八 角 形 に ゅ ー す
1998年1月4日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
自己規律を守る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ケルソ神父
福祉委員会報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 倉橋久輝
「北1ブロック主催の黙想会」に参加して・・・・・・・・・六会 川田博敏
「ルワンダへ愛をこめて」パートK・・・・・・・・・・・・辻堂2区 元永けいこ
ハンラティ神父様の祈りの集い・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 小笠原絢子
ヤクザな信者の目のウロコ・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 水木早江子
人類は救い主を待つ(最終回)・・・・・・・・・・・・・・シスター 稗田 操子
自己規律を守る
ケルソ神父
明けましておめでとうございます。
私は習慣として年の初めに幾つかの決心をします。これらの決心は人間として、男性として、アメリカ人として、キリスト者として、司祭として、そして日本に来ている聖コロンバン会員として考えます。今回藤沢教会の皆様と今年の決心の中の一つを分かち合いましょう。
藤沢に来た当時と少し形が変わったことに気がついたでしょうか。 以前よりチョッピリ、スマートに成りました。信者の一人のご協力と、私の努力のお陰、しばらくの間ダイエットしました。私の着るものがだんだん小さくなってしまったので何とかしなくちゃと思ってやり始めました。けっこう時間がかかったが、やり甲斐がありました。と言うのは、今どの服も着られるようになりました。こういう事は年始めの決心とどういう関係があるかと言うと、今まで十分に食生活に気をつけなかったので、色々と困り始めました。
しかし神の力を頼りにしてある事を他の事に変えることが出来ました。食生活は一つの例ですが、おやつを取る代わりに栄養満点の食事をしました。今年はテレビを見る代わりに手紙を書くか良い本を読む時間、朝の新聞を読む時間を割いて、祈る時間を増やす、地球温暖化防止に協力してエレベーターの代わり階段を上る。こういう小さい事を心を込めてやるのが心が育ちますと信じております。
皆様もどうぞ、毎日の皿洗い、床の掃除をしながら意識して、神のために心からやることにしましょう。
しかし、時々全然目的の無い事を決めることもよいです。例えば、意識して、30回イスに座ったり立ったりする事など。
こういう決心を皆様に言うのは恐縮ですが、少しでも祈りの力によって自己規律の良さを再評価して、一緒に1998年を神の年に挑戦する事が出来ますように。
12月20日に定例の教会委員会が開かれましたので、ご報告いたします。
1.バザー収益配分報告について。
約460万円の収益のうち、半額は教会会計に、残りの230万円(うち30万円は福祉積立金)の配分先が福祉部会で決定した。詳細は福祉部長の報告を参照。
2.維持費等財政問題に関して。
11月、12月号でも報告したとおり、現状のままの維持費収入では将来の聖堂、司祭館等の建て直しには対応できない。
現在納入していない世帯に納入のお願いの文書を配付する。また、全世帯に維持費増額の必要性を認識してもらうための説明を今後行う。
独立した世帯ではないが、就職して収入のある青年たちにも維持費の納入を促したい。 納入の便宜を図るために、郵便局に口座を開設する。
3.福音宣教の方法論、成果の把握について。
福音宣教の方法論、成果の把握については10月より継続審議中であるが、麹町教会のパンフレットも参考にして更に、検討を進める。委員会としての勉強会の提案もあった。
4.副委員長の人選について。
各委員から挙げられた副委員長の候補者について委員長が検討をする。
5.静修の日について。
3月8日に予定されている静修の日の講師について、主任司祭に一任する。
6.ゴミ問題について。
資源ゴミのゴミステーションを教会に新設する案があったが、町内での当番等実施が難しい。月1度程度、車で運んで下さるボランティアの方がいるとよい。
また、ゴミの整理をして下さる方を再度お知らせで呼びかける。教会委員も委員会の開催日にゴミの整理をすることにした。
7.その他。
福祉委員会報告
鵠沼1区 倉橋久輝
11月30日にバザー収益金の配分について会議が開かれましたので、ご報告いたします。
今年からバザーの収益金の配分について福祉部で担当するようにとの方針が示されましたので、先ずバザー収益金の配分委員として次の方々にお願い致しました。
バーガー神父様、高野教会委員長様、事務局長川辺様、バザー実行委員長清水様の代理として福井様、前山財務部長様、福祉部からは、国際関係福祉の責任者下村様の代理として米山リディア様、教会外福祉の責任者長野様、教会内の福祉の責任者森田様、カリタス・ジャパンの責任者丸山様にお集まりいただきました。
バザー収益金の半分、金230万円の配分について慎重に審議しました。その結果、先ず、ビンセンシオ・パウロ会と救急の会については、福祉基金より毎年定期的に援助して行くことが確認されました。次に、バザー実行委員会のバザーの主旨を尊重して、北朝鮮への援助を決めました。
配分については、次の通りです。
1.福祉基金30万円
2.北朝鮮援助50万円
3.その他福祉施設などへの寄付金150万円
バザーの収益金をこのように配分させていただきました。皆様の暖かいご支援を心より感謝申し上げます。
12月17日、湘南台センターのコーラス・リコーダーのクリスマス会を催した。
今回は2回目のクリスマス会であるが、1年間に学んだ曲を、合唱で、又は合奏で披露し、楽しんだ。
このグループは必ずしも全員が信徒ではないが、会の最初と最後に、聖歌で祈りを捧げた。
尚、当日はバーガー神父様が出席され、グループの全員を励まされた。(石川 記)
「北1ブロック主催の黙想会」に参加して
六会 川田博敏
11月30日(日)湘南台センターにて、テーマ「暮らしの中の聖書」、頭島神父様(レデンプトール会)指導により黙想会が開催された。参加者は約30名で湘南台センターがほぼ満杯になる盛況でありました。
黙想会といえば長時間の祈り・沈黙・静修・黙想・霊的修練等々の言葉が連想され、霊的能力に全く自信のない俗世的な自分にとって喜んで参加したくなる集まりではありません。しかし「教会の未来を考える」の討議の中などで黙想会の重要性が再々取り上げられていることもあり、ともかく経験することが必要と考え参加しました。
黙想会の内容は次のとおり、
1.祈りの必要性について
2.黙想と解説・指導1(マルコ福音書8章22〜26による)
(昼食休憩)
3.黙想と解説・指導2(マルコ福音書2章1〜12による)
4.ミサ 入門的内容でご指導頂いたこともあり、思っていたより容易に黙想に入り込むことが出来ました。
聖書を読み、主が私達になにをお伝えになろうとされているのか黙想すると、その一字一句について色々なメッセージが想い浮かんで参りました。聖書の文章を深く味わい(考え)、思い巡らしながら読むことの大切さを強く思いました。頭島神父様の適切なご指導もあって、主が行われた救いのみわざの意義と重要性、その歴史的・社会的背景と生活環境などを併せて考えることにより、主が私達にお示しになられようとしたことの奥行きの深さ、主の偉大さを垣間見ることが出来たような気持ちがしました。
また聖書を読むとき、祈るという心の姿勢が必要であること、謙虚で素直な開かれた心で祈りなさいというご指導も受けました。
入門講座のとき、このことは再三指導を受けた言葉ですが、3年経った今改めて新鮮な思いで受け止めることができました。
黙想会を行うには関係する大勢の方々の大変なご努力が必要だと思いますが、我々信徒が自分の信仰を見直し、深めていくために非常によい機会を提供することになり、意義深いものであったと思います。関係者の方々に心より感謝をささげます。今後もこのような機会を是非ご計画下さるようお願い申し上げます。
最初は気乗りがしなかった黙想会に参加する気持ちになったこと、このような豊かな経験をお与え下さったことに神のお導きを感じます。神に感謝!
種々の質問に丁寧にお答え頂きご指導下さった頭島神父様にお礼を申し上げます。
「ルワンダへ愛をこめて」パートK
辻堂2区 元永けいこ
ルワンダに義足の提供と、その制作の技術を伝えようと、ルワンダに渡り活動している吉田真美さんを支援するチャリティーコンサート「ルワンダへ愛をこめてパートK」が12月14日開催されました。
会場は満席の600名を越える参加者を集め、主任司祭バーガー神父様の開会の言葉を持ってはじまりました。
初めのステージは口こみで集まってくれた歌の好きな子供たちが青年たちの伴奏に合わせて、元気いっぱいに歌ってくれました。
続いて藤沢駅でフルートを吹いている柴田毅さんがご自分で作った土笛、「縄文笛」の演奏で聴衆を魅了してくれました。その後丁度、一時帰国中の吉田真美さんより活動についての簡単な報告と、感謝の言葉が述べられました。
休憩の間には、様々な手づくりの品物が販売されました。また一人でも多くの方に地雷について知ってもらおうと「地雷ではなく花を下さい」という本も販売されました。
後半のステージは、このコンサートの趣旨に賛同して集まってくれた人々によって結成された合唱団とオーケストラによるクラシック音楽とクリスマスソング・メドレーが演奏されました。
それに続いて重い障害を持ちながらも心温まる詩で人々に希望を与え続けてくれている詩人、火星雅範さんがこの日のために書いてくれた「ルワンダへ義足を送り続けるあなたへ」の詩が朗読され、それを記したタベストリーが吉田さんに贈られ、最後に全員で「しづけき」を合唱しステージが終わりました。
今回の企画は、昨年10月に吉田さんに出合って以来、ただ彼女のことを一人でも多くの方に知ってもらいたい一心で生まれたアイデアでした。収益金がほしいだけなら、プロを一人呼んできて高いチケットで販売すればよいでしょう。でも一人でも多くの方に知ってもらうために、一人ずづ声をかけていきました。教会内外問わず、友人、ご近所、職場・・・。そうしたら、音楽関係なら、美術関係なら、お菓子づくりなら、力仕事なら・・・、と集まってくれた多勢の結果がこのような形のコンサートになりました。
企画の段階では、日時設定から様々な心配がありました。吉田さんの一時帰国に合わせ、12月にしたいという希望でしたが、教会も世間も忙しい季節でした。いろいろ考慮した結果、第2日曜のスペイン語ミサのあとから夜7時のミサまでの間に、準備から片付けまでがんばることにしました。チケットを売りはじめた頃は、人が来るだろうか?売れ始めれば、イスは足りるだろうか?天気は・・・?
でも準備段階から神様の手の中で笑ったり、泣いたりくり返しながら当日を迎えることができました。
「こんなことがないと教会に来ないから」とか、「これがきっかけでまた教会に来てみたくなった」という言葉を耳にはさむ時ほんとうにうれしかった。教会に来たことのない人たちが足を運ぶきっかけになったら、ミサには来ているけれど教会に「居場所」のない人が居場所を見つけるチャンスになったら。いろんな枠をすべてとっぱらって一人の地球人として関わろうとするとき、きっと「開かれた教会」の第1歩が踏み出せると思っています。神様のなさる不思議な業に、驚きと感謝をしながらこの機会を通して広がった様々な関わりの輪が、今回の企画だけで終わってしまうのではなく、これからもさらに広がり、より豊かなものとなることを願っています。 さいごに裏方部隊、美術部隊など、たくさんの陰の力と共にお祈り部隊があったことを心から感謝しています。当日が迫ってくるとどうしても準備に追われてしまい、せっかく初めて会った一人の人を大切にすることをおろそかにしがちです。でもその「一人の人」達に神様が伝わるよう、陰でお祈りして下さった多勢の方々、そして、「教会」という場所を提供して下さった主任司祭と藤沢教会の全ての方々に特別にお礼を申し上げます。ど うもありがとうございました。
尚、この原稿〆切がコンサート翌日だったので、最終段階ではありませんが、約130万円の収益を上げることができました。詳細は追って記載させていただきますが1月11日、吉田さんを迎えてもう一度集まります。その際、今回の企画の収益金をお渡しすると共に、今後の支援方法について皆さんのご意見をおきかせいただければ幸いです。
明けましておめでとうございます。
「若い時は1日の経つのが早くて1年が長い。年を取ると1日が長くて1年の経つのが早い」と申します。
私達「エルダーズの会」は呉越同舟??でどちらとも言えませんが数えで2才になりますので、早くヨチヨチ歩きを卒業しなくてはと思っております。改めて又今年も皆様に暖かく見守り育てゝ頂けますことをスタッフ一同心から願っております。
テハン神父様から次のようなメッセージを頂きました。
『「エルダーズの会」発足のお知らせとても嬉しく拝受しました。 皆様方に心からオメデトウを申し上げますと共に、それが共同体全体に勇気と力を斉らすものになるよう願っています。
此処に漕ぎ着けるのは容易ではなかったことゝ思いますが、今後共コツコツ歩み続けて、求めて来る人達の期待に応えられる「エルダーズの会」になってくれるよう念じ、祈って居ります。』Ireland
15 Nov.1997.
11月27日の集まりは政治のこと景気のことなどなど話が弾み、その上あんまり良いお天気なので誰言うとなく先日亡くなられたTさんのお墓参りがてらドライブをしようということになりました。H様のお嬢様K様が車持ちで参加して下さって総勢8人の賑やかなお墓参りにTさんさぞびっくりされたことだろうと思いますし、多分すごく喜んでくださったのでは!とも思います。そのあとの昼食はK様ご紹介の台湾料理バイキングにしました。[茶舗リン]という名前の何とも素敵なお店で、味良く料理の種類多く値段安くその上ヴォリュームたっぷりで一同大感激でした。気温の具合かどうか鎌倉の紅葉の色がびっくりする程鮮やかで、そんなエルダーズの1日でした。
昨年末の打合せで「来年から第4月曜日に昼食を用意する」という方針が決まり、12月8日にそのテストをしました。お手伝い下さった方や担当スタッフの腕前のお蔭で味も量も合格点が頂けましたし、準備の段取り、費用、その他手筈通りに行き自信を付けました。毎月第4月曜日10時以降センターホールで、お1人200円頂きますが飛び入り大歓迎ですので是非お越し下さい。
また、年に3〜4回は講師を招いてお話を聴いたり、コンサートを催したり、小旅行をしたり、ベネディクションをお願いしたりの[大きな集まり]を企画することを考えており、詳細はその都度お知らせしますので大勢の方々お誘い合わせご参加くださいますようお待ち申し上げて居ります。
なお、「お知らせ」でご連絡しておりますが、今年から[エルダーズの会]の集まりを週1回とし、毎月曜日の10時から聖堂左の小部屋で開くことにさせて頂き、木曜日は中止しますのでご承知下さい。
ハンラティ神父様の祈りの集い
鵠沼1区 小笠原絢子
静かな気持ちで祈ること、そして素直に神様と私とが対話すること。言葉でつづるのは、たやすくても、何とお祈りの難しいこと!とぶつぶつ文句を言いながら、何年かが過ぎました。ハンラティ神父様の祈りの集いに、1回でも2回でもかまいません。是非出席をというお誘いに、勇気づけられて、出席させていただきました。はい!もっとリラックスして、目を閉じてと導かれるままに、すいこまれるように、木曜日の祈りに何回か参加致しました。
クリスマスも近づき、ゆるしの秘跡がテーマになりました。一番むずかしいテーマです。私も人の悪口をいったり、嫉妬したりということも多少はありますので、そのゆるしの秘跡を、うける心がまえをおしえていただきとても安心しました。
でも私にとっては、心にとてもひっかかる、とげみたいなものが一つありました。いつも祈ってはむなしく帰るという事が、何年も続きました。それは、長い間どうしたはずみか仲たがいをしてしまった旧友がありました。 私には、あまり思い当たるふしがないのです。つまりその事が重大なのです。私は自分で気づかない内に、その友人の心をきづつけてしまっていたのです。心の中に土足で入っていたのかもしれません。それってとってもこわいことです。私は何年も何年も回心して神に祈りました。どうしても以前のようにうち解けて笑ったり、話したり出来ないのです。神様どうしたらよいのでしょう。すると神父様は、告解部屋の小さな窓から、祈りなさい!とおっしゃるのです。“はい”繼会でも、一人家に居る時もふと祈りました。それが最近、雪どけの春のように、ときはなたれて、その友人と和解出来たのです。学生時代の時と同じように笑ったりおしゃべりしたり‥。
旧約聖書・詩編コレヘトの言葉『3』に『何事にも、時があり、天の下の出来事には、すべて定められた時がある。』 このつらくて悲しい時、口はわざわいのもとと心から反省し、祈り、その時を待ちました。そして今年は、その時を戴いたのです。
ハンラティ神父様、お祈りをしてその時を“そのよい時”を与えて下さる、という神様の教えをわからせて下さって有難うございました。
とても清々しい気持で、クリスマスを迎えることが出来ます。 神に感謝!
ヤクザな信者の目のウロコ
藤沢1区 水木早江子
10年前のクリスマスイブの夜、タクシー乗り場で並んでいる私に、知人達が次々声をかけます。「あれ、どこで飲んでたの?」「私カトリック信者で…」「ウッソー!」「ホントよ、クリスマスのミサにでてたの」「ふーん、で、本当はどこ行ってたの?」それ以来、自嘲を込めて「私はヤクザな信者だから」というのが口癖になりました。多分、いつも素直で謙虚で穏やか、無理なく汝の敵を愛せるといった信者像が、私や信者でない知人達の中にあったからではないかと思います。もちろん、そんな信者になることはできず、ただ神様からも人からも理想の信者に少しでも見えるよう猿まねを続け、何の疑問も感じませんでした。そこへ、ハンラティ神父様の言葉「理想の人でありたいのでしょう。でも、貴女はただの娘です。神様からの罰を恐れているね。無理しないで、神様の前にありのままの自分をさらけ出して、何だって神様に文句いっていいんですよ『いったいどうしてくれるんだ』ってね。そして神様からの返事をちょっと待ってみて下さい。嫌なことを、これは試練だなんて考える必要ないんですよ、神様の言い訳なんかしてあげなくていい、頭で祈ってはだめ、腹から祈らなければ」ま さに目からウロコが落ちる思いでした。神様に怒り、はむかい、そうこうするうちに神様への親しみ、信頼が増していく経験をしたのです。
そして昨年末、2度の大病を乗り越えられた神父様の、〔聖書で祈る〕5回シリーズに参加しました。ルカによる福音辮礼祉ハネの誕生、イエスの誕生の予告、マリアのエリザベト訪問、イエスの誕生繧場面が朗読され、それをすぐ側で見ているような感じで聴き、心に響くところに自分の気持ちや問題を重ね合わせて祈ります。ところが、私は(神様出来ません)としか祈れないままシリーズは終わってしまいました。しばらくして、心の中に(マリアやザカリアに、不安やとまどいがあったからって何なんだ。特別な恵みをもらえたでしょ。私とは関係のないことだ)という気持ちがあることに気づきました。本当は同じように神様に話しかけられ恵みをもらいたいのに、どうせ私はもらえない、といういじけた気持ちです。無意識に隠しておいたので〔聖書で祈る〕に参加しなければ隠したままだったと思います。気づかされたことを喜んで受け入れた訳ではありませんが、何かすっきりした気分になりました。これからしばらく、この気持ちを自分から神様に見せて祈るつもりです。そして、神父様がお話の中で「神様から何も返事が来ないのは、心のどこか見えないところを神様が掃除していらっ しゃるのかもしれない」とおっしゃたのは、このことだったのかなと思いました。
最終日は、ゆるしの秘跡についてです。放蕩息子の話に初めて納得がいく思い、そしてゆるしの秘跡の話を聴くこと自体も初めてで、とても新鮮でした。話のポイントは、ゆるしの秘跡は自分の過去の罪の取り調べでなく、将来に向けて、すでにゆるしてくれている神様の慈しみのシャワーの中に入ることだと理解しました。今まで、反省心もないのに無理に告解できないと、しらけきった気分でゆるしの秘跡を眺めていましたが、神様に弱点を教えてもらいながらシャワーを浴びるなら、自然な感じでできそうな気がします。
最初、今回の〔聖書で祈る〕シリーズの内容を要約して紹介しようとしましたが、できませんでした。この場合はこうすることが正しいという授業のようなものはでなく、神父様からのヒントこそあれ、それも邪魔なら聴かないでという、あくまでも神様の導きに心をまかせるというものだからです。また、大勢の参加者の感想を聴き、一人ひとり違った神様との関わり合いがあること、それは誰も知ることができない、その人にしかわからない神様との関係であることに思い至り、胸をつかれ、その前にただ頭を垂れるしかありませんでした。
そう書くと、なにか堅苦しく思われるかもしれませんね。でも、ハンラティ神父様のお話はユーモア一杯、信者でない主人も「今日は何かおかしい話聞いた?」と楽しみにしています。そして、神父様のユーモアに笑い転げているうちに、ぽろっと目からウロコが落ち、(この前、全部落ちたはずなのにナー)とたびたび思うヤクザな信者の私なのです。
人類は救い主を待つ
…東方教会の典礼を考えながら…
(十字架のイエス・ベネディクト修道会)シスター 稗田 操子
この内容は、10月10日(金・体育の日)藤沢教会センターホールで講演された原稿の1部です。(第76号よりつづく)
6.a.「めでたし」
天使ガブリエルは神の母に言います。「おめでとう。恵まれた方。 主があなたと共におられる」(ルカ1.28)と。
それから間もなく、マリアはいとこエリザベトに会いに行きます。 エリザベトはいと高き方の預言者、先駆者となるべき胎児、未来の洗礼者ヨハネが胎内で喜びに小躍りするのを感じてイザヤの「しるし」を悟りました。そこでかの女は天使の挨拶につけ加えて、こう言います。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています」(ルカ1.41-42)と。
ずっとあとになって教会は「わたしたちの魂の救い主をお産みになった方」は真におとめであるということを私たちに教えることになるのです。
b.マグニフィカトここで胎児を抱かれる「しるしのマリア」 のイコンを観想いたしましょう。
マリア衣の額と両肩のところに、それぞれ星が画かれています。 それは受胎前も懐胎中も出産後もおとめであったことの象徴です。
さて、神の母マリアはエリザベトの叫びを聞くと「わたしの魂は主をあがめ・・・」という美しい讃歌をうたいます。わたしたちがマグニフィカトと呼んでいる最も美しい讃歌です。
c.イザヤよ、よろこべ!
イザヤのしるしが実現して、おとめが身ごもったということは、私たちの人生のいくつかの重要な出来事をよく解明してくれます。
婚姻の秘跡と叙階の秘跡も、ともに神の国への道を開くものですが、私たちがそれらの秘跡を受けるとき、東方教会では、次のHirmosという讃歌をうたいながら行列をします。
イザヤよ、よろこべ!おとめは身ごもった。 かの女はひとりの子を産む。
その名はインマヌエル。
神であると同時に人である方を。
その名はオリエント。
子よ、私たちはあなたをほめたたえます。 おとめである母よわたしたちはあなたを祝します。
神であると同時に人間であるということ。それが受肉の意味です。おとめは神の母となることによって、神と結ばれました。
マリアのイメージにならって、わたしたちも神を迎えいれましょう。神は聖霊によって私たちのうちに受肉されるのですから。
神の赦しをいただくために、罪と戦うのはキリスト者の生活のうちに、キリスト者の肉体においてまでも、みことばの受肉が透けて見えるようになるためです。
聖体拝領前にとなえる教会教父たちの祈りは私たちの体における神との一致の準備となります。大聖バジリオスの聖体拝領前の祈りには、つぎのような一節があります。
「聖なる賜物の一部分をいただくことによって、私はあなたの御体、御血と一つになります、そして、あなたは父と聖霊と共に、私たちのうちにとどまられます。」
生きておられる神・キリストは、御父のもとに私たちを連れ帰り、父と和解させるために私たちを捜しに来られます。
私たちが神の似姿を取り戻すために、キリストは私たちと似たものとなってくださいます。つまり、キリストご自身、失われた神のイメージとなってくださるのです。
キリストは、また、失われたドラクマを捜すように、さ迷い出た1匹の羊を捜すように、私たちを捜しに来てくださいます。
私たちはキリストに似たものとならせていただくために、もう1度、光の子となることを受諾しましょう。
多くの教会教父たちは言います。「人間が神となるために、神は人となられた」と。何と身にあまる有難いことでしょう!
そのためにもう1度マリアの方へ、神の母の方へ目を向けてみましょう。彼女は神との一致を完全に成就されたのですから。マリアこそ救いへの道案内でいらっしゃいます。
〔付記〕Hirmos の説明
東方教会の典礼では福音朗読と賛課の間に9つのオードから成るカノンと呼ばれる詩歌を歌います。各オードはヒルモスと呼ばれる第1の歌によって導入されるいくつかの節から構成されています。そのヒルモスは9つの聖書朗読箇所の1つからインスピレーションを受けたもので、ギリシャ語の
Hirmos ということばは、「絆」という意味です。
1(木)元日新年ミサ 午前0時、午前11時
2(金)ベトナム人協会新年の集い
11(日)成人式 午前9時30分ミサ中
15(木)壮年部新年会 午後5時
16(金)婦人部ミサ、新年会 午前10時
17(土)ケア・セミナー 午前10時
18(日)藤沢ブロック集会 午前11時
19(月)子連れで集まろう 午前10時
19(月)26(月)エルダーズの会 午前10時、26(月)は昼食付き
21(水)24(土)28(水)31(土)結婚準備セミナー 午後7時
25(日)新年国際ミサ 午前9時30分
八角形にゅーすの2月号の原稿〆切は
1月19日(月)です。
編集後記
▼新年おめでとうございます。今年も、皆様からのご意見、ご感想、ご投稿をお待ちしております。よろしくお願いいたします。
▼ご投稿の際は、紙上匿名をご希望の場合もどうぞお名前を明記して下さるようお願いいたします。
広報部一同