八 角 形 に ゅ ー す
1997年10月5日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
秋の朝の祈り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ケルソ神父
バザーへのご協力のお願い・・・・・・・・・・・・バザー実行委員長 清水千明
マザーよありがとう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 高野 修
皆様協力ありがとう!!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六会 赤松敏子
敬老会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長後 田所信子
敬老会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小林信夫(三軒茶屋教会)
国際的な交流会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・ブー・ミン・ボー
キジト神父様をお援けする会よりのご報告とお願い・・・・・・辻堂1区 浮田久子
アジア学院訪問記・・・・・・・・・・・・・・・・アトメント修道会 Br寺沢正幸
ケルソ神父
秋の素敵な季節になりました。前々から1年の内、この季節は自分の深い所に響きがあります。私の霊性は季節によって形作られた気がします。何千年の間この地球の旅人(我々の先祖)は秋の昼夜平分の時(日本ではお彼岸)を火や歌などもって祝いました。昼と夜が平等、光は暗闇と釣合います。何か完成した、満足出来る感じがします。秋の取りいれの時季で、夏の実りが冬のために用意され、納屋がいっぱいなので、喜び楽しむ時です。
春は我々の先祖は、丁度妊娠した女の中から子が生まれるように、肥沃な母なる大地の前に腰をかがめて命の収穫を待望しました。しかし春の妊婦は夏の栽培のためすっかりお婆さんになります。恐れ恐れながら先祖は秋の黄色い収穫を祝いました。長い冬の間食料は足りるかしらと心配しました。何か、自分たちの安楽な生活を、悪霊が嫉んで、襲撃しないかと心配しました。そのために秋には松明をともして冬の様々の恐れや悪を祓うことをしました。
私はその秋の老母は命の秘訣を持っていると思います。彼女の永遠の精神ゆえに冬をひどく怖がる事に打ち勝ちました。だからこの秋を心の豊かな気持ちになるように祈ります。
おまけに、私が使っている秋の朝の祈りをここに載せます。
秋の朝の祈り(日曜日)
(神聖な身ぶりをします「例−十字をきる」)
我々の惑星が東へ太陽の方に回転する時、私はこの秋の朝、睡眠によって元気づけられて、起きます。感謝の心を持ってこの秋の爽やか日を迎えます。木やその他の植物が年に一度の周期の中の死の区分を認めるのように、今朝私たちが祝う御子の復活が私の心を希望で満たします。この週の初めの日私の心に入って、沈黙の内に、聖なるお客さんと一致するためです。
(しばらく沈黙の祈り又は黙想します)
感謝の気持ちを持ってこの日にやって来る恵み一つ一つむかえる事が出来ますように。この休息また、再創造の日を楽しみながら、私の心が秋の祭りのように満足でありますように。神よ、私がこの日を時計と時間に追われる事無く、又有益に時間を使わざるお得ないことの必要性から助けて下さい。聖なる休みとして下さい。
週のこの第1日に人の余暇や遊戯を喜ぶ神よ、祝せられますように!私がこの日曜日に従事する様々の事が創造の7日目に休まれたあなたに清い捧げものと礼拝になりますように。
この1日の初めに私は家族や友人のために次の意向を捧げます繙繙。
この祈りが彼らと一致する心でありますように。そして又、あなたの現存を必要とする人々のためにも祈ります繙繙。
私の神、御前に身を屈みながら、あなたと一致して、この日を挑戦します。
心の収穫、
すべての命の源、
日々の喜びである神よ、褒め称えられますように!
(神聖な身ぶりをします「例−十字をきる」)
9月20日に定例の教会委員会が開かれましたので、ご報告いたします。
バザー実行委員長 清水 千明
いよいよ恒例のバザーが近づいてまいりました。9月より準備も本格化し、バザー委員、売場責任者、関係者一同10月26日の日曜日に向けて着々と準備を進めております。今年も例年の様に、各売場毎に多種多様な品を取り揃えておりますので、楽しんでいただけることと思います。
9月号でもお知らせいたしましたように、今年のバザーの目的は、国内外で私たちの援助を求めている兄弟姉妹のために、そして神様の家である教会の維持管理のためとさせていただき、収益は、福祉部を通して役立たせていただます。皆様のご理解とご協力をお願いいたします。
重ねてのお願いですが、既に「お手伝い表」を聖堂入口横にはり出してあります。女性・男性を問わず、1人でも多くの方のお手伝いをお願いいたします。又、21日よりの平日において、男性の方にもお力をお借りしたいと思いますので、都合の付く方はどうぞご記入下さい。9月14日より皆様からの寄付品をお受けいたしております。お米1合、缶詰等の食品類、子供会のゲームの賞品(缶ジュース・文具類)等もお願いいたします。婦人部を通してお願いいたしております。「バザー賛助金」に就きましても、併せてご協力お願いいたします。
最後に、皆様にバザーの趣旨のご理解とご協力をいただき、多くの方に喜んで頂ける有意義なバザーになることを願っております。 どうかよろしくお願いいたします。
カセットテープの貸し出しを湘南台センターが行っているのを、ご存じでしょうか?
福祉部の活動の一つとして、毎日曜日のお説教を録音していますので(主に朝7時の御ミサのお説教)何かのご都合で御ミサにいらっしゃれなかった時、或いはご病人等、長い間御ミサにいらっしゃれない方の為に、ご利用頂ければと思います。アレルヤ唱から始まり福音の朗読、神父様のお説教を片面23分のカセットテープに録音してありますので、ご病人と一緒に聞いて、感じたことをお互いに分かち合えるかも知れません。
その他、シスター鈴木秀子の『愛と癒し』、井上洋治神父様の『ガラテヤの信徒への手紙』シスター渡辺和子の『人を生かすもの』等のテープも貸出しています。又、良いテープをお持ちの方は、貸出し用にダビングさせて頂きますので、ご協力をお願い致します。
良いものを互いに、気軽に、分かち合う場としていきたいと思いますので、ご利用をお待ちしています。
ビデオ会のお知らせ
10月24日(金)13時半から15時半
ドキュメンタリー”マザー・テレサ”
(9/13(土)NHK教育テレビ放映分)
藤沢1区 高野 修
9月6日土曜日の朝日新聞夕刊は「マザー・テレサ死去」サブタイトルに「貧困層救済に生涯」という見出しであった。すでにこの日の朝、テレビニュースでマザー・テレサ帰天のことは知ってはいたが、やはり活字で記録されてしまうと、ショックは大きい。私は活字文化に毒されてしまっているからであろう。
マザー・テレサを悼み多くの人々が哀悼の辞を述べた。民族や宗教を超えて世界中の人がマザーの永遠の安息を祈った。「人が与えることができるのは愛だけ」とその生涯を貧者の救済にささげたマザー・テレサは、今世紀最後の聖女であったと思う。
それは、マザー・テレサが「貧しい人、病む人、苦しむ人のためにと働くのは、そこにイエス・キリストがいるから。」という信念に貫かれていたからである。マザーは「貧者を助けるべきだ。」という神の声を聞いたという。その声に従って生涯私物は一切持つことなく、まさに「本来無一物」の精神で、「すべて神のため」の行き方をつらぬいた。キリストの愛が根底にいつも脈々と流れていたということである。
「病気や貧乏はお金や薬があれば治る。しかし、世の中で自分が必要とされていないのだと感じること、つまり絶望こそが最悪の病なのです。」とマザーが残した言葉の重みを、私どもにどれほどの重みとなっているのであろうか。マザーの葬儀がインドの国葬と知ったとき、マザーは階層を超え、宗教を超えたと思った。インドは階層の厳しい国であり、宗教もヒンズー教、イスラム教とあってキリスト教の占める割合は少ない。新聞報道によれば、国葬式場に入れなかった人々は粗末な祭壇で「民衆葬」を営んだという。国葬もすばらしかったが、「貧者の中の貧者、弱者をどう救うか。」という問題に最後まで取り組んだマザーには、この「民衆葬」が最もふさわしかったのではないだろうか。
いま我が家の応接室の書架に、次女の友人が長崎でマザーを撮影した写真を何年も飾っているが、いま迄とは違った思いで、私はマザーよありがとう、あなたの愛を私どもは決して忘れることはないでしょう、と語りかけている昨今である。
9月21日(日)午前9時30分のミサより、コンベツァル・フランシスコ会の松田神父様(日本カトリック研修センター)をお招きして現代社会に根付いた生きた共同体を築いていくためにどの様にしていったらよいかについてお話をしていただきました。
ミサの説教では、講話の導入として当日の福音から、イエスの真意を理解できなかった弟子たちの姿、それにも関わらず、弟子たちとともにいて導くイエスの姿を通して、不完全な私たちであってもともにいて導いてくださるキリストを中心に据えるところから、教会が真のキリストの共同体として社会の中に生きることが出来る。その中心にミサがある。
ミサはその共同体が全員で、そのただ中にいるキリストを祝う祭りである。司祭はただその祭儀の司式を共同体のために奉仕するのであって、祭儀には共同体全員が能動的に関わって行くはずのものである。そのときミサはより多くの人を引きつけることの出来る祭儀となれるのではないか。と話されました。
ミサ後行われた講話では、199〇年のFABC(アジア司教協議会)で提起されたアジアにおける宣教・司牧のあり方の中から生み出された実践のためのプログラム(ASIPA=アジアにおける包括的な司牧へのアプローチ)の紹介をしてくださり、その中でも特に中心であり基礎ともなるみ言葉の分かち合いについて話されました。
このみ言葉の分かち合いは4〜8名程度の小グループで行われます。み言葉の分かち合いは、聖書研究と混同されがちだが、実際には大きく異なった神学的な背景があります。聖書研究は、歴史的背景の元で、キリストのメッセージを理解することを主としていますが、分かち合いはそうではなく、今日も私たちの中に生きていらっしゃる復活のキリストとの出会いにあります。「二人三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのです」とのみ言葉のように、そこで語り、分かち合われるみ言葉の中に、ご聖体における現存のように秘跡的にキリストが現存しています。その主に私たちは分かち合いを通して出会い、共同体に命を与えて、生かしてくださるのです。
み言葉を中心に生かされている共同体は、必然的に社会に対しても開かれたものとなるでしょう。生活と信仰の遊離の多くも解消されるでしょう。今までの実践でも、それらは多くの実績を上げており、またみ言葉の中におられるキリストとの出会いは、その人々をミサへと招きます。そこで行われるミサは、より生き生きとしたものとなっていくのです。
そのような話の中に、み言葉の分かち合いの実践の具体例を入れながら1時間半の講話を終了しました。
このような、信仰共同体での生きているキリストとの出会いの体験こそ、現代社会に生きるキリスト者にとってもっとも必要とされていることであり、その礎の上に、社会に福音を証しする、いわば秘跡としての教会共同体が実現できるのではなかろうかと考えさせられました。(文責 川辺)
六会 赤松敏子
昨年11月より「手を貸す運動」(シオラレオネの子供たちの給食援助)と「愛の家」(小児癌等難病と闘う子どもと家族の宿泊施設)のために湘南台センターと教会で夜のミサ後ケーキを販売させていただいております。
ケーキ作り、販売、ケーキに添える絵を書いて下さる等うれしい協力を頂き8月までに、各々8万7千円を贈ることが出来ました。
手を貸す運動について
西アフリカのシオラレオネ・ルンサにある宣教クララ修道会が作った小中学校で21年間教育に携わっているシスター根岸美智子さんの新聞の投書「アフリカの子供にノートを」の呼びかけに手を貸す運動が生まれた。
本部所在地
〒194 東京都町田市成瀬台4−1−20
運動代表 佐藤 正明
電話 0427−26−6459 FAX 0427−26−6457
郵便振替番号 0013−4−16565
郵便振替加入者名 手を貸す運動
長後 田所 信子
今年の夏はとても暑く9月に入っても熱帯夜が続き、そんなむし暑さの中恒例の敬老会が9月12日金曜日に開かれました。
今日の集いを楽しみにしていらっしゃった方々が、その暑さにもめげず受付時間より1時間も早くからおみになり、個人写真をお撮りになったり我々スタッフと楽しくお話をなさったり、とても敬老会とは思えないお元気な方々ばかりでびっくりいたしました。
11時にテハン神父様の司式で御ミサが始まり、尊い塗油の秘跡をいただき“平和のあいさつ”では皆様本当ににこやかにお互いにご挨拶なさり一瞬天国ってこんな所ではないのでしょうか?と思いました。
ミサ後記念写真を撮り祝賀会がはじまりました。
プログラムは神父様のご挨拶、婦人部長のお祝の言葉に始まり、八子様ご持参のパパ様のテープ、テハン神父様と4人の方々によるリコーダーの演奏、会場の冷房装置の故障で皆様にはとても暑い思いをさせてしまい申し訳なかったのですが、汗をふきふきじっと聞いて下さいました。お食事を召し上がりながら(クーラーもなおりとても涼しくなりました。)大庭地区の八木さんの楽しいお話を伺いなごやかな雰囲気になり、続いて金子さんの独唱、そしてお客様であられる筑紫様のヴァイオリン演奏、ケルソ神父様のかわいらしいお歌(青い目の人形。赤とんぼ)みんなで一緒に歌いました。
最後は恒例のコール・セシリアによるコーラスと出席者全員でなつかしい歌の数々を歌い締めくくりに李神父様のお話しとマリア様へ感謝の祈り「めでたし」をとなえて無事終了しました。
朝早くから午後3時近くまで皆様お元気で何のアクシデントも起こらず主催者側ほっといたしました。
この会を催すに当たり湘南台地区・長後地区の方々、事務所の方、前年度の連絡委員の方々のご協力を心から感謝致します。
本当にありがとうございました。
1997年9月
小林 信夫(三軒茶屋教会)
シスター我妻からの電話で9月12日の敬老会に参加のお招きを頂き喜んで参加することにしました。
三軒茶屋教会に移籍して1年半程になりますがわざわざのお招きに先ず感謝申し上げます。当日は11時より感謝のミサがテハン神父様、ケルソ神父様、李神父様3人の司式で聖堂であげられました。
ミサの中で塗油の秘跡ご聖体を頂き聖歌の 「主のみもとに行く日までいと清く護らせ給え」の言葉通りの心でお祈りを捧げました。
終わって記念撮影が行われました。長年撮影してくれた善行写真館の主人の姿が見えず世代の交替があったのか等と想像しました。
愈々祝賀会です。ホール一杯に席が設けられ80名程の方が席につき開始を待ちました。先ず前に並べられたお弁当の美しい器が目につきました。永年藤沢で過ごした私にとって初めて見る器であり、藤沢にこんな器の弁当を扱う店が出来たのかとの思いでした。また器の美しさ丈でなくその中身の手のこんだおいしいお料理でした。
神父様方始め沢山の方々の心をこめた余興演技に何べんも拍手を送り、コーラスには且つて亡き妻もその1人であった等との感慨に浸りました。
乗物の中で老人に席を譲ることに関してのお話しが八木さんからありましたが私もそれに関して司会者のお許しを得て次のご挨拶をいたしました。
「私も老人となりましたので乗物の中で席をゆずられることが度々あります。席をゆずられた老人は皆、心の中に感謝の気持ちを持つと思いますが黙って席を座る人をまゝ見かけます。心で感謝し乍らも口から有難うの言葉が出ないのです。私は必ず有難うと云って席に座ります。日本人の中には思うことを言葉に表現する習慣が未だ未熟です。この有難うの一言が大げさな表現ですが人間社会の平和を生む小さな絆となるのではないでしょうか。
さあ、皆さん今日の敬老の日の催しに対し神父様方々に感謝の気持を声に出して皆で『有難う』と申しましょう」「今日はほんとうに有難うございました」以上でご挨拶を終わりました。2時、すがすがしい気持で散会となりました
藤沢教会の皆様、久し振りに訪れた藤沢教会はほんとうによい教会です。自分の教会を誇りに思っていつまでも良い教会であって下さい。
ブー・ミン・ボー
去る1997年9月14日、茅ヶ崎教会を会場に、横浜教区長・ステファノ濱尾司教の主催による国際的な交流会が開催されました。日本をはじめ、アフリカ、フィリピン、スペイン、ポルトガル、韓国、ベトナムを含めて7つの国の団体が参加しました。
交流会は、在日外国人の生活現状と今後の活動の方向性に関する司教さまの講話で始まりました。それに続き、各国の代表者による活動報告や生活の場で出逢う様々な困難や感想が述べられました。司教さまが各国の代表者から出された質問に答え、昼食を挟んで各国の出し物による文化の交流が行われ、前半の部を終了しました。
午後2時より、7つの言語からなるミサ聖祭が執り行われました。注目すべきことは、ご聖体拝領に際して各国の聖歌が歌われたことです。ベトナムの聖歌「わたしに愛する心を(Xin Day Con Biet Men Yeu)」の静かなメロディも教会中に響き渡りました。お互いに言葉の違いこそあれ、聖歌の意味内容が理解できなくても参加者一同は心を主に向け、主において皆兄弟であることを認め合い、父なる神への賛美の祈りとなったのではないかと思います。
最後に、各国の団体を代表して、リディアさんが感謝の言葉を述べ、参加者は名残惜しさの中で閉会を迎えました。そして、皆の心は明日へ向かう大きな活力をいただいて帰途につかれたのではないでしょうか。
辻堂1区 浮田 久子
キジト神父がはじめて藤沢教会を訪ねてこられたのは、確か、1991年春、モローニ神父様がまだご健在の頃でした。キジト神父の祖国ウガンダは、悪名高かったアミン大統領の暴政とうち続く内戦の荒廃からようやく立ち上がって、国の再建に一歩踏み出したところでした。
ウガンダの教会も疲弊の極にあったひとびとの救援のために、全世界にむけて援助を訴えかけられました。当時の悲惨な有様は日本のテレビでも度々報道されましたので、ご記憶の方もおありかと思います。キジト神父はこの訴えを携えて日本に派遣されたのです。
モローニ神父様はこの訴えに応えてすぐに信徒たちに計って「キジト・ホイマ・アクショングループ」を作られました。そして、私達のウガンダへの関わりをただ1回の募金活動で終わらせてはならないこと、アフリカで苦しんでいる方々は、真に主にある私達の兄弟姉妹なのだから、お互いに知り合い、援け合う努力を不断に続けなくてはならないことを説かれました。
このアクショングループはその後、思いも及ばなかったモローニ神父様のご発病、ご帰国によって呼びかけ人であり、大黒柱でもあった大切な方を失いましたが、皆さまのご理解とご協力によって、7年にわたる支援活動を支障なく続けることができましたことを、あらためて深く感謝いたします。
さてウガンダの状況は前述の通り、しばらくは希望の曙光が見えたのですが、1994年、ルワンダ、ブルンジ、ザイールの民族紛争が激化、凄惨な大虐殺にまで発展するに及んで再び暗転しました。膨大な数の難民がこれら三国と国境を接するウガンダになだれ込んだためです。キジト神父が司牧されるホイマ教区は国境に近いため、その混乱は想像に余りあります。当時の状況については神父のお便りを八角形にゅーすに転載いたしました。
不幸にもこの騒乱が鎮静化する前に、またまたザイール(コンゴ)で戦争の火の手があがりました。9月15日の朝日新聞によりますと、コンゴの反政府軍が各地で蜂起、半月で千人が死亡、国連が管理する難民中継センターから7百人のフツ族を強制連行して仇敵ツチ族支配のルワンダに送還したなど、悪夢の再来を恐れさせる事態が進行しております。
キジト神父は紛争解決のための国際セミナーに参加しておられましたが急きょ帰国されたのち、セミナーの全コースを終了されるため目下再びロンドンに戻っておられます。3月にお送りした20万円はイギリスのヴィンセンシオ・ア・パウロ会の協力を得て医療用品、薬剤、毛布などの購入にあてられ現地に送られた旨のご報告をいただいております。
アフリカは世界の諸地域の中でも、情報や人的交流の面で私達から最も遠い処ではないでしょうか、おいそれとお訪ねすることも来ていただくのも難しいのです。そのためにモローニ神父様のご遺志をついでのアクショングループとしての活動が思うにまかせないのが如何にも残念でございます。
皆様には、今日のアフリカの不幸な事態をご理解下さり、一層の御協力をお願い致します。一方私共としてはウガンダを回るアフリカの事情について皆様と勉強する機会も近い内に是非持ちたいと考えております。
次に募金について申し上げます。後記の如く毎月ご寄付をいただいたものをまとめておき原則として年に2回、御復活と御降誕の頃、コロンバン会のコア神父様を通して現地へ送っていただいています。
ところがウガンダの状況がいま一つ安全を欠いているところから直接現地へ送るのではなく、最近はドイツのホワイト・ファザーと云う宣教団のところに送り、さらにそこからホワイト・ファザーのウガンダ本部を通してキジト神父のホイマ教区に届けられると云う面倒な手順を踏んでいただいているのです。
この送金のプロセス一つ取り上げても第三世界をお援けするのがどんなに大変な仕事であるか御理解いただけるかと思います。
なお最後にもう一つ、是非お願いしたいことがございます。それはこの募金活動を続けるために目下の処、岡村、八木、渡辺、浮田の4人がご奉仕をしておりますが、私達の平均年齢が70才近くなり、さすがに少々心細くなってまいりました。よりお若い、お元気な方たちのお力添えをぜひいただきたいのです。お仕事と云っても第3日曜日の9時半のミサのあと、お聖堂の前に机を出して献金をいただき、簡単な帳面つけをすることで、1ヵ月に1回1時間足らずのご奉仕でございます。
そのほかに、キジト神父と随時お便りの交換をしなければなりませんのでそのお手伝いをしていただける方、向こうから来るお手紙を日本語に直して八角形にゅーすに載せていただくことも引き受けていただけると大変幸せでございます。
私どものちいさいが切なる祈りがどうか聞き届けられますように。
アトメント修道会 Br寺沢 正幸
西那須野アジア学院事務局長、遠藤抱一さんを、藤沢教会で紹介されました。共助組合で活躍された方ですから、皆様はよくご存知でしょう。
私は9月9日、即、見学に出掛けました。驚きました。感動しました。この想いを藤沢教会の皆様に分かちたくペンをとりました。
アジア学院には現在、アジアやアフリカの発展途上国から、約30名が留学しています。将来は母国に帰って、農業指導者になることを志す若者の集まりです。
私が、学院を見学したいと思ったのは、パンフレットにある「学院のモットー」を見た途端でした。「共に生きるために」国際性に富み、学際的であり、教派を超えた共同体であると知った時です。今時、こんな共同体が日本にもあることを現実に見て、「目からうろこ」の思いでした。
いのちと健康を支える食物を、自らの手で産み出そうとする営み、人と人とが共に働きながら、1人ひとりの人間の可能性を充分に発揮できるようにすること、その試みを毎年、アジア、アフリカの人々と共に続けること、これがアジア学院です。学院の農場、作業場、研究室、実験室、養魚場、牛舎、豚舎、養鶏場、バイオガス実験場など、施設のすべてに創業の精神を感じとりました。
学生たちはここで、それぞれの出身地に適した農業、畜産、食品加工、機械整備などの基本技術を実修します。有機農法と適正技術を、アジア、アフリカの農村で普及させ実践することによって、経済的で健康的な食糧自給をしたいと熱望しているのです。
学院の1日は朝のラジオ体操から始まります。体操のあと一瞬沈黙が流れると、1人の学生が、「今日1日を喜びと感謝をもって働くことが出来ますように」と神に祈りを捧げました。それから8時まで、学院の内外を清掃しました。校長は、食堂を掃除されました。
8時15分朝食。当番が食前の祈りを歌い始めると全員が唱和。テーブルの上は、ここの農園で採れた物ばかりでした。やきたてのパン、牛乳、バター、ヨーグルト、各種のジャム、チーズ、野菜、ライス等々、なんと豪華な食卓。これらは皆、学生たちの労働のみのりです。この朝は特別なことがありました。
学院で研究を続けて来たバイオガス製造に成功し、初めてバイオガスで沸かした熱湯がポットに容れられて出されたのでです。ポットの傍には「バイオガス成功おめでとう」のカードが添えてありました。食事を囲む全員の顔は輝いて見えました。ボランティアの人々も交えて賑やかな会話が飛びかいます。誰もがはにかむこともなく英語で大きな声で話しています。「心は言葉の壁を超えて通じ合える」のだとつくづく思いました。
朝食が済むと、9時半から集会室で、朝の祈りと分かちあいの集まりがありました。全員集合、この集会室はみごとな設計です。
一方の角が低くなっていて、3方には階段式に会衆席があり、どこに坐っても皆の顔が見える角度で斜面になっているのです。
この日の当番は日本人学生でした。この学院には、5名の日本人学生が自費で入学しています。当番の彼は、短い祈りの後、自分の人生観について、音楽について、あたかも自分に言いきかせるかのように、英語で話し始めました。50名ほどの会衆も熱心に聞き入っています。時おり、英語の表現にとまどう時、すぐ誰かが助け船を出します。なんの緊張感もない、なごやかさです。最後には彼が作詩作曲した歌を全員で合唱して集会は終わりました。
1泊2日の短い訪問でしたが私には大きなお恵みでした、学院に隣接して宿泊研究施設があります。休みを利用して、アジア学院農場での農作業を含め、キャンプ、研修会、黙想会などに利用されています。
以上
問い合せ先 栃木県那須郡西那須野町槻沢442−1 アジア学院
電話 0287−36−3111
3(金)初金ミサ・婦人部例会午前9時30分
4(土)11(土)18(土)信者でない方の集い 午前10時
5(日)入門式 午前9時30分ミサ中
辻堂ブロック集会 午前11時
6(月)20(月)子連れで集まろう午前10時
11(土)ケア・セミナー 午後2時〜4時
12(日)教会の未来を考える会 午前9時30分ミサ後
18(土)湘南台センター3周年記念講演会
26(日)藤沢教会バザー
28(火)聖シモンと聖ユダの祝日
八角形にゅーすの11月号の原稿〆切は10月20日(月)です。
教会報クリスマス号の原稿〆切は11月10日です。特集は「愛」です。
世界で起こっているいろいろなことにも目を向けながら、26日に行われるバザーを皆で聖霊の導きの祈りと共に、開催致しましょう。 (編集後記)
“シスター稗田”のお話を聴く会 「いのちに至る道」 10月10日(金・体育の日) 2:30〜4:30(入場無料) 藤沢カトリック教会センターホール |
第6回湘南短期キリスト教セミナー 〜生きがいをさがそう〜 愛と心の幸せを求め '97 年11月15日(土)・22日(土)・29日(土) 時間 15:00〜17:00 場所 §藤沢カトリック教会§
11月15日(土)【尊厳ある生と死を考える】
11月22日(土)【愛はわが家から】
11月29日(土)【現代社会におけるキリスト教のメッセージ】 参加費・・・1,000円 (全3回に参加できます。)
お問い合わせ、申し込みは下記主催の教会にお気軽に連絡ください。
大船カトリック教会 0467-46-2582 |
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