八 角 形 に ゅ ー す
1998年12月6日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
ミサのあずかり方(その4)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・M・ハンラティ神父
湘南台連合会祭りに参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・湘南台センター・スタッフ
「葬儀」の典礼研修会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 浅野洋子
「大聖年に向けての黙想会」に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂3区 鈴木和子
一本の電話から・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・湘南台地区 野中陽子
「七五三祝福式」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六会地区 山野厚子
七五三の祝福式に出席して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六会地区 平野めぐみ
盛会の壮年部・秋の日帰り懇親旅行!・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 小野清司
箱根への旅・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼2区 石川千恵
救急の会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼2区 米山リディア
横浜司教館建設資金のためのご寄付のお願い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・教会委員会
ミサのあずかり方 (その4)
M・ハンラティ神父
ミサの問に起こった心の中の変化を回想する事
先の三回に於いて、よりよくミサにあずかる為に私が発見した三つの助けについて述べました。第一の助けは、ミサ前の数分間に”受けなさい”の言葉を繰り返すことでした。それによって心が開かれ、”私の所にいらっしゃい。もっとよくなるように変えてあげたい”と招いて下さる神様の声が聴けるようになります。
第二の助けは、イエスの心の動きに段々に良く気が付いていくことでした。これは聖書の中でイエスに出会うことによって、学んでいくことが出来ます。第三の助けは、ミサの中の言葉が私の心を動かし、気持ちを深め、態度を変えてくれる、そのままに私の心を任せることでした。
今回述べる第四の助けは、ミサ中に私の心の中に起こったことを、後で回想することです。
私はミサ後の数分間、少なくとも3、4分を使います。ミサ後出来るだけ早くする程、効果的で実りも豊かだと気付いています。
先回述べましたように、ミサ中に新しい気持が起こったり、突然ひらめいたり、心を打たれても、ミサは進んでしまい一瞬の閃光のようなものを、深く心に沈ませることが出来ません。第四の助けは、これらに時間を与え、消えてしまわないように私の内にしっかりしみ込ませ、確かなものとする為です。
回想の仕方は次のようです。先ずミサの間に起こったことに気が付けるように心を開いておきます。そして、私はミサの問に何を戴きましたか?私の内に何か変化を感じますか?私の心を打った言葉とか動作がありましたか?しばしゆっくり思い巡らせたいところがありますか?と振り返ります。
この時に、ミサ後の自分の気持がミサ前とどんなに違うかに気付くかも知れません。その例を私の体験から話しましょう。一日中忙しかったある暑い夏の日曜日の夜でした。疲れていて、ミサはなくてよいのにと不承不承ミサに向かったのです。ミサ後の回想で自分自身を見つめた時に、今はもう元気で、熱心で、幸せな気持になっていると、突然気が付きました。またある時は、心は開かれていて神様が私を通して働いてくださるようにと希望に満ちてミサに出かけたのに、ミサが始まってみると、自分は空っぽで不安を抱えていて、心も閉ざされていると分かった時がありました。その時もミサの間にイエスを体験したことによって変えられたと、回想の時に気が付きました。
時々この短い回想の間に、ちょっと留まって思い巡らせたかった所を思い出すかも知れません。今はそこに戻って、そこで時を過ごす時です。最近の聖体拝領の時のことを思い出します。イエスが突然に”今日一日、人々を通しても私を体験できると思い出してください“と静かにおっしゃっているように思えました。それ以前にしばしば自分でそのように言っていたにもかかわらず、その時初めて習ったかのようでした。回想の中でここに戻った時に、このことを一日中忘れないでいたい!という強い望みが私の中にあると気付きました。それで私はこのことを一日中覚えていて、そのように行うことが出来るようイエスに祈りました。そうしたらさらなる悟りに心を打たれました。”他の人達は私を通して神を体験することが出来る”その日は一日中誰かとこれらのすべてを分かちあうよう導かれました。その結果ある人が自分の体験を私に分かちあってくださり、それはまた私の体験を深めたのです。
ミサの中で戴いたことが夜の”よかったことの祈り”の中で、よかったこととして飛び出してくることも時々あります。
例えば、ミサを終わって何を戴いたかと回想しながら出て来た時に、すごい忍耐を必要とする状況に出会いました。その時思いもかけない大きな忍耐が私の内で働いていると気付いて、私自身が驚いてしまいました。その夜”ミサの中で戴いたイエスの力が私の内で働かれたのだ。私は自分をはずして素直になっていて、イエスに働いて頂けたのだ”と分かりました。
このように第四の助けは日常生活に及ぼすミサの影響を増幅します。一日中それに繋がっていて、無意識の内に次のミサにあずかる準備となっています。
勿論、私がずっと書いてきたことは、ミサについて言われるべきことのほんの少しです。でも少なくともその核心に触れています。とても深いレベルではないかも知れません。それは私がまだそこまで到達していないからです。またミサの歴史は大変重要なことなのですが、今回は書けませんでした。今回は次のような大きな質問に的を絞りました。日常生活の中でミサは私に何をしてくれるのか?私の生活の中でどのようにしてすべての兄弟姉妹達と結びつけてくれるのか?どのようにして皆一緒に父なる神に賛美と感謝を捧げるよう、私達を導いてくれるのか?
4回に渡って私が書いて来たことで皆様が励まされて、ミサが自分にとってどんな意味をもっているのか、各々自分の考えや体験をまとめてもっとはっきり認識してほしいのです。ミサはあなたにどんな影響を与えていますか?ミサはあなたに何をしてくれますか?あなたが考えられることが余りに少ないと、初めの内はがっかりするかも知れません。でももしミサの中で起こったことを回想する習慣を始めたら、それが大きな助けになると気付くでしょう。私が書いてきたことの多くは、この実践のお蔭なのです。もし私の分かちあいを聴いて”少ししか分からない”と感じるのでしたら、私は50年以上ほとんど毎日ミサにあずかっている上に、研究と黙想と回想も重ねているのだからと思い出してください。(あなたも体験を重ねて、今度は私があなたの分かちあいを読ませて戴ける日が楽しみです)
実は私は、ミサによってまだ少ししか自分を変えさせて戴いていないと残念に思っています。例えば私は最近、ミサの中で敵の為に祈ることが少ないと気付いています。敵とは私を傷つける人達だけでなく、私が避けたり恐れたり批判したり裁いたりしてまう人達です。この祈りはイエスの心の中心にあり、常に私のミサの大切な部分であるべきものです。私がこれらの人々のことを思い出すのはたまにだけで、特に聖体拝領の前の平和と和睦と一致の祈りの中でです。この怠慢に気が付くようになって、私はまだキリスト者の旅路のほんの初歩だとはっきり自覚しました。
10年後にこのような記事をまた書けたら、もっとずっと深くてよいものが書けるでしょうと楽しみです。何故なら私達は日々の暮らしの中で、ミサを理解し感謝し、ミサを生きて絶え間なく成長していくはずだからです。イエスはミサを通して私達が個人としてもグループとしても、もっともっと意識して彼と共に生き、共に行うよう私達を導いてくださっています。ミサはとてつもなく大きな助けなのです。
1.静思のひととき
11月20日に帰天された李神父様のお父さんヤコボ李圭哲氏の冥福を祈った
2.バザー委員会より報告
バザー実行委員長より全般についての報告がなされた。資料として「引き継ぎ書」「会議記録」が資料として配布された。
3.バザーの今後のあり方について
今後のバザー開催については、アンケート等によって、再検討する必要がせまられているのではないか。確かに収益金の福祉方面への配分等で、外部からも期待されていることも事実であり、またバザー開催によって、信徒同志の絆も生まれているが、同時に負担も大きい。バザーは信徒が自主的に開催しているのであるが、実際には各ブロックの持ち回りで開催しており、再考を要するのではないかという意見も出された。またガーデンパーティについても、子供たちのサマーキャンプについても時代のニーズに答えていないのではないかという意見も出された。
なお、アンケート作成は、バザーにいろいろ関わられてきた方、広報担当者、今回のバザー委員長(岡田氏)に壮年部長(篠沢氏)・婦人部長(八木氏)で次回委員会までに作成することになった。
4.「債務帳消し国際キャンペーン」の署名の件
「21世紀地上のすべての人々が人間らしく生きることができるように、最貧国の累積債務を帳消しにしよう」という国際キャンペーンで、ヨハネ・パウロ二世教皇も呼びかけられ、カトリック中央協議会からの署名の依頼が来ている。これは今までの社会のルールを変える問題でもあり、出来れば、これについての説明会を開催して信徒及び外部の人々になぜ教会がこの問題に積極的に取り組んでいるかについての理解が得られる方法を検討することになった。
5.司教館建設のための協力について
司教館建設趣意書には「横浜教区では、現在の司教館の老朽化に伴い、昨年から、その建て替えに向けて準備を進めています。・・・次期教区長は未定です。しかし、教区としての司教館建設の必要性に変わりはありません。」として、教区管理者の木村義男神父からメッセージが届けられております。募金目標額は2億5千万円となっており、信徒一人当たり5千円を目安にされております。当教会では2千万円を目標に募金することになり、方法については近日お知らせすることになった。
6.クリスマス行事の予定と担当の確認
7.その他
+主の平和
葉の色が赤や黄色に染まり初め、肌寒い秋の気配を感じるこの頃となってさましたがいかがお過ごしでしょうか。時の流れははやいもので9月5日に司祭叙階の恵みを受けてから2ヶ月が既に経ちました。「自分は神父になったんだ」という実感は、まだまだ板についてはいないものの、ミサを司式し秘跡に参与するときには常に自分がキリストの祭司職に奉仕する司祭なのだという自覚を新たにしています。
この度は私の司祭叙階式に参加くださり、また多大な勅ましや多額のご祝儀を戴き本当にありがとうございました。司祭叙階式には教会内に溢れるほどの人々が私の叙階式に参列したのを目の当たりにし、多くの方々のみならず、当の本人すらも驚きの色を隠すことが出来ませんでした。それを見た時に、私は今まで多くの人々との出会いを通じて、どれだけその人々から支えられ、励まされ、そして愛されてきたかをしみじみと感じ入りました。私がこの司祭職にあずかることが出来たのはひとえに皆様の陰日向の温かい支えと、神の大いなる恵みの賜物によるものと痛感しています。
この2ヶ月の間、私は日本のあちらこちらで「初ミサ巡業」をしてきましたが、そこでも訪問する全ての土地でたくさんの人々からの歓迎、歓待を受けました。その時にも人々との出会いを通して、また人々の将来のカトリック司祭に対する思いや希望を拝聴し、これからの司祭の在り方、司祭職の持つ責任と任務への奉仕の重要性をとことん認識させられました。「よろこび」誌にも書きましたが、私が戴いたこの尊い召命は決して私一個人では果たせるものではありません。それだけに皆様の温かい勧まし、支え、そして祈りがこれからも必要です。どうか今後も私の司祭職がその死に至るまで全うされますように支え、励まし、そして祈って下さいますようよろしくお願いいたします。
11月2日に再度、フィリピンに渡り3月の初めまで現地で生活します。これも、もう一度、フィリピンでの大いなる司牧に基づく経験や見聞、そして人々との出会いや現地の生活状況、そして異国の文化を通じて私自身の人間性、信仰、そして司祭職の在り方をみつめ、深めるためです。それと同時に「初ミサ巡業」中に私は日本にいる多くのフィリピン人と出会い、彼らの日本に於ける経済状況、社会的な困窮状況にも触れる機会に恵まれました。この残り4ヶ月あまりのフィリピン滞在を通じて、より英語を学び、彼らの文化や慣習、心情を理解することによって、来年3月、日本に帰国後、単に日本の教会の為、日本人信徒、そして一般の日本人だけの為に奉仕すろ司祭ではなく、日本にいる蔑まれた状況に置かれた多くのフィリピン人達の為にも何か手伝うことが出来たらと希望しています。現在七ヵ国籍、64人のアジア人と生活している中でアジアの国々との連帯、アジア共同体と共に歩む日本を心底実感している今日にあって、将来、私自身こうした日本にいる多くのアジア人と共に歩む日本人、そして日本の教会の一員となっていくことを切に希望しています。
未熟な者ではありますがこれからも叱咤激励、皆様からの温かいご指導を賜りますよう末永くよろしくお願いします。
敬具
1998年10月26日
湘南台連合会祭りに参加して
湘南台センター スタッフ
センターは、この9月、湘南台商店会会長より「ふじさわ商業まつり」に、参加の要請を頂き、10月31日、湘南台公園で開催されました「ふじさわ商業まつり」湘南台連合会にバザーで参加をいたしました。
当日は素晴らしい秋晴。早朝から壮年部の皆様が、テントや、藤沢教会でのバザー品の中からお分け頂いた衣類などを公園に搬入、テント組み立て、と大活躍してくださり、11時に集合してくださった婦人部の皆様の手際の良い働きで、アッと言う間にバザーの準備が整いました。バザーは12時からの開催を待ちかねて、お客様の行列が出来る程の大盛況で、早々と品薄の状態になりました。駆けつけてくださったバーガー神父様とご一緒に4時頃には後片付け。
教会のバザー1週間後の今回のバザーと言う大変さにもかかわりませず、「バザーで働く事が楽しいのよ」と快くご協力下さいました皆様に、心から感謝を申し上げます。そしてこの9月、開所4年目を迎えましたセンターが、地域の方々からお声を掛けて頂ける程に育っておりますことを、常に祈りと共に支えて下さる教会の皆様と共に喜びたいと思います。
バザーの無事終了をご報告し、お礼とさせていただきます。
「葬儀」の典礼研修会に参加して
辻堂2区 浅野洋子
葬儀の典礼の中心は復活です。
キリストと共に神のうちに生きる、永遠のいのちへの希望のメッセージです。
10月31日、センターホールに、カンペンハウド神父様をお迎えしました。
教区典礼研修会での宣伝と皆の関心の探さもあってでしょうか、横須賀大津、港南、中和田、雪の下、二宮、茅ヶ崎など近隣教会の方々と二つの葬儀屋さんの参加もありました。
神父様は、葬儀全体の司牧ティームについてのお話からはじめられました。
遺族との関わりを持つ、バストラル・ティームはどうなっていますか?
遺族と共に祈る、亡くなられた方の側に必要な物(小さなテーブル・ローソク・十字架・手にロザリオ)を用意してあげる、亡くなられた方のことを聴いてあげる、葬儀に関して一緒に考えてあげることのできる人が必要ではないかと。
また、式の前の遺族と教会との関わりはどうなっていますか?
20年も30年も教会から遠ざかっていた方、臨終洗礼の方、自殺の場合また洗礼を受けていない人の場合などは特別な配慮が必要ですと、周囲からのサポートに対する問い掛けから中心的な典礼の話に入っていきました。
病者の塗油の秘跡について
亡くなる前に一度だけ受けることのできた終油の秘跡は、バチカン公会議の後、病者の塗油の秘跡と変わったのですから、病気を癒す為に、耐え忍ぶ力が与えられるように、最後まで待たないで受けましょう。
最後の聖体拝領について
ミサはイエスの死と復活の記念です。地上から父のもとに移って行くその過越の為にそして、亡くなられた方をキリストの過越にもっていく為に、聖体拝領を受けることは大切な準備です。望むならば、何年教会に来ていなくても聖体拝領を受けることができます。病者のところでのミサは、両形食が勧められているが、パンの形で聖体拝領が出来ない状態ならば、御血をを受けることが勧められています。
お通夜
本来は、遺族と本当に親しい人達が故人を忍び、最後の夜を自宅で共にする私的な集いだが、社会状況の変化によりそうもいかなくなっているでしょう。教会でする場合、近所の方々の手伝う場がないのではないでしょうか。
葬 儀
葬儀の典礼の中心は復活です。
キリストと共に神のうちに生きる、永遠の命への希望のメッセージです。
教会の葬儀は質素でなければならないのです。
柩はキリストの祭壇の一番近くに置きましょう。私たちにとって、祭壇はキリストの祭壇以外はありえないので、祭壇を隠すほどの飾りはいらないし、祭壇が多くの花に埋もれてしまうことのないようにしましょう。また、ミサが見えない程の大きな写真もいらないでしょう。
葬儀の中で、聖歌はとても大切です。悲しみの時にも平和を感じることができるから。聖歌は祈りです。途中で終わりにしないで、最後の節まで静かに歌いましょう。
20年、30年ぶりに教会に来た人にとっても歌を一緒に歌うことは、教会に戻るチャンスになるかもしれません。聖書は遺族に読んででいただく方が良いでしょう。
そして、いくつかの考えるヒントを出されました。
この後、質疑応答と、川辺さんの提案で、各教会の現状が報告されました。
Q.臨終洗礼について、意識の無い場合も洗礼になるのか?
A.家族が信者の場合は、意識のある間に神の慈しみなどの話をし、洗礼を勧められたらどうでしょう。
Q.教会へのお礼はいくらくらいしたらいいのか?
A.目安は0〜40万位でしょうが、これは教会に相談したらいいでしょう。
その他に、お手伝いの心構えや将来の司祭不足の時を考える必要があることなどでした。
現状報告の中には、葬儀のマニアルができていてパストラル・ティームがいる大津教会や、葬儀屋さんには、だれの葬儀の場合でも30万円の祭壇の飾りを作っていただきそれ以外は遠慮してもらっていますという二宮教会、葬儀の窓口担当者のいる雪の下教会などでした。そして、どの教会もボランティアの支えで行われていました。
カンペンハウド神父様は、お忙しいご予定の中、ギリギリの時間まで共に居て下さいましたし、鵠沼ブロックの方々が、受付その他全てのお世話をして下さいました。
今この原稿を書きながら藤沢教会では、司祭、シスター、事務所の皆様そして、ケア・セミナーが細やかな心遣いでパスラル・ケアーをして下さっていることを、改めてありがたいと感じています。
「大聖年に向けての黙想会」に参加して
辻堂3区 鈴木和子
11月8日の当日はお天気も良く、参加者は全国から続々と集まって、定刻前にはこのお聖堂も一杯になりました。
先ずケヴァン・スカロン神父様のお話。ナイジェリアの奥地の教会へ行った時のこと。車で20時間、カヌーを6回も乗りつぐような奥地だそうですが、そこにもカトリックの教えは引き継がれており、聖マリアを崇敬する乙女達の一団が白い服と空色の帽子といういでたちで神父様を迎えたそうです。
20分の休憩があってから、ごミサが捧げられました。
つづいてシスター・ブリージ・マッケナのお話とお祈り。力強いお祈りは一人一人の暮らしに恵みと癒しをもたらしてくださると感じました。どんなことでも、イエスに直接お願いしなさい。とおっしゃいました。盲人がイエスに「主よ、見えるようにしていただきたいのです」と言ったようにです。(ルカ18章の41節)
スカロン神父様が御聖体を捧げ持って皆の間を巡って来られた時、私も御聖体を仰いでお願いを一つしました。
暗くなり始めた6時、黙想会は終わりました。シスターの著書にサインを求める人々の列ができていました。私は間に歌った聖歌がどれもこれも皆美しかったので、初めて集まった人達なのになぜこのように美しくうたえるのだろうか、天使たちも混ざっていたのだろうかなど思ってしまいました。何人かの遠くから来た人が私に感動を話してくれました。郡山、宮崎、名古屋から来た人達です。
この黙想会のテーマ「イエスの慈しみは聖霊と共に」のように、主の慈しみが雲のようにこの聖堂を覆った1日だったと思います。
一本の電話から
湘南台 野中陽子
「シスターブリージ? 一体何があるの?」11月3日の夜、福島に住む旧友からの突然の電話に、私は思わず訊い返した。よく聞けば8日に藤沢教会で、Sr.ブリージ・マッケナとFr.ケヴン・スカロンによる黙想会があるので、彼女はわざわざ福島から出かけて来るというのだ。私は二人の聖職者の名前すら知らず、最近は教会報も読んでいなかった。
今年の2月以来、私は所属の藤沢教会に足を遠くしていた。とてもイヤなことがあって、一時は体調まで崩し、ミサに与かることさえ気が重かったが、夏も過ぎ、秋風と共に心の傷も少しずついやされて、最近ようやく素直な気持ちで聖堂に入れるようになった。
その藤沢教会へ、若い頃、世田谷の幼稚園で一緒に働いていたSさんが、福島からやって来るというのだ。シスターブリージに会うために。
翌日、湘南台センターに行き、ちらしを読んで分かった。二人の聖職者は世界中の司祭の黙想会指導に超多忙な中を来日、一般の黙想指導も引き受けて下さり、その数少ない会場の一つが当教会なのだ、ということが。
いよいよ当日、快晴。Sさんを藤沢駅に迎えて教会に案内、近くで昼食をすませて、私たちは黙想会場である聖堂の、最前列に陣取った。席はいつしか大勢の参加者で埋まりいつもと違う緊張感が走る。友人の他にも、かなり遠方からみえた方がおられると聞く。
聖コロンバン会日本宣教50周年事業とのことで、見馴れない神父方が祭壇の準備を進められ、濃茶の短いヴェールと同色のワンピースにカーデガン姿のシスターが前を通る。「ほら、Sr.ブリージよ」と友人が、憧れの映画スターを前にしたファンのように、上気した面持ちで私にささやく。友人はすでにブリージの著書を、よく読んでいる様子だった。そして始まった黙想会の講話の内容を、3週間近く過ぎた今、正直なところ私は、ほとんど覚えていない。次の言葉の他は−。
Fr.スカロンの「私たちは昨日も罪人、今日も罪人、そして明日も罪人でしょう」
Sr.ブリージの「祈りましょう。イエスを信頼して、遠慮しないで、お願いしましょう」
藤沢教会のマイクの性能が良いことを、私は朗読奉仕の経験から知っている。語り手の音声や間の取り方、微妙な心理状態まで如実に伝える。そのマイクロホンが、Sr.ブリージの発する、力強く、神への信頼に満ちた言霊を、聴衆の一人一人に伝え、会場の隅々まで浸透させる。その凛とした迫力ある英語のひびきと、通訳の方の、優しく澄んだ日本語の二重奏に私はしばし聴き入った。
講話の前の休憩時間に彼女の著者「祈りー恵みの泉ー」にサインして頂こうと行列したが時間切れになってしまったので、それならば語る声とパワーを本に頂こうと、膝の上に立てて講話を聴いたのだった。
続いてのミサ聖祭の中で私は考えた。洗礼を受けて40年。聖変化の後に、ご聖体が本当に主イエスであると、本気で信じたろうか。知識や観念による信仰ではなかったか。習慣的に受けたり、あの司祭からは、ご聖体を受けたくないなどと、私はとんでもないことを思ったりしたではないか。
司祭職の権能と人間性をごっちゃにして、心を掻き乱していたのでは。そして何が大切かを会得していなかったのでは−。
改悛の情と共に、熱いものがこみ上げた。今日も罪人、明日も罪人でしょう。だからこそ、主の助けが必要な私−。
この恵みの集いに誘ってくれた友人を、上野発常磐線の、最終特急に間に合わせるべく、二人してミサの途中でぬけ出さねばならなかったが、藤沢駅へとひた走る私たちを、すっぽりと夕闇が包んでくれた。
後で知人から聞いたところによると、ミサの後、スカロン神父がご聖体を顕示して、参列者の間を巡り、その間ずっとSr.ブリージが祭壇の前にひざまづき、人々のために主にいやしを願いつつ祈る声が続いていたという。
その日会場に足を運んだ誰しもが、主に聞いてほしい、いやしてほしい心身の痛みや願いごとを抱いていたのでは。面白半分や、興味本位の人は多分いなかったと思う。
そして重荷を下ろし、心満たされて家路に着いたことと思う。何も知らずにいて、旧友に誘われ参加した私まで、こんなに心洗われれるとは、予想もしていなかった。
誰かが、この迷える子羊のために、どこかで涙を流して主に祈ってくれたから、私は黙想会に参加できたのではないかと思う。
メモ一つとらなかった集いの感想を書くようにと、広報さんから無理やり頼まれて綴った拙文に、何かがあるとしたら、それは天使が私の手をとり書かせてくれたのだと思う。
感 謝
「七五三祝福式」
六会地区 山野厚子
雲一つない、さわやかな秋晴れの11月15日、七五三の祝福式がおこなわれました。 当日は11月とはおも得ない汗ばむ程の陽気で子供たちは神様から“暖かなお恵み”を頂いているようでした。式はテハン神父様、李神父様によってすすめられ、子供達の誕生、そして健やかな成長を神様に感謝しました。その後、子供達は神父様から“神様の祝福”とマリア様のご保護を願う“メダイ”を頂き、これから先、神様にも人からも愛される子供として成長することができますよう、お祈りしました。まだあどけない3歳児、スーツ姿が凛々しい5歳児、おすましの7歳児、それぞれがメダイを胸に喜びに輝いておりました。
いつも子供達をお守り下さっている神様に感謝し、神父様をはじめ、当日お手伝いをして下さいました全ての方々に心よりお礼を申し上げます。ありがとうございました。
七五三の祝福式に出席して
六会 平野めぐみ
先月15日、お日さまが子供達を祝福しているかのように暖かな小春日和の中、藤沢教会で七五三の祝福式が行われました。掛け替えのない命がこの世に誕生してから、ずっと、愛情を注いでお育てになられたご両親そしておじいちゃま、おばあちゃまの見守る中、可愛く着飾った七五三の子供達は、神父様を通して神様の祝福を受けられました。我が娘も7年間、平和な時代、恵まれた環境の中で健やかに成長し、その祝いとしてこのような素晴らしい祝福式に参加できましたことを大きなお恵みとして神様に感謝いたします。また式を準備し、催して下さった神父様、そして教会の方々に心からお礼を申し上げます。
祝福式の最後には、教会正面をバックに子供達全体の写真の撮影がありました。晴着姿のあどけない表情でお行儀よく長いすに並んでいる光景を眺めていると、私達親の側も子供達から沢山の愛を与えられているのだとしみじみ感じます。私は愛くるしい子供の仕草を夢中でカメラに収めつつ、将来に羽ばたく子供達の無限なる可能性に思わず大きな希望と期待を膨らませていました。
自我に目覚めた子供達が、どうか神様の教えに従って自由で豊かな心、自立のできたたくましい心を育んでいけますように祈りながら。
盛会の壮年部・秋の日帰り懇親旅行!
藤沢2区 小野清司
真鶴の物見遊山を兼ねた壮年部の親睦旅行が秋晴れの11月14日(土)篠澤部長以下17名が参加して、和気あいあいのうちに行われました
朝9時藤沢駅に集合した一行はJR東海道線を利用して真鶴駅へ。タクシーに分乗して真鶴半島先端に向かう。展望台で『三ツ石』の景勝を楽しんだ後、海辺に降りてビールで喉を潤しながらくつろぎの一時を過ごす。
昼前にバスで真鶴市街へ戻り、真鶴カトリック教会を訪問し、小岩神父から地域の説明を受けました。藤沢教会とは異なり小規模ながら、シンプルで好感が持てる教会です。
13時から旅館『鯛納屋』で宴会がスタート。当日朝漁獲した魚の活き作りで有名な店です。その海鮮料理を味わいながら、最近の転入者や新受洗者を含む自己紹介や近況紹介が始まる。先日のバザーでの活躍をねぎらい合うと共に、今後のクリスマス飾付けや防災訓練の話題も出て、盛況裏に終了しました。井上さん初め幹事の皆様、ご苦労さまでした。
箱根への旅
鵠沼2区 石川千恵
鵠沼の福井さまから、「鵠沼地区で日帰りの箱根行きを計画しました。行きませんか」と言うお声がかかり、即座に「参ります。よろしく」とお返事申し上げました。予定は11月11日とか。
待ちに待った11月11日水曜日。お天気もよく、心地よい気持ちで集合場所の教会へ。
8時45分集合。9時出発。男性10名、女性31名(お世話係を含む)を乗せたバスは海岸沿いの国道を通り、箱根へと向かいます。大多数は高齢者(勿論私も)なのでお世話係がいろいろ気を遣い、途中国府津でお手洗い休憩を作って下さいました。
バスのガイドさんは、今春、高卒の新人。一生懸命説明しようと、何かを見ながら頑張っていました。間もなく箱根路に入り、坂を登り、辺りの景色も緑の木々に囲まれてまいりました。本来なら今ごろともなれば紅葉した木々も目に入る筈でしたが、この日はどうしたことか、紅葉した木は目に入りませんでした。今年の異常気象の影響かも知れません。
11時過ぎ、箱根強羅ホテル着。お部室に案内され、直ちに温泉へ。広く天井も高い浴場の中に、大きな浴槽が2つ設えられ、延びやかな気分で入浴。
入浴後のお食事は鵠沼3区の平野様の祈りを頂きましたが、短い祈りの中にすばらしく感動するものがあり、清々しい気分で食事を楽しみました。食後の散歩は3グループ。
1.箱根教会へ。(10分程歩く)
2.強羅公園へ(15分程歩く)
3.函嶺白百合学園聖堂へ。(5分程歩く)
4.宿に残る。
私は白百合の聖堂に行き、落ち着きの中に気品を備えた聖堂で数分間祈らせて頂きました。皆様とご一緒にやわらかい陽射しの中をゆっくり散歩し、のんびり致しました。箱根教会にいらした方も、公園にいらした方も皆晴れやかなお顔で宿に帰っていらっしゃいました。宿に残られた方達は志澤さん、脇川さんに歌を歌って頂き、楽しかったとか。
2時半過ぎ、強羅ホテル出発。途中小田原で一休みして一路藤沢教会へ。車中はカラオケ大会。男性の方々が歌っていらっしゃいましたが、お歌がお上手なので驚きました。どんな歌でも歌詞を味わいながらきれいに歌っていらっしゃいました。
お世話係の方々、有り難うございました。また来年も連れて行って下さいませ。
救急の会
鵠沼2区 米山リディア
藤沢教会の皆様
ここ数カ月皆様から寄せられた多くの精神的、物質的援助に対し、救急の会を通して藤沢に住む滞日外国人コミュニティより心からお礼を申し上げます。これらの援助は私達に強く生きる力、そして希望を与えてくれました。
日用品、テレホンカード、バスカード等はもちろんのこと、9月3日に福祉部を通して受け取った皆様からの12万8千円の特別寄付金についてもふれない訳にはゆきません。この寄付金はある南米人の心臓手術費用の一部負担に使わせていただきました。
当教会の皆様一人ひとりに心よりのを申し上げ尊敬の念を表すと共に、日々皆様の上に神の祝福を祈りたいと思います。本当にありがとうございました。
1998年10月
「うれしいはつせいたいより」
かみさまは「わたしに、にるように」といって、人間をつくってくださいました。そして、ご自分のいきをふきかけて、人間に心をくださいました。かみさまは、イエスさまのように、やさしくて、しんせつなかたです。
かみさまはおつくりになったもの、ぜんぶの中で、いちばん人間がすきでした。それでおつくりになった、よいものをぜんぶ、人間にくださいました。
人間は、かみさまからいただいたものを、つかって、いろいろなものをつくる力もいただきました。こんなに、しんせつなかみさまに「ありがとうございます」とおれいをいいましょう。かみさまが、わたしたちに、くださったよいものを思い出してみましょう。そして、かみさまにおれいの手紙を書きましょう。
かみさま、にんげんや木やいろいろなものをつくってくれてありがとうございます。またいろんなものや花をいっぱい、いっぱいつくってください。
横浜司教館建設資金のためのご寄付のお願い
教会委員会
横浜教区の司教館は1937年の建築以来60年以上が経過し、老朽化のため昨年より立て替えに向けての準備が進められて参りました。現在のところ鉄筋コンクリート造250〜300坪ほどの建物に、司教及び事務局司祭の住居、教区事務所を兼ね備えた建物に、さらに将来の高齢司祭たちの居住のための設備などを考慮し、3億5千万円の総工費を見込んで計画を立てています。教区には1億円の建設準備金が用意してありますが、不足する2億5千万円については教区の皆様にご協力をお願いせざるを得ません。
つきましては、私ども藤沢小教区でも、信徒の皆様に司教館建設資金のためのご寄付をお願いすることといたしました。国内の経済状況が混迷している折りに、ご寄付のお願いをするのは心苦しいのですが、新しい世紀の私たちの教会の礎となる司教館の建設のために、ぜひとも皆様のご協力をいただきたいと思います。
具体的には、1口5千円とし、できましたら一世帯4口位を目安として下記の司教館建設資金申込書にてお申込みいただきたいと思います。申込みいただきました方には、財務部の方で納入袋を用意いたしますので、その袋を用いてお申込みになりました方法で納入していただきます。教区への報告の都合上、申込みは出来るだけ1999年1月末までにお願いいたします。
どうぞよろしくご協力くださいますようお願いいたします。なお、クリスマスメッセージと共に各ご家庭に「お願い」と「申込書」を配布させていただきます。
さらに、内容につきましては「趣意書」が聖堂に置いてありますのでご覧下さい。
4(金)初金ミサ・例会
7(月)14(月・クリスマス会)エルダーズ
19(土)ケア・セミナー午前10時より
20(日)李神父様御尊父の追悼ミサ
▲八角形にゅーす1月号の原稿締め切りは 12月21日です。1月元旦発行予定。
編集後記
▲李神父様のお父様のご冥福をお祈りいたします。
▲クリスマスおめでとうございます。 (広報部一同)