八 角 形 に ゅ ー す
1998年10月4日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
私のミサのあずかり方(その2)・・・・・・・・・・・・・・・M・ハンラティ神父
新司祭の誕生に思う・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六会 古郡 民雄
初ミサにあずかって・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 村上 康子
佐藤新司祭藤沢での初ミサ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六会 沼波 典明
祝叙階佐藤神父に記念樹・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 平野 勝
母に付き添って敬老会に出席して・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 川辺千佳子
祈り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・梅田 文一
壮年部黙想会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長後 米谷 三郎
『黙想会に参加して』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 兼子 盾夫
「湘南台センターの4周年記念集会」・・・・・・・・・・・北1 岡村 正、孝子
「バリアフリーの教会をめざして」を聞いて感じたこと・・・・・・六会 川田三保子
普通救命講習会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 里原 廣光
救命講習会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 八子 俊吉
ネパールで不思議な旅・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 丸茂 啓介
私のミサのあずかり方(その2)
M・ハンラティ神父
第2の助けはイエスの心を知ること
先月号に於て、より深くミサにあずかる為に、ミサ前に“受けなさい”の言葉を使う事が、私にとってどんなによい助けになっているかを述べました。その言葉をゆっくり丁寧に繰り返していくと、自分の関心事だけにとらわれている状態から引き出され、考え方や態度が変えられていきます。神様は今この瞬間にも私と共にいて下さり、しかも私に与えたがっていらっしゃる方なのだと思い出させてくれます。
第2の助けとして私が述べた事は、現在私がイエスの心を段々によく知るようになってきている事でした。イエスが祈ったり、弟子達や群衆また敵も含めて様々な人々と交わった時に抱かれた気持ちや想いを、私は聖書で祈り始めてから徐々によく知ってきました。 教えられた時、癒された時、ご受難、ご死去の時、新しい力を与える為に弟子たちの所に戻っていらした時、その時々のご自分の気持ちをイエスは私に分かちあって下さる事が出来るようになったのです。感謝、信頼、希望だけでなく、切なる願いや落胆、悲しみ、恐れも含みます。こうして彼の気持ちをよく知ってくると、イエスがごミサの中で行われる時、私は彼に近づけられていると感じるようになりました。
今回はこの事についてもっと詳しく述べたいのですが、その前に私の言いたい事をよく理解していただく為に少し説明をしておきたいと思います。
私は人生を通して、神様についてまた神様と私達や私との関係について、たくさん聞き研究し考えてきました。しかし私の集めた山程の知識は頭の中のものにすぎなかったと認めざるを得ません。それは心の中にまで落ちてこないのです。その中のいくつかが心の中に入る時があります。そのような時には考えなくても自然によい行動がとれていると気付きました。私の思い方や態度も変えられています。心の中に自然に湧き上がってくる思いは頭の中の知識の適っています。知識が神の“生きた知恵”になったといえましょう。
このようになったのは、ほんのわずかな知識だけなのですが、それは神様が私の中で働いて下さるように、神様に静かな時間をさしあげた事によって出来ていました。自分の努力ではないのです。自分が何も持っていなく、乏しく助けもない状態だと感じて、この気持ちの中に留まって神様の働きを待つ時にこの事は起こります。ついに神様が私の心を動かします。頭ではなく、腹の底で、心の底で深くわかります。このような事は近年イエスの心を私が知るようになってから私に起こっている事です。ミサについての知識に於いても同じ事が起こっています。
イエスの心について私が理解した事を表現しようとしたら、私は次のように要約したいと思います。イエスの心は御父でいっぱいになっている。御父はイエズスの考え、気持ち、望み、希望の中心です。御父と、御父の意志、御父の栄光がイエズスにとってすべてであり、一番大切な事でした。彼は御父にご自分を完全に与えました。
イエスがいつも御父からいただいていると、いつも意識していらしたことが、この態度の根底にあります。彼はいつも感謝に満ちていました。いつも感謝の気持ちが自然に湧き上がっていたのです。 御父への信頼はここから来ています。実に神様はいつも用意して下さっている! こうして暗闇の時も、しいたげられた時も、また予想もしないわけのわからない状態に陥った時も、尚、信頼し希望する事が出来たのです。 “最後にはすべてうまくいく”と希望をしっかり持ち続けられたのです。
このように御父からいただいている事へのイエスの応えは、御自分の持っているすべてを御父にお返ししたいという望みでした。これは御自分自身の総てをまるごと信頼をこめて御父に明け渡す事を意味します。
いつも御父に聴いてみ旨を知り、それを行う事を意味します。自分から進んで喜んで忠実なしもべであろうとする事によって御父に応えている“わたしの愛する子”だったのです。
そしてイエスが御父の心をわかればわかる程、誰もが御父のかわいい子供であると深く悟りました。私達は皆彼の兄弟姉妹であり、四六時中いただいている者なのです。イエスは誰もがこの事を知り、このように生きる事を望まれました。御父への御自分の気持ち繩謝と信頼、賛美、御父に忠実に明け渡したいという望み繧浮ゥちあう事を望まれました。それで誰もが彼によって、彼と共に、彼の内で応えることが出来ます。すべての人達に御自分の気持ち、態度を与えたかったという事は、御自分の霊を与えたかったという事なのです。
これが彼の夢でした。その為に彼は生き、そして死んだのです。 これらは彼の全生涯にわたっての想いですが、ご受難、ご死去、ご復活を通して最もよく表れました。御父への、弟子たちへの、群衆への、また敵へのその態度は復活に於いても聖霊降臨に於いても少しも変わっていません。弟子たちをゆるし、慰め、新しい力と希望を与える為に、どんなに急いで弟子たちの所へ戻られた事か!彼らはその時、空になっていたのでいただく事が出来ました。そして彼の霊をいただいた効果を私たちは見せられています。弱くてあてにならなかった弟子たちがどんどん彼に似てきて、彼のように行い始め、彼からいただいたものを他の人達と分かちあうように出かけて行ったのです。
私は今、“イエスの全生涯は、受けて、感謝して、分かちあった、生涯だった”と要約できると思ってそれはまたミサの要約でもあります。
ミサの間に私が心を開いて受け身になれた時、彼は時々これらの考えの一つを私の心に入れて私の心に触れて下さいます。そうすると彼の心や想いが私の心に浸み込んでくると感じます。そして私は違った風に物事を見たり、新しい事に感じたりします。更に、私はもっと彼のように、かれと一緒に行うよう導かれます 。
私はまだいただく事は下手ですが、もっとよくいただけるようにイエスが私を次第に変えて下さっています。そして今、イエスが私に最も与えたいのは、ご自分の心であると私はより深く悟ってきています。この招きを受けながらミサにあずかりたいのです。
(その3)に続きます
ミサの中で起こるあなたの心の動きや変化にもっとよく気が付く為に、時間を使って下さい。
1.静思のひととき
ルカ福音書16章から「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」というテーマで黙想と分かち合いを行った。
2.教会連絡網の作成に関して
各ブロック委員から、つぎのような考えがしめされた。
3.バザー委員会より
経過報告準備は順調に進んでいることについての報告がなされた。とくに今年は毒物入りの事件が騒がれているので、寄付された食品のなかでも、カン入りの物などの点検を厳重にする必要がある。
寄付品は2日に一度の割合で、平日整理をして欲しい。さもないと聖堂の入口は山となってしまう。
湘南台センターでは10月31日、地域のバザーに参加することになった。手伝いについては募集を行うとのことであつた。
10月17日に、衣類等をハンガーにかけるパイプの組み立て作業を10時から行うことになっている。バザー委員会からのニュースは別項をご覧いただきたい。
4.佐藤直樹神父の初ミサについて
9月20日に佐藤直樹神父の初ミサがあり、その後に佐藤神父からのお話とお祝いの会を開催することになり、その準備を19日から行っている。
5.夏の諸行事の報告
◇ガーデンパーティについては、
- 昨年から簡素化されているが、今年もそれを踏襲した。
- 参加者は昨年より少なかったが、これはパーティ券を前に発売しなかったからであるが、この方法は今後も継承して行きたい。
- 赤字を出さないように心がけたので、すべて手作りにし、好評であった。
- 外国人との共同作業によって、友好的な雰囲気が生まれ「ともに」の目的が前進した。
- 近隣に事前にご挨拶に伺がつた。そのためか苦情はなかった。もちろん音量も抑え、時間も早く開始し、終わりを早めたことも良い結果となったのであろう。
- 今後もより内容を充実させて実施していきたいとの報告がなされた
◇サマーキャンプは小学校生・中学校生・高等学校生・ボーイスカウトなど開催されたが、小学校生・中学校生・高等学校生の参加が少なく、今後開催すべきか否かについては検討する必要がある。
◇合同祈祷会8月22日カトリック片瀬教会で開催され、プロテスタント教会から7教会の参加があった。当教会からは9名参加した。
◇濱尾大司教送別ミサには約6百名の参加者があり、大司教も喜ばれたとのことである。準備を担当した壮年部・婦人部に感謝。写真アルバムにして大司教と司教館に贈ることになっている。
◇バリアフリーの教会をめざして、このバリアフリーの教会とは、障害を持つ人が支障なく参加できる教会共同体のことであり、唐木さんから話を伺い、参加者から心のささえが如何に大切であるかということを実感したという報告がなされた。
◇敬老会、鵠沼1区の連絡員が全て準備を担当され、すばらしい会であったとの報告を受けた。
◇湘南台センター4周年の記念ミサと米谷和江さんの報告会が開催された。米谷さんご苦労さまでした。
◇壮年部黙想会、初めての黙想会をイエズス会鎌倉黙想の家で開催され、20名の参加者で有意義であったとのこと。今後も年1〜2回程度開催したいとのことである。
6.今後の予定
7.その他
+主の平和
桜の葉が紅葉し始め、庭の虫たちも一段と声をはりあげて、秋の深まりを告げています。 新司祭パウロ佐藤直樹の初ミサには、多数ご参加下さり、たくさんのお祈りとお祝い等を戴き有り難うございました。また、ミサ後には、お祝いの席まで設けて新司祭を励まして下さいました。
主任神父様をはじめ、教会の役員、信徒の皆様方、特に六会地区の方々が、暖かいお心で共に慶びを分かち合って下さったことに、何と言う言葉でお礼を申し上げてよいのか、その言葉が見つかりません。数日経った今も、皆様のお優しさ暖かさに、感動と喜びと感謝で胸が一杯になり、涙がこみあげて参ります。
『ありがとうございました』サレジオ会創立者、ドン・ボスコのお母様は「司祭になった今日から、おまえの苦しみが始まるのだよ」
と言われたそうですが、私たちも、未熟な新司祭がこれからの長い道のりの中で、多くの困難に出会い悩み苦しむときに、初ミサで歌ってくれ詩編(主は私の力、私の砦、私の歌、主は私の救いとなってくださった。主は私の味方、私は誰を恐れよう。)と大声で歌い、神に信頼して、聖霊の助けを求めながら、のり越えて行ってくれることを願って、祈りつづけて参ります。
新司祭が終生神に従い、人々に奉仕していくことができますよう、今後もお祈りで支えて頂ければ、どんなにか嬉しいことでございましょう。
よろしくお願い申し上げます。
喜びと感謝をこめて
1998年9月吉日
佐藤 清 、カズ子
新司祭の誕生に思う
六会地区 古郡 民雄
「私が司祭になりたいと思い、司祭になれたのは私の意志が半分、あとの半分は神様のご意向だったと思います」
叙階後、私たちの教会での初めてのミサを挙げてくださった佐藤直樹神父様は、初々しいお顔に笑みをいっぱい浮かべながら私たちに語りかけて下さいました。
神様が私たちにくださる最高のプレゼント叙階式(碑文谷教会) に参列させていただいた私は、その荘厳さの中でも、最も心打たれたのはミサの中で奉納のため祭壇にむかわれた神父様のご両親のうしろ姿に接したときでした。
なぜかその時、私の脳裏には旧約聖書の創世記22章「アブラハム、イサクをささげる」という場面がよみがってきました。
「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす捧げ物としてささげなさい」
奉納に向かわれる今のご両親のお気持は、あの時のアブラハムの気持ちや信仰と同じではないだろうか。
いや独り息子を神様に捧げるということはアブラハムの時代よりもっと厳しいものがあるのではないだろうか、など様々な思いがめぐってきました。
司祭のご家族のことを私たちが生活している国には、私たちが老後安心して生活して行けるだけの社会保障制度が整っていませんし、年金の先行きも不安、鳴り物入りで成立した介護保険法もみせかけのものでしかない内容だ、ということが伝わってきているからです。
それでも神様は独り子を捧げられたご家族のことを心配のないように見守って下さる、ということを私たちは信じていますし、残されたご家族をお守り下さい、と祈り続けます。 同時に、神学生や司祭養成のために活動されている「一粒会」を更に拡充すること、あるいは別組織として、独り子を神様に捧げられたご家族の老後を支える制度を教会内部につくっていくことも、教会の未来を考える時必要なことではないでしょうか、と思います。
初ミサにあずかって
辻堂1区 村上 康子
佐藤直樹神父様の叙階式には伺えませんでしたので藤沢教会での初ミサを楽しみにしておりました。私たちの教会からまた若い新司祭が誕生されるとは何とすばらしいことでしょう。ミサ中の「神に感謝・キリストに賛美」のことばを心から唱えました。
朗々と読まれた福音の後のお話の中で「神こそ我が救い主」 の聖歌に召し出しの真意を見出されたこと、逃げ出そうと思っても神様につかまえられてしまって今日に到った、と言われたのが私には印象的でした。それらを身をもって感得するのは大したことだと思います。司祭になられるまでの道程のなみなみならぬことが察せられ、召し出しが特別のお恵みであるとわかります。
また、中学生でいらっしゃったころ、教会へ行くと高校生をまじえての楽しい仲間があったので教会が大好きだった、とうかがい、土・日曜学校や中高生の集まりの大切さを再確認しました。
明朗でお元気な佐藤神父様がいつも「つかまえたこと」に責任を感じていらっしゃる主と共に聖霊のいぶきのうちに御活躍になりますように!そして御子息の召し出しに万感の思いをこめて応じられた御両親、御家族に豊かなお恵みを心からお祈りいたします。
なお、共同司式に山口神父様が先輩として加わっておられ心強く嬉しく存じました。
佐藤新司祭 藤沢での初ミサ
六会 沼波 典明
9月20日の主日ミサは、本年9月5日碑文谷教会で司祭叙階の秘跡に授かった佐藤直樹新司祭の藤沢教会での初司式で行われました。
当教会の有志が祈りを込めて縫い上げたカズラをまとった佐藤神父様は、説教の中でご自身の思い入れ深い歌を取り入れ、フィリピンのドンボスコセンターで少年達の教育に従事しておられる体験を織りまぜてお話され、一緒にミサに授かった日曜学校の子供達にも神父様の思いは十分分かち合えたものと思います。
ミサ後、当教会からのお祝い、お礼の後、改めて神父様のフィリピンでの体験談などをお話いただきましたが、このときも2百名近い方が熱心に聞いて下さり、神父様のお話しも熱が入り、いつ終わるのか心配になるほどでした。現在計画されている神父様のミッションが神様のご意向にそって実現されますようにお祈りしております。
お話の後、暑い日ではありましたが、お祝いの席においでいただき、多くの人のお祝いを受け、また多くの人と親しくお話を続けられ、ついつい遅くまで神父様を引っ張りまわすことになってしまいました。
このお祝いの席を準備するにあたり、神父様の出身地区である六会地区や、北1ブロックの皆さん、神父様を知る多くの皆さんから「佐藤神父様のお祝いだから是非これを手伝わせて」と多くのお申し出をいただき、改めて「神に感謝」。また前日、当日にわたり設営、食べ物などの準備にあたってくださった多くの人たちに感謝しております。
そしてこのパワーを結集させてくれたのは佐藤神父様。改めて今後のご活躍をお祈りしております。
祝叙階 佐藤神父に記念樹
鵠沼3区 平野 勝
私たちの教会の庭は、ひかり・みどり・祈りが溢れています。そこには、想いを新たにするよすがとして記念樹も植えてあります。 韓国の国華ムクゲ2本は李神父様の叙階と来日記念、ナマステの木フヨウは米谷和江様の比島、ネパール宣教記念。リラは山口神父様の叙階記念。
今秋、新たにサルスベリを、祈りの庭の小径の左側に植えました。 サレジオ修道会司祭、佐藤直樹神父様の叙階記念です。これから新司祭が歩く人の世の道程は、「歪んで堅くて細くて滑り易い。でもまっすぐに登れ我等の直樹」との激励もこめて、寄贈者はT・O様、温かくも亦、心にくきかな!
母に付き添って敬老会に出席して
鵠沼1区 川辺千佳子
「まあ、ようこそおいで下さいました」係の方々の優しい声があちこちで聞こえています。「まあ、お久しぶり、お元気そうで嬉しい」「そう、おみ足が思うようになりませんの、実は私も」等々、もうステキな場面が一杯の映画シーンを見ているようです。心配りのあふれる中で個人写真を撮り、ゆったりとミサに与かる。本当に静かでやわらかな何ともいえずいいのです。誠に「静か」のお手本のような時の流れ、ホスチアもぶどう酒の香りを添えてゆったりと。ホールに入り京風弁当を囲んでしばし歓談を楽しみ、司会の方によりハンドベルの美しく可愛いい音にうっとり。フルート演奏に続いて、赤い小さなアコーディオン、懐かしい音で手の動きも軽やかでした。次々と曲が流れて皆様も口づさんでおいででした。 詩の朗読も重みのあるもので、着物姿もあでやかに地唄舞いも凛として美しゅうございました。お手伝い下さいました皆様ゆったりと暖かな会、本当に楽しい一時でした。練習準備、後片付け、そして何よりやさしい心とお祈りをありがとうございました。イエズス様も“小さな木の実、赤とんぼ、思い出、ふるさと”皆様と一緒に唄ってくださったと思います。今回おいでになれなかった貴方様、このニュースを読んでおられましたら、どうぞ次回はおいで下さい。 お目にかかれますのを楽しみにしております。それまでお健やかで。
祈り
梅田 文一
昔は人生僅か50年と言われておりました。それを想うと今私達はその5割、7割、8割増しのお恵みの命を頂いております。
本当に神様、有り難うの思いが湧いて参ります。楽しい心で歳をとり、失望しそうな時は希望し人々の「お年寄りを大切に」の親切を素直に頂き、謙虚に柔和な気持ちでおりたいと思います。
神様は私達に出来る一番な事を下さいます。手を合わせれば合掌できます。それは祈りだと思います。
神様に感謝とお恵みを頂くために。
壮年部黙想会
長後地区 米谷 三郎
壮年部第1回の黙想会、9月13日(日)に、ご指導をプラチド・イバニエス神父様にお願いして、イエズス会鎌倉黙想の家で行われました。当日は晴天に恵まれ、緑豊かな家で静かな1日を過ごすことができました。
テーマも、壮年部らしいもので「信仰」と「生活」との一致とのことで、「聖霊のたまもの」といたしました。
当日の参加者は20名で、午前、午後の2回の神父様の力強い講話、主日ミサ、そしてコーヒーブレイクといったものであり、特にミサ中、共同祈願にはできるだけ多く参加して祈るという形をとれたことが、素晴しいことだったと思われました。そして黙想の中で、心を打ったのは「豊かに与えられている聖霊は常にお働きになっておられること、そしてそのお働きに、自分のすべてをゆだねきらせていただけるためにもっともっと、真剣に祈らせていただくことから始めることでありました。
『黙想会に参加して』
藤沢2区 兼子 盾夫
9月13日(日)10時〜16時、壮年部プラス1名、計20名はイバニエス師の指導の下にイエズス会黙想の家(十二所)で「聖霊のたまもの」についての黙想を行った。世俗の喧騒を離れ、晴天の下、良き師、同輩とともに参加者全員が聖霊の働きに助けられ、霊的な体験を深め得た貴重な一日であった。午前、午後計2回の講話、午後の主日のミサ、昼食、最後にコーヒーブレイク(わかちあい)。皆さんにもこの貴重な体験の喜びを紙面を借りてお裾分けしたく、以下に講話中のエッセンスを抜粋します。
◆日本の教会は今、何が問われているか。個人の信仰体験が不足しているのではないか。毎日曜のミサに与るだけでは現状維持に過ぎない。日本の教会は組織として立派だが、個々の信者の確固たる信仰(重み)が不足している。日本人は真の意味での信仰告白をしていない。福音に描かれたイエスに対し祈ることは比較的容易だが、聖霊に対して「聖霊、来て下さい」と祈ることは難しい。しかし霊の働きは人間の人格まで変える。そういう意味で今日は「神様、霊による識別の恵み(賜物)を下さい。またそれに答えることが出来る力を下さい」と祈り、黙想します。
◆第1の引用「ガラテア人への手紙5ー16〜26」肉の業のリスト19〜21と霊の結実のリスト22〜23の対比。
◆第2の引用「1コリント、3−1〜2」「霊の人」「肉の人」の対比、霊の働きと肉の働きを見分ける霊的識別力。物事をキリスト者として見分ける力(神秘、信仰の力)を持つ必要。
◆第3の引用「ヘブライ人への手紙5ー11〜14」赤子(荒井・佐藤監修、新約聖書V岩波、P.97参照。幼子より誤解が少ない?)は乳しか与えられないが、成熟した人々は固い食物が与えられる。本当の啓示の体験。年齢も学歴も関係ない識別する力こそ必要。
◆家族の対比的な例:師の故郷セビリアには小学校も終えていない母上とセビリア大医学部で癌の専門家である弟君がおられる。弟君は世間的に名声を欲しいままにする医学界の権威だが、知らず知らずのうちに他人をモノとして見るようになった。他方、母上は無学だが、常に他人の幸せを考え、他人を中心にする人。母上は自由な心、未来に向かっていつも歩んで行く態度を持ち、他人を励ます存在で、霊の働きに満たされている。この2人を第3の引用でたとえれば、母上は成熟した人、弟君は赤子であろう。
「湘南台センターの4周年記念集会」
北1 岡村 正、孝子
それは、テハン神父司式のミサではじまりました。
「米谷和江さんの話は、まわりに住む人々の中に入って行く教会活動のステーションの記念集会にふさわしい話だったね」
「そうね、生身の人からの生の声で話を聞いた感じ。そこに住む人と一緒に暮らしながら出来ることをみつけて行くという実践の体験に感動したの」
「何が出来るのか、相手の話を聞くなかで見つけるというのがよかったね。それも決してあせらずゆっくりと日常生活の話題からはじめて、何が相手に必要なのか聞き出す」
「初めのフィリピンでは、そこの言葉が全くわからず、一つ一つ出会う物の名前から覚えてゆくなかで相手は、自分の父や母が目の前で日本人に殺されたと訴える、和江さんはそれに応える言葉もわからずただ聴くだけ、それでも相手は思いのたけを全部吐き出した後、笑顔を見せて赦し彼女を抱きかかえてくれたという新しい結びつきの生まれる話に感動したわ」
「どうする事も出来ずただそこに座って話を聴いているだけで、皆に必要とされ、受け入れられて行くとわかったという、実に深い体験だね」
「フィリッピンでの研修を終えて、ネパールの山の中の村に病気の予防という仕事を目的に入って行ったけれど、いきなり死にそうな命を助けてくれというそこの人たちの厳しい現実にぶつかったのね。 薬学を学んだ彼女に出来ないことをするため若いネパール人の看護婦を雇った。その人はヒンズー教徒でしかもかなり上のカーストであり宗教も生き方考え方も全く違う人だったけれど、和江さんの活き活きと人々と交わる楽しそうな姿に、どうしてそう出来るのか不思議がったと言うのね」
「ヒンズー教では、自分よりカーストの低い人たちに触れたり、その食べ物を食べたりすると穢れると信じているから、その若い看護婦はそこでの仕事を嫌がっていたのだね」
「和江さんの生き方に触れて抱いた疑問からはじまって、カトリックのことを知りたくなって聖書を読み始め和江さんに質問するなど友達になって行く話には胸を打たれたわ」
「食肉の話で、ヒンズー教では牛は神様だから食べないが水牛は食べると聞いて、牛にもカーストがあるのかなと思った。しかし、生まれで貴賤が決まるというカーストは、一体誰のためにあるのだろう。よいことを選び、よくないことを避けるという価値観は私たちにもあり、カーストは私たちに全然関係ないことではないわね」
「一番つらかった事は?と訊かれて、フィリッピンでのホームスティで味わった虫刺されの痒さ!物凄く痒いときには寒気がするんですと語る彼女に生身の人間を感じたし、また、戦時中の日本人の罪を聴かされて、私にとって初めての戦争体験でしたという話に、からだで受け止めたそのつらさが伝わって来ました」
「現地に立って現地の人に聴くのと、そこに行かないで話を聞くのとの大きな違いだろうね。からだに感じると言えば、食べるために飼っている鶏を殺して食肉にする作業をしてはじめて自分に命を与えた鶏をありがたいと思ったと聞いて、いのちを大切にするのは直接いのちに触れる体験なしにはあり得ないのだと思ったよ」
「そして、私のいる何処にでも神様はいて、力を添えて下さったと語り、フィリッピンで歌った歌を歌い、ネパールの衣装サリーを身につけて舞う和江さんの姿は、深い信仰を感じさせるとても美しい一人のたおやかな女性として見とれてしまったわ」
「たおやかなとは、まさにいのちのはたらきで、和江さんはきっと、いのちといのちの交わりを充分に生きているのだよ」
「こういう若い方が働いていてくださるということが、年取ったわたしたちの生きる力にもなると痛感しました」
「バリアフリーの教会をめざして」を聞いて感じたこと
六会 川田三保子
ようやく秋めいて来た9月6日の主日のミサのあと、カ障連渉外担当委員長である唐木邦子さんのお話を聞くことができました。
よく準備され、よく整理されたお話とプリント類、そして3年前に社会司教委員会から出された「障害の重荷をともに担える日をめざして」という小冊子を参考資料として一頁一頁味わいながら、今回出席してよかった、恵みのときだったと強く深く実感している。 バリアフリーというのは「障害となる壁がない」という意味だから、私たちの集う教会が障害者にとって、あるいはすべての人々にとって、何の支障もなく生き生きと喜びをもって自由に参加できる教会共同体であることが基本なのだと思う。
お話によると、物理的バリア、理解のバリア、心のバリアがあり、それぞれが深く関連し合っていて、障害を持つ人や家族にとって生きていく上で重荷になっているとのことである。思いあたることが多々ある。
また、一口に障害といっても、視聴覚、肢体、精神、知的、内部等々あるし、重度のもの軽度のもの、年齢や経験、家族の問題など考え合わせると多種多様であり、大変複雑であると思う。
私は洗礼の恵みを受けて18年になるが、神さまは不思議なことにいつも私の前に心病む方々を友達として紹介してくださった。今は点に召された懐かしい方もあるが、深い共感と祈りをもって精一杯生きてこられたことは何よりも大きな喜びである。
隣人がどんな痛みに耐えているのか、何を訴えたいのか感じられる人に変えられたいと願うとともに、何十年も福祉に関わっている方々、また高齢社会の諸問題も含め、祈りつつ新しい計画を進めている方々の上に、主の霊が豊かに働かれますように。
普通救命講習会
里原 廣光
壮年部世話人会で教会における防災訓練や人命救助に関することが話題になり、大地震発生に備えた防災訓練やミサの最中に急病人が発生した際の対応について意見が交わされました。まずは、急病人が発生した際にいつでも応急手当ができる体制をつくっていくことが必要であるということになり、8月22日に藤沢南消防署で行われた普通救命講習会に壮年部から8名ほどが参加しました。
講習会は前半が講話とビデオ上映、後半が実技講習の内容でした。 藤沢市の場合、9年度の消防車出動件数が1万2千6百件で、その半数以上が心筋梗塞、脳卒中、心臓病等の急病だそうです。救急車が、119番通報を受けてから現場に到着するまでの全国の平均時間は5〜6分だそうです。脳が酸素なしで生きていられるのはわずか3〜4分であり、人工呼吸や心肺蘇生法を早くすればするほど蘇生する割合が高くなり、逆に遅ければ遅いほど死亡する割合が高くなるとのことです。 実技講習で人工呼吸や心肺蘇生法について説明を受けた後に、一人ずつ蘇生人形による実技講習を行いました。 いざ自分の番になって始めてみると頭で思っているようには手が動いてくれず、実際の場ではどうなるものかと思いました。
人が路上で倒れていても、「自分には関係ない、関わり合うのは面倒だ、誰かがやってくれるだろう、どう対応していいのか分からない、はずかしい・・・」との理由で多くの人がその場を見過ごしてしまう。私もまだそのような中の一人であります。今回の講習で聞いた「救急車が来るまでの重要な3〜4分、その間に応急手当を行う人こそ、その場に居合わせた『あなた』なのです」ということばが心に残っています。
「隣人を愛せよ」というキリストの教えに従い、「心肺蘇生法、それはあなたとあなたの愛する家族や隣人をつなぐ懸け橋なのである」ということを言葉だけで終わらせずに、勇気をもって実行できるようになりたいと思っています。
救命講習会に参加して
鵠沼1区 八子 俊吉
「1、2、3、4、5」「「脈なし」「心臓マッサージ開始」8月22日の午後、藤沢南消防署の講堂で壮年部を中心に7名が救命講習会を受けてきました。消防署員の熱心な指導の下、心肺蘇生法を中心に3時間の講習でした。
災害はいつやってくるか分かりません。また家庭においても病気や事故は突然にやって来ます。心臓や呼吸が止まった時、大切なのは最初の5分間です。この5分間で適切な処置ができれば大切な命が救えるのです。これは講習を受けて学んだことでした。この講習を受けて本当に良かったと思いました。自分のためにも、また人のためにもたくさんの人がこの講習を学んでほしいと思いました。
ネパールで不思議な旅
丸茂 啓介
去る8月21日から9月2日まで、僕は信徒宣教者会(JLMN)のスタディーツアーに参加し、ネパールの山奥のオクレ村まで行ってきた。出発前に僕は日本でやるべき仕事が大量に残っていたが、西部劇の荒くれ者のように「どうでもいいぜ」という捨てぜりふでそれらを一蹴した。
インドと中国に挟まれたこのネパールという国は海抜40メートルの低地から8000メートル級な山々まである、ちょうど「スニッカーズ」のような形をした国だ。オクレ村はネパール東部にある標高2400メートルほどの村で、村人はトウモロコシを育てたり、水牛を飼育したり、お酒を飲んだりして暮らしている。一行が村に着いた夜も、僕のホームスティ先のラムカジ家は宴会をして歓迎してくれた。それでも彼らのアイドル「カヂュエ(米谷さん)」がツアーに病人が出たため村に来れないことを知ると、一同はそれはそれは悲しそうな顔になった。
この文明とは縁のない村(電気はなく、電話するにも2時間歩かねければならない)は非常に貧しい。だが人々は(ここに書ききれないが)生命力にあふれ、たくましかった。僕もまた、村から、眼下に広がる雲を見て、生きていることを実感したのだった。
日本に帰ってきても、仕事の量はまったく減っていなかった。ラムカジ家のダルバート(豆スープとご飯)をまた食べたいと思うまでにそれほど時間はかからなかった。
1.外国人コミュニティとの共同について
今回のバザーの趣旨として、外国人コミュニティとの協働を重視しております。
委員として、ベトナムのボーさん、ラティノスのリディアさん、山口さんに参加いただいているほか、出店にもベトナム、ラティノス、フィリピン、韓国の方々から参加の申し出をいただいております。今回はバザーのパンフレットも、ボー、リディア両委員、川辺事務局長のご協力により、ベトナム語、スペイン語、英語の各版を作成し、各コミュニティを通して配布しております。
2.バザー賛助券の配布について
例年通りの形式にて、8月31日より婦人部連絡委員のご協力により、配布しております。
外国人コミュニティについては、負担軽減のため各コミュニティ責任者が各コミュニティのミサの際に、事務局から賛助券を借り出し、その都度賛助金を事務局宛納付することとしております。
3.売場責任者について
8月16日より、婦人部関係の売場のお手伝い募集を開始し、婦人部長の呼びかけもあって、多数の申し出をいただくことができました。その方々の内から、婦人部長のご推薦をいただいて、売り場責任者を依頼し、全ての責任者を決定致しました。
4.壮年部関係準備について
9月13日の壮年部世話人会にて、屋台、警備、ごみ等の責任者及び準備日程を調整頂きました。9月19日寄付品整理用棚を設置し、10月17日に衣類用ハンガーを設置のこととしております。
5.寄付品受付について
20日より、寄付品を受付致します。整理については遺漏なきよう、関係各位と協議致します。
その他、お気づきの点、至らぬ点がありましたら、何なりとバザー委員会宛お申しつけ願います。
2(金)初金ミサ例会 午前9時30分
4(日)入門式 午前9時30分
5(月)12(月)19(月)26(月)エルダーズ・26日は食事会
7(土)短期セミナー(平塚)午後2時
17(土)ケアセミナー 午前10時
25(日)教会バザー・ミサ午前8時
28(水)聖シモンと聖ユダの祝日
31(土)湘南台センターバザー
◆八角形にゅーす11月号の原稿締め切りは10月19日です。
◆教会報クリスマス特集号の原稿締め切りは11月8日です。
ク リスマス特集号のテーマ 「御父の所へ歩もう」 今年のクリスマス特集号のテーマは「御父の所へ歩もう」と決まりました。大聖年を迎えるに当たって、教皇は三位一体の父と子と聖霊をもってその準備をするように勧めております。その第一年はキリストでした。今年は聖霊で、来年は御父となっております。私どもは教皇の意向を受けとめて、御父の所へ歩むこと出来るように祈りましょう。 そこで信徒のみなさまに、特集号の原稿を募集いたしますので、11月8日までに広報担当までお寄せください。 |
大聖年に向けての黙想会 指導者 Sr. ブリージ・マッケナ、Fr. ケヴン・スカロン 主の降誕2千年を迎えるために聖霊に捧げられた素晴らしい今年は、藤沢教会にとっては、聖コロンバン会宣教50周年にも当たり、主の慈しみと恵み溢れる年になりました。良い知らせは嬉しいものですね! 黙想会テーマ 【イエスの慈しみは聖霊と共に】 会場:カトリック藤沢教会 日時:11月8日(日)受付12時より、13:00 〜18:00 ミサ聖祭・二人の講話 参加費:1000円 高校生以上 お二人の紹介 シスターブリージ・マッケナ(聖クララ会)
ケヴン・スカロン神父(聖ヴィンセンチオ会)
主催 Sr. :Fr. による黙想会実行委員会 カトリックファミリーセンター TEL 092-541-6207 FAX 092-552-5022 |