八 角 形 に ゅ ーす

1997年5月4日

聖シモン&聖ユダ

藤沢カトリック教会


 目次

 聖母マリア病者のよりどころ・・・・・・・・・・シスター 我妻志づ枝

 信徒総会報告

 兼子盾夫講演会 遠藤周作『深い河』について・・・・前田絢子

 皆様と共に・・・・・・・・・・・・・・・婦人部長 内嶋かほる

 「婦人部のお役を終えて」 ・・・・・・・・大森 弘子

 イースターエッグ ・・・・・・・・・・窪田 恵

 「隣の国を良く知るための韓国巡礼4日間」に参加して ・・・・・兼子盾夫

 折り紙に祈りをこめて・・・・・・・・・・野中 陽子

 ベストセラーと教科書 ・・・・・・・・・魚津 靖太郎

 マリッジ・エンカウンター・ウィークエンド・・・・・・綿貫 明宏・光江

 5月の主な行事予定

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聖母マリア病者のよりどころ

シスター 我妻志づ枝

 緑が日毎に広がり、美しいマリア様の月になりました。マリア様は、常に母としての眼差しを私たちにそそぎ、助け、執り成してくださいます。

 この度は、病者に対するマリア様のお計らいを教皇様のメッセージから見てみましょう。 1992年ヨハネ・パウロ二世教皇様は、ルルドにマリア様がご出現された2月11日を「世界病者の日」として制定されました。『この日、全世界のカトリック信者が心身に苦しみを持つ人々の痛みを分かち、熟考し、祈ることを目的としたのです。神と隣人への愛の完全な模範であるマリア様が、母としていつも私たちに呼びかけておられる「キリストがあなたに言いつけることは何でもしなさい」という言葉に耳を傾けましょう。あなたがたは「病者のよりどころ」の心からのこの招きに応じることで、苦しみの福音をあかしすることによって神秘的に生命の福音を告知するという比類のないしるしを新しい福音宣教に刻みつけることができるのです。』(教皇ヨハネ・パウロ二世、1996年2月11日世界病者の日メッセージ抜粋)

 教皇様は、病者にはその苦しみを惜しみなく捧げ、又その方々のために日々献身的に働いている兄弟には、その奉仕が福音宣教に貴重な貢献をし、それこそが教会の生きた部分であると言っておられるのです。

 藤沢教会では、聖体奉仕病者担当の方々と共に、ご病人、高齢者の方々の訪問を感謝しながら行っております。訪問する私たちの方が恵みをいただきます。教会の宝であり、福音宣教の特別の使命をいただいている方々を大切にしたいと思います。

 こちらで分らずに訪問していない方でお望みの方がご近所におられましたらどうぞお知らせください。

  病める人に   慰めを

  恵みたまえ   愛のみ母

  アヴェ アヴェ アヴェ マリア

  アヴェ アヴェ アヴェ マリア


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信徒総会報告

 4月6日(日)に今年度の信徒総会が行われました。簡単に当日のご報告を致します。

1.バーガー神父様のお祈りとご挨拶

 6月から3ヵ月間バーガー神父様が休暇となり、その間の主任代理はテハン神父様、その後テハン神父様も休暇となる。5月下旬から年末まで助任として司牧して下さるケルソ神父様のご紹介。

2.教勢報告・・・・・・川辺事務局長

 世帯数は千7百67、信徒総数は3千4百78(3月23日現在)、年齢別構成でみると60歳未満が4分の3以上、40歳までが半数以上をしめている。中高生、青年層の教会離れが世界的に問題となっているが、当教会でも力をいれる必要がある。

 地区のばらつきがでてきたので、将来地区の再構築を考えなくてはならない時がくるかもしれない。(地区別、年齢層別の統計結果は資料参照)

3.96年度の事業報告と総会に当たって      ・・・・・高野教会委員長

 昨年度は福音マーケット、教会の未来を考える会、バザー、短期キリスト教セミナー、静修の日等が開催された。

 ガーデンパーティは全国的な社会問題であったO−157事件のため中止せざるを得なかった。 マーティン司祭の突然の退任ついては、教会委員会は知り得た情報(憶測や噂は情報ではない)は全て報告した。

 教会として福音宣教の使命を果たすために「未来を考える会」、具体的計画の作成、信徒の霊的養成、リーダーの養成の機会の提供等を実施していく。

4.会計報告と承認・・・前山財務部長

 昨年度は特別な支出はなかったが、42万円の赤字となった。安定した収入確保のため、維持費についてなお一層のご協力をお願いしたい。

 昨年の献金盗難事件についてお詫びすると同時に、再発防止のために日曜日のミサ中以外の献金、維持費の納入は事務所までお願いしたい。

 一般会計の繰越金処分は特別会計への振替は行わず一般会計の繰越金とすることを提案、承認された。(資料参照)

 総会出席と当教会信徒の希望者には書面による現預金残高公表を行うこととした。

5.未来を考える会について

      ・・・・・川辺事務局長

 21世紀にむけて、また教会の50周年に向けて、教会の姿を模索しているがそのために「福音マーケット」昨年2月より3回にわたって開催された「未来を考える会」を通して話し合いが続けられている。今年度も5月25日、10月12日、2月8日に集いを計画している。

 またこれに関連した講演会を7月に計画している。是非多くの方の積極的参加を期待している。

6.維持、修繕のための計画

      ・・・・・川辺事務局長

 92年の総会で維持、修繕のための10年計画が提示されたが、聖堂周りに関しては一段落した。センターは完成から14年たち、修繕、備品の買換えが必要となってきた。現在工事費の見積を依頼中だが、順次出来るところから実施していく予定。費用は修繕特別会計より支出する。

7.司祭館検討小委員会について

      ・・・・・川辺事務局長

 2月に発足した小委員会では、今年度中に現況を確認の上、提言を委員会に提出する予定である。

8.湘南台センターの現況と今後

      ・・・落センタースタッフ

 キリスト教入門講座をはじめ、キリスト教関係のクラス、文化教室、第2、第4土曜のミサ、ブロック主催の集会等が行われている。地域に住む信徒の教会活動の拠点としての役割は果たしつつある。北部地域の人々への宣教という点については、新聞折り込み広告がきっかけとなり、藤沢教会の入門講座を受講し昨年受洗した方が3名、今年の復活祭にはセンターの講座受講者から受洗者が生まれた。また、キリスト教関係のビデオを見る会を開催、講演会を開催する際には新聞、情報紙も利用している。

 教会全体としての協力、参加はまだまだ一部に限られているので、共に考え、多くの祈りによる支えを望む。

9.自由意見と質疑応答の中から

▼地区、ブロックが十分に活かされていない。 地区、ブロック内では壮年部、婦人部の枠 を越えた話し合いが出来るのではないか。

▼社会状況等も変化し、ガーデンパーティを 従来と同じ形ですることの是非、ガーデン パーティの趣旨を考え直す時期にきている のではないか。

▼体力もあり経験の豊富なリタイアなさった 方にもっと活躍して頂くことができるので はないか。

▼中高生のリーダーが不足している。教会に 来ないのではなく、迎える場がない。

▼青年会の活動ももっと知って欲しい。

☆総会を録音したテープが広報部にあります。当日の様子を詳しくお知りになりたい方はお申し出下さい。


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湘南台センターだより

 兼子盾夫先生講演会 遠藤周作『深い河』について

鵠沼1区  前田 絢子

 あいにくの冷たい雨が降る午後であったにもかかわらず、私たちが時間よりも少し前に着いた時には、すでに湘南台センターのホールはぎっしりの人で埋まっており、期待と関心が部屋に充満しているのが感じられました。

兼子先生の人なつこく謙虚なお人柄がそのまま伝わってくる声が聞こえてくると、私たちはすぐに、お話に引きずり込まれてしまいました。『深い河』の難解で重いテーマが分かりやすく噛み砕かれて、小説の世界が私たち自身の見近な問題と重なりあってゆきます。先生のご専門である思想や哲学の深い知識に支えられた『深い河』の理解はさすがで、その素晴らしさをみなさまと分かち合いたいと考え、私なりにその時の覚えをまとめさせていただきました。要旨と呼ぶにはあまりに短く、2時間あまりに及ぶ長い御講演内容すべてをお伝えできないのが残念です。

1.遠藤文学の特色

 『深い河』は、遠藤周作のいわば集大成とも言える作品である。遠藤自身、自分の棺の中には『沈黙』と『深い河』を入れるように、子息に遺言したと伝えられている。『深い河』は、ある意味で『沈黙』の延長線上にある小説で、『沈黙』で十分に語り尽くせなかった問題が、ここで取り上げることになる。すなわち、『沈黙』では、3つの大きな宗教的問いがテーマであった。(その1)は、汎心論的な土壌の日本に1神教たるキリスト教は根づき得るか。(その2)は、神はユダを赦したもうたか。(その3)は、なぜ神は沈黙しておられるのか。この3つの問いのうち、2、3については、遠藤は『沈黙』の中に明確な答えを提示している。「踏むがよい」と言っておられる声が聞こえるような踏み絵のイエスは、人間の罪を赦し、人間の苦しみをすすんで背負うてくださる神の姿である。神は沈黙しておられるのではなく、共に苦しんでおられるのである。他方、(1)の問題に関しては、遠藤は答えをかすかに暗示しているにすぎない。しかも、このキリスト教受容の問題こそ、遠藤が向き合うべき最も困難な最後の大問題だったのである。それは、『深い河』で徹底的に究められ、1歩間違うと 極めて大きな宗教論争につながらないとも限らない危険な結論に到達する。遠藤自身、次のようにのべている。「若いころ、私は世界を対立するものととらえてきました。難しい言葉で言えば、神論と汎神論です。だんだん年を取ってくると、こういうものは対立しているのではなく、包含されているのだと考えるようになりました。神の世界の中に神々の世界が包含されていて、重層的になっており、その頂点が1神論ではないかと思うようになったのです。」それは、エキュメニズムという言葉が許容する以上の宗教的寛容を認めるもので、キリストの御名によらぬ救済にもつながる微妙な解釈を含んでいる。ふたたび遠藤の言葉を借りれば、「どの宗教を選ぶかは、その人の環境、文化、歴史的背景が大きく働く。しかし、底に説かれていることは、根底においてはどの宗教でも、結局同じだろうと思う。」この点で、遠藤は先頃しきりに耳にする「宗教的多元主義」に同調している。『深い河』は、究極的実在はいかなる宗教においても実感されるとする宗教的包括主義に遠藤が大胆に挑戦した小説なのである。

2.遠藤文学の小説作法

 『深い河』は、「文章は分かりやすく、構成は非常に凝る」という遠藤の小説作法にしたがって、非常に凝った構成で出来上がっている。標題の「深い河」は、小説の舞台であり、構成上の軸になっているばかりでなく、メタファー(暗喩)として普遍的な人生の真理を照らし出している。小説のエピグラムに、黒人霊歌『深い河』の歌詞が使われているが、黒人にとって深い河は、苦悩に満ちた此岸からの解放を意味している。それは、苦悩に満ちた砂漠での彷徨の末にヨルダン川の此岸から約束の地カナンを望むヨシュアの故事にちなんだ歌である。小説では、物語はインド仏跡旅行に参加した人々の人生を支流としてさかのぼり、彼らの人生のすべてを束ねるガンジス川に向かって流れ、進んでいく。癌で死んだ妻の生まれ変わりを探す磯部、真似事ではない人生の手応えを求める美津子、動物の身代わりで命拾いした沼田、友人から人肉を食べた過去を告白された木口、カトリックの神父として不適格者の烙印を押された大津が、深い河の辺に集まる。ガンジス川はヒンズー教徒にとっては、天界から下りてきた聖なる川であり、罪を浄化する水であり、死と再生の場所であり、すべてのものが溶けあ う永遠の流れである。同時に、「深い河」は、キリスト教徒にとっては、キリストの愛によって結ばれた人間の川である。人の悲しみも喜びも呑み込み、救いと購いを与える流れである。「水」は、分解し、形を変え、罪を洗い流し、浄め再生する力として、きわめて象徴的に用いられている。

3.登場人物の名前の意味

 『深い河』の登場人物たちの名前に当てらえる漢字には、水、木、土のシンボルが含まれている。女性主人公の成瀬美津子は、姓にも名前にもさんずい偏がつく。彼女は、「永遠の命の水」を求める求道者である。主人公である大津にもさんずいが与えられているが、彼は現世における「永遠の水」の与え主である。大津のモデルはルオーの描く哀しきピエロ・キリストであり、さらに『旧約聖書』のイザヤ書に出てくる虐げられた義人である。「彼は醜く、威厳もない。みじめで、みすぼらしい。人は彼を蔑み、見捨てた。忌み嫌われる者のように、彼は手で顔を覆って人々に侮られる。まことに彼は我々の病を負い、我々の悲しみを担った。」大津は、美津子に誘惑され棄てられた無力な男でありながら、キリストの影を常に背負って自己犠牲と献身に命を賭ける強さを秘めている。美津子に同じ津が与えられていることは、彼女が大津から霊的な遺産を継ぐ人間であることを暗示している。磯部に関しては亡き妻の生まれ変わりを現世に求めようとする過程で、妻との心の交流を発見するが、それが霊的な交流に深まらない。彼は「深い河」に望みながら、水の淵にたたずむ男であり、磯は彼の踏み込め ない状況を暗示している。童話作家の沼田は、人間と他の生き物とつながり、関わりを追求する男である。遠藤の一切衆生悉有物性を肯定的に捉える考え方を共有する意味で、遠藤の分身的な存在である。彼は、九官鳥を森に解放することで、ある種の癒しを得る。ガイドの江波は、日本人をガンジス川に案内するアルバイトで生計を立てている。彼の役割は、人を水辺、「永遠の命の水」の辺、「深い河」へと誘うことである。その他、木口と塚田の名前にもそれぞれの意味がある。木は、「生命の木」、すなわち生命力の象徴である。また、塚は、土の堆積の意味であり、土にほかならぬ人間存在の塵的なはかなさを意味する。以上のように、『深い河』は、多くのシンボルやメタファーを作品全体にちりばめて、きわめて重い宗教の受容の問題を徹底的に掘り下げることに成功した作品といえる。

    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 大変に内容の濃い、鋭い切り込みと分析に満ちたお話で、一語一句漏らすまいと耳を傾けた2時間でした。これほど『深い河』が内容の濃いものであったことを知り、圧倒されてしまいました。お話を聞き終えて、家に帰ってからシンボル事典をひいてみますと、「イエスがいやならタマネギと呼んでもよい」と大津が言ったタマネギとは、「さまざまな構成要素が、有機的な統一体を形作っているため、統一をあらわす。神のエンブレム」であることを知り、悪戯好きだった遠藤周作の言葉遊びの徹底ぶりに、思わず苦笑してしまいました。しかし、これも単なる冗談ではなく、兼子先生が解説してくださった「宗教的多元主義」、もしくは「神は多くの顔をもつ」ことを分かりやすく説明するための仕掛けなのだと納得いたしました。兼子先生、いつまでも心に残る素晴らしいお話を本当にありがとうございました。日本人として誰もが常に感じている根本的な問題点に対する見方を、遠藤作品を通して教えていただくことができ、心から御礼申し上げます。


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皆様と共に

婦人部長 辻堂3区 内嶋かほる

 16年前、洗礼を受けて藤沢教会に転入して来てまもなく、何も分からないままに婦人部のお手伝いをさせて頂きました。

 それからたいして成長しないままで、又この1年間婦人部、部長として働かせて頂く事になりました、決心した瞬間、正直に言えば「苦しいな」と思いました、でも歩き始めまして、親しい友人ばかりでなく思いがけない程の多くの方々から、励ましの温いお言葉をいただいて有り難く、感謝の気持と元気が湧いてまいりました。

 皆様には日々祈られ、個人的にも共同体の一員としても、確かなお考えをお持ちと思います。皆様のその声を良く聞きとり、私に許された範囲で働かせて頂きたいと思っております。

 私共4人の婦人部役員をどうぞ宜しくお願い申し上げます。

  副部長は デシルバ治子(辻堂2区)

        福山 里子(辻堂2区)

        中山 孝子(辻堂3区)


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「婦人部のお役を終えて」

藤沢1区   大森 弘子

 「復活」この言葉は何と、いい言葉でしょう。 音楽的には決して、響きを感じさせるものでは有りませんが本来の意味である、蘇生、よみがえること、生きかえること、という意味のみならず、愛、希望、勇気、その他の意味を重い起こさせ、胸の高鳴りさえおぼえます。勿論、当教会でも、イエス・キリストの復活をいい、教理の核心と同時に、1年の始まりとも云えましょう。

 さて、婦人部は、イースターと同時に、(直後の初金)新年度の方と役員を交替いたします。

 婦人部のお仕事と申しますと、主に週2回(月・金)の聖堂やセンター、トイレやお庭、お台所、又、御葬儀前後の清掃とお手伝いです。そして、春の遠足や、教会主催の諸行事のお手伝いを致します。

      また、昨年は9月に新しく転入して来られた方や、受洗なさって1、2年の方々にお声を掛けての親睦会を開きました。同じ気持ちで、共に考え、共に歩んで行きたく思ったからでした。月を追ってごくごく簡単に例記してみますと、

 4月のイースター後の引継ぎに始まりまして、5月の遠足、これは、晴天に恵まれ、静かな佇まいの、ステンドグラスの美しい由緒ある腰越のモンタナ修道院にお伺い致しました。樹々を渡る風が、手入れの行きとどかれた青い芝生と相まって一層爽やかに感じられました。帰途のアスレチックばりの谷戸歩きは、ハラハラ、ドキドキその中に風趣の有る楽しいものした。

 7月は恒例のガーデンパーティーというところですが、O−157 という社会現象から、やむなく中止に至りました。でも教会委員の方も交えて、熱心に議論致しました。

 9月の敬老会は、いづれ私もお仲間に入れて頂けると存じますが、76名の方がご参加下さいまして、皆様、ャ泣rwbぼр黷ャ泣rrbかр閧笑顔で盛会裡に終りました。

 また、前述の通り、新しい方々との交流の会も、和の一助になりました事でしょう。

 11月は、七五三のお手伝い、当の皆さんは神父様から祝福のお言葉とおメダイや、千歳飴を頂かれそれぞれ幸せそうにお顔が輝かれて見えました。

 12月は待降節です。気配り位でさしてお手伝いはありませんが、聖堂の前に高さ7メートルとかのモミの樹が用意、飾られ、毎夜のイルミネーションがクリスマスへの思いをかり立てます。私も優しい気持になりました。

 翌1月は婦人部の新年会、心を一にして神父様のお話と、皆さんの余興に、しばし童心に返りました。

 2月は四旬節に入ります。横浜教区の典礼研修会や、静修の日のお手伝い、ご復活祭へ向けての祈りながらの生活は、意義深く思えました。

 3月は子供達の卒業の時期です。感謝のごミサも行われました。

 また、受難の主日を迎えるべく枝の準備、整理を行いました。ほど良い長さに切り埃を拭き取り、箱につめて静かに枝の主日まで保管するのです。下準備をして下さいました方々のご苦労を思い、感謝しながら皆で作業致しました。

 神父様はじめ、運営委員会や、活動部の各会で働いて居られる方々、直接、間接を問わずそれぞの所で、それぞれの形で、祈り、働かれて居られるのだなあと思いました。

 この1年、思うに任せず至りませんでしたが恙なく過ごす事が出来ました。

 私自身、教会を通して沢山の事を学ばせて頂きました。勿論、婦人部のお仕事(お手伝い)を通して教会へ関心も深まりましたし、祈りという事も少し分かって参りました。

 有難うございました。

 昨夜来の雨も上り、柔らかな陽射しを受けた桜の樹々が綺麗なピンク色で、ほほえむかの様に、復活祭を祝う、中庭の私達信徒を見おろして居りました。

 復活祭のこの時期、婦人部のバトンタッチです。

 さあ!心を合わせ、婦人部も教会の諸行事の中で頑張ってください。

 蛇足になりますが、婦人部から教会にお願い致しまして排水溝の所を改修して頂きましたり、皆様(主に初金)の献金で、お台所用品を少し補充する事が出来ました。

 ちょっとご報告致します。

 では、藤沢教会婦人部の発展を祈念致しまして筆を置かせて頂きます。

           神に感謝


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イースターエッグ

鵠沼1区   窪田  恵

 今までは高校生会のメインイベントでしたが、最近の高校生諸君は超多忙につき、なかなか揃わず今年は相談の上『どなたでもお願いします!』ということになりました。リーフレットでの呼び掛けに反応があり年齢を問わずたくさんの方々が集まって楽しい『玉子かき』となりました。3月29日(土)午後2時からホールで婦人部の方々が茹でてくださった玉子に絵の具、カラフルマジック、クーピーペン、シールなどを使い、綺麗なお花がたくさん載っている花集、動物の写真などを参考にしながら皆様時間をかけて丁寧に仕上げてくださいました。

 途中、イースターに関係のある見事な手品を披露してくださったり、小学生のピアノ演奏があっりで『老若男女全員集合するとこんなに楽しい!』と嬉しくなりました。日頃、同じメンバーで同じ事を繰り返しているけれどちょっと違った声がけでまた新しい出会いがあるということが素晴らしいお恵みと思いました。

 出来上がったイースターエッグは1つ1つが殻をわるのがもったいないくらいの素晴らしい出来栄えでご復活の当日7時、9時30分のミサ後に販売しましたがあっという間に売り切れてしまいました。 準備してくださった方々、お手伝いくださいました方々、本当に有り難うございました。売り上げは会計にお渡し致しました。

 来年もまたご復活前日に楽しく『玉子かき』をしたいと思います。多くの方々の参加をお待ちしていますので、皆様どうぞお忘れなく。


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「隣の国を良く知るための韓国巡礼4日間」に参加して

藤沢2区   兼子 盾夫

 1.なぜ韓国巡礼?

 韓国は言語(ウラル・アルタイ語族)や文化(東アジアにおける儒教文化圏)において我が国と非常に近いにもかかわらず過去の不幸な関係のせいで、現在でも依然として最も遠い国だ。「韓国巡礼に行くって?」「おやおや」巡礼というと欧州やイスラエルを思い浮かべる我々日本人には、お隣の韓国に日本の17世紀初頭や明治初年の殉教にも勝るとも劣らない殉教の歴史があり、多くの聖地があることなど思いも及ばない。そう言う僕自身も韓国の殉教の歴史について全く無知であった。ある時、韓国のキリスト教人口が新旧合わせると1000万(カトリック400万)にも達すると聞いて、出来ればキリスト教信仰の温度の違いを、実際にこの眼で確かめてみたいものだと思っていた。だから今回の韓国巡礼の話を聞いた時、是非とも参加しようと思ったのだった。

 2.3月31日、藤沢駅頭でバーガー神父様からお見送りを受ける。さらに偶然にも成田空港で白柳枢機卿様から「藤沢教会の皆様ですね、韓国へ元気で巡礼して下さい。お祈りしています」と激励される。

 3.ソウルの第1印象 ヱgみ方向KALр大型機で成田から約2時間(時差はない)、金浦キンポ空港に着くと、湘南地帯とは違ってやはり寒い。でも現地の人に聞くと、昨日までと異なり例外的な暖かさだとのこと。 ここで大阪、香里教会からの梅原神父様はじめ信徒の皆さんと合流する。空港には団長の李鍾昇(イージョンスン)神父のお父上、懐かしい李徳根(イートックン)神父様が出迎えて下さる。神父様4名、信徒63名からなる総勢67名の巡礼団が出来上がる。さっそくコーロン観光の2台のバスに分乗して市内へと向かう。空港こそ日本の政令都市のそれを思わせる規模だが、一歩、市内に入ると正直なところ新しい街並や高層ビル群にびっくり。とにかく建物が高く清潔である。日本より地震の心配がないだけに総じて建物が高く建てられるのだ。しかも冬が寒いので外壁が日本のそれの2〜3倍はある。外壁が石や煉瓦、コンクリートで厚めに出来ている。

 4.切頭山の殉教記念館

 ソウルの辺を漢江(ハンガン)という大河が流れている。この漢江に面してソウル近郊に高さ50m位の岩山、切頭山が聳えている。河っぷちなので風が強く、バスから降りるとマフラーでも欲しい寒さだ。気候の上で日本とは約1ヵ月の差があるという。そう言えば、今の時期に日本で見られる緑の野草が川原の土手に見られない。この岩山から無名のキリスト者が多数、突き落とされたり文字通り首を切られたそうだ。山上に聖堂と記念館があり、記念館は月曜日で普段なら休館日にもかかわらず見学出来た。一郭に18世紀に韓国人で初めて叙階された金大建(キム・テゴン)神父の大きな銅像が建っている。周りでは大勢の善男善女(ある人たちは伝統的な民族衣装を身に纏っている)が音楽に合わせ歌ったり踊ったりしている。記念館には初期の聖職者や信徒たちが使用した十字架や典礼用の聖具や衣装、さらに信徒に対する拷問、尋問に使われた官憲の側の道具やそれらの模様を表す絵などが展示されている。展示物に簡単な英語が添えてあるが、僕はハングルはさっぱり読めないので(日本語による説明はすんだが)もう一つ内容が判らない。この地下には殉教者たちの遺骨が安置されている。 さらに聖堂の地下には19世紀前半に殉教したフランス人(パリ・ミッション)の司教様、神父様、韓国の信徒たちを記念する銅製のレリーフが嵌められている。ここでは中原教会のブルーノ・フォール神父様が詳しく説明して下さった。

 5.明洞(ミョンドン)大聖堂における   ミサ

 バスでソウル市内の中心部(僕の友人は新宿みたいと言っていたが、僕には赤坂山王付近みたいに思われた)、明洞にある大聖堂にお参りする。ここは19世紀末(明治31年)に建てられた総煉瓦造、ゴチック様式の大聖堂である。大司教様、司教様が3名もおられる韓国カトリック教会の中心的な場所である。バスで丘の上に上がって行くとテントが張られており、少し異様な感じがする。後で聞いたところ、ここは一種の治外法権的なスポットだそうで、政治的・社会的なアピール活動やデモンストレーションの起点になっているそうだ。過去において厳しい政治的状況下にあって、また現在も韓国の政治に対するチェック機能を教会が果たし、国内カトリック信徒の精神的な支柱となっているそうだ。 この聖堂は特別に歴史と格式を誇る教会だが、枢機卿様からさらにお願いして戴いたこともあり、李神父様はこの大聖堂の地下でミサを上げる許可を戴いた。ごミサの後で、見るからに頭の切れそうなエリート聖職者という感じの主任司祭がこの聖堂の歴史と現在の教勢について説明して下さる。なんと信徒数4万、毎年受洗する大人の信徒の数(幼児洗礼は除く)だけで1500人余だそうである 。この教会の影響力が社会的、政治的にも大きいことがよく納得出来た。一言で言えば、この明洞大聖堂は社会とともに活動している教会なのだ。全員で最初の集合写真を撮る。李鐘昇神父様の大勢の友人に見送られて明洞大聖堂を去り、バスでレストランに向かう。藤沢教会の皆さんは今朝4時半には起床した筈(5時30分に藤沢駅頭でバーガー神父様に見送って戴いた)で、明日の早い(7時)出発を考慮して、カルビ焼きを堪能した後、夜景は見ないでホテルにすぐ帰った。

 6.4月1日、安城(アンソン)のミリネ   巡礼と独立記念館見学

 早めにソウルを脱出しないと、高速道路上で車の大渋滞に巻き込まれる恐れがあると言うわけで朝7時にホテルを出発。李徳根神父様の故郷?に近い安城に向かう。安城は人里離れているせいか、空気は清冽である。若い天主聖三修道会のブラザーの説明で周辺の修道会の施設、墓地、韓国最初の司祭キム・テゴン神父の遺骨の1部が安置してある(殉教後、神父様の遺体は篤信の青年1人の手によって夜間、密かにソウルから神父の故郷であるここ安城に運ばれた)小聖堂を訪れる。ここにはまたノアの方舟をかたどった大きく立派な聖堂が建っている。新しい石造りでなければ、フランスかどこか欧州の聖堂と見まごうばかりである。

 信徒経営のレストランで釜飯風の昼飯を食べた後、独立記念館を見学。バスを下りてから1.5Km位歩き、大きな記念門のさらに向こうに独立記念館はあった。小学生や一般の見物客に混じって見学する。いわゆる日本帝国主義による侵略と支配、独立までの歴史が展示してある。明治初年の征韓論(西郷南州等、日本では歴史的な偉人が韓国では極悪人である)、下関条約、閔妃の乱、191〇年の日韓併合、関東大震災のときの韓国人の虐殺、日本の支配下における圧政、拷問、国内外のおける独立運動の歴史等々が展示されている。英語の説明が簡単なので受けるショックが少ないが、もし展示物の説明や電子的に自動化された大画面の音声が日本語でわかれば、おそらく相当に衝撃的内容だったろう。しかしどう言う歴史観の持ち主であっても、日本人ならやはり1度は来るべき処であると思う。

 7.海美(ヘミ)巡礼とミサ

 西に海を控え(海岸から4〜5Km)た、かっての要衡の地もまた殉教者の血が多く流された処である。ここで屋外の石の祭壇と石の腰掛けに座ってミサにあずかる。主任司祭が英語で歓迎の意を述べる。終わって若い修道女が殉教に関して説明した。夕暮れ迫るなか彼女の信仰に捧げる熱意に打たれる。夕方、温泉の町、温陽(オニャン)のホテルへと向かい、海鮮料理に舌鼓を打つ。

 8.4月2日、鎮川(チンチョン)のベティ巡礼と水原の民俗村

 朝から冷たい雨が降る中を、やはり殉教者を多く出した村(全村の信徒が殺されたので何人殺されたかは不明だという)を訪れ、かって村のあった処に建てられた記念の聖堂にお参りをする。上品で長身痩躯の主任司祭の説明に感動を覚える。聞くと神父様自身、病を得てソウルで加療されている身とか。この神父様のお話も明洞の主任司祭のお話も表面は冷静ながら、内容的に火を吐くような激しさを伴っているように感じられるのは何故か。現代社会の只なかで宗教が生きているということなのか。日本におけるように宗教が上品で知的、異国趣味的な香りのするアクセサリーでないからか。いずれにしても殉教者の血がますます多くの信者を生み出していくという格言は本当だなとつくづく感じた。

 民俗村を訪れたときに韓国版教育テレビによるロケに出くわした。韓国の封建時代の農村にタイムスリップしたかのようである。村の入口に鳥居の原型のようなものがあり、また両方の柱にはしめ縄が掛かっている。民家、商家、両班(ヤンバン郷士?)の家、裁判所、留置場などもある。韓国独得の犬や牛が繋がれていたり、昔懐かしい芋飴、駄菓子、土産物、木工の製品等を売る店もある。

 9.4月3日、板門店見学

 板門店ツアーに参加、詳細は省くが、東西冷戦の名残がここ朝鮮半島では未だ現実である緊張を体験する。平和ぼけした僕たち日本人が韓国動乱休戦ラインで二分された韓国と北朝鮮の悲劇を考える絶好の機会だ。とは言うものの会議場のテーブルの北側に足を踏み入れて記念撮影をしたときは、正直言って気味悪かった。窓の外から覗いている北朝鮮軍兵士の好奇心に満ちた眼の動きやヒソヒソ話が怖いのである。今にも銃で撃たれるのではないかと心配した。実際は厳重な非武装地帯だから銃撃されることはないのだが。復路のバス(一般のバス・ツアーに混じって)の車窓からみる教会の尖塔の十字架の多さよ。ここはアジアなのだが新たなるキリスト教国なのだという実感がこみ上げた。

 金浦空港近くの登村一洞(ドゥンチョンイルドン)教会で巡礼最後のミサにあずかる。我々のことが韓国のカトリック新聞で報道された(高木先生はインタービュウされた)そうで、主任司祭もこころよく出迎えて下さる。バスの中でフォール神父様が我々に施した特訓の成果が実り、韓国語の聖歌が綺麗に響きわたり、主任司祭を感動させた。いよいよ我々の巡礼もここで終わり、大阪香里教会の梅原神父様はじめ15名の方々、川崎、中原教会のフォール神父様他7名の方々、また、藤丘、大船、雪の下、相模原、三笠、貝塚、草加、関目、葛西の12の教会の皆様の祈りとご協力のもと短時日ではあったが聖なる息吹に満たされた恵み多い4日間であったことを記しておく。

 最後に講師として多くの知識を授けてくださった高木一雄先生、この巡礼を企画、運営し我々や神父様がたを導いて下さった八木京子、松尾池鶴世の両氏に心から御礼申し上げる。僕の実感として現在はその意義が十分には理解出来ないかも知れないが、この巡礼が日韓両国のカトリック交流にとって歴史的、画期的な意味をもつものであることが理解できる日が近い将来、必ずくると確信している。


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折り紙に祈りをこめて

湘南台  野中 陽子

 “隣の国をよく知るため”この言葉に心動かされて申し込んだ韓国巡礼。「お土産に何か折り紙で」と松尾さんから依頼されたのが、出発の1ヵ月前。日本らしい色合いのくす玉がよいとのことで、数ある作品の中から、石橋美奈子作「錦」を選び、友禅模様の和紙折紙百20枚(くす玉10箇分)を用意。

 出発の10日前“折る人を集めるのは任せて”との頼もしい八木さんの呼びかけで、湘南台センターに集まったのは、幹事さん2人と野田さん、斎藤さんと私。巡礼には参加出来ないけれど折るだけでもと、下村さん、荒井さん、黒田さんと順子ちゃんの計9人。

 一同始業の祈りをしてから、折って組んで苦闘(?)の4時間余り、途中「内側がきれい」と荒井さん。良い作品は外見だけでなく内面も清しいこと信仰生活にも通じます。又、各パーツが互いに支え合う球形は、見事な共同体。真心こめた作品は大切に韓国まで運ばれて、各聖地の教会にさし上げました。

 着いて最初に訪れた切頭山の、広場を埋めた群衆の激しい歌声に、私達は先ずビックリ。「聖霊セミナーのようなものでしょう」と、物静かに李鍾昇神父様。私達が殉教記念館を一巡して来ても祈りは続いており、全員が頭に新聞紙で折った物を被っているので、石段の所で会った青年に、その折り方を教わりました。強い陽差しをよける帽子とのこと。

 2日目、海美(ヘミ)での野外ミサの後、道端で李鍾昇神父様から「わたしの友達です」と若い3人の女性を紹介されました。私は彼女達に「立派な神父様を日本に送って下さってありがとう。」と言いたいけれど言葉を知らない。そこで折り紙で、動くハートを折り3人に渡しました。バスが発車するときシスターと並んで、その赤いハートを動かしながら見送ってくれた彼女達のことを、私は忘れません。

 全体を通して印象的だったのがシスター方。各聖地でのミサの後、どちらのシスターも、厳しい迫害や拷問に屈することなく殉教していった信者達のことを、背筋を伸ばし、誇りに満ちて堂々と語られました。

 次が各記念館に並ぶ、眼を覆いたくなるような拷問の様子を表す、等身大のブロンズや石膏の像。韓民族は、事実を事実として直視し風化させない。だからこそ信者は十字架の道行きも復活の喜びも、現在の自分の生活と密着させることが出来るのかも知れません。 最後に訪れた板門店。厳戒体制の中で見た北朝鮮の荒涼たる山野。そこに平和の若草萌える日の、1日も早く来ることを祈ります。

 無名殉教者の聖地海美(ヘミ)での梅原神父様の説教も忘れることはできません。「殉教には血の殉教と汗の殉教があります」初めて耳にした言葉です。汗をながすことなら私達にも出来ます。

 フォール神父様のご指導で覚えて歌った韓国語の“愛の讃歌”は今も耳に残っています。

 苦しみの歴史・悲しみの歴史を乗り越えて私達を案内して下さった李徳根神父様。講師の高木先生、そして団長の李鍾昇神父様。

 充実した素晴らしい巡礼でした。知ることは愛することの始まり。夫婦で参加させて頂き、本当にありがとうございました。


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ベストセラーと教科書

辻堂2区  魚津 靖太郎

 昨年来、話題になったベストセラーは「脳内革命」、続編と合わせて500万部を突破する勢いで、「神々の指紋」がこれに続く。 異色なのは昨年11月に2位にランクされた「教科書が教えない歴史」で、続編も今年1月第2週に8位と健闘している。(八重洲ブックセンター調べ)

 このようなあまり宣伝もしていない地味なテーマの本がベストテンに顔を出すことは珍しく、歴史教育界にも一石を投じた。

 著書の藤岡信勝氏(東大教授)は第1巻がベストセラーになり40万部突破し、今も読まれ続けていることに対し、「私たち日本人が心の底では、自国の歴史に誇りを持ちたい、という欲求が世代を越えて共感のウズとなり全国に広がったのです。これからの歴史教育は、自国をことごとく悪と見るような外国の国家利益に起源を持つ歴史観から一切自由になって、日本人の立場で、自国の歴史を考えることが必要なのです。この本は中学生が読めること、小学生でも先生の助言があれば理解できることを基準として執筆したので、先生と生徒の間で、また親と子の間で歴史を語り合うキッカケにしてほしい。」と述べている。

 ベストセラーと言えば小、中学校の教科書も隠れたベストセラーと言えるだろう。

 今春4月から、中学校のすべての歴史教科書(7社で約150万冊)に「従軍慰安婦」の記述が登場することになり、これに反対して、著者の藤岡信勝教授や評論家の西尾幹二氏が中心になって、歴史教育の見直しを提唱し「新しい歴史教科書をつくる会」が昨年暮れに発足した。

 これに対し、藤岡教授を真っ向から批判する藤原彰・森田俊男編「近現代史の真実は何か」が刊行された。また教育現場の一部では日教組が「平和教育」を守れとばかり「新しい歴史教科書をつくる会」に対し異を唱えている。

 その是非を巡る論争の背後には歴史観をめぐる戦後の長いイデオロギー的な対立が未だに尾をひいている。

 自国の歴史に多様な見解や過去に対して色々な意見があるのは当然である。多面的な論議こそ今必要であろう。

 ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世は新年書簡「世界平和の日メッセージ」の中で、「民族が過去の状況を乗り越えるためには、ある種の「記憶のいやし」が必要であり、これを実現するためには、他の民族の歴史を読むことを学ばなければなりません。つまり、他の民族の視点で理解しようと努力しなければならないのです。これは教育面や文化面においても真に取り組むべき課題です。」など、教皇は他の民族の歴史を読み、互いが認め合う歴史認識こそ和解への第一歩だとしている。

 ところで皆さんは、ご自分の子供の教科書を実際読んでみたことがありますか。

 新学期を迎え、今いろいろと論議されている歴史教科書に、問題があるにしても、ないにしても、まず読んでみることが大切です。


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マリッジ・エンカウンター・ウィークエンド

藤沢1区  綿貫 明宏・光江

 マリッジエンカウンター(略称ME)は、婚姻の秘跡をどのように生きるかを、体験的に学ぶものです。

 夫婦ウイークエンド(FF)は、片方或いは両方未洗者のご夫婦を対象とした、より深い夫婦の関わりを中心としたプログラムです。 自分と相手との関わり、自分とまわりの人々との関わりを深く見つめる機会となるでしょう。ある方は「このプログラムでは、神をださないのに、私は神に出会えた。」と言っておられます。関心のある方は、説明会を致します。

 FF(夫婦ウエークエンド)

   6月13日(金)〜15日(日)

   戸塚  聖母の園

 4月20日の朝7時のミサで、李神父様は

「召し出しには色々あって、神父、修道者、シスターだけが召し出しではない」というお話しをなさいました。私達は聖書のメッセージ「互いに愛し合いなさい」を生きることも、召しだしであるという事を、マリッジ・エンカウンターで気づかせて頂きました。「婚姻の秘跡」を生きること、それも召し出しだったのです。

 神様が私達をどんなに愛して下さっているか、互いに愛し合う事に心をかけて下さっているか、そのことに気づき、それに気づいた喜びを是非体験してみて下さるよう、お勧めいたします。

お問合わせ 綿貫明宏・光江 0467(31)1176、子安 敏雄・昭子 0467(44)6218 Sr. 我妻志づ枝(藤沢教会) 0466(27)2787


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5月の主な行事予定

4日(金)初金ミサ・婦人部例会午前9時30分

11日(日)主の昇天  北2ブロック黙想会

    藤沢ブロック集会午前11時

    日曜学校1年生開始

17日(土)ケア・セミナー 午前10時

18日(日)聖霊降臨

    子供と家族のミサ午前9時30分 教会学校遠足

    共助組合総会

19日(月)子連れで集まろう 午前10時

21日(水)婦人部遠足

25日(日)三位一体

    教会の未来を考える会 午前9時30分ミサ後

29日(木)テレサの会    午前11時

八角形にゅーす6月号の原稿〆切は5月19日(月)です



編集後記  大庭  八木京子

 5月号の編集後記をかくようにとの事、韓国巡礼を大きな恵みのうちに無事終えて、まだまだその喜びと感動で心のふるえが止まらない私。後記の適当な言葉が何も浮かびません。

 唯いつでもどこでも頭の中をよぎっているのは、八角形にゅーすの為に日夜頑張っている広報の素晴らしいスタッフに感謝!!

 そして藤沢教会の皆様、どうぞ八角形にゅーす共々今後共よろしくお願いいたします。


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