八 角 形 に ゅ ー す
1998年2月1日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
神様からいただいたお恵み・・・・・・・・・・・・・・・主任司祭 ジョン・バーガー
「聖堂及び司祭館・事務所」の老朽化にともなう建築について・・・・・・・教会委員会
湘南台センターでのクリスマスの集いへの感想・・・・・・・・・・長後 大原 恵子
やったぜ!クリスマス会・・・・・・・・・・・・・・・・あらい君とゆかいな仲間たち
成人の決意・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 道下 恵
ネパールからのたより・・・・・・・・・・・・・・・・・・信徒宣教者会 米谷 和江
ルワンダヘ愛をこめて パートU・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 元永けいこ
エルダーズの会だより・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 丸山 展生
神様からいただいたお恵み
主任司祭 ジョン・バーガー
「私は、あなたがたがキリスト・イエスによって神の恵みを受けたことについて、いつも私の神に感謝しています。あなたがたはキリストに結ばれ、あらゆる言葉、あらゆる知識においてすべての点に豊かにされています」 1コリント1:4-5
「人は私たちをキリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべきです。この場合、管理者に要求されるのは忠実であることです」 1コリント4:1-2
私たちは皆、神から数多くの恵みをいただいています。神は私たちに、わけへだてなく、ためらうことなく恵みを与えてくださっていますから、私たちも頂いた恵みを充分に感謝し活用すべきでしょう。
神への感謝の仕方は旧約聖書とキリストの教えの霊的な教義に基づいてなされます。それは私たちに与えられた時間、才能、財産の一部を神にお返しすることが必要です。このように考え、行動することによって、神との関係が深まり、霊性が生じます。それは無計画的、また偶然的にすることではなく、意図的に、計画的に、比例的に寄与することです。
意図的というのはよく考えて、キリスト者としての生活を思慮深くおくる決心をします。計画的というのは、私たちが時間や予算の計画をたてるとき、その一部をいくらか神に捧げるよう計画することを意味します。比例的というのは寄与する人々が自分達の社会的地位に比例して、その収入の何パーセントかを神に捧げることを意味します。
神が私たちにくださった賜物をどのように生かすかについての考え方は、教会が受ける必要性に基づくのではなく、各個人が与える必要性に基づかなければなりません。例えば、小教区が借金していても、銀行に貯金があっても、私たちは神から賜物を頂いているのですから、何か神にお返しする必要があります。どんな場合でも、時間、才能、財産を捧げるのは教会に限ったことではありません。多くの人々はボランティアとして彼らの時間や能力の一部を一般社会や共同体の福祉活動のために使っています。小教区への献金のほかに一般の良い組織に寄付している人々もいます。
時間は私たちに与えられている最も貴重な賜物です。それはまさしく私たちが生きるための要素です。時間を与えるということは、祈っている時でも、家族や友人と愛を分かち合う時でも、教会や共同体の中でボランティアの仕事をする時でも、また世界の正義と平和を促進するために働く時でも、神と共にいることを意味します。多くの人々が毎週祈りや福祉活動のために時間を割いています。
もちろん、私たちの第一の責任は自分自身また家族のために必要なものの手当てをすることです。実際に必要なものと欲しいものを見極めることは私たちを霊的に助けてくれます。真の、キリスト者としての生活を送るためには多くのことが要求され、それはたやすいことではありません。神のご計画に「イエス」と言い、利己的で思いやりのない社会の物質主義に「ノー」と言えることが必要となります。それは回心の過程です。
このような文を読んだ時、「私に何の才能もない」と言う人がいるのをよく聞きます。あなたは聖歌隊に人って、一番上手に歌う必要はありません。あなたは料理をしたり、何か教えたり、他人を元気づけたりする能力があるかもしれません。大事なことは、私たちが神から頂いている才能をみつけ、それを他人のために使うことです。
「小教区で何もしていない人々はどうなりますか」と疑問に思う方もいるでしょう。しかし、このような方は「他人はどうですか」ではなく、「自分はどうですか」と問うてみるべきです。私たちは皆、他人に対してみつける欠点を自分の中にも簡単にみつけることができます。キリスト者としての信心が深まるにつれ、私たちは神の前で、より素直になることができます。私は聖書の中の人々がしたように大地の初物を神に捧げていますか。また、私は必要なもの、欲しいものが満たされたあとに残ったものを神に捧げていまか。私たちは皆心の中で、生活の中で一番大切なものは働いて得たものではなく、神から与えられた賜物であることを知っています。私たちが頂いている値踏みのできない極めて貴重な贈り物に対して感謝するもっとも良い方法は寛大に神にお返しすることです。
「万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りをなさい。何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。不平を言わずにもてなし合いなさい。あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、そして、その賜物を生かして互いに仕えなさい」 1ペトロ4:7-10
1月17日に定例の教会委員会が開かれましたので、ご報告いたします。
1.教会ウェルカミングデスク設置について。
毎月第1日曜日の9時半のミサ後、30分位、主に新しく転入した方や受洗した方を対象に教会生活全般の相談デスクを設けることにした。教会委員長、事務局長を中心に教会委員会が担当する。2月1日から実施。
2.国際ミサと司教訪問について。
1月25日の9時半の国際ミサは、濱尾司教様に司式して頂く。
ミサ後、お茶を用意し司教様との交流の場を設ける。
3.維持費等財政問題について。
前号でも報告した通り、現在維持費を負担していない世帯に配付する「納入のお願いの文書」の草稿を検討した。高齢者、その他未納の事情がわかっている方には配付しないことにする。
今後、納入登録済みであっても最近未納の方にも納入のお願いをする。
聖堂、司祭館等の老朽化にともなう建築について認識して頂くための説明を「八角形にゅーす」に載せる。
4.来年度の活動及び予算案提出について。
2月中に、各活動、ブロックの予定、予算案を提出してほしい。近年、片瀬教会とパザーの日程が重なっていたが、今年は片瀬教会のバザーが11月1日に決まった。(藤沢は10月25日)
5.教会委員会のあり方について。
教会委員会で決定したことについて、毎回議事録に基づきその進行状況、結果を確認していくことにした
6.静修の日について。
3月8日に予定している静修の日は、9時半のミサよりアトンメント会の平松神父様に依頼。内容等については宣教部の大泉氏が打ち合わせる。
7.教会の未来を考える会について。
次回の全体会は2月15日9時半ミサ後に開催予定。大勢の方の出席を望む。また婦人部ではブロック毎の集会を開き、話し合いを進めている。
8.福音宣教の方法論について。
麹町教会のパンフレットも参考にして検討を進めることを確認した。次回は各委員のパンフレットの感想から検討を始める。
9.壮年部報告
年度末で壮年部長の交替の時期となった。3か月に1度の「壮年の集い」、小旅行を実施してきたが、今後は黙想会等霊的行事も取り入れていきたい。
10.カトリック新聞プロモーションについて。
2月22日の9時半のミサは、カトリック新聞社の森田神父様に司式して頂く。ミサ後、カトリック新聞講読拡大のためのプロモーションの予定。
11.その他。
教会の施設を貸す基準をつくる。聖堂は貸しホールではないことを徹底させる必要がある。教会、聖堂に相応しい扱いをすること、後片付けの徹底、リハーサルには貸さない等、またこれらを守らなかったグループ、団体には今後貸すことを断る等を文書にする。
「聖堂及び司祭館・事務所」の老朽化にともなう建築について
1998年1月 教会委員会
私どもの藤沢カトリック教会は、聖コロンバン会によって「丘の上の教会」として誕生しました。1955年(昭和30年)のことでした。それから15年後の197〇年(昭和45年)に現在地に新たに献堂されて今日に至っております。『40周年記念誌−ともに−』によりますと、「総工費6千万円、それは聖コロンバン会からの寄付金と信者たちの負担金、それに藤沢市からの補償金などでした」とあります。鉄筋コンクリートの190坪の聖堂であります。
さて、鉄筋コンクリートの法的減価償却年数は60年といわれております。しかし、現在ではむしろこの年数を短縮する傾向にあり、一応の目安としては45年で計算するといわれております。ところで私どもの教会は建築されてから今年で28年経過することになります。一応の目安を45年説とすると残すところ17年の寿命ということになります。仮に60年説でも余命32年の寿命というわけであります。この60年説は現在大蔵省が短縮を検討してということでありますから、私どもは一応45年説でこの問題を検討したいと思います。
また、大震災が湘南地方を襲ったなら、私どもの聖堂も司祭館も倒壊をまぬかれることは不可能でありましょう。自然災害は時と場所を選びません。私どもはその時のためにも準備する必要があるのではないでしょうか。
「丘の上の教会」から現在地に献堂されたときには前述のように、「聖コロンバン会からの寄付金と、信者たちの負担金、それに藤沢市からの補償金」で費用を拠出したとありますが、今後は聖コロンバン会からの寄付金は全く望めない状況であり、藤沢市からの補償金も当然ありません。ということは当たり前のことですが、全ての費用を私ども信者たちの負担金による以外には他に方法は無いのが現実であります。
教会は神のものであります。自分だけのためではないから28年前に当時の信者たちは負担金を拠出したのだと思います。それは自分の持っているものは神からいただいているという認識によって、神にその財産の一部をお返ししたということでしょう。先人の努力と協力と犠牲によって、現在私どもはその恩恵をうけていることを神に感謝するとともに、私たちもつぎの世代のために神からいただいているものを、神にお返しする時ではないでしょうか。
今後「聖堂及び司祭館・事務所」の老朽化にともなう建築について、出来るだけ早く、具体的な計画(費用を含めた)を信者のみなさまに提出すべく教会委員会は作業に入りたいと思います。みなさまのご理解とお祈りをお願い致します。
湘南台センターでのクリスマスの集いへの感想
長後 大原 恵子
あの清らかな音色を、どうしたら伝えられるでしょうか。12月25日、クリスマスの集いは、子どもたちのハンドベルの演奏で始まりました。「きよしこのよる、ほしはひかり・・・」みんなの歌声も加わり最高潮。他にもリコーダーの演奏、紙芝居、ゲームにビデオと盛りたくさんの内容に、子どもたちの表情は輝いていました。
クリスマスの集いから帰って来てからというもの、娘(4歳)は私に「おかあさん、あのおにいちゃんたちにまた会える?」と何度もきくのです。おにいちゃんたちがいっしょに歌ったり踊ったりしてくれたことが、とてもうれしかったのでしょう。
また、ゲームの中でした「片足バランス」も娘は気に入ったようで、今でも時々遊びの中に登場します。
湘南台センターでのクリスマスの集い、イエズス様へのプレゼントは子どもたちの笑顔と笑い声でした。
やったぜ!クリスマス会
あらい君とゆかいな仲間たち
12月25日、湘南台センターで、例年通り「親子で集うクリスマス会」が行われました。もうすっかりおなじみになったこのクリスマス会に、今回もたくさんの親子が集まりました。窪田恵さんのすてきで楽しい司会で始まり、皆で色々なプログラムを楽しみ、そしてナイスなサンドイッチと飲み物を頂きました。
私達は、自分達で考えたダンスを「赤鼻のトナカイ」の曲に合わせて踊りました。初めは少し恥ずかしかったのですが、皆の前で披露する事が出来だのはとても気持ちがよく、良い経験でした。
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいましたが、子供も大人も一緒に楽める、良い会だったと感じました。来年も又、みんなで集まる事が出来たらいいなと思います。
成人の決意
大庭 道下 恵
成人になって特に以前と変わったという事は無く、周りが騒ぐ程実感は湧かない。自分では成人になるという事はあまり意味の無いものの様に思える。自分は高校を卒業してすぐに社会に出たのでいまさら成人と言われても社会の一員と言われてもいま一つピンとこない。中学校ぐらいまでは無性に20歳に早くなりたいと思っていた。20歳になって早く大人になりたいと思っていた。大人になれば自分が一人前になれると思っていた。
ところが実際成人を迎えてあらためて自分を振り返ってみると自分が一人前という実感はまだ湧いてない。それは、まだ自分の中で自分を一人前と認めていないからだろう。
今の自分にとって一人前とは人間として人に認められる事だと思う。これからどれ位かかるか分からないけれど早く一人前として人に認められたいと思う。
ネパールからのたより
信徒宣教者会 米谷和江
藤沢教会の皆様
Merry Christmas! 藤沢のクリスマスはいかがですか? 2年前藤沢の子供達といっしょにすごしたクリスマスをなつかしく思い出しています。
ここネパールはヒンドゥー教の国なので、特にクリスマスを祝う習慣はありませんが、クリスマスの少し前に山を降りて、3日間の黙想をドン・ボスコの教会で、ネパール人のクリスチャンと共にしようかと思っています。
オクレは日増しに寒くなり、数日後には雪が降ると村人は言っています。家へ帰ってきてもホッと一息という訳にいかず、日本のお風呂がなつかしいです。仕事の方は、50軒の家庭訪問を終え、よもぎの軟膏をつくったのですが、かゆみを少々おさえる程度で、あまり効果的ではないので、今はグワバの葉(抗生剤様の働き)から軟膏や石けんを作ろうと考えています。週1回の小学校での保健の授業も順調で、女性達のコミュニティーを作り、女性の体のしくみや、子供達の健康などのセミナーなどが出来たらと考えています。しかしせっかく見つけた看護婦さんが辞める事となり、何をするにもいっしょに働くネパール人の看護婦さんがいない事には、外国人の私一人では何もできずクリスマス後から、又、看護婦さがしを始めようと思っています。しかし私にとってこの看護婦さんとの出会いから多くの事を学ばせてもらいました。3才年下とは思えない、しんの強い彼女とは全てに対する考え方、習慣が対照的で時には朝4時まで話しこんだりしました。ヒンドゥー教を信仰する彼女は毎週土曜日、断食をします。その彼女は最近しきりにカトリックに興味を持ち、将来はシスターになると言い出し たりしています。オクレを去る、と彼女から聞いた時は、彼女を思いとどめて下さい…と祈った私ですが、将来について真剣に悩む彼女のため、今は、彼女と共にいて下さい、心に平和を…と毎日祈っています。大切な物を手離すと少し自由になる、と前に聞いた事がありましたが、彼女を失いたくないと思っていた時よりずっと今は自由な気がします。神様のはからいは、深くって、予想もつかない体験をさせてもらっています。しかし、どうか皆様、新しいナースが見つかるようお祈り下さい。
皆さんの 素敵なクリスマスをネパールより祈っています
たくさんの お手紙ありがとうございます。とても励まされています
1997年11月24日
かずえ
藤沢教会、湘南台センターの皆様
Happy New Year!
新年明けましておめでとうございます
今日、藤沢教会、湘南台センターの皆様からのたくさんの励ましのお手紙を受け取りました。こんなにたくさんの皆様のお祈りに支えられている事を、あらためて知り、感謝と同時に教会から派遣される心強さをしみじみ感じました。ネパールヘ来て早いもので1年以上が経ちました。この1年は書きつくせない程、多くの体験をさせていただきました。フィリピンとは全く別の文化のネパール、特に村での生活は村人と深く関わる程に、特に女性達の置かれている状況を知る程、悲しくなる事も多くありました。この女性遠の状況については次回お知らせします。又、私自身にとっても自分を見つめさせてもらう良い1年でした。突然、無医村で医者として働く状況に置かれ、人の命と直面し、人々の本当に求めている医者、看護婦でない私は、“何故、私をここに派遣されたのですか?”とたびたび祈ったものです。そして同時にビザの問題が起こったり、又せっかく見つけた看護婦さんも12月で村を去る事となりました。今は新しく村で働く看護婦さんを再び探しています。しかし、いろんな事が起こる中、心はとても平和です。それは。受け入れる事を知ってからの様に思います。ありのままの自分 を受け入れることが出来て初めて他の人も受け入れられる様になると言う事は何度か聞いた事がありましたが、それを実感してから、ずいぶんと変わってきた様に思います。
皆様のお手紙を一つ一つ読みながら、祈りで支えられている安心感を感じました。いつも私の手を足を口を・・・全てを神様の思いのままに使って下さいと、祈っています。どうぞこれからも神様の小さな道具として働ける様お祈り下さい。
1998年1月8日
愛をこめて 和 江
ルワンダヘ愛をこめて パートU
辻堂2区 元永けいこ
ルワンダで義足を提供している吉田真美さんを支援するコンサートを通して出会った方々と、今後の支援方法を考える集まりが、1月11日(日)2時よりセンターホールで吉田さんを再び迎えて行われました。6、7人ずつ、5つのグループに分かれてそれぞれの意見を出し合いました。
まず、集まる場の設定。多くの人に知ってもらうために公民館等で吉田さんのドキュメント「人間劇場」を観る。そして話し合うチャンスをつくる。
次に、ネットワークづくり、現在も、インターネットの出来る人や現地で使う四駆を手配中のこと。今後、吉田さんのプロジェクト「ワンラブ」を通して、このような要請があった場合に対応できる体制づくり。
そして、ビラ配りに終わらないチラシの利用。ポスターやチラシをつくるのもよいでしょう。でもそれが、貼りっぱなし、配っただけに終わらない様、友人と一緒に食事を食べるとき、まず話をしてみる、そして補足として手渡せるチラシがあると効果的ではないか……以上の様にまとめられました。
何時もの仲間に加え、新聞やコンサート当日のプログラムを見て再度集まって下さった方々の意見を、吉田さんと聞くことが出来ました。「自分の出来る範囲のことを負担のない程度に、でも責任を持ってやり終えてほしい」という吉田さんの言葉を胸に、今回の企画当初からの目的である「開かれた教会」をめざして一人一人によびかけていきたいと思います。「持技なんて何もない」と言ってしまう前に、義足を必要とするルワンダ人のことを、そしてそこで働く吉田さんのことを思い出してくださいませんか。彼らを思う気持が、祈りが、そして、たまに手紙を書こうとする心が、きっと一番見近な支援方法ではないでしょうか。
長い期間この紙面を使わせていただきましたことをはじめ、皆様の様々なご協力を心より感謝すると共に、至らなかった点をお許しいただきたく思っております。
どうもありがとうございました。
☆
※事務所にてビデオの貸し出しがあります。
「人間劇場」吉田真美さんのドキュメント。
「ルワンダヘ愛をこめてパートU」コンサート。また、吉田さんの活動報告を掲示板にて引き続きお知らせしていますのでご覧ください。
尚、今月8日(日)朝5時15分より日本テレビ「心のともしび」に吉田さんが出ます。
エルダーズの会だより
鵠沼1区 丸山 展生
題 :祈りの進歩について |
中高年の人にとって、現在の人生の達成すべき課題は、言うまでもなく自我の統合です。
祈りはその成就のための最も基本的なものです。ジョンストン神父は神秘主義の立場にあります。祈りにおいて人は努力して祈りはじめます。が祈りは次第に受身的な姿をとらざるをえなくなります。歓想的な祈りのはじまりです。その深まりはいつか神の現存の中に己を見いだすようになるのです。
復活の神と共にある世界です。この世界は祈りの専門家である修道者たちばかりでなく、この世で忙しく働いている人たちを含め、すべての人たちに開かれた道ですというのが、ジョンストン神父のメッセージです。なかでも、自分で荷ないきれない程の重荷に、己の無力さを知る人が召された道だそうです。具体的な方法として、東洋的な瞑想や行き方から学ぶ事は不可欠なようです。
現代の世界のなかで、キリスト教の輝かしい未来に対して、東洋的な霊性の果たす役割は、ますます重要になってきているようです。その一つの例として、遠藤周作のことを話させて下さいとの事です。神父は遠藤周作の長年の友人です。遠藤周作は今外国で大変注目をあびているそうです。注目されているのは、その独得な東洋的な視点のようです。遠藤周作が目指したものは何であったのかを話されます。講演が難しそうにきこえてくると思いますが、そうではなく、やさしく、温かく、楽しく、気楽で、希望や勇気や励ましを間違いなく感じられる講演であると確信しています。ぜひ顔を出してください。
参考文献:「不可知の雲」エンデルレ書店
1月23日の婦人部新年会
今年はいつにない雪の情報をキャッチして、新年会が1週間延期されて開かれました。そのため参加者が少なくなったようですが、よい雰囲気の内に楽しませていただきました。
ケルソ神父様のミサの中でのお説教で、イエス様は、全く性格の違う12人の人々を使徒として集め、派遣し、悪雲を追い払う権能をお与えになったと話されました。私達も神から一人ひとり違う人として造られ、教会に集められています。何かとても心に響きました。そしてそのお言葉を継ぐように婦人部長さんの、会食はなるべく今まで余りおつき合いのない方々とご一緒しましょうというお達しで、おかげ様で私も今まで一度もお話したことのない方々の中に入れていただきました。
又川辺さんの、お互いに許し合うこと、その前に自分を許すことから始めようとのお話も、新年にふさわしいお話でした。そうすることで神の望まれる、一つになることが実現するのでしょう。少なくともこのひとときを心から笑い合うことで一つになることができました。いろいろとお世話して下さった皆様、本当にありがとうございました。
(文責 辻堂1区 森田典子)
皆様の暖かいお見守りのうちに続いている「子連れで集まろう」ですが、最近、お母さん達の参加が少なくなってきました。
この集まりは、若いお母さん達の活々した気持ちが結集した「自主的な学習」、「育児や生活の情報交換」の場として7年前に誕生しました。しかし参加者が少なくなりますとこのような活動も低調になってきます。
子供さんにはベビーシッターがおりますので、どうぞ大勢のお母さん方の参加を希望しています。
連絡は、鈴木(T3)へお願いします。
1(日)ベトナム旧正月
2(月)16(月) 子連れで集まろう午前10時
2(月)9(月)16(月)23(月)午前10時 エルダーズの会、23(月)は昼食付き
4(水)7(土)14(土) 結婚準備セミナー 午後7時
6(金)初金ミサ・婦入部例会 午前9時半
11(水)横浜教区典礼研修会
15(日)教会の未来を考える会 9時半ミサ後
21(土)ケア・セミナー 午前知時
25(水)灰の水曜日 ミサ 午前9時30分、午後7時
十字架の道行・・・四旬節中毎週火曜日 午後7時30分、金曜日 午前9時(ミサ中)