八 角 形 に ゅ ー す
1999年5月5日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
喜びのニュース・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・シスター 我妻志づ枝
婦人部・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 竹田美穂子
日曜学校だより・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・通信係り 小泉美知子
初聖体へのあゆみ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日曜学校 高橋直子
滞日外国人とのふれ合い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 児玉和子
ちょっとひとこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 梅田文一
前文だけで失礼!本文はあなたが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 下村洋史
或るめしいの巡礼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 吉住 宏
韓国の古都と教会めぐり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・浅草教会 久保田光男
佐藤神父様義援コンサートの報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・青年会 山部哲史
喜びのニュース
シスター 我妻志づ枝
今から9年前、聖心会のシスター嶋本から交流分析(TA)の研修を受けました。はじめに「神様が造ってくださった一人ひとりの人間を、その人がその人らしく開花することを手伝うことがTAです」と言われました。そのとおり、シスター嶋本は4年間にわたり私たちをよく導いてくださいました。“その人らしさになる”自分が理想的になれなくてよいと認めて受け入れる。自分らしさを捨てないで自由に開花する。
私は、自分なりにありのままの自分を受け入れたい。自由な楽な気持ちで自分なりに生きるにはどうしたらよいか分かりたいと強く思いました。それは、それ迄の私は、望むような自分と現実の自分との隔たりを感じて、劣等感と自己卑下の固まりだったからでした。何もよく出来ず、ボロボロの自分しか見ていませんでした。「あなたは、あなたらしくていいのですよ」シスター嶋本のこのことばは、私にとって福音となりました。何か出来ることよりも、私が私であるという存在自体が大切だということを、分からせていただきました。揺るがない喜び、それは神様にとって私は永遠に価値があるということ。罪を犯しても神様の私に対する愛は変わらないということ。神様の愛と私の存在は切り離すことはできないということです。人にどう思われようとも私の価値は変わらないのです。本当に大きな喜びでした。そして、過去でも未来でもなく、あそこでも、あの人でもなく、“今、ここ”を生きることの大切さも学びました。真理の中に今、私はここにいるという自由です。
その後、藤沢教会へ参りましてから、グリフィン神父様のキリスト教講座リーダース・トレーニング・コースを学ばせていただきました。その中に、このことが所々に生かされているのを知りびっくりしました。現在講座を続けながら、受講者の方々との出会いの中で、改めてこのことを強く感じています。
これを生きるということは、一度にではなく、何回も、何回も失敗しながらやっていく、キリストについて行くことだと思います。
本当に、私たち一人ひとりの存在自体価値があり、私はありのまま神様に認め受け入れられ愛されているのです。これからも私なりに一日一日を新たに、心を開いて神様にお応えして行きたいと思っています。この賜を心から感謝しながら。
“あなたは、あなたらしくていいのですよ”
4月11日(日)に今年度の信徒総会が行われました。その概要を報告致します。
1.バーガー主任司祭のお祈りとご挨拶
古代教会(共同体)における、共同体そのものの在り方が、現在の藤沢教会では、どのように実現できるかが重要なことであり、祈りの中で行なう以外にはないのではないか。共同体の中心は祈りであると挨拶された。
2.委員長の挨拶と活動報告
牧野教会委員長は、挨拶の中で、外国人共同体との共催によるバザーの成功、ブロック活動によるさまざまな行事(地区集会、黙想会等)、活動部の活躍、福祉部がボランティアに支えられて、市当局との連携によって、活発に活動できるようになったこと。今年の12月25日を期して、大聖年に入るが、それに相応しい年にしたい。司祭館、教会聖堂の補修、教会委員会組織の改編、環境問題を委員会として発足させたい等、さらに信徒の意見が出るような場を設けたいと挨拶があった。
3.教勢報告
川辺事務局長から「信徒総会資料」による教勢の説明がなされた。とくに教会での「結婚」件数の減少について、過去とは比較にならないほど減少しているが、未信者同志の結婚が激減したとのこと。理由はさまざまであろうが、結婚講座に参加しなければならないとか、平日の式は無理、簡単にキリスト教式の結婚式が、ホテル等で行なわれるようになったことも一因ではないかとの説明がなされた。
4.会計報告
前山財務部長から「信徒総会資料」によって報告がなされた。資料でも説明されているが、ミサ献金は大幅に増であるが、財務の基本である月定献金(維持費)の減少は問題であろう。教会全体の必要経費の半分は月定献金(維持費)で補う必要があるので、この点に関して、信徒の一層のご理解とご協力をお願いしたいとのことであった。詳細は「信徒総会資料」を参照していただきたい。
5.「バザー」アンケートの結果報告
篠沢壮年部長より、1月に実施したバザーアンケートについての報告がなされた。164件の回答が得られ、その結果内容については「信徒総会資料」を参照していただきたいが、バザーの実施に当たっての目的と云うのか、趣旨は信徒の自主的な活動であって、教会に資金をあつめることを目的にしたものであるが、たんに資金集めだけではなく、その活動を通して、外国人コミュニティも含めた大勢の人々が同じ目的の為に、共に働くことによって、教会共同体としての絆を深めることが出来たり、信者以外の外部の人を招くよい機会であり、宣教にもつながる等さまざまな方面に役に立っているとの説明がなされ、さらに収入の使途については、収益の50%を教会の修繕維持費に、収益の50%を福祉目的として諸団体に寄付しているとの報告がなされた。そのうえで、アンケートの結果賛成が85%以上であった。しかし、内容では現状のままでとする方、規模の縮小や隔年開催という方もおり、これらの意見を尊重することも必要であろう。
また実行委員については、従来のようにブロック輪番制で良いのではないかという方が78%と報告された。
さらにバザーのお手伝いについては、補助的手伝いならという方がほとんどであった。男性は積極的に手伝いたいと云う人の率が比較的に多かったとのこと。
教会委員会としての結論は「今後もバザーを例年どうり実施出来るようお願いしたいと思います」ということで、実施に際しては実行委員の負担が少しでも軽減されるよう、信徒の皆様にご協力をお願いしたいとのことである。
6.湘南台センター報告
増田担当委員より報告がなされた。
湘南台の地理的な利点と発展性についての説明から、湘南台センターの地域での役割が高まってきていること、またその活動も定着しつつあることについての説明がなされた。とくに昨年のクリスマス、今年の復活祭に6名の受洗者が生まれたことは特筆されてよいであろう。さらに地域の商店会の納涼祭と商業祭にも参加を呼び掛けられているなどは、湘南台センターが地域に占める役割というのか、その存在価値が評価されて来たという意味でも、今後の活動が期待出来るのではないだろうか。
7.福祉部報告
米谷委員から報告がなされた。
福祉委員会は毎月第4土曜日10時から委員会が開催されており、誰でも参加できるので、是非一人でも多くの方の参加をお待ちしているとの呼び掛けがなされた。また各地区に福祉担当者が2〜3名居るが、その方々との協議する場を設定したい。「バリアフリーの教会をめざして」の第2回の講演会を予定していること。また「藤沢市の福祉サービス」の内容を一覧表にしたものを配布し、民間での福祉サービスがどのように行なわれているのかを知る上で便利であろう。福祉というのは神様のなさっておられる事業に、我々が協力することである。そのためには人手が必要なので、是非信徒の皆様のご協力をいただきたいとの報告がなされた。
8.環境委員会の設置
牧野委員長から、環境委員会の設置について「信徒総会資料」によって説明され、承認された。
9.ブロック制度について
川辺事務局長から、ブロック制度のめざすものとは何かについての説明が、「信徒総会資料」によってなされ、ブロックと他の組織の関係について具体的に説明がなされた。再度「信徒総会資料」をお読みいただきたい。
10.大聖年について
牧野委員長より、「私どもは新しい千年に入る歴史的な証人と云ってもよいのではないか。この記念すべき年に巡り合わせたことを神に感謝すると共に、記念すべき年に相応しい年にしたい。その中心は祈りである。祈りの年、回心の年にしたい。そのための行事を今後検討していきたい」との報告がなされた。
これに関して、バーガー主任司祭から、「今年は御父の年であり、大聖年の前に許しの秘跡に参加することが望ましいのではないか、そのために、クリスマスの前に共同回心式を行ないたい。たぶん土曜日になるでしょう。また、プロテスタントの教会との合同の集いにしても、もっともっと信徒の参加者が増えて欲しい。掛け声だけではなく実践してほしい」とのコメントがなされた。
11.自由意見と質疑応答の中から
今回地区の世話人を決めるのに大変苦労した。どこの地区でも同じ悩みを抱えているのではないだろうか。また現在の壮年部とか婦人部といった組織を止めてしまってはどうだろうか。そうした枠組みを取り外して、全体で行動する方がエネルギーになるのではないか。是非検討してほしい。
活力のある教会活動には、若い人の参加が必要である。そのためには、若い人に機会を与えるべきであろう。
外国人についての参加を呼び掛けているが、これは掛け声だけではないのか。現実の問題として、教会教勢の中にも、外国人の統計が具体的に示されてはいないではないか。また教会委員会にも参加されていない等の意見が出されたが、これに関して、外国人の民族性の問題、言葉の問題その他の理由から、今、急にこの問題を解決することは困難である。例えば彼らの意識の中に共同体に参加するという習慣がない。名簿を作成するとか、維持費を納めるという習慣がないのであるから。勿論、彼らが参加することは望むところではあるが、時間が必要なのではないだろうか。
聖堂などの掃除も、当番月で行なうのがよい。自主的な活動でという声もあるが、それでは掛け声だけになってしまい無責任になってしまう。
現在レジオ会員は少ないが、しかし、どんなに小さいことでも、祈りのもとで活動(仕事)している幸せを分かち合いたい。
救急の会の活動によって、多くの外国人の人々が助けられているのは喜ばしいが、同時に無意識の内ではあるが、差別的な発言のあるのも事実である。
枝の祝日にいただいた枝を、途中で捨てて行く信者もみられた。外に向かって何か行動することは必要であるが、やはり自分の足元を見つめ直す必要が急務なのではないだろうか。
貴重なご意見ありがとうございました。
婦人部
鵠沼1区 竹田美穂子
今年の婦人部長がきまらなくて、とうとう初金の前日に集まって話し合いました。
どうして引き受ける人がいないのか。いろいろの事情はあります。まず働いている人、お家に病人、または老親のいる方、本人が健康でない、などなどですが、結局は部長の仕事が多くて責任がもてないということです。それで今年は、あれなら誰でも出来るというくらいに、責任を軽くしたいと思います。鵠沼1、鵠沼2、鵠沼3、から各々二人ずつ出て責任は平等にして、横の連絡を密にします。
教会の方針のブロックも大分定着してきましたから、婦人部もブロックの中に入って一緒にやっていきたいと思います。
恒例の婦人部の遠足を、教会の遠足にしました。男性もいらっしゃれる方はどうぞご参加下さい。ご一緒に楽しみましょう。
私は3年間、キリスト教講座を受け、このたび、洗礼のお恵みを授けていただけることになりました。
人生で、楽しい時、うれしい時も、悩み多く、苦しい時、悲しみに明け暮れる時も、これからは、神さまとより深くお話ができれば・・と思っております。
夫も理解を示してくれて、ふたりの娘といっしょに洗礼を受け、幼稚園のシスターさま方、代母の方々、友人、神父様たちに囲まれ、皆さまに、たいへん温かく祝福していただけて、幸せを感じ感謝申し上げます。そして、カトリックの精神を、たいへんよい意味で私の心に導いてくださった、キリスト教講座のシスター本多先生、平野和子さま、山根紀子さまに、深く感謝申し上げたいと、思います。このような私ですが、共同体の皆様、どうぞよろしくお願いいたします。
<鵠沼3区 MJ>
私は復活徹夜祭のミサで洗礼をうけました。心にのこったことを、かきます。
一番心にのこったのは、洗礼をうけた時です。ドキドキしながら、前に出てならびました。代母の水谷さんも、いっしょに出ました。そして、いろいろしつ問されました。しんぷ様から、聖なる水で、洗礼を、うけました。つめたかったけど、不思ぎな、感じでした。終わると、タオルで、ぬれたところをふきました。そのあと、しんぷ様に、おいのりして、もらいました。その次に、ろうそくをもって、おいのりしました。とてもうれしい日でした。
<MC(9歳)>
わたしは、せんれいをうけてとてもうれしかったです。
しんだひとびとや、みんなといっしょなんですもの。
だから、とてもうれしかったですもの
あーめん
<MM(6歳)>
平成5年、積年の飲酒、喫煙の習慣により、口蓋癌になり2度入院、放射線治療を受けました。2年半後に咽頭に再び転移、今回は手術もやむを得なく声帯もろとも切除、摘出となりました。声が出ないので仕事にも戻れずやむを得ず退職せざるを得ませんでした。
家でゴロゴロしている私に女房から(女房はクリスチャンです)キリスト教講座を勧められ余り気もすすみませんでしたが行くはめとなりました。もともと私は無神論者で神社へ初詣に行くくらいでした。
講座に通いだして初めは余り面白くもなくていやでいやで行く気もしませんでしたが5〜10日過ぎた頃から考え方も変わってきました。声の出ない私を迷惑と思わずリーダーを始め受講の仲間が受け入れてくれたと思ったのです。
それからは殆んど欠席することなく通いました。今回の洗礼については自分自身の性格からすんなり入信の道に入れるかどうか自信がなく、それを偽って洗礼を受けるのは人をだますことだと考えて一時保留にしました。ただ今までのミサでの神父様の説教、リーダーの指導、一緒に受講した仲間の支援に感謝する心が動き過去の人生で今までに犯した他人への迷惑や罪を考えるとここでその罪を詫びて人生の区切りをつけてもいいのではないかと思い洗礼を受ける決意をしました。未熟な私に洗礼のお恵みが戴くたことを深く感謝いたします。
ミサに参加しても私自身声が出ませんので、回りの人の声を耳から歌を聞き、目で聖歌集を読み、頭に入れ、心に入れるようになりました。ここまでお導き下されました主キリスト、神父様、講座のリーダー、一緒に学んだ仲間の方々、すべてに感謝致します。
<長後地区 武居利直>
日曜学校だより
通信係り 小泉美知子
日頃は日曜学校への温かい励ましとご理解、そしてお祈りをありがとうございます。
99年度が4月11日の始業式よりスタートしましたので、今回は日曜学校の様子について少し紹介したいと思います。
日曜日の朝9時ごろリーダー達は、センターホールで行われる子供のミサの準備やクラス授業の準備をしています。早く来た子供たちが、椅子ならべの手伝いをしてくれます。9時20分になるとリーダーの指導で歌の練習が始まり、その頃には神父様もいらっしゃいます。侍者、朗読の子供も準備が整って9時30分にごミサが始まります。ミサではお説教の替わりに寸劇や紙芝居、ビデオ鑑賞の時があって、神父様も子供たちも大喜びします。歌と奉献文は子供向きに、できるだけミサに親しめるよう配慮されています。10時10分ごろミサが終わると、1、2年生は気分転換に15分ほど外遊びをしますが、3年生以上は各クラスに分かれて授業です。そして11時に日曜学校が終わります。通常はこのようなプログラムで過ごしていますが、楽しい行事や活動もあります。主な行事として春の遠足、夏のキャンプ、秋のバザー、冬の聖劇等があります。これらの教会学校行事を通して、子供たちは、教会共同体の一員として成長していきます。リーダーは子供のこの成長の過程をともに歩んでいきます。
さて、今年は4月11日のミサの中で初めての試みとして、リーダー達による復活劇を行いました。練習や衣装合わせなどの光景は、まるでクリスマスの聖劇さながらでした。子供たちにイエス様の復活を見近に感じてほしいという、リーダー達の願いがこめらてた演技でした。復活劇を観た感想については次回紹介いたしす。
初聖体へのあゆみ
日曜学校 高橋直子
「リーダー、ご聖体って、どんな味?」 毎日曜ごと、輝いた目の子供たちの質問が、飛び交います。
今年の初聖体は、全員で33人。(3年生27人、4年生2人、5年生3人、中1生1人)とても、にぎやかなクラスでした。
3月28日は、シスター我妻による保護者の勉強会もあり、大切なこの時期にもう一度、保護者の方々が、ともに学んでいくという姿勢にエネルギーを感じました。
4月10日は、子供のゆるしの秘跡でした。神様からいただいたお恵みに感謝することをひとつ。神様に許してもらうことひとつ。それぞれ、考えてきてもらいました。
ゆるしの秘跡を終えた子供たちの感想です。
4月17日は、初聖体のリハーサルでした。
みんなで心をひとつにあわせ、明日の準備へ取り組みました。朗読、共同祈願、奉納の練習、ご聖体の頂き方等。
4月18日(日)、いよいよ初聖体当日です。楽しみにしている子、緊張してる子、実に様々です。(リーダーも内心ドキドキ)
朗読は、3人の子供に読んでもらいました。子供達の声を通して、神様のメッセージが届きました。奉納は、子供達が、神父様、シスター、リーダー宛に書いてくれた花や葉の形の手紙も一緒でした。(ロザリオの祈りと共に)「神の子羊、世の罪を」聖歌隊の声が響きます。そして、子供達が、ご聖体をいただく時がきました。一人一人が、イエス様を心の中に迎えました。そして、共同体の人達が拝領している間、いすに座っている子供たちは、安心したような嬉しい気持ちのような姿に見えました。メダイと証書を受け取り、記念撮影を行い初聖体のミサは、恵みの中で行われました。
センターホールでの保護者の方達による手づくりのパーティーは、なごやかな雰囲気の中ですすみました。当日のパーティーのセッティングは、4年生の保護者の方々が準備してくださいました。
今年の初聖体は、他の学年のリーダーもお手伝いしてくださいました。保護者の方々も典礼、写真、食事、衣装、そして全体を把握してくださったお世話役の方、それぞれ分担して、一緒に初聖体のお恵みをうけました。
李神父様がミサの中で、「今日が終了ではなく、スタートです」と話されました。イエス様の指し示す道をこれからも歩んでいきましょう。ありがとうございました。そして、初聖体、おめとうございます。
滞日外国人とのふれ合い
藤沢1区 児玉和子
藤沢教会には大きく分けて4つの外国人コミュニティーがありますが、その中で私が比較的かかわる機会の多い南米の人たちについて話をするとき、よく“南米時間”という表現が使われます。
確かに毎月第2日曜日のスペイン語のミサも時間通りに始まらない事が多い。ミサの始まるころは“小聖堂にすれば良かった”と思うことも少なくありません。しかし、結局は小聖堂に入りきらない人数になるのです。時間だけに限らす他の面でものんきな面があります。
昨年の暮れに結婚した二人、花婿さんが保証人の人と腕をくんで祭壇にむかって歩き出しているのに、すぐあとに続くはずの花嫁さんがまだ車の中に座っていたという場面もありました。オルガニストの方もお世話役の方々もいささかパニックになったのです。
また問題も沢山かかえています。言葉の違いからくるずれ、差別、いじめ、ビザの問題、失業他、そしてもちろん己の愚かさが招いた問題も。
お互いに少しずつわかってきて思うのは、“私達は本当に同じ人間なんだなあ”ということです。日本人、ベトナム人、フィリピン人、韓国人にだって同じように陽気な人がいます。のんきな人もいます。問題もかかえています。国籍という区分けはされていても神様からみればみな兄弟。しかし、南米の人にかぎらず、彼等は日本の社会は非常に入りにくいと言います。それも、私よりも数倍も積極的に多勢の日本人と話なせると思っていた人からそう言われるとやはり考えてしまいます。
あまり普段みかけない人であっても、目が会ったら“こんにちは”と一言声をかけてみていただけますか。それだけでも何かが少しずつ変わっていくような気がします。
ちょっとひとこと
辻堂1区 梅田文一
先般の信徒総会の時いただいた資料表で各活動部が詳しく書かれてありましたが、その中に、一粒会とレジオ・マリエの名がありませんでした。両者とも司教より正式に認められた活動団体であり、また昔からレジオに関係してきた私は何か非常に淋しい思いが致しました。
レジオ・マリエは丘の上に教会が建てられると間もなく生まれ、毎週定められた日、時間(毎週水曜日、夕6時半より約1時間半)の集会を続けておりました。
当時は今と違って教会の活動部も少なく、組織も進んでいませんでしたので、教会の仕事は何でもレジオでということが、相当期間続いていたと思います。また日曜学校の仕事は最も重要なことと担当者達は、皆全力投球の努力を約30年間つづけて、それなりに相当の成績を挙げたと思っていましたが、何年か前にガラハ神父より日曜学校の気分を新しくするためにと、担当者全員が退くことになり、正直申し上げまして、泣いても泣ききれない想いを致したものでした。またレジオの主な仕事の病院、病人訪問も婦人部と地区組織が整ってきたからレジオの仕事としなくてもよろしいと申され、当時暫くの間、全く途方にくれた思いがしたものでした。
しかし、定められた集会は一回も休むことなく続け、間もなく1800回目の集会を迎えます。最近はテハン神父にご指導をいただき、小さくてもまた目立たなくても祈りをこめてする仕事は立派なことだから、自信をもって進みなさいと励まされています。石岡さんが前より続けられている中高生の指導、大野さんの典礼部の仕事もレジオ会員として、またレジオの精神で努力されておられます。また売店、施設の奉仕、その他ボランティア活動等々、毎週火曜日、夕7時15分より約1時間余の集会をマリア様のご像の前にローソクをともし祈りをこめて集会を続けております。場所はホール303号室、どうぞご都合よろしい時に訪問して下さい。
レジオ・マリエはマリア様のもとに集まり共に祈りつつ、教会の作業奉仕をし、自己形成につとめておりますがその組織、活動等につきましては別の機会に詳しく説明申し上げたいと思います。
前文だけで失礼!本文はあなたが・・
善行 下村洋史
この世に生まれて何年になります?30年?50年?それとも80年以上?。
歓んだり、悲しんだり、ある時は他人を歓ばせたり、悲しませたり・。そして自分の無力さを嘆いたりしてきました。
いのち、この不思議な実体、この尊厳さにさして気付くことなく、ある時々に勝手なモノサシで自分を測り、人を測量してきてしまってはいなかったでしょうか。顔のつくり、脚の長さ、齢の数、血圧の数値、預金通帳に記されたゼロの数etc。
世の中にはいろんなモノサシがあるものです。プラスがあればマイナスもと、まるでねじ回しのドライバーみたいに・・。
元気印はプラスで、肉体の機能が少し衰えるとマイナスなんですって。ほんとうはそれは間違っているんですが、かなりの人がそー思い込んでしまっているみたいです。
おまんじゅうの皮が少し渇いて、カサカサになっても、いいおまんじゅうは中の餡がシッとりとしたままです。へんな例えですが、体と魂はこんな関係かもしれません。
順調だった人生の途中のある日、突然思いもかけなかった不幸が顔を出すことがあります。災難、事故、肉親との別れ、病気など、それらはいくら努力し、注意しても避けられないことが多くあります。
人間にとって一番大切な健康を損なっている時、さらに死が避けられないという極限の状態にまで追い込まれたとき、体と共に心も重く沈みこんでしまいます。そんなとき、どんな場合にも増して、周りの人からの、苦しみを少しでもわかってもらえる言葉かけが、心の平安を取りもどす手助けとなり、それは心の奥にまでしみ込んでいきます。
もっと具体的にいうと、心のエネルギーをすっかり使い果し、自分の力で立つことさえ出来ないと感じるほど意気消沈し、病んでいる人にとって、再びエネルギーを注いでくれるのは、共にそれを感じる心を持って、訴えを聴いてくれる人の存在です。
二人の見舞客
その人は文字通り、自分の力で立つことも出来ないほど心も体もなえきっていました。 来る日も来る日も、身動きさえままならず病院のベッドに横になり、ジッと天井と寝ながら見える病院の窓の上に映る、空と雲の動きだけを眺めて過ごしていました。
ある日、一人の友だちがお見舞にきました。病室に入るなり、その友人は大きな、出来るだけ明るい声で、「どう元気?もっとシッカリしなければダメじゃない・」と何度も何度も、くりかえしくり返し・。多分勇気づけるために思いきりおおげさにふるまったつもりなんでしょう。
でも、それを聴かされた当の病人は苦痛でした。だって動けないんですから。元気を出せっていわれたって。病人は前にもまして痛みを感じ、心も沈んでしまいました。
そして、またある日もう一人、友人が訪ねてきました。静かに病室へ、何もいわず顔をうかがい、ほほえんで・。寝ているベッドの横に同じ視線になるように寄りそい、しばらく窓の上からのぞいている空を眺めながらポツリと「雲が動いているわね。ゆっくりね。あの雲はどんな気持ちでいるのかしら・」。その人が帰ってから病人はいままでにない豊かな「いま」を発見し、幸せさえ感じ「私も早くあの雲みたいにうごけるようになりたい」という希望が湧いてきたということです。どう?このお話、ほんとうにあった話です。私たちのすぐとなりで・。
共に感じる心
最初の人は自分のモノサシだけで、相手を測ってしまいました。二番目の人は相手の状況にあわせてモノサシを使いました。
落ちこんでいる人の心の奥にひそんでいるかすかな声を聴き取るために細心の注意とその人を愛する心が必要です。それが共に感じる心です。共に感じるには、まずそこにある事実を認め、そのまま受け入れることから始まります。
相手の価値観を尊重することなしには、支えることは出来ないのです。これが人とのかかわりの本質ですし、支えの基本でもあり、ケアーの精神です。共感はケアーの入口であり始まりです。出口は本人が見付けてくれるはずです。
一人一人が違うように、ケアーはケース・バイ・ケースでマニュアル化することは不可能です。ですからテキストもありません。その時々のモノサシを縦にしたり横にしたり、斜目もハスつかいも温度計も湿度計も使って自在に語り合い、気付き合いながら学んでいくしかありません。
毎月第3土曜日の10時から始めている、「ケアー・セミナー」はまさにこれなんです。もしこうしたことに共感なさった方はどうぞ、いらしてみてください。さてと、ここまでは長い前文なのです。
そして、今回はこの前文だけで終らせていただきます。この前文に続く本文は、あなたが作る番です。トライしてみてはいかがですか。
或るめしいの巡礼
善行 吉住 宏
韓国巡礼に盲人の一人として参加させていいただき巡礼団の皆様に感謝いたします。
釜山に到着した時の、あの心地よい風、カトリック神学大学の山手に立ち籠めていた霧など、此処は大陸なのだと実感された。
この巡礼の旅でも、人間の触合いのドラマを体験できたことをメモとして報告したい。
第1はイスラエル巡礼の時に友達となった北海道のKさんが、今回も全日程を共にし、私の手となってくれたこと。第2はチミョンダサン(致命者山)上への登板は、小雨降る悪天候ではあったが、韓国のカメラマンのチヨウさんが、Kさんと共に私を支えて登ってくれたこと。すでに30分も前に巡礼団は到着していたが、遅れた私どもを拍手で迎えてくださった。実に感動の一瞬でした。
第3はカメラマンのチヨウさんのこと。彼は巡礼団の全行程を共にし、撮影やら私どもの荷物まで、すべて献身的に尽くして下さったことに韓国の人々、チヨウさんに心から「ありがとうございました」と申し上げたい。
第4は、教会の聖堂の素晴らしさ、音響効果とそこで祈られている信徒の声、聖歌も素晴らしい。これがこの世の天国ならば、私どもの目的地である天国も想像して余りあるほどでした。
第5は、ソウル郊外で教会のお告げの鐘を聞いた時、日本ではここ十数年間、聞くことの出来なくなっていた鐘の音を、韓国全土に響き渡ると同時に、平和の訪れを象徴しているように感じられたのでした。
第6は、巡礼団の世話をして下さっているYさんから、ミサでの共同祈願の5人のメンバーに加えられたことでした。またYさんの祈願の中では、私と妻のことにも触れていただき、ただ感謝の涙が止まることがなかったのであります。そして、私どもと共にこの共同祈願に啜り泣く小さな声が聞こえて来たことでした。
第7は、シャルトル聖パウロ女子修道院を訪れた時のこと。この修道院には聖書図書館が付属されていることで知られています。
私どもを出迎えて下さった老シスターは手製のなつめの茶、クッキーでもてなしてくれ、月曜日はフランス語、火曜日はイタリア語、水曜日は英語、木曜日は日本語、金・土・日曜日の三日間は韓国語でお祈りしているとのこと。目が見えないということだけで、ややもすると気落ちしている私には、大いなる励ましの言葉となったのです。
私の話せるのは日本語ではあるが、内容の濃いお祈りをこれから捧げて参りたいと、心に誓ったのでした。
最後に、この韓国の巡礼で得たものは大きかった。全人類が神によって創造されたのであって、何々民族、何々国なんていうものはまったく意味のないものであるということを、実感できた旅であった。
この巡礼の旅で、韓国を理解する場を作って下さった李神父に、そして、韓国の人々、巡礼を共にし、私ども夫婦を支えてくださった皆さんにお礼申し上げます。
共に天の国を目指したいと存じます。
(お断り=吉住さんからテープで原稿をいただきましたが、長文のため編集部で要約させていただきました。)
韓国の古都と教会めぐり
浅草教会 久保田光男
藤沢教会の李神父様と信徒が企画し、去る4月10日成田から韓国の釜山へ、総勢18人のグループで出掛けました。参加者は半数は藤沢教会、他に北海道、高松、東京都内から小平教会、浅草教会などの信徒です。1日目と5日目は写真をとり、ファックスで伝えうる範囲に絞ってお知らせします。旅は韓国のキリスト教会巡りが主目的でした。釜山について、街中を右側通行の道を走り、また夜景を山の上から眺めましたが、教会の屋根の尖塔の十字架を赤いネオンで飾った数の多いことに驚きました。プロテスタント教会です。李神父様のお話で、プロテスタントの信者が700万人、カトリック信者が300万人を超えて韓国の人口の25%になるそうです。キリスト教伝道に歴史の長い日本の信者の10倍を超える数には、興味が湧きました。200年前に、韓国から、中国に行ってキリスト教を学んだ金大建神父が、時の王朝の迫害に殉教してからの年月は短いにも関わらず、信者の増加は驚異ですから、帰国して浅草の沢田神父様にその理由を教えて貰いました。一つは、韓国信徒は信者獲得の意欲が強い、浅草の人には意欲が見られないとのことでした。その他に国情とか他の理由もあるでしょうが。近い隣りの韓国にクリスチャンが多いのは、10年、20年の後に東洋の指導国家に成長する期待が持てると思いました。釜山ではオリュンデ殉教記念館を見て23時近く慶州のホテルに着きました。
2日目。石窟庵、仏国寺など霧の中で見て回り、バスで光州に移動。バスで移動中は、李神父様のお話を伺い、信徒の各教会、体験などの話が興味深く語られましたが、時に、眠気に負けて、断片的な記憶に止まりました。夕方ホテルに着き、オンドル部屋に案内されました。板敷きの部屋で、床が暖房(温水)なので布団は敷きと掛けの2枚でした。私と森口さんは都合で洋式の部屋に変更しましたので、オンドル部屋の寝心地は経験せず。光州大聖堂で、ミサに預かる。夕食後、皆で懇談会(分かち合い)があり、李神父様から韓国は隣国を、中国を兄として尊敬し、日本を弟として労ったと。儒仏も、産業技術も韓国からの伝来であり、日本は当然歴史を感謝すべきと。私は迂闊にも初めて知りました。
3日目。雨。凡そ300メートルの高い山上の致命者山の教会へ。570メートルの山道を苦労して上る。釜山のオリュンデ殉教と同じ聖人の記念教会で、一般の地元の信者は少なく、巡礼教会としての特色があるようでした。昼食は、王宮食堂でビビンバという韓国の釜飯を味わいました。18時 儒城(珍しい温泉地)へ着く前に、全州のスプチョンイ教会へ。関東大震災後の浅草教会の祭壇と同じで、ステンド・グラスは韓国の聖人で、文字はハングル語(日本人には漢字か、英語が混じると分かり易いが)で、理解不能。ナバウィの教会も巡礼する。ラテン語のミサ式の祭壇が懐かしかった。
4日目。扶余へ。1時間半のバスで、博物館と仏寺の跡を見る。定林寺の五重の塔は、木の塔様式で、素朴な感銘を受けた。仏像は建屋を建築中で拝観不能。博物館では金銅の香炉(鳳と龍、1993年発掘、63cm高)を見る。付近で葉のない立木の上の方に、鳥の巣があった(カササギ・韓国の国鳥)。昼食は全一食堂で。参鶏湯(サンゲタン)日本の鰻のように栄養満点、鶏の中に色々の栄養食材をつめた食べ物でした。ソウルへのバス車中で信徒の話を聞く。色々と貴重な内容だが、マイクの都合で、時に聞きづらかった。
15時30分 パンペドンの教会へ。この教会は、祭壇の背後の素通しの窓ガラスを通して、林の立木が見える。ステンド・グラスとか、曇りガラスと別に、外景と一致して、祈りに良いと思った。浅草教会も、10年前の設計思想が同じだったので、今の和紙の目隠しを除く時がきたのではないかと思った。18時 ホテル着。ゴシックの明洞大聖堂でミサ。信徒数4万人とか、大きな教会堂。5日目。ホテルのテレビでNHKのBS1を見る、日本に近いせいか。
5日目。9時 明洞へ、修道女・安ニコラスさんの案内で26聖人の聖堂へ、2階は座禅室が設けられている。ステンド・グラスは、麦の穂の図柄。また聖堂のステンド・グラスは、パウロの回心の落馬の図柄との説明。13時45分セナムト殉教教会・記念館訪問。14時韓国式の(外観は城の姿)教会でミサ。高畠司祭の説教と按手を受ける。この旅の体験を行いに生かし、心を一つにして祈りたいと励ましを受ける。
14時45分 旅の最後、切頭山の殉教地を尋ね、金大建(韓国初代神父)の像と、日本人3人の石像(日本26聖人ルドビコ・イバラギ)も巡礼する。
この後、ソウルの空港から成田へ飛行時間は、90分と短いので非常に近い隣国です。歴史上、豊臣秀吉の朝鮮の役、日韓併合植民地化と、日本人は、韓国では「残虐・野蛮・野卑」と、悪辣なことばかりで、イメージがそれで固定していても無理はないと思うが、この旅が韓国のクリスチャンと私ども日本の信徒との交流を深める、新しい友好関係が結ばれると良いと考えた。それには、今後どうしたら良いか、真剣に考えよう。大正生まれの私にもこの旅を出発点として、皆様と励ましあって歩みたいと思う。
佐藤神父様義援コンサートの報告
青年会 山部哲史
4月25日(日)佐藤神父様のたずさわっていたフィリッピン・サレジオ会を支援するチャリティコンサートを開催いたしました。コンサートは大成功を納めることができました。これは・チケット代募金・チョコレート代・コーヒー代で構成されていますが、募金が実に半額近くになっています。このお金はサレジオ会の神学生によって直接フィリピンのプロジェクトに役立てられます。
コーヒーは中高生会が、チョコレートは田中さんが、クッキー&ケーキは浅野さんがそれぞれ提供してくれました。また印刷等諸費用も事務所に免除していただきました。みんな本当にありがとう!
神さま本当にありがとう!
7(金)初金ミサ・例会
8(土)ケア・セミナー 午前10時
9(日)日曜学校1年生開始 福祉講演会 ラティノス母の日
10(月)17・24・31 エルダーズの会
15(土)梅村司教叙階式
16(日)主の昇天 日曜学校遠足 辻堂ブロック集会
22(土)福祉部例会 午前10時
23(日)聖霊降臨 中高生会遠足 一粒会大会 北1ブロック勉強会
27(木)教会遠足
30(日)典礼部研修会
▼八角形にゅーす6月号の原稿締め切りは5月24日です。
編集後記
ご復活と共に教会の新年度が始まりました。5月23日のペンテコステも今年は何か特別な思いがあります。