藤沢カトリック教会

八 角 形 に ゅ ー す

2013年12月14日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

東アフリカ・ウガンダのクリスマス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 ロバート

教会委員会報告(11月16日)

感謝と喜びの中で・・七五三祝福式・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 中村

一足早い クリスマス会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢3区 篠田、落

ザビエル祭・・・・・・・・・・藤沢2区 小比賀

ボーイスカウト入団上進式

地区ラリーに参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢16団カブ隊 西澤

横浜教区一粒会本部委員会報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 鈴木

戸田帯刀神父を偲ぶ巡礼の旅・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 辻垣

ボランティアへのおさそい〜石巻のボランティアに参加して・・辻堂1区 久慈

東北ボランティア活動サポートチーム報告

南洋群島とカトリック教会の歴史(3)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 高木

がりらや便り

福音川柳(続21)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・主任司祭 鈴木

 

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東アフリカ・ウガンダのクリスマス
司祭 ロバート 

私たちの国には国の祝日である4つのお祝い日があります。クリスマス、イースター、イスラム教の人々のためのイディ(断食開け祭)、10月9日の独立記念日です。この中で全ての人々にもっとも祝われるのはクリスマスで、毎年12月25日から新年の10日まで祝われます。私たちは社会的、商業的、宗教的な3つの面から見ることが出来ます。

クリスマス社会的には、友人や親戚の間でクリスマスカードやお金、贈り物を交換するとき。地元のビールが準備され、ディスコ(地元のミュージシャンが演奏する)が開かれます。若者はこれがとても好きですが、年寄りも参加します。彼らは町や大きなトレーディングセンターでビールを飲んだり、時には、向こう見ずな行動もします。食べたり、飲んだり、家族をビーチや動物園を連れて行く、というようなレジャーに多額のお金を使います。しかし、車で出かけたりして楽しむことができるのは教育を受けたリッチな人々だけです。彼らはビールやウイスキー、ブランデー、ワイン等輸入された高級なアルコール飲料を飲みます。一方、田舎の人々はキビから造られたマルワや地方の植物、キャッサバ澱粉を蒸留して造られたワラギを主に飲みます。この時期、村の人々はとても寛大で、訪問者は誰でも歓迎され、タダで飲物が供され、通常はお金持ちが買うビンビール以外は何も残っていません。肉は貴重な食べ物の一つで、貧しい家族には高価で買うことが出来ず、普通の時は誰も食べることができません。でも、どの家庭でもクリスマスに肉を買うために節約に努めます。人々は数ポンドの肉を買うのを見せびらかして、自分たちが有能であることを妻たちに示します。この時期に肉を買えないと妻を失う危険が男性にはあり、実際にこれで離婚する夫婦が大勢いるのです。肉だけではなく服もそうです。妻や子どもは新しい服を買って貰えると思っており、それが出来ないと離婚に至るのです。

男性はこの時期になると本当に不安になります。彼らは妻を喜ばせなければならず、出来なければ妻を失ってしまうからです。結婚した女の子を一人でも持っている家庭は、このクリスマスの時期、幸せです。というのは、その女の子の両親に贈り物をすること、その中で肉は欠かせないことが法律で決められているからです。お返しに、その女の子の両親は贈り物への感謝の印として娘をチキンと共に夫に返します。 男の子だけしかいない人々は、なぜ自分たちには男の子しかいないのかと残念がるのです。

商業的には、ビジネスをしている人々はこの機会に自分たちの物を沢山売ろうとします。誰もが何でも買いたがるので、靴、衣服、クリスマスカード、装飾品などの価格が高くなります。誰もが旅行するので、15日からは旅行費用が高くなり、地方に行くのは大変です。都会や町は、決まった場所で演奏するために残っている何人かのミュージシャンと地方の村へ帰るための交通手段を失った人々を除いてほとんど誰もいなくなります。

何より宗教的には、教会は実際に12月中とても忙しくなります。人々は「赦しの秘跡」を受け、聖歌隊が練習し、赤ちゃんの受洗を準備する人々は特別の教会を選びます。いつもは教会へ行かない人々も友人とのきまり悪さを避けるため、クリスマスのこの時期だけは教会へ行くのが見られます。

クリスマスの日には教会は本当に一杯です。 しかし、教会の中でさえ、人々の関心は何を着るか、後で何を食べるかが中心になっています。余裕のある教会では信者にクリスマスパーティや贈り物を用意する所もあります。教会は信者からの献金を非常に期待しており、教会の仕事を支えるためにクリスマス(献金)の封筒を配ります。クリスマスは本当に誰もが逃したくない歓喜とお祝いの素晴らしい日です。子どもたちはいつもクリスマスが早く来ますようにと祈ります。クリスマスの時まで決して食べることの出来ないお米とお肉の貴重な食べ物を味わうことができるからです。


クリスマス
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教会委員会報告(2013年11月16日)

<提案事項>

1. 太陽光発電装置設置について

卒原発を考える会世話人の益満さんより、太陽光発電装置設置についての提案が出された。再生可能エネルギーを活用することは喫緊の社会要請である。幸い聖堂の屋根は陽当たりも良いので、そこに全量買い取り制度で規定する小規模発電所を設置することに適している。社会的貢献とともに、政府の発電力全量買い取り保証制度により経済的にもメリットがある。買い取り価格の高いうちに設置してはとの提案があり、メリット、リスク、資金調達手段、収支見込みなどの説明があった。積極的な反対意見はなかった。緊急時(災害時)には切り替えて教会で使用できるが津波や地震の保険など検討を要することもあるので、検討チームを作り問題点を出し、12月の教会委員会で再提案することになった。検討チームは益満さん、沼波さん、押木さん、川辺さん、前山委員長の5名

<報告事項>

2. フィリピン台風支援について

既にフィリピンコミュニティーは支援のために動き始めているし、またカリタスからも緊急支援の要請がきている。藤沢教会としてどのように対応するかを話し合った

・ 緊急を要しているから、11月17日の献金はミサ前にお知らせをして全てフィリピンのためとする
・ 献金は藤沢教会のフィリピンコミュニティーに関わりのある人たちを支えたい
・ フィリピンコミュニティーも17日にカラカサンチャリティー抽選会のために集まる。そこで募金をすることになっているので、17日のミサの献金と合わせてフィリピンコミュニティーのシスターに託して必要な所に届けていただくこととする
・ 今後の募金については運営委員会で検討する

3. 国際ミサ

12月29日(日)国際ミサについて、フィリピンコミュニティーは台風のこともあり、大半が帰国などで不在になることが予想できるが実施するか通常の主日のミサにするか

・ 外国コミュニティーの人たちは一緒に集まる国際ミサを喜んでいる
・ お互いに知り合えてきて、共に集う機会を与えられたことを感謝している
・ 揃わなくて寂しいが外国コミュニティーの意見に任せてはどうか
・ 日本人は国際ミサをどう感じているか
・ 第5日曜日と決まった国際ミサは続けることに意味がある
・ 不都合が無い限り続ける
・ 外国コミュニティーの人たちが言葉の違いからくる寂しさを味わっていることに気づいた
*教会委員会後、国際部内で話し合い、12月29日は出られる人たちと共に国際ミサを行うことになった

4. 今後のスケジュールについて

・ 11月24日他教会への建設資金支援献金
・ 1月18日:新旧合同教会委員会
・ 2月2日: 9:30ミサ後信徒総会
・ 3月9日:田邊神父初ミサ・午後横浜教区合同入信志願式

5. その他

・ ウガンダの教育資金として頂いた中から30万円を送金し10人の子供に奨学金として渡した。礼状がロバート神父のところにきている。引き続き支援をお願いしたい
・ バザーについて佐々木さん(辻堂2区)より報告があった。収益は1,552,141円で77万円は福祉部に依頼して地域に、残り782,141円を教会修繕積立金に寄付をする。ご協力に感謝。売り上げは例年並みだったが、収益が少なかったのは賛助金が少なかったためと思われる。全戸に案内を配布しなかったことでバザーの日にちの分からなかった人もあった。全体として楽しく協力してできた

<ブロック・活動部>

12月は北2ブロックの担当になる

(北1)
11月19日(火)に山梨市へ巡礼をする。塩山教会でのミサ後、戦争中も反戦を主張し平和と向き合った戸田帯刀元横浜教区長の殉教に学び思いをはせる。募集は40名

(北2)
・ 11月3日(日)にブロック集会をした。来年度の連絡網にメールでの連絡も考えていたが、メールは確認しない人もあるので振り出しに戻って考えることになった
・ クリスマスの日のお茶や菓子について,今後相談をする

(辻堂)
・ 11月10日(日)七・五・三の祝福式
・ 障子張りをした。今年は全部張り替えるのではなく、13箇所の切り貼りをした
・ 連絡網はメール連絡の人の追加をした

(藤沢)
12月1日(日)にブロッククリスマス会を予定している

(鵠沼)
11月17日(日)来年度のブロック代表(複数態勢で臨む)について話し合う

(宣教)
・ 12月1日(日)9時30分のミサ中で入門式を行う。入門講座は来年度からは年間講座開講予定を掲示する
・ 11月9日(土)に湘南台センターで行われた小倉真澄さんの演奏とお話の会の献金32,200円はスリランカ支援のマイクロファイナンスサポートチームに寄付した。湘南台センターの来年度代表は田所さんに決まった
・ 11月17日(日)9時30分ミサ中で1名の幼児洗礼式が行われる
・ 11月23日(土)日本カトリック神学院ザビエル祭に参加する
・ 12月14日(土)16時から市内キリスト教連絡会主催の「市民クリスマス」が当教会で開催される。テーマは「心をつなぎ、のぞみをつなぐ」。プレキャロリングは12月7日(土)15時から藤沢駅南口橋上にて行われる
・ 三浦神父の連続講座「人生の終わりを迎える日に備えて」は年内終了。来年は1月18日、2月15日、3月29日の3回の土曜日、14時から15時30分を予定している
・ 3部門連続講座は11月10日(日)9時30分ミサ後、「自分の歴史を祈る」をテーマに実施した。25名の参加があった。自分の人生を7つのステージに別けて「愛された大切な体験を」をテーマに振り返り分かち合いを行った。今回は導入で2回目の12月15日(日)には、前回の参加者は「自分の失敗の体験」、初参加者は「私と神、キリストとの関わりを助けてくれた人」をテーマにより深く考えていく

(教育)
・ 11月 3日(日)ボーイスカウト湘南地区ラリー
・ 11月23日(土)日曜学校ザビエル祭(遠足)
・ 11月24日(日)子供のミサ/ボーイスカウト入団式・上進式
・ 12月8日(日) ボーイスカウト・ガールスカウトクリスマス会
・ 12月15日(日)日曜学校終業式

(国際)
・ 11月17日(日)カラカサンチャリティー抽選会、カラカサンは移住女性のためのエンパワーメントセンターで、このイベントは藤沢教会のコミュニティーではなく、カラカサンの活動を支援するために行われる。抽選券の購入など協力をお願いしたい
・ 外国人の子どもたちの学習支援について意見がでている。親たちも不安を感じている。既に週3回の学習支援が行われているがマンツウマンでやる必要もある。教師や塾講師体験者で態勢を整えられたら良い
・ 国際部次期部長はナンシー田中さん(ラティノス代表)に決まった。それぞれ忙しいので皆でサポートする

(典礼)
・ 12月21日(土)活動部連絡会(新旧)で、来年度3部門連続講座の進め方を話し合う
・ クリスマスミサは4回行われる
24日(火) 17:00(子供と家族のクリスマスミサ) 20;00(キャロルとアンサンブル) 24:00(キャンドルサービス) 25日(水) 9:30
・ 1月25日(土)第5地区「祈りのワークショップ」

(福祉)
・ 12月14日(土)福祉部会がある。その中でバザー収益配分について話し合う
・ 12月8日(日)クリスマスミニバザー
・ 信徒総会にお汁粉を用意する

(広報)
12月号は12月1日(日)原稿締切、12月14日(土)発行予定。クリスマス号の原稿募集



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感謝と喜びの中で・・七五三祝福式
辻堂1区 中村

心配された雨もなく、時折薄日もさす穏やかな秋の日曜日、11月10日に七五三の祝福式が行われました。7才の女の子が4名、5才の男の子が2名、3才の女の子が3名と男の子が1名・・・合計10人が参加されました。可愛らしく着飾った愛らしい紳士・淑女たち、ご両親や御親戚の方々など、皆様のお顔も晴れやかで、この喜びの日を迎えられたことへの感謝と喜びに満ち溢れているようでした。

聖歌「神様といつも一緒」の後、ロバート神父のお話がありました。「私の国ウガンダでは、子どもたちがこの年まで育つことがとても難しいのです。一歳になるまでに、多くの子供たちが亡くなってしまいます。だから、皆さんがこのように元気に三才・五才・七才というように育ったことはとても素晴らしいことなのです。今日は本当におめでとうございます」というお話から始まりました。「皆さんは大きくなったら何になりたいですか?」という問い掛けに、恥ずかしそうに戸惑いながら「電車の運転手さん」。と答えた男の子。「いいですねえ。それではあなたは?」3才の女の子は、「カエルさん」。どっと温かな空気が聖堂中に広がりました。可愛いぬいぐるみを持っているのでしょうか?大好きなお話があるのでしょうか?

式がおわったあと、ロバート神父を囲んで記念写真をとりましたが、ピースサインをされている神父様の笑顔もとても素敵でした。少子化の影響か、年々参列者が少なくなっていくようです。でもとても温かく、幸せな空気に満ち溢れた祝福式でした。

七五三祝福式

七五三祝福式ゆり (7才)

しきのと中、神父さまに大人になったらなにになりたいかきかれて、しゃしんをとる時にもきかれたので、「きまってない。」といいました。それで、もう少ししたらかんがえようとおもっています。

かな (7才)

きものがきれてうれしかったです。大きくなったらなにになるっていうことをきかれたけれど、まだきまっていないので、ひとこともいいませんでした。

藤沢1区 松田

そういえば今年は七五三・・・。小学校の入学、新生活、夏休みにと目の前のことに追われているうちにふと気づけば秋。晴れ着はどうする?写真はどうする?おばあちゃんにも連絡しなくては。あー美容院が予約できない・・・バタバタとしているうちに七五三を迎えました。

晴れ着を着せて写真に残すだけの日になってしまいそうな私たちでしたが、教会で七五三の祝福をして頂くことで本来の神様に成長を感謝し今後の成長を祈る日にすることができました。「神様といつも一緒、私たちみんな」式で歌った聖歌のように、誕生、洗礼、七五三。これからも成長を祝福され、見守られながら育っていく。ここに集まった子供たちみんながいつも神様に愛され、教会に守られて成長している、幸せな子どもたちだと実感しました。「晴れ着を着るのは神様に見ていただくため」と子ども参考書に書いてありました。いつもよりすました子どもたちが、これからも神様の愛に包まれ、健やかに成長していくことを祈っています。司式くださいましたロバート神父、お手伝いいただきました皆様に感謝申し上げます。有難うございました。

藤沢2区 田邉

今回、先日5歳になった結太(ゆうた)と、もうすぐ3歳になる大喜(だいき)が七五三の祝福をいただきました。厳かながらも心温まる式の中で、子どもたちが元気に毎日を過ごして来れたことに感謝し、今まで私たち家族がいただいてきたたくさんのお恵みや、周りの人たちとの温かな繋がりを、改めて思い起こしました。

長男・結太は3歳のとき腫瘍が見つかり、病院に通う日々が続きました。たくさんの方たちが私たち家族のためにお祈りしてくださいました。そして奇跡が起こるかのように、手術前最後の診察の日、お医者さんも驚くほどに腫瘍が小さくなっていることがわかり、急きょ手術が取りやめになりました。

何事もなく毎日を過ごしているのは当たり前のことではなく、神様からいただいた命の恵みに感謝しながら、子どもたちと過ごす瞬間瞬間を大切に、真剣に生きたいと改めて感じました。最後になりますが、このような温かな式を準備してくださった係の皆様に心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました!



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一足早い クリスマス会
藤沢3区 篠田、落

ご降誕祭が間近になってからでは、センターホールを使えないため、待降節第1主日の12月1日(日)に藤沢ブロックのクリスマス会を催すこととなりました。センターホールに大きなクリスマス・ツリーを飾り、テーブル・セッティングも赤を基調として華やかに整えると、もうそこはクリスマス気分で一杯となりました。

祈りに続き、現在のブロック長のお一人である井上さんの開会の言葉によってクリスマス会が始まりました。その後もうお一人のブロック長である家田さんより新旧連絡員の交代の紹介がありました。そして新ブロック長になられた前田さんが「藤沢3区のどなたもブロック長を引き受けて下さらなかったので、私のような者がこれから2年間ブロック長をさせて頂くことになりました」とご挨拶を始められ、前田さんの心から出る謙虚な姿勢の一言一言を受けて、皆がこれから協力していこうという雰囲気に包まれました。

その後、典礼部、国際部、福祉部からご報告がありました(詳細は教会委員会報告をご参照ください)。その中で「東日本大震災後、外国コミュニィティーの方々から暖かい言葉を私達が頂いたように、今度は私達日本人がフィリピン台風被害を受けたフィリピン・コミュニティーの方々にお声かけをしていきましょう」という呼びかけや「近隣の一人暮らしのお年寄りを周りがそっと見守りつつ、何かの時にはお声かけができるように心がけましょう」という呼びかけは、横のつながりの大切さ、共同体としての暖かさを感じられるものでした。その後、岡本ひとみさんのピアノ伴奏で守田千恵子さんがバイオリンを演奏してくださいました。ベートーベン作曲のロマンスへ長調を聞かせて頂きましたが、その素晴らしい演奏に皆は魅了され、会場は静まり返りました。

心地よい気分になったところで、楽しいクリスマスの食事となりました。手作りの食事の準備のために、前日から藤沢3区を中心にお手伝いの方々が集まって下さいました。そのお蔭でよく煮込まれた一流の味のビーフ・シチューをお出しすることが出来、クリスマス会で皆さまから絶賛のお言葉を頂くことが出来ました。デザートはマドレーヌの会にクリスマス向けの可愛いマドレーヌを焼いて頂き、僅かではありますが東ティモール支援に協力することが出来ました。食後は萩田さんによる読み方が難しい名字等の漢字ゲームで盛り上がりました。四月一日さんと書いて「わたぬきさん」と読むとか、十さんと書いて、枝のない木ということで「えだなしさん」と読むとか、その他難問がたくさん出ましたが、正解する方々がいらっしゃることに驚きました。その後、参加者52名、全員参加のゲームが始まりました。全員起立で片手に百円玉を握ってジャンケンに負けた人は百円を勝った人に渡していくというジャンケン勝ち抜きゲームに会場は騒然となりました。最後に勝ち残った子安さんの両手一杯の百円玉は、フィリピン台風被害義援金として国際部の鶴田さんに手渡されました。最後に皆で「もろびとこぞりて」を歌ってクリスマス会はお開きとなりました。

クリスマス会の担当地区である藤沢3区の方々のご協力の上に、地区を超えていろいろな方々の心優しいご協力を頂いて、和やかなクリスマス会が出来たことを心から感謝いたします。

クリスマス
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ザビエル祭
藤沢2区 小比賀

秋晴れの11月23日、日本カトリック神学院東京キャンパスにおいて、学院祭が行われました。この学院祭はご存じの通り、ザビエル祭と呼ばれています。東京キャンパスの前身、東京カトリック神学院は聖フランシスコ・ザビエルに捧げられたものだからです。

当日のミサは主司式は副院長で東京キャンパス責任者、中野裕明神父(霊名はフランシスコ・ザビエルだそうです)でした。また、関町教会稲川神父のご好意により、聖フランシスコ・ザビエルの聖遺物も安置、顕示され皆さんの興奮を呼びました。そのミサの中でのお説教は印象的でした。神学生2人で支える地球儀を使って、聖フランシスコ・ザビエルが日本(鹿児島。中野裕明神父の出身地!!)に来られるまでを説明して下さいました。地球儀が大きすぎて、出発点のポルトガルのリスボンや途中滞在地のインドのゴアを見失ったり、子供も大人も大爆笑のうちに、聖フランシスコ・ザビエルの長い旅、強い心を再認識しました。

午後には、院長の白浜神父の講演「主よ、あなたにゆだねます」がありました。第二バチカン公会議が目指した精神について、穏やかにかつ情熱深く、語られました。新しい世代を養成されている方の、熱いお気持ちの伝わる講演でした。その他にも、子供たちに向けた企画も考えられており、院内ツアーや、とくにお化け屋敷は大評判でした。各種屋台も充実していて長蛇の列でした。端から全部食べたかったです。

閉会式では、神学生の紹介があり、これもまた爆笑の連続、校歌のコーラス、こちらは心洗われる素晴らしいものでした。横浜教区からは磐田教会出身の祖父江優太さんが、今年入学されました。真面目でシャイながら、子供好きな優しい方です。どうぞ皆さん、お祈り下さい。

笑いと喜びのうちに神学生の方々や、養成者の方々の日常を知り、その熱いお気持ちで、私達の今、そして未来の信仰が強められていくのだと思いました。

ザビエル祭

1年 けん

ぼくは、えんそくにいきました。おばけやしきにはいったり、ゲームをしました。たのしかったです。

5年 裕美

私は、今回のザビエル祭にはじめて行って、ミサのやり方がちがうのを見てびっくりしました。ミサがおわってみんなにつられてお化けやしきにはいりました。でも、こわかったから入り口に入ってから、すぐににげました。そして、おしるこを買いに行ったがおしるこのおもちがなかったのであんこを食べたがおいしかったです。つぎにえびせん国に行きました。えびせん国とは、えびせんに絵を書くのをえびせん国だと思います。いろいろたのしかったので、また行きたいです。

6年 論子

11月23日にザビエル祭に行きました。バスの座席がずいぶんあいているという、人数の少なさでしたが、とても楽しかったです。お化け屋敷はリタイアしてしまったけど、他のことで楽しめたので、良かったです。神学生が沢山いました。ミサでは、地球儀が良く見えず残念でした。また、来年もいきたいな〜と思いました。



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ボーイスカウト入団上進式

11月24日(日)9時半ミサにおいて、ボーイスカウト藤沢16団の入団上進式が行われました。引続き入団、見学を随時受け付けていますので、よろしくお願いします

ボーイスカウト入団上進式

ボーイ隊 朔太

11月24日のごミサの時、ぼくはカブ隊からボーイ隊に上進しました。ちかいの言葉を一人で言うのは、すごく緊張しましたが、皆さんが沢山拍手をしてくれたので、とてもうれしかったです。カブ隊までは隊長や大人の人達に色々やってもらうことが多かったのですが、今度からは先輩スカウトや隊長から教えてもらいながら、少しずつでも自分でできることが増えるといいなと思います。

ボーイ隊 涼華

私は、幼稚園の時にビーバー隊に入団し、カブ隊に上進してからさまざまな基礎知識を学ぶことができました。そして11月のミサで神父様や皆さんに祝福されて無事ボーイ隊の一員になることができました。
正直上進するか、しないか迷いました。私は女子ですし、男子と話すのもあまり得意ではないタイプなので、どうするかとてもなやみました。けれど私は、母といろいろ話して勇気をもらいよく考えて続けることを決心したんです。ここまでくるまでにお世話になった人たちに、本当に感謝しています。
私はボーイ隊になって上のスカウトのみなさんとも、まじめにしっかり楽しく活動をしていきたいです。ボーイ隊はカブ隊と比べ大変なこともたくさんあると思います。それでもみんなと助け合い努力して尊敬されるようなスカウトになりたいです。

ボーイ隊 涼輔

ぼくは、11月24日、みなさんの祝福によって、ボーイ隊に上進することができました。上進式でチーフをいただいた時に、ぼくはとてもうれしくなりました。なぜなら、いままでビーバー隊、カブ隊とずっとボーイスカウトと歩んでこられたので、また新しいスカウトの第一歩を歩みだせたと思ったからです。

ふり返ってみると、入団した時から藤沢16団がとてもすきでした。ですからボーイ隊に上進するかと母に聞かれたときにすぐに「上進したい」と答えました。

いままで、ぼくがやってきたカブ隊より、やることが難しくなるかもしれませんが、いろいろな課題をしっかりと身につけて、いつか少しでも困っている人を救えたらいいなと思います。これからもっとボーイスカウトの活動を楽しみ、すきになって、ボーイスカウトを続けていきたいと思いました。

ボーイスカウト入団上進式

ビーバー隊 せいいち

さいしょに(入団説明会の時)いろおにをしたのがたのしかったです。 きょうはおおきなこえでいえて、よかったです。 キャンプがたのしみです。



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地区ラリーに参加して
藤沢16団カブ隊 西澤

11月3日の湘南地区ラリーには福島のカブやボーイ、リーダー、デンリーダー、いろいろな人が集まっていました。

はじめにジェスチャーゲームをやりました。写真にのっている食べ物を表げんしました。一番楽しかったのは、においがなにかを当てるゲームです。一人ずつ入ってダンボールの中にあるティッシュにしみこんでいるえきたいからにおいのする物をかいで当てるゲームです。ぼくは2こしか当てることができなかったのでちょっとくやしかったです。またこういう機械があれば、やりたいです。

福島のカブが来てくれてうれしかったです。また福島の人と会って友達になって動いた後のおにぎりはすごくおいしかったです。最後に全員で写真をとりました。大ぜいの写真でとってもよい思い出になりました。また、セレモニーの後にそれぞれ先頭の紙にかいてある、番号の紙をわたされました。その後同じ番号の人をみつけにいきました。30秒くらいでみつけて大きなかみをステージの人にわたされ、その後地面にレジャーシートを広げて紙をのせて、おりがみを紙にはりました。ぼくは少しだけおりがみをはったけど、ほとんどのりを出す係りをしていました。その後ステージの人にわたしましたが、さいごになぜそれを作ったのかがわかりました。「つなげて福島」ができあがりました。すごい物を作ったなって思いました。



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横浜教区一粒会本部委員会報告
辻堂1区 鈴木

11月2日に開催された一粒会の本部委員会での梅村司教のお話から一部をご報告させて頂きます。

1.地区の修道会等への委託は早い時期に廃止

・ 修道会等へ永く委託して来た地区に教区司祭、他の会の司祭に行って貰い、他の司祭がいることを(信徒に)身をもって体験して貰った
・ 若い教区司祭に静岡県に行って頂いた
・ 長野県は、レデンプトール会が諏訪、フランシスコ会が長野の土地、建物を所有、その他は財産・名義ともに順次教区に移管
・ 鷺沼がサレジオ会帰属の小教区となっている
・ 修道会、宣教会担当の地区では、教区司祭の召命を目的とする一粒会の活動を理解して貰うことが難しい
・ 修道会等には、教区内での各会固有の召命の為の募金の許可を与えており、それも尊重しながら、教区司祭の召命についても努めて欲しい

2.神学生の動向

・ 田邊敏彦助祭(末吉町教会出身)が5月6日に山手教会で司祭叙階式。28歳での叙階であり、将来が期待される。(濱田師、谷脇師、宮内師、田邊師、皆28歳で司祭叙階。現在神学生の牧山神学生が順調に行けば、やはり28歳での司祭叙階となる)
・ 2013年度の新入生 札幌1名、広島2名、長崎2名、横浜1名の計6名。広島の1名は夏休み後退学。
・ 2014年度の選考を9月に実施。9名が合格 札幌1名(41歳)、さいたま1名(37歳)、東京1名(33歳)、福岡2名(韓国から32歳、30歳)、長崎2名(22歳、28歳)、横浜2名。2名の方は韮崎教会(24才)…大学在学中。李ビョンホン師が積極的に関わって下さった。(山梨からは、サレジオ会で雨宮師、田村師兄弟、中田師の4名若手司祭がいるが、教区司祭はなかなか誕生しない)三浦海岸教会(34歳)…カンペンハウド師が霊的指導をしてくださっている

3.信徒数の少ない小教区について

巡回教会へ、との申し出が出ている
・ 山梨県:山城教会は、教会だけでなく地域活動のセンターとして使用、今後のモデルとなる。塩山教会→甲府教会の巡回へ
・ 長野県:中野教会・須坂教会→長野教会、辰野教会・駒ヶ根教会→伊那教会の巡回に。小諸教会も何れは巡回となる予定
・ 巡回教会の信徒台帳は母教会へ移動、小教区会計は母教会と一緒になる

4.外国人司祭の動向について

・ ベトナムから司祭3名受け入れ予定。来日後日本語研修2年司牧研修2年かかる見込
・ 菊名、磯子、御殿場の司祭が修道会内の異動で横浜教区から転出。修道会からの交替の司祭が来ることは今後期待できない



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戸田帯刀神父を偲ぶ巡礼の旅
善行 辻垣

高木一雄氏(鵠沼3区)の呼びかけで元横浜教区長であり、札幌教区長でもあった戸田帯刀神父を偲ぶ「今平和の意味を学ぶ巡礼の旅」が11月19日(火)に行われた。JRの事故の影響で遅れてバスは藤沢教会を出発。総勢37名秋晴れの中、東名御殿場ICを下り、見事に紅葉した唐松やくぬぎ林の中、2回りも大きな富士山を眺めながら塩山教会に向かった。

戸田帯刀神父は昭和20年8月18日の夕、終戦からわずか3日後、保土ヶ谷教会の司祭館で後頭部を撃ち抜かれた射殺体で発見された。犯人は憲兵と言われている。この衝撃的事件は敗戦の混乱の中、捜査もされずカトリック教会内部でも知る人はほとんどいない。事件の真相は今なお闇の中である。彼の出身地は山梨県牧丘町であり、山深い養蚕農家の3男として1898年(明治31年)に生まれた。カナダに移住した兄の資金援助で苦学して東京の開成中学に進み本所でカトリックに出会い、17歳で洗礼を受けローマ・ウルバノ大学に留学、27歳でローマで叙階。帰国後、当時の東京教区内の主任司祭を経て太平洋戦争突入直後の1942年札幌教区長に着任した。ここで軍刊法造言飛語罪で逮捕起訴され、3か月後に無罪となるが「反戦司祭」の烙印を押され、昭和19年10月横浜教区長に転任、非業の死を遂げる。

塩山教会では20人程で一杯になる小さな教会だが甲府教会主任の田代和生神父と信徒の皆様が迎えて下さり、早速ミサがはじまった。第一朗読はマカバイ記(6・18−31)が読まれた。「すべてのことを見通しておられる主の前で、迫害の元、高潔な死を全うできるように強い信仰を持とう」と朗読された。戸田神父の姿と重なって聞こえた。

遅れて昼食をフルーツパーク富士屋ホテルで頂き、山の中腹にあるお墓を確認した後、生家のある牧丘町西保中に向かった。現当主戸田準一氏(戸田神父の長兄の孫)一家と村人に暖かく迎えられた。「こんな山里に多数の方がお見えになるとは思ってもいませんでした。親族のひとりに偉大な人がいたことを誇りにおもいます」と挨拶された。

近代のカトリックの歴史のなかで我々の属する横浜教区で教区長である戸田神父が非業の死を遂げられたことをしっかり受け止めることが今を生きる信徒の努めだと強く思った。キリスト者は現代に於いても様々な不正に立ち向かって生きるよう身を持って示して下さったのではないだろうか。キリストに倣うとは常に生と死の狭間で生きることにほかならない。意識して人々を騙し偽証する世界にあって、その中をぬくぬくと漂いながら生きることは、赦されるのだろうか。特定秘密保護法案の制定、原発の責任と処理の曖昧な国と東電と学者たち、憲法改正など、神のもとにおける不正義から押し寄せてくる世に対しても深く考えさせられた巡礼の旅であった。

今回の巡礼には、この殉難を検証し、雑誌「福音と社会」に連載しておられる、元毎日新聞甲府支局長の佐々木宏人氏(荻窪教会)に同行頂き、解説していただいた。またこの旅を長期にわたり企画してくださった浅野士良氏に感謝したい。来年の巡礼も楽しみである。



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ボランティアへのおさそい〜石巻のボランティアに参加して
辻堂1区 久慈

10月末、被災地サポートチームのチーム長小藤さんに連れていっていただき、5人の方とご一緒に2泊3日の石巻ボランティアに参加させていただきました。 朝10時前東京発の新幹線に乗り、石巻ベースに着いたのは2時半過ぎでした。ベースは駅から徒歩20分程で、焼肉屋さんを改築したという3階建ての白いきれいな建物です。ホール、お聖堂、集会室、ボランティアのためには2段ベッドの4人部屋もあります。オタワ愛徳修道会のシスターと2人のスタッフが中心となって、活動しています。主な活動はホールで人を迎えることと、7か所の仮設住宅で行っているお茶会です。そのほか米川ベースとの協働で南三陸へ出かけ外で活動することもあるそうです。

朝食、掃除、8時半に朝のミーティング。活動開始。18時一日の活動の振り返りをして夕食、片付け、自由時間。22時消灯というのが一日の流れです。

「今日はお疲れでしょうから」というシスターのお気遣いで、着いたその日は、Fさんだけホールに残り、近くの散歩に出かけました。周辺は坂が多く、坂の上には避難場所の小学校や石巻教会があります。町を見て一息つくと、もう6時。夕食前の振り返りの時間は、一日を振り返り、感じたことを話し合いアドバイスももらえるので、疑問や不安、戸惑いなどが軽くなります。夕食は、毎晩地域の方が来て作ってくださるのです。そのおいしいこと。心尽くしの郷土の味の美味しさに皆沸き立って、お腹いっぱいいただきました。夕食の片付けの後、近くの「元気湯」でリラックスして、夜は集会室でシスター、スタッフと皆で懇談の時を過ごし一日目が過ぎました。

2日目。朝食、掃除を済ませて朝のミーティング。被災地の方々と「ともに寄り添うことができるように」という祈りが深く心に響きます。2日目の活動は男性2人はベースの周りの草刈り,ほかの4人は押切沼団地という150世帯位の仮設住宅のお茶会に行きました。

車が団地に着くと、数人の方たちが外で集まって日向ぼっこをしていて、笑顔で手を振って迎えてくれました。集会室のお茶会には7-8人の方が集まってきて、皆さん嬉しそうにお互いにおしゃべりしたり、私たちにも手芸や野菜の話、石巻のお祭り、行事のことなど楽しそうに話してくれました。話が途切れたり、急に話さなくなったりする方がいると、どうしたらいいかしらと少し緊張して座っていた私も、皆さんが歓迎してとても喜んでくださったので一緒に楽しく嬉しい時を過ごさせていただきました。お昼には、お皿に大盛りの新鮮なお刺身を作って持ってきてくださったのです。蛸、しめ鯖、そして初めて食べる鯨のお刺身。思いがけないごちそうに私たちは大喜びでした。お茶会で出会った飛び切り明るい笑顔の女性Tさん。家は津波で無くなってしまいましたが、「仮設に来て、皆に会えて励ましあって生きていることを人生の素晴らしい経験として感謝しているの・・・」というTさんの話を聞きながら、感動と感謝の気持ちでいっぱいになり涙がこぼれそうになりました。お茶会の間、FさんはスタッフのKさんと一軒一軒コーヒーのサービスに行きましたが、誰もいない家も多かったようです。家にいらした方も何か元気がないようで、お茶会に来られる人はいいんですが・・・とKさんは話していました。ベースに帰ると、茂っていた周囲の草が全部すっかり刈られて、すっきりときれいになっていました。男性のお二人お疲れさまでした。

3日目はKさんが車で被災した地域を回ってくださいました。5,000人の人が住んでいた石巻の中心地は、見渡す限りの雑草地。「がんばろう石巻!」の大きな立看板の近くには,献花台と69メートルの津波の高さを示すポール。原発で潤っているという隣町の女川町は嵩上げ復興工事も進んでいる。津波で全滅してしまった入り江の漁村の跡地を通って雄勝湾を北へ・・・・そのうち気が付くと、車が水の中の一本道を走っている。北上川河口の水没した地域だという。昨日会ったTさんの家もこの辺り・・・ そして大きな北上川に沿って進んでいくと、あの大川小学校があった。津波が来るまで50分も時間があったのに、目の前に山があるのに、どうして大人たちは子供たちを守ってあげられなかったのだろう。溢れるほどの花とお線香。丸くカーブしたうすいオレンジ色の外壁がなんともかわいい、残された学校を見ていると子供たちの声が聞こえてくるようだった。被災地の現状を見て、あの笑顔の出会った方たちが遭遇した恐ろしい記憶や悲しみがどんなに深いものであるか、一層強く感じられました。

こうして3日間が過ぎ、4時過ぎ石巻から仙台行きの帰りのバスに乗りました。 あちらにいる間、ボランティアで来たのに、これでいいのかしらと何度も思いましたが、来てくれたというだけで、観光客か家に遊びに来た顔なじみの来客を迎えるように笑顔で歓迎し、心を尽くして喜んでくださった方たちを思いながら、一緒にいることが少しでも元気と復興への力になればと願っています。 もうすぐクリスマス。主は来てくださいます。待ち望んでいる私たちのところへ。一緒に行きませんか。きっと待っていてくださる方たちのところへ。



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東北ボランティア活動サポートチーム報告

岩手県 (釜石ベース)

7月〜9月の釜石ボランティア参加総数は393名でした。たくさんの学校がグループを作りボランティアに来てくださいました。夏休みが終わってからボランティアが減っています。特に平日にボランティアできる方の参加をお待ちしております。日々の活動については釜石ブログがありますので参考にしてください。

8月3日に釜石内外のボランティア関係者と市民の交流イベント「ぼらまづり」が開かれました。そのなかのボランテイア感謝の集いでは市内外のカリタス釜石を含む5団体に感謝状が釜石市社会福祉協議会より贈られました。

NPO釜石の活動を支えるために特に会員の皆様のお力が必要です。現在正会員89名、賛助会員181名です。詳しくは釜石のホームページをご参照ください。

ハンディタイプ発電機を無償でお譲りいただける方を探しています。希望仕様はHONDAもしくはYAMAHA出力1600以上。お譲りいただける方がおりましたら、kamaishi311@gmail.comまで必ず事前にご連絡ください。(丸山)

宮城県 (石巻ベース)

10月29日(火)から11月1日(金)まで藤沢教会の信徒6名(男性3名、女性3名)がカリタス石巻ベースにボランティアとして入りました。同時に6名もの信徒が入ったのは初めてでした。

市内仮設住宅でのお茶会、ベースを訪れる被災者への応対、道路の草取りなど充実した日々を送れたと思います。

なお石巻ベースでは男性の常駐スタッフが10月末でいなくなり、常駐スタッフは女性のみになってしまいました。従ってこれまで行われていた南三陸(石巻より車で約50分)まで出かけての瓦礫除去や漁業支援などの野外での活動が困難になっています。もし野外でのボランティア活動を希望される場合は宮城県であれば米川ベースをお勧めします。

これから寒い季節になりますとボランティアの数が減ってきますので、是非行ってみてください。 (小藤)

福島県(原町ベース)

10月には原町ベースには延べ10名がボランティアに入りました。小池長沼東・友伸グランド・寺町塚合・寺内第一などにお茶を飲みながら、手芸をしながらのお喋りのボランティアに入りました。今回は、朝6:30から原町ベースの近くの「道の駅」でラジオ体操があり、高見第一・二仮設住宅の方々がたくさん参加していました。私達も音楽に合わせてラジオ体操の第1・2を地域の方々と一緒に行いました。子供の頃に夏休みのラジオ体操を懐かしく想い出しました。また、改めて全身を使うラジオ体操の大切さ、素晴らしさに感心致しましたが、11月から冬の間はお休みになるということで参加者の皆さんから「残念・・」という声が聞こえて来ました。

支援する側が、いろいろな工夫をしながら、地域の方々と接しておられることを見ることができ、私達もお役に立ちたいと思いました。

南相馬市小高地区は無人ですが駅の花壇に花を植えている女性の方が笑顔で、いつでも帰ってこられるようにと話されました。小高商業高校の生徒さん達が開発した「大根かりんとう」が「道の駅」で販売されています。南相馬訪問の折りには是非購入してください。美味しいですよ。(曽根 )

被災地の物産販売

いよいよ寒い季節になりました。果物王国福島からの柿、梨、リンゴや、福島の寒さに耐えたこの季節に更においしくなる野菜など豊富に出回るようになりました。加工製品も種類が増えてきており、リピーターのある商品も多くなっております。

また、仙台味噌や、醸造製品も取りそろえております。製品の幅も広げており、様々な物を用意しています。こちらの方も是非よろしくお願い致します。

なお、仙台コーナーは、毎月第2,第3日曜日に,福島コーナーは毎月第2日曜日に開いております。(牧野)



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南洋群島とカトリック教会の歴史(3)
鵠沼3区 高木

曾て日本の領土であった南洋群島とはミクロネシアと呼ばれ「小島の集まり」という意味でした。丁度赤道以北に点在するマリアナ諸島、カロリン諸島、パラオ諸島、マーシャル諸島など大小2,000余りの珊瑚礁の島々から成っていました。そして各島々の原住民の宗教についてはサイパン、ヤップ、パラオ、ロタ、モートロックなどは全島がカトリック信者であり、トラック、ポナペ、メジュロ、ヤルートなどにはカトリック信者の他に可成りのプロテスタント信者がいました。

先ずマリアナ諸島について説明しますと1521年(大永元年)3月にポルトガル人マゼランが発見して以来、4月14日にはセブ島でミサが行われ500人が洗礼を受けました。その後1565年(永禄8年)にはスペイン領と宣言されましたが1664年(寛文4年)6月スペイン人のイエズス会士が来て布教していました。そして1669年(寛文9年)2月2日グアム島のバガニアに最初の教会が建てられました。それに1767年(明和4年)頃からはスペイン人アウグス会士がフィリピンから来ていました。それから1899年(明治32年)にはドイツ人カプチン会士が来て布教するようになりました。

次にカロリン諸島については1529年(享禄2年)に存在が知られて以来、1668年(寛文8年)スペイン人ラズカノによってスペイン領と宣言され1731年(享保16年)スペイン人イエズス会士が布教するようになりました。その後スペイン政府が放置していたため1880年(明治13年)イギリスとドイツの軍艦がヤップ島を砲撃して占領しました。そこでローマ教皇の仲裁で再びスペイン領となったためスペイン人カプチン会士が布教するようになりました。そして1898年(明治31年)4月の米西戦争によってドイツ領となったためドイツ人カプチン会士に代わりました。

続いてパラオ諸島については1527年(大永7年)ポルトガル人が発見して以来、1781年(天明元年)フィリピンからスペイン人アウグスチノ会士が来て布教しました。その後1786年(天明6年)スペイン領となりましたが1891年(明治24年)にはスペイン人カプチン会士に代わっています。それから間もない1899年(明治32年)にはドイツ領になってしまいました。

最後にマーシャル諸島についてですが1528年(享禄元年)スペイン人サーベドーラが発見して以来、1788年(天明8年)イギリス船が寄り船長の名にちな因んでマーシャル諸島と命名されました。そこで1857年(安政4年)頃からプロテスタントの宣教師が布教していました。ところが1884年(明治17年)10月にドイツがコロール島の大酋長と「保護協約」を結んだり、1885年(明治18年)4月には「英独分割協定」が結ばれたことによって11月30日ドイツの保護領になってしまいました。ところでマーシャル諸島にはすでに1881年(明治14年)以来、ローマ教皇レオ13世の要請によりドイツ聖心布教会がヤルートを中心に布教していました。そのため1905年(明治38年)7月16日からノイボメルン代教区の管轄下になっていました。

代わって1868年(明治元年)から1878年(明治11年)までの10年間スペイン領キューバでは独立戦争がありました。そして1895年(明治28年)再び反乱が起こりました。ところが1898年(明治31年)2月15日スペイン領キューバのハバナ港で停泊中のアメリカ合衆国軍艦メイン号がスペイン軍によって撃沈されてしまいました。そこで4月にアメリカ合衆国議会ではスペイン国に対して謝罪を求めました。だが応じないため4月21日スペイン国に対して宣戦布告しました。それに対して4月25日スペイン国政府も宣戦布告しました。そこでスペイン領キューバとフィリピンを舞台に戦争が始まってしまいました。

その結果、5月にはアメリカ軍がマニラに進攻して8月に制圧してしまいました。一方6月20日アメリカ合衆国軍艦チャールストン号がグアム島に進攻して占領してしまいました。そして12月10日アメリカ合衆国とスペイン国との戦争は終わりました。そこでパリにおいて平和条約が調印されましたが、すでに6月20日グアム島は正式にアメリカ合衆国領土となってしまいました。そして更にアメリカ合衆国は2000万ドルでフィリピンをスペイン国から買収してしまいました。

その頃、スペイン政府は戦費が嵩み経済的に困窮していたため1899年(明治32年)2月12日ドイツとの間で「独西間協定」を結びカロリン諸島とマリアナ諸島、パラオ諸島を1681万マルクでドイツに売却してしまいました。そこでカロリン諸島とマリアナ諸島での布教はスペイン人からドイツ人に代わってしまいました。すなわち1888年(明治21年)以来スペイン人カプチン会が布教していましたがドイツ人カプチン会に代わりました。そして1911年(明治44年)3月1日「マリアナ・カロリン代牧区」が設立され代牧にサルバトール・ワレスター司教が任命され司教座がポナペに設置されました。教勢は教会18、司祭18名、修道士18名、修道女15名、学校24、信者5,000名でした。

因に1905年(明治38年)「マリアナ・カロリン知牧区」が設立され、1907年(明治40年)「グアム知牧区」が設立され、1911年(明治44年)3月1日「グアム代牧区」が設立されていました。



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がりらや便り

台風60号で被災されたフィリピンの方々がよいクリスマスをお迎えになることが出来ますようにお祈りいたします。
ただいま「がりらや」ではプレゼントにふさわしい可愛い品々が沢山並んでいます。どうぞ手にとってご覧ください。今月は心あたたまる絵本の紹介です。

「ちいさなチャンタラ」 
絵 狩野富貴子 文 女子パウロ会 あとがき 山口道孝神父 女子パウロ会 900円

はげしい内戦から家族をすべて失い、タイの難民キャンプにひとりだとりついた小さなチャンダラは、周囲のひとびとに心を閉ざしてしまいました。でも最後に素晴らしい奇跡が待っています。

 





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福音川柳(続21)
主任司祭 鈴木

2013年(C年その4)

2013年

8/4
執着は罪というより償いね 
(年間第18主日)「ルカ12:13−21」
(執着から解放されるのは救われたとき、その前に誰もが通る償いの道と考えたら・・・)

8/11
案ずるな恵みのときは突然に 
(年間第19主日)「ルカ12:32−48」
(出エジプトやサラのできごとのように神は思いがけないときに、 ちゃんと救ってくださるのですねえ)

8/18
分裂は敵とばかりじゃないと知る 
(年間第20主日)「ルカ12:49−53」
(一理にこだわりすぎるとねえ)

8/25
何事も恵みとわかるのが救い 
(年間第21主日)「ルカ13:22−30」
(私はこれをしたと云ってもねえ、神さまのことがわかってないことが多いのでしょうね)

9/1
その時にゃできないことができちゃうの 
(年間第22主日)「ルカ14:1、7−14」
(常識的には無理なことでも、その時が来れば・・・)

9/8
キリスト者? これっぽっちも捨てないで 
(年間第23主日)「ルカ14:25−33」
(捨てられないというのも死の体験、そこからどう復活するか)

9/15
そんな時 思い直さすものは何? 
(年間第24主日)「ルカ15:1−32」
(神を忘れたり、優しくなくなったりした時働く力)

9/22
へぼ信者 神より富を可愛がり 
(年間第25主日)「ルカ16:1−13」
(金が入るとどうしてもそちらに体を寄せてしまう自分を素直に見直せるだろうか…)

9/29
疑いを変えられるのは心だけ 
(年間第26主日)「ルカ16:19−31」
(人をその気にさせるものは何でしょう?)

10/6
信仰はあるかないかのどちらかよ 
(年間第27主日)「ルカ17:5−10」
(信仰が足りないと嘆くことはない。足りないと嘆く程度あれば十分なのでしょう)

10/13
いつの代も敬虔な人はさてどこに? 
(年間第28主日)「ルカ17:11−19」
(お互い、神様を信頼するのも楽ではありませんね)

10/20
遅くとも遅れないとはこれいかに 
(年間第29主日)「ルカ18:1−8」
(神さまより急いでしまう私。そんな私を神さまはがまんして待っていてくれるのかしら・・・)

10/27
この前にあやまったのはいつのこと 
(年間第30主日)「ルカ18:9−14」
(ちゃんと謝れるかに、その人があらわれるということでしょう)



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