前日まで主催者エルダーズの会の20周年感謝の旅行があり、参加者は11名でしたが、身近な問題だけに講演終了後も熱心な質疑応答が続きました。
次回は8月27日(火)AM10:00-12:00「認知症のはじまり」です。
カリタス釜石は3月19日に地元のNPO法人として正式に法人化されました。また年4回ニュースレターを小冊子の形で発行します。創刊号は6月発行済です。法人化の経過については最新のカリタスジャパンニース120号のカリタス釜石副理事長の伊瀬聖子さんによる「カリタス釜石よりの報告ー災害復興支援の始まりから現在」をご参照ください。一部引用します。「地元の法人だからこそ可能な支援や活動が多々ある。世界中からの善意や祈りを直接被災地につなげるためには「いつもそこにいる存在」が欠かせない。カリタス釜石が「ひと」と「ひと」の交わりの場となり、大震災によって傷ついた人々に寄り添いながら、町の復興、心の癒し、やがて人間性の回復につながる活動へと発展していけるように願ってやまない」とあります。カリタス釜石とともに、地域の人々に寄り添い、優しい街づくりを一緒に目指しませんか。
会員募集のご案内
主な事業内容:「被災地復興」事業、「市民活動サポート」事業、「女性サポート」事業の3つ。
正会員は、この法人の目的に賛同した個人、団体で総会での議決権があります。賛助会員はこの法人の事業に賛助するために入会した個人、団体で議決権はありません。入会金は各2千円、正会員は年各会費1万円、賛助会員は3000円(個人)と5000円(団体)1口以上をよろしくお願いいたします。
お問い合わせ先:Tel/Fax 0193-27-9030 カリタス釜石事務局です。7月1日から7日まで釜石に丸山がボランティアに参加します。一部でもご一緒しませんか。(丸山)
サポートチーム発足以降、初めて当教会から宮城県登米市のカリタス米川ベースに6月24日から4日間男性2名、女性1名の信徒がボランティアとして入りました。詳しくは次号で、報告します。
6月9日(日)午後3時半より聖堂で「被災地のための音楽と祈りの集い」が行われ、当チームの活動について話をしました。静かな雰囲気の中で参加者一人一人が被災地、被災者への思いを新たにできたと思います。そして皆様よりの献金を頂き、有難うございました。(小藤)
原町ベースに女性3名がボランティアに入りました。仮設住宅(寺内第一・高見町仮設など)のサロンで活動を致しました。
小高地区で各家庭の瓦礫の片付けるボランティアを募集しています。男女を問わず出来ますので、行って頂ける方は是非お申し出ください。
南相馬市鹿島地区社会福祉協議会より手芸グループ「枝の会」を紹介して頂きました。そこで作られた可愛い動物のアクセサリー・コースターなどを、福祉コーナー(第2・3日曜日)で販売しています。どうぞご協力ください。
鵠沼地区の川南様よりご自分で撮影・現像をされた「相馬野馬追」のモノクロ写真を福祉施設・南相馬市立図書館・南相馬博物館などに贈呈して頂きました。そのような支援もあることに心を動かされました。(曽根)
ひところの異常気象により、福島でも葉物野菜の収穫が悪く心配されていましたが、このところほぼ元に戻り、一安心しているところです。6月はサクランボが入り、皆様にご好評を頂きました。又、石巻の醸造製品も相変わらすご贔屓を頂いております。
6月から福島の農産物販売日を毎月第2日曜日に変更されました。石巻の醸造品は今まで通り毎月第2,第3日曜日です。
被災地の方々は忘れられることを一番心配されています。これからもこの支援活動を通し「被災地からのおいしいもの」を長く提供し続けてまいります。是非ご支援をお願い致します。(牧野)
東北ボランティア活動サポートチームが発足してほぼ一年が経過します。これまでの活動を振り返り、分かち合いながら、今後の活動について意見交換の場を持ちたいと思います。ボランティア活動に関わった方、また関心ある方、是非ご参加ください。(小藤)
日時: 7月28日(日) 9時半ミサ後
場所: センター 204号室
震災を忘れない〜―被災地のための音楽と祈りの集い
辻堂1区 久慈
東日本大震災から2年3か月が過ぎました。被災地から遠く離れたここ藤沢で毎日を過ごしていると、震災のことも被災地のことも考えず、平穏な日々を過ごしてしまうことは容易ですが、テレビの被災地の番組からは、「被災地のことを忘れないで! 震災の記憶を風化させないで!」という声が繰り返し聞こえます。被災地では、震災と原発事故により、今なお悲しみと不安のうちに、大変な毎日を送っている方たちが何十万人もいらっしゃいます。遠く離れている私たちにその大変さを身をもって知ることはできませんが、なんとか被災地の方々と連帯していたいという思いで、祈りの集いを呼びかけることにしました。
藤沢教会では、教会を挙げてそれぞれの方が自分の持てる力を尽くして支援を続けていますが、今回集いの中で、サポートチームのチーム長として支援活動に尽力していらっしゃる小藤さんが、これまでの歩みと活動についてお話してくださいました。現在サポートチームでは、ボランティアの派遣、農産物の販売、被災地の方の藤沢地区への受け入れの3つを柱として支援活動を行っているということですが、お話を伺っているうちに、もっと自分にもできることはないかという思いがわいてくるのをそれぞれの方が感じられたのではないでしょうか
また藤沢教会は音楽活動も盛んで、音楽を通して祈りの奉仕をしていらっしゃる方が大勢いらっしゃいます。プリエアンサンブルの牧野さん、本田さん、小藤さん、歌のソリストの児玉さん、時々ミサでフルートを演奏してくださる高校生の文さん、テゼの歌による「黙想と祈りの集い」の皆さん、みんな一緒になって祈ることになりました。プログラムの流れは教会で行われる大方の祈りに沿ったもので、間に典礼聖歌、テゼの歌などを挟んで祈りを捧げました。典礼聖歌は被災地との連帯を意図し、エキュメニカルな集いである「黙想と祈りの集い」をお世話してくださっている植松功さんが、典礼聖歌の中の名曲をと言ってマザーテレサの祈りの歌なども入れて選曲してくださり、このプログラムは祈りの間私たちの心を被災地と結ぶ大きな導きと力となりました。
6月9日当日はいろいろな行事が重なっていましたが、大勢の方が祈りに参加してくださり、こんなにもたくさんの方が被災地のために祈りたいと思っていらっしゃるんだと力づけられながら、初めの歌を歌い始めました。主を賛美する静かなテゼの歌の中、小学生の紗来ちゃんとママの児玉さんがロウソクに一つ一つ火を灯してくれました。祭壇前の大きなイコンのイエズスさまの周りのたくさんのロウソクは、震災で亡くなられ、今はイエズスさまのみ手の中で輝いている大勢の方たちの魂の光のように思えました。
最初に黙祷をもって、亡くなられた方々、ご家族の方たちを思い、祈りをお捧げしました。そして、歌「呼ばれていますいつも」、小藤さんのお話、詩編、歌「ガリラヤの風」、福音書の朗読、歌と‥‥みことばやお話の間に静寂と歌があり、司会進行の指示の声もなく祈りが捧げられていくうちに、被災地への思いが次第に強く深くなっていきました。福音書はヨハネ15章、「・・わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。・・」沈黙の中でお聖堂の後ろから聞こえてくる歌声。「Pater noster」「Ave Maria」。心を揺さぶられるような、児玉さんの祈りの歌に涙があふれてきたのは私だけではないようです。皆の心が一つになって捧げる共同祈願。フルートと歌「あなたの息を送ってください・・」被災地の方々への思いが込められた美しい2つのバイオリンとピアノの演奏。バッハの「ドッペルコンチェルト」。「主の祈り」。終わりに「マザーテレサの祈り」の歌を歌い、被災地への思いを強め、自分の持てる力を捧げようという気持ちを新たにしました。
被災地ではきまって毎月11日にお祈りを捧げているそうです。これからも被災地の方々のことを忘れず、できることを行い、祈りを続けて参りたいと思います。次回は9月8日を予定しています。
聖歌隊交歓会に初参加して
大庭 荒井
6月23日に藤沢教会で行われた「第57回湘南地区聖歌隊交歓会」に、東は横浜山手教会から西は小田原教会、北は初参加の大和教会と厚木教会まで10教会11団体が集い、日頃の練習の成果を披露し、連帯を深めました。私は初参加でしたが深い感動を覚えました。歌われた30数曲のうち19曲がラテン語、英語が1曲、そして日本語も10曲ほどありました。
私はかって海外勤務を経験したことがあり、海外のカトリック教会でミサを受ける機会もありました。信徒の方々でも海外旅行された折に、現地の教会でミサに与かった体験のある方は多々おられると思います。そこでは、現地の言葉でミサが進められるのですが、同じ順序同じ典礼で行われていることはうすうす分るのです。けれど、ラテン語の聖歌が歌い出されると急にあたりが開け、自分も思わず歌うことができ、ミサに参加している実感が湧くのです。周りの人もカトリックの日本人だと分り、一緒に歌うラテン語の歌、ミサの後で握手を求めてくる人もいます。その時、世界を一つにするカトリックの絆をしみじみと感じるものです。
キリスト教が全世界に広まった時、それは音楽・聖歌と共にあったことは、歴史的な事実と思います。欧米でも、また他の国々でも、ミサでは共通語であるラテン語の歌が必ず一つはあったように思います。どこから来た人でもミサに参加する人は心を一つにして歌うことができ、喜びと安堵を共有できるのです。私たちの国の教会では、この点どのように配慮されているのでしょうか。東南アジアのある信徒の方が「日本語の歌ばかりでつまらないミサ」とこぼされているのを耳にしたことがあります。「開かれた教会」への糸口はこういうところにもあるのではないでしょうか。
今日の交歓会には、聖歌隊員の他に単純に音楽会として聴きに来た方もいらっしゃいました。その多くは年配者でしたが、ラテン語の歌を皆さんと一緒に歌って満足されたそうです。若い人たちを取り込まなくてはカトリックの明日はありません。そこで、年配者の方々の教会の聖歌への愛着をも一つの手立てとして「普遍の教会」を維持し、福音を拡げて行くこともできるのではないでしょうか。
交歓会の最後のプログラムで、ロバート神父さま司式によるベネディクションが行われました。200人もの聖歌隊員による聖体賛美と全体合唱は、交歓会ならではの共同体の連帯を感じさせてくれるものでした。湘南地区交歓会が57年の歩みを更に進めて行くことを心からお祈りします。そして、この会を有意義なものに整えてくださった方々に心より感謝します
富士二合目「富士の聖母子像」を訪ねて
大庭 高橋
飛行機や新幹線ではるか遠くの富士山を20回以上望み見て、今日の富士は裾野まで雪が真白だったとか、今日の富士は5合目くらいまで雪があったとか、7月に見た時には雪はなく雲の上に富士山の峰が突き出ていました。私に限らずおおよその日本人がそうである様に、富士山の見える辺りを乗り物で通過する時は富士山がみえると一斉に「どこ何処」と言いながら見える方の窓へ寄って行きます。それほど富士山は私達にとって美しく気高く堂々として、何度見ても見飽きない素晴らしい山です。私は遠くから眺めるだけでしたので、一度富士山に登ってみたいと思いすぐに参加申し込みをしました。
湘南台センター7:45集合。8時に宮崎姉の挨拶の後、藤原隆運転手の安全運転でセンターを出発しました。遅れて皆さんに迷惑を掛けてはいけないと5時に目覚ましを合わせましたが、緊張してほとんど眠れずバスの中で行きも帰りも寝てばかりでした。途中足柄サービスエリアで10分休憩。雨上がりの自然は、それは美しく濃淡の新芽の緑が寝ぼけ眼を優しく包んでくれる様で、なんと良い季節に来たんだろうと感謝しました。無事に五合目に到着、車道を横切り、急な坂道を10分程登った所に聖母子像がありました。思ったよりずっと大きく仰ぎ見る様に立たれていました。ロバート神父様の司式、宮崎姉の司会でミサが行われました。ルカ福音書1:39-59「マリアが身ごもったエリザベトを訪問、エリザベトはマリアを祝福し、マリアは主を賛美した」いつもながらのロバート神父様の解りやすく楽しく皆を楽しませながらのお話しに、主に見出された喜びをあらためて目覚めさせられました。笠島さん他3人の方によるオカリナの伴奏で「キリストはぶどうの木」等を賛美し、最後に「われらの母なる」でミサを終わりました。潅木の茂った中、心身共に清々しく聖霊を身近に感じる事ができました。ミサの後、中村姉のご指導でゆるやかな呼吸体操をしました。寒くて固まっていた体がほぐれました。バスに戻るために気を付けながら坂を下って行きましたが、そこここにスミレや白い小さな花が咲いていて心を和ませてくれました。
再びバスで五合目の休憩所に行き、昼食をとりました。昼食の間は富士の峰を左右から絶えず霧が流れて一時も頂上が見えませんでしたが五合目を後にする頃はだんだん空が晴れ渡り、富士の勇姿がくっきりと見える様になりました。昼食の後、周辺の散策に出かけました。花は小さいのですが桜の木がたくさん有りいっぱい咲いていました。雪柳のような白い花の木も見られ、知らない小鳥も鳴いていたり、空気が澄んで気持ち良かったです。
谷を見下ろすと河口湖と山中湖が霧にかすんで遠く見下ろせました。乗馬用の馬が5、6頭 繋がれていました。餌代の為に乗ろうと思いましたがちょっと勇気がいるなと思いやめました。馬がぽとぽと落としていった糞があって子供の頃の事を懐かしく思い出しました。
帰りは中井パーキングエリアで休憩10分。無事に5時頃到着致しました。感謝。
藤沢茅ヶ崎朝祷会
戸塚教会 青木
朝祷会は、正式には朝食祈祷会といいます。カトリック、聖公会、プロテスタントの区別なくともに集い、ともに祈り、ともに聖書を学び、ともに讃美の歌を歌い、ともに朝食をいただく朝の祈祷会のことです。
北は北海道から南は沖縄まで全国で行われています。仕事の前に集まれるようにと毎週曜日を決め早朝に行われる会ですが、それでは主婦が出にくい、毎週出席するのは難しい方がいる等の理由から月1回(土曜日が多いようです)時間も午前10時以降に始めている会も多くなりました。
平成15年11月1日、休会を余儀なくされていた藤沢朝祷会は祷友の熱い思いと祈りとカトリック藤沢教会の信徒会館という場所が与えられたことにより再開の運びとなりました。毎月第1土曜日の午前10時半より12時半まで(会費500円)。現在は茅ヶ崎朝祷会と一緒になり、カトリックとプロテスタントの方々がともに参加されています。
会によりやり方はいろいろありますが、当会では聖書を読み、その箇所の教えについての思いや考えを発表し、話し合い、最後に毎回奨励をお願いしている牧師先生にお話していただいております。その後ひとりひとり皆で決めた主題や自分がお祈りしたいことをお祈りし合います。その間、合間に讃美の歌を歌います。それから、パンと飲み物、おかず1品の簡単な食事をいただきます。クリスマスと復活祭にはちょっと豪華な食事をしています。
当たり前のように集まり、当たり前のように神さまの話をし、当たり前のように自分の思いを伝え、当たり前のように讃美の歌を歌い、当たり前のように食事をともにする神さまを中心とした祈りの場であり、親睦の場です。どうぞ気楽にぜひ1度ご参加ください。
エルダーズ20周年感謝の旅行
鵠沼1区 片桐
本当に梅雨入りしたの?と訝る程の好天に恵まれ、発足から20年を迎え、益々明るく楽しいエルダーズのメンバーを中心に、鈴木神父さま、川辺さんも同行してくださるという心強さに支えられ、6月5、6日の二日間総勢25名(男8名、女17名)の「エルダーズ20周年感謝旅行」が、小型ながらも乗り心地の良いバスと弁舌さわやかなドライバーさんの運転で那須に向かいました。このエルダーズの会は毎週月曜日の午前10時からセンター204号室で、教会では分かち合いの場を持っておられます。スタート時60歳だった方は80歳に、70歳だった方は90歳になっておられるはずなのですが、バスの中は若人の遠足の如く和気あいあい。見事なガイド役の方のリードによって、お一人おひとりがご自身の好きな所を紹介する形の自己紹介で一層打ち解け、これからの2日間への期待が一層膨らみます。
この2日間の私の心に残ったもの…訪れた修道院の静かな明るさと温かさ、そしてなぜか、ベトナムからのシスターや修練生の方々に感じた懐かしさ。そしてここにも先の大震災の爪痕と思われる壁や床のヒビ割れ。溢れんばかりの緑に包まれ、青い空、白い雲を望める一晩の宿。なぜか男性は一つのテーブルに固まってしまい、ちょっと寂しかったディナー。低く垂れ込めた雲の上の茶臼岳での散策。
東日本大震災の影響がなおも残るアジア学院の、新装なったホールの木の香り、カレーの匂い。国を超え、年齢を越えての一つの祈り。創意工夫の見られる畑作り。藤沢教会の皆さんの口に入る卵を生んでくれる、何だか楽しそうな鶏たち。100羽の雌鳥に2、3羽の雄鶏。お昼寝中の大きな豚さん。ここで農業を学び、母国で生かせる独創性を育み、自立にチャレンジしているアジア・アフリカ地域からの学生たち。それを支えるスタッフ。そして何より、20年の長きに亘って、祈り合い、支え合い、信頼し合っておられるエルダーズのメンバーの皆さんの明るさ。それにつられて負けじと元気一杯のエルダーズ予備軍。そして、神様の身許へと旅立たれた方々。実は一緒に旅をしてくださっていたのでしょう。
揺れるバスの中で最後のお祈りをしてくださった鈴木神父さまのお言葉に、いつも私たちを見守っていてくださる神さまが、特にこの2日間、いつも以上に心にかけてくださり、私たちの身近にいてくださったことを、だれもが強く感じられたことでしょう。体調を崩された方もけがをされた方もなく、満ち足りた疲れと共に、定刻に藤沢に帰着致しました。一緒に祈り、歌い、語り、食し、飲み、笑ってくださった皆さん、本当にありがとうございました。これからも神さまと共に、神様の示してくださる道を、藤沢教会共同体の大切なメンバーとして歩み続けてくださいますように。言葉では表し得ない感動と感謝の気持ちを心に秘めつつ、又の機会を楽しみにしております。
日本と聖座の外交関係
鵠沼3区 高木
安政5年(1858)以来、幕府は11ヶ国と修好通商条約を結びました。その中カトリック教国はフランス・ポルトガル・ベルギー・イタリアなど4ヶ国でした。
明治18年(1885)9月12日、北緯代牧オズーフ司教は駐日フランス公使ヨゼフ・キエウイツの仲介でローマ教皇レオ13世の親書を明治天皇に奉呈しました。それは日本にいるカトリック宣教師や教会財産の保護を願うものでした。
大正3年(1914)8月1日、第1次世界大戦が始まりました。そして8月7日同盟国イギリス海軍の要請により8月23日日本はドイツとオーストリアに宣戦布告しました。そこで10月6日日本海軍はドイツ領である南洋群島のマーシャル諸島を占領し、10月14日赤道以北に点在するドイツ領諸島を占領してしまいました。その頃、それらドイツ領諸島のサイパン、ヤップ、パラオ、ロタ、トラック、モートロック、ポナベ、ヤルート、メジェロにはカトリック教会があり信者は約1万人いました。そして宣教師はドイツ・カプチン会、ドイツ聖心布教会などの神父様方でした。
大正7年(1918)11月11日、世界大戦が終わりました。そこで大正8年(1919)1月18日からフランスのベルサイユ宮殿において27ヶ国代表が集まり講和会議が開かれました。その結果、6月28日講和条約と議定書に調印されました。ところが5月7日には「赤道以北の旧ドイツ領諸島は日本に於いて夫々委任統治をなすこと」とされました。そこで敵国人であったドイツ人宣教師の放逐問題が起こったわけです。
大正8年(1919)7月25日、講和会議に出席中のカトリック信者である海軍大佐山本信次郎に交渉させるべく聖座への出向を命じました。そこで8月5日パリを出発して8月7日ローマに到着し早速に国務長官ガスパリ枢機卿と交渉が始まりました。その結果、9月6日ローマ聖座と日本国との間で協約が成立し10月14日、覚書を交換しました。いわゆるその協約によって初めて聖座から日本へ宗教使節が駐?することになったわけです。すなわちドイツ人宣教師に代わって中立国であったスペイン人のイエズス会トレド管区の神父様方が来ることになりました。
一方、大正10年(1921)6月18日、日本からもローマ聖座への使節派遣問題が起こりました。ところが大正12年(1923)1月11日、仏教団体が反対したり2月1日には第46通常議会において国務大臣がローマ聖座のことを「天国の出張所」と揶揄したりして反対しましたが、結局は9月1日の関東大震災により中止になってしまいました。
昭和4年(1929)2月11日、ヴァチカン市国が誕生しました。それは今迄イタリア各地に教皇領がありましたが統一されたことにより教皇庁国務長官ピエトロ・ガスパリ枢機卿とムッソリーニ首相との間で「ラテラノ条約」が調印されたことによって成立したわけです。それと同時に「ヴァチカン市国基本法」が発布されましたが世界最小で最も権威のある国家になったわけでした。そして6月2日東京関口教会での祝賀式には皇族や駐日各国大使、公使など約300名が出席しました。
さて、日本とヴァチカン市国との正式な国交は第2次世界大戦によってでした。即ち昭和16年(1941)5月に民間有志が外務大臣にあて聖座との国交を働きかけていました。そして昭和17年(1942)3月14日、天皇自らが日英米戦の和平仲介者として聖座と国交を開くよう東条首相に下問していました。そして3月26日聖座への特派公使として駐仏参事官原田健を任命しました。また、天皇は重ねて10月13日木戸内大臣にも下問し、更に11月2日東条首相や陸軍の杉山総参謀長や海軍の永野軍令部長などにも下問し11月15日決定させていました。
その頃、昭和17年(1942)4月23日天皇は教皇ピオ12世の親書に署名しました。そして4月24日原田公使は着任して4月25日事務所を開設していました。そして天皇の親書は外務省のクーリエ・ディプロマットの若い陸軍青年将校3人によってシベリア鉄道を利用し在ローマの事務所に届けられました。そして5月9日原田公使によって教皇ピオ12世に奉呈されました。続いて5月31日ピオ12世が日本国天皇あての親書に署名し同じくクーリエによって日本へ運ばれ6月に駐日教皇庁使節パウロ・マレラ大司教が天皇に返翰を奉呈しています。
その頃、昭和19年(1944)1月4日日本の大本営陸軍部は戦況の悪化にヴァチカンとの接触強化を望んでいました。その後、昭和20年(1945)6月3日と6月12日の2回、ヴァチカンから「絶対極秘電」が入り6月5日日本政府は接受しました。それはヴァニヨッチ司教による和平打診工作でした。だが日本政府は信用しないで無視してしまいました。その結果は広島と長崎への原爆投下になってしまいました。
その後、8月15日に敗戦となりましたが、12月15日GHQが日本政府に「外交停止指令」を出したため12月17日在ローマ事務所は閉鎖され、12月31日イタリアに進駐しているアメリカ軍によって文書は没収されてしまいました。昭和21年(1946)3月26日原田公使は引揚船によって神奈川県久里浜に上陸しました。
周りの人から今年は梅の実が豊作だったと伺いました。しかし産地和歌山ではそれほどでもなかったようです。その土地での気候が影響してのことでしょうが、初夏の気候は柑橘類の花を長く咲かせました。秋の収穫はどうなるのでしょうか、気をもませます。今月は売店からの推奨で2冊紹介いたします。 「教会の基本」 「真の愛への道」
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