八 角 形 に ゅ ー す

1997年7月6日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

どうぞよろしく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ケルソ神父

教会委員会報告

「第4回教会の未来を考える会」の報告

堅信おめでとう!

信者でない方の集い開催のお知らせ・・・・・・・・・・・・・・宣教部

婦人部遠足 箱根行き・・・・・・・・・・・・・・鵠沼2区 石川千恵

雲の上のクリニック・・・・・・・・・・・・・信徒宣教者会 米谷和枝

都内殉教地巡りに参加して・・・・・・・・・・・辻堂3区 志沢香代子

再び「ガーデン・パーティ」について・・・・・・・・・北1 岡村 正

読書案内『東京周辺キリシタン遺跡巡り』・・・・・藤沢2区 兼子盾夫

図書室の新しい本

湘南短期キリスト教セミナーからのお知らせ・・・・・・・・実行委員会

湘南台センターよりご案内

7月の主な行事予定

八角形にゅーすのページに戻る




どうぞよろしく

          ケルソ神父

 八角形にゅーすの愛読者の皆さんに簡単に自己紹介をいたします。

 ロランドD・ケルソと申します。日本に来るまではロナルドと呼ばれていましが旅券の申込書と一緒に出生証明書または洗礼証明書が必要でした。神学校では洗礼証明書は簡単に手に入りましたのでそれを旅券の申込書と一緒に出しました。 ところが係の人が私の名前を呼んで「洗礼証明書に書いてある名前と申込書に書いてある名前と違いますが、どちらが正確ですか?」と質問されました。私は初めて洗礼証明書に書いてある名前をよく見ました。何とロランドでした!今まで誰一人私をロランドと呼んだことがありませんでしたが証明書にそう書いてありました。 どうしましょうか。もし自分の名前がロナルドだと言うなら、別の証明書が要ります。それは結構時間がかかることです。しかし、もしロランドと言うなら後はどうなるでしょうと、旅券は早く取らなければならなかったのでロランドにして、後で簡単に直せるだろうと思いました。ところが日本のお役所では、これは簡単に直すことはできません。今は日本ではロランドですが、アメリカではロナルドです。どうぞ、よろしく。 父の方は5〜6代目のフィラデルフィア(Philadelphia) 生まれで、5人の兄弟のうち3番目です。

 母は子供のとき、祖母と一緒にカトリックに入信しましたのでとても熱心でした。父だけは70歳までプロテスタントとして頑張りました。兄、姉、妹、弟はみな結婚しています。めいとおいを合わせて20人おります。とても家族の絆を大事にします。

 フィラデルフィアのカトリック男子校を卒業してから米国空軍に入りました。丁度戦争の無いときでした。1年間ロシア語、半年ラジオの使い方を終わって北海道の稚内の小さな基地に送られました。これは私の最初の日本体験でした。ステキでした。色々な友達が出来ました。日本語の会話のLessonを週1回通いました。長く残りたかったのですが、残念ながら7カ月しかいられませんでした。

 その後ワシントンで働いた時、友達と一緒によく映画を見に行ったり、食事に出たりしました。しかし私たちは皆カトリック信者だったので基地の教会でも祈りに行きました。

 ある時、友人の一人は突然自分が宣教師になる決心をしたと打ち明けました。もう一人の友人も同じ事を言いました。すごい刺激でした! その時から真剣に宣教師の道を考え始めました。聖霊の導きによって聖コロンバン会神学校に入れてもらいました。そこで同じ故郷の一人と早く友達になりました。ジョン・バーガーです。私たちはとても親しくなったばかりではなく、家族同士もとても近い友情を結びました。

 神学校の話は個人的にでもします。

 日本語学校を卒業しないで最初の赴任先が決まりました。熊本県の天草・本渡市でした。随分小さい教会でしたが聖心会のシスターが教えていた幼稚園がありましたので沢山の人々が教会の門をくぐりました。 次は長崎のアウグスチノ会の城山教会に2カ月ばかり手伝いました。城山では始めてのシスターのための黙想会を頼まれました。 山手教会はその次でした。外国人の司牧をしながら、ST.Joseph College で高校1〜4年生の宗教の授業を担当しました。そしてST.Maur のチャプリンでした。2年間横浜におりました。 和歌山県の新宮教会は一番長くいたところです。8年間、とても短く感じます。多分この教会は私の最も活気の多い時期だったでしょう。 関西から、今度は千葉に引っ越しました。茂原教会は私にとってむづかしい7年でした。洗礼を授けた中では、一番数の多いところでした。でも、茂原の後、休息が必要でした。 そのためにコロンバン会の呼び掛けに答えてアメリカに行きました。神に感謝すばらしい体験たくさん出来ました。

 50年の半分以上、友情を大切にしてきた人と神に仕えることは人生の最高のプレゼントかも知れません。 よろこんでいます!!



目次に戻る


教会委員会報告

 6月21日に定例の教会委員会が開かれましたので、ご報告いたします。

1.堅信式及び司教公式訪問について。

 22日の堅信式では大人6名、中高生30名が受堅。そのうち12名(内大人1名)がベトナムの方。
 式後、司教様を囲んでお祝いのティーパーティ、活動報告会を行う。

2.ガーデンパーティについて。

 壮年部長、婦人部長を責任者として8月2日(土)に実施されるガーデンパーティの打合せが5月25日、6月8日に行われた。 料理は、婦人部(カレーライス、煮物)壮年部(焼きそば)、ほかに飲み物、乾き物のおつまみ類を用意。国際部はベトナムがミニ春巻きで参加希望、フィリピン、ラティノスは未定(委員会当日)。フィリピン、ラティノスが不参加の場合は2点外注する。
 食中毒対策として、外国の方々も含め管理栄養士の北2ブロックの河原由佳さんに指導していただく。 パーティ券の事前販売は行わず、料理、飲み物ごとに現金販売とする。

3.北朝鮮援助街頭募金について。

 カリタス・ジャパンに協力し、北朝鮮に対する人道的な食料援助のための募金を行う。6月15日から7月13日まで聖堂右側の献金箱を特別献金箱とするほか、6月29日(日)藤沢駅前での街頭募金も行う予定。

4.未来を考える会について。

 5月25日に行われた未来を考える会には、約60名の参加者があり、4分科会に分かれて話し合いが行われた。

5.バザー実行委員会について。

 実行委員長が、鵠沼3区の清水千明氏に変更になった。6月28日に第1回実行委員会を行い、昨年度の実行委員より話を伺う。

6.湘南短期キリスト教セミナーについて。 11月に、大船、片瀬両教会と合同で実施する短期キリスト教セミナーの講師が決定した。(14頁のお知らせ参照)講師推薦のご協力を感謝する。

7.その他。

☆外国人信徒のために翻訳、通訳をする必要があるが、ボランティアに頼るのは限界があるので教会の費用を遣うことを検討する。

☆司祭館は現状の建物で、事務室を広くし、応接室をもう1室増やすことを考える。建て替えは法的耐用年数の切れる2020年頃の予定。



目次に戻る



「第4回教会の未来を考える会」の報告

 5月25日に「第4回教会の未来を考える会」が開催された。
 当日は参加者が希望する4つの分科会に分かれ話し合いがもたれた。( )内は各グループの代表者。

1.社会に開かれた教会  (善行 辻垣)
2.信仰を豊かにする教会  (F2 平野)
3.信徒の築く教会  (K1 竹田)
4.一人一人を大切にする教会  (長後 高橋)

1.のグループでは私たちが社会に派遣されるために典礼の重要性、社会から聴き、学ぶことの必要性などについての意見が出されました。

2.からは、典礼研修によってより豊かにミサに預かれる体験や、祈りのみではなく活動を通しても互いに信仰を育てていける可能性などの意見が出されました。

3.のグループからは、ただお手伝い的な参加からより主体性を持った参加への移行、そのための教会組織の見直し、地区制度の強化、そしてそれらの基となる信徒の意識化、リーダーの養成の必要性などがはなされました。

4.のグループでは、新しい人の受け入れのための場やそのために奉仕する人の必要性、教会運営への小さな声を自由に発言できる場、広報の充実やコミュニケーションがやりやすい体制づくりなどについての意見が出されました。

今後の進み方として、当日のテーマ別グループを中心にして、おのおのが与えられたテーマに関してさらに具体的に話し合うグループをつくり、そこで教会としてそのテーマ実現のための具体的な指針などについての提言のたたき台を、10月をめどに作成してもらうこととしました。

各グループの代表者に連絡をとったり、お知らせで会合の日程を確認することにより、今回参加されなかった方も是非興味のあるグループに参加してほしいと思います。 随時八角形にゅーす等で話し合いの内容を報告しますのでご覧下さい。


「信徒が築く教会」 5月25日の「未来を考える」集いからの報告

 わたしたちは、4つの主題の第3「信徒が礎きあげる教会」について話しあいました。 今回は、はじめに、第3の主題を選択したねらいは何かを互いに分かちあいました。

 第2バチカン公会議前は、ローマを中心にした縦割り組織によって教会の運営が聖職者の権限のもとに行われ信徒はその手足であり、主体的に活躍することは考えられなかったのです。公会議後は、教会の主体は洗礼を受けた者の全体であって、聖職者はその全体の大事な一部分であることを指摘し、社会の中に生きる教会の主体が信徒であることに変わりました。

 聖職者と信徒の尊厳は洗礼からくるのであり、キリストの神秘体のメンバーであること教会が多様性をもった交わり、みな平等、対等であり上下はありません。機能が違うのでそれぞれ段階がありますが上下の関係ではありません。みな同心円の中におるのです。

 この同心円である教会共同体の現状をみるとき、重要な機能を果たす司祭の召出しも減少しその上高齢化の時代を迎え、司祭方への負担も多くみられ、ここで信徒が可能な限り、共同体に必要な機能を見出し積極的に担うことが出来るならば、共同体の活性化となるのではないかと意見が出されました。

 私たちは教会というと建物を意識するのですが、世に在ること、神の霊に生かされている実社会、実生活の場で生きる信徒のことであります。 この実生活の中で信徒の交わりは地区でありブロックであります。今回の話し合いではブロックを強化してゆき、二重構造(壮年部婦人部)をなくし、連絡網なども総括する方向にもってゆけないか!など話が出されました。

 つまり社会の変革に対して教会の組織も変わって新しくし、社会へ適応することであるとの意見もでました。
 これらを推進してゆくために、先ず実社会の中に生きる信徒が実生活に於いてキリストの弟子であることを意識することが最も大切であると確認いたしました。

 信徒の意識化(信仰を見直す)と組織化によって共同体は活性化され、その中でリーダーも育ち教会が社会から遊離しないようにすることが肝心であると話し合われました。 主に於いて心をあわせ、互いの思いが一つ  になりますように祈りながら!

 次回は7月13日(日)ミサ後集まります。私共の主題にご関心のある方は、是非ご参加下さい。


「一人一人を大切にする教会」 5月25日の「未来を考える」集いからの報告

 「一人一人を大切にする」のグループでは、先ずはじめに、この主題がどんな話合いから引き出されたのか、という質問がありました。いままで話し合われたなかに、私たちの間で老人、在日外国人とその家族、心身障害者、子供たちが大切にされていない状況があるということからその主題が引き出されたと言います。なぜそれが、その主題に結び付くのだろうか、はじめはわかりませんでした。一般の人も大切にされていないのではないかとの発言をうけて話合いがはじまりました。

 例えば、親同士が挨拶をかわすとき、そばに居る子供にはことばがかけられないとか、私たちみんなの活動や問題について、若い人たちの意見を聞いているだろうとか、よく知っている者同士で話し合っているそばに見かけない人やよく知らない人が立っていても、そちらに顔を向けたり声をかけたりしないのではないか、などの状況があります。新しく私たちのなかに入ってきた人に、いきなり私たちのしきたりを教えるだけで、知らないその人のことにこころを向けて話を聞こうとはしないし、その時そこで私たちにその人との新しい出来事がはじまって居るとは思いもしないのではないでしょうか。

 後から来た人は、先の人に従うのがあたりまえと思っているのでしょうか。

 あまり多くない体験でも教会はどこも同じで声をかけられるのを待つより自分からはたらきかけなければいけないのではないか、という意見もありました。しかし、人には様々な性格もあり特に知らないところに入っていく人の弱い立場も考えなければならないという話になり、変わらなけらばならないのは先の人か後から来た人か、どちらの立場だろうと考えさせられました。

 私たちは互いに同じ者にならなければやっていかれないのでしょうか。ちがいのあることはよくないことなのでしょうか。

 同じ者になれないこと、つまり互いにちがいがあることを認め受け入れ合って、それぞれがそれとどう取り組むかを考え変わっていくことで、私たちはその可能性をひろげますます豊かに生きることができるのではないでしょうか。

 それが、私たちの、一人一人を大切にする目的なのかも知れません。 そんなことが話合いのなかで浮かび上がって見えてきました。

 自分の話を聞いてもらいたいと同時に他の人の話も聞きたい。そんなこころの渇きを癒す場をどこに求めたらよいのでしょうか。

 身近に、こころの傷ついた人が居ると知ってそれをみんなに知らせて何とかしてもらおうと思ってもどこに持ち出したらよいのでしょうか。という切実な話も聞きました。活動が必要だと言っても、その組織や制度が一人一人のこころの問題を受け止められないなら、わたしたちは死んでいるも同じではないでしょうか。

 しかし、私たちのなかにあるしくみを変えていく責任は私たち一人一人にあります。私たち一人一人が、私たちの欠けている足りない弱いと感じることに引き合わされたら、それは責任を果たすにまたとないよい機会です。それがどんなに小さなことであっても、その機会をできるだけ活かそうとする気持ちが私たちにあるならば、しくみを変えるために私たち自身の変わる道を必ず一緒に見つけることができるでしょう。

 機会は、いつでも私たちのところに来ているのに、それに気付かないのでしょうか。親しい交わりは、その機会に気付いて、一回一回わたしたちがつくっていく他ないと言う人。頭で受け止めるのではなくこころに感じなければならないと言う人。どちらも、わかっているところでものごとを終わりにして片づけないように、そして変わって行くようにと言っているのでしょう。

 私たちがものごとを一般の大人を規準にして考えるとき、切り捨てられる人たちが、老人、在日外国人とその家族、心身障害者、子供たちでした。

 それと同じに誰にでも当てはまると思い込んで一般の規準でものごとを片づけるとき、私たちは一人一人を大切にしていないのではないでしょうか。

 他の人について聞かなければならないことがまだまだたくさんあるのだと認めましょう。というところで私たちの第1回目の話合いを終わりました。

 これで終わりではありません。まだまだ私たちのなかにある「一人一人を大切にしていない」ことに気付いたら、一体私たちの何が「大切にする」妨げになっているのかを、話し合いながら考え一緒に見つけましょう。分科会開催の知らせを聞かれたら、どなたでも、いつでもご自由にご参加下さい。

 「わたしが来たのは、羊が命をうけるため、しかも豊かに受けるためである。」ヨハネ 10:10


「社会に開かれた教会」 5月25日の「未来を考える集い」からの報告

話し合い概要:

<現状について>

<妨げていること>

くあって欲しい姿>

<こうしたらよい>



目次に戻る


堅信おめでとう!

 6月22日(日)9時半のミサで36名の方々(成人6名、中高生30名)が濱尾司教様より堅信の秘跡を授かりました。

 ミサ中の説教で司教様は一人ひとりに、キリスト者として生きるようにお話下さいました。その中で、「私たちキリスト者として生きるとき、自分中心の生き方から出て、他人のために開かれた生き方をしていかなければならない。それは、自分が損をすることも覚悟した生き方だ。キリスト者は、十字架というもっとも大きな損までも私たちのために引き受けて下さったイエス様の生き方に従う者であってほしい。」と話され、北朝鮮への援助を例に取り、「北朝鮮へいくら援助してもどうせ無駄になる、必要な人にはほとんど届かないなどの批判があるが、私たちの援助が報われるならする、そうでないならしないというので有ればそれは愛の行いではなく取引ではないか。イエス様は病人や苦しんでいる人を自分の弟子にするために癒されたのではなく、そこに苦しんで人がいるから行ったのではなかったか。結果として報われないことがあるかもしれないが、隣の苦しんでいる人に手をさしのべることこそ福音的なのではないだろうか」と語られました。さらに、若い人々に向かって、「人生の進路を決める時 に、自分がキリスト者であるということを忘れないでほしい。金持ちになるにしろ、高い地位につくにしろ、自分のためだけでなく、神の国の実現のために働くためになってほしい。 また同時に司祭や修道者への道も、生き方の一つとして選択肢に加えてほしい。」と話されました。

 説教に続き、聖歌隊の歌う「聖霊の続唱」が流れる中、36名が次々に司教様の前に進み出て堅信の秘跡を受けました。続いてベトナム聖歌隊の歌う奉納の歌と共にパンとぶどう酒が受堅者によって祭壇に運ばれ、感謝の典礼が捧げられました。

 ミサ後聖堂前広場で受堅者の記念撮影の後受堅者や司教様を囲み歓談するひとときが持たれました。

 その後、センターホールで小教区の活動グループ代表による活動報告会が行われ、藤沢教会の現状が様々な面から司教様へ報告されました。その後司教様より「藤沢教会は教区で最大の教会であり、そこで様々な活動がなされていることをうれしく思っているし、また期待している。しかし同時に藤沢の活動がそこだけのものではなく、広く教区全体や世界の教会を見据えたものであってほしい。今教会は2000年の大聖年の準備の時である。それを通して、今までの教会活動、それもうまく順調にいっているものを再度見直し、本当に現在の教会にそれが必要なものであるか、今の社会への福音宣教に役立っているのかを見つめ直してほしい。2一世紀に向けて、高齢者の様々な活動への参加と同時に明日の教会を担う青少年の育成に特に力を入れていく必要が有ると思う」とのアドバイスが有りました。



目次に戻る


第2回信者でない方の集い(教会ってなあに?)
開催のお知らせ

                               宣教部

 昨年10月、「信者でない男性の集い」を開催いたしましたところ、信者の奥様が、ご主人をお誘いして、ご同伴で、おおぜいご参加くださいました。予想していた以上に関心を示していただけたことも大きな喜びでした。(詳細は教会報Vol105に掲載されています)

 今年も10月に、この集いを先の通り開催することになりました。できるだけ多くの方をお誘いして、ご一緒に、ご参加くださるようお願いいたします。(お申込みは教会事務所までお願いします。)

 開催日時 97年10月4日(土) 10時〜12時
         10月11日(土) 10時〜12時
         10月18日(土) 10時〜12時

 開催場所 藤沢カトリック教会センター・ホール

 講  師 バーガー神父様ほか

 参加していただきたい方

 配偶者(ご主人様または奥様)、ご両親、ご子息とご息女(配偶者を含む)、兄弟姉妹(配偶者を含む)、親しいお友達

 なお最終日は12時頃から約1時間、ささやかな懇親会を行いたいと考えております。

 この集いは、キリスト教とその教会についてのいわば常識を、わかり易くお話しする文化講座です。信仰をもっていただくことを目的とするものではありません。明るく楽しい雰囲気のもとで行われます。

 世界中のキリスト教徒の総数は19億人を超えており、世界全人口の約3分の1にあたります。社会生活をするうえで、キリスト教についての常識をもつことは、けっして無駄ではないと思われます。

 キリスト教以外の宗教(佛教など)の信者の方も歓迎します。その宗教とキリスト教を比較することによって、自己の信ずる宗教の理解が深まると思われるからです。

 自分と意見の合わない人が信じている宗教だからカトリックを好きになれない、と言われる方もおられます。特定の信者の方のイメージとかマスコミの影響による先入観から離れて、カトリックの価値観、世界観を理解していただける機会ではないかと思われます。 これまで仕事に励み、家族の生活を支え、妻の信仰に理解を示してくださったご主人様の在宅時間が長くなったとき、共通話題の1つにキリスト教関係のことも加えることができれば、という奥様のお言葉を耳にすることがあります。また、家事、育児、仕事などに手を取られて、キリスト教を知る機会のなかった奥様に教会のことを理解してほしい。というご主人様もおられます。若いご夫婦で、そのどちらかが信者でない場合、子供の教育を如何にしたらよいか、あれこれ考えておられる方も多いようです。ご両親、ご子息様、ご息女様、兄弟姉妹の方々にも教会のことを理解していただいて、コミュニケーションをよくしたい、というお言葉も聞くことがあります。

 冠婚葬祭のとき、タイミングよく病者の塗油の秘跡を受けたいときなどは、特に信者でないご家族のご理解とご協力が大切ではないか、と思います。

 「教会ってどんなところ?〕と信者でないお友達から尋ねられたとき、要領よく話せないもどかしさを経験された方も居られると思います。親しいお友達に教会のことを知っていただく機会にできると思います。

 宗教は科学的でないところがある。として敬遠される方が居られます。しかし、非常に優秀な科学者のなかに熱心なカトリック信者が居られることは、科学の力で解明できないことが多く、人間の知恵をはるかに超えた現象がたくさん存在するからではないでしょうか。宗教に神秘的、超人知的要素が含まれることは避けられないと思います。

 この集いは、あくまでも、教養講座ですから予備的知識は不要で、気軽に参加していただくことを希望しています。しかし、お誘いしたときに、ご質問があることも予想されますので、参考にしていただけそうなことを若干のべさせていただきます。

 キリストの受難と復活「十字架の犠牲」について説明しても「罪の意識」の希薄な日本では、すぐに理解してくださる方は少いようです。

 人間は生まれながら負わされている罪(原罪)があります。この罪が原因で、ほかの人に対して、心・身体を傷つけたり、いじめたり、嫉妬したり、苦しんでいる人に無関心で居たりなどの罪を、たびたび、犯します。原罪については、創世記第3章(蛇の誘惑)第4章(カインとアベル)の物語に明らかにされていることは、ご存知のとおりです。原罪をテーマにした文学作品もありますので、それを話されてもよいのではないでしょうか。受難と復活については、ご存じのとおり、聖書に次の記述があります。

 「わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。」(ヨハネの手紙2・2)

 「必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、3日の後に復活することになっている」(マルコ8・31)

 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3・16)

「キリストの復活」は、天地の創造主、全能の神がキリストを復活させて、神に信頼する者の希望を確かなものとするできごと、「わたしたち人間の復活」は、死んだ人がこの地上で「生きかえる」ことでなく、キリストを信ずる者が、信じたときから、キリストの復活に結ばれて「永遠の命」に生きるようになること、と考えるのが一般的であると言えるでしょう。

 「恥の文化」と「罪の文化」

 日本は「恥の文化」の国、欧米は「罪の文化」の国と言われています。

 日本では、敗戦前、学校の軍事教練の教官が一般の生徒に対して「戦闘中に敵の捕虜となることは最大の恥辱」と教えていました。現在でも贈収賄、不品行、契約不履行などを破廉恥な行為とみなす傾向があります。バブル崩壊後、借金を返済しない不動産業者を国会に喚問したとき、議員が彼等に対して「恥を知れ」と言っていたのをTVで見ました。 生きて恥をさらすことを嫌う一方で「罪の意識」は乏しいようです。罪とは、裁判で確定した刑事犯罪のことであると考える風潮があります。

 「キリストの受難と復活」を信仰の中心とする欧米諸国では、日々の生活において、思い、ことば、行い、怠りなど罪を広く深く考えます。ドイツでは、敗戦後まもなく、歴史的事実を隠蔽することなく、ナチスの犯罪を率直に認めました。そして政府首脳は、公式に、たびたび謝罪し賠償を実行しました。キリスト教国らしい「罪の意識」を感じ取ることができます。

 日本は、敗戦後50年近くなって、しぶしぶ外圧によって、罪を認めました。侵略戦争、残虐行為、植民地支配していた朝鮮半島における固有文化破壊(改姓、日本語使用、神社参拝の強制など)、強制連行について謝罪しました。

 愛の教え

 キリストは、その短い生涯で、福音を宣べ伝え、祈り、祝福を与え、さらに病気で苦しんでいる人を治し、飢えている人に食べるものを与えられました。キリスト教の原点は「精神」と「愛の行為」の両面における救いであると思います。

 キリストは、貧しい人、身寄りのない人、社会から白い眼で見られている人などと付き合って、ともに喜び、悲しみ、飲み食いもしました。ユダヤ教徒の1部から「見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ」(マタイ11・19)と中傷されたこともあります。

 教会は、古くから、人間に対する神の愛、人間の神に対する愛、人間の人間に対する愛(隣人愛、兄弟愛)を説き、神の前のすべての人の平等、人格の尊厳、良心の自由をお教え擁護してきました。現在の教会は、堅苦しいところでなく、人間味あふれる、どんな方々にも開かれたところです。(文責 角谷)



目次に戻る


婦人部遠足 箱根行き

                         鵠沼2区 石川千恵

 「5月21日、(水)婦人部遠足、『箱根行き』。」というお報せに早速応募参加いたしました。

 その日は、曇後雨という天気予報に、いくらか不安もありましたが、雨具を持って出かけました。8時30分、藤沢駅集合、バーガー神父、ケルソ神父のお二方と、婦人部の方々がにこにこ顔で改札の側に集まっていらっしゃいました。どの方も子育て完了、家事には余裕という方ばかり

 藤沢発8時47分、小田原着9時27分というのに乗り込み、女学生のようにころころ笑い、たわい無いお喋りを楽しみながら車中を過ごしました。総勢42人、小田原駅から貸し切りバスに乗り、箱根路へと向かいます。(このバスは本来箱根路の路線バスですが、内嶋、桜井、元永様のお計らいで一時的に貸し切りバスにして頂いたとか、おかげ様で私共老人は大助かりをいたしました。)バスの中は小型藤沢教会の雰囲気、明るいお声と笑い声に溢れておりました。小田原から平地、坂道、山間の道と奥まるにつれて、木の葉の色も下界よりは緑色が若やぎ、艶やかで、気温も幾分低めで、空気も澄んでいました。

 箱根登山鉄道の強羅駅の踏み切りを越え、急な坂道を登り、箱根教会の側にたどり着きます。こじんまりした山の教会で二階が聖堂、1階が司祭館になっていました。司祭のトマス・キルケニー神父様のお話によりますと、この土地の方々は、土曜、日曜と忙しいので教会には出向きにくいという事情があるとか、でも近くに白百合学園があるのでお互いの行き来はあるとか。11時よりミサ。ミサ終了後「ラ・フォーレ強羅。」に向かいました。婦人部長の内嶋様、遠足係の桜井・元永様がお味みをして決めて下さったホテルとか、山あいの建物で見晴らしもよく、すがすがしく思われました。和風柄の大皿に盛られ、お箸で戴く日本式フランス料理のお昼食はお味がよく、ゆったりした気分で賞味いたしました。また、希望者は温泉にというお勧めをいただき、入浴いたしました。

 今時珍しい檜造りの湯殿で、木の香もかぐわしくゆったりした気分になりました。硫黄分の強いお湯で、入浴後色白で美人になったなどとひやかされてしまいました。バーガー神父、ケルソ神父も入浴され、日本式湯浴みを楽しまれたようでした。

 ホテルの側を散策したり、木の葉や雑草を楽しむ等、3時までそれぞれに時を過し、又貸し切りバスに乗り込み、帰路につきました。 暑からず、寒からず、雨は1粒降っただけの快適な天候、本当に楽しい1日でした。

 また来年も期待しております。



目次に戻る


雲の上のクリニック

                     信徒宣教者会 米谷和枝

 満点の星空、見わたす限りの段々畑、羊飼いの暮らすここはヒマラヤの麓の村“オクレ”です。主都カトマンドゥよりバスで東へ約22時間、その後徒歩で2時間山を登った所にある地図にもない小さな村です。村人は放牧をしながらジャガイモやトウモロコシを作り生活しています。

 食事は毎日、米・ローティ(注1)・ジャガイモ・豆のスープばかりです。私もここへ来て10日後、初めて卵を食べた時は感激したものです。オクレの村人は米・油・肉・野菜を買うのに、2時間かけて山を降り、バサンタプールという村へ行かなくてはなりません。往復4時間の山道を40〜50の荷物を担いで歩く村人達に感服です。

 今、私はオクレのちいさなクリニック(注2)でネパール人とインド人のパラメディックス(注3)と共に働いています。しかし医師もいないため、ここでは応急処置や簡単な診療ができるのみで、検査が必要な人や重症患者は、他のクリニックや病院へ送らなければなりません。バサンタプールには政府の経営するクリニックがあるのですが、評判が悪く又検査もできません。私達のクリニックへ来た患者さんも数回そのクリニックへ送りましたが、貰って来る薬や縫合の仕方は、ひどいものでした。その次に近くて信用の出来る病院はここから8時間も離れている上に、いつも混雑しており、私達では手に負えない患者さんに、その病院へ行くよういくら勧めても村人はなかなか行ってくれない現状です。 先週も一人の男の子が深く指を切って診療所を訪れました。縫合が必要だったので、応急処置の後バサンタプールへ送りましたが、そこで消毒を十分せず縫合したため、数日後彼が再び私達の診療所へ来た時は指が腐りかけていました。「大きい病院へ行き、処置を受けないと指を切る事になるよ。」と言っても彼は毎日、私達のクリニックへ通ってくるのです。その日には重症のはしかの男性(2 0才)がかつぎこまれてきたり、精神病の患者さん、皮膚病の患者さん(疥癬・白癬など)が来たりと大忙しでした。これは外国人の私が来た事もある様で、村人は外国人崇拝が強く、ある人は外国人(特に白人)が触れただけで治ると信じているのです。一方ネパール人パラメディックスのラディカは、土地の病気を良く知っているのですが、きちんと学校を卒業していない事により村人の信用を得られないと言います。

 「私は医者ではありません」と言っていられない状況に立たされながら、命を預かる仕事の重さを実感する毎日です。出来ない事は出来ないという大切さを思いつつ、期待や必要性が高いだけに何も出来ない自分がくやしいです。

 今はCBHDP(注4)を勧めるため、オクレ出身のラディカと共に、一軒一軒の家々を回り、調査をしつつ、健康相談にものっています。土地に根づくラディカがリーダーとなり半年位には、病気・衛生・栄養のセミナーを行なえるようになったらいいね、と彼女と共に夢を持っています。又一方で針治療はたいへん効果的です。

“縫合位はこのクリニックでも出来るようにしたい、点滴や必要な薬が足りない”と日本の医療感覚が抜けきらない私ですが、もっと村人と共に暮らし、話し、畑で働いて村人と同じ位置から物を見られるようになってから初めてここの土地にはここの医療がある事がわかるのかもしれません。

 悩みの絶えない毎日ですが、夜に貧しい食事をランプの下で食べている時、患者さんと話している時、そして疲れた時“フッ”と誰かが手をつないでくれた時、「あーぁ幸せだぁ」と感じます。

 夕焼けで空がオレンジに染まると同時に周りの山々はスッポリと雲にかくれ、雲の上に立っている様な雄大な景色を見た時、ここで生きているこの時を感謝せずにはいられません。

(注1)コムギから造る薄べったいパン

(注2)4年前にアイルランドのNGOグループの寄付により作られた。その後8カ月間NGOグループのメンバーが地元のパラメディックスと共に働いたが、ビザの問題で引き上げてしまった。今は、カトリックのシスターの下、細々と二人のパラメディックスが働いている

(注3)3〜4カ月間看護の基礎教育を受けた人

(注4)Community Based Health Development Programの略(地域共同体を基礎とする健康改善プログラム)



目次に戻る


都内殉教地巡りに参加して

                            辻堂3区 志沢香代子

 6月5日、横浜教区婦人同志会主催による「東京方面キリシタン殉教地巡り」に参加した。当教会のケルソ神父、李神父、戸部教会のモンレアール神父、相模原教会の上原神父、それに案内役の高木様ご夫妻を含め230名の参加者でバス5台の大巡礼団となった。同志会は県内の会員数千名以上の大組織で多方面にわたって活発な活動を続けている会であることを知った。

 ロザリオの唱和、韓国巡礼団のビデオを見ながら東京へ向い、最初の目的地小日向キリシタン山屋敷跡に着く、高木先生は次々と到着するバス5台分の乗客に解説し続けで汗びっしょりであったが、多勢の人に囲まれていて後方では聞きとりにくかった。

 先生の著書「東京周辺キリシタン遺跡巡り」(聖母文庫)を車中で購入していたので助かった。昔は茗荷の栽培で盛んな農村であったらしい。

 今も地名として、茗荷谷、キリシタン坂など、坂道の多い所であるが、屋敷跡は小さな石碑が人家の軒下にひっそりと建っているだけである。かってこの地が「ころばせる」ことを目的に全国から夥しい数の潜伏キリシタンを集め、最盛期には7千(又は4千)坪を有し、神父から藩の大身、医師、絵師にいたるまで様々の人が収容された所であるとは想像もつかない。

 屋敷内では聖具の所持発覚だけでも処刑が行われたのだから洗礼などとんでもない話だが、シドッチ神父の世話をしていた夫婦が受洗し、殺されている。150年続いた山屋敷も1792廃止され、最終的には1951年(昭和26年)3千坪が売り出されたとあるがその経緯について知りたいものだ。

 主の死と復活の喜びを知りそれを表した我々の先輩がどんな思いでこの谷を渡り、坂を登って行ったことか。今では見逃しそうな石碑と通称キリシタン坂と呼ばれる坂道があるだけである。

 小石川植物園散策の後、昼食のため高輪教会へ、構内には札の辻殉教地跡に建てられた記念碑が移されているそうだ。午後は小伝馬町牢屋敷跡へ、キリシタン狩が始まった時3700人の内、1500人がここに収容され転ばない者はここと札の辻刑場で火焙り、斬首の刑に処せられ、転ばすために逆さ吊りなどの拷問を行ったらしい。

 高木先生は一生懸命声をからしての解説であったが、多勢の人と街の喧噪ににかき消されて聞きとりにくかったのでやはりここで処刑された公園内にある吉田松陰の碑文を読み返していた。殉教地のイメージは何もない、これでいいのか、迫害のため流した血、と転んだ後に流した先人達の涙はどこえいったのか。幸せそうな母子が遊んでいる平和そうな公園。私たちは先輩達の流した殉教の血の上で平和と解放された信仰を喜んでる。神の恵みと感謝して、でもそれだけでよいのか、殉教者をもう一度思いおこし記念する教会、修道院等をもっと建ててほしい平和な時にこそ、出来ることをしたい。

 温故知新という言葉があるが、殉教者をみつめなおし記念することは、新しい日本の教会が開かれる一つの源になるのではないか。彼らが命をかけて護ったものを大切にしたい、新しい主の霊をいただくために、最後は築地教会に寄り祈りをして帰途につく、夕暮れせまる街をぼんやりながめながらも心は熱い思いで一ぱいであった。

 参加して良かった。これからも殉教者を思っていきたい。東京近辺に記念教会が建てられることを祈っていくつもりです。

 高木先生、同志会の皆様心から感謝いたします。



目次に戻る


再び「ガーデン・パーティ」について

                              北1 岡村 正

 5月18日のミサ後、教会委員長 高野さんの御報告を伺い、今回の「ガーデン・パーティ」について各地区での話合いが、ただその目的の確認にとどまったようでがっかりしました。そのものの目的に誰も異存がないのはあたりまえです。

 「ガーデン・パーティ」がはじめられた頃は、わたしたちのなかに地区というものがなかったので、全体が一つになって教会で行う活動しかできなかったのです。

 しかし、地区ができたのは、全体が一つになって行う活動にないそれぞれの地域にかなった一人一人の思いの生かされる肌理のこまかい活動をめざしてわたしたちが成長するためではなかったでしょうか。

 地区が、中央での活動の下請け持回りにすぎないなら、特定の人たちだけに仕事のしわよせがゆく従来どおりの活動となんら変わらないでしょう。

 今度の「ガーデン・パーティ」についての話合いは、それと同じ目的で、それぞれの地区でできることはないのかという話合いになってほしかったのです。

 なんでも中央の指示をあおぐ体質を変えなければ、地区は中央の活動の下請けにすぎず、それぞれの地域に根ざした活動によって支えられる共同体になれません。

 一人一人が自分のことをしっかり考え、そのまわりと交わることが充分できる自立した者の集まりになるように、互いの接触をたかめる成長に適切な規模に分割するのがもう一つの地区の目的でしょう。

 個人からいきなり大きなグループになりますと、どうしても考えも行動も画一化され、力のある者が上に立つ結果になります。

 一人一人のちがいがもたらす豊かな創造のはたらきを活かすことができないので、ほとんどの人がついおまかせになってしまいます。福音書を読むと、力のある者や優れた者が上に立つような集まりを、イエス・キリストは決して賛成していません。小さい者や弱い者に耳を傾けるようにとすすめて居られます。わたしたちの集まりでも、大勢のあつまりと少数の集まりとでは、受け止められる情報の質がちがいます。まして力のある優れた者の前でわたしたちが小さい弱い者に耳を傾けるのはとても難しいことです。

 それは、力のある優れた者に依存するわたしたちのこころに逆らうことだからです。
 神の声は、それはそれは小さい声だった、とエリヤは言い残しています。(列上19:12)



目次に戻る


読書案内『東京周辺キリシタン遺跡巡り』(高木一雄著 聖母文庫)

                             藤沢2区 兼子盾夫

 この本の序で著者は次のように述べておら れる。

 「太平洋の黒潮に乗って多くのフランシスコ会士たちが日本に上陸し、江戸でキリシタン寺や病院を建て関東で布教を始めた。

 彼らが江戸で開教してから間もなく400年になろうとしている。私たちは先駆者たちが命がけで伝えてくれた尊い信仰の遺産を再び見直し更にその苦難の足跡を偲びながら正しい知識を後世に伝えて行かなければならない。なぜならばキリストの教会は永遠にあるからである」と。この最後の「なぜならばキリストの教会は永遠にあるから」と言う言葉は何とカトリックらしい真理の言葉であろうか。 この本は文庫本であるし歴史書と言うよりは、東京周辺のキリシタン遺跡を巡る際の便利なガイド・ブックに過ぎない。しかし著者の上の言葉は、読者に著者の熱い信仰に裏打ちされた歴史に対する思いを伝えずにはおかない。

 興味深い箇所は沢山あるのだが、私にとっては「+、キリシタンたちが幽閉された山屋敷」がとりわけ興味深かった。何故ならシシリー生まれのキアラ神父、その師ファレイラ、仲間(チュウゲン)角内などの史実が記されており、遠藤さんの『沈黙』のなかに出て来る大切な箇所に深い関わりがある処だから。つまり『沈黙』の最後に「切支丹屋敷役人日記」と言う漢文体の日記が付いていたことを読者は覚えておられるだろうか。主人公ロドリゴが岡本三右衛門となって幕府の宗門改めの協力者となった後も、密かに周囲の日本人に布教活動していたことを思わせる件が記されている箇所である。

 氏の本にはこう記されている。「寛永17年に幕府初代宗門改役に大目付井上筑後守が任命された。彼はキリシタンを処刑しないで転ばすことを目的として全国から夥しい数の潜伏キリシタンを江戸へ送らせた.。主なる収容者は次の通りであった。コンパニア寿庵(不詳)、ジョセフ・キアラ神父、イエズス会宣教師、寛永20年9月8日収容、貞享2年7月25日死去、82才、無量院へ葬る..彼の中間角内が斬首された。宗門具を持っていて拷問にかけられ白状したのであった。」 その他にも興味深い箇所は多々あるが、350年近くも前の先達たちの苦難の足跡を偲びつつ、私自身もこの本を片手にいつか此処に述べられているキリシタンの遺跡を歩いてみたいものだと思う。



目次に戻る


図書室の新しい本

 どんな本を教会の図書室に置くか、という選定の規準を、次のように考えています。

 教会の活動の目的、即ちわたしたちに命を生む福音を「今の時代の人々に」のべ伝えること、に役に立つ本を優先したい、と。

 限られたスペースしかない状況ではなおさらです。時代と社会に関わるわたしたちに新陳代謝の必要もあります。

 その要求を満たす「よい本」を見つけられたらぜひご紹介下さい。図書室に投書箱を置きますので、いつでもどうぞ。

 お問い合わせは

 0466(82)4243 岡村 正まで

 次の本は近々に購入を希望するものの一部です。参考までにご紹介します。

○「イエスと出会う」
 アルベール・アリ/シャルル・シンガー著   オリエンス宗教研究所/教文館
 (聖書を一緒に読むとき用いると、福音と はどういうことか理解するのにとても支えになる本です)

○「朝一番のおいしいにおい」佐藤初女著   女子パウロ会
 (私たちのなかにある癒しの働きを考えるのにとてもよい本です)

○「女性と宗教」大越愛子著 岩波書店
 (なぜ宗教のなかに差別や暴力が見られるのか、それを乗り越えるはたらきを見つけようとして宗教を見直すと、女性と宗教の切実な関係が浮き彫りになります。)

○「希望の扉を開く」
 教皇ヨハネ・パウロ2世著 同朋出版社
 (今、世界で教会は何を望んでいるのか、また何故それを望むのかを知る為に、ぜひ読みたいものです。)

○「部落差別とカトリック」
 差別からの解放をめざして 日本カトリック部落問題委員会編集 女子パウロ会
 (今、日本で教会は何をめざしているのか、を身近に知るための一つとして)

○「古代キリスト教典礼史」
        J・A・ユングマン著   平凡社
 (私達の今の典礼がどこから来たのか何をめざしているのか、を知るために役にたつでしょう)

○「宗教つくる虹」 ジョン・ヒック著   岩波書店
 (宗教と宗教との対話が私達に必要になったのはなぜか、どのようにして私達に対話が出来るようになったのでしょうか。戦争や経済のせいで起こった多くの人々の移住が、この30年間に私達の生きる環境をどんなに変えたでしゃおうか。又どのように変えつつあるのでしょうか。)



目次に戻る


湘南短期キリスト教セミナーからのお知らせ

                             実行委員会

 藤沢(大船、片瀬)教会から本年11月のセミナーの講師候補者を多数ご推薦いただきました。まことに有り難うございました。

 大船、片瀬教会からの推薦、昨年来の候補者と併せて選考委員会で検討し、先方と接触した結果(詳細な途中経過は省きます)、最終的に次の講師に決まりました。皆様にお知らせするとともに、推薦のご協力に改めて感謝申し上げる次第です。

 セミナー日程・講師名・テーマ等

 11月15日(土)15時〜17時 山崎章郎先生 
                  聖ヨハネ会桜町病院ホスピス科部長

    22日(土)14時〜16時 村松英子氏  女優、大学教授

    29日(土)14時〜16時 百瀬文晃師
                  イエズス会司祭、上智大学神学部教授

                                     以上



目次に戻る


湘南台センターよりご案内

ビデオを楽しむ会

7月18日(金)13:30〜15:30 『隣りの国をよく知る為の韓国巡礼4日間』
         藤沢教会の李神父様を団長とする日本巡礼団の記録ビデオ

湘南台商店連合会の納涼祭り

7月26日(土)夕方〜21:00 湘南台駅西口 第21号緑の広場
カトリック教会湘南台センターも出店し、キリスト教物品・日用雑貨・古着等を売る予定です。湘南台センターのごミサ(17:00 〜) 後 どうぞお立ち寄り下さい



目次に戻る


7月の主な行事予定

4(金)初金ミサ・婦人部例会午前9時30分

7(月)子連れで集まろう 午前10時

13(日)子供と家族のミサ 午前9時30分

19(土)ケアセミナー   午前10時

20(日)〜22(火)小学生キャンプ(箱根)

26(土)湘南台商店連合会納涼祭参加

27(日)チョイスミサ   午前9時30分
    ボーイスカウト・バザー



▼八角形にゅーす8月号の原稿〆切は7月21日(月)です。


編集後記 子供たちが元気に夏休みをすごせますように。     広報一同


八角形にゅーすのページに戻る  目次に戻る