八 角 形 に ゅ ー す

1999年4月4日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを・・・・・・・・・主任司祭 ジョン・バーガー

教会委員会報告

「分からないところへの責任」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 岡村 正

『1999年』御復活節 −恐怖の大魔王とリンゴの木−・・・・・・・・・辻堂2区 本多正昭

第三世界の債務を帳消しにするためのキャンペーン・・・・・強羅教会 ポール・マッカーティン

聖霊の働きに助けられて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鶴見教会 水浦徳三郎

「出生前診断をめぐって」を読んで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 浅野洋子

「第14回静修の集い」に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 辻垣正彦

祈りと黙想の会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 岡村孝子

ザビエル展に思うこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区高野 修

「大ザビエル展」見学会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼2区 野村弘子

キジト神父様へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 浮田久子

日曜学校だより

中高生会だより

「エルダーズの会からご報告」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 八木京子

ルワンダへ愛をこめて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 元永けいこ

4月の主な行事

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御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを
主任司祭 ジョンバーガー

 大聖年に向けて、今年、私達は“父である神”との関わりを考えることになっています。 そこで、私は主の祈りの“御旨の行われんことを”について書きたいと思います。

1.神のご意志は何でしょうか。

2.どのようにして神のご意志を知ることが出来るでしょうか。

3.私達が何をすることが出来ますか。

4.次の点について回想してみましょう。



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教会委員会報告

1.静思のひととき

枝の祝日からパウロのフィリピの教会への手紙のみ言葉を黙想した。

2.前月行事の報告

  1. 静修の集い午前中約150名、午後約50名弱の参加者があり、自分を見つめ直す時、沈黙のうちに心を開いて、異なるものを迎え入れることが大切であること。外国人を自分の中に受け入れることによって、新しい自分が生まれことを自覚すること。そして人間に序列を作ってはならない。垣根を作ってはならない。垣根は自分を守ってはくれるが、同時にその檻に閉じこめてもしまうから。
  2. ジョンストン師黙想会エルダーズの会主催での黙想会で、今年度で2回目であった。多くの参加者を得て来年度も開催したいとのことであった。
  3. グラシアスアミーゴコンサート
  4. ペルーの子供たちのために行われたコンサートは、450名の参加によって盛況であった。出演されたスリーグレイセスと準備された方々に感謝。
  5. キリスト教会連絡会鵠沼の聖マルコ教会で開かれ、その折りに、キリスト教会連絡会から市の愛の輪基金に寄付をした感謝状が届けられた。本紙別掲。
  6. 司教館建設資金募集3月上旬現在、308件、6百4拾3万5千円の申込みがあった。神に感謝。一層のご協力をお願いしたい。

3.9時半ミサのブロック担当について

9時半ミサでの、先唱者朗読者献金を、各ブロックの当番月に行うことについて、可能な週に担当することにする。事前に典礼委員会と打合せを行う。いつも特定の人だけが奉仕するのではなく、共同体としての意識の高揚になるのではないかと期待されている。

4.ブロックとは?

ブロックの役割とは、分担とは、区分けについて論議された。これに関して、主任のバーガー神父から、「どんなに大きな教会でも、いつも協力してくれるのは30人程度である。しかし、これをブロックで担当すると一つのブロックで30人ですから5つのブロックでは150人の協力者となる。」という示唆に富んだお話があった。ブロックによっては、肥大化している所もあるが、今後の課題として検討することにした。またブロックは活動部ではなく、むしろ活動部をささえるのがブロックである。地区とブロックとの関係は、ブロックは地区の集合体であり、地区の活動は、ブロックの活動である。地区から発信された情報は、ブロックを通じて教会委員会にもたらされ、教会委員会での協議事項は、ブロック委員から地区委員に、そして各信徒に伝えられるのである。

5.大聖年に向けて

行事としては、いくつかの具体的な事柄は列挙できるが、今年は「小教区の回心の年」と位置付け、様々な活動をもう一度見直す年にしたいとのことであった。そのためには信徒一人一人の意見と心の変革が求められるとのこと。自分の檻から出る絶好の機会となるのではないでしょうか。必要なことは「祈り」であります。例えば、今までの「ガーデンパーテイ」を「国際交流の夕べ」にしてもよいのではないでしょうか。

6.その他

環境問題は、総務部に属し、当面は委員の公募は行わない。環境問題は自分たち(教会)の身の回りから、啓蒙活動が必要である。

壮年部からの懸案事項



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「分からないところへの責任」
善行 岡村 正

 わたしたちはよく、「責任をとる」と言いますが何に責任をとるのでしょうか。また「誠実である」と言いますが何に誠実であるのでしょうか。わたしはそれについて、生きることに責任をとるのであり、生きることに誠実であるの他に、「責任をとる」や「誠実である」があるとは思えません。では、生きることとは、どういうことなのでしょうか?

 今はまさに、四旬節ですが、わたしたちのなかに今も続く神の救いのみわざ即ち、「主の死と復活」を賛美し感謝を捧げるからだになることが生きることと言いましょう。

 復活は、新たないのちのはじまりであり、元に戻ること、復元ではないのです。未知のこの先へ復活し、生きはじめることなのです。この「死と復活」の正しい受け止めがなければ、マルコによる福音12章18−27節のイエスとサドカイ派の人たちとのやりとりは、分かりません。

 ルカによる福音の同行箇所の「すべての人は、神によって生きている」の神によってを、分からないこの先によって、と読みかえることもできます。分かっているところでは、繰り返ししかなく誰もその先を生きることは出来ないのです。

「分からないところへの責任」と言われてもどうして責任がとれるのか、と思うでしょう。しかし、分かっているところで結果を保証するのが責任をとることではありません。未知のこの先に生まれるいのちに責任をとるのです。「分からないところへの責任」なのです。今わたしたちの持っている力で、どうして未知のこの先の結果を保証できるでしょうか。ただ、わたしたちのなかに既にはじまっている創造のみわざに一つになって今までのところを越えて最善の努力をする他ありません。わたしたちのなかにある「よくない」

ことを通して、そこに表れているまだわたしたちがしていないことの必要に気付いて、それをはじめるように神は呼びかけて居られます。その必要に応えて最善を尽くすことが、責任をとることであり、誠実であることなのです。

神への責任が「分からないところへの責任」であり、神への誠実が「分からないところへの誠実」なのです。

 わたしたちの生きる現実は、見える分かるところと、見えない分からないところを合わせてすべてで、それを時間軸で、今までのところとその先のところとを合わせてと言い換えてもよいでしょう。そして、生きることは常に、その後者に向かっており、前者即ち、見える分かっている今までのところは、見えない分からないその先のところを生きることによって絶えず問われて、その意味とはたらきを後者に対して変えざるを得ないのです。

 その先を生きるなかで、分からないところに触れてわたしたちに、何かが生まれ何かが始まるそれを、生きることと言ってよく、人はその分からないところを生きているのです。

 分かっているところなら、今までの対応の繰り返しで済み今までと何も変わりません。何も生まずその先もはじまりません。「よい」と分かっていることをするのもまた、明らかに繰り返しに過ぎません。ものごとを比べ量り選ぶのも、見える分かっている今までのところでの話で、見えない分からないところとは関係ないのです。それをもわたしたちは、生きることと思いこんでいて、人や物事をその分かっているところで見て考える対応で終わりにしているように見えます。そのままでは殆どが繰り返しで、その先のはじまりはありません。

 互いの違いや「よくない」ことに引き合わされても、そこに未知のこの先に結ばれて意味やはたらきが隠されている、つまり分からないところへの出発点があり、この先のはじまりがあるとは考えもしないのです。今までの対応では足りないそれらを敬遠して遠ざけることはあっても、引き合わされている意味を問うことはないのです。

 その意味を問うことからはじまる今までの対応の見直し問い直しこそ、分からないところへの責任と誠実さでろあり、生きることへの責任と誠実さだろうと思います。

 自然科学そのものは決して、興味本位の仕事ではないと信じますが、それをただ利用する人たちには、分からないところへの責任と誠実さが欠けているように見えます。

 欠けているのは、そればかりではありません。その部分の意味やはたらきを、他のすべてから切り離してそれだけを見て考え利用するので、他のすべてに結ばれて活かし活かされるときの部分に現れる創造的な意味や唯一のはたらきを全く認めず考えないのです。ただ誰にでも利用できる一般的な意味とはたらきしか考えません。切り離して利用する物には、もはや画一的な評価しかあり得ないのです。存在即ち、はたらきの固有性、かけがえのないいのちは、その先を生きる交わりのなかで他のすべてに結ばれて与えられるので、切り離された部分そのものにはありません。「八角形にゅーす」第89、90号で唐木邦子さんの「出生前診断をめぐって」を読み、わたしはこころが痛みました。わたしたちに何が欠けているのだろうか、分からないところへの責任と誠実さをわたしたちの何が妨げているのかと考えてきました。

 共に在る神との交わりのなかに即ち、選ぶことの出来ない引き合わせのなかに、「なぜ今ここにわたしは居るのか」というわたしのいのちのかけがえない意味とはたらきはあるのです。

 わたしたちの思いや考え通りにならない互いの違いや「よくない」ことに隠されている創造的な意味とはたらきは、互いに未知のその先に触れる交わりのなかにのみ現れます。

ですから、ものごとを思いや考えで一方的に選んで自分のために利用する人たちには見えないのです。

 このように、分かっているところで比べ量り選んで利用する人たちは、創造も交わりも必要とせず、また、する気もありません。従って、かけがえのないいのちも与えられないのです。他のすべてに結ばれて選べない「今ここにある」唯一、一回の交わりのなかで互いに未知のこの先に触れて、いのちのはじまりをからだに感じるということもないのです。

いのちの創造に背いて離れるこのような状態から、わたしたちをいのちへ引き出す神の救いのみわざは、選ぶことの出来ない引き合わせによる、互いの違いや「よくない」ことに潜んでいるので、それに関わろうとしなければ空しいでしょう。

それでもじっと苦しみに耐えて、神は待って居られるのでしょうけれど。



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『1999年』御復活節 −恐怖の大魔王とリンゴの木
辻堂2区 ダビド本多正昭

1.

 ある年の御復活徹夜祭のこと。当時の主任司祭のガラハ神父様は、ダブリン市創立2000年記念祭文芸コンテスト現代詩部門金メダルの本物の詩人である。詩人は語りかけるかのようにして、美しい詩そのものの説教をされた。

「・・イエス様も、最初は負けました。でも、最後は勝ちました。今日、この日本で、この藤沢で、イエス様の御復活を祝っているのは、ほんの一握りの人々です。だから、私達は祈ります。この日本の、この藤沢の、御復活を祝っていない人々の為に祈ります。この日本の、この藤沢の、苦しんでいる全ての人々の為に祈ります。その人達の処に、神様からの助けが、何らかの形であることを祈ります。“御復活”と云う言葉が、そこに無くとも、御復活そのもの”が、あればいいなーと祈ります・・」

 今年銀祝を迎えられる詩人司祭の、魂がほとばしるような祈りを、完璧に再現することは出来ないが、心に残る説教であった。

2.

 カラーテレビが普及していない時代に、大ヒットしたアメリカのモノクロ作品に、青年医師が主人公の連続ドラマ『ベンケーシー』がある。私が学生の頃にも、深夜に再放送された。

 “男女誕生死、そして無限・・”と云うナレーションで始まるのだが、印象に残っているシーンがある。主人公ベンケーシーが、死の床にある友人の天才外科医を見舞う。

 友人は神経質で気難しく、主人公とも衝突する事度々で、いつもピリピリしている。昼夜休日関係ない第一線の、真面目な臨床家の常として、良き家庭人ではない。

 いつしか自身も癌に・ルビ・蝕・むしばまれ、痛みを押さえて鬼気迫る形相で診療に当たる。隠れて打つモルヒネの量も増え、それにつれて益々、彼は病院でも家庭でも気難しくなり、そして倒れた。病室で、枕元に立つベンケーシーに弱々しく言う。

「・・俺はもう駄目だろう。俺を見ていた女房は、“一人息子は医者にしない”と言っている・・」

 「少し話をさせてくれるかい。僕が子供の頃、冬に、父が枯れたリンゴの木を切ろうとした。“お父さん、切らないで!”僕は頼んだ。それから僕は一生懸命.水をやり肥料をやり世話をしたんだ。

 そうしたらね、その木は息を吹き返し、緑の葉を繁らせ、鳥たちが止まり、立派な実を付けたんだ。いくつも、いくつも・・。

 僕にとって、今でも、あのリンゴの木ほど素晴らしいリンゴの木は無いんだよ・・」天才外科医が倒れる迄は、衝突していたベンケーシーは、末期癌の患者となった友人には優しい。「・・ああ、いい話だ・・」天才外科医はつぶやいた。衰弱した顔に光がさす。

 将来、彼の妻の気も変り、一人息子が医者になる可能性はあるとか、そう云う事とは別に、何か“希望の香り”、そして“御復活”と云う言葉は無くても、“御復活そのもの”が感じられる話であった。

3.

 今年の御復活節は、20世紀最後の御復活節の一つ手前である、また、今年は、ある人達が昔から言っている事には『空から恐怖の大魔王が舞い降りて来る年』だそうである。

 舞い降りて来る“恐怖の大魔王”なる物が、宇宙人の来襲だと言うならば、笑っていても良いだろう。しかし、核ミサイル死の灰放射能雨や、オゾン層破壊による紫外線の害が一挙に出ることなどと考えれば、“今年”とは限らないが、近い内に、本当に人類は、自分達で作った“恐怖の大魔王”と体面してしまう可能性は決してゼロではない。

 そして私個人も、これ迄の病気や手ひどい裏切りや、周囲の信じられない不手際やらで、辛い口悔しい思いをした体験、意気消沈して回り道をした体験を経て、20世紀末の地球に生き、この御復活節を迎えている。今迄の試練の日々の中で、私の“人間”が練り鍛えられた為か、今はただ、日々、賛美と感謝、歓喜に満ちた生活を送っており、謙遜と従順、柔和にしてみやび、全てを許し、全てを愛し、誰とでも仲良く、何をされても何があっても、心は常に穏やかであり、いつも静かに微笑んでいると云うような事は絶対に無い事だけは、敬虔なるキリスト者として強く確信を持って断言出来る処である!!

 この世紀末の御復活節を迎える我々人類は、自分達で作った“恐怖の大魔王”を、何とか檻に押し込むようにして生きている。そして、私個人も、高尚で安定した精神を保持してもいられない状態である。

 しかし、それでも尚、今、不思議なことに、若葉繁れるリンゴの木を思い浮べる時、心には静かに希望が湧いて来るのである。

 “イエス様も最初は負けました。でも最後は勝ちました” (カハル・ガラハ)



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ジュビリー2000
第三世界の債務を帳消しにするためのキャンペーン
強羅教会 ポール・マッカーティン

イントロダクション

 発展途上国における貧困の状態は、その国の抱える負債の大きさによって益々ひどくなる状況にあります。昨年の国連のプログラムによると、もしこのようなファンドが債務の返済という現状から健康や衛生面、そしてきれいな水の確保のために転換利用されるとしたら、西暦2000年までに、2千百万人の子供達の生命が救われるだろう、と言われています。

債務の発端

 1973年、石油輸出国機構(OPEC)の国々は石油価格を値上げしました。彼等は西側の銀行にドルを預金しました。銀行はそのような預金を直ちに貸し出したいと考えました。第三世界の国々は国の構造基盤や産業を築いたり、また値上がりしたオイル代金を支払う為に、そのような資金を借りる事を熱望していました。貸し付けは安く行われましたが、その利息は変動金利制でした。当時、第三世界からの輸出額は高く、返済は安全に行われて行くかのように見えました。

 しかしながら、1970年代の半ば、第三世界からの輸出額が落ち込んでしまったのです。その上、不景気が世界中を襲い、輸出の量も減ってしまいました。アメリカ政府は国内への投資を促進する為に、劇的に金利を引き上げたのです。これによって(ドル清算による)債務の返済額は膨れ上がりました。その後1979年に石油の価格が再び値上がりしたのです。この事態を切り抜ける為に、これらの国々は金利を支払う為にまたより多くの金額を借り入れ、それ故、支払い不可能な債務の悪循環のうずへと追いやられていったのです。そこへ、世界銀行と国際通貨基金(IMF)は、厳しい条件付きでの新しいローンを掲げて介入してきました。

構造調整プログラム

 これらの条件は構造調整プログラム(SAPs)として知られています。その主な内容とは多く稼いで浪費を減らす、という事です。詳細として通常そこに含まれる内容としては、通貨の切り下げ、政府支出の引締め、助成金の削除及び諸物価の統制、賃金の引き下げ、諸外国との競争及び投資への門戸の解放、輸出産業と農業に重点を置く、そして国の基幹産業が広い範囲に渡って民営化されるようにすること等があげられますが、その結果として、多くの解雇者や失業者を生むことになりました。SAPsの結果教育費、医療費、及び福祉に対する予算が削減されてしまったことで、貧しい人々、特に女性や第三世界の国々の子供達の平和な暮らしに多大なる犠牲が払われる事になりました。

 ウガンダでは、簡単に避けられるはずの病気のために5人に一人の子供達が5歳に満たないうちに幼い命を落としています。何故なら政府が医療の為の予算の十倍もの金額を負債の返済の為に使っているからです。タンザニアでは1400万人もの人々が安全に使用できる水もない暮らしをしている反面で、政府は水供給資金の倍もの金額を負債の返済の為に支払っているのです。ボリビアでは政府が10年以上に渡って教育費を削減している為に、幾つかの学校では三交替制にする事でその学校本来の定員数の3倍の生徒達を受け入れています。そして、看護婦さん達の給料は彼等の家から診療所や病院に向かう交通費にも満たない有り様なのです。

 多くの第三世界の国々では債務返済の為に食物を輸出しなければならない状況にあります。ガーナの子供達の半数以上は栄養失調に苦しんでいます。その反面農地の半分以上は西洋の国々のチョコレートバーを作る為にココアの栽培に使われているのです。コロンビアでは栄養失調が当たり前の状況になっており、肥沃な土地は西洋の国々に輸出する切り花の栽培の為に使われてしまっています。ひどい干ばつに見舞われる中、サヘル(Sahel)では1000人に10人が餓死している状況下にもかかわらず輸出のピーナッツの量は増え続けていました。

債務のブーメラン

 債務による影響を受けたのは貧しい国々ばかりではありません。環境破壊(債務の返済の為に建築用の材木を切り出す必要性から促進されました)、ドラッグ(麻薬)の生産(他にする仕事の無い人々の手で行われました)、仕事や市場の減少(何故なら発展途上の国々は貧しさの為に先進国からの輸入品を買う事が出来ません)、そして移民の問題(仕事を求める人たちが押し寄せました)、これらはこの債務が先進国に及ぼしている影響の幾つかなのです。

ジュビリー2000

 ジュビリー2000とは、最も貧しい国々の抱える返済不可能な債務を一度だけ帳消しする事で彼等を債務の鎖から解放し、新たなミレニアム(2000年)を迎える事が出来る事を目指した世界的なキャンペーンなのです。債務の帳消しによって自由になったあらゆる資源は貧しい人々の生活や環境保護の為に転換されなければなりません。そして、すべてのこのような帳消しに関するプロセスは、債務の為に苦しんでいる人々の参加のもとに、透明に行われなければなりません。

 ジュビリー2000は1996年にイギリスで始まりました。40カ国以上の国々に支部を持ち、署名は130カ国以上で集められています。ツツ大司教が後援者となり、世界医学協会と米国市長協議会、その他多くの組織及び個人が、このキャンペーンを支持しているのです。

 ジュビリー2000UKはこのキャンペーンを促進する為に、貧しい人々の窮地の様子を紹介する沢山のイベントを企画しています。今年のバーミンガムG8サミットでは、7万人の人々が貧しい国々の債務の帳消しを訴えるデモの為に集まりました。ダライラマ、ツツ大司教、ロックスターのボノそしてその他大勢の人々が8月18日にロンドンのピカデリーサーカスにおいて2000年を迎えるまでの500日のカウントダウンを始めました。

 1998年8月、太平洋アジア資源センター、通商団体、宗教団体、そして様々なNGOが一緒になってジュビリー2000ジャパンを創設しました。私達はこの債務問題に関する署名キャンペーンと、この件に関する全国規模の講演を展開しています。小冊子やTシャツも作られました。私達としてはメディアの関心を得る為にも著名な方々によるサポートを求めています。(賛同者になって頂ける方を求めています)

 債務帳消しに対する反論ある人たちはこの債務帳消しに対して同意してはいません。「借りたのだから返すのは当たり前じゃないですか。」「私達の年金にどの様な影響がでてしまうんでしょうか?」これらの反対意見は幾つかの重要な事実を見過ごしているのです。まず第一に何故貧しい国々が借金をしなければならなかったのでしょうか?何故なら彼等が貧しかったからです。では、どうして彼等は貧しかったのでしょう?何故なら、北側の国々(例えば私達)が、彼等の国を何世紀にも渡ってしいたげ、食い物にしてきた(搾取してきた)からなのです。彼等のこの気の毒な状況は結局のところ北側の国々の責任によるものなのです。彼等が私達から借りた以上に、私達は貧しい国々から取り上げてきたのですから。自らの年金のことばかりが気になる人々は、その年金の為に貯えられたお金の多くが、この様な貧しい国々から盗まれた(搾取された)ものだという事を忘れているのです。貧しい国の人々には年金など無い事は言うまでもありませんし、仕事や賃金や食べ物も無いと言う状態なのに、自らの年金の事ばかりを考えているのはいくぶん自己中心的ではないでしょうか。こういった私達の自己中心的なライフスタイルや年金に対する不安感から、もうすでに多くの人々を死に追いやってきたのです。このあと一体どれだけ多くの人の死を望んでいるというのでしょうか?

 より詳しい情報に関しては以下にご連絡ください

〒250−0408
神奈川県箱根町強羅1300−5
強羅教会 ポール・マッカーティン
Tel0460−2−2764
FAX0460−2−2794



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聖霊の働きに助けられて
カトリック鶴見教会 水浦徳三郎

「聖霊と愛とがあなたを包む時、心も魂も満たされ、あなたの心に主がともに住み、古い自分は過ぎ去る。わが主イエスあなたの愛が、わが主イエスわたしを満たす」

 この歌は『スピリッツソング』とも『聖霊の歌』とも呼ばれています。いろいろな集会でよく歌う私の好きな感謝の歌です。私が『聖霊による生活刷新セミナー』を受けて体験した恵みは次のことでした。主が共にいて下さること、主の愛と喜びと平安を受けたこと、そして、自分の祈りが変えられたと感じた事でした。一番大切な祈りは、父と子と聖霊の三位一体の神に心からの賛美と感謝を捧げること。私たちは神を賛美するために創られた賛美の民であることを知ったのです。また、願う時は自分のことではなく、まず兄弟姉妹のために執り成しの祈りをするように。神は私のすべてを知っておられます。だからまず、兄弟のために祈りなさい。兄弟は私のために祈ってくれるでしょう。互いに祈りを分かち合う交わりの内に、主は居て下さいます。「二人三人がわたしの名によって集まるところに、わたしはいる」「わたしの名によって心を一つにして願うなら、おん父はそれをかなえて下さる」とイエスは弟子たちに教えられました。

 現代日本の消費社会の中で生きる私たち、父親は言うにおよばず、母親でさえも家庭の外で遅くまで、働いているのではないでしょうか。親と子が食事を共にして話し合ったり、共同の祈りをする機会があるでしょうか。もっと良い生活がしたい、もっと豊かなおいしいものが食べたい、もっとレベルの高い高校に入りたい、良い会社に入りたい、もっともっと。心を大切にする愛の絆が失われ、欲望ばかりに時間を費やしていないでしょうか。そんな現代の家庭には一体感がなく、崩壊に向かっているとさえ言われています。この様な生活の現状から救われるために、キリスト者である私たちは何をすべきなのでしょうか。私は保護者であり助け主である聖霊の恵みを求めて、家庭の中でまた教会の中で、兄弟的一致を与えて下さる神の豊かな賜物を体験する必要があるのではないかと思います。私はこの聖霊による祈りの集いに参加するようになり、22年経ちました。その体験から、一人で祈っている時は雑念が入って祈りに集中できないことが多いのですが、「祈りの集い」での賛美と感謝の祈りは、声を合わせて歌う祈りの中に兄弟姉妹に助けられ、集中した祈りができることを感じます。また「分かち合い」の時間には本当の兄弟のように自分の心の思いを聞いて語り合い、励まし合うことができるのです。キリスト者を一つにして下さる聖霊の働きがあって初めてこの様に長く「祈りの集い」を続けることができ、兄弟的一致も与えて下さるのだと感謝しています。聖霊の恵みとは、その働きとは何だろうかと考える方へ、もっと神の「みことば」を理解できるよう、また、イエスの愛をますます体験できるように、キリスト共同体の中で、賛美と感謝の祈りを捧げ、兄弟的一致の交わりを大切に実行するようにと、私はお勧め致します。

 この祈りの集いは、ここ藤沢教会において毎月第2.第4日曜日午後2時から行っています。また、聖霊の恵みとその働きを知るために「聖霊による生活刷新セミナー」を来る5月1一日から6月29日までの毎週火曜日午前10時から12時まで開催します。

 皆様のご参加をお待ちしています。

 なお、お問い合わせは
水浦 045−582−6833
片山 0467−31−3304



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「出生前診断をめぐって」を読んで
辻堂2区 浅野洋子

友人夫婦に赤ちゃんが生まれました。

ご両親とお姉ちゃん、おじいちゃんもおばあちゃんも、みんな生まれてくる赤ちゃんに早く合いたいと楽しみに待っていたのでした。誕生の知らせからしばらくして、お姉ちゃんの描いた赤ちゃんの似顔絵と写真入りの手紙が届きました。

 唐木さんの連載された「出生前診断をめぐって」を読みながら、私の中でだぶっていた彼らからのメッセージを皆様にも読んで戴けたらと思います。

「天国の特別な子供」

EdnaMassimilla作会議が開かれました。「また次の赤ちゃんの誕生の時間ですよ」地球からはるか遠くで、天においでになる神様に向かって天使たちは言いました。「この子は特別の赤ちゃんで、たくさんの愛情が必要でしょう。この子の成長はとてもゆっくりに見えるかも知れません。もしかして一人前になれないかも知れません。だからこの子は下界で出会う人々に特に気を付けてもらわなければならないのです。もしかしてこの子の思うことはなかなか分かって貰えないかも知れません。何をやってもうまくいかないかも知れません。ですから私たちは、この子がどこに生まれるか注意深く選ばなければならないのです。この子の生涯が幸せなものとなるように、どうぞ神様この子の為に素晴らしい両親を探してあげて下さい。神様のために素晴らしい任務を引き受けてくれるような両親を。彼ら二人が自分たちに求められている特別な役割を、すぐには気が付かないかもしれません。けれども天から授けられたこの子によって、ますます強い信仰と豊かな愛をいただくことになることでしょう。神からおくられたこの子を育てることによって。柔和で穏やかなこの尊い授かりものこそ、天から授かった子供なのです」

楽しみに待っていた赤ちゃんはダウン症でした。

 彼ら二人にとってこの現実を頭でも心でも受け入れることは、どんなに苦しいことだったか。しかし、自分たちに与えられた特別の神の思し召しを、彼らを精一杯に支える彼らのご両親の愛の内に受入れていったのでした。そして「この子は教会の皆様にも育てていただきたい、皆に抱っこしてもらいたい」と母親は言いました。私はただ頷くだけで、頬を伝う涙の暖かさと不思議な心の静けさを感じていました。立場を自分に置き換える時、私は頭だけ理屈だけかも知れない苦しさも感じます。

 しかし、わかることは誰もが希望を持って幸せに生きるようにと望まれていることです。 出生前診断で簡単に決められる命があっていいのでしょうか。カトリックは中絶を禁止しているのは何故でしょうか。「五体不満足」という本がベストセラーになっているのは何故でしょうか。今こそ「命」の尊さを、私たちは問われているのではないでしょうか。命を託した方と命を託された者、それは目に見えない絆で結ばれているし、命を託された方は、命の質について何もおっしゃっていないのではないでしょうか。様々な障害や困難を伴う方々を想いながら、誰が一番辛いのか私は誰の隣人なのかと思わずにはいられません。あまりに小さい声だから良い耳をもたなければと思うのです。



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「第14回静修の集い」に参加して
善行 辻垣正彦

四旬節初の日曜日を皆さまとの黙想で始めることができることは幸いなことです。

 今回指導司祭の中川神父様は、我が主任のバーガー神父様とアメリカで親交があったとのことで私達もあやかることができました。講話の中で印象的だったのは、宇治拾遺物語の中の「鬼が泣いた」と云うお話しです。

 あるお坊さまがその鬼に問う。なぜ泣くのか?と。

 曰く怨みを晴らそうとして怨みに思う人の親子孫親族全ての関係者を殺して来たが、いっこうに心のしこりが取れない、それが悔しくて泣いているのだと。

 今の私達に心から泣く余裕はあるだろうか。日頃、企業とそれを取りまく社会の中にあって、唯社会の歯車となって働いている自分が見えてきます。株主の利益追求のために鬼のような経営者の手先となって、ばく進する私が見えて来ます。

 時々は立ち止まり、妻や子、孫、友人、父、母を想います。しかし社会のしがらみが多く、その就縛は強いロープのようです。立ち切ることも、振り返えることもできない、鬼のように泣くこともできない。

 このことに中川神父様は気付かせてくださった。孤独ということを自からの体験を通して。残酷な現実、これでもか、これでもかと云う残酷な仕打ちの中にこそ神の働きがあると云うことを。

 そこで考えました。人間は本来厳しい自然の中で共生しなければ生きていけなかったのに、いつの間にかこの鬼のように自分の都合の良いところを選んで今を生きるようになったのか。本来は選べないところ(空間)でもがきながら生きてきました。そこに初めて創造的出会いが、交わりがあると思います。交わりはこのベースがあって成り立つように思えます。

 無になりたい(自分以外の何物でもない存在)と云うのは、現在、選びつつ生きている関係を断ち切ることにほかならないように思えます。中川神父様が私達と同じ視点に立って神を見、信仰というものを考えて下さったことは、これからの信仰を生きる道を暗示して下さったように思います。ぐうたらな私も、ご受難、復活へ向かって第一歩を踏み出すことができるように思えます。



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祈りと黙想の会
善行 岡村孝子

 四旬節も半ばに近い3月1日(月)に、今年もイエズス会のジョンストン神父様にお出で頂き、エルダーズの会の呼びかけによる黙想会が開かれました。

 「静修の日」の翌日ではありましたが、40名程の方が集まりました。午前中の講話の後、各自、外でも室内でも好む所で30分の黙想をし、その後またセンターホールに集まって、サンドイッチと手作りのスープ、紅茶で暖まりつつ、気を楽にして語り合いながらの昼食を頂きました。(食事を用意するスタッフもゆっくり黙想出来るよう、サンドイッチは市販のものを用意しました)

 午後は再び神父様の講話と黙想の後、感想、質問等の分かち合いをし、そのままセンターホールでベネディクション(聖体賛美式)が行われ、最後はコールセシリアの方々の美しいコーラスで、祈りと黙想の集いは終わりました。

 前回もそうでしたが、ジョンストン神父様のお話、御指導は、非常に霊的に深い内容を分かりやすく話して下さり、私共の信仰を原点に導いて下さったように思えます。

 神父様のお話を皆様にお伝えしたいと思い、その要旨だけですがまとめてみましたので、お読み頂ければと思います。

第1講話

「観想的な祈り」を皆さんにおすすめします。これは東洋に根ざした祈りで、体と呼吸を大切にします。(背すじを延ばし、おなかから呼吸します)インドは宗教の起源ではないかと思います。インドには時間と空間から解放された体験があります。即ち悟りです。神秘的な体験です。教皇も回勅で、「キリスト教はそこから学ばなければならない」と述べておられます。ユダヤで生れ、ギリシャローマに入り、ヨーロッパで育ったキリスト教は、区別する宗教、即ち善悪、光と闇というように、二者対立する二元論的な傾向があります。しかしキリストは全ての人の為に死なれたのです。

 17世紀に日本で翻訳された主の祈りは、天にまします我らの父ではなく、我らの親でした。父性、母性を分けず親として受け取ったのです。観想は、別のキリスト教をつくるのではなく深化することです。聖書は理性だけではなく、観想によって体全体で受け止めなければわかりません。たとえばヨハネによる福音に、イエスが「私はアブラハム以前に存在している」と言われる所がありますが、これは時間、空間を超えることです。「聖霊来たり給え」と繰り返すのはよい祈りです。愛着や執着を捨て、心配や煩いを離れて無心になった時、聖霊の力が働きます。大切なのは命と体です。命の体験は呼吸そのものです。聖霊はいつも、呼吸と風にたとえられます。宇宙の呼吸の源は聖霊です。日本や中国では気と言いますが、エネルギーのことです。

 現代人の多くは自分を軽蔑し、他人を羨みますが、比較せず無心になるようにしましょう。空の鳥、野の百合を見よ、ただ自然を観る、聴くだけで観想になります。聖パウロは死を乗りこえて言いました。「死よ、お前の勝利は、棘は、どこにある」と、私達もそう言わなければなりません。

 1945年の崩壊で、日本は東洋の英知を失う方向に向かいました。経済中心になったのです。中国も今そうです。ヨーロッパは東洋の英知を求めています。東洋と西洋の対話が21世紀の最大の事件になるでしょう。

第2講話

 アジアにキリスト教は根づかないと言われますが、イエスキリストは、インドのガンジー、永井隆、遠藤周作、内村鑑三などに受け入れられています。イエスは全ての人を愛します。聖霊は全ての人に働いています。ヨハネの福音に「全ての人を照らす光、みことばは全ての人の体となる」とあるのは共同体をあらわします。すなわち御託身です。私達の中にキリストは生きておられます。キリスト教は聖体に於いて一つになるのです。信仰一致の運動はその方向を目ざします。聖パウロは「生きる今、私の中にキリストは生きている」と言いました。「私の愛にとどまれ」と言われたイエスのみことばを観想することによって、ぶどうの木が実を結ぶように私達は実を結ぶのです。



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ザビエル展に思うこと
藤沢1区高野 修

 エルダーズの会主催による大ザビエル展に参加した。ザビエルの来日450周年を記念しての特別展であった。ザビエルについての知識は、敗戦後の混乱がまだ続いていた時期に、ザビエル来日400周年祭が行なわれたことを、当時の新聞で報道されたのが私にとっては最初であった。中学2年生の頃だったと記憶している。

 しかし、何故にザビエルが日本を訪れたのか、その主たる理由というのか、使命というのかを理解するのには、私のキリスト教に対する知識があまりにも不足していた。ただ新聞記事を通して考えたことは、「なぜ、未知の国日本に、生命を賭けてまでザビエルは宣教に来たのか」ということであった。この考えは長く私とザビエルを結びつけた。

 もっと具体的に書くと、ザビエルの後に多くの宣教師達が来日し、その結果、禁教令という世界的悪法によって、弾圧が行なわれ多くの宣教師と信徒の生命を奪われたのであるが、なぜ異境の地に生命を捧げるのか。かりにザビエルがこの事実を知ったなら、彼の来日による使命の結果とは思わないだろうか等と考えたものであった。宣教師の心を駆り立てるものについて、私なりの解答が出来たのは、それから10年も経過してからのことであった。

 それは、一人のイエズス会神父との出会いであった。彼は「私はキリストに騙されているのかも知れない。キリストはペテン師かもしれない。しかし、府中のカトリック墓地に行くと、キリストに騙されて異境の地日本で死んだ多くの先輩宣教師の墓があり、それを見ていると勇気が湧いてくるのです。そして私もキリストに騙されている喜びと、幸せを感じることができる」と。彼はフランス人の神父であるから、フランス人らしい比喩で私にキリストの教えを諭そうとされたのであろう。この独白を聞いて私の中学時代のザビエル来日の謎が解けたように思ったのであった。

 ザビエルの右腕が日本に来たことをも、50年前に新聞記事で読んだが、私とザビエルとの出会いはこの時であり、ザビエルは忘れ得ない歴史上の人物の一人となった。この右腕と直接出会ったのはローマのイエズス会の教会であった。金沢ヨゼフ神父に案内されてのことであった。金沢神父は横浜教区の司祭でハンガリーから日本に帰化された方で、妻の洗礼の神父であり、私どもの霊的な父であった。ところでなぜ右腕なのかあまりその時には疑問に思わなかったのであるが、川崎市民ミュージアムで望月一樹学芸員の説明を聞いて一人合点してしまったのは私だけであろうか。彼は「もっとも信頼している人のことを、私の右腕ですというではありませんか」と説明したのである。たしかにザビエルはキリストの右腕であり、イグナチオロヨラの右腕であった。そして世界の、日本のカトリック教会の右腕なのである。この右腕は休息することなく、世界中の人々をキリストのもとに招くために旅を続けられているのである。

 その人を理解するためには、その人物の原点である生まれた地を訪ねるのが一番だと私は思っている。ザビエルについて知ろうと思うなら、やはり生家のバスクのハビエル城を訪ねることだと。幸いバーガー神父に案内されてハビエル城に入ったとき、私のザビエル恋が現実のものとなった感激でしばし幸福を味わうことができた。バスクはスペインの北部、ピレネー山脈の西端の麓にある。城を囲む丘には牧草であろうか広々と地平線の彼方まで続いていたのを記憶している。

 いま私は、時々『聖フランシスコザビエル全書簡』を読んでいる。この書簡集はザビエルの信仰告白書と呼んでもよいのではないだろうか。随所にザビエルの声が聞こえてくる。今回展示されていた書簡は1549年1月26日付、コーチン発の「ポルトガル国王ジョアン三世」にあてての書簡であった。残念なことに一部が切り取られていたが、遺物崇拝は何処の国にでもあり、日本でも『手鑑』と称される、切り抜き帳が室町から江戸時代に盛んであったことを、ふと思い出した。この『手鑑』には宝物が詰まっていて、いまでもその内容を研究する機会に恵まれると楽しいものであるが、それはその中に意外性がひそんでいるからに他ならない。ザビエルの切り取られた書簡の片割れの運命や如何に。『全書簡』では編者によって欠落した部分を補っているが、聖人としてのザビエルの遺物に対する崇拝は、一面では理解できるのであるが、欠落した書簡の展示されているのを見るのは辛い。それは私が記録史料学を専攻しているからなのかもしれない。

 大ザビエル展がこの時期に開催されたことは、開催に努められた多くの人々の善意によるのであろうが、ザビエルによるキリスト教の伝来というよりも、むしろザビエルによって東西の文化が交流し得たことに重点が置かれていたのは素晴らしい企画であった。この展示では人間ザビエルの生き方が暗黙のうちに示されていて心地よかった。それは、イグナチオに呼ばれて、「私はここにおります」といったザビエルの答えが、全部示されていたからである。

 「私は、こういわれる主のみ声をきいた、『だれを遣わすべきか、だれが私たちに代わって行くだろうか』。私は答えた、『私はここにおります、私を遣わしてください』」(イザヤ68−9)。 1999.3.17記



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「大ザビエル展」見学会に参加して
鵠沼2区野村弘子

 3月10日(水)、川崎市民ミュージアムで開催されております「大ザビエル展」を見学できましたことを心から喜んでいる一人です。この日は小雨が降り、寒い日ではございましたが8時30分には次々と大型バスに乗り込み、50人余りの皆様はこれからザビエルに出合えることを、心を一つにして恰も巡礼に行くかのように、私の目に写りました。

 1時間半程の車中ではエルダーズ世話人の方々からの親切なご案内、バーガー神父様の挨拶、お祈りで、それぞれに楽しい、心豊かな出会いを感じることができました。

 戸塚パーキングで李神父様から一人一人にご挨拶を受けて、ほどなくミュージアムに着き、その立派さに皆さんで目を見張り、館内に入りホッとしてますと、藤沢教会副委員長の高野さんのお知り合いで当館、学芸員の望月さんがお見えになり、この展示会は川崎を初めとして、山口、東京、鹿児島と1年間にわたるとのことでした。最初は40分のビデオで主な内容は、フランシスコザビエルはスペインのバスクに生まれ、父親はナベラ王国の政府高官、母親は貴族出身で結婚のとき、ザビエル城を持参してきたということです。(今だにスペインのバスクに建物があるとのことです)

 ザビエルは5人兄弟の末っ子で、信仰深い母の慈しみにはぐくまれて育てられました。若い時はパリ大学で学び、その何年か後、イグナチオロヨラに出会い、まもなくイグナチオロヨラの任命を受けて東洋の宣教に旅立つのです。

 最初はインドのゴアに渡り、布教、病人の世話に明け暮れ、信者と共に祈り、昼は人のため、夜は神のための生活だったと言われています。次にマラッカへ渡りここで初めて日本人のヤジローに出会い、1549年8月15日、聖母被昇天祭にヤジロウと一緒に日本での第一歩を鹿児島に入りました。鹿児島での宣教、人々との生活を共にし、滞在1年間に約百50人が洗礼を受けたそうです。次に平戸(隠れキリシタンの発祥地ともなっております)では山口、境、京都という宣教の道筋を定めたということです。

 山口での布教を終え、いち早く都である京都に向かい、そこで時の天皇に謁見することもままならず、戦国の世を恐れ僅か11日間の滞在でした。ザビエルは再び山口に入り、ここではキリスト教も多くの人々に理解され、受け入れられ4ヶ月半滞在中、約500人が洗礼を受けたということです。

 ザビエルは、日本人を深く敬愛し、ふたたび日本への宣教を誓って2年余で日本を去りました。また日本人は今まで会ったどこの国の人よりも聡明で信仰深い国民であるといったそうです。

 その後、インドへ引き返し、日本の文化と信仰は中国からの影響が大きいことを知り中国に渡って再度日本に向かおうと思ったそうです。ところが中国を目前にして熱病にかかり、46歳という若さでこの世をさりました。

 ビデオは終わり、学芸員の望月さんより第1展示室(第1章異境との出会い第2章ザビエルとキリスト教の伝来)、第2展示室(海を渡る交流)と会場の説明がありました。

 展示品はアジア、日本地図から始まり世界図屏風(リスボンローマなど書かれていました)、南蛮屏風(主に大阪などの商人の所持品だとおっしゃていました)、絵画では、フランシスコザビエルの肖像画(よく高校の歴史教科書に出てくる絵です)、海水を真水に変えるフランシスコ(長い航海で飲料水がなくなり、海水を真水に変えたといわれる絵)、族長を蘇らせたフランシスコの絵、日本の大名に説教する絵等々・・。遺品では聖鈴、長靴の一部(かつては長靴だったそうでしが、遺品として持っていかれ、今はスリッパみたいになっていました)、司祭の帽子、ストラ、ザビエル自筆の書簡、聖書(これはミニ聖書でした)、オルガン(大きさとしては小さいアコーデオンの鍵盤くらいで、それが入るケースもありました)、他にミサ典礼書、踏絵板、真鍮踏絵など146点もの出品数でしたので、学芸員の望月さんの何点かの説明は具体的でよく理解出来ました。

 また望月さんはザビエルは単にキリスト教の伝来だけでなく、広く西洋文化、東洋文化(ザビエルが航海してきた文化)も日本に広く伝えた人だと締めくくられました。

 帰りのバスの中ではユーモアを交えたハンラティ神父様の挨拶で終わりとなりました。 現在日本人の人口1%(140万人)のキリスト教信者を最初に宣教したフランシスコザビエルは11年間にわたるポルトガルから始まってインド、日本へと航海と宣教生活どんなご苦労があったかは創造できません。

 カトリック聖人伝(光明社版)によりますとザビエルの布教以来60年で大名はじめ全国で約百万人のキリシタンがいたと書かれています。

 見学が終わった日の夜、大聖年、21世紀を目の前にして、450年前のフランシスコザビエルの東洋への熱意と、今、布教はアジアと言われていますことが私には重なって仕方がありませんでした。

 なお昨年クリスマス号に寄せられました「ザビエル来朝450年」の田崎真也(鵠沼2区)さんの記事も大変参考になりました。

 最後に「大ザビエル展」見学を記事にするようにいわれましたのが、見学の後でしたので思い違いがあるかもしれません、その点ご容赦ください。神に感謝



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キジト神父様へ
辻堂1区 浮田久子

 1月29日付のお手紙ありがとうございました。超御多忙のなか時間を割いてくださって、私どもからのささやかな寄附がどのように使われているかお報せ下さいますことを感謝いたします。

 東アフリカや中央アフリカの情勢は日本でも時々報道されますが、私たちのいとこである皆さまのご日常については、神父さまのお便りをのぞいては、殆ど知ることができません。その意味でもお便りは本当に貴重なものです。あらためて御礼申し上げます。

 つい数日前には、イギリスやアメリカからウガンダに観光旅行に御地を訪れた人々が、反政府ゲリラによって虐殺されたと云うむごたらしいニュースがありました。戦場に隣り合わせの処に観光に出かける人がいるのはちょっと理解できませんが、このようにして、憎しみや恐れや不信感が増幅していくことを思うとたまらない気持になります。私たちも50数年前に、国民として、戦争の惨禍と非道とを身を以って体験しました。そして最大の犠牲者は権力には程遠い、力のない普通の人々であることを知っているだけに皆さまのことが心配です。アフリカで第三次世界大戦がおきたら大変です。

 いま私たちはジュビリー2千年の署名運動に取り組んでおります。最貧国の債務取消しを日本政府が保留していることに怒りをおぼえています。この全世界的な運動によって日本政府の態度を変えさせましょう。

 神父さまが叙階25周年をお迎えになられたことを心からお祝い申し上げます。この大動乱のさなかに神父さまを派遣なさった神様のご攝理を思い、遅ればせながら私たちの間で霊的花束をつくることを計画しております。近日中にお送りできるでしょう。

 今年も御復活祭が近づきました。この紛争に打ちひしがれた世界なればこそ、一層切にご復活の恩寵を、信仰と希望と愛とを祈りもとめます。

皆さまの藤沢のいとこ達と心をあわせて 3月15日 キジト 神父様へ



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日曜学校だより

 寒かった冬も終わり、春の香りが漂ってまいりました。日曜学校では、毎週恵みのうちに子供たちのミサを中心に、楽しく、実りある時を過ごしております。今年度も3月14日の卒業感謝ミサを持ちまして終了いたします。どうぞご家庭でよいご復活をお迎え下さい。

3学期の行事として

1月10日 始業式
  17日 避難訓練
2月21日 四旬節の準備
  28日 子供と家族のミサ
3月7日 ゆるしの秘跡
  14日 卒業感謝ミサ3学期終了

日曜学校校長
李 鍾昇神父

 お友達の皆さん、この一年間がんばりましたね。楽しかったでしょう。それから、卒業生の6年生の皆さん、お疲れさまでした。これから歩まれる道に神様の祝福がありますようにお祈りします。それと、中高生会があなた達を待っていますので、是非来て下さい。

1年生
清水裕子 小川幸穂 渡辺未来

 昨年のクリスマス、白い羊さん達とてもかわいかったと思いませんでしたか?最後の踊りも愛らしかったですね。日曜学校1年生の時の思い出になってくれたらと思います。

 さて、3学期はあっという間に過ぎてしまいました。2学期までに比べ、出席する子も風邪などのためグーンと少なくなってしまい、ちょっと寂しい気がしました。授業では、神様が私達に下さったもの『光』をテーマに、大きな紙に各々が自由に思い思いに太陽、ロウソク、電気、懐中電灯等思いついたものを描きました。大きく大胆に描く子、隅の方に小さく描く子様々です。2月28日の子供と家族の御ミサの時にこれを奉納しました。5年後、日曜学校卒業の時にこれを見た、みんなの感想を聞いてみたいと思いました。

 また、3学期には御ミサの中で毎週1名〜2名共同祈願をしました。はじめての経験でしたが、みんな考えて来てくれたお祈りを落ち着いて読み上げてくれました。そして、2月には奉納行列も経験しました。毎回5名ずつ、みんな神妙な顔をして神父様の前に進んでいきました。自分たちも御ミサに参加しているという気持ちが芽生えてくれたのではと思います。2年生になりましたら、初聖体クラスとなります。どうぞ皆様がんばって下さい。1年間ありがとうございました。

2年生(初聖体クラス)
高橋直子 松田敏子

 クリスマスのミサに於きましては、保護者の方々のご協力もありまして、無事、聖劇も行うことができました。ありがとうございました。2年生は、星の聖歌隊として多勢の子供たちが参加してくれました。初めて、踊りも取り入れました。まるで、イエス様のお誕生のお祝いを星がキラキラと輝き、祝福しているようでした。

 3学期に入りますと、新しいお友達も(3年〜6年生6名)加わり、ますます、パワーアップしてきました。

 2月7日は、保護者の方もミサにあずかり、その後、李神父様のお話、シスター我妻の静思のひととき、3年生の保護者の前年度の初聖体の様子などをきき、それぞれ役割も分担していただき、来る4月18日をご家族一緒に迎える準備の日となりました。

 授業内容としましては、祈り、(お願いの祈り、共同祈願等)、神様のゆるし、最後の晩餐、ご聖体の頂き方、ゆるしの秘跡等を勉強していきます。

子供たちの共同祈願をご紹介します。

一人一人の子供の中に神様が住んでいらっしゃいます。聖霊、来てください。あなたの光の輝きを天の高みより送ってください。

※尚、初聖体当日に、子供達の代父、代母さんもお招きすると、良い記念になることと思います。

3年生
小泉美知子 平山明美 北脇佐保

 3年生はみんなで祈り合うことを基本にしてきましたが、3学期は自分の隣にいるお友達にお祈りのプレゼントをするなどして、周りの人々へと目を向けてみました。ホンジュラスの災害についてクラスで話し合った時には、「お金を儲けて人のために使う」という意見も出て、このまま育ってほしいものだと感心しました。これはミサの時の献金が、災害援助募金であったことから、人を助けるにはお金も必要だということが分かったためでした。

 授業では、今学期も、「私達は世の光」、「私達は地の塩」のテーマで、ゆるしの秘跡の準備へのステップを兼ねてコラージュ(貼り絵のようなもの)制作をしました。「光」「塩」について連想を次々に展開していきますと、人にやさしくする。親切にする、助ける、募金をする、ボランティアをする、お祈りする、等々の声が出て感受性も社会への関心も豊かに育っていることが感じられました。二つのコラージュは共同製作でとてもきれいな作品になりましたので、ぜひ教室に飾りたいと希望しています。

 3年生のクラスもあとわずかです。1年間のご理解とご協力に深く感謝いたします。ありがとうございました。

4年生
高橋 弘 川辺千佳子

 4年生クラスを担当して、あっという間に1年が過ぎようとしています。12月24日の聖劇をもって2学期は終わり、3学期の始業式は1月10日でした。この日4年生はいつになく少なく、教室にいたのは8名でした。そして、この日から、ひかわあつし君、かねこあきさん、さとはらともみさんの3名が初聖体クラスに入り、4月18日の初聖体に向け勉強を始めました。良い初聖体の準備が出来ますように4年生クラスでもお祈りしています。

 17日には避難訓練がありましたが、授業中、聖堂の前庭から煙がモクモクと立ちはじめると、もう子供たちはガラス窓にへばり付き、興奮して、とても授業どころではありませんでした。が、避難の時には全員冷静に行動できました。2月に入り、クラスの何人かの子供が積極的にアシスタントをかって出てくれています。クラスで“こじか”を配り、出席の点呼をし、テキストの朗読などもやってくれています。こういう形でクラスが進めば、いずれ、この中から将来のリーダーが生まれるのではないかと楽しみにしています。

 2月17日に灰の水曜日をむかえ、四旬節の準備が始まりました。21日の四旬節第1主日はイエス様が悪魔の誘惑を受ける所です。4月4日の復活祭まで、4年生クラスはイエス様の言われた言葉をもう一度良く味わって、授業を進めていきたいと思います。

5年6年生
風間孝子 山部哲史

 庭先には、水仙のつぼみがふくらみ、紫のムスカリの花が春の訪れを持っています。昨年のクリスマスの聖劇は、保護者の皆様の御協力もあって、約百人の子供達が参加し、5、6年生が中心になってイエス様の誕生の喜びを伝えることができました。ここに子供達の感想を紹介いたします。

6年 梅沢聖一

小学校の最後に「ヨゼフ」という大役が出来て、とてもうれしかった。セリフをまちがえず、きんちょうもしないで演じられたので、とてもたのしかったです。練習時間も少なかったのに上手くできて本当によかった。

5年池永代子

上手くできてよかった。せりふをかいた紙をなくしてしまったけれど覚えていてよかった。たくさんのお客さんの前だときんちょうして声がふるえてしまったので来年はがんばりたいです。

5年 今村 悠

舞台の前で大きな声を出すのは、すごく緊張しました。初めて名前のある役(洗者ヨハネ)をやってドキドキしました。

5年 グェンティフォンアン

私は、赤い星をやって、せいこうしてうれしかった

5年グェンティアントゥエット

私は、マリア様にねる所をお世話する女の人でした。じょうずにできて、楽しかった。

5年グェンミンバァオ

くいのないえんぎができてうれしかった。すごくたくさんの人の前できんちょうしたけど練習のせいかをだせてうれしかった。

5年 畑谷宏平

ぼくは、藤沢教会での聖劇にはじめて出ました。練習の時は、ぜんぜんできなくて、本番が心配でした。セリフをおぼえるのが大変だったけれど、クリスマスの日にはちゃんとできてよかったです。みんなで過ごせた楽しいクリスマスでした。

5年 道下 霞

本番のときは、練習のときよりもきんちょうした。まんぞくできてよかった。

◇あなた方は、世の塩世の光である

『こじか』を参考に、この福音について学びました。その中には、黒沢明監督の「生きる」が、例え話として、わかりやすく書かれていました。

6年 清水麻美

渡辺さんは、「半年のいのちですよ」と言われ、ショックを受け、又、残りの時間、自分がどう生きていくかわからなかったと思います。そんな時、小田切さんに、みんなのために働くと楽しいと勇気づけられ、みんなの願いだった公園をつくり、完成した日に亡くなりましたが、渡辺さんにとっては、とても良い思い出になったと思います。

(他の子供達の感想は、「八角形にゅーす3月号」の方にのせてありますので、ぜひお読み下さい)

2月に入り、堅信の話をしたり、教会にある古いロウソクをけずって、ロウソクづくりを楽しみました。子供達が暗やみをてらすロウソクのようにお互いを大切に、周りを明るく出来る存在であることを願って。家庭でお祈りをする時に役立てて下さればと思います。卒業感謝ミサは、みんなで役割分担し進めて参ります。今迄いただいた沢山のお恵みに感謝し、これからもイエス様を大切に力強く歩んでいくことが出来るように祝福を祈りたいと思います。これからは、ぜひ中高生のメンバーとして子供達が教会の共同体の仲間として、仲良く活動出来たら、いいですね。この1年間の暖かいご協力を感謝申しあげます。

 新年度は4月11日より、始めます。但し、新1年生のクラスは、学校生活にも慣れる5月頃より開始いたしたいと思います。1年生クラスの開始時期は、追ってお知らせします。また、今年度いらっしゃらなかった方々も、来年度はぜひいらして下さることをお待ちしています。それでは、4月11日に皆さまの元気なお顔を拝見できることを一同楽しみに致しております。



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中高生会だより

ご復活おめでとうございます。

中高生会の今年度の活動方針を紹介します。活動日は、今年より毎日曜日で9時半のミサ後の1時間半から2時間を考えています。

第5週のある場合は、講話を第5週とし、第4週は別の行事を計画します。また重要な活動として、第3週目の土曜日は、施設訪問を実施します。皆さんにご利用頂いていますコーヒーショップは、残念ながら1ヵ月に一度になりますが実施日には、これまで通りご利用下さい。

 特に中高生が待ちわびる行事は、最終日曜日の「講話」です。教会の壮年婦人青年と言った先輩諸氏の「生き方」に触れることが、将来の彼等の「生き方」、成長の為の、正に糧となっていることを強く感ずるひとときとなっています。これからも中高生へ話しておきたい、伝えたい事柄の募集を行いますので遠慮なく中高生会へ連絡ください。

 その他に、父兄の方と一緒に食事会、中高生の黙想会、ボランティア活動を共同で行う中での他の地区の中高生との交流も計画しています。中高生のみなさんへは、第1学期のスケジュールが別便で届くと思います。家庭や学校などの予定と調整の上、都合のつく日、興味のある行事に自由に参加して下さい。

 最後に中高生会のリーダーとして活躍された丸茂啓介さんが、就職活動のため、リーダーを降りられました。非常に残念ですが今後のご活躍を、お祈りすると同時に、まる2年間にわたる中高生会での頑張りと努力に感謝したいと思います。



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「エルダーズの会からご報告」
大庭 八木京子

 御復活おめでとうございます。

 この御復活の祝日の後私達エルダーズの会ではあらたな歩みを始めることになりました。

 毎月第3木曜日(当面月一回なのですが)湘南台センターに於いてエルダーズの集いを開きたいと思います。第1回は4月15日(木)10時から12時、年齢にかかわらずどんなことでも話し合える場をもちませんか。沢山の方々のお越しをお待ちしております。

はじめていらっしゃる方、興味をお持ちの方のために昨年度の歩みを簡単に述べさせて頂きます。

 エルダーズの会では老いも若きも、男性も女性も、信者、未信者を問わず心安らぐ場として悲しい事、苦しい事、嬉しい事も楽しい事も思いっきり分かち合える場を作ってきました。

 人はみな様々、文学好きな方、心理学を学んでいる方、政治に・ルビ・長・たけている方、絵をお描きになる方、また俳句をたしなむ方、とにかく楽しく聞き役専門の方と色々なのですが、1週間に一度のエルダーズの集いが元気を分かち合える場、勇気とやさしさを頂ける場となりつつあります。未信者の方々もいらっしゃるのですが、このことが、会の豊かさにも喜びにもなっています。

昨年と今年にかけてイエズス会の「ジョンストン神父様と共に祈りと黙想の集い」を2回いたしました。その感動はいまだに心をゆすります。

 昨年10月には沢山の方々の熱気につつまれて、フルート奏者の吉川久子さん、ハープ奏者の朝川朋之さんをお迎えしての日本の叙情曲、教会音楽、クラシックからなるコンサートを開くことも出来ました。

 昨年のエルダーズのクリスマスは入江順子さんのピアノ伴奏で歌唱力豊かな柴田郁子さんがアヴェマリア他をプレゼントして下さり楽しい半日を過ごすことができました。

 また時には、高野修さんの「時衆と一遍」の講話、浅野洋子さんの「阪神大震災での若者達の活躍」のお話などを伺ったり、3月10日には「観光バスで行くザベリオ展」を企画し沢山の方々と大切なひとときを過ごさせて頂きました。

 雪の下教会のドモンティニ神父様がお時間の許す限りお仲間に入って下さっています。「エルダーズの会は男性の方々が多い、めずらしい集いです」とおっしゃって下さいました本当にそうなのです。

 月に1度(第4月曜日)のお食事の会を受け持って下さっている若いスタッフの方々、そして黙想会の折には美しいハーモニーで神様との対話のかけ橋をして下さる野沢先生とコールセシリアの皆様方、いつも暖かいまなざしとほほえみを下さる神父様方と共同体の皆様、どうぞこれからも恵みの後押しをよろしくお願い致します。

 湘南台センターにお近い方々、湘南台センターに一度もいらしたことのない方々、毎月1回第3木曜日午前10時からぜひいらしてみて下さいませ、お待ち申し上げております。湘南台センターでのエルダーズの会の集いにあたり、センターのお二人のスタッフには、ご相談申し上げたりお世話になることが多々あることと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 桜の花の開花と共に空を見上げることが多くなりました。輝いたまぶしい青空がやわらかくつつんでくれるこの季節、やっぱり集う私達の視線は常に神様にむかっています。



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ルワンダへ愛をこめて
辻堂2区 元永けいこ

 ルワンダで義肢製作活動をしている吉田真美さんが、4月に一時帰国致します。滞在中の活動報告会を下記にて記載させていただきました。「10年計画」と言っていた彼女に出会って既に2年。もう少しの時間、皆様のご協力をいただけませんでしょうか。

 彼女のことを思い続けて下さった方、また前回の催しにいらして下さった方々に再度、お知らせいただけましたら幸いです。どうぞよろしくお願い申し上げます。

ワンラブ(ルワンダ義肢製作)
プロジェクト活動報告会

◆4月11日(日)14:OO〜16:OO

地球市民かながわプラザ3F企画展示室
(同時開催写真展4月10日11日9:30〜18:30)

◆4月17日(土)18:00〜20:00

シニアワーク東京5F第2セミナー室

◆5月9日(日)13:30〜

カトリック茅ヶ崎教会マリア会館

 

※報告者は、現地スタッフのガテラエマニュエルと吉田真美です。

詳細は、教会の掲示板または元永(35-2429)まで

よろしくお願いいたします。



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4月の主な行事

1(木)聖木曜日ミサ洗足式午後7時30分
2(金)聖金曜日十字架の道行き9時30分
          受難の祭儀午後7時30分
3(土)聖土曜日ゆるしの秘跡10時-12時
       復活徹夜祭洗礼式午後8時
4(日)復活の主日のミサ
      午前7時午前9時30分(幼児洗礼)
      午後1時(英語)午後2時(スペイン語)
      午後2時30分(韓国語)午後4時(ベトナム語)午後7時
9(金)婦人部例会(新旧交代)
10(土)鵠沼ブロック花見会
11(日)藤沢教会信徒総会
12(月)1926食事会エルダーズの会10時
15(木)湘南台センター〃午前10時
17(土)ケアセミナー午前10時
18(日)初聖体
24(土)福祉部例会午前10時
24(土)藤沢ブロック新入者歓迎会
24(土)北2ブロック親睦会
25(日)日曜学校保護者懇談会

▼八角形にゅーす5月号の原稿締め切りは4月19日です。

編集後記▼ご復活おめでとうございます。いま迄の教会報特集号を今年度から「八角形にゅーす御復活特集号」といたしました。これからも皆さまのご協力で本誌を育ててまいりたいと思います。



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