八 角 形 に ゅ ー す

1998年4月5日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

三つの秘跡について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・李鍾昇神父

教会委員会報告

ご復活への道 典礼暦セミナー・・・・・・・・・・・・・六会   川田 博敏

静修の集い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・宣教部(六会)大泉 仁

「静修の集いに参加して・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 窪田 直明

「召命について考えるミサ」を終え・・・・・・・・・・大庭   八木 彰

吉山神父様の講演を聞いて・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 奈良 秀男

ペルーの子供たちへ愛の贈り物・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 デシルバ治子

チャリティー・コンサートを終えて・・・・・・グラシアス・アミーゴ 岩沢 泰子

フィリピンからの礼状

キジト神父様からのお便り

ケア・セミナーで学ぶこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ビスケットの会

3月号の「声」にお答えします

4月の主な行事予定

八角形にゅーすのページに戻る




三つの秘跡について
李鍾昇神父

 四旬節になりましたので、ゆるしの秘跡を受けてくださいと言われます。

 今回はゆるしの秘跡を含めて、聖体の秘跡と病者の秘跡について簡単に考えてみたいです。

 まず、「ゆるしの秘跡」についてです。

 現在は年2回、ゆるしの秘跡を受けるように言われています。ところが、うちの教会の場合は信者さんがいつでも秘跡を受けられるように毎週土曜日午後4時から、5時までやっています。多分、信者さんはご存知ではないかもしれません。

 年2回なら、四旬節と待降節の時、受けるようになることでしょう。でも、その時期だけで受けようとすると何か、義務的になるような気がしませんか。信者の義務だから受けなければいけない、それから、受けた後は、義務を果たした感じがするのでしょう。

 でも、義務でやることではないと思います。つまり、時間をたっぷりとって、自分のことを相談するようになったら、役に立つと思います。私たちが犯す罪は多分、繰り返しているのではないでしょうか。だから、どうして、繰り返しているかなどを含めて秘跡を受けることになれば、同じ間違えをすることが少なくなるのではないでしょうか。そして、自分が持っている罪の傾向を把握することにもなるかもしれません。

 それから、特に秘跡を受ける気がない方や、秘跡について、反対の意見を持っていらしたら、一度、ぜひ受けてみてください。そうすると秘跡に対してのイメージが変わると思います。

続いて、「病者の秘跡」についてです。

 昔は、病者の秘跡は死の直前に受ける秘跡だと教えたでしょう。 だから、終油の秘跡と呼ばれたのでしょう。ところが、現在は敬老の日でも皆さんに勧めている秘跡です。

 しかしまだ抵抗があるようで、なかなか受けようとしていないようです。まだまだ、人が亡くなる時に授けられる秘跡だと考えられているようです。でも、この秘跡は、病人の回復を祈るものでもあります。だから、病人が望めば、一度ならず、何度でも授けられます。

 死ぬための準備ではなくて、病気の苦しみを神の前に捧げるためです。 ところが、信者さんの場合はどういう訳か分かりませんが、家族の中で病人がいても全然教会に連絡をしない傾向があるようです。それで、家族の皆信者の場合も自分のご両親が、病院に入院して、1年が経っても教会に連絡をしない場合もあります。ただ、亡くなったら、お葬式のために連絡をするのです。 皆さん、手術を受ける場合なら手術を受ける前、教会にいらして、秘跡を受けるように勧めます。それから、家族の方が入院したら、すぐ教会の事務所に連絡をしてください。そうすると、教会から、奉仕者や司祭たちが尋ねます。教会に迷惑になるから、遠慮しているかもしれませんが、遠慮することではありません。教会は共同体です。共同体というのは一緒に祈ったり、信仰の分かち合いをしたりするところです。病人の方々のために祈る義務も教会にあると思いますのでぜひ連絡してください。

最後に、「聖体の秘跡」の背景についての説明です。

 現在、日本の教会では聖体拝領について二つの方法が併存することとなっています。信者は自由にどちらかを選択することができます。つまり、直接口で聖体を受けることと手で受ける方法があります。1970年以前までは直接口で聖体を受けましたが、1970年に日本カトリック司教協議会は教皇庁より、日本の教会において、聖体を手で受ける許可を受けました。この方法を申請した理由は、日本の文化・伝統においては聖なるもの、尊いものを受けるときは、まず手で恭しく受けることが礼儀にかなったことであり、直接、口で受けるのはかえって失礼にあたるからです。そこで、成人がカトリックに入信するとき、できるだけ違和感を持たせないように、との配慮も加わりました。それで、初聖体を受ける信者にはまず手で聖体拝領をする仕方と精神を説明し、そうするように勧めて頂きたいと思います。しかし、その場合も、直接口で聖体を受けることを希望するものがいる場合は、手で受ける方法を強制しません。

 拝領の具体的な方法については、今年の八角形にゅーすの2月号に書いてありますので参考にしてくださるようにお願いします。ただ、一つ強調したいのはご聖体を頂く時、左の手のひらを上にして、その下に右の手をそえますようにお願いします。

ご復活が近付きましたので、よく心の準備をして、イエス様の復活の喜びを共に味わいましょう。

 参考資料を紹介します。
 「キリストとその教会」 百瀬 文晃
 「聖体拝領の仕方について」浦和教区テキスト(1992)



目次に戻る


教会委員会報告

 3月28日に定例の教会委員会が開かれましたので、ご報告いたします。

1.来年度の新委員の方々の紹介。
 壮年部長・・・・篠沢敏雄氏(藤沢1区)
 婦人部長・・・・八木京子氏(大庭地区)
 鵠沼ブロック・・窪田直明氏、福井敏之氏
 藤沢ブロック・・丸茂 斉氏
 辻堂ブロック・・牧野陽子氏
 北1ブロック・・未定
 北2ブロック・・5名の世話人

2.教会委員として、福音宣教について。
 委員会として福音宣教の分かち合いをすることの重要性を確認し、新年度も毎回定例委員会の最初にそのための時間を設けることを申し送り事項とすることにした。又、新委員会発足後早い時期にお互いを知るための分かち合いの機会を持つこと、委員会としての勉強会の提案もされた。

3.信徒総会の議題について。
4月19日の信徒総会の議題を以下の通りとすることを確認した。

  1. 会計報告。(先月の委員会では維持費を負担していない世帯に「納入のお願いの文書」を3月末までに郵送の予定としたが、信徒総会で会計報告後郵送することに変更した)
  2. 教会の未来を考える会の報告。
  3. 司祭館検討小委員会からの提言。
  4. 維持、修繕のための計画について。新年度に実施予定のものについては、見積もりも同時に示す。

4.委員長候補者の推薦について。
各ブロックで挙げられた委員長候補者については、それぞれが主任司祭に報告する。

5.新年度の委員への申し送り事項について。
信徒総会、教会委員会での決定事項の進捗状況を常に把握する。 そのための委員を決める。
 既に年間行事予定表が出来ているが、これは決定ではなくあくまで予定であるので、本当に必要な行事か否かを議論する必要がある。

6.聖週間の予定について。
 予定表は既に配付済み。枝の準備は4月2日。復活のろうそくのための燭台を磨くなど備品の準備も始まっている。
 聖木曜日(9日)から始まる「聖なる3日間の典礼」は近年参加者が少ないが、年1度の典礼なので積極的に参加することが望ましい。

7.ミサ献金の方法について。
 先月号でも報告したとおり、今後献金の籠をまわすことにした。 実施は3月29日より。共同祈願のあと籠を配り、献金終了後に奉納行列を行う。9時半のミサでは、ミサ当番のブロックの方々の協力で行うこととする。実施初日には、教会委員長が説明する。



目次に戻る


〜ご復活への道〜 典礼暦セミナー
六会  川田 博敏

 3月7日(土)湘南台センターにて最近受洗された人々を対象として題記セミナーが開かれ参加致しました。

リーダー六会・大泉仁さん、受講者は約10名で、典礼暦の概要、過越の意味と四旬節・聖週間・復活節・灰の水曜日などについて説明を受けました。

 日頃主日のミサに参列して何となく判っているつもりだったのですが、このように分かりやすくご説明頂いて改めてその重要性とポイントについて理解できました。

 特にミサが「主のご聖誕からご受難・ご復活にいたる救いのみわざを再現するものであり、共同体を構成する人々の生活実感から生まれるものである。

 それは自然な形で日常生活の中に取り入れられていく必要がある。 借りてきた信仰習慣になっていないか注意が必要だ」。と言われた言葉が心の中に響きました。

 キリストと共に歩むという最も基本的な原点について考えさせられたセミナーでした。 丁寧にご指導頂いた大泉様に厚くお礼申し上げます。



目次に戻る


静修の集い
宣教部(六会)大泉  仁

 例年、四旬節に入った最初の日曜日を前後して『静修の集い』が開かれます。

 今年の準備段階で、バーガー神父様からアトンメントの聖フランシスコ会の平松神父様をお迎えしてご指導いただいてはいかがですかとのご相談をいただきました。『アトンメント?』どのような修道会だろう。寡聞にして初めて耳にする修道会名でしたので、大変興味を覚えました。

 早速ご依頼の手紙をさしあげ、静修の集いのテーマをお尋ねしましたところ、受諾のご返事とともに、教皇様の今年度の平和メッセージの言葉を引用され、「赦しと一致を通してのエキュメニカルな社会実現を念頭に置きながら、信徒としてのアイデンティティを確認し、初代教会の共同体の在り方に学ぶ教会の姿の原点を黙想したい」とのご提案がありました。テーマは『教会共同体の一致は信仰の喜びから』となりました。

 ミサの中での説教そして講話を通して、今私たちの置かれている現実の姿を振り返り、自分自身の[今]を改めて見つめ、本当の幸せとは何なのかを問いかけられました。   理性と生産性を中心とした[今]に、本当の幸せがあるのか。人間中心の功利主義がはびこる現代は、その限界を知り、不安につかれ、あきらめ、しらけの渦の中、決定的なところで救いを見失っているのではなかろうかと問いかけます。

 しかし、福音の響きが待ち望まれる[今]でありながら、私たちの教会の現状はどうだろうか。交わりを欠き、交わりを嫌う自己中心的な信仰の場にとどまっていないだろうか。現代人の求めてやまない本当の癒し、それは、愛されていること。必要とされていること。つまり、交わりの中に発露する共に歩む場でありましょう。

 イエスは私たちに行動と言葉を通して神の絶対的な愛の働きを示されました。徹底的な赦しと癒し(マタイ18:21п`35пjの無限性は、我慢とか自己犠牲を前提としたものではなく、それを飛び越えた深い交わりの中から生まれ出るものといえます。

 キリストに出会い、キリストに従い、キリストに倣う初代教会共同体の生活は、本来信じられないような、共有と分かち合い、共に祈る姿の中に本来の教会の姿があります。このことは、第2バチカン公会議で特に強調されたテーマでもあります。

 神によって与えられた命の尊厳に気づき、社会の一員として回りの人々との調和と対話の重要性に気づいた者としての歩みがクリスチャンの生き方であるといえましょう。そして、神との和解(アトンメント)、人々との和解(アトンメント)が、共同体の一致を導き、信仰の喜びが確認されると結ばれました。



目次に戻る


「静修の集いに参加して」
鵠沼1区 窪田 直明

 去る3月8日、アトンメント会の平松神父様をお迎えして「教会共同体の一致は信仰の喜びから」をテーマに黙想会が行われました。神父様は45歳、見た目には30代にも見えるお若いかたでしたが、本当に信仰の原点に立ち返る有意義なお話をいただきました。私の印象に残った神父様のお話のポイントと感想を書かせていただきます。

 神父様は、今私たちの置かれている現代社会について時のしるしを注意深く見て振り返ると、それは理性と生産性の時代、すなわち科学、人間中心の社会になっていると言われます。確かに人間を取り巻く環境は便利になってきているが本当に幸福になっているのだろうか。歴史の主が人間になってしまっているので、その人間の限界に突き当たってしまったとき落胆も大きく今まで無かったような大きな苦しみを覚えるのではないかといわれています。確かに、最近のマスコミを賑わす少年の犯罪などを見ると、ほんの40年前の自分達の時代とは根本的な価値観が異なってしまっているように思えます。一方官僚汚職や接待攻撃など我々サラリーマン世界の現状を客観的に見ても、同じようにどこか間違っていると感じます。

     しかし、サラリーマン信者である私も月曜日から金曜日までは現代社会の仕組みの中でサラリーマン、社会人としての常識、良識の中で働いており、マスコミに報道されるような場面にいざ自分が置かれたときにどうするのかは深く考えさせられるものがあります。 神父様はさらに、最近の教会についても合理主義的人間観すなわち個人の自立、束縛のない自己決定、押しつけを嫌がる個人主義が教会の中でも交わりや関わりを嫌い、無関心で暖かみが少なくなっているのではないかと警告されています。

これらの問題に対して私が神父様から頂いたヒントは次のような言葉でした。

 すなわち、「神から先に招かれていることに気づき、これに応えようとしている信者は、神から赦され、神から愛されそして神から必要とされている事を体験的に知っている。」 そしてこの信仰の喜びの源をはっきりさせておき、常にこの信仰の原点に立ち返ることが大切であると力説されていました。    さらに創世記(1:31пjにある「見よ、それは極めて良かった」という意味は、創造されたそれぞれのものが良かったということではなく、人間、地球、宇宙を含めたすべてが調和しバランスがとれており、神はこの調和とバランスの内にこれを人間におゆだねになった。すべての人がこの点について一つになることは可能であり、このことに気付いた人が信者ということではないかと話されました。

 今回、神父様から頂いたこれらのヒントを私の四旬節のテーマにすると共に神父様をはじめ静修の集いを準備してくださったスタッフの方々に心より感謝致します。



目次に戻る


「召命について考えるミサ」を終えて
         大庭  八木  彰

春分の日の翌日、3月22日9時半召命を考えるミサが、バーガー神父の司式で行われた。バーガー神父より召命の大切さを一人ひとりが考えようとの話のあと、菊名出身の保久要神学生から次のような話があった。

 神父になりたいと思った動機の一つに、大学を出て社会人になり懸命に働き、競争し、評価も受け、又デートもし、確かに楽しい充実した日々の筈が、やはり満足感が得られず、常に「何だらうか、それだけでよいのだらうか」という思いになっていた。

 そんな時、横浜教区のナイス2のリーダーにならないかとの話があり、その為には会社に休暇届けを出さなけならないので、上司にナイス2やキリストの説明をしているうちに、神父になりたいという思いに一気に勢いがついてしまった。

 神学生として生活している今、確かに生きがいがある。私は職業としてではなく一つの生き方として、一つの選択としてこの道を選びました。

 若い皆様方にも一つの生き方として、一つの選択としてこの道を考えて頂ければと思います。と話された。

 ミサ後ホールで神学生を囲み、青年会をはじめ約50人が神父様と共に、召し出しをどのように受けとめたらよいか、また6年もかかる神学校生活の様子、ご家族のことなどをユーモアたっぷりの話術で私達をひきつけ、参加者は召命についての考えを深めていった。 この日多くを語って下さった保久神学生に感謝すると共に、司祭に叙階される日を待ち望んでいます。

 尚、当日行いました一粒会入会へのキャンペーンはお陰様で15名程の入会を頂きました。有り難うございました。今後とも多くの方の入会をお願いいたします。



目次に戻る


吉山神父様の講演を聞いて
       藤沢1区  奈良 秀男

 去る3月21日、茅ヶ崎教会において上智大学教授吉山神父様の「高齢化社会で教養を豊かにするために」と題する講演が行われました。講演会では耳の不自由な人たちのために手話通訳がついていたのが大変印象的でした。吉山神父様はたくさんのことを話されましたので、全てをここに記すことは出来ませんが、自分なりに要約しますと

 「老年というと昔は死を迎える準備をする時期と考えられていたが、現在は高齢期が20年30年という長い年月を生きていかなければならない長命社会である。高齢者は神との交わりにおいて20年30年という長い期間を生きていくことが求められている。高齢者は人生経験も豊かで、知恵もあり、人生如何に生きるべきかを深く考えることの出来る時期である。衣食住のことしか考えないということでは、不満がつのるだけである。生きることの意味を考えるため、聖書の研究をすることが大切なことである。聖書は神の語られた言葉であり、長寿の秘訣は神の言葉にありと言われる。聖書の研究はまた高齢者の豊かな人生経験と相俟って福音宣教にも大きな助けになる。また高齢になると孤独に陥りがちだから出来るだけ話し合いの場を持つようにするのがよい。高齢者同士、信仰の話し合い、人生体験の分かち合い、聖書研究会など、3人でも4人でも集まって、話し合いをすること。また、「教皇回勅」というものがあって、その勉強会なども大いに役にたつだろう。

 聖パウロは外の人は日に日に衰えるけれども、内なる人は衰えることがないと言っている。生物学的いのちの考えからは、歳をとってくると人生というのは空しい、はかないと考えがちであるが、信仰をもってこのような考えと戦わなければいけない。老年者になっても今生きているこのいのちは神から与えられたもの。神と一致して生きていけない人生はいのちではない。聖パウロは深い信仰のなかで、『もう私が生きているのではなく、私の中で主がいきておられる。』と言っているが、これほど深い信仰に生きていたのである。信仰生活は神の恵みである。信仰を深くして、神との一致の生活をおくるようにすることが大切である。」

 講演後の懇親会では、吉山神父様を囲んで講演の内容とそれ以外のことについて質疑応答が行われました。質疑はいろいろなことについて行われましたが、中でも、手話を通じて講演を聴かれた耳の不自由な方から手話通訳のついたこのような講演会は初めてであり、大変有り難く思ったというお礼を述べられた。 その方は、小さい頃からいろいろな病気にさいなまれ、さんざん苦しんできた。聖書もよく読んでみたがなかなか神の救いを見るに至らなかった。最近やっと神のお考えはこういうことかと解るようになったという主旨のお話がありました。これは非常に感動的でした。



目次に戻る


ペルーの子供たちへ愛の贈り物
辻堂1区 デシルバ 治子

 3月7日(土)、私はグラシアス・アミーゴのチャリティー・コンサートの聴衆の皆さんの中にいました。どの位の人数の方々が来て下さるかなと思いながら聖堂に入って驚きました。会場は満席で、私の座る席もない程でした。チケットを買うことで協力された方々を始め、これ程大勢の方々がペルーの子供達のために集まったことに感動で胸が一杯になりました。

 エスピニータ(小さなとげ)という名のグループがラテン音楽を中心にポピュラーソングを演奏して下さいました。楽しいお話を挟みながら、ギターやキーボードの伴奏をバックに、私の知っている曲、初めて聴く曲が美しいソプラノの歌声に乗って心に響きました。世界には美しい歌が沢山あります。「コンドルは飛んで行く」というと、すぐに「サイモンとガーファンクル」(米国の元グループ)を思い出しますが、ペルーを知ることで、この歌のより深い意味を味わえるようになりました。今回のコンサートでも一番心に残った曲です。休憩中には、スタッフの皆さんが心を込めて用意して下さった飲み物とクッキーが出され、会場に温かな雰囲気が生まれました。コンサートの終わりの方では米山リディアさん、南米やスタッフの方々がエスピニータの演奏に合わせて即興でダンスを披露して下さり、ラテン・アメリカ流の音楽の楽しみ方をかい間見た気がしました。リディアさんは最後に独唱して下さり、彼女の多才振りにただ驚くばかりです。

 最後に、今回のコンサートを通して強く感じたことがあます。それは、私達が神様のお導きで、国境を超えた、手に手をとり合って歩む世界に生きているということです。地球の反対側に生きるペルーの子供達の教育に少しでも役立てるよう、ここ日本の藤沢で開いたチャリティー・コンサートに、日本人のラテンポップスのグループが出演し、大勢の様々な国の方々がその演奏を聴きに来て下さったのですから。



目次に戻る


チャリティー・コンサートを終えて
グラシアス・アミーゴ 岩沢 泰子

 今年のチャリティー・コンサートがこんなに成功するとは、スタッフの誰も想像できませんでした。いろいろな曲折がありましたが、すべてが良い結果になりました。

 当初の予定していた3月1日の江の島でのコンサートは実現しませんでしたが、結局その日は午後まで雪の降る最悪の日になりましたから、7日の晴天に恵まれだけでも神の導きを感じました。

 準備が遅れた分、私達スタッフは必死でした。教会の方々、ミュージシャンや、ご支援をお願いした方々に対して、何かと行き違いや失礼があったと思います。それもリディアの熱意に免じて笑ってゆるしていただき、多くの方々のご協力をいただきました。

 忙しい仕事の合間にリハーサルを重ね、広島からもかけつけて、すばらしい演奏をきかせてくれた「エスピニータ」の皆さん。心を魅了する楽しいハーモニーは、ご来場いただけなかった方々にもお届けしたい程でした。

 会場には350名近い方々が来られ、寄付を下さった方も多く、収益は百万円を超え、早速ペルーに送金いたしました。

 このご厚意を生かす為には、続けていくことが必要です。ペルーのスタッフは、支援する子供を制限するというつらい仕事に直面します。選ばれた数十名の子供たちが成長し、社会の一員として少しでも役に立つようになれば、基金が真に生きてきます。その為にも、今回新たにフォスター・ペアレンツのお申し出を数件いただけたことは有難いことです。

 支えて下さったすべての方々に心から感謝いたします。嵐の中で小さな芽が育ってくれることを祈ります。その為に、ささやかな活動が続けられますよう、お気づきの点を教えていただき、お力添えいただければ幸いです。 ありがとうございました。

 ! Gracias Amigo !



目次に戻る


フィリピンからの礼状

 何時もマドレーヌをお買上げいただきご協力有難うございます
 今年もご厚意で集まったお金は60万円になり、大学生4名、短大生2名の奨学金と小中学校の設備拡充に役立っています。
ご復活祭にあたり現地から感謝のお便りが来ましたのでご紹介いたします。

 サンパギタを子供達に送る会の皆様へ

 ご復活にあたり心からお祝いの言葉をお送りします。アリボックのPTAのみんなはそちらの教会の皆様のご厚意を感謝申し上げています。貴方方のお陰で4つの浄化槽付きの7つのトイレが出来ました。この学校の子供達の向上の為の長い間の夢を実現させていただきました。
 もう一度貴方がたのご親切に感謝いたします。そして皆様に神様のご加護がありますように

  アボリック小中学校
    PTA会長 ルドウリコ・ラダム



目次に戻る


キジト神父様からのお便り

 1年振りにホイマに戻って以来やっと落ち着いてお便りをしたためております。和歌山のコル神父様を通しての35万円のご寄付、本当に有り難うございました。一同心から感謝しております。

 当地では大変な豪雨があり、大洪水に見舞われて多くの人命が失われ、土地や道路がすっかり破壊されてしまいました。また、この災害の結果、コレラが発生し、適切な治療法もないままに、大勢の人々が死んでおります。 私はホイマから75マイル奥にあるアルバート湖に面したルエミサンガ教区の司牧をも依頼されました。ここは湖を超えてザイール(コンゴ)、南にルワンダ、はるか北にスーダンと、いずれも戦火に痛めつけられた国々と国境を接しています。そこで多数の難民が安全を求めてウガンダに避難してくるのです。

 現在3つの難民キャンプが設けられています。一つはコンゴ難民のため、一つはルワンダのフツ族難民のため、もう一つはスーダンからの難民のためのものです。いますでに3万人以上の難民がおられますが、それらの国々でゼノサイド(大量虐殺)が続いているために、多数の難民の流入は止まりません。本当に恐ろしいことです。

 ここ8年間、この教区にはオランダ系の宣教師の方が二人おられましたが、老齢のため引退、帰国されましたので私がそのあとを引き継ぐことになったのです。現地の現況は日に日に厳しいものがあり、私の帰国がちょうど間に合ってよかったのです。ただ、言葉がちょっと問題です。何しろルワンダとコンゴの人はフランス語だし、スーダンからの人々は私に彼らの地方語かアラブ語を期待するのですから…そう云うわけでここでは聖霊が活発に働いておられます。

 当地の貴方がたのいとこ達は私も含めて、藤沢のいとこ達のご来訪を待ち望んでおります。浮田さんは無理でもほかのどなたかがいつか来てくださることを希望いたします。

 みなさまが、佐倉さんからアフリカのこの辺りの状況についてお話を聞かれたそうで喜んでおります。それにつけても私たちが孤絶して苦しみ悩んでいるのではないことを感じさせられます。

 最後にもう一度、皆様方全部に私たちへの兄弟姉妹的なお心づかいとご援助をこころから感謝申し上げます。書きたいことはたくさんあるのですが、次の機会に譲りたいとおもいます。

 四旬節に当たり、皆様お一人お一人が神様から豊かなご恩寵をお頂きになられますようにお祈りいたします。

 平和を! 平和を!!
  皆様方のホイマのいとこ達に代わって
          キジト 神父



目次に戻る


ケア・セミナーで学ぶこと
ビスケットの会

 96歳の母は寝たきりで、ほとんど目をつむったまま、もう誰が見舞いに来たかも分かりません。それでも食事の介添えの時、ただもう食べてもらおうと無理やりスプーンを口につっこむ人に対して、明らかに不愉快な顔をします。しかし、母の表情を見ながら、少しずつやさしくスプーンを運ぶ時には、おだやかな顔になります。

 相手の魂を尊重し、相手の自立を見守ること、そしてその前に、自分が相手の必要なことを静かに見極めることができたらどんなによいかと思います。

さてケア・セミナーは毎月1回、テハン神父様のご指導の下に、細々と勉強会を続けて2年になります。

毎回「人をケアーする前に自分自身のケアは?」と自問しながらの勉強会です。

 今回、2回にわたり「わたしは救い主?」のテーマで考えてみました。日々の生活の中でこんな思いをされた方はいらっしゃませんか?.良かれと思って一生懸命親切にしてあげているつもりで、気づいてみたら、苛々して疲れ切ってしまっていた。こんな体験はないでしょうか。相手の病気や悩みに関わることを自分の生きがいのように感じてしまう。

あまり熱心に関わるあまり、相手の心の動きが見えなくなってしまい、自分本位の思いだけで動いてしまう。その結果、苛立ちや苦痛だけが残ってしまう。又は自己満足に終わってしまっていることさえ気づかないでいる。これでは何もなりません。これは他の人の問題を自分の事のようにして関わってしまう時に生じます。

 私達の善意や奉仕の心をうまく生かすために、このセミナーで学んだことは、先ず神に聴く耳を持ち、自分の心の井戸を豊かにする方法を探してみること、自分自身の心と体をリラックスさせる時間を持つように心掛けること、相手との関係が、水が流れ又戻り合うようなものになっているかを感じてみること、このようなことで、苛立ちや疲れを感じる代わりに、お互いによろこびを体験できるのだと思います。

 お互いがもたれかかり、依存し合うのではなく、一人の人間として自立し、共存共栄していくことで、自分も自由になり、相手の自由をも認めて、対等な人間関係が生まれるのでしょう。

 私達が体験している日常の人間関係はどのようなものでしょうか。 人とのより良い関わりを持ちたいと思っている方、是非ご参加下さい。

 ケアセミナーは毎月第3土曜日10時より12時まで、センターホールで行っております。 お待ちしております。



目次に戻る


3月号の「声」にお答えします

 ご質問の趣旨に合うような「教会の施設を使う時の基準」の文書は現在はありません。一般常識の範囲でということです。

 ご質問に具体的にお答えしますと、センターや聖堂脇の台所の使用、庭での飲食は、使用後の後始末(ガス、電気、ゴミの持ち帰り等)をしっかりして頂ければできます。ただし、部屋を使用せずに台所だけ使用する時は、事務所に断ってから使用して下さい。

司祭館、事務所に入る時も、一般の家庭を訪問する時、玄関で声をかけるのと同様に挨拶をした方がよいでしょう。ただその時返事がなくても、カウンターの上の配付物を見るだけ、「祈りの集い」のテープを借りるだけ等の場合は自由に見たり、借りることができます。

 また、センターの各部屋には「センターご利用の皆さまへのお願い」が貼ってあります。それには、各部屋及び台所の備品を移動した場合必ず元の場所に戻すこと、部屋使用終了時に備え付けのチェック表に基づき確認し、事務所に提出することが明記してあります。

 センターの利用料金表は事務所にあります。お分かりにならないことは、ご遠慮なく事務所でお聞き下さい。



目次に戻る


編集後記

 この度「教会報108号」と今月号の「八角形にゅーす」を以て、広報部を卒業させて頂くことに致しました。

 「教会報」は92号から、「八角形にゅーす」は創刊号から関わらせて頂きましたので、多少寂しい思いがするのは否めません。この間教会では、山口神父様の叙階式、40周年記念という大きな喜びがあり、原稿依頼にも熱が入ったことを思い出します。

 強引に原稿をお願いしたり、せっかく心を込めて書いて下さった原稿なのに校正ミスをしてしまったり、そのほか多々ご迷惑をおかけしてしまったことをお詫びすると同時に、温かくゆるして下さったことを感謝しております。神父様方は、ご多忙にもかかわらずいつも快く原稿をお引き受け下さり、また相談にものって下さいました。

 発行の都度、出来るだけ多くの方々に読んで頂きたい、そして少しでもお役に立てればという気持ちでおりました。皆様に読んで頂くことが、何よりの励みとなりますのでこれからも「教会報」「八角形にゅーす」をどうぞご愛読下さるようお願いいたします。広報を通して、広報部の仲間はもとより沢山の友人を与えて下さった神様に感謝しております。

         (藤沢2区 平野和子)



目次に戻る


4月の主な行事予定

3(金)初金ミサ・例会午前10ь

4(土)8(水)15(水)18(土)22(水)25(土)28(火)結婚準備セミナー午後7時

6(月)20(月)子連れで集まろう午前10時

6(月)13(月)20(月)27(月)午前10時エルダーズの会、27(月)は昼食付き

13(月)小さな巡礼の旅

18(土)ケア・セミナー 午前10時

19(日)藤沢教会信徒総会午前9時半ミサ後
    日曜学校・新学期始まり

25(土)福祉部例会       午前10ь

26(日)初聖体     午前9時半ミサ中

八角形にゅーす5月号の原稿〆切は
4月20日(月)です。



目次に戻る


信徒総会

4月19日(日)9時30分ミサ後
年1度の大切な総会です。是非、ご出席下さい。

召命黙想会のご案内
“神のみ旨をもとめて”

場所 聖心の布教姉妹会 本部修道院

日時 1998年5月2日(土)p.m.4:00〜5月4日(月)p.m.1:00

指導 塩谷 惠策 神父様(イエズス会司祭)

対象 高校生から満30才までの未婚女性(信者)

申込み 4月25日(土)まで

電話 本部修道院・召命黙想会係0466−82−9168



目次に戻る