八 角 形 に ゅ ー す
2003年6月1日
聖シモン&聖ユダ
カトリック藤沢教会
目次
長崎への巡礼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・マーフィ神父
初聖体・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・リーダー 神山
教会学校吾妻山公園遠足・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 高橋
「ショウメイ」の集いに参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 渡辺
「召命を考える集い」に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 宮内
ベイル神父様と日曜学校・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日曜学校リーダー 清水
謝罪は平和と救いを呼ぶ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 平野
インドのマザーハウスに行って・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・北2 大坪
福祉活動の概況 その2
長崎への巡礼
マーフィ神父
今年の初め16人の方と、聖フランシスコ・ザビエルや日本の殉教者、隠れキリシタンとゆかりの深い地を訪ねて参りました。長崎県に行ったのは今回が初めてではなく、長崎市には何度か、そして・ルビ・天草・あまくさ・や福江島にも行ったことがあります。長崎は行くたびに、聖人や殉教者たちの歩んだ地を自分も歩いているのだと思うと、喜びを覚え不思議な気持ちになります。
この3月の巡礼では平戸、生月、黒島に行きました。これらの島に行ったのは初めてで、どのような所なのかほとんど知りませんでした。私が平戸に行きたかった理由の一つは、以前藤沢教会にいらしたオサリヴァン神父とグリーン神父が日本に来てすぐに働いた場所がここだったからです。
平戸は印象深い所でした。ここは聖フランシスコ・ザビエルが訪れ、キリスト教共同体を作った地です。そしてこの共同体はひどい迫害の中でも信仰を持ち続けていました。この地は私にとって聖地に値します。平戸で最初の教会が建てられた場所を訪れその後、街を見下ろす丘の上にある、聖フランシスコ・ザビエルを記念する美しい教会でミサを捧げました。ここはまたオサリヴァン神父が働いていた場所でもありました。
その南にはグリーン神父が働いていた紐差(ひもさし)教会があります。(グリーン神父は今の藤沢教会が建てられた時の主任司祭でした。)黒崎では野下神父様から紐差のお六人様の話を聞きました。聖フランシスコ・ザビエルが日本に着いてから16年後の1565年、根獅子(ねしこ)での出来事です。根獅子の人たちはほとんどがキリスト教信者でしたが、迫害のため隠れキリシタンとなって生活していました。幕府の役人はこの地域にキリシタンがいるに違いないと思い、密かに人を送り、調べるようにしました。密偵の一人であった若者は、両親と三人の娘の五人家族の家で働くことになりました。この若者は働き者で家族から好かれたので、この家族のお父さんは自分の一番上の娘と結婚させました。女の赤ちゃんが生まれたとき、お父さんはこの若者に、自分達は実はキリシタンで、この赤ちゃんに洗礼を授けたい、と打ち明けました。若者はこれを幕府に知らせたため、この家族は捕らえられました。彼らは信仰を棄てなかったため、昇天石(しょうてんせき)という場所でのどを裂かれ殺されました。赤ちゃんを含む六人が処刑され、その体は海に投げ入れられましたが、西風が吹き、彼らの体は岸に戻ってきたのでした。この土地のキリシタン達は彼らの体を「うしわきの森」という場所に神道のやり方で埋め、彼らが根獅子で最後のキリシタンだ、と告げ知らせました。キリシタン迫害の間、お六人様は殉教者として崇められ、人々がそのお墓を訪れるときには履物を脱ぎ敬意を表したそうです。
平戸への巡礼は私にとって印象深いものでした。畏敬の念を持ちながらこの地を後にしました。私は殉教者が生きそして死んでいった地を訪れてきました。この人たちは私たちのような普通の人たちでしたが、困難や迫害の時、そして死を目の前にした時も、神様への信仰を保ち続けていました。私は、今は天国にいるこの勇気ある人たちに、とりなしを願い祈らずにはいられませんでした。私たちもこの人たちのように、信仰という大きな恵みを大切にしていくことができますように…。
次回は生月と黒島、そしてこの地のキリシタンの歴史について、心に残ったことを書きたいと思います。(続く)
教会委員会報告(5月17日)
検討チームから、水回りの工事未了ではあ るが内装も完了したので使用するとの報告がなされ、今後の運営方法等が討議された。
5月25日(日)9時祝別式・9時半ミサ後オープンする。
利用申込書は事務所に置かれている。
申込み受付は既報の利用規約に則り、原則として先着順とする。ただし、状況により事務局で調整することもある。
当面(3ヵ月)は活用状況を見極めるた めの試用期間とし、3ヵ月を経て改めて運 営方法を検討する。
改装費用は総計70万円〜75万円の見込み
横浜教区80小教区中9教区で何等かの盗難被害を受けている現状に鑑み、横浜教区事務局長名で各小教区に金庫盗難保険加入への提案があった。当教会でも過去に不審者侵入の実績があるので、加入することとした。20教会で団体割引が利用できる。
検討チームから委員会宛の答申がなされた別掲参照)。主旨は
聖堂・センターと司祭棟・事務棟の教会 建物を二〇三〇年までの二十五年間維持していくためには修繕補修費として2億円が必要である。
現在修繕特別会計に3千万円のストックがあり、毎年3百万円修繕費として積立てられているが、試算の2億円は維持費納入の800世帯が毎月千円増額して20年間継続する計算になる。
しっかりした教会を次世代に伝えるためにも共同体として一致協力する必要があろう。
というもので、先の信徒総会で中間報告された内容に順じている。「八角形にゅーす」4月号では個別に積上げた修繕予定が1億5千万円となっているが、ここでは司祭棟・事務棟の新築などを見込んだ安全値として「2億円」と表現したとしている。
関連して財務部から近年の財部状況が次のとおり報告された。
収入で献金収入が減少傾向にある。
支出は横這いである。
結果として収入・支出の差が少なくなってきている。
教区分担金の増額が見込まれている。
答申のとおり大規模修繕費等が予定されている。
これらを考えると教会財政の逼迫が予想される。
現在のところストックもありまだ赤字ではないが、従来に比しだんだん余裕がなくなってきている。しかし、委員会としては前記答申はあくまでもプロジェクトチームの案との認識のもと、財務状況を具体的にオープンにし、教区との分担状況等を勘案し維持費のあり方を時間をかけて慎重に検討していくことを申し合わせた。
なお、教会維持費の納入には特にお年寄りの方が律義にご協力いただいているが、ご不自由な体をおして維持費を払うために教会にこられる方もおり、いらしても「納入袋がなかなか見付からない」などご苦労を掛けていることや、お年寄りでなくともついつい納入を忘れてしまい払いにくくなってしまう方などもいらっしゃることから、希望者には口座自動引落しとすることも検討する必要があるのではないかとの提案が事務局から出され、あわせて検討することとなった。
2月の信徒総会で話合われた「ブロックの今後を考える」ではブロック活動の現状と課題を共有化できたが、更に一歩進めるために議題を設定した。事前に行われたブロック委員の会合では「ブロックが中心になりすぎて、地区・グループの意識が希薄になってきているのではないか。もっと小グループの関係も大切にしていく必要があろう。」との意見もあり、今後のあり方について議論を積重ねて いくこととした。
5月24日(土)教会遠足を行う。行き先は大磯教会・澤田美喜記念館を予定。(前回委員会後行き先変更)
5月18日(日)ブロック集会・歓迎会を開催する。今回は藤沢二区が準備を担当している(詳しくは後記参照)。
6月7日(土)にバザー前回担当者(藤沢ブロック)から意見を聞くことにしている。なお、収益の分配を賛助金は当教会のため、売上は福祉のためとの方向で検討中。
6月8日(日)ブロック集会を予定。
6月15日にブロック集会を予定。
6月1日(日)新入者歓迎会
6月14日(土)鎌倉黙想の家にて黙想会、時間は同日の聖コロンバンン会協力者会コンサートを勘案し午前8時〜午後1時、テーマは「すさみの時も神の恵み」他、指導は例年どおりプラチド・イバニエス神父、 会費は昼食込みで2千5百円。壮年に限らずどなたでも参加できる。申込みは別途受付。
毎年行っているが、6月7日(土)に復活祭に洗礼を受けた人のための初めてのゆるしの秘蹟を行う。これまで機会がなくゆるしの秘蹟を受けていなかった方、どなたでも参加できる。午後1時にセンターホール集合。
6月14日(土)午後2時〜4時当教会 で聖コロンバン会協力者会主催のチェロとハープのチャリティコンサートを開催。演奏は世界的に活躍しているアネット・クレアリー、マリア・クレアリーのアイルラン ド人姉妹によるもの。入場料は当教会のみ特別価格の千円。素晴らしいコンサートが期待できるので多数参加していただきたい。
典礼委員会で聖木曜日洗足式の意見交換を行った。「聖週間の意味がよく解った」「PRが不足していた」など良かった点、反省すべき点それぞれであった。
教区聖体奉仕養成講座が5月24日(日)から始まる。参加者120名程度の見込み。
5月18日(日)教会学校遠足。行き先は二宮、吾妻山公園(後記参照)。
5月25日(日)3年生以上の保護者会を予定。
時期的に庭の仕事が忙しくなってきている。男性でウィークデーに手伝っていただける方に呼びかけをしている。
従来から話合われているが、「教会の福祉のあり方、どうしたらよいか」ということでフォーラムを開催し意見を聞くことになった。そのための準備は福祉部有志で検討し、結果を委員会に提出する。予め各ブロックでも話合いをしていただき、そのうえで全体会議ということになろうか。
@ テハン神父の予定
5月19・20日 教区司祭研究会(マ−フィ神父とともに出席)
5月31・6月1日 宣教司牧評議会総会(宣教部長とともに出席)
A 教会への事務連絡について
教会への事務連絡は平日の9時40分から17時事務所にお願いしたい。夜間・休祭日が頻繁になると少なくなった神父さんの負担が増加し、健康上にもおもわしくないため。
カトリック藤沢教会の大規模修繕計画についての提言 建物も人間の体と同じように徐々にくたびれて来ます。日本国の法律上、建築の寿命は、木造 30年、鉄骨造 40年、鉄筋コンクリート造 60年とうたっております。藤沢教会の場合、カトリックセンターと司祭館棟、事務棟の3棟からなっておりまして、平均して 2030年を目標にして 25年はしっかり維持管理して大切に使うための修繕維持費プロジェクトチームを組んで検討を重ねて参りました。 試算の結果、25年の長期に渡ってその時々の修繕補修費の合計2億円が必要とされる事が分かりました。外装、内装、電気設備、給排水衛生設備、空調設備、エレベーター設備の更新、見直しが含まれ、事務棟3階建東棟の全面見直しも必要と思います。 どのようにしてこの2億円を工面するのかというと、大規模修繕に当てられる3千万円のストックがあり、前年 300万円修繕費として積み立てられているのが現状です。 2002年度維持費納入状況からみますと、約 800世帯が納めておりますから、維持としては別に大規模修繕積立金として月あたり 1000円増額していただくことで、月 80万円、年間約1千万円。 20年で約2億円となり目標を達することが出来ます。 一方信徒年齢構成員 3700人の内、当教会の年齢構成は 57%が 40歳以上で構成され、維持費の中核となっています。一方 40歳未満のこれからを担う若者達は、42%と少子化の影響が表れ、高齢化は否めません。しっかりとした教会を次世代に伝えるためにもこの修繕補修費2億円という目標に向かって共同体皆が協力することが必要です。 私たちの住まいも一戸建てであれ、マンション住まいであれ、維持及び大規模修繕のための積み立てを毎月しております。毎月が安い積み立て金額であれば 10年毎の大規模修繕時に別途一時金が必要になる場合もあります。今回の試算では、一時金がなく月々の 1000円の増額だけで済みます。私たち共同体は、信徒の数に於いて恵まれています。 800世帯 1000円の増額で賄うことが出来ます。教会は神の住まい、共同体のシンボルですから、私たちの住まいと同様に考えたいものです。 戦後建った教会が50年保たないでどんどん壊され新築されていますが、神は喜んでいるでょうか。経済の法則ではなく地球環境を守る上からも私たちの信仰でこの藤沢教会を末長く大切に使いたいものです。スクラップエンドビルドが神に許されるはずがありません。1000年とはいいませんが、200年は、もたせたいものです。 ご協力お願いいたします。 2003年2月26日 修繕プロジェクトチーム |
初聖体
リーダー 神山
教会の桜の若葉が27名の初聖体の子供達を祝福するかのように、名残りの陽春の光に輝いておりました。
4月27日、子供達は勿論のこと、ご家族の皆さまが待ち望んでいらっしゃいました初聖体のミサが、ブライアン・ベイル神父さまの司式のもとで和やかに行なわれました。
昨年の4月から始めました準備は、大勢の方々のお祈りとご協力により無事に終了し、この喜びの日を迎えることが出来ましたことを感謝しております。
白い服、花の冠で身を被った子供達は緊張した面持ちでしたが、心は喜びに溢れておりました。拝領後静かに席に戻り、それぞれ一番大切なお祈りをイエス様にお捧げしたことでしょう。神父様からいただいたおメダイと初聖体証明書をしっかり胸に抱いておりました。証書をいただくと卒業した気分になりがちですが、ご聖体を受けた子供たちにとってこれはイエス様との仲良し証明書だと思います。終わりではなく初めの第一歩の証です。これからもずっと神様に見守っていただき、一人ひとりを大切にし感謝の心を持って力強く歩んでいってください。
4月27日は、はつ聖体の日でした。
この日は、うれしいことがたくさんありました。一つ目は、白いベールに、白いブラウスに白いスカートをきて、お花のかんむりをつけたことです。二つ目は、はじめて、ご聖体をいただいたことです。そして、少しお姉さんみたいになった気がしました。三つ目は、ブライアン神父様から、おメダイと、はつ聖体しょう明書をいただいたことです。そして、今日あつまって下さった方から、はく手をしていただいてとてもうれしかったです。
ごせいたいのパンがいただけるのは、なんだかとくべつな感じがしました。
でも、あとでとてものどがかわきました。
私は、とちゅうからはいってきて、わからないことがいろいろありました。
でも、リーダーが12時まで、まだならってないことを教えてくれたので私は少しずつ、はつせいたいのことや神様のことがわかりました。
4月27日(日)、はつせいたいの当日です。白い服をきて、手をあわせて外でまっていました。そして始まりました。私は前の子についていき、席にすわりました。最後にきて“ごせいたい”をいただきました。とてもとてもうれしいです。ミサが終わり、パーティーがはじまり、私はいろんなものを食べました。
ここまできたのは、リーダーやしんぷ様、シスターそして神様のおかげです。“ごせいたい”をもらってうれしかったです。
真っ白い衣装に身を包み、女の子の頭には白いベールと花飾り、男の子の胸元には赤いリボン。ちょっとドキドキしながらも、これからいただくご聖体に心をはずませながら、子供達は一年間初聖体クラスで勉強を行いこの日を迎えました。
神父様やシスター、日曜学校のリーダー方共同体の皆様にあたたかく見守られ、今日、初聖体を祝えますことを心から感謝いたします。リーダーから「今日いただいた初聖体証書は、卒業証書のような終りの証書ではなく始まりの証書です」というお話を聞いて、これからも日曜学校を通して、共同体の一年生として、神様のことをたくさん学び、神様のお恵みにより心も体も大きく成長していく子供達を親として見守り、子供と一緒に教会の活動に係わりが持てるようになれればと思いました。
日曜学校吾妻山公園遠足
鵠沼3区 高橋
梅雨のはしりのような天気が続き、遠足当日の天気が心配であったが出発の時点では曇り空であった。11時過ぎのJR東海道線で二宮駅へは11時40分頃。町役場の背後から309段の階段を日曜学校、土曜学校の生徒とリーダー、保護者はあえぎながら登る。登るにつれて背面には海が広がる筈だが、特にリーダー達にはそれをふり返って見る余裕などない。12時10分山頂到着。山頂は広い芝生。天気のせいもあり、私達の団体以外、人出はまばら。ここで2時30分まで昼食をいれた自由行動。各グループ思い思いの場所でお弁当をひろげる。晴れていれば箱根の山並みが見える場所には1、2年生のループ、そのとなりが仲良しグループで、4年生は芝の平坦な所、6年生はローラースベリ台の近く、4年グループと6年グループの間には、車座にならず全員江ノ島方面の海に向かい2列で黙々と食事をするイースター島のモアイ像のようなグループ、たしか△年生。食事中はお弁当のおかずやお菓子の交換会が活発で、出前をする子供達もいた。食事が済んだ子供は三々五々ローラースベリ台へ。延長102メートル、高低差17メートルを一気にすべりおりる。何度も何度も実に楽しそうにすべる。リーダーも何人かは楽しんでいたが、私の場合はスベリ台の幅よりも私の幅の方が広そうなのであきらめて、子供に向かい手を振るほうに徹した。下のアスレチックで遊んでいた頃、心配していた雨が降りだし、急きょ帰り支度。山頂のあずまやに子供達を集めていると、2人の子供が山頂に立つ標識を見て「うわー、1,362メートルだって、ずいぶん登ったもんな」「空気が薄く感じないか?」と話している。小数点を見落としの136.2メートルであるが、天気のせいか言われればそんな気にもなる。予定より40分早く帰ることになったが、、総勢70余名は想い出に残る一日になったと思う。おつかれさまでした。
「ショウメイ」の集いに参加して
藤沢2区 渡辺
私はこの集いに参加するまで「ショウメイ」についての知識がなく、「ショウメイって何だろう?」という疑問と「どんなものなのか知って自分自身を深めてみたい」という思いからショウメイの集いに参加してみよう・組み方向・!!・と思いました。このような集いに参加するのは初めてだったので少し不安でしたが、いざ始まってしまうと、センーターホールは温かい雰囲気に包まれ、私の不安はふきとびました。
一番初めに浅野さんの司会でショウメイについての話がはじまり、佐藤神父様がショウメイとは「召命」と書くことを教えてくださいました。
召命は、神様からの一人ひとりに寄せられる神からの招きであること、また、その神からの招きはまず私たちが自分自身のユニークさを受け入れ、そのかけがえのなさを大切にして生きることだと知りました。
グループ討論では、たくさんの様々な召命に対する思いを聞くことができ、とても考えさせられました。「私たちはすでに神様から召されている」神様からのたとえ小さなメッセージも受け取り、そして召された通り実行できる私でいられるように、“今”という大切な時間を有意義に過ごしていきたいと思いました。
「召命を考える集い」に参加して
辻堂2区 宮内
4月27日(日)の午後2時から5時まで、青年のための「召命を考える集い」が、当教会のセンターホールで行なわれました。藤沢、片瀬、茅ヶ崎、雪の下の各教会から青年たちが集まり、一緒に「召命」について考えました。
この集いには、当教会ご出身の佐藤神父様(サレジオ会)とシスター渡辺(聖心会)が参加してくださいました。お二人の体験談は、「召命」というものがいかに多様でユニークなものであるかということがよくわかる、とても面白いものでした。特に佐藤神父様の「神父にだけはならないと思っていた」という言葉が印象に残りました。
また、今回の集いでは「召命」について分かち合う時間や、一人一人が自分と向き合う時間が、比較的多くとられていたので、日常では余り意識することのない「召命」についてゆっくり考えることが出来たと思います。
集いのあとには、青年たちの交流の時間があり、楽しいひとときを過ごしました。そして、当日夜7時のミサはこの集いの参加者が中心となって行なうことができ、よい締めくくりとなりました。
来年もまたこのような集いが出来たらとよいと思います。
ベイル神父様と日曜学校
日曜学校リーダー 清水
いつも、お優しい目で子供たちを見守り、そしてお優しい笑顔で私達リーダーに微笑んでくださったベイル神父様ありがとうございました。昨年の4月に校長先生にお迎えしたばかりでしたのに、お別れとなってしまいました。スポーツ大会で走られたお姿、またお忙しい中を、夏の暑いデイキャンプに途中から駆けつけてくださり子供たちと遊んでくださったこと、クリスマスの聖劇のリハーサル、初聖体の御ミサのリハーサルにと、いつもご一緒してくださり、1年という短い期間の中で数々の沢山の思い出を日曜学校に残してくださいました。聖劇、初聖体の御ミサの後、お優しい言葉をかけていただき、リーダー達は何度励まされ勇気づけられたことでしょう。
3月に発行いたしました日曜学校通信「ホザンナ」に「新学期に向けて」という題で神父様は「私達は何か新しいことを始める時、恐怖心を抱き、それまでに慣れ親しんでいた所に戻りたいと思うことがあります。一方、新しい場所、新しい状況、新しい責任に胸が躍ることもあります」とお書きになりました。これは子供たち、そしてリーダーに向けて書かれたものでしたが、これからの神父様にもそのままあてはまる言葉となるのでしょうか? どうぞお体にお気を付けられ、新しいお仕事に励まれますことを微力ながらお祈りさせていただきます。神父様も藤沢教会の子供たちのためにどうぞお祈りをお願いいたします。
5月11日9時半がベイル神父お別れのミサとなりました。神父様は昨年4月からの約一年間ではございましたが、当教会で熱心に働いていただき、このたびニュージランドへ転任されました。ごミサの終わりに教会からのお選別が片桐委員長から、花束が日曜学校の今村駿さんから手渡されました。ベイル神父お別れの言葉は先月号に掲載されています。
謝罪は平和と救いを呼ぶ
鵠沼3区 平野
ひかり、みどり、いのり長崎県の「外海(そとめ)町には、誇れるものが三つあります。キリシタンの里とド・ロ神父と遠藤周作です」と、2000年12月の教会報でご紹介しました。町の行政では初めてのカトリック町長として、6期24年間をこれらの事柄に、いささか関係し微力を致した長兄のパウロ平野武光は、春近きを思わせる去る2月14日に帰天いたしました。
遠藤周作夫人の順子様には、兄の入院中は、態々、カリタス診療所まで見舞いいただきました。葬儀には風邪のため出席されませんでしたが、見事な生花をお贈り戴きました。お礼状を差し上げましたところ、この度、はからずもご麗筆の長文のお手紙を頂戴いたしました。その内容に深く心打たれ、関係の方々や教会で汗流すレオの仲間に話したところ、「時宜に適した黙想の題材でもあり、目を開かれる素晴らしいお恵みである。ひとりで抱え込んでおくべきではない」との声に押されて、兼子盾夫先生に仲介の労をお願いしたところ、順子様には快くご了承くだされ、ここに私信を公表するにいたりました。
心動かされる方が一人でも多いことを祈ります。
手紙文より
桜が満開となり春が真っ盛りとなりましたのに、今日は無情の雨が降っています。いつぞやは、ご丁寧にお手紙をいただきましてありがとうございました。 早いもので兄上様が帰天されましてから明日で四十九日となります。私どもの信仰では七七忌という儀式はございませんが、改めてご遺族方のお悲しみを思い、また、兄上様の天上における福楽を信じてお祈りを申し上げる次第でございます。 思えば兄上様と大竹様とのお出会いが総ての始まりでございました。おかげで、「沈黙」の碑がまず建ち、今回もその時のご縁が基となって外海町に文学館が誕生いたしました。まことに深い絆と申す他はございません。 開館の当日、開館に先立って、出津教会に於いてとり行なわれましたミサの説教で、山内実神父様(現長崎カトリック神学院学院長)は、「今までカトリック教会に於いて、転んだ人々のことを、転び者だの、裏切り者だのと、おとしめて来たことは大きな誤りでした。キリストの愛は、転び者を救えない程狭いものではない筈です。人を裁く心は、キリストからは遠いのです。今は潜伏キリシタンの方々も、殉教者達と共に天国の福楽の中にあるのです」など、諄々と語られました。 大切なのは掟ではなく、まったき愛であるべきという、神父様のお言葉は忘れることが出来ません。法王様が、聖年の年の3月に、過去千年の間にキリスト教徒が犯した罪について、全世界に向かって謝罪をなさってから、まだ2ヵ月がたったばかりのことでした。日本の主だったカトリック教会が皆混乱して、思いがけないこの法王様の謝罪にゆれている最中でした。長崎県の小さな町の教会から、21世紀のカトリック教会が目指すべき方向に向かっての第一歩を踏み出し得たことを、今でも心より誇りに感じております。 その翌日には浦上で、すべてのキリシタンのための追悼ミサが挙げられ、同年七月には天草で、仏教とカトリックの合同追悼会が行なわれました。そして更に、同年11月には、かくれキリシタンの方々とカトリック合同ミサが、黒崎教会の野下千年神父様司式によって、枯松神社でとり行なわれました。その後3年続いておりますこともすでにご承知の通りでございます。 このようないずれも4百年ぶりの和解が、遠藤周作文学館の開館がよき切っ掛けとなって実現出来ましたことも、元をただせば、兄上様のあの時のご決断の賜物でございます。心から感謝申し上げ、今後とも勇気をもって信徒使徒職を進んで行けますように、お守り下さいとお祈り申し上げるばかりでございます。 気候不順の折からご自愛の程お祈りいたします。 2003年4月2日 遠藤 順子 |
付記
1.枯松神社は黒崎教会に近く、川をはさんだ谷向かいの枯松山頂にある。キリシタン 神社といわれ、祭神は、弾圧時代に信徒に 信仰と救いの希望を与え続けた「サン・ジュアンさま」と呼ばれる宣教師。拝殿に石 の祀柱が安置されている。潜伏キリシタンの集まりや連絡の場所で、悲しみ節の夜はここでオラショ(いのり)を唱え伝えた。神社を隠れ蓑にした命懸けのキリシタンの 祈りと智恵の所産でしょう。弾圧終了後も カトリックにならない隠れキリシタンが沢山おり、今も枯松山は隠れキリシタンの集団墓地になっている。
日本の神様以外を祭神とする神社は珍しい。他に、長崎市淵神社境内にある桑姫大明神と、対馬厳原の八幡境内にある今宮神社それに伊豆大島のおたいね大明神の三ヵ所が知られている。
(外海町制作/外海、長崎大司教区発行/巡礼、他より)
2.「沈黙」の碑は眼下に海を臨み、国道202号に沿った出津文化村の入口にある。大竹さんの案内で「沈黙」の碑が建つことになった土地を見に参りました主人は「ああ外海は神様が僕のためにとっておいて下さった土地だ」と申したそうです。
(開館にあたって思うこと 遠藤 順子)より
遠藤周作文学館は夕陽が丘公園にある。
〒851-2327 長崎県西彼杵郡外海町黒崎東出津郷77
電話 0959-37-6011
ここから見る落日の下には五島がある。五島のさきは東支那海、そして遠くポルトガルに続いているのです。この夕陽が丘は、遠藤周作のために天が最後までとっておいた感じの絶好の場所。 (里山に時は流れて 平野 勝)より
「文学館が建っている土地は、中浦ジュリアンのお父様(小佐々水軍)の城があった 西の丸の跡です」と、一年程前に順子様は、小佐々学氏から伺ったそうです。単なる建 設適地ではなかったのです。まさしく、神のはからいはかぎりなく・・・を思います。中浦ジュリアンは近くの西海町の中浦出身で、天正遣欧少年使節の副使でした。帰国してからイエズス会の神父になり、1633年小倉で捕らえられ26聖人殉教者と同じ場所の、長崎の西坂の丘で殉教した。 (巡礼)より
3.最近、当教会から長崎地方へ巡礼に出かける方がふえてきました。「そとめ」方面をよりよく、ご理解戴くためにご参照下さい。
教会報No.111 クリスマス号 2000年12月24日発行
「遠藤周作文学館」落成記念ツアーに参加して 20頁 兼子 盾夫
里山に時は流れて 26頁 平野 勝
インドのマザーハウスに行って
北2 大坪
この度私は、3月中旬にインドのカルカッタにあるマザー・テレサの修道会「神の愛の宣教者会」の施設で、ボランティアをさせていただきました。施設には、いくつかの種類があります。代表的なものは「死を待つ人々の家」です。そちらには特に病の重い方々が入所されています。他には「孤児の家」や「アルコール依存症の方々の家」などがあります。私は「障害児の家」に派遣されました。こちらでは、3歳ぐらいから、12歳ぐらいまでの何らかのハンディを持った子供たち(男女合わせて56人)が、シスターとインド人の職員の方々と共に生活しています。
私たちボランティアの一日は、朝六時からのミサで始まります。1kmほど離れた宿から朝もやの中を修道院へ急ぐ時間は、昼の喧騒(けんそう)が嘘のような静かで美しいひとときです。約一時間のミサ後、修道会より朝食が出されます。食パン、バナナ、甘いミルクティーがお腹一杯にいただけます。その後、それぞれ担当の施設へ各自で向かいます。道中はマンゴーの木や、南国の花々があり、しばし暑さを忘れさせてくれます。8時より仕事が始まります。私が担当させていただいた施設では、毎朝入浴の介助から行ないます。その後、11時まで歌を歌ったり、(私はマリア様のこころや、アーメンハレルヤを歌いました)絵本を読んだりして過ごします。11時から昼食です。カレー風味のおじやを一時間かけて食べさせます。12時でいったん休憩になります。3時より再び午後のボランティアが始まります。(その間子供たちはお昼寝です)3時から30分ほどお祈りがあり、3時30分から夕食介助を行い、夕方6時には全てのボランティアが終了します。
障害の重さはさまざまですが、どの子もとても元気が良く愛らしいです。キラキラ光るきれいな瞳で、ニッコリ微笑んでくれます。「神の愛の宣教者会」の日本人シスターのお話によりますと、マザーテレサは生前「私たちは神の愛の運び屋である」とおっしゃられていたそうです。私は立派な運び屋になることは難しかったです。しかし子供たちは本当に多くの愛を私に届けてくれたと実感しました。
日本の生活は、私にとってあまりにも早く時が過ぎ去ります。ついて行くだけで精一杯で小さなことに喜びを持つ余裕を時々失ってしまいます。そのような時は子供たちからいただいた素敵なプレゼントを見い出すようにします。そして、私もほんの少しの愛でも運ぶことが出来ますようにとイエス様にお願いする今日この頃です。
5月18日(日)9時半のミサは、以前藤沢教会におられましたバーガー神父様(現在はアメリカで聖コロンバン会の管区長をなさっております)の司式による恵まれた主日でした。日本には聖コロンバン会の会議があり、藤沢教会に立ち寄ってくださいました。「3年7カ月ぶりの藤沢教会です」といつもながらのにこやかさに満面笑みをたたえてのお説教でした。「藤沢教会のこの力はどこからくるのでしょうか?キリストに結ばれているならば何でも出来ます。また第二朗読の“言葉や口先だけでなく、行いをもって誠実に愛し合う”なら、それぞれの家族で愛を実行出来るでしょう。キリストに結ばれていなければ、何も分かりません」ともおっしゃられました。
福祉活動の概況 その2
(活動の内容):*利用対象者…@信徒及び信徒が関わっている方で、かつAお年寄りや身体の不自由な方・*利用目的…@ミサ・講座・音楽会など教会の関連行事、およびA病院・役所・買物など生活を支える一般外出
(活動のきっかけと目的):今まで個別で行なわれてきた送迎活動を、教会として一般化。ボランティアは利用者の手足となって新たな出会いを通して『ともに生きる喜び』を分かち合う輪を広げて行く
(活動の始まり時期):ボランティアの募集 =2002年4月、利用者の受付 =2002年9月敬老会
(現在の人数):登録ボランティア27名(運転19,付添8)
(現在の状況):単発利用4件、継続利用1件、相談1件
(今後の展望):信徒の高齢化に伴い、送迎ニーズが増大中
(活動の内容):一人暮らしや高齢者、またご病人や身体の不自由な方たちの送迎や家庭訪問などの小さな助け手、お手伝いをする。また仲間を増やしていく
(活動のきっかけと目的):高齢化社会、核家族などによりおこる生活上の不便さを教会のメンバー同志で相互に支え合い助け合うことでカバーする
(活動の始まり時期):2001年1月17日
(現在の人数):8名 (各ブロックより)
(現在の状況):月1回のミーティングで情報交換活動の確認および勉強会を行なっている
(今後の展望):どのような小さいことでもアンテナを巡らして情報をキャッチし、きめ細かく助け合いのネットワークを広げていきたい
(活動の内容):第1第3火曜日の夜10時頃より藤沢市中心部の野宿者に話しかけをし食べ物を配って回る。第2火曜日はセンターホールで食事をしながら、いろいろな話し合いをする
(活動のきっかけと目的):市中心にいるとされる40〜50人のホームレスの人達に声をかけ、相談にのり市役所と交渉し、彼らにとってよりよい方向を探していく市民活動として始まった
(活動の始まり時期):1997年
(現在の人数):教会内15名 教会外15名
(現在の状況):毛布 衣服 食料 医療相談 年金生活保護 住居 その他あらゆる相談を通して彼らのよりよい生き方を探していく
(今後の展望):引き続き活動していく
(活動の内容):運動の趣旨に賛同する人達が協同して資金をプールし、それを必要とする人が利用する相互扶助のための小口金融機関です
(活動のきっかけと目的):人間同士の信用を基礎として担保なしで小口金融を行い、お互いの家計の計画性、健全性を守るために経済的相互扶助を組織的に行うものです
(活動の始まり時期):1970年7月
(現在の人数):300名
(現在の状況):藤沢は会員数からみると組織率が6,4 %と低い、また重いじゃがいもの販売は年々扱いが大変になって来ている
(今後の展望):組合のPRに力を入れるとともにじゃがいも販売なども引続き行っいく
(活動の内容):難病の子供と家族が遠距離から治療のために上京した折、やすらぎある滞在施設を経済的負担を少く提供している NPOファミリーハウスのサポート
(活動のきっかけと目的):当初は小児ガンの子供を対象に宿泊施設の提供を行なっている小さな運動に、藤沢教会で英会話を教えていらっしゃるSrキャサリンが関わっていらっしゃり教会の中にもそのお手伝いをしようという動きが出始めた
(活動の始まり時期):1992年
(現在の人数):ファミリーハウス後援会員として20名位が協力
(現在の状況):未使用のテレフォンカードや日用品など施設で必要な品の発送やご寄付を下さる方の窓口、バザーでの販売、チャリティコンサートのチケット販売等。現在は NPOに 認定され活動も全国的に知られ AFLAC(アメリカンファミリー)の協力も得て施設も充実して来ている
(今後の展望):ファミリーハウスのアピールやサポートを引き続き行なう
(活動の内容):ボランティアグループや福祉施設入居者、在宅高齢者へ図書、ビデオ等の出前、話し相手、朗読出張サービス。伝言自分史の記録、保管、貸出し
(活動のきっかけと目的):少子・高齢化社会のなか支えあう地域づくりを学習中、教会内外の活動を目指し、司祭の協力で資料の提供を受ける。多様化する社会で各ボランティアと連携。地域でともに生きることの実践
(活動の始まり時期):1993年
(現在の人数):本業もちながらのボランティアでグループ、個人30人
(現在の状況):出前サービス施設5、団体3、在・・現在の宅高齢者2の利用。ボランティアグループと協力学習会開催。発足時、指導、協力して頂いた神父様が高齢で病気治療となり、どのようにサポートできるか学習中です
(今後の展望):教会内外のグループ、協力者と共に歩み続ける
1(日)主の昇天 壮年部 新人歓迎会 藤沢フィリピン・コミュニティ主催独立記念日
6(金)初金ミサ・例会
8(日)聖霊降臨主日 辻堂ブロック集会
14(土)壮年部 黙想会 聖ロンバン会協力者会コンサート
15(日)三位一体の主日 北2ブロック集会
22(日)キリストの聖体 幼児洗礼
26(木)カトリック婦人同志会のバス遠足
普段から疑問に思っていること聞いてみたいこと、何でも聖堂内の質問箱にお寄せください
Q ご葬儀の際の経費について、以前具体的なモデルケースが紹介されていましたが、現在でも変わりがないのでしょうか。紹介されていた費用で、ご葬儀のすべてがまかなえるのでしょうか。できるだけ具体的に教えてください。
A 2000年に藤沢教会独自で契約した葬儀の種類は、30万円台・50万円台の二種類でした。現在は和田葬儀社の<葬儀セット30万円台・50万円台・70万円台> を団体割引契約で2割引したものが一番多く利用されているようです。
実際には会葬者の数、粗品や会食の有無その他で個々に異なる点がありますが一例として冬に行われた会葬者300名程度のケースを参考までにご紹介します。
<葬儀代金> | ||
<請求額> | <割引金額> | |
基本契約葬具料 早朝夜間作業料 写真引き伸ばし 会葬礼状S・封筒 ドライアイス 喪章 諸手続き カイロ 計 |
500,000 円 40,000 円 19,000 円 40,000 円 37,500 円 3,050 円 4,500 円 7,500 円 651,550 円 |
(-100,000) (-16,000) *100枚分 (-6,000) *1回分(10Kg) (-7,500) (-800) (-4,500) (-134,800) |
<実際の支払額 542,580円(516,750+(消費税) 25,830)>
★上記はお通夜、葬儀ミサ・告別式にかかった経費のみ
★別途費用
車代として寝台車(病院〜教会) 、マイクロバス、タクシーの料金、花代として納棺花、献花、十字架キャスケットなど、粗品としてテレフォンカード、その他に飲食代、お清め(心付け)などの費用があり、このケースでは合計 906,273円と教会へのお礼の献金がかかりました。。
★葬儀は一件一件その状況、事情また季節などによっても異 なります。できる範囲で事前の準備をしておくことや故人 の希望を知っておくことも必要です。特に費用のことなどはお考えの予算も含めて葬儀社に遠慮なく相談し納得のいくものにしましょう。
※次回は近隣のカトリック系の墓所についての質問にお答えします。