八 角 形 に ゅ ー す
1999年1月3日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
ミサ・パンの分割・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・主任司祭 ジョン・バーガー神父
『JUBILEE(ヨベルの年)2000・債務帳消し国際キャンペーン』とは
福祉委員会報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 倉橋久輝
市民クリスマスに参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 高野幸子
「ルワンダへ愛をこめて」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 元永けいこ
出生前診断をめぐって (第1回)−生まれてきてはいけないの? ・・・・・藤沢1区 唐木邦子
ミサ・パンの分割
主任司祭 ジョン・バーガー神父
「私達が神を賛美する賛美の杯はキリストの血にあずかることではないか。私達が裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。パンは一つだから、私達は大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです。」(1コリントの信徒への手紙10:6-17)
キリストは、最後の晩餐の時に、いくつかの儀式をおこなわれましたが、この内四つの儀式は今もなお、カトリック教会で行われるミサの中に残されています。キリストは、(1)パンをとり、(2)祝福し(3)割って(4)分け与えられました。これらの四つの儀式の、(1)奉納の準備(2)奉献文(3)パンを裂くこと(4)聖体拝領という典礼の基盤になっています。典礼の中でこの四つの儀式は、他のどんなことにも増して、十分礼を尽くしてなされなければなりません。
初代教会はもちろん、教会の歴史を通して、この儀式は特に大切にされ、強調されてきました。また、キリストの内に、共同体の人たちが新しい相互関係を育む神秘を表わすものとされてきました。 聖体拝領の時に、1枚の大きなパンを裂き、皆で分かち合うことは、共同体が一つになって、共に生きることを意味するものでした。
初代教会では、パンを裂くことは清く尊い宗教的儀式でした。現在、ミサは対面式で行われていますので、ミサにあずかる人たちは、パンを裂くところを見ることができます。しかし、どのくらいの人たちが、この儀式に特別の意味があることを知っているでしょうか。どのくらいの人たちがパンを裂くことがミサの中で最も大事な儀式の一つであることを知っているでしょうか。過去900年の間に、この意義深い大切な儀式は次第に軽んじられてきました。
新約聖書の中には、キリストが最後の晩餐でパンを裂かれたことが書かれています。キリストの教えに忠実な初代教会は、同じ方法によってキリストを思い起こしました。彼らも、感謝の祭儀を行いパンを裂きました。パンはキリストの御体ですから、初代教会はパンを裂くことによってキリストを認識しました。
「一同が食事をしている時、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子達に言われた。“取りなさい。これは私の体である”」(マルコ 14:22)
「二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださった時にイエスだと解かった次第を話した」(ルカ24:35)
「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」 (使徒言行録 2:42)
このように、新約聖書の中の三箇所にパンを裂くことの重要性、意義が力説されています。
パンを裂くという象徴を再現するために、藤沢教会では、通常大きなホスチアを用いています。日曜日のミサでは不可能ですが、平日ミサでは、一枚のホスチアを参加者皆で分け合い受けています。
1.静思のひととき
イザヤの予言を朗読して、黙想と分かち合いを行なった。
2.防災訓練計画の報告
壮年部作成による「防災訓練の概要」をもとにして、篠沢壮年部長よりつぎのような説明がなされた。
目的
- ごミサ時の災害(大地震)を想定し参加者の防災への関心をもっていただく。
- 必要器具の整備を行なう。j救助関係者を出来るだけ多く養成する。
ということで、対象者、訓練項目、その内容と事前の準備について説明があり、12月27日に防災訓練準備委員会で最終打合せが行なわれることになっている旨の報告がなされた。なお、実施日は1月17日です。
3.バザーの今後のあり方について
前号でお知らせ致しましたように、「バザーの今後のあり方について」のアンケートの素案が作成されたので、その内容を検討した。内容を若干修正して1月の各ミサ後に実施することになった。ただし「このアンケートはバザーの是非を決めるための投票ではありません。この結果を参考にしながら様々な場での話し合いを重ね、進む方向を探していきたいと思います」と明記されておりますことを、お知らせ致しておきます。
4.「債務帳消し国際キャンペーン」の署名の件
この件についても、前号でお知らせ致しましたが、1月10日の9時半のミサ後にM・ポール神父、北沢洋子氏をお招きして、お話を伺うことになった。同時に署名も実施することに決定いたしました。なお、キャンペーンについて「国連は世界における絶対貧困層の人口が13億人以上であることを報告しています。これは1日に3度の食事がとれず、きれいな水がなく、満足な屋根の下に寝ることができない人々が13億人以上も、世界にいるということです。 これらの貧困の最大の原因の一つが、最も貧しい国々が抱えている返済不可能な債務であることはあまり知られていません。今、世界各地で2〇〇〇年までに、これらの返済不可能な債務を帳消しにしようという大きなキャンペーンが展開されています」とカトリック大聖年準備特別委員会は呼びかけておりますことを報告しておきます。
なお、この署名については教会委員会が主体となって行ない、責任者は福井委員にお願いした。
5.バザーの収益分配に関する報告
福祉部より報告がなされましたが、その内容については、別に掲載しておりますのでご参照ください。
6.環境委員会設立に向けて
準備委員会発足のための人選とスケジュールについての検討を行なった。この問題は日常生活の中から、問題を考えて行くのが自然であり、具体的にはどのようなことが出来るのか、この問題に関心のある婦人を主とした構成メンバーで組織してはどうかとの意見が出され、環境問題について話し合う仲間づくりから始めようということになつた。人選については委員長に一任すると決した。
7.その他
市内24のキリスト教々会からの参加があり、盛会のうちに終了した。教会行事の一つとして今後も位置付けて行きたいので、社会に開かれた教会を、口先だけの実践を伴わない掛け声ではなく、もっとカトリック信徒の参加をお願いしたいと思います。
聖体奉仕者養成について聖体奉仕は原則として任期は2年となっているが、当教会ではその後の養成が行なわれて来なかったので、2月7日から各日曜日4回ほど養成コースを実施することになりました。皆様のご理解とご協力をお願い致します。
活動部会からの報告教会入口に掲示板が設置されているが、その活用について、宣教部と総務部が協力して今後、維持管理して行くことになった。教会の外に向けた顔でもあるので、今後の活用が期待されている。
『JUBILEE(ヨベルの年)2000・債務帳消し国際キャンペーン』とは
今月、藤沢教会でも行われる『JUBILEE(ヨベルの年)2000・債務帳消し国際キャンペーン』に関して、1月10日には講師をお招きしての説明会も計画されていますが、宗教界から共同代表の一人としてカトリック教会をはじめ全宗教者に署名を呼び掛けておられる白柳誠一枢機卿様が、カトリック新聞のインタビューに答えて、同キャンペーンの意義を次のように語られています。1998年11月22付けのカトリック新聞の記事より抜粋して掲載いたします。
紀元2000年は大きな区切りであり、大きな節目です。私たちキリスト者にとって紀元2000年は「ヨベルの年」、すなわち大聖年となっています。これは、古代イスラエルにおいて50年ごとに訪れる「自由と解放」の年を意味しています。
奴隷であった人たちは自由を与えられて故郷に帰ることができたわけです。この制度は社会正義の理想であり、大変素晴らしいものでした。
この「ヨベルの年」の精神を紀元2000年に実現できないものか。これが教皇の大きな望みですが、カトリック教会としては既に1986年より、教皇庁正義と平和委員会が「人類共同体のために国際債務問題の倫理的アプローチ」 という表題の下にこの課題を広く呼び掛けています。大聖年である2000年は回心のときですが、その表れの具体的行動の一つとしてこのキャンペーンをとらえることができると思います。途上国に対し、債権国である日本をはじめ先進諸国は、この問題に深くかかわっています。 それら各国政府に債務帳消しを呼び掛けることが大切です。
ただこの問題の解決には社会の大きなシステム、すなわちlMF(国際通貨基金)/世界銀行の制度を変えていく必要もあります。G8サミット(先進8ヵ国首脳会議) ならこれを変えることができるでしょう。ですから、来年6月にドイツのケルンで開かれる同サミットで各国首脳に訴えていこうと、2億2千万人の署名を目指す運動が世界中に起きていて、それに私たちも協力していこうということです。
そこでの一つの問題は「借りたものを返さないでよいのか」ということです。
世界中の動きはキリストの下に一つになる方向へ向かっているのですが、今のままで行くならば、世界の秩序は乱れ、平和が脅かされることが予想されます。ですから世界銀行やIMFなどの仕組み、福祉予算や教育費が削減されるなど、弱い立場の人が、さらに弱い立場に追い込まれていくような仕組みを多くの人に理解していただき、このことに関心をもってほしいのです。教皇がこの大聖年を「ヨベルの年」として大変重要視しているのは、まさにこのような破壊的現状があるためで、その一つのかたちとして債務帳消し、あるいは削減を強く訴え掛けてきたのです。
聖書に描かれたイエスの公生活を見ていきますと、みことばだけでなく病人をいやし、貧しい人を助けるという具体的行動に出ておられるのが分かります。多くの奇跡を行って愛することの大切さを示しておられます。また神殿の境内で商売している人々を追い出して、社会の現実の中での悪、矛盾を正されました。このようにイエスは周囲の問題、社会の問題に対して具体的に行動されたのです。 私たちキリスト者は、聖書から、信仰の内容、真理を見いだし、そこに生き方、道を見いだし、命をそこで得るわけです。
この良い訪れ、救いの訪れを教皇ヨハネ・パウロ二世は大聖年の最終的結論として、すべての人に伝えようと願っておられます。すべての人が福音を聞く(知る)権利をもっている。私たちが告げ知らせないならば、彼らの権利は満たされないのです。
キリスト者はすべて「主の死を思い、復活をたたえよう、主が来られるまで」と神の国の到来を願いながら、主の死と復活を伝えることを、意識して実行するようにということが、大きな願いとなっているのです。
以上
福祉委員会報告
鵠沼1区 倉橋久輝
今年度バザー収益金配分について報告させていただきます。
今年度バザー収益金配分について、昨年度の経験を生かして、配分についての基本的な考え方についての案づくりが必要であるとの反省から、配分案についての会議がありました。
「バザー収益金の配分」について11月22日に、牧野教会委員長、川辺事務局長、岡田バザー実行委員長、高野教会副委員長、福祉部から福井様、新村様、増根様、下村様、斉藤様、長野様、事務局増田様、倉橋が集まり、高野教会副委員長を座長として、慎重に審議し、全員の合意の下に別紙の「バザー収益金の配分についての共通理解」が作成されました。
案の特徴は、福祉に絞り込むこと、次に藤沢教会の方が関係している団体に限ることとしました。
バザー収益金の配分は、11月28日に、バーガー主任神父の出席の下に、牧野教会委員長、小野バザー実行委員、福祉部より福井様、新村様、増根様、長野様、下村様、米谷様、斉藤様、森田様、事務局長増田様をはじめ20数名の方々の参加の下に話し合いが行われました。
本年度のバザー実行委員会の主旨が、岡田実行委員長より外国の方への援助に重点を置いて欲しいとのお話しがありました。外国の方々にウエイトを置いた結果、配分は70%が外国の方々に配分されました。
不景気のなかに、このような多額の収益金を戴き、多くの福祉団体に配分できましたのは、皆様の暖かいご支援、ご協力のお陰様と心より感謝とお礼を申し上げます。有り難うございました。(感謝)
バザー収益金についての共通理解
福祉基金について
1.基金の資金元
バザー収益金の一部積立金、寄付
2.基金の活用
緊急の補助、福祉活動の資金
3.収支状況の定期的報告
4.バザー収益金配分との関係
昨年より「救急の会」と「SVP」は福祉基金より補助されることで、収益金の配分対象になっていない。福祉基金からの補助と収益金配分による補助の違いは、前者はバザーの収益金の額に基本的には影響されないが、後者は益金の増減によって補助の額が変動する。
市民クリスマスに参加して
藤沢1区 高野幸子
クリスマスおめでとうございます。
私はうれしいことに昨年は2度のクリスマスのお祝いをしました。
1回目は市民クリスマスです。12月12日4時、小田急デパートの前のキャロリングから始まりました。コーラスの方々と道行く人々と大きな声で歌いました。
教会での祈りはテハン神父様の司式で落着いた荘厳なものでした。 歌、聖書朗読、祈りと、特に印象深かったのは、藤沢ナザレン教会ハンドベルクワイアーには感動しました。
2部は藤沢のコーラスグループの合唱、それぞれ合唱の後には(皆と一緒)ときめ細かなご配慮があり楽しいものでした。
終る頃にはおにぎりと豚汁が皆様をお待ちしていました。大好評で、各教会の方々が一緒になって午後から作って下さったものです大きなお鍋が二つ空になりました。
各教会の役員の方々、それを手伝って下さった方々の気使いのおかげです。ボーイスカウトの方は火を燃して皆さまをより暖かくして下さいました。
市民や、各教会の方々が一緒に祈り、働き楽しむことはとても素敵ですね。お友だち、家族で来年の市民クリスマスに参加なさったらいかがでしょう。きっと思い出深いものとなると思います。
「ルワンダへ愛をこめて」
辻堂2区 元永けいこ
ルワンダで義足を製作している吉田真美さんを支援するチャリティーコンサート「ルワンダへ愛をこめて」から1年がたちました。 彼女から届いたファックスに、最近の様子が書いてありましたので、そのままの文章で抜粋致しました。是非この機会に彼女のことを想い出していただけませんでしょうか。そして、また、どなたかにお話しいただければ幸いです。
尚、12月20日のチョコレートの販売は寄付も含めて60370円の収益がありました。御協力ありがとうございました。
前略、お元気ですか?(略)
こっちは相変わらずバタバタと忙しいぞ。作業所に行くのはもちろんなんだけど、今それと平行してこっちに障害者のための施設を建設しています。そこはとても広い土地なのでお金がどんどん出ていきます。今まで私はこの施設のことをあまり日本で訴えなかったのだけど、これからはこの建設のための費用も少しずつでも日本で集められたらと思っています。この施設には義肢製作所・遠くから来る患者のための宿泊施設・障害者/健常者共に使えるような運動施設・食事のできるレストランを作る予定。今までずっと人からの寄附やいろんな所からの援助金で働いてきたけど、これにものすごく不安を感じています。だって例えば今年は皆からの寄附や援助金がもらえたとしても、来年はもしかしたら集まらないかも知れないでしょ?そしたら活動が止まってしまう。長く長く続けるために始めたことだから、こんなことじゃいかんよね。だから人からの寄附に全て頼るのではなく、この活動を始めた頃からずっと考えていたように、自立させる方向で今後動いていきたい。この土地に建設する予定のレストランも少しでもそこで利益を生んで、その利益をこちらでの活動資金の一部にしていきたいからな のです。そして宿泊施設も患者さんが少ないときは一般にも解放して、そこで宿泊費を取りそれも資金の一部にしたい。義足を作るための材料費とか、スタッフの給料とか、電話代・ガソリン代など諸々の。今までボランティアの活動をしているのに、利益を生むことを考えるのはと私の中で戸惑いがあったのだけど、本当に長くこれを続けていくためには「自立」していく方向で考えなければ、いつも不安の中で仕事をしていくようになっちゃうとやっと気がつきました。もしかしたら日本の皆はこの考えを正しくないと思うかも知れない。でもルワンダの障害者が自立していくためには、利益を生むことも考えていかないと全部ゼロに戻っちゃう。もちろんその利益を懐に入れちゃったりしたら問題だけど、とりあえず三食食べれて、雨風がしのげて、まぁ月に一度くらいは外食したいけど、あたいはその程度の生活レベルでいいや。本来なら義足を売ってそれをまた活動費に当ててということができれば一番いいのだけど、如何にせん障害者は作業所に来るための交通費も持っていない人が多くその方法は難しい。だから何らかの形で、今こっちで利益を上げれないものかといつも考えています。(略)
私もあの時にあった人達、コンサートのことなど思い出すと、未だに感動してしまい時々再び目頭が熱くなってしまうのだ。そうですね、わがままを言わせてもらえば、また何か企画して皆で集まれればと思います。いつものことなのだけど、具体的なものが浮かんでこない。本当に簡単で手っ取り早いのが、バザーなどを教会を通して開くこと。きっと皆家にいらないものなどあると思うから、それを売ったらどうかなぁ。
大切なのは皆が集まって何かやるということのような気がします。 教会の敷地を借りてそのようなことをするのって可能ですか? でも私っていつも人にお願いばかりしているような気がする。スマン、スマン。(略)
吉田真美One Love ProjectTel/FAX 250-75412
(1998年11月26日付 吉田さんの FAX より抜粋)
主にあって親しい藤沢のいとこ達へ
待降節とクリスマスに当たり平和と喜びのご挨拶をお送りします。 来るべき年が皆さまにとってすべてによい年でありますように。休暇が終って帰国してから丸1年が経ちました。さまざまな困難がありましたが、その間皆さまがたから実に多くのご援助をいただきました。いま私はホイマ教区の司祭として帰任いたしました。休暇中にあらたにされた心と体、さらに英国で得た多くの知識は、私が人里を遠く離れた、しかし非常に仕事の多い教区で使徒職を支障なくかつ適切に遂行していくのに大いに役立っております。
このルウェミサニが(文字通り訳すと象牙の地)に来るには森林の中を7マイル通ってこなければならず、辺りには沢山の象が生息しているのでこの様に呼ばれているのかも知れません。この地はアルバート湖の湖畔にあり、対岸はコンゴ共和国です。ここは私の前任地に比べてはるかに忙しいところです。現代のルウェミサニサンガを云いあらわすには、霊的な象牙と云う方がよいかもわかりません。
この1年は私自身にとって祝福された年でした。11月21日に46才になったのですが、これはウガンダの社会では最も尊敬される年令に達したことを意味するのです。ここではひとが70歳迄生きるのは極めて幸運と見なされています。念のために申し上げると、ウガンダ人の寿命は最近の国連の報告によるとわずか45歳なのです。今年の5月13日には私の叙階20周年を迎えましたが、お祝いどころではありませんでした。新しく加わる難民に霊的または物質的な慰めを差し出すためにあまりにも忙しかったからです。難民となった人々は私達の小教区の二ヶ処の難民キャンプに到着します。彼らは隣国のコンゴ(ザイール)と南スーダンからやってきます。現在この2つのキャンプに夫々8千人がおられますが、もっと多くが予想されています。
6月には私は危ういところでマラリヤとコレラの毒牙から免れましたが、何百人と云う犠牲者が出ました。私の弟のエマニュエルもその1人でした。まだ32歳でしたのに。私達教会は他のNGOと協力してこれらの伝染病を食い止めるため四六時中働きました。 目下のところ小康状態を保っていますが、もし12月に同じような豪雨に見舞われ洪水ともなれば、この貧しい衛生状態、一般的に未開発な衛生システムのもとで、またもや伝染病の発生が恐れられます。
この間に何百人もが洗礼を受けられましたが一方で何百人もの葬儀も取りおこなわれました。私達の福音宣教には社会事業も含まれるのです。まず優先的に実施される多くは計画のこうした致死性の病気の撲滅にむけられています。このようにして、全く、大勢の生命が救われたのです。ほかに難民となった人々を温く迎えること、貧しい人々に乳を与え、食を供える仕事、この仕事のすべてを感謝して働いております。社会の片隅に押しやられている人々にキリストの証し人となっていること。小教区の人口3万3千人、その70パーセントはカトリック者、30パーセントが他の諸宗派です。
こうして書いている間にも湖の対岸のコンゴ共和国では爆撃や爆発がおこなわれているのです。もうこの辺りで筆を置きましょう。 いつものように、くり返し、皆さまの友情にお礼を申し上げます。 皆さまの途切れることのない愛、お心使いそしてご援助、小包やお手紙、そして何よりもまして皆さまのお祈りと御寄付、このすべて無しには今年は大変惨めな年になったことでしょう。皆さまお一人お一人がとても大切なのです。
楽しいクリスマスと豊かな1999年とをお祈りいたします。
ジョセ・マリー・キジト神父
藤沢カトリック教会「防災委員会」では来る1月17日(日)の9時30分のミサ後、「防災訓練」を実施する予定です。この日は皆様よくご存知の通り阪神・淡路大震災の4回目の記念日に当たり、この悲しい体験を風化させる事がなく私達の防災意識を喚起する目的で、藤沢南消防署・藤沢市役所の協力を得て行われるものです。 具体的にはミサ中の大地震を想定し
以上を予定しています。
教会ではこの種の訓練を今まで1度もしていないとの事、今後も大きくは聖堂自体の耐震性検査を含めてハード・ソフト両面で災害に対する備えを整えていきたいと考えています。
私事になりますが私自身も関西転勤中、西宮市で阪神・淡路大震災の被災者になった経験上、日頃からの個々の防災意識の大切さ(水・食料の備蓄、夜寝る時頭上に重い物を置かない、箪笥などある場合はしっかり固定しておく等々)を痛感しております。これを機会に皆様方も身の回りの防災チェックをして頂けたらこの「防災訓練」の意味が更に大きくなると存知ますので趣旨を理解の上、是非ご協力下さい。
尚、当日は駐車場を消火訓練に使いますので車を置かない様、併せてお願い申し上げます。
「防災委員会」広報担当 浮田久之
出生前診断をめぐって
(第1回)−生まれてきてはいけないの?
カトリック障害者連絡協議会事務局渉外担当委員(藤沢1区)唐木邦子
カトリックの信仰と出生前診断
皆さんは「出生前診断」という言葉に出会われたらどんな感じがなさいますか?一般の人たちは「障害がある子供が産まれないための検査でしょう。」とあっけらかんと答えるかもしれません。カトリック信者なら「出生前診断……」と眉をひそめるかもしれません。 出生前診断が暗黙のうちに「障害の可能性がある赤ちゃんを中絶する」ことを意味していることを何となく知っているからです。カトリック信者として「大事な問題だけれど、医学的なことはよくわからないし、障害についてもあまり知らないし……」とややもすれば及び腰になりがちなこのテーマについて私はカトリック障害者連絡協議会の機関紙「わ」に連載記事を書きましたが、その記事に一部手を入れて転載させていただきました。専門用語も出てきて読みづらいかもしれませんが、医学の進歩が私たちの信仰と日常生活にどんな問いを投げかけているかをご一緒に考えていただければ幸いです。
障害のある赤ちゃんが欲しいですか?
藤沢教会では毎月1回タラントの会という障害を持つ子どもと母親の会が開かれています。メンバーで一番小さい小学校1年生の有一郎君は「もやもや病」という血管の病気のために平塚市の肢体不自由障害児学級に通っています。普通学級との交流もあり、お母さんが普通クラスの女の子から「私がクラスで一番好きなのは有一郎君だよ。」と言われてびっくりしたお話をうかがいました。まだ小さい子どもたちは大人が邪魔しなければ障害を持つ子どもを仲間として受けとめることができると、私も娘とお友達の関係を見ていて感じます。しかし最近、もしかしたらそのような「子どもらしい関係」が断ち切られるかもしれないような社会状況の変化を感じます。 それは、「出生前診断」が急速に普及し、また「障害胎児の中絶の合法化」も推進されつつあるからです。この2つは基本的に「障害を持つ赤ちゃんは産まれないほうが良い。」という考え方に基づいています。私自身も子どもが生まれる前に「障害のある赤ちゃんが欲しいですか?」と尋ねられたら「欲しくありません!」と答えたでしょう。でも、現実に障害のある子を授かってそれ以前よりも神様を身近に感じるようになりました。「生命の神秘」と言うほかはありません。
この「神秘」を限りなく100%に近く人間の思いのままにコントロールしようとする動きに対してカトリック信者ははっきり「ノ−」と言う責任があると私は考えますが、そのためには「出生前診断とは何か?」についての知識を持ちひとりひとりが信仰の光に照らして判断し、行動してゆく必要があると思います。
私は一昨年10月にカトリック医師会が主催した「公開講座出生前診断を考える」に出席し、障害を持つ子どもの親として、カトリック障害者連絡協議会渉外担当委員長として意見を述べさせていただきました。連載の第1回では、その時の資料や他の文献を参考にしながら現在一番問題になっている「母体血清マーカーテスト」についてごく簡単に述べさせていただきたいと思います。より詳細、正確なご理解のために参考文献をあげておきましたのでご参照ください。
母体血清マ−カ−テストとその問題点
医療における検査はふつう、例えば心電図のように、心臓の状態を知り心臓疾患の予防や悪化防止のための「治療のための検査」としておこなわれますが、出生前診断は通常の検査と異なり治療につながることが稀な検査です。出生前診断の技法としては、
があります。最近の技術の進歩によりさまざまな先天性異常の診断が可能になってきましたが、一番問題になるのが「検査や診断が治療につながらない」、つまり検査・診断技術が治療技術をはるかに超えて進歩した点です。例えば二分脊椎や染色体異常は診断が可能でも根本的治療は不可能です。つまり、出生前診断は大多数の場合、「障害を持つ可能性がある赤ちゃんを産むか産まないか?」の選択を両親に迫る検査であり、多くの場合妊娠中絶につながる検査と言えます。
母体血清マ−カ−テストは、従来の出生前診断に比べて危険が少なく(妊婦からの採血による検査)、費用も従来の出生前診断にくらべて少なくて済むので現在急速に普及しつつあります。しかし「治療につながらず、中絶につながりやすい検査」であることのほかに次のような問題があると一般的に言われています。
また、日本ダウン症協会は平成9年4月に厚生省に対して提出した意見書の中で、一般的な問題点以外にこの検査の普及について「生命倫理に対する重大な冒涜でありダウン症などの障害をもつ人々の『存在の否定』と障害をもつ人々とその家族の福祉の否定につながることは明らかです。」として「母体血清マーカーテストの無規制な開発・普及を凍結し、ダウン症協会を含めた障害者とその家族の当事者団体を含めてガイドラインを作成すること。」などを要望しています。
母体血清マーカーテストの普及は「障害を持って生まれてくることは不幸である」という意識をさらに広げ、それに加えて「障害を持つ子どもを産まないのが母親の責任」という差別意識を助長、普及させることにつながると私は思います。さらに言えば「人間が生命を操作する」という傲慢な風潮が日常生活レベルに広がってゆく懸念も感じられます。現代は、「生命操作と信仰」の問題が全てのカトリック信者に問いかけられている時代だと思います。この連載が皆様のご判断の材料のひとつにでもなれば幸いです。
〈参考文献〉
・日本カトリック医師会会誌 第36号
・JDSニュース(日本ダウン症協会発行)
要旨引用許可済みです。・女性と出生前検査(日本アクセルシュプリンガー出版)
・優生操作の悪夢(社会評論社)
1(金)元旦新年ミサ 0時・11時
2(土)ベトナム人協会新年ミサ
10(日)成人式
15(金)壮年部新年会 17時
16(土)ケアセミナー10時
18(月)エルダーズ・25(月)食事会
20(水)婦人部ミサ、新年会10時
20(水)23(土)・27(水)・30(土)結婚準備セミナー
23(土)福祉部例会 10時
24(日)新年国際ミサ
31(日)講演会9時半ミサ後聖堂にてカトリック医師会会長の竹内正也医師 (フィリッピンでの医療活動について)
▲八角形にゅーす2月号の原稿締切りは1月25日です。
編集後記 新年おめでとうございます。 昨年4月から編集に参加させていただいておりますが、紙面を皆さまの協力で埋めさせていただき感謝いたしております。今年もよろしくご協力ください。(高野修) どこを見ても暗い現代に少しでもあたたかい、明るい光をもとめて祈り、助け合い、支え会う場所としての教会の広報はとても責任の重い仕事であると認識しております。 (山内恭子) あたらしい年を迎え、心あらたに、また八角形にゅーすの編集に取り組みたいと思っております。昨年よりは少しでも進歩出来るよう心掛けて参ります。どうぞよろしくお願い申し上げます。(八木京子) カオスのただ中に光を共に見い出しましょう。(森田典子) 広報にお声をかけていただいてまだ日が浅く、何のお役にも立っていない私ですが校正をお手伝いしながら、この教会がキリストの共同体として皆さんが力を併せていお互いに助け合い、ご活躍なさっている様子が良く分かります。私も一員として参加させて頂き感謝致しております。今年も皆様の上に神様の恵みが沢山ありますようにお祈り申しあげます。これからも宜しくお願い致します。(板津葵子) |