八 角 形 に ゅ ー す
2014年3月6日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
目次
ご挨拶・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 鈴木
北1ブロック集会報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 飯田
第33回「横浜教区春期典礼研修会」に参加して・・・辻堂1区 森田
「第5地区祈りのワークショップ」に参加して・・・・・・・・湘南台 押木
鈴木勁介神父との9年間・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼2区 小藤
ヨゼフ 浜口さんを偲んで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 平野
涙と感動のベトナム巡礼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 八木
ありがとうございます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・フィリピンコミュニティー 秋元(ミア)
福音川柳(続22)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・主任司祭 鈴木
ご挨拶
司祭 鈴木
このたび、教区の司祭人事異動により、3月9日付で山手教会へ転任となりました。2005年の春にこちらへ着任して以来9年の月日が、流れました。この間、さまざまな方々にお世話になりました。まず心から感謝申し上げます。まことにまことにありがとうございます。
色々な人々が集まる教会が、しかも名簿上3,700人を超える集いが、イエス・キリストの下になんとかひとつになれるというのが奇跡のように思えます。「ありのままで良い」というところから出発し、「ゆるゆるグリップで」「気の向くこと―聖霊の導きはその中にあることが多い―を大切に」、神さまの働きの邪魔をしないように心がけてきたつもりですが、どこまで神さまにおまかせできたのか、よくわかりません。
思い出としては、一番は秘密ですが、 二番目に嬉しかったことは、ミサ中、M君の歌声に励まされたことでしょうか。
二番目に悲しかったことは、ここにも私を含めて意地悪があったことでしょう。
二番目に辛かったことは、夜間の騒音、特に人の声でしょう。地上の声は4階には響くものです。
二番目に楽しかったことは、色々あって難しい。まあ、しいてあげれば良い助任さん、スタッフと教会メンバーに恵まれたことでしょう。
「歩く漢方薬」と9年前に自己紹介しましたが、効き目はいかがでしたか? もう皆さんには薬は必要ないかも知れませんね。
それでは、お別れです。またどこかでお会いしましょう。
教会委員会報告(2014年2月15日)
1. これからの2年間の方向性について
佐々木委員長より2年間の教会委員会委員任期中の行動指針としての目標を持ちたいと説明があった。鈴木神父より、前教会委員会が提案した将来ビジョンや10年後のシミュレーションなどから具体的にやりたいことを見つければよい。ブロックはこの委員会の議決権を持っており、ブロックの意見をこの委員会に持ってくるなど重要な役割がある。などの話があった。高齢者、受洗者、転入者など新たに来られた方々や地域の人々などとの関わり合いについて多くの意見が出された。各ブロックに於いて身近な事で2年間の目標となる様な具体的なテーマを検討して、次回の教会委員会に持ち寄り、検討することとした。
2. 教会行事(ガーデンパーティー、バザーなど)
ガーデンパーティーは8月第1日曜日(8月3日午後4時より)に有志で開催することとした。バザーについては、有志での開催かブロックの担当で開催するか、藤沢ブロックで協議し次回の教会委員会で決定することとし、開催日は10月第3日曜日(10月19日)を予定して準備を進めることとした。近隣教会に早めにバザー開催日を連絡し迷惑がかからない様にする。
3. 2015年4月教会献堂60周年に向けて
佐々木委員長より、来年の60周年に向けて皆で準備を進めたい旨、話しがあった。
4. 司祭館居間と食堂の内装改善の件、太陽光発電導入および受水槽修理などについて
・ 内装改善:竃蜻q組(見積り額 113万円)に施工を依頼することになった
・ 太陽光発電:前山前教会委員長の提案された「太陽光発電導入に関する討議の論点整理」に基づき、各ブロックで検討を進め、次回委員会に意見を持ち寄る事とした
・ 受水槽修理:老朽化によりフロート周りの修理、清掃など15万円の修理を行う
・ センターホール天窓修理:先日の積雪落下により天窓が破損。強化ガラス修理のため約10万円を支出する
5. 鈴木神父の送別会および芹沢神父の歓迎会
送別会:3月2日9時30分ミサの中で、教会委員長挨拶、鈴木神父挨拶、花束,祈りの花束および餞別の贈呈などを行い、ミサ終了後、前庭で茶菓を用意し送別会を行う
歓迎会:3月9日9時30分ミサの中で、教会委員長挨拶、芹沢神父挨拶を行い、ミサ終了後、前庭で茶菓を用意し歓迎会を行う。担当は、北1,2ブロック。
(鵠沼)
3月初めにブロック集会を予定。3月の初めには送別会、歓迎会などがあり開催日に注意するようにとの意見が出された。
(宣教)
3月9日午後3時教区入信志願式。
(福祉)
イースターバザーを4月13日開催したい。当日は受難の主日なので、開催日を変更するようにと意見が出された。
(教育)
2月23日子供ミサ、3月16日卒業感謝ミサを開催。
(典礼)
2月11日教区典礼研修会を開催。長野、山梨、静岡などから500名を超える参加者があった。
2月2日(日)200名程の信徒が出席して、藤沢教会2014年度信徒総会が開催された。総会資料は1週間前に配布した。岡田副委員長の司会で下記のように執り行われた。
1.2013年を振り返って(前山委員長)(以下1〜5の詳細は信徒総会資料参照)
特にブロック持ち回りで担当し実施してきたバザーが、ブロックを問わない有志の委員会による開催となったことは新しい試みだった。1ブロック単独では担いきれなくなってきたことによるが、従来に囚われない「背伸びをしない運営」を目指したにも拘わらず例年レベルを確保した
2.財務報告(押木財務部長)
2013年度総収入は6,092万円、総支出は5,482万円となり、610万円の黒字となった。収入面は前年に比べ献金や施設使用料などが減少しているが支出も人件費など抑えることができた。大規模修繕がなかったことや、売店の売り上げが大きく貢献した。湘南台センターの経費は湘南台センターにおける献金収入などでほぼまかなうことができ、教会会計への負担は僅かな状況である。この黒字は今後に必要になるであろう聖堂修繕費などのために蓄えておきたい。引き続き皆さんの協力をお願いしたい
3.教勢報告(川辺事務局長)
世帯数2,110総数3,870人(うち不在・不明852)、平均年齢52.7歳。この他に英語・スペイン語・ベトナム語のミサに300名を越える外国籍の人が来ている。不在・不明者の中350名くらいは転勤や施設に入ったなど事情を掴めている
4.災害対策検討委員会報告(里原座長)
2013年12月22日版の藤沢教会災害対策検討委員会報告をもとに、「藤沢教会災害対策における基本的事項について」説明があった。これは2005年報告の「藤沢教会地震災害対応についての中間報告」及び「藤沢教会地震災害マニュアル概念図」をベースに内容を見直したものである。教会委員会の中に、災害対策委員会を位置づける。詳しく見たい人は事務所にとりにきてほしい 秋元エリザベスさんからフィリピン台風災害被災者への支援のお礼と義援金の報告があった
5.藤沢教会10年後のシミュレーション(押木財務部長)
2012年秋、教会委員会で決定した2020年ビジョンで以下の基本方針を明確にした。
@ 信徒自ら築く教会(共同宣教司牧の推進)
A 信仰を豊かに分かち合う教会(共同体的信仰、信徒の典礼への参加)
B 新たな担い手を育てる教会(信徒の居場所と役割の用意)
C 一人ひとりを大切に、社会に開かれた教会(地域社会の人々との共生)
このビジョン実現のために、過去10年間のデータから類推し、10年後のシミュレーション、そこから見えること、ビジョンとの相互関係をふまえ、「すぐにでも実施すべき課題」として、以下が挙げられる
・ 共同宣教司牧の更なる推進
・ 新たな信徒の養成、受洗者の定着、外国籍信徒の定着と役割
・ 高齢者の快適な信仰生活へのケア、信徒相互のつながりを強める
これは今後の活動を具体化していく土台ともなるので次期委員会に引き継いでほしい
6.太陽光発電導入について(別紙あり)(前山委員長)
再生可能エネルギーの利用拡大を目指すために、藤沢教会に太陽光発電装置を導入することについて、ブロックで議論していただきたい論点について前山委員長より説明があった。各ブロックは質問用紙のテーマに添って話し合い、結論を2月末までに事務所に提出してほしい。
7.質疑・応答
信徒総会への事前質問は無し
Q1.自然エネルギーを取り入れることは賛成だが、発電した電気は東電に売却しなければならないか
A1.自家消費のためには新たな設備が必要になる。また、売電しても地域全体の電気使用量の中で自然エネルギーの比率は変わらないのでこの提案となった。皆様も議論いただきたい。
Q2.蓄電設備は含まれているか
A2.含まれていません。
Q3.災害対策委員会のメンバーの中に、現場を良く知っている東北サポートチームの人やボランティアの人が入ると良いのでは
A3.新委員会で災害対策委員会が設置されるときに検討いただくことにしたい。
Q4.売電による再生可能エネルギー買い取り価格は4月から下がり、消費税は4月から上がるけれども、3月末迄の結論出しに拘らず議論を詰めることが大切と思う。
A4.3月末にはさほど拘っていない。各ブロックで十分に議論して意見を出してほしい。
Q5.太陽光発電に地震保険はついているか。また、聖堂は20年後まで使えるのか。
A5.地震保険は付いていない。また、聖堂は後20年はメンテナンスをしながらつかっていくという方針である。
8.新委員の紹介(佐々木委員長)
佐々木新教会委員長より、新委員の紹介があり、「ここまで育ててきた教会を、現実を見ながら未来に向かって働いていきた。みなさんにも、自分らしいやり方で関わってほしい」と新任の挨拶があった。
G-@新たな信徒の要請、受洗者の定着、外国籍信徒の定着と役割について
G-A信徒相互のつながりを強め、高齢者の快適な信仰生活へのケアについて
G-B災害対策
分かち合いの後、鈴木神父の閉会の挨拶と祈りがあった。その後、有志による美味しいお汁粉のサービスがあった。感謝!
北1ブロック集会報告
大庭 飯田
14日から15日にかけての記録的な大雪後の2月16日(日)ミサ後、センターホールにて本年最初の北1ブロック(大庭、善行、六会)集会が開催されました。大雪の後との事で開催が危ぶまれましたが、多数の信徒が元気に参加されました。本年度新ブロック委員の進行のもと、静思のひと時、黙想からリラックスして開催されました。
主な議題は、お互いの懇談を含めた以下の5項目でした。
@ 教会委員会からの報告
A 3月ミサ当番と初金ミサの役割分担
B 藤沢教会への太陽光発電設備の導入可否
C 大規模災害に備えた教会の役割
D 北1ブロックの年間活動予定
特にBについては多くの方々の意見がだされ、再生エネルギーの導入に対しては総論賛成が大多数を占めましたが、藤沢教会への太陽光発電設備導入になると如何なものか?と言う意見が過半数以上を占めました。また、Cにあっては大規模災害時、災害対策本部は藤沢教会に設置されるものの、信徒の防災拠点は、居住している地区防災拠点と地域避難施設であることが再確認されました。Dにあっては共同宣教司牧も含めた地区集会、恒例の黙想会、巡礼などが予定されています。
時間を忘れた話し合いのあい間においしいサンドイッチと紅茶をいただき、しばしの歓談を楽しむことが出来ました。センターホールの屋上に積もった雪が時々軒下に落ちるドスン!とした音に驚き、その雪を利用した子供たちの「かまくら」を見てある方が「鎌倉」が「藤沢」に来た!と言う不思議なジョークを締めに閉会のお祈りをささげ終了することが出来ました。神に感謝!
第33回「横浜教区春期典礼研修会」に参加して
辻堂1区 森田
2月11日大変寒い中、横浜教区内の各地区から550人の参加者と共に、藤沢教会にてこの研修会が行われました。テーマは「主のみことば」講師は石井祥裕氏と宮越俊光氏、お二人共上智大学神学部講師であられ、信徒として神学を学び、現在は司教協議会典礼委員会に所属しておられます。
先ず、聖歌44「神のことばは正しく、私の心のよろこび、神のみ旨は清く、私の耳を開く」を全員で唱和し、次にみことば「神に従う人よ、神の内にあって喜び歌え、新しい歌を神に歌え」(詩33)の朗読がありました。典礼委員会委員長の久我師より、みことばを頂くことによって秘跡により私達が生きることにつながっている、とのご挨拶がありました。
最初の講話「入信の秘跡とみことば」について石井氏が話されました。氏は私達が主日ミサで使っている「聖書と典礼」の編集長であり、その中の脚注、表紙、共同祈願の例文等に携わっておられます。第2バチカン公会議(以下公会議)以後の受洗者の私は、その頃は典礼、ミサ、秘跡等初代教会そのままが今に受け継がれていると思っていましたが、少しずつ公会議以後大きな刷新があつたことを知りました。それから50年経た今も刷新改訂され続けている、でも古代教会で行われていた事も、通奏低音の如く営々と流れている。祈りの言葉などが変わると、私達は切角覚えたのに!と思いますが、みことばを意識するチャンスと捉えましょうと氏は言われます。入信の秘跡へのアプローチでは、洗礼式の後、教会の洗礼名簿に記載はされるが、儀式書の中の祈りまで深められているだろうか。実は祭儀の初めから終わりまで入信の秘蹟の大切さは語られていて、その意識が大事ですと。
典礼とは?秘跡とは?それらは何処から来たのか?との問いに対して、そのヒントとしてヨハネ福音書の第1章を上げ、言(ことば=ロゴス)はイエス・キリストとなり、私達の間に宿られた、ここが典礼の秘跡の源となっている。公会議後、ピオ12世が典礼について初めての回勅を出されたのはこの事でした。みことばをもつと深める為にロマ書11章をあげ、パウロは「この福音は世々に渡って隠されていた秘められた計画(ミステリオン)を啓示する」と述べている。天地創造の時から神の救いの計画を示し、それはキリストによって明らかにされ、異邦人にも明らかにされた、今はもう秘密ではないですよ、と言う事です。このミステリオン(パウロの良く使う言葉)をもう一度考えて見ようとした事で、秘跡の捉え方の刷新が行われて来ました。ヨハネは言(ことば=ロゴス)がキリストであるとし、パウロは秘められたものであるとしています。一見裏腹の様に思えるがこの中に秘跡の本質があるのだと、次第に教会の中で深められていきました。昔は秘義と言われていたが、今は神秘と言われている。キリストの生涯の一つ一つが神秘である。典礼祭儀は、ことば(キリスト、神)としるし(人間の全体を使つての奉仕、朗読や歌の表現など)によってキリストの救いの計画の実現を記念する。その行為を指して秘跡(サクラメントウム)と言う。私たちは祭儀の中の祈りをきちんと聴きながら、自らも祈り、生き生きと味あう事、ここに共同体の参加と奉仕によって秘跡があります。また、「洗礼式の水の祝福の祈り」(第1形式)がこんなにも旧約、新約を網羅し、キリストの生涯を通して私達とつながっているという事を再認識させられました。
第2講話は「ミサでみことばを聴く」でした。公会議以後1970年から今のミサ式次第や主日の周期性A.B.C年などが、パターン化されていた古代教会のものが刷新されました。また、ことばの典礼(契約)と感謝の典礼(更新)もその構造がはっきりされてきました。最後に「聖書と典礼」を使って、ミサ前には準備を、ミサ後には持ち帰って味わって欲しいと。準備の折、テーマをつかむために、
1. 福音の主題句を見る
2. 第1朗読(福音とのつながりがある)
3. 答唱詩編(旧約と新約との仲介、祈りへの導き)
4. 第2朗読(年間何週間はどこの個所と決まっている。キリストの姿を捉えている)
5. アレルヤ(キリストを迎える賛美)
6. 再び福音を読む、
と順序を示されました。
午後の講話は宮越氏でした。テーマは「主のみことば---みことばを歌う」。公会議以後、典礼への参加が二つの側面、内的参加と外的参加を持つ様になった。つまり内的参加とは、みことばを聴く、心を声に合わせ、神からの恵みに協力する。外的参加はみことばを歌う。ことばと音楽が一体となる事です。神のことばを聴く民からの応答として、答唱詩編、アレルヤ唱、信仰宣言、共同祈願、沈黙の祈りなどがあります。「信仰は聴く事により、しかも、キリストのことばを聴く事によって、始まる。」(ロマ10章17)
講話が終わって、ミサは田邊神父の司式により行われました。昨年5月に叙階されたばかりの実に若々しく、とても丁寧な歌ミサを行って下さいました。 田邊神父は石井氏のお話の中で一番印象に残った事は、受肉されたキリストが私達の間に宿られた(ヨハネ1章)と言うところで、神と私個人の関係の間に共同体があるのだとその所を強調されていました。ちなみに、田邊師は今の日本中でもつとも若い神父様との事です。私達信徒も神父の祭司職の為に祈らなければと思い、今日のお話をもう一度振り返ってみようと思いながら帰路につきました。この日の会を準備して下さつた方々に感謝致します。
「第5地区祈りのワークショップ」 に参加して
湘南台 押木
「第5地区祈りのワークショップ2014」が1月25日(土)午前10時より、鍛冶ヶ谷教会で開催されました。このワークショップは、第5地区共同司牧宣教委員会祈る力を育てる部門の主催で、「"イエスとの出会い"気づいていますか 聖書を通して いつも呼びかけられているのを」と題して、マタイによる福音4章12節から23節をレクチオ・ディヴィナの場合と同じ様に、ゆっくりと朗読、黙読そして黙想を行った後、分かち合いを行いました。私は聖書を読む時につい小説を読むようにストーリーを理解しようとして思いを巡らし、その後、ここでは何を言おうとしているのだろうと頭をフル回転させるのが常ですが、今回の様な聖書の読み方をすることによって、み言葉の一つ一つが直接自分に語りかけられて、いつもと異なる新たな気付きやイメージが浮かんでくることに驚きを感じました。さらにグループの人の分かち合いを聴いて、再度、黙想することによりさらに深くみ言葉を感じ、祈りに導かれて行きました。自分の今の、その場の感覚で聖書を感じて祈るまた、グループで祈る素晴らしい体験をすることが出来ました。今回はおよそ30名の参加者でしたが、もっと多くの方々に聖書で祈る素晴らしさに触れていただければと思いました。
釜石にも9日、15・16日と多量の雪が降り、道の両側にはまだ雪がかなり残っています。風強く気温もマイナス7・8度になる日もあるようです。カリタス釜石の日々の活動状況はホームページに写真入りで紹介されていますのでぜひご参照ください。
ボランティアの数は非常に少ない状態が続いています。ホームページの一部から引用します。「これまでたくさんの方々がカリタス釜石に足を運び共に活動してきました。ボランティアの中で釜石病(釜石が気に入り何回も足を運ぶこと)というものが流行ったり、リピーター率が非常に高くスタッフがいなくても活動できたり、ボランティアに支えながらカリタス釜石は活動してきました。今も皆様お一人ひとりの小さな力が必要とされています。一緒に釜石を応援しませんか。ボランティアが初めての方でも参加できます」。(丸山)
1月26日ミサ後、NPO法人カリタス釜石より伊瀬聖子さんをお迎えしてお話を伺いました。「震災後の2011年3月15日、遠野教会よりボランティアが食材を持参し、釜石教会のボランティアと共に炊き出しを行いました。遠野教会の方々の協力を頂き大変助かったそうです。4月2日に被災地カトリック釜石教会の中に「カリタス釜石ベース」が設置され、救援活動の拠点となりました。ボランティアは炊き出し・お茶っこサロン・写真洗浄・子供支援・イベント・瓦礫除去・全国からの救援物資の配布などを行いました。多くのボランティアに支えられ運営されている「釜石ベース」ですが2012年12月にNPO法人を取得しました。地元の法人として地域と、他のネットワークとも協働しながら活動が出来るようになりました。また、女性や子供が安心して生活できる環境作りにも取り組んで行きたい」と笑顔でお話をして頂きました。
やはりご自分の目で見る事が大切だと思います。私達に出来る事は本当に小さな事ですが、一度「釜石」に行ってみませんか? (東北サポートチーム)
1月21〜23日、南相馬市のカリタス原町ベースに入りました。福島駅から原町ベースへ行く途中で飯館村(全員避難されています)が雪一色でびっくりしましたが、原町ベースは雪がなく安心しました。寺内塚合・友伸グランド・千倉仮設を訪問しました。ラジオ体操・折り紙カラオケ教室・傾聴などの支援を行いました。集会所に集まって来る方々は皆さんお元気です。
今の仮設住宅で生活されている方々は、同じ地域ではなくいろいろな地域から集まった人達です、協力してよいつながりを深めておられますが、今年の夏以降に復興住宅建設が始まるとまた、あらたな場所への移動を求められるかもしれず、新しい共同体作りを最初から始めなければならない不安を抱えていました。大変難しい問題だと思いました。被災地がどのような新しい仲間作りをして行くのか、私達は応援をしながら見守って行きたいと思います。(曽根)
2月は雪の日曜日が9日と16日と2週連続したため、石巻の産物販売と福島農産物販売はともに影響を最小限にするために、販売日毎に重点化を図りました。2月9日では、福島のおいしい葉物野菜だけを販売をしたところ、皆様の多大なご協力で完売することが出来ました。翌週の2月16日では、仙台味噌と醸造品、それに福島からの乾物を中心の販売にしました。それぞれ教会に来られた方々が少なかったのですが、予定通りの販売ができました。ありがとうございました。(牧野)
1月26日に当教会聖堂で東北被災地支援のためのチャリティコンサートが開催され、150名ほどの方が熱心に聞き入っていました。このコンサートを企画されたピアノ製作家である玉利要二さん(伊勢原市在住)に当日の模様について書いていただきました。なお当日演奏された一弦ピアノは同氏の修復によるものです。諸経費を差し引いた収益114,000円を当教会の東北ボランティア活動サポートチームの基金に寄付させていただきました。皆様のご協力に感謝いたします。
玉利要二
去る1月26日の午後、藤沢教会の聖堂をお借りして東北被災地支援のためのチャリティコンサート「聖なる唄声・夢見るピアノ」を開催させて戴きました。藤沢教会のメンバーではありませんが、カトリック信者であるピアニストの岩根ゆりさんが中心となり、ソプラノの石塚広奈さんと、カウンターテナーの安藤聖(さとし)さんが加わり、中世・ルネッサンス時代から今日までの佳曲を、澄みきった唄声と可愛らしい不思議な魅力のピアノで聴衆を魅了しました。
途中、1曲だけ車椅子で演奏に加わった玉利美哉子さんは、2年前のクリスマス・イヴの日に脳炎を発症して、かろうじて生き延びたものの記憶の一切を失い、今も右半身のマヒが強く、左手だけの参加。右手のパートを岩根さんがサポートして弾き、バッハのプレリュードを見事に弾き終えました。聴衆の中には目頭を押さえる人も…。
今回のコンサートで使われたピアノは、一台はモーツァルト時代の「フォルテ・ピアノ」の複製品。
もう一台が、タイトルのもととなった "夢見る…いや夢を見させてくれるピアノ「ピアノ・ダ・モーレ」。普通、ピアノは1鍵につき3本の弦ですが、これは1弦しかなく、ゆえにとっても純粋な響きであり、甘美な音色の一台です。このピアノに歴史上初めて「ピアノ・ダ・モーレ(愛のピアノ)」と私は名付けました。このピアノは60年程昔に作られ、いつからか手入れもされずボロボロになり粗大ゴミになっていましたが、苦労してよみがえらせ、新たな一歩を踏み出させたピアノです。 その粗大ゴミだったピアノを、半身不随となった元ピアニストが必死に左手だけでも参加して懸命に演奏しようとする姿は、「3.11」の日に一瞬にして全てを失い同じく切ない思いをされている東北被災地の方々と思いをひとつにするものでありました。
私も、仙台閖上(ゆりあげ)地区や岩手の被災地に行って、この目で被災の現状を見、生き残った人達のお話を伺いました。心に傷を負った被災地の方々は待っています。お金ではなく、心を…。直に東北まで来て、話を聞いてくれる人々を…。今回のコンサートの収益はカリタス等ではなく、そうした支援をされている藤沢教会の、東北被災地支援サポートチームの活動資金に廻されるとの事。大変意義深いことですね。
「『愛する』とは、何よりもまず、ひたすら沈黙の中で…見つめること。― アントワーヌ・デュ・サンテグジュペリ」
あまりお話しできなかったですけど、ありがとうございました。
初めてのご聖体をすず木神父様にいただきました。あの瞬間はわすれません。ありがとうございました。
ぼくが思う、すず木神父様の良いところは、主に次の三つだと思います。
一つ目は、お説教で川柳を読んでいるので、いつも、お説教を聞くのが楽しみです。
二つ目は、福音書などを、読む速さが、とても聞きやすいところです。
三つ目は、ぼくが小さいころ、中和田教会に行っていた時、ミサの時お行儀が悪かった事もあったけれど、すず木神父様は、静かに見守ってくださったと母から聞きました。ですが、もうこんなに大きくなりました。
ぼくは、すず木神父様が転勤すると、最初聞いた時は、悲しい気持ちになりました。ですが、転勤しても、いつまでも私達の神父様でいてくださいね。
いつも私達を見守ってくれてありがとうございました。
たくさんお祈りやお説教をしていただき、私達の信仰をみちびいてくださって感謝します。これからも元気にイエス様の教えを、たくさん伝えて下さい。
毎回、ミサの時に言っていた川柳が聞けなくなって残念です。
鈴木勁介神父との9年間
鵠沼2区 小藤
私の中学時代からの友人が所属している某教会で9年間主任司祭として司牧された外国人の神父が退任され母国へ帰られました。その後しばらくして、その教会の信徒が何人か集まって神父の思い出など話をする中で、その神父が「神父らしい最後の神父だった」ということになったそうです。「神父らしい神父」ってどういう神父なのでしょうか?皆さんは「神父」についてどういうイメージを持っていますか?多分、人は皆、夫々の「神父像」を持っているのでしょう。2005年3月から9年間藤沢教会で主任司祭として司牧された鈴木勁介神父との関わりや、印象深かった出来事などの一端を思い出すままに書いてみたいと思います。
蟻(あり)の話―2005年2月主任司祭として着任の前でしたが藤沢教会の信徒総会に出席され、初めて我々信徒の前に顔を見せられました。そのときの自己紹介の中での言葉「ありのままのありはありのままだった」は今でも忘れません。そして「藤沢教会でもこの方向でやっていきたい」と言われ、面白いことを言われる神父さんだな、という印象だったことを思い出します。
やさしい人かも―2005年は藤沢教会創立50周年の年でした。鈴木神父の着任前からいろいろな記念事業が計画されていましたが、その一環として中高生を対象とした沖縄スタディーツアーがありました。7月私はリーダーの一人として中高生7人とともにツアーに同行しました。帰りの飛行機が羽田着午後10時で、藤沢教会での解散が夜の11時を過ぎてしまいました。我々一行が教会に到着したとき、驚いたことに主任司祭として着任後間もない鈴木神父が薄暗いセンターホールで一人待っておられ、我々一行を出迎えてくださいました。意外?と優しいところもあるのだな。ご心配おかけして申し訳ありませんでした。
私が教会委員長?―2005年10月末のある日のこと、鈴木神父から「来年から教会委員長をやってくれませんか」と言われました。「えっ!それだけはやりたくないと思っていましたし、私にはとてもできません」と躊躇していた私に神父は「できますよ。人間やりたくないことをやった方がいいですよ」と背中を押され、結局委員長を引き受けることになりました。2年間という短い期間ではありましたが、お陰でそれまでよく知らなかった教会のことが多少わかりましたし、藤沢教会以外のいろいろな人との出会いがあり、繋がりもできました。感謝しています。
絵とゴルフ―鈴木神父が絵を描かれるということは偶然にも私の知人が神父の師匠(吉崎道治先生)の同じ門下生であったことから聞いていました。着任時に「絵を描くことも私のだいじな福音宣教活動の一部」と言われましたが、実際神父の画かれた絵を見ていると、私はなんだかほっとして、穏やかな気分になり癒されるのですが、皆さんはどうですか?2006年10月から信徒の有志と一緒に月に一度スケッチに行かれるようになりました。中学時代の授業で絵を描いて以来、絵筆を握ったことのなかった私もいつの日か神父のような絵が画ければいいな、との夢を抱いて1回目のスケッチ会から参加しました。以来今日まで7年余神父のご指導のもと努力して来ましたが、やはりその夢は叶いませんでした。しかし、今では20人ほどの仲間で楽しみながら絵を描く、いい交わりの会になっていますので続けていくことができればいいな、と思っています。絵を教えていただくようになったお返しという訳でもありませんが、運動ぎらい?の神父にあるとき「健康のためにゴルフでもやってみませんか?」とお声をおかけしたところ「僕は健康にいいことは一切やらないから」と、あっさり断られ、その後もなかなか乗ってこられませんでした。しかし、数年前のある日「練習のあと美味しいお酒が待ってますよ」との言葉につられて?練習場について来られ、一緒にゴルフクラブを振ることになりました。まぁ、その後どうなったかは、皆さんよくご存知の通りです。今では「ゴルフも福音宣教活動の一部」になったのでしょうか?
東北大震災―2011年3.11の被災地への支援については信徒の活動に理解を示し、応援もしてくださいました。2012年10月には神父自ら石巻、南三陸、気仙沼の被災地復興商店街買い物ツアーを企画され、信徒と一緒に行かれましたし、12月にはカリタス石巻ベースに滞在され、寒風吹きすさぶ南三陸町で道路の瓦礫撤去を手伝ったり、仮設住宅を訪問し、被災者の話に耳を傾けられたりしました。また藤沢教会の弦楽アンサンブルによる被災地への訪問演奏ツアーには団長として同行されるなど、東北大震災の被災地に何度も足を運んでくださいました。神父が「本当のものは時間をかけないと見えない。被災地にも何回も足を運ばないとね」と言われたことを自ら実行されていたのでしょう。
まだまだありますが、私の思い出はどうも遊びの話ばかりになってしまい、「なんだ、あいつは神父様を誰だと思っているのか」と皆様からお叱りを受けそうなので、この辺にしておきます。ともあれ私にとって鈴木勁介神父は「いろいろな面でよき師であり、よき友」でありました。これからもそうあってほしいと願っています。勁介神父さん、9年間ありがとうございました。そしてお疲れ様でした。「ありのままの勁介神父はやっぱり勁介神父のままだった」
ヨゼフ 浜口さんを偲んで
鵠沼3区 平野
「娘から、新しい家を建ててもらい、一緒に住むようになったから、一杯、飲みに出掛けてきませんか」と、明るい声で誘ってくださったのは、ついこの間のようでしたのに、奥方から「状況は厳しいです」と聞かされて驚き、家内と病院に駆けつけたのでした。私は今、あの時の様子を思い出しています。浜口さん、貴方は、意識ははっきりしていましたが、鼻からは管を通し、身動きもままならず、顔はやせてほそくなり、以前の、ふくよかで人懐っこい浜口さんとは別人のようでした。神様の御呼びは近いと感じ、ふるさとの習わしを思い出して、「最後の言い聞かせ」をする時が来たと判断しました。それで「浜口さん、私と一緒に、お祈りしますか」と尋ねたら、貴方は軽くうなずきました。
「父と子と聖霊の御名によりて アーメン」私が祈り始めると、なんと、それまで、身じろぎもしなかった貴方が、掛けた毛布の下から、やせ細った腕を出して、十字架の印をしたではないか。驚きました。家内も「さすがですねえ」と感嘆の声を洩らしました。それは恐らく浜口さんの、この世における精一杯の、そして最後の十字架の印だったでしょう。私は続けました。
浜口さん、貴方もわたしも、長崎のキリシタンの子孫の家庭に生まれました。そこで幼児洗礼を授かり、初めて、神様と出会ったのでした。これは何ものにも代えがたい大きなおめぐみでしたよ。家庭でも教会でも「神様をなによりも大事にしなさい。人様を自分と同じように大事にしなさい」と厳しく教え育てられましたが、今では懐かしいですよね。
成長してののちは、貴方は、長崎県五島の信仰熱心な若松島から嫁に来てもらい、理想のカトリック家庭を作り上げました。大勢の家族に囲まれて、貴方は本当に幸せそうでしたよ。自分と家族を養うに最適の職業にも恵まれ、大勢の恩人、友人、同僚との素敵な出会いがあり、何にもまして、今日まで77年の間神様と人様を大事にするための命を預からせて戴いたことは、神様からの貴方への特別な計らいでしょう。ここに改めてこのお恵みを感謝いたしましょう。
戴いたお恵みを無駄にして、神様を悲しませたことはありませんでしたか。もしありましたら、私と一緒に痛快の祈りをして赦しを願いましょう。喜んで赦して下さるとおもいますよ。「御子イエス・キリストの流し給へる御血の功徳によりてわが罪を赦したまへ」と繰り返しお願いしましょう。また、貴方が模範と仰ぐ聖家族にもお願いしましょう。「イエス、マリア、ヨゼフ、心と精神と生涯を御手に任せ奉る。イエス、マリア、ヨゼフ、臨終のもだえの時、我を助け給え。イエス、マリア、ヨゼフ、ご保護によりすがりて、安全に息絶ゆるを得しめ給へ。アーメン」。祈り終わって、浜口さん、私は、貴方の目に一滴の涙をみましたよ。かすかな、口びるの動きは「ありがとう」と言ってるようでしたよ。
あの日から程なくして、貴方は、永遠の安らぎと喜びの国へと旅立って行きました。その永遠の安らぎと喜び国の入り口には、貴方がかつてこの藤沢教会のために、建物で、庭で、祈りながら働き、ともに汗を流し、苦労を分かち合ったレオの仲間の我妻さんや、田辺さん、窪田さんや高柳さんたちが両手を広げて、貴方を待ち受けて下さったと信じます。預言者イザヤの書に「我がための労苦、むなしからず」と書き記されているからです。浜口さん、こののちは天国から、今、悲しみの中にあるご遺族のため、そして私のためにもお祈りくださいとお願いして偲ぶ言葉といたします。
(2014・1・22通夜より)
涙と感動のベトナム巡礼
大庭 八木
2014年、テハン神父様のお年賀状に「過去のことは歴史、未来のことは神秘、今の瞬間は、神からの贈り物」とありました。
2014年1月18日からの10日間、私達はトゥ神父様を団長にベトナム巡礼をいたしました。テハン神父様のお言葉通り、毎日毎日一瞬一瞬が神様からの贈り物でした。
成田から6時間程のフライトを楽しみながら、ホーチミン空港に到着。私達は「信仰の宣教修道会(トゥ神父様、タム神父様の所属修道会)の沢山の神学生の出迎えを受けました。一人一人の神学生の輝いている笑顔に巡礼団一同緊張の中にも笑顔いっぱいのお返しをしました。まるで昔からの友人のように、親子のようにご挨拶、ふっと外に目を向けると九州の宮崎空港に降り立ったような景観、ほっとしました。
紹介されたガイドのティエンさん超イケメンカトリック信者。日本語が達者でトゥ神父様は「自分の日本語が恥ずかしい」ともらされました。待っていた立派な観光バスに乗り込むと、ベトナムの街は旧正月を前に、活気に満ちあふれ、花とみどりに囲まれた街路樹はみごとな深みどり、バイクに乗るあふれる程の若者達の勇姿、女性達の美しさ、道路狭しと店を広げる老若男女、発展途上国の勢いを満喫しているようでした。 因みにベトナムの面積は334,170?(大体、日本の九州をのぞいた面積)、人口は92,477,857人、信徒数は6,187,486人、割合として6.71%、カトリックの教区は26教区あり、司祭5,000人、修道女20,000人とのことでした。
ベトナムの教会は苦しみの中で生まれ、殉教者の血によって成長し、奉仕の精神でますます発展していると伺いました。
トゥ神父様は、巡礼の前半は観光を楽しみながらの巡礼、後半は修道会、小教区を巡りながらの祈りの巡礼、ごミサは毎日捧げましょうと計画されていました。
ホーチミンでの宿泊ホテルは超デラックス。大統領や政治家が泊まられるとか、ロビーには日本の皇太子殿下の写真も飾られていました。
19日、マリア大聖堂、レデンプトール会の教会、統一会堂、中央郵便局などを巡り、
20日にはミトーへ。ミトーから舟でタイソン島観光。5,6人乗りの手漕ぎボートでジャングルクルーズも体験しました。タイソン島の人々は、果物栽培で生活し、豊富な果物の花々によるはちみつが収入源。日本のODAも支援しているとのことでした。
21日、ベトナム航空でダナンへ。ダナン大聖堂見学(ベトナムの教会はどこもヨーロッパ風の立派な教会ばかり)。フエへ。フエの町はほとんどが仏教徒。人口200万人のうちカトリック信徒は64,000人。比較的小さい教区とのことでした。
22日、古都フエ見学、歴史の重みを感じる寺院、そしてフエの北60qにある聖母ご出現の地ラバンを巡礼。野外ミサ。ミサ中、若い韓国のご夫妻が参加。とてもうれしい出来事でした。
23日、フエよりホーチミンに戻り、トゥ神父様の故郷ブンタウへ。30mのキリスト像見学。山の上に凛と聳えるキリスト像。階段を1,000段近く登ると聞いて4名の方は最初からあきらめ下で祈る。83才のOさん、スイスイと登られその心意気に感服しました。
24日、ビンズオンへ、トゥ神父様の修道会訪問。
25日、信仰の宣教修道会で交流会。管区長様はじめ、神学生担当の神父様方が並ばれる中、200人ぐらいの方々が全員で歓迎の歌を歌って下さいました。思わず感動の涙があふれ、私達も「主は水辺にたった」の聖歌をお返ししました。10:30からのごミサでは、100人近い若いノビス(男性)、50人を超える神学生が力強く素晴らしい声で聖歌が歌われ、こんなに希望にあふれたごミサははじめて…と。唯々感動で胸がふるえました。この日の夕食は少教区のバー・ルア教会で歓迎の夕食にあずかりました。美しく飾られたベトナム料理の美味しいこと、ベトナムの方々、一人一人の暖かいお心が私達巡礼団をやさしく包んで下さいました。
26日、小教区バーチャ教会訪問。旧正月のため、沢山の子供達が故郷に帰っているとのこと。にもかかわらず本当に大勢の子供達がしし舞を楽しみながら私達を元気いっぱいの声で迎えてくれました。どうして子供達がこんなにも元気で明るいのだろう、溌剌としているのだろう、日本の子供達に思いをはせながら、この国の素晴らしさと力強さを改めて心にとめました。帰り際、主任神父様が私達巡礼団に素敵な袋に入ったお年玉を一人ずつに下さいました。いくつになってもお年玉を頂くって本当にうれしい。又々、感動でした。
初めて訪問したベトナム、トゥ神父様のお家にも招かれ、広々としたお宅でご両親にお目にかかることが出来ました。親戚、ご近所の方々もふくめ、皆様方のおもてなしに感謝の気持ちでいっぱいになりました。神父様のお母様が「トゥ神父は小学校の時から神学校まで成績はいつもトップだった」と最高の笑みをみせて下さいました。近くにあるトゥ神父様が初ミサを捧げた教会も荘厳な教会で、ご夫人達がお正月の準備を忙しくしていらっしゃいました。
最後の修道会訪問、いよいよ神学生とのお別れもせまり、Mさんの優雅なフラダンス、Nさんが一生懸命準備して下さったビンゴゲームをみんなで楽しみ、賞品も色とりどり。女性用のアクセサリーなども「故郷に帰った時にお母さんにあげたい、妹にプレゼントしたい」大はしゃぎ。最後に皆でフォークダンスをしてお別れを惜しみました。
私達はこの巡礼を体験して、トゥ神父様は司祭としてのお働きは勿論のこと、立派な外交官でいらっしゃると確信しました。
巡礼を企画する段階からご指導くださいましたトゥ神父様、巡礼の間中どれほどのお気遣いをして下さったか、本当に心から御礼申し上げます。
毎日のミサを担当して下さった雪ノ下教会のお二人、広い知識をお持ちの戸塚教会の方々、勇気をもって一人でご参加下さった山手教会のNさん、また、最後まで心配しながら支えて下さいました藤沢教会の方々…本当に有りがとうございました。今回の実りある巡礼をすべて神様にお捧げし、これからも愛の運び手になりたいなどと思いつつ、明日からの信仰生活のあり方をテハン神父様のお言葉通り「未来のことは神秘」と結ばせて頂きます。
大きな喜びの中で、全てに感謝。
2014.1.27
いつも原稿をお寄せいただきありがとうございます。「八角形にゅーす」は皆さまの投稿を記事として編集しております。それぞれが個性ある文章で大変興味深いものですが、読者に継続して、一貫して慣れ親しんでいただくため一部校正をさせていただいております。段落、句読点、漢数字を算用数字になどですが、できるだけ文意に沿うことを心掛けているつもりです。 敬称がまちまちである「○○神父様」を「○○神父」にするのもその一つです。「神父」という文字の中に「社長」と同じように社会的身分とか地位を表し敬意を含んでいることばと捉えています。もちろん話し言葉とか前後の文章の関係などで必ずしもこの限りではありません。また、広報部員は専業ではありませんので多々校正ミスがあるのはご承知の通りです。しかしできるだけ素直に安心して読んでいただけるよう、校正基準を明確にし、こんごもこの方針を継続していきたいと存じています。 なお、上記原稿は筆者のたっての要望により、そのまま掲載いたしております。(広報部) |
ありがとうございます
フィリピンコミュニティー 秋元(ミア)
去年フィリピンは大型台風の影響を受けて、たくさんの被害を受けました。フィリピンの人々は、1日も早く立ち直ろうとしています。
教会からのたくさんの寄付をありがとうございます。全部で165万9,907円です。そのお金は、フィリピンの教会とシスター関係に送りました。そのお金の使用の内容はフィリピン人の家の補修、子豚やひよこを買い大きく育て、売ったり殖やしたりする仕事、魚を獲ってその魚を売って生活している人には船の補修費などに使われました。
それと片瀬教会、藤沢教会とフィリピンコミュニテイーに集まった洋服はダンボール5箱になり、送りました。
教会の皆さん、ラティノスの皆さん、心から本当にありがとうございます。
2週続けての大雪には参りましたね。みなさまご無事でしたか?新刊2冊のご紹介です。 「面倒だから、しよう」 「気合の入ったキリスト教入門3 イエスとあゆめ」
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福音川柳(続22)
主任司祭 鈴木
2013年(C年その5、A年その1)
2013年
11/3
この人もアブラハムの子なのだから
(年間第31主日)「ルカ19:1−10」
(そう思えれば少し優しくなれるでしょう)
11/10
復活し別れた人と仲直り
(年間第32主日)「ルカ20:27−38」
(イエズス様は復活はあるとおっしゃる。復活したらどんなことになるのかなあ)
11/17
世の終わり わからないけど委せるか?
(年間第33主日)「ルカ21:5−19」
(いろいろつらいことがあるけれど、なかなか世の終わりは来ない。でも・・・)
11/24
十字架は知らないうちに背負うもの(王であるキリスト)
「ルカ23:35−43」
(十字架を意識したらしりごみしたいが、神の力はすごい・・・。だから神の救いを信じるのかな)
12/1
救いの日 いつ来るのかは秘密保護
(待降節第1主日)「マタイ24:37−44」
(思いがけない時を待つという姿勢は信仰の基本と思いますが・・・)
12/8
天国のなってみたいな下足番
(待降節第2主日)「マタイ3:1−12」
(洗者ヨハネは主イエスの履物を脱がせる値打ちもないというが・・・)
12/15
宣教は言葉じゃないよ しるしだよ
(待降節第3主日)「マタイ11:2−11」
(見てわからない人には言っても無駄ということかな)
12/22
愛あれば 危機を乗り切る手が見える
(待降節第4主日)「マタイ1:18−24」
(ヨゼフのせめてできることはという愛情が思いがけない展開を呼ぶ)
12/24
本当に救えるものは無力さよ
(クリスマス夜半)「マタイ1:1−25」
(無力に見えるものが一番力強い救いをもたらす神秘)
12/25
闇の中光を見たけりゃ目をつぶれ
(クリスマス日中)「ヨハネ1:1−18」
(自分であがいてもダメなとき あがきをやめれば見える光がある)
12/29
年寄りを大事にできれば一人前
(聖家族)「マタイ2:13−15、19−23」
(年寄りは長いこと家族を守り支えてきたんですよねえ)
2014年
1/1
佳き一年 出来事じゃない君次第
(神の母聖マリア)「ルカ2:16−21」
(祝福は与えられていると信じるなら。結局私達の受けとめ方が問われている)
1/5
理屈ではあいつのためにも救い主
(主の公現)「マタイ2:1−12」
(全ての人のためということは・・・)
1/12
まかせなきゃわからないもの神の愛
(主の洗礼)「マタイ3:13−17」
(神の愛は気づかなくてもあるが、気がついていくのが成熟というものなのでしょうねえ)
1/19
目指すべき一致はもっとゆるやかに
(年間第2主日)「ヨハネ1:29−34」
(キリスト教一致祈祷週間に当たり)
人は皆確かめたこと証しする
(ヨハネは母エリザベトからイエスのことを聞いていたであろうに「知らなかった」という)
1/26
嘆くまいこうなることもみ手の中
(年間第3主日)「マタイ4:12−23」
(ゼブルンとナフタリの悲劇も救い主の訪れにつながっていた)