八 角 形 に ゅ ー す

1999年8月1日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

公会議から学ぶもの・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・李鍾昇神父

教会委員会報告

「バザー委員会」からの報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・バザー委員長 浮田久之

「なぜ?教区典礼委員会なのか」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・北1 岡村 正

レジオ・マリエって?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・湘南台 石岡信吾

聖歌隊交歓会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 五百旗頭あい子

98年SVP藤沢協議会報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・六会 高橋 剛

ブラジル・佐々木治夫神父さんからの報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・北1 辻垣正彦

キジト神父様からのお便り

「聖書百週間」の1年がおわって・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 板津葵子

忘れ得ぬ友・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 岩城典子

1999年度平和のための合同祈祷会・・・・・・・・藤沢市内キリスト教連絡会代表 相馬恵嗣

日曜学校便り

8月の主な行事

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公会議から学ぶもの
李鍾昇神父

現在、新ガイドライン、盗聴法、日の丸や君が代などのことで不安感を感じている人々が増えているようです。こういう動きの裏にはいろいろな事情があるようです。信者さんは良く教会は政治のことについて話してはならないと思っているようです。それから、それに関連ある発言をすると何かある政党の主張と同じように聞こえているようです。でも、教会は平和のために貢献しなければいけないと思います。今から、34年ほど前出来上がったバチカン公会議の原文を読みながら、信者として何をするべきか一緒に考えて見たいのです。教会が共同体として決めたことが余りにも信者さんに伝えられていないようで、少し残念だと思っています。これからもバチカン公会議の文書に目を通していただければ幸いだと思っています。今回は現代世界憲章という文書から少し抜粋して紹介します。

現代世界憲章1(序文−−全人類と教会との深い連帯性)

現代人の喜びと希望、悲しみと苦しみ、特に、貧しい人々とすべて苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、悲しみと苦しみでもある。

現代世界憲章2(話しかけの相手)

第2バチカン公会議は、教会の秘義をもっと深く理解するよう努力した後、今はためらわずに、教会の子らとキリストの名を呼ぶすべての人たちばかりでなく、人類全体に話しかけて、現代世界における教会の現存と活動について、教会自身がどのように考えているかを、すべての人に説明したいと望むのである。公会議はここで、人間の世界、つまり人類全家族とこの家族がその中で生活している諸現実の総体を思い浮かべている。

現代世界憲章3(人間に対する奉仕)

公会議は、キリストによって集められた神の民全体の信仰の証人および解説者として、これら種々の問題について人類と話し合い、福音の光に照らしてそれを解明し、聖霊に導かれる教会が、その創立者から授けられた救いの力を人類のために提供することは、神の民が属している人類全家族に対する連帯感と尊敬と愛とを最も雄弁に証明することになると考える。実際、人間こそ救うべきであり、人間社会こそ刷新すべきである。人間、すなわち統一であり全体である人間、肉体と霊魂、心と良心、思想と意志を備えた人間こそ、われわれの全叙述の中心点である。

それゆえ、この公会議は人間の崇高な召命を宣言し、人間の中に神的な種子が置かれていることを肯定し、人間のこの召命に相応するすべての人の兄弟的一致を確立するために、教会の誠意に満ちた協力を人類にささげる。教会は決して地上的野心によって動かされているのではない。教会の望むことはただ一つ、すなわち、真理を証明するために、裁くためではなく救うために、奉仕されるためではなく奉仕するために、この世に来たキリスト自身の仕事を、弁護者である霊の導きのもとに続けることである。

現代世界憲章77(第5章平和の推進と国際共同体の促進・・序文)

戦争の破壊と脅威がもたらす困苦と不安が今もなお重苦しく人々の上にのしかかっているわれわれの時代に、全人類家族はその成長への歩みにおける最大の危機に到達した………したがって公会議は、平和についての真実の崇高な意味を解明し、戦争の残酷さを断罪した後、平和の作者であるキリストの助けの元に、正義と愛に基づく平和を打ち立てるため、また平和への手段を準備するために、すべての人と協力するよう、熱意をこめてキリスト者に呼びかけたい。

現代世界憲章78(平和の本質)

平和は単なる戦争の不在でもなければ、敵対する力の均衡を保持することだけでもなく、独裁的な支配から生ずるものでもない。平和を正義のわざと定義することは正しい。平和とは、人間社会の創立者である神によって、社会の中に刻みこまれ、常により完全な正義を求めて人間が実現しなければならない秩序の実りである……

……そのうえ人間の意志は弱く、罪によって傷つけられているため、平和獲得のためには各自が絶えず激情を押さえ、正当な権力による警戒が必要である。しかし、それだけでは十分ではない。個人の善が安全に確保され、人々が精神と才能の富を信頼をもって互いに自発的に交流し合わなければ、地上に平和は獲得できない。他人と他国民及びかれらの品位とを尊重する確固たる意志、また兄弟愛の努力と実践は、平和の建設のために絶対必要である。こうして平和は愛の実りでもある。愛は正義がもたらすものを超える。隣人に対する愛から生まれる地上の平和は、父なる神から来るキリストの平和の映像であり結果である。受肉した子は平和の君主であり、自分の十字架によってすべての人を神と和解させ、一つの民、一つのからだのうちにすべての人の一致を再建し、自分の肉において憎しみを殺し、復活によって高くあげられ、愛の霊を人々の心に注いだ。したがって、すべてのキリスト者は愛の中に真理を実行しながら(エフェソ4:15)、平和を求め、また打ちたてるために、平和を心から愛する人々と協力するよう強く求められている。

現代世界憲章79(第1節戦争を避けること・・戦争の残酷さを少なくすること)

近年、戦争が物質的・精神的な大損害を世界にもたらしたにもかかわらず、今なお毎日、地上のどこかで戦争による破壊が続けられている……

……このような行動の中で、まず第一にあげるべきは、国民全体、国家、少数民族を計画的に、全滅しようとする行為である。それは恐るべき犯罪として激しく糾弾されなければならない。このような犯罪を命ずる者に対して、恐れずに、はっきりと反抗する人の勇気を大いに賞賛しなければならない。

現代世界憲章81(軍備競争)

戦時における使用だけを目的として科学兵器が増強されるのでないことは確かである。各国の防衛力は敵に対する迅速な報復力に依存すると考えられている。そのため、年ごとに増大してゆく軍縮の拡張は、逆説的ではあるが、起こりうる敵の攻撃を抑止するのに役立っている。それは現在のところ、ある種の平和を国際間に維持することができるあらゆる手段の中で、最も効果的なものと、多くの人にみなされている。

この抑止の方法自体に問題がある。多くの国が行っている軍縮競争は、平和を確保する安全な道でもなく、それから生ずるいわゆる力の均衡も、確実で真実な平和ではないと人々は確信すべきである。それは戦争の原因を取り除く代わりに、かえって徐々に増大させる。常に新しい兵器を準備するために莫大な費用が消費されているのに反して、全世界の現代の悲惨を救うための十分な対策は講じられていない。国際間の紛争が真に根本的に解決される代わりに、世界の他の地域にまで紛争が広がっている。この醜聞が取り除かれ、世界が不安の圧迫から解放されて真の平和を打ち立てるためには、精神の改革から出発して、新しい道を選ばなければならない。

したがって、軍備競争は人類の最大の傷であり、堪えがたいほどに貧しい人々を傷つけるものである、と再び宣言しなければならない。軍備競争が続くならば、いつかはあらゆる致命的な破壊を引き起こすおそれが大いにある。その手段はすでに軍備競争によって準備されている。

人類が可能なものにした災難に警告されて、上からわれわれに与えられ、われわれが現在享有する猶予を利用して、自分の責任をよりよく自覚し、人間にふさわしい方法で紛争を解決する道を発見するように努力しよう。神の摂理は、古くから戦争の奴隷状態にあるわれわれ自身を解放することを切に要求している。この努力を拒否するならば、われわれが踏み入っている悪の道がどこにわれわれを導いてゆくかを、知らない。

現代世界憲章82(戦争絶対禁止と戦争回避のための国際協力)

……平和は、兵器の恐怖によって諸国に押しつけるよりは、諸国民の相互信頼から生まれるべきものである。したがって、軍備競争に終止符が打たれるように、すべての人が働かなければならない。軍備縮小を実際に始めるためには、一方的にではなく、協定によって歩調を合わせ、有効、真実な保障の裏づけのもとに進めるべきである。

……確かに今日では、それぞれの国境を超えて理解と考えを広げること、民族的利己主義と他国支配の野望を放棄すること、労苦を忍んで、より大きな一致をめざして進みつつある全人類に対して深い尊敬を持つことが要求されている。

……しかし、キリストの教会は、これを告げる間、現代の苦悩のまっただ中にあって、強く希望することをやめない。教会は現代に向かって、何度もくりかえし、機会のあるときにも、ないときにも、使徒の知らせを告げるつもりである。改心するためには「今こそ恵みの時であり」、「今こそ救いの日である」。



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教会委員会報告

1.静思のひととき

マタイ福音書第8章1〜4について黙想と分かち合いをおこなった。

2.報告

6月の委員会でも報告されたが、駐車場の使用について、日曜日の朝8時から11時までは、原則として駐車場の使用は出来ないことになっております。但し身体に障害のある方に限っては事務局の許可を得て利用することが出来ます。災害時の避難のためにも厳守してくださるようお願いすることになった。

3.ガーデンパーティ

4.バザー

5.台所の改装

6.その他



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「バザー委員会」からの報告
バザー実行委員長 浮田久之

先日9時半のミサの中でお話させて頂きましたが、今年は辻堂ブロックがバザー担当という事で、ブロック長の牧野さんより「委員長にどうか?」と声をかけられた時は心底ビックリしました!気持ちは本能的にお断りの方向へ傾きましたが、「教会のご用命は神の声と思え!」という母親のやや強引な(?)言を思い起こしお引き受けする事にした次第であります。お蔭さまで辻堂ブロックの皆様の温かいご支援を得て、委員選出も順調に運び現在まで2、3回の委員会をもち、各委員の担当業務・バザーテーマ等が決定しておりますのでご報告致します。

1.「各役員の担当業務」について

委員長浮田久之(T1)
副委員長牧野陽子(T1)
副委員長津上幸子(T1)

備品調達担当

山崎敏一(T1)
牧野陽子(T1)
高柳栄一(T2)
高橋寛子(T3)
馬場輝子(T3)

広報担当

浮田久之(T1)
津田幸子(T1)
高田龍彦(T2)
桃田裕美子(T3)

渉外担当

梅田隆(T1)
梅田幸子(T1)

会計担当

福山里子(T2)
桜井京子(T2)

設営担当

山崎敏一(T1)
高柳栄一(T2)
小川正明(T2)
小川幸子(T2)

記録担当

浮田久之(T1)

2、「バザーテーマ」について

今年のバザーは1900年代最後の、そして大聖年を目前にして特別大きな意味を持っています。そしてこの大聖年を迎えるにあたっては、今までの自分を振り返り信者としてできていなかった点を見直す良い機会にしたいものです。

ケネディ大統領の就任演説ではありませんが教会が自分に何を与えてくれるのではなく、自分が教会に何を寄与できるかを考える、その為にはバザーの場合、参加する事がポイントになると思います。参加すると言っても、皆が皆ボランティア的に労働奉仕できるとは限りません。力がない人・身体が弱い人・ご老人・ご病人もおられます。しかしその誰でもが神の御国の為にお捧げするものをひとつは持っています。自分がまずできる範囲で参加する、お互い寛大な心でそれを認め合い、手を結び、ひとつになって働く努力をする、これが一番大事な事ではないでしょうか!

今年のバザーテーマは

大聖年を前に参加する・ひとつになるバザー99

とします。このバザーをきっかけに3千人を超える藤沢カトリック教会の信者達が、老若男女・国籍を越え「ひとつになれた!」と心の底から実感できたら、大聖年に向けて我々の意気込みを示す素晴らしい第一歩になる事でしょう!

今のところ、バザー委員会からのご報告は以上です。今後は10月24日のバザーを目指して準備を推進していく訳ですが、皆様より何でも結構ですアイデア・アドバイス等頂けましたら各委員まで是非お寄せ下さい。今後とも皆様のご協力の程、宜しくお願い申し上げます!



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「なぜ?教区典礼委員会なのか」
北1 岡村 正

(その3)

私たちは典礼を、ミサ聖祭や洗礼など教会で行われる儀礼のことと思っていますが、しかし、実はミサ聖祭や洗礼などが、典礼とはどういうことなのかを表しているので、そのことに思い至ってそれは何かと問わなければ、それらは典礼になりません。

典礼とは、私たちのなかに、私たちに先行する「神の創造のみわざ」がはじまっていると気付き、それに一つになって生きることなのです。

典礼は、人が己の上にはじまっている神のみわざに与かることで、人の思いや考えをはるかに超えるわざなのです。ですから、参加すると言っても、何に参加するのかを考えなければ、心は典礼に開かれません。ミサ聖祭で、キリストのからだ即ち、キリストの働きを父に捧げるのは、聖霊です。「聖霊によって」という2つの祈りのことばが、それを表します。つまり、神が、神に向かって神のはたらきを捧げるのです。

キリストの名によってとは、キリストのはたらきによって、と言うことであり、何時どこでも、わたしたちの弱い足りない、欠けているところに共にいて、妨げからわたしたちを解き放とうと苦しんでおられるイエス・キリストのはたらきによってと言うことです。償いと言うのは、それが、欠けている私たちに先行する神の「創造のみわざ」だからです。「主の死を思い、復活をたたえよう、主が来られるまで」は、その先行する神の創造のみわざの認識と、それに一つになって生きる私たちの意志表明であり、賛美と感謝の叫びでもあります。

私たちに今はまだないそれが実現するまで、つまり「主が来られるまで」それに一つになって生きつづけます、と。

典礼が、神のみわざであり、人のわざではないと知ったら、それに向かう私たちの心は神に対する畏敬の思いで一杯になるでしょう。

そして、引き合わされる全ての人や物事を、私たちに先行してはじまっている「神の創造のみわざ」のなかのそれ、未知のそれとして畏敬を持って感じ受け止めようとしないでしょうか。

物事の未知のこの先に触れる慎みがないのは日頃私たちが、知っていることや今までの体験と知識を支えにして、思いや考えに囚われて物事を支配しようとしているからで、そこには常に、私たちへの未知への恐れがあります。

それが、妨げとなって神に心を閉じて、物事をその今までのところで終わりにしようとする支配になるのです。

「命を得ようとする者はそれを失い、私のために命を捨てる者は、かえってそれを得る」とは、何が神との交わりを妨げ、私たちの生きる妨げとなるか、を言っているのです。「恐れるな」とは、私たちに先行して「十字架にかかられたキリスト」の呼びかけであり、「信仰の神秘」は、必ず死を通って復活する「創造の神秘」と言ってもよいでしょう。何時どこでも、私たちに先行し私たちと共にある神の創造のみわざこそが「共にある神」なのです。

私たちの気付かぬなかで、既に、「十字架にかかられたキリスト」のことでもあります。そして「あなたたちは、聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書は私たちについて証をするものだ。それなのに、あなたたちは、命を得るために私のところに来ようとしない」と言われるのは、既に「十字架にかかられたキリスト」に一つになって生きる、即ち「神の創造のみわざ」との交わり無しに私たちは、神のいのちに与れないと告げておられるのです。

しかし、「父が引き寄せなければ、誰も私のところに来られない」とも言われ、典礼は私たちの思いや考えをはるかに超える神のみわざであると告げておられます。

従って私たちが、回心即ち、心を何に向かってめぐらすのか明らかです。そして回心は常に神の赦しと共にある出来事なのです。



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レジオ・マリエって?
湘南台 石岡信吾

毎週火曜日午後7時15分定刻に集会は始まる。開会の祈りに続きロザリオの祈り一環が唱えられ、続いて前回の集会で割り当てられた仕事の報告を簡潔に行う。集会の中心は、レジオの鎖を意味するカテーナと呼ばれる祈りである特にマグニフィカト(マリア讃歌)が、その主要な部分となっている。その後指導司祭の訓話、次週の仕事の割り当て、分かちあい、終了の祈りとなる。その間約1時間である。

藤沢のレジオ・マリエは1957年2月以来絶えず祈りと活動にささえられ今日に及んでいる。テハン神父の指導のもと梅田会長を中心に6名の活動会員が活動を行っている。活動は訪問、売店手伝い、中高生会リーダー、ロザリオの祈りの先唱、十字架の道行の先唱等々が主要な仕事となっている。

レジオ・マリエは直訳すれば“マリアの軍団”となり時代錯誤的にとられるがそうではない!“レジオ・マリエ”は“マリア様に倣い”マリアご自身の精神を精神とする教会公認のカトリック団体で、共産圏を除く全世界に約2百50万の会員が活動している。日本には1948年に佐賀教会に初めて支部が設立された。現在約千5百人の活動会員がいる。どなたでも参加出来ます。集会日にどうぞ。



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聖歌隊交歓会に参加して
藤沢1区 五百旗頭あい子

梅雨入り宣言しましたのに汗ばむ程の晴天続きで、戸惑いを感じる内に時節の雨が到来致し、漸く勢いづいた紫陽花の色が、一段と鮮やかさを増し、目を和ませてくれるこの6月27日午后、本年は毎年、恒例の聖歌隊の交歓会が、当教会が会場となり、外の天候とは裏腹に、菊名教会様始め11ヶ所の多勢の隊員の皆様が、参集して下さり、バーガー神父様の始まりの御挨拶より定刻通り進行致しました。各教会の皆々様の合唱のお声を拝聴致し優劣つけ難く、日頃の練習の成果の現れと痛感致しました。静けさの中に美しく、そして厳かに響き、清淨心が湧き上がるのを覚えました。プログラム通り恙なく終り、次もまたバーガー神父様司式により「ベネディクション」が厳粛の内に終り本当に、素晴しい一日でした。当藤沢教会の聖歌隊は堀部先生、そして今回初参加のコールセシリアは、野沢先生の、指揮の元に、熱唱致しました。

曲目は聖歌隊OsalutarisHostia,ReginaCoeliコールセシリアAveMaria,日曜日の朝おこがましくも,唱うのが好きなばがりに参加させて頂き、しあわせとじくじの思いが入り交じって居ります。

尚,親睦の場の設営に御協力を頂いた婦人部の方々に厚く御礼申し上げます。

感謝



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98年SVP藤沢協議会報告
六会 高橋 剛

98年の活動の中で特に感じられたのは、不景気による在日外国人の経済的な問題と、高齢化による介護の問題でした。身障児の生活支援や老人ホーム、病人の訪問なども従来通り続けています。

会計上では定期的寄付が前年より30%以上落ち込みましたが、98年度から藤沢教会の福祉基金から12万円の寄付を戴けることになりましたので収入は97年度比約19%増になり感謝しております。

毎度のことながら、会の最大の悩みは活動のできる会員が極めて少ないことです。関心のある方の参加を切に望みます。

なお、日本全国のSVPの年次報告(98年版)は未着で、今回ご紹介することはできませんでしたが、到着次第図書室に入れておきますのでご覧下さい。

0466(81)6094高橋



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ブラジル・佐々木治夫神父さんからの報告
北1 辻垣正彦

フマニタス援助の会はサンパウロの南方パラナ州で活動する横浜教区出身の佐々木神父さんを支援する会です。活動は救らいから初まり、現在は、青少年(14〜18才)のための小さな農業訓練所を開設するに至っております。野菜、果物生産者に必要な農業技術を教え、将来農業後継者としてサポペマの模範になる人を教育の目的としています。10人を、1ヶ年順次交代して多数の希望者を育成しています。このために、日本からもシスターを初め藤枝教会信徒の森田氏も指導員として現地で活動されています。

日本の信徒も全国20教会が中心となってこの運動を支えています。ドラム缶に衣料・薬品類・学用品・人形・おもちゃ・ゆかた・キャラメルなど、私達の思いを込めて年3回ほどお送りしております。

しかし運営のための資金も不足しており、ブラジルの経済的な不安定さのため苦慮されています。これからも皆様のご協力を得てブラジルの青少年自立のため援助を続けたいと考えます。

お問い合わせは善行の辻垣または事務所のシスター我妻まで。

藤沢教会の皆々様

昨年8月18日にお送り下さったファイバードラム缶の整理が漸く昨週終わりました。

荷物は2月に入手できましたが、これを整理してくださるシスターたちが多用で手が回りかね今日になってしまいました。ご容赦ください。

今回もドラム缶2本を有難うございました。こちらは今がちょうど冬の始まり、皆様からの衣類を一番必要とする時期です。丁度良いときに整理ができました。今年は寒さが例年より早く来ましたし、それもいつもより厳しい寒さで、42年間のブラジル生活で、初めて耳に霜焼けができました。耳がかゆいのでおかしいと思い診てもらいましたら霜焼けでした。本当に昔懐かしい霜焼けです。フマニタスのコーヒーも霜で15%位被害を被りましたが子供たちは元気一杯、暑いと言って半袖のシャツでくる子もいます。シスターたちは夜は炬燵に入ってお仕事です。ブラジルの家は夏向きで通風がよく、暖房もありませんので冬は大変ですが、私ども百姓には有り難いものです。害虫が死んでくれますから。

現在、私どもの住むパラナ州では、農地改革のため働いているリーダーたち42人が警察に拘置され、拷問を受けたり暴力で苦しめられたり、緊張が走っています。州統領は金持ちのご機嫌ばかり取っていて貧しい農業労働者を虫けらのように扱いますので、教会も州統領の行為に心を痛めています。土地のない農民たちは、リーダーたちの解放と農地改革の促進を求めて今日から州都にむけてデモ行進を始めます。私のところで一緒に働いているブラジル人の若い神父も、この行進に参加するため昨日喜んで出発していきました。今日から行進を始め、6月8日に州都に集まり大集会が行われます。これには土地司牧に関係する司教たちも参加することになっています。政府の経済政策失敗の犠牲者になった失業者たちの参加も予想されますので抗議の波はブラジル全国に広がる可能性もあります。

先週、不正に土地を追い出された土地のない農民たちのため、中型トラック一杯、皆様から頂いた衣料を送りました。彼らは土地を追い出されたとき、警察によって持物と家を焼かれ、この寒さに着のみ着のままだったからです。これら警察の暴力と、それを許す州統領に対しての抗議もこのデモ行進に含まれています。ブラジルの社会主義のために戦う貧しい農民のためにお祈りください。

ここで一寸プロパガンダを;私の翻訳した新約聖書の小さな注解書2冊が、聖母文庫から近日中に出版されることになりました。易しい本ですので共同体で意見の交換を行いながら読まれれば、内容が充実されたものになると思います。教会の在り方についての深い反省も含まれています。

お元気でご活躍のほどを1999年6月1日

プロポリスのご案内

フマニタス慈善協会では、もう18年以上も前から、プロポリス溶液の臨床実験を実施し、病人や貧しい人たちに無償で配布したり、ご希望の方々にお分けしたりして喜ばれてきました。5年ほど前から、粉末プロポリスの生産も始めています。もしプロポリスのご使用をご希望の方がいらっしゃいましたら、ご遠慮なくお申し出下さい。皆様のお役に立てれば幸いです。郵送いたすこともできます。できるだけ最上の品質のものを皆様がたへ提供できますよう努力いたしております。対らい活動と70人の貧困家庭の若者たちへの奉仕活動の資金獲得のためですので、下記の価格というのは、ご協力金とご理解下さい。

なお、このプロポリスには、ご利用下さる方々のために、生産に当たる司祭、修道女、職員たちの祈りが込められております。

価格

プロポリス溶液:30ml2150円(送料共)
プロポリス粉末:60カプセル入ビン:2620円(送料共)



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キジト神父様からのお便り

藤沢のいとこの皆様

昨日私が、わがウガンダの殉教者、聖人(その中に私の血縁の聖キジトも含まれています)の大祝日を祝うために教会に到着する数時間前のことです。司教さまのお使いが2つの重たい美しい郵便物を届けて下さいました。それは、何とおどろいたことにあなた方からの贈り物でした。3月25日発のものと5月12日発のものとが同時に、私の叙階20周年と殉教者のお祝いの日の当日に到着するとは何という驚きでしょう。神様はこういうことをしてくださるのです!。この祝日を私たちが藤沢のいとこ達とともに奇跡的に祝うことができたこの喜びをお察しください。

6月3日に私は3つのミサを行いました。一つは本部で、あとの2つは教区の中にある2つの難民キャンプで、数千人が参加しました。私たちは皆さまのために祈りました。ここでは説教は1時間以上かかるのですが、そのすべての説教のなかで私は日本のいとこ達のこと、また聖パウロ三木や鈴木などの日本の26聖人のことを話しました。ミサの間に百50人の幼児洗礼が行われ、大勢がウガンダや日本の聖人の名前をいただきました。26組のカップルが結婚の秘蹟を受けました。

霊的花束を届けて下さるとは、何とご親切な思いつきでしょう。菅沼さんが作って下さった美しいイースターエッグは、ここの誰をも驚かせました!

これらすべてに籠められた“ともに在る思い”愛とやさしさの全部に深く感謝いたします。

私の健康についておたずね下さいましたが、イースターのあとでちょっとマラリヤに罹りましたが、あとは概ね健康でおります。マラリヤになったのは難民キャンプの衛生状態が非常に悪く、飲料水などは虫が一杯(ぼうふらか?)で蚊も多く、また夜は気温が非常に低くなるなかで眠るためです。こんな状態でも私はキリストの使者として、この弱く傷つけられた人々の傍らに立ち、その苦しみを分ち合えることを嬉しく思っています。歴史上、嘗っては、“アフリカの真珠”と言われたこの国でした。

大湖地帯−ルワンダ、ブルンジ、コンゴ(ここは私の所と直接国境を接しています)南スーダン、そしてウガンダです。この地帯ではコソボと同じように内戦が打ち続き、その結果として身の毛もよだつ恐ろしい事件が多発、それにはさすがのメディヤさえも報道に倦んでいるのではと思える程なのです。私たちはいまも戦いのるつぼの中にいます。毎日のように流入する難民とは別に、ここ西ウガンダはおそるべき不安定状況にあります。それはウガンダ内部の反乱者、それと多くのフツ族の過激主義者−彼らこそコンゴやルワンダのゼノサイド(皆殺し作戦)の下手人なのですが、彼らは難民に混じってウガンダに潜入し、この両者が罪もない民衆に爆弾(地雷)虐殺、レイプを行なっているのです。今年の3月には14人の外国人旅行者がここから程遠くない国立公園で虐殺されました。昨年の6月8日には、私たちの教区内のある工業大学で80人の学生が同じ反徒よって虐殺されました。こうした爆発、銃撃、誘拐は増加しています。誰が次の犠牲者になるか分からない状況です。皆さまのホイマのいとこ達は今のところ無事ではいますが恐怖とパニックの中で生きている有様です。こうした中に、キリストの使者である私たちがしっかり立ちつづけることで、彼らは信仰に堅く立ち、勇気を保ち続けているのです。藤沢のいとこ達が送って下さる精神的、物質的な援けが大きな支えになっているのです。

皆さま、もっともっと書くことがあるのですが、もうお疲れになったでしょう。おゆるし下さい。

親愛なるいとこの皆さま、あなた方のお心づかいとお祈りは貴重なものです。神様が皆さまを祝福してくださいますように!

1999年6月4日



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「聖書百週間」の1年がおわって
辻堂1区 板津葵子

東京四谷の真正会館で行なわれていました「聖書百週間」が、藤沢教会と片瀬教会でも行なわれることになり、その説明会が開かれたのが去年の9月末でした。聖書を旧約から新約まで、週に一度感想を述べて分かち合いながら、3年かけて読み通すというものでした。3年は大変だという気持ちが先にたちましたが、信者として正しく神の道を歩む為には、一度はきちんと聖書を学ばなければならないと思っておりました私にとって、これは願ってもない良い機会でした。

10月1日から、いよいよ始まりました。創世記の第1章で、神は全ての始めに天地を創造され、「光あれ」と光を与えて下さっています。「この言葉を通して、私達に告げられていることは何か」というように聖書の勉強が始められました。祈りながら真面目に読むのですが、意味を正しく理解することが難しくて、最初から私は闇に迷い込んで苦しむことになり、出来ることなら逃げ出したいという気持ちでした。感想を述べる度に、(他の方の感想はよく聴き、意見を述べてはいけないのです)的を外れているのではないかと不安でしたが、聖霊のお導きを願いながら、またグループの皆様のお祈りに支えられて、どうにかこれまで続けてくることが出来ました。今では、神様が私に少し「光」を与えて下さったと感謝しながら、週に一度皆様にお会いしてそれぞれの感想を伺うのが、とても楽しみになりました。7月から2ヵ月間夏休みに入り、早いもので3分の1の期間が終わろうとしております。最初、3年は長いと思いましたが、この頃は後2年で終わってしまうのが残念に思えるようになりました。

歴史を通して、神のみ言葉を聴きご計画を見出す為に、聖書の始めから終わりまですべてのページを信仰の心をもって読むように教えられています。なかなか私には難しいことですが、読みすすむうち、より神を信じる気持ちが強まり、一歩神様に近ずくことが出来たような気がしております。ごミサの「ことばの典礼」は旧約のことばの祭義だそうで、ごミサにも気持ちを込めて参加する事が出来て、安らぎを覚えます。良く言い表せませんが、神の存在が本当に信じられ、何か大きなものに包まれているような楽な気持ちになってきました。

今はまだ確信がなく、「〜のような」と言う表現しか出来ませんが、百週間が終わったときは、確たる信仰に変わっていることを信じて、この1年の気持ちを書かせて頂きました。

「聖書百週間」に参加させて頂けたことを心から感謝致しております。



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忘れ得ぬ友
藤沢2区 岩城典子

昔ヨーロッパのあちこちの街の広場に大時計が置かれていて、その時計にはラテン語で「MORSCERTAETHORAINCERTA」(死は確かで、その時間は不確かである)と書かれていたそうです。

私は最近30数年ぶりに高血圧の為に入院した。その期間は12日間であったが沢山の事を学ぶ場となった。病棟には内科的疾患が原因で脳に損傷を蒙った患者が多かった。私は病院の広大な庭の散歩を許されて、欅や色づき始めた楓、真っ赤な“どうだんつつじ”を眺め、足許で可憐に咲く薄紫の“よめな菊”を摘み、また池の辺の赤松の枝ぶりをめで、池面の家鴨に微笑み、ゆっくりと散策した。時にはロザリオを繰り、70年の人生を顧みて胸を打ち、或いは涙し、また懐かしさと感謝で一杯になりながら黙想する幸せな時を過ごした。

病室に戻ると、私を待ち侘びた病友の何回も繰り返された話を聞く。それは忍耐のいる事であったが、その語る内容は同世代の者として共感もあり有益であった。たとえ頭が鈍くなっても、その人が幼少時から受けた家庭の躾けの良さを感じさせる言葉遣い、礼儀作法、教養の高さ、他人への思いやり、更に50年近くも連れ添った夫婦愛、夫への信頼と細やかな労りの心は失われていない。

病友の一人は、私が信者である事を知らないのに、時々賛美歌を唄ってくれとせがむので一緒に唄った。

彼女は日々衰えて車椅子の生活になった。ある日彼女から身体を起こして欲しいと頼まれたので、私は両腕を支えて起こして差し上げた。その時、私の指輪(マリア像の入った七宝焼)に目を止めて「これは何?」

と尋ねたので「マリア様よ」と答えたところ、彼女はまた賛美歌を唄って欲しいとせがんだ。私は咄嗟に思いついて、ラテン語のアルカデルトのアベマリアを小声で唄って差し上げた。ところで途中で彼女はホロホロと涙を流し始めた。私も涙声になって、唄い終わった時二人は手をしっかりと握りしめて泣いていた。たとえ頭の働きが失われても心は決して失われない。天の父はマリア様を通してこの最も小さき者を憐れみ愛された。そして主の愛に満たされた。

今まで曲がりなりにも誇りを持ち、自分の思うように生きてきた私は、この度の病気で本当に家族は勿論、多くの人々に助けられ、自分では何もできない者として傲慢さは打ち砕かれた。“小さき者”になる為に病院で眠れぬ夜、枕を濡らした事もあったけれど、きっと主は私を迎えに来て下さるまでに“最も小さき者”にして下さるとの希望を持つ事ができた。これからの余生をどのように生きるか宿題は残されているが、主はきっと道を示して下さり、また助けて下さると信じている。最後にお見舞いに頂いた本「そよ風のように生きる−旅ゆくあなたへ」(バレンタイン・デ・スーザー著)の中で心に残った一節を書きましょう。

「祈りに必要なのは言葉でも時間でもありません。神に対する純粋な信頼心です。絶対の信頼さえあれば、祈りは必ず実を結びます」



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1999年度平和のための合同祈祷会
藤沢市内キリスト教連絡会代表 相馬恵嗣

主の御名を賛美いたします。

ご恩寵のもと、貴教会ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。市内キリスト教連絡会では、今年も「平和のための合同祈祷会」を下記の通りに開催いたします。

つきましては、平和とキリスト者の一致を願う祈りの輪に、貴教会の皆様にも是非加わっていただきたく、ご案内申し上げます。

さて、21世紀を目前とし、環境問題や民族間の紛争問題は、この宇宙船地球号にとって困難な課題として立ちはだかっています。しかし、私たちは「平和の主」イエス・キリストを生涯の師と仰ぎ、その生き方を学び、平和な社会を創出していく責任を担って行かなければならないと考えています。また、このような時代にこそ、私たちキリスト者が心を合わせ、藤沢の地域で共生していく社会を実現していきたいと考えています。

そして、市内キリスト教連絡会の使命は「地の塩」としての責任を果たすことにあると考え、また、「世の光」をさし示していく教会との共働を大切にして活動を展開していきたいと考えています。

どうぞこの機会に平和のための祈りの輪を広げていきたいと願っています。皆様のご参加をお待ち申し上げます。

主の平安

日程1999年8月21日(土)
午後2時から4時

内容礼拝1時間・懇親茶話会1時間

会場日本基督教団片瀬教会
藤沢市片瀬4−3−14
0466−26−1816

司式萩原時子牧師
奨励白崎智之牧師
(日本基督教団藤沢大庭伝道所)

片瀬教会は江の電・湘南海岸公園下車徒歩5分です。駐車場がありませんので、公共の交通機関をご利用ください。



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日曜学校便り

日曜学校のお友達へ

みなさん、1学期が今日で終わりました。がんばりましたね。1年生は、日曜学校に慣れましたか?また、遠足へ行ったり、寸劇を練習したりして、いろいろな思い出もできたでしょう。よかったですね。

さて、最近のことですが、私は友達を送っていくので、一緒に駅へ向かって歩いていました。その時「イーしんぷさま!」と大きな声がしました。声の方を見ると、道路の向うから日曜学校のお友達が、声をかけていました。とてもうれしかったです。藤沢教会に来て、初めての体験でした。

みなさん、お互いに道で会った時、ごあいさつしたらどうかなあ。なまえを呼ばれてあいさつされたら、みんな、うれしいのではありませんか。神様も、私たちのことを1人ひとり声をかけて、呼んでくださっていると思います。

日曜学校校長 李鍾昇神父

ミサでお会いしましょう

雨が降ったりやんだりのうっとおしいお天気ですが、みなさんはきっと毎日元気にすごしているでしょう!

第1と第3の日曜日は、どのようにすごしていますか?

ミサで元気なみなさんに会うのをいつも楽しみにしています。会えれば、明るい元気は、私の心に伝わってきて、うれしくなります。おじいちゃんもおばあちゃんも待っています。さびしい人、苦しい人にも明るい元気はどんどん伝わっていきます。

もし、みなさんが来なければ、明るい元気は、だれがもって来てくれるのでしょうか。みんなが待っています。もちろんイエス様が一番みなさんを待っていますよ。

ミサでお会いしましょう。いっしょに神様を賛美しましょう。

シスター我妻志づ枝

夏休みのお知らせ

日曜学校保護者の皆様には、日頃よりお祈りをもって支えてくださいますこと、スタッフ一同感謝いたしております。

「天の父を知ろう」のテーマで過ごしてまいりました1学期は、7月18日に無事、終業を迎えました。ここに、皆様のご協力のおかげとお礼申し上げます。2学期は、9月12日より始まります。日曜学校はこの間、夏休みとなります。

よい夏休みをお過ごしください。そして、2学期始業式に元気な顔で会えますよう、お祈りしています。

日曜学校スタッフ一同



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8月の主な行事

5(木)6(金)中高生キャンプ

7(土)国際ミサ午後5時 ガーデンパーティー午後6時

15(日)聖母の被昇天

15(日)16(月)青年会サマーキャンプ

21(土)平和のための合同祈祷会
      日本キリスト教団片瀬教会午後2時

28(土)福祉部例会午前10時 藤沢ブロック集会午後2時

▼八角形にゅーす9月号の原稿締め切りは8月23日です。

なお、9月号はバーガー神父様のお別れ特集号とさせていただきます。投稿を宜しくお願い致します。



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藤沢ブロックの小さな黙想会

テーマ:9月の典礼より

共同体、ゆるし、神の寛大な心、家庭生活

お話:バーガー神父

日時:8月28日午後2時〜午後7時
場所:藤沢カトリック教会・センターホール

最後に皆でミサにあずかります。手作りのおいしい夕食の用意もあり、歓談のひとときを!

参加希望の方は、各地区の連絡員まで。
(地区の線引きの見直しについても話し合いたいと思います)

ルワンダへ愛をこめて

7月20日に行なわれましたチャリティーコンサートは、いろんな方々の様々な形のご協力のおかげで無事終了し、チケット収入募金、当日の販売品を含めて55万7,902円の収益を生むことができました。ありがとうございました。



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