八 角 形 に ゅ ー す
1998年7月4日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
「最も小さいもの」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・主任司祭ジョン・バーガー
私の国ペルーでは(UNIFEMでの講演会より)・・・・・・・・・・鵠沼2区 米山リディア
「なぜ? 教区典礼委員会なのか」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・北1 岡村 正
教会の福祉活動について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 村上康子
第3回「ともに歩む」集いに参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂3区 安達陽子
教会遠足を企画、参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 中須安見子
壮年部歓迎会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・北2 押木満雅
環境委員よりのお願い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 平野和子
地球を守るために(環境一口メモ)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・環境委員会
「最も小さいもの」
主任司祭ジョン・バーガー
私の父が亡くなってから6年経ちましたが、私は両親が健康を害していた時、同じ病院で介護していた方々から学んだいくつかの教訓を忘れないよう、いつも心に留めています。彼らは、正にマタイの福音書に述べられていることを実践していました。高齢者の介護をすることは、単に物理的なことではなく、精神面からの心配りが大切です。他人の世話をすることは、そもそも、神が私たちに求められていることです。私達が、必要としている方に必要なことをするのは、キリスト御自身のお世話をすることです。マタイの福音書に次のように書かれています。『お前たちは、私が飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ』(25:35-36)『私の兄弟であるこの最も小さい者の1人にしたのは、私にしてくれたことなのである』(25:40)
お母様のために必要なものや体に良い食物を買い、お家に届け、料理するのを手伝い、彼女が1人で寂しく食べないですむよう食べ終わるまで帰らずにいました。また、老人ホームに訪ねた時には、彼女が食事をする間、横で一緒に座っていました。彼女が袋を開けたり、食べ物を口に運ぶのが大変な時には手助けをしました。
彼と一緒にビールを飲みながら、テレビで野球の試合を見ました。何となく元気のない冬の日には、コーヒーを飲みに彼を外へ連れ出しました。病院で、来る日も来る日も注射や点滴を受けていた時、慰め力づけました。看護婦さんが渇いた口を潤す為に小さい氷を口に含ませるのを見て、あなたも同じようにしました。具合が悪く息苦しそうな時には、顔におしぼりを当てて額の汗を拭ってあげました。
彼女の体が弱って、いつも誇りに思っていた料理や家事が出来なくなった時、あなたは彼女に昔と同じようなことは出来なくても尊敬の気持ちは変わっていないことを言葉と態度で示しました。また、彼女の知力が衰えて、自分のこと、あなたの事が分からなくなった時でも、あなたは彼女を訪ね、傍で過ごしました。そして、どんなに胸が痛んでも、微笑みかけ、あなた自身の母親に再々自己紹介をしました。あなたは彼女の横に座って、昔彼女が話してくれた家族についての話をしました。
あなたは何も言わず彼の洗濯をしました。彼のお誕生日にはセーターを買ってあげました。特に寒い日には、彼がボタンをかけたり、ジッパーを閉めるのを手伝いました。彼が入院して身なりを気にしていた時、あなたは彼の気持ちを汲み取り、棺に入る時も着られるような彼の好きそうな服を買っていきました。
お父様が歳をとり、不自由な体になって狭い病室に閉じ込められた時、また、お母様が自分の居場所さえ分からなくなった時でも、あなたは横に座って彼らと話をしました。彼らについての話だけではなく、色々な世間話をしながら・・それは深く聖なる一時でした。
あなたがご両親になさったことはキリストのためにしたことです。
1.静思のひととき
み言葉の黙想と分かち合いをおこなった。
2.報告
活動部例会の報告として、駐車場の問題と福祉部で葬儀について検討会が持たれており、信徒の望む葬儀についてのアンケートを実施する予定や、葬儀の司会・侍者等は今後はブロックで行なうようにすべきではないかとの意見が出されている等の報告がなされた。とくに駐車場については、日曜日9時半のミサには、駐車場を利用しないようにしてほしい。ただし身障者に限っては駐車許可証をもっている人のみ利用できることを徹底してほしいとの報告がなされた。
環境問題として、教会台所の生ごみは、コンポストを購入して、事務所の裏空地に設置することになった。
市岡之俊司祭叙階式が梅村昌弘司教主司式によって、片瀬教会で行なわれたことの報告がなされた。
3.ガーデンパーテイ
国際ミサを午後5時から行い、パーテイは5時45分に開催、8時に終了することになった。テーマは外国人の人達と一緒に「料理を作る・売る・遊ぶ・食事をする」である。
「国際屋台村」にポイントを置き、フィリピン・ペルー・メキシコ・アルゼンチン・ベトナム・コロンビア・ボリビア・日本の8国が参加決定しており、アメリカ・アイルランド・韓国は検討中とのこと。
ガーデンパーテイに関連して、厨房の整備が議題となる。婦人部と相談して全面的に改修することを承認された。
4.会計基準
今年1年間の各部の事業実績をもとに、来年2月に予算を提出して、委員会に提案し承認を受けることにする。また各活動部の会計担当者名を財務部に登録し、その登録者の請求によって、支払いが行なわれることにする。会計年度に関しては、教区事務局では1月から12月までを会計年度としており、当教会では4月から3月までの年度を会計年度となっているが、今後もこの制度は継承されることになった。
5.大聖年に向けて
今年は「小教区の回心の年」と位置付けたいということは、既に3月の委員会で決定されているが、再度確認された。
6.地区線引の見直しについて
各地区で具体的にどのように線引するかを検討して、9月中に事務局に提出してほしい。とくに辻堂地区、藤沢地区、また善行地区も同様。
7.その他
環境問題は、男子便所の汚れが最近多くなっている。これに関しては、男子が掃除をしてはどうかとの意見も出された。
老人の難聴者のために、席を設けてイヤホンを設置して利用していただくことになった。これについては窪田氏が担当となって検討することにした。
祭壇に上る時、階段があるので、スロープを設ける必要があるのではないか。これについても、検討することにした。
5月30日に典礼研修会が開催された。当日ミサ奉仕を行なってきた者として、牧野委員長の作成されたレジメを紹介しましょう。これからブロック担当で典礼奉仕が行なわれますので、参考にしてください。
もう30数年いろいろとミサ奉仕をしているが、私も出来ないことを言おうとしているので心苦しい。
先ず、神がありきで、その息である聖霊が聞こえるように少しでも心がけなければならないと思っている。それには、司祭とミサに預かっている方々の刻々の状況を注意していなければならない。
神父様とのタイミングと息の統一
あくまでも典礼奉仕者は黒子である。神父様のミサの「運行」に支障をきたすなどもってのほかと言いたいところ。
目立とうと思って奉仕している方はないと思うが、結果としてやけに目立つこともあり得る。
ミサの趣旨を把握するには、カトリック新聞に毎週掲載される森司教の解説はたいへんに役に立ち、キリストの望まれるご意向を少しでも理解できるきっかけになろう。今日の三位一体の主日に向かって、森司教は「無条件の愛にゆだねる」と題されて分かりやすい解きおこしをされています。
流れを止めないこと・多くを語らないこと。
上にも言ったように、状況を良く把握しておき、旨く皆様と共に流れをより円滑に〔最低保って〕して行きたい。
解説には多くを語らないほうがよい。
第2バチカン公会議の後、今のようなミサ奉仕〔先唱〕をするようになったとき、昔からラテン語のミサに慣れていた皆はたいへんに違和感を持った。またミサ中に聖書朗読を一般信者がやるようになったのも違和感があった。
そんな中で、先唱がいて簡単なガイドをしたほうが良いとの薦めから、段々に朗読の解説をするようになった。その後、それではミサの参加者の受け取り方が良くないであろうと言うことで、ガイドをしたり、しなかったりした。
しかし、簡単なガイドは参加者の理解を助けると言うことから行ったほうが良いと思う。
問題はあまり過度な解説にならないこと。
参加者の受け取り方の自由を束縛するような内容にならない様に。
薦められていることは「聖書と典礼」の下に有る解説欄の鍵カッコ内をうまく編集して補助に使うとよい。背景を掴むことや、主題を言うことは良いことであるが、往々にして司祭の意向に百%合致しないこともあるので要注意。合致しなければその先唱はやはりその後工夫をようする。
歌の案内等は遅れないようにしたい。
突然「聖歌○○番」と言わない様にしたい。私も注意力が散漫になっているときなどに突然のご案内をする事がある。注意したいものである。
特別な祝日の先唱
特別な祝日の先唱は苦労が多いものであるが、司祭と息が合ったときはたいへん遣り甲斐も有るものである。特に聖週間の先唱は苦労するが、特に未経験の祭儀に指名されたときにはその担当司祭とより十分な打ち合わせを行うこと。 そのときは、一般の祭儀参加者も十分に経験をしているわけでもないので、言ってみれば「まちがい・ごまかし」も利くが、次からは許されるものではないと肝に銘じたい。
引き立て役に撤すること。
改めて指摘するが、ミサ奉仕者はあくまで奉仕者である。
大きな声は禁物、豪放磊落も個性の一つであって良いが、ミサは祈りの中心であり、祈りの雰囲気を壊さないように。
明確に、クリアな発音を。
できるだけ明快な発音を心がけたい。少しトーン〔音量でなく音程〕を上げたら良いかもしれない。
内容咀嚼を。
内容が分からなければ、朗読している努力も鳴る銅鑼に等しい。良く内容を噛み締めて、朗読に生かして行きたい。とは言っても現代人に十分な事前準備を求めることが難しくなっている。そこで皆でどうしたら良いかを考えよう。一度通読する?一度音読して聞いてもらう?電車の行き帰りにリーフレットを持って読んでみる?
間の大切さ・間があると、聞いている人の関心を引く。
適当な「間」は聞く人の関心をひきつける。過度の「間」は聞き手に心配の心を与える。また「間」がないと聞き手に入っていかない。
実際に朗読するときには、自分では過度の「間」と思っても、一度試みると良い。多分問題はないはず。
当日の補足説明から
ミサの入堂行列の際、朗読本を持ち、説教台に置く。
朗読者は朗読を始める前に、侍者と共に祭壇の前に進み、一礼してから説教台にて始めること。
夜7時のミサの場合、「答唱詩編」の詩編の部分を朗読する。
ミサ終了の時、説教台から朗読本を取り退堂の行列に加わる。
事前に司祭と打ち合わせを行なうこと。
オルガン奏者(聖歌隊とも)と打ち合わせを行なうこと。とくに聖歌の変更はないかなど。
侍者が遅れた場合には、祭壇の準備を行なうこと。カリス・パン・葡萄酒・ローソクなど。
聖堂内の照明、扇風機など注意する。
共同祈願は、その日のミサの目的に添った内容で。
お知らせは、要点のみ。メモが置かれていれば、全部読むように。
ミサ終了後は、祭壇および聖堂内を最終的に点検すること。戸締まりは忘れずに。
(文責 高野)
私の国ペルーでは(UNIFEMでの講演会より)
鵠沼2区 米山リディア
初めに、UNIFEM(国際女性開発基金)の皆様に心から感謝いたします。ペルーの女性にスポットをあてていただいたことを、とてもうれしく思っています。ありがとうございます。
1989年、初めて南米の人々は日本に働きにきました。私の主人も1989年に来日し、私は1990年7月29日に2人の子供とペルーから来日しましたが、次の日30日に主人が入院してしまいました。3Kの仕事(きつい、汚い、危険)のせいです。この時、私はすこしの日本語、たとえばあいさつくらいの日本語しかできませんでした。けれどもこの病院の奥さんは英語を話すことができる方でしたので、私は英語でコミュニケーションをとりました。この病院にはたくさんの外国人の患者さんがいました。かれらはスペイン語しか話さないので病院側とコミュニケーションをとることが難しく、とてもこわい思いをしていることが私には良くわかりました。そこで私は主人のつきそいをしながら、ボランティアの通訳をしました。それからいろいろな問題に対するため、東京弁護士会のセミナーで4年間国際法律の勉強をしました。今は藤沢カトリック教会で「救急の会」の代表をしています。「救急の会」は日本にいる外国人のいろいろな問題をサポートする会です。健康問題(心も体も)、仕事の問題、ビザのこと、事件を起こしてしまったとき、住居の問題などです。
まず、少しペルーという国のご紹介をいたします。
ペルーという国の場所は南米大陸の西側にあります。北側にエクワドルとコロンビア、南側はチリ、東側はブラジルとボリビア、西部には太平洋です。首都はリマです。国土面積は約128万5千平方キロメートルの広さです。これは、日本の3・4倍、南アメリカで4番目に大きな国です。そのうち約60%は熱帯雨林地帯、約30%はアンデス山岳地帯、残り10%太平洋側に広がる海岸砂漠地帯です。人口は約2523万2000人です。その内訳は先住民が47%、そして白人と混血は40%、白人、12%です。そして東洋系が1%になっています。人口の90%がアンデス山脈と海岸砂漠地帯に住んでいます。そして、男性は49・6%、女性は50・4%です。働いている人のうち57%が男性で女性は43%です。そのうち、大企業において重要なポストについている女性はわずか2・9%にすぎません。また、働いている女性のうちの3分の1は自分の店をもち、収入をえています。
1995年、婦人問題諮問委員会が設置され、その1年後、婦人人権推進.人間開発委員会が発足、1997年には女性人権保護委員会が設置されました。また、妊娠しても解雇してはいけないということが法律できめられました。前記の委員会の設置をさかいに、女性の政治への参加がふえました。1998年11月の党大会では前回の選挙時に比べ女性候補者が200%も増えました。
1995年以来、国家レベルの女性議員が増えています。とくに貧困地区では8%から24%まで増えました。1999年には法務事務局、婦人問題推進事務局、大統領事務局に3人の女性が起用され、政府予算の40%を動かしています。
以前ペルーでは、女性は家庭の中の仕事をするものということで、読み書きの出来る女性は少なかったのですが、1998年には88・6%に達しました。
このように最近の女性の地位の向上は素晴らしいのですが、まだ女性に対する暴力、セクシュアルハラスメントは存在しています。メイドさんは給料のかわりに食事をもらえるだけだったり、6才の子供が肉体労働をしてその報酬はパンだけといったことがまだまだあるのです。
つけ加えるとストリートチルドレンもとても多いのです。これは経済問題です。皆さんは想像できない程のインフレで1985年7月から1990年まで7500%を越えました。同じ給料でも、同じレベルの生活ができないということです。
10年前、このような状況で40%の子供が学校へいくことができませんでした。
「なぜ? 教区典礼委員会なのか」
北1 岡村 正
マーティン神父と横井節子さんの後任としてこの度、教区典礼委員をお引き受けしましたが、その目的や活動を知らないので、早速委員長のカンペンハウド神父に質問の手紙をさしあげました。
返信を頂戴し、それに、新司教着座式の前で忙しく、説明はあなたの参加する次の集まりでいたします、とありました。
宣教司牧評議会の時も感じたのですが、教区で今やっていることを、わたしを含めて大多数の信徒は、殆ど知りません。知らなくても別に困らないし知る必要はないからです。 そのわたしたちが、教区のことを考えるのはどんな時でしょうか、そして何に必要とするのでしょうか。
日常は、知っている分かっているところで済んで居て考えないし必要としません。それでは間に合わない事件に巻き込まれない限り、関わりはありません。
教会ばかりではなく、社会の何処に居ても、そのような状態で、たぶん誰かがやってくれるだろうとまかせっぱなしにして居て、何もせず事件が起こって巻き込まれると、やっと知らない分からないところに触れて騒ぎ立てるのではないでしょうか。
巻き込まれずに済めば幸いです。今までどおりでよいのですから。わたしたちの望む平和と正義は、今までと変わらないで済むことで何時何処でも常にそのための力と支えを求めて止まないのだと思わずにいられません。
しかし、知っている分かっているものしか力や支えにならないし、わたしたちの求める力や支えが、わたしたちの内に差別を生み、生きる交わりの妨げになるのは確かです。「主の平和」と唱える度にわたしは、わたしたちの望む平和と正義について考えずに居られません。
共同体とは、わたしたちの内にまだない命の実現に結ばれて、それぞれが自分を捧げる、即ちキリストのはたらきに結ばれた共同体であろう、と思います。
その共同体、つまり聖体を感じないで典礼について話し合う訳には行きません。「なぜ?教区典礼委員会なのか」と題して、この先しばらく、典礼について皆さんと一緒に考えてみようと思います。
(1)教区の典礼委員会の目的はなんですか。
(2)その活動は、小教区の典礼にどのようにして結ばれていますか。
(3)(1)と(2)に対して委員会は、どのように作業をしているのですか。
以上が、先にカンペンハウド神父にわたしの質問した内容です。そして、はじめて参加した集まりで、神父から委員会の歴史と共に伺った目的と活動は、次の通りでした。
教区の信徒からの典礼についての質問に答えるのが委員会の目的で、その一方今、教区で今進行中の典礼に関する課題についての教会の諮問に信徒として答える作業を行います。 例えば、聖年に信徒がするように望まれている課題に対して信徒に何ができるか、話し合います。また、第2ヴァチカン公会議以後日本の教会で進められているミサ式次第の改訂案(司教協議会作成の)を読みそれについて話し合いもします。
今、教区の信徒からの典礼についての質問には、例えば次のような問題があります。
信徒と信徒でないその配偶者は、「幼児洗礼」にどのように臨むのがよいか。それはどうしてなのか。両親は子供に一体どのようなことを望むのだろうか。
滞在外国人の子供たちの「幼児洗礼」をどのようにしたらよいのか。東京教区のテキストを参照して考える。「病者の塗油」はどのようにして受けるのがよいのか。それは何故なのか。どのように共同体に結びつけるか。
子供はいつごろ「ゆるしの秘蹟」を受けたらよいのか。どのように臨むのがよいか。それはどうしてなのか。聖体になる、ということとそれはどのように結びつくのか。
「ミサの意向」は何のためにあるのか。その共同体との結びつきをどのように考えるか。ミサを依頼するのは何のためか。その謝礼は何のためにあるのか。
教区典礼委員会の作業が小教区の典礼に結びつくには、今のところ小教区に受け皿(典礼を考える信徒の集まり)がないのが悩みです。
1年に春と秋の2回、典礼研修会があります。
春は、一般信徒が対象で、秋は、先唱者・朗読者や聖歌その他の奉仕者など役割別の研修会です。信徒からの典礼についての質問に対してはリーフレットやパンフレットをつくることをはじめています。最後にカンペンハウド神父は、ヨーロッパは歴史も長いが、第2ヴァチカン公会議を実現したのは、そのはるか以前から続いてきた信徒たちの典礼改革運動でした、と話されました。そのように典礼をわたしたちのものと感じるには、先ずすべての人に結ばれて生きる、生活のなかの信仰体験がわたしたちに豊かにならなければならないでしょう。
教会の福祉活動について
辻堂1区 村上 康子
藤沢教会の活動部の中に福祉部が出来、各地域ブロックごとに福祉係が窓口になって働き出してから数年たちました。
初めのころは身体の不自由な方の車での送迎や病人を抱えている方の手代わりを依頼されるなど実際の活動があったようですが、最近では自分の地域の福祉係が誰かさえ忘れ勝ちな状態です。係の方から「実は開店休業の状態・・」と聞いたこともあります。
福祉の窓口の利用者が少いのは、実際に困っている人が少いからでしょうか。考えてみると、誰でも大抵何か困った時は先ず親・兄弟・親戚で助け合い、次は親しい近所の人とか友達(教会の友達も含めて)に頼み、教会の福祉の窓口を思い出すのはその後だからのようです。
福祉系が必ずしも福祉のプロでなくても、プライバシーをまもって相談にのり、そのケースに適した力添えの出来る人を紹介するとか、公的な支援を受ける方法を教えますから身近に頼る人がない時や皆で思案しても解決の糸口が見つからない場合などには遠慮せずに教会の福祉の窓口を活用するよう、もっとPRするとよいと思います。
近頃は介護保健が大きな話題になっているからか福祉と言うと高齢者・障害者への現実的な対応を指すように受け取られるのですが、教会での福祉活動には「福祉教育」というか大きい意味での福祉への意識を高める働きが求められるのではないでしょうか。
困っている人を見たら、ためらわずに支える手を差し出すこと。元気な者が体の弱い人に力をかすのは当たり前。時間でも物でもゆとりのある者がつらい立場の人を助けるのも当たり前。それら当然のことを頭の中では承知しながら、そこまでで止まってしまうことが多いのです。時々、つい「自分勝手になっている自分」に気付き、はっとします。
荒々しい出来事の多いこのごろ、教会こそ子供達の中に人を思いやる気持ちを育て、人のために体を動かすことを自然におぼえさせる所であれと願います。「福」も「祉」も、しあわせ、さいわいを示す字だそうです。将来21世紀の福祉を荷なう子供達を育てるために、万事を福祉の窓口におまかせして、それでよし、とするのでなく、一人一人が自分に出来る小さな親切、小さな協力、奉仕をしてこそ教会の福祉活動が生きていると言えるのだと思われます。
横浜教区福祉委員会主催
第3回「ともに歩む」集いに参加して
辻堂3区 安達 陽子
けいれん発作のある知的障害の娘と伴に26年歩み続け、様々な方々の大きな手、小さな手に支えられながら、今まで、夢中で過ごして参りました。昨年、土、日曜日帰宅の藤沢市内の入所施設に席を移すことが出来、母の手から離れて行ってしまいました。26年間彼女に費やすエネルギーは、言い尽くせぬ程、大変なものでした。が、私にこの娘を与えて下さった大きな何かを感じたからこそ今までやって来られたのだと思っています。生活の中にやっと、ゆとりを感じた昨年、洗礼を受け、私の心の中にも暖かい神のぬくもりのようなものが育ち始めようとしています。横浜教区での第3回ともに歩むつどい・・に昨年に続き2回目の参加となりました。昨年より、より充実した内容に、娘を休日夫に預けての気になる参加でしたが、途中退席予定を中止しても、この機会を失いたくない思いに、1日を終了まで過ごさせて頂きました。
午前は様々なハンディーをお持ちの方々のお話、そして午後は昼食のお弁当を頂きながらの分科会。十数名のこの分科会は私にとって素晴らしい2時間でした。この瞬間、この空間は、平等で障害等気にならない社会が出来上がっていました。精神障害の方、知的障害と全盲の重複障害のお嬢さんを持つお父様、ハンセン病の為、人生全てを施設の中だけで過ごしてしまった方、耳の不自由な方、脳性マヒの車椅子の方、静岡、長野から多くのボランティアの手に支えられ、ここに集まって来られました。ある方は自分の力ではどうしても限界があるけれど、多くの方々の手は神の手と思って生活しています。障害は決して不便ではない・・と言い切って居られました。知的障害のお嬢さんのお父様、どうしても自分の思いに子供を強引に引き込もうとしてしまうが、子供は全身で反発してくる。自分もイライラしてきますし、そこで考え方を変えてみたのです。その子の立場にたった時、そこにはそよ風があったり、花の香りがあったりする事に気づかせてくれました・・。私も子供と伴に生活していると、このような場面が毎日繰り返され、心の余裕を失って、カラカラに乾いてしまっている自分の姿とだぶって、暖かい1滴の水をかけて頂けたような思いでした。ハンセン病であった女性は、10代から今まで(70歳代)何も世の中に役に立たなかったとしきりに後悔していらっしゃいましたが、「今、あなたがこうして多くの方々に話される事が、大いに役に立っているのではありませんか」とも・・。
テーブルを囲んで、皆が自分のハンディを隠す事なく、心の中から話し合ったこの時間、手と手を実際につながなくとも、また元気に各々の所で頑張りましょう、の思いと共にお別れしました。
その後全体集合では、教会全体で考えていかなければならない問題が提案されました。大きく具体的に進まなくて良いから、一歩だけでもハンディのある人達にちょっと手を借して、そして特別視しないで、普通に話しかけて欲しい。また手話通訳のある御ミサ、「神父様が手話をして頂けたら」の声も挙がりました。障害者の「害」はないのです。皆、一人一人なのです。来年は教会で、家で、こうしてきたという具体的な発表を宿題に会は終了しました。
小さな手が集まれば大きな手になります。この宿題、どうして行けば来年までに出来上がるのでしょうか。教会の皆様の大きな手を期待します。
教会遠足を企画、参加して
鵠沼1区 中須 安見子
恒例の婦人会遠足は、今年から教会遠足となり、若干の男性の参加もいただいて、5月27日カトリック山手教会へ出かけました。
この教会は江戸時代末に始まる古い歴史を持ち、また最近ではエキゾチックな雰囲気に引かれてこの界隈を訪れる人達の人気スポットの1つにもなっていて普段は大変にぎやかなところですが、この日は私達だけの「貸し切り」。主任のバーク神父様のご案内で正面の石段を上がりますと中はシーンと静まり返っており、高い天井を幾重にも仕切るアーチの奥にひっそりと安置されたイエス様、マリア様、ヨゼフ様、そして日本にもゆかりのある聖人方の御像が私達を静かに迎え入れてくださいました。このような中でのバーガー神父様の御ミサもまた気分が違っていいものでした。
山手教会は祭壇の脇に司教様専用の深紅の御椅子のある司教座聖堂=カテドラルということで、折しも10日ほど前には梅村司教様が叙階されたばかり。そして司教座の背にはすでに梅村新司教様の主題 Communio Communi-onum の銘と、新しい紋章が描かれていると教えていただきました。司教様の御椅子は決して大きな仰々しいものではありませんでしたが、この時期に改めて拝見しますと司教様の存在がより身近に感じられ、そのお仕事の重みも伝わってくるような気がいたしました。
御ミサの後は、ホールをお借りしてお弁当を広げ、みなそれぞれに近郊の散策に出かけました。出発時には降っていた雨も上がり、風も弱まっていて、おかげさまで久しぶりにゆったりとした時間を過ごすことができました。
壮年部歓迎会に参加して
北2 押木 満雅
6月20日のごミサのあと、壮年部の歓迎会に出席させて戴きました。
北2ブロックの歓迎会やキリスト教入門講座などでの顔見知りの方々や、壮年部の先輩の方々に囲まれ楽しい一時でした。昨年の今頃は、自分がこのような席にいることなど想像もできませんでした。
家内に引っ張られて、キリスト教入門講座受講。一年目は、機(気?)が熟さず、落第、留年。2年目は、クリスマス頃までは、何とか理解しようと頭で考えていました。家内に聞いても、“そういう事なのよ”と理解不能の答え。正月が過ぎて、頭で考えても理解出来るはずもないことに気がつき、受洗してみて、またその先に何があるのか、とにかく行ってみようと。
4月の御復活に受洗して以来、日曜日の御ミサにあずかっていたものの、日々の忙しさに紛れて、共同体の一員として、なにをどのように振る舞って良いのか判らず、何もせずにただただ、4月、5月、6月が過ぎてしまいました。
歓迎会の席上、総務の仕事、ミサのお手伝いやバザーのお話など、壮年部の男性がしなければならない仕事が数多くあることが話され、自分も先ず出来るところから、参加して行きたいと思っております。今後ともご指導よろしくお願いいたします。
環境委員よりのお願い
藤沢1区 平野 和子
ゴミはご家庭に持ち帰ってください。(途中の駅やデパートのごみ箱に捨てずに)各家庭でしっかり分別して捨ててください。
どうしても持ち帰れないものだけ、ルールに従って教会に捨ててください。
缶・・・軽く水洗いして(そのままにすると、臭くなります)缶はつぶさずに。
ペットボトル・・ラベル、ふたをとり、(ラベル、ふたは不燃ゴミへ)軽く水洗いしてつぶす。
プラスチック、ビニール、ラップは不燃ゴミです。
缶の中に、絶対にたばこの吸殻を入れないでください。
地球を守るために(環境一口メモ)
環境委員会
環境庁による、エコライフの実践による年間CO2 減量と、家計の節約効果の試算
テレビ:1日1時間、見る時間を短縮すると
CO2 削減量4.8Kg 節約額約 900円
食器洗い:1日5分間、使う湯を40℃から30℃に下げると
CO2 削減量19.8Kg節約額約 3,200円
アイドリング:1日5分間、アイドリングをやめると
CO2 削減量16.4Kg節約額約 2,800円
歯みがき:1日3分間、水の出しっぱなしをやめると
CO2 削減量3.2Kg節約額約 3,100円
いま環境破壊が問題になっています。その中でもとりわけ環境に深刻な影響を及ぼすといわれる地球温暖化、その原因であるCO2の総排出量の約半分が家庭生活に関連したものです。
(政府広報 環境庁より)
2(金)初金ミサ・例会
5(月)12、19日 エルダーズの会 19日は食事会
17(土)ケア・セミナー 午前10時
心にひびく聖書 ジョン・バーガー神父・午後2時半
18(日)ライトフォーライフ 4周年
24(土)日曜学校夕涼み会
24(土)〜26(月)中高生キャンプ(未定)
30(金)〜8月3日・スカウトキャンプ