八 角 形 に ゅ ー す
2010年10月20日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
目次
牛に引かれて…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・司祭 和野
敬老ミサ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 八子
聖母被昇天のお祝いに参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 鶴田
2010年バザーについてのお願い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・バザー企画委員会
助かる命は積極的に助けましょう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 小笠原
アシストフォンのおかげで…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 村上
酒と聖書と二日酔い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 魚津
秘跡について考える (全12回) 第8回 いやしの秘跡(1)―ゆるしの秘跡・・横浜教区司祭 宮内
典礼におけるひかりの意味・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 岡村
合葬の園から(6) 竣工しました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・建設委員 辻垣
10月ロザリオの月・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・レジオ・マリエ
牛に引かれて…
司祭 和野
信州の名刹、善光寺に由来する説話に「牛に引かれて善光寺参り」というものがあります。こういうお話です。「昔、信州の小諸に信心が貧しく強欲な老婆がいました。ある時、晒しておいた布を隣家の牛が角に引っかけ走って行ってしまいました。老婆は追いかけ追いかけ、知らぬうちに善光寺駆け込んでいました。我に返ってそこが霊場であることを知り、後生を信仰篤くすごしました」。広辞苑では「ほかのことに誘われて、偶然良い方に導かれること」とあります。
夏の猛暑の中、ある日の出来事。教会のKさんとHさんが、Nさんのお見舞いに行くとのことで日傘を借りていってもいいか?と事務所で尋ねているのを小耳に挟みました。いつもだったら「行ってらっしゃい」と言葉だけで送り出すのですが、その日はものすごい猛暑日。とても日傘だけでは大変、しかもバスで行くと言うではないですか。T堂なら車ですぐだし、今はヒマだしということで、わたしの車で一緒に行くことにしました。どうせ行くならと、聖体拝領や病者の秘跡の準備をして希望があれば授与できるようにしました。Nさんは希望なさり、みんなで一緒に祈りながら秘跡の執行をしました。大変喜んでくださり、感謝の言葉をたくさんいただいたのですが、ちょっと良心の呵責が……。
わたしにしてみれば、最初からそうしようなどとは思っておらず、ただあの日が暑かったから…で始まったことでありました。それよりも、Nさんを気にかけ暑い中でも訪問なさっている方々がいるということの方がよほど尊いことであり、わたしは気まぐれで便乗しただけに過ぎないのです。しかし、それらがどういう訳かあのときに一つになり、キリストの秘跡がNさんにもたらされたのでした。考えてみれば、不思議なことです。
この出来事を振り返りつつ、こう思います。神の慈しみというものは、人を通して伝えられていくものでありますが、それはただ一人の力だけではなく、様々な人の力によって運ばれていく。そして、神は必要なものを与えるためにはどんな方法でもお使いになるのだなあということです。そのとき、人が心で気がついていなくても、神はその者を使って福音をもたらすのでしょう。そして、後から気がついたとき、神の業を知るに至る。そういうものなのかも知れません。そう思えば、今年の夏の暑さも悪いことばかりではなかったようで…。
教会委員会報告(2010年9月18日)
建物工事完了。9月17日竣工検査。引き渡しは9月20日。修道院が登記を行い、完工届けを役所に提出後使用可能となる。なお、後日見学と、説明会をする。申し込みを考えている人へも参加を呼びかける。管理委員会設立は申し込み済みの方を中心に行う。庭も含め、管理運営を考えてもらう
経費節減のため、手すりは直線のものにし、階段下の花壇は小さくした。費用は25万円以下に抑える
天気に恵まれ、外国コミュニティーも含めて多くの方々の参加があり、楽しいひとときを過ごした
4.聖母被昇天ミサ (8月14日、15日)
8月14日はベトナムコミュニティー中心に前庭で、約200名の方々が集まり盛大に行われた
藤沢・片瀬ブロック内には3修道会がある(シャルトル・聖パウロ女子修道会、聖心の布教姉妹会、聖母訪問会)。その修道会からシスターをお招きして、ご意見を伺った。小教区ブロックからは、小教区と修道会が目的と活動をともにできるところがないか、呼びかけた。修道会にとっては、今までの環境が小教区と共通ではなかったために、まだどのようなことができるかにまで至らなかった。また、修道会にも高齢化の波が押し寄せてきており、活動への制約も出ている
藤沢南消防署の指導の元で開催され、28名の参加を得た。ボーイスカウトの子供も多数参加し、良かった。来年も開催予定であるが、外国コミュニティーからも多くの参加を期待したい
教区懇談会、3部門分科会、修道会内部での打ち合わせ、ブロック活動の報告があった
祈る分科会は連続セミナーを行う
第1回 10月23日(大船教会) 病者訪問と傾聴について
第2回 10月30日(鍛冶ヶ谷教会) 集会祭儀のやり方、意義
第3回 11月6日(藤沢教会) 一般信徒による葬儀と一連の葬祭儀について
申し込みは、各教会の委員長まで
伝える分科会は各教会の活動を整理し信徒全体に見えるようにする。青少年の関わりについては、これから各方面にアンケートやインタビューなどをし、意見聴取をして行く。また次の世代育成を重要課題と考えており、青少年養成とそれを支える人を育てる
証しする分科会は"福祉を超えた活動"と広くとらえて今後活動を進める
9時30分は司教司式のミサ。その後、信徒と懇談。司教を独占しないようによく配慮をして欲しい。昼食後、共同宣教司牧委員会から司教へ、活動報告。司教からの総評もいただく。第五地区教会の委員長が出席予定
ベトナム、フィリピン、ラティノスなどのコミュニティに役割分担をした。司式はトゥ神父、鈴木神父
9月16日は雨にも拘らず、普段ミサに来られない方々が20名ほど集まり、ミサと塗油式が行われた。9月19日はミサの中で敬老の祝福があり、ミサ後の塗油式では大変多くの方の参加が見込まれる
10月28日は、藤沢教会守護聖人の聖シモンと聖ユダの祝日であり、9時のミサは感謝ミサとする。10月23日からパイプハンガー設置他、いろいろな作業があるので、多くの方々の手伝いをお願いする。なお、ミサは10月30日午後4時と31日朝7時、8時となる
(鵠沼)10月3日ブロック集会を開催予定
(宣教)9月23日に一粒会大会がある。毎月第1日曜日の9時30分ミサ後に、オープンな形で、祈り・霊性について考えていく会を予定する。ハンラティ神父の「神に聞く祈り」を題材にしたい
(典礼)9月23日10時からお彼岸のミサ
(教育)夏のキャンプを8月7〜9日あきる野教会で開催。大船、戸塚、中和田、片瀬教会共同で43名参加、うち藤沢は23名。
(国際)ベトナム一世の方々はミサ以外に信仰養成のチャンスがない。また、ベトナム語を使う機会も少ないし(孫は日本語しかわからないなど)日本語も不自由であるので、日本語のミサでは理解が不十分である。このような状態を改善するべく、ベトナムの教会と日本の教会をよくわかっているトゥ神父に定期的な指導を依頼できたらと思い、これを小教区活動として、委員会から設置をお願いする方向で、今後検討をする
1.大聖堂の冷房設置について
検討委員会の立ち上げを決めた。性能、可能性、工費などについて、総務部主体で、専門家のスタッフを募集して検討を行う。メンバーは総務だけでなく、広く推薦をお願いしたい
2.三部門の進め方に関する討議
7月度教会委員会での討議内容を踏まえて議論を進めた。これまで出された提言・意見を整理し運営委員会で検討し、必要なら次回委員会で再度討議する。教会委員会の内容について、報告事項より討議事項の比重を高めることが大切なので、改めて各活動部・ブロックから事前に議題を提出いただき、運営委員会で整理することになった
敬老ミサ
鵠沼1区 八子
藤沢教会では敬老の日の前後の日曜日のミサで、お年をとられた方を中心に共に祈りのお祝いをしています。 そしてお体の具合などで日曜日のミサにいらっしゃれない方々のために、今年も9月16日(木)午前11時よりミサと 病者の塗油を行いました。
当日は時々小雨降る中、20数名の参加がありました。一人で来られた方、送迎の車で来られた方、車椅子の方もいらっしいました。 神父様3人によるミサが行われご聖体をいただき塗油が行われました。 ミサ終了後一緒に昼食をいただきお話をしました。 デザートには教会の裏庭で採れたブドウをいただきました。 昼食後ひと段落すると、有志2名によるフルートとキーボードの演奏が始まりました。 シャンソンの名曲「愛の讃歌」と加山雄三の「君といつまでも」です。 静かなきれいな曲を聞いていただきました。「君といつまでも」は鈴木神父様に歌っていただき盛り上がりました。 会も無事終了して解散しました。
今まで家族のため、社会のために尽くされた方たちに感謝したひと時でした。
このミサと昼食会を準備された方、当日お手伝いされた方ご苦労様でした。ありがとうございました。
聖母被昇天のお祝いに参加して
藤沢1区 鶴田
まさに「酷暑」のさなかの8月14日の夕方、藤沢教会恒例のベトナムコミュニティの被昇天のミサとパーテイに参加しました。祭壇はきれいに飾り付けられ、驚くほど多くのベトナム人の方が、かいがいしく働いていらっしゃいました。いつみても民族衣装のアオザイは優雅で美しいものです。こどもたちも大勢いて、みなマリア様をあらわすブルーと白の手作りの小旗をもってはしゃいでいました。今年はベトナムカトリック教会にとって記念すべき聖年だとのことでひときわ意味深いミサなのでしょう。マリアさまのご像を担いでの行列の後、はじまった藤沢の3人の神父様、ベトナム人の神父様の司式のミサは言葉はわからないものの荘厳で、ベトナム特有の哀調をおびた聖歌が暮れかけた空に立ち昇っていきました。なかでも私にとって印象的だったのは少女たちの奉納の舞で、花冠をかぶりアオザイをまとった少女たちが花かごを手にマリア様のご像の前で、静かに舞い、花かごをマリア様にささげる姿はなんともいえず清らかで愛らしく、夕闇の中でマリア様のご像も沢山のきらめくろうそくの光の中でとても幻想的な雰囲気でした。
ミサに与りながら、ベトナムの方たちの異国の地で、私たち日本人には想像もつかない苦労の中で、ひたすらこのようにマリア様への祈りをささげつつ、頑張ってこられた道のりを思うと、心がじんとして、被昇天のお祝いもあたりまえすぎて習慣化している自分を恥じました。
ミサのあとが、うってかわったにぎやかなパーテイで、おいしい家庭料理をごちそうになりましたが、準備されたお料理の量と、それがみるみるなくなってゆくベトナムパワーに圧倒されました。また国際部の集まりなどでは、日本語の問題で発言も少なく、消極的にみえた方が、さっそうと皆を指揮している姿にびっくり!「日本語が出来ない」ということに惑わされ、その人の本当の姿を見なかった自分を反省しました。他の外国人コミュニテイの方たちも参加していて 、まさに藤沢教会の名物?ともいえる国際的な行事になっています。まだいらしたことの無い方は来年はぜひ参加なさってください。また新しい思いで、マリア様の祝日をお祝いできると思います。 AVE MARIA!
召命錬成会に参加して ―8月2〜5日、裾野聖心会山の家にてー
今年の召命錬成会のテーマは、「神様へのお願い」でした。ぼくは、はじめその「神様へのお願い」の意味がわかりませんでした。だけど、参加して話を聞いているうちに、だんだん意味がわかってきたような気がしました。
「神様へのお願い」とは、どういうお願いをするのかというと、マザーテレサのように他人(全ての人間)のためを思ってお願いをする事です。自分の事ではなく、まず最初に人のことを考えると言う事です。ぼくはそう考えました。実行はとてもむずかしいです。この召命錬成会を3年続けて参加して、毎年とても楽しいと思うので、帰る時また来年も来るぞと、思います。でも、学校のクラブ活動もあるので、参加できないかもしれないので、特に今年の出来事は絶対に忘れないでいたいと、思いました。
毎年参加する直前は、なぜかドキドキします。でも行くと色々な場所から来る友達と再会出来るし、花火やプールで遊んだりして、あっと言う間に過ぎてしまいます。食事もとてもおいしくて、全部食べます。去年も今年も、ぼくと船津君の2人しか藤沢教会から参加しませんでした。もっとたくさんの友達が参加して、一緒に楽しめると良いと思います。
ぼくは錬成会に行ったのは2回目です。なぜ行ったかというと、1回目がめちゃめちゃ楽しかったからです。久しぶりで緊張したけど、だんだん慣れてきました。いきなりチーム分けの発表があってびっくりしました。このチームで最後の日まで、いろいろゲームをして点数を計算して、順位が高い順にもらえる賞品が良くなる事を知っていました。
1日目はドッチボールをやり、ぼく達のチームは圧勝でした。次にサッカーはおしくも2位。そして入浴、夕食、マザーテレサの映画を見ました。楽しい一日でした。明日の予定表を見たら、またすごく楽しそうでした。ぼくは「まだ、こんなに楽しい一日があるのかな」と思い、満足してゆっくり寝ました。
次の日、目をさまして、自分の家だと思ったら錬成会2日目でした。待ちに待ったスタンツの準備です。ぼく達は「ほうとう息子」オリジナル話で兄ももたろう、弟うらしまたろうをやり、ぼくはももたろうになりました。
3日目はスタンツ発表の日です。しんさいん達(梅村司教様もいます)は、ぼく達のスタンツが受けて、他のチームよりたくさんて数をもらいました。そして気になる順位です。ぼく達は1位でした。とても楽しかったです。
2010年バザーについてのお願い
バザー企画委員会
今年のバザーがいよいよ10月31日(日)に迫ってまいりました。多くの皆さまのご協力をいただきながら、3月末から始まったバザー企画委員会の準備も着々と進んでおります。各ご家庭にお配りするパンフレットも出来、間もなくお手元に届くと思います。信徒の皆さまには、物品、金券、賛助金等のご寄付及びウエルカム券のご購入、又バザー当日は勿論のこと、各種準備作業へのご協力もどうぞよろしくお願いいたします。
10月28日(木)の藤沢教会の守護の聖人、聖シモン、聖ユダの祝日には教会の55年の見守りを共に感謝し、お祝いのミサをご一緒にお捧げしたいと思います。ミサは朝9時です。
信徒の皆さまはじめ、ご家族、お友達、ご近所の方々、近隣教会、地域社会の方々にとりましても楽しく、実り豊かなバザーとなります様に願っております。
教会学校サマーキャンプ報告 −8月7日〜9日、あきる野教会にて−
日曜学校リーダー 西田
教会学校では2005年の夏から毎年キャンプを行っています。これまでに少年の森、井川湖、山中湖へ行きましたが、今回は西多摩はあきる野教会にお邪魔しました。この教会の裏山全域が東京教区の大きな霊園となっていて、西側には里山が広がっており、南側には秋川渓谷から続く清流が流れる自然豊かな場所でした。
今年の大きな特徴は、第5地区の教会のうち、戸塚、中和田、片瀬、藤沢、大船の子どもとリーダーが集まって合同で行ったことです。夏休みの過ごし方も多様化しているせいか藤沢だけでは子どもの参加が少ないこと、リーダー側も特に男性リーダーが不足気味であったこと、どうせやるなら大勢のほうが良いだろうと話がまとまり、8月7日(土)〜9日(月)の2泊3日で行ったのです。
たくさんだったらいいなぁと思っていたら、43名もの子どもたちが来てくれました。トゥ神父さま、食事を作ってくれる方を合わせてリーダーは20名で60人以上でのキャンプはあきる野教会の猪熊神父さまも驚いてました。大勢いると刺激的です。教会敷地内でバーベキューをしても、隣接する霊園広場での花火をしても盛り上がるし、班は5つもできたのでキャンドルファイアーでの出し物(スタンツ)はバラエティに富んだ素晴らしいものでした。ミサにはあきる野教会での主日と帰る日の朝、宿泊した部屋での2回に与り、それぞれに温かなミサでした。特に3日目のミサの説教で、トゥ神父さまが「いつも祈りましょう。むずかしい言葉ではなく、おはよう、いってきます、おやすみなさい、話しかければイエスさまは聞いてくれる」というお話は、子どもにも大人にもしみいる内容でした。
今回のキャンプは「一人の小さな手」の歌のようでした。
♪一人の小さな手 何もできないけど みんなの手と手を合わせれば 何かできる♪
足りないところを補い合って、神さまの名のもとに集まり、無事に過ごすことができました。これからもこんな取り組みを続けていけたらいいなぁと思っています。以下に、振り返りの時間に書いてくれた、キャンプの様子がよくわかる作文をご紹介します。
かわあそびがおもしろかった。さっかーがおもしろかった。きゃんどるふぁいあがおもしろかった。はなびがすごくおもしろかった。すいかがおいしかった。おじさんがきてすごいながいつりざおであゆをつった。むしがいっぱいですごかった。
8月7日から9日まで、あきる野教会で、キャンプをしました。2日前には花火が一番楽しかったです。きのうは川あそびが一番楽しかったです。きのうの夜のキャンドルファイアーが二番目に楽しかったです。2日前に二番目に楽しかったのは、バーベキューです。昨日と2日前は、一番にぼくはねました。川あそびのときに、むこうぎしに行ったのが、楽しかったです。ぼくの花火がのこり一本のとき、みんながぼくの火をとるので、すぐにきえましたので、少し、がっかりしました。だけど花火が一番楽しかったです。あと、はたずくりも、いがいと楽しかったです。川あそびの、すいかもおいしかったです。キャンドルファイアーのスタンツで、イエスさまのやくをしました。少しはできたと思いました。イエスさまのやくも楽しかったです。きのうのべんとうが半分しか入っていませんでした。
1日目:今日はキャンプなのでウキウキしていました。とまる所は「あきる野教会」です。教会に着いたら、班で分かれて、その班の旗とうちわを作りました。その後おかし作りをしてそのおかしを食べました。夜はおはかに行って、花火が入った班の記号が書いてあるふくろをさがして、そこで花火をしました。
2日目:私はなぜかねむれなくて。6時間しかねむれませんでしたから、ミサ中にねむくなってしましました。その後はスタンツの練習をしました。ちなみに私たちは「死刑のせんこくをうける」という題で、私はイエス様の役をしました。その夜はスタンツの本番です。この話はおもしろい話じゃないので、まじめにやりたかったけどみんなに笑われてしまいました。みんなが笑ったので私もわらってしまいました。その後は西田リーダーが盛り上がる歌やダンスをして、なんとなーくおもしろかったです。
3日目:今日はいよいよ最後の日です。私は「こんな時間が来るのが速いな〜」と思っていました。もうちょっとここにいたかったけど、とてもたのしいキャンプでした。
中高生会サマーキャンプ ―8月10〜12日、小諸教会にてー
私は、中学生が2人しかキャンプに行かないと聞いて行くのをやめようと思いました。でも、キャンプに行って・・・。キャンプは、前に和野神父様がいらっしゃった小諸教会に行きました。キャンプでは、八ヶ岳や松本、山に行ったりしました。どの場所行っても感じたことは、長野は山が多く田舎だな〜と、思いました。夜は、雨か曇りだったので、きれいな星は見れませんでしたが、バーベキューや花火をやったり、お話をして楽しく過ごしました。受験生の私にとって夏休みは、塾に行く毎日だったので、キャンプに行って夏休みの良い思い出を作ることができました。
今回、私が参加した中高生会のキャンプでは、とても思い出深い出来事ばかりでした。昨年参加した日曜日学校のキャンプとは、また違う体験でした。
1日目:山本さんと麻美さんと牧さん和野神父様と世鈴さんと私の6人で出発しました。1度山梨のインターで休息を入れて、途中で買い物をして、小諸教会に着きました。途中で山梨の中高生会のリーダーの健三郎さんも来て7人でバーベキューをしてわいわい喋って笑って特に思い出深いです。
2日目:午前中から高原に行きましたがあいにくの天気で見に行けず……その後、他の場所に行き教会に帰りました。カレーをみんなで作り食べてからは、花火をしたり幼稚園の庭で遊んだり…夜遅くまで遊んでました。
今回のキャンプは、人数が少なく不安もありましたがそんな心配は無用で楽しかったです。リーダーの皆さん神父様
色々お世話していただきありがとうございました。世鈴さん 仲良くしてくれてありがとうございました。神様
このような機会を作って下さってありがとうございました。 来年も是非行きたいです。
助かる命は積極的に助けましょう
鵠沼1区 小笠原
藤沢教会主催の「救急救命講習」は、8月21日(土)午前9時から、夜勤明けの救急救命士、ボランティア団体のNPO法人「藤沢救命普及会」の講師が駆け付け、センターホールで技術を習得したい25名の方が参加されました。今年の特徴はボーイスカウトの若い面々が積極的に参加してくれたことです。それは画期的なことで、今後の藤沢教会を支える頼もしい存在と写りました。例年になく暑い気温が続く夏、熱中症で亡くなる方も多いのですが、やはり3大成人病(癌・脳卒中・心臓)が死因のトップにあります。教会員の中には、愛する伴侶を心臓まひなどで亡くされた方も多いのですが、当教会事務所には最先端のAED(自動式対外微細動除去装置)が設置されています。
しかしいざという場合はたして何人がこの機械を使いこなせるでしょうか?今度の講習で25人が機械操作を訓練し資格を取得しました。日曜日のミサに訪れる人を500人とすると5%が使いこなせる計算になります。ただしミサの時間だけなので、1日の24分の1時間でしかありません。人生の多くの時間は寝ている時間と家にいる時間が半分以上で、後は外出している時間。仕事等で外出している時間は周りの人々を当てにする他力本願ですが、家にいる場合は家族同士お互いに助け合える可能性は非常に高いのです。救急救命措置は1秒1刻を争います。救急車が来てからでは遅いのです。
藤沢市では神戸、秋田両市に標準を置いて、20%まで「助かる命は助けよう」のスローガンの元に救急救命技術を普及させようと懸命に活動をしています。資格を持った人が10人に2人いると、このような病気で亡くなる方が大幅に改善されることが諸外国の統計で実証されていますが、残念ながら我が国は普及率の点でまだ5%程度。30−40%に普及している諸外国に比べるとまだ後進国なのです。
自分はいざという時助けてもらいたいが、人を助ける技術の講習を受けるのに躊躇するようでは真の意味で共同体とは言い難いのではないでしょうか。福祉部では今後も毎年講習を企画しますが、その都度参加者をかき集めるようでは教会員としての自覚が欠けていると言わざるを得ません。教会員である以上積極的に参加し、キリストの説く「愛」を実行してもらいたいものです。助けてもらった人は嬉しいものです。しかし、助けることが出来た人はそれ以上の喜びに満ち溢れます。それは人のためではない自分自身の為なのですから。ちなみに今年から採用されたテキストのモデルの一人は、藤沢教会にて洗礼を受けた方がボランティア参加し、人々の役に立っています。
アシストフォンのおかげで…
辻堂1区 村上
「年には勝てず」で数年前から耳が遠くなりはじめ、次第に話しかけられた時に「え?」と聞き返すことが多くなりました。そして、困ったことには教会でミサ中の神父様のお話が聞き取り難くなってしまったのです。以前はいろいろな講座にすすんで参加したものでしたが、今は歩行の都合で通えない私には日曜ごとのミサでのお話が大切です。それが聞こえないのでは、と補聴器をもとめました。奮発して「機能のよい最新式」というふれ込みのを選んだのですが、どうも聖堂でのお話は音が響いて細かいことがよく聞き取れません。半年余り前のこと、娘に教会では補聴器を使うよりアシストフォンを拝借してはとすすめられ、試してましたらとてもはっきりと聞こえるのです。うれしくなってそれ以来アシストフォンの愛用者になりました。
アシストフォンは10台用意されており、日曜日の7時ミサの時は祭壇前の左側、先唱者席の横で、9時半ミサでは聖堂に入ってすぐの左側の台で福祉部のかたが渡して下さいます。使用法も簡単ですからもっと活用されるとよいのにと思っています。
酒と聖書と二日酔い
辻堂2区 魚津
NHKの「ラジオ深夜便」で、出演者の名前は忘れたが聖書の創世記に「二日酔い」という言葉がでてくるとしゃべっていた。早速、創世記の頁を繰ってみた。「二日酔い」は見つけられなかったが、9章に「あるとき、ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた」というくだりがあった。ぶどう酒が聖書の中で最初に出てくるのは恐らくこの箇所だろう。このささやかな発見に、私はひそかに小躍りした。
ちなみに日本の酒は古事記、日本書紀の神話に始まる。古事記の八岐大蛇(やまたのおろち)退治に登場する八塩折酒(やしおりのさけ)である。スサノオノミコトが、悪事をはたらく首が八つもあるという大蛇に、大蛇が好むという名だたる銘酒を八つ分の樽に用意させ酒をたらふく飲ませ、酔いつぶれたところを剣で退治するという物語である。
お酒と無礼講について少し述べてみたい。お酒の席で「今日は無礼講で飲もう」とよく言われる。無礼講があるならその前に礼講というものがあるわけだが、本来、礼講と無礼講のあいだにはきちんと一線がひかれている。お酒は神事とのかかわりが深く、まず神に酒を供え、そのあとそれを下げて人々が相伴する。身近に思い浮かぶのは結婚式の三々九度。昨今の酒席は礼講が省略されていきなり無礼講から始まることが多い。それでも、公式の場では何方かの挨拶があり、乾杯がある。つまり乾杯までは礼講であり神との儀式であると言える。「乾杯」の気持ちの中には、お互いに幸せに、この会合が楽しいようにとの秘かな願いがこもっているのだ。無礼講と相手が言うとき、そこには宴会を共に楽しんでほしいという気遣いがある。もちろん無礼をしても構わないということではない。その気遣いに対して立場をわきまえない言動で応えては、肝心の酒席も台無しになる。
ぶどう酒は聖書の中に多く登場する。ある熱心な牧師が調べたところによると、ぶどう、またはぶどう酒、ぶどうの木も含めてぶどうという言葉は旧約聖書に328回、新約聖書に168回もでてくるらしい。よく知られているのはヨハネによる福音書2章のイエスがカナでの婚礼でぶどう酒がなくなった時、「水からぶどう酒がつくられた・・・」この最初の奇跡で弟子たちはイエスがただものでないことを知った。使徒パウロもテモテへの手紙で「これからは水ばかり飲まないで胃のために、また、度度おこる病気のために、ぶどう酒を少し用いなさい」と記している。しかし、われら呑ん兵衛はぶどう酒の卓効を手放しで喜んでばかりもいられない。エフェソの信徒の手紙では「酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです」と諌めている。度が過ぎた酒に咎めを受けるのは、今も旧約の時代もかわりがない。
イザヤ書(5:11〜13、22〜25)には「災いだ、朝早くから濃い酒をあおり夜更けまで酒に身を焼かれる者は。酒宴には琴と竪琴、太鼓と笛をそろえている。だが、主の働きに目を留めず御手の業を見ようともしない。それゆえ、わたしの民はなすすべも知らぬまま捕らわれて行く。貴族らも飢え、群集は渇きで干上がる。災いだ、酒を飲むことにかけては勇者強い酒を調合することにかけては豪傑であるものは。これらの者は賄賂を取って悪人を弁護し正しい人の正しさを退ける。それゆえ、火が舌のようにわらをなめ尽くし炎が枯れ草を焼き尽くすように彼らの根は腐り、花は塵のように舞い上がる。彼らが万軍の主の教えを拒みイスラエルの聖なる方の言葉を侮ったからだ。それゆえ、主は御自分の民に向かって激しく怒り御手を伸ばして、彼らを撃たれた」と手厳しく、酒を飲むのも命がけだ。
酒を楽しく飲むのは当たり前、乾杯したら盃事という「礼講」を知って酒を飲めば味わいもまた格別のものとなろう。「人間は強くて弱い生き物だ。そんな時、酒は友となる」。作家の伊集院静氏が週刊誌のエッセイで、酒の本質を見事に活写している。乾杯!
秘跡について考える(全12回) 第8回 いやしの秘跡(1)―ゆるしの秘跡
横浜教区司祭 宮内
次回までの2回は和解の秘跡を取り扱います。今回はゆるしの秘跡について、聖書の視点から考えてまいりましょう。
ゆるしの秘跡は、罪のゆるしに関わるものですから、まず、聖書における罪が何であるかということについて確認しておきましょう。わたしたちは普通、「罪」という言葉を聞くと、「犯罪」や「倫理的・道徳的な過ち」を思い浮かべがちです。しかし、聖書における罪は、それとは意味合いが異なります。聖書における罪は、愛である神に背いて神との交わりを損なうことなのです。もちろん、神に背くことは、社会的な法律に背いたり、倫理的・道徳的な間違いを犯すことと重複することもあります。しかし、聖書において罪はあくまでも、善と悪を正しく識別される神とわたし(たち)との関係に関わるものです。
聖書において、人間が最初に犯した罪は、愛である神との交わりに背くことでした(創世記第3章)。そして、その結果、人間は本来の生き方である「神との交わりの中に生きる」ことが出来なくなり、不幸に陥ってしまったと聖書は教えています。
次に聖書におけるゆるしについて確認しましょう。聖書において、罪を完全にゆるすことが出来るのは神だけです。そして、神との関係を元通りにすることが出来るのは、愛である神から恵みとして与えられるゆるしだけです。人間の側で出来ることと言えば、神が罪をゆるしてくださる方であると信じ、その神に向かって心を開いてゆるしを願うことだけです。旧約聖書のサムエル記には、ダビデ王は家臣の妻と関係を持ち、しかもその家臣を死に追いやってしまったことが書かれています(サムエル記下第11章)。ダビデが自分の罪に気付かされたときに唱えたとされる詩編の第51編を読むと、本当に自分の罪をゆるすことの出来るのは神だけであると信じていることがわかります。また、この詩編の中で、ダビデは「主よ、わたしの唇を開いてください。わたしはあなたの賛美を歌います」と言っています。ダビデはこの後、神によって罪をゆるされるのですが、その前から罪をゆるす方である神を信頼し、賛美しているわけです。
さて、ゆるしの秘跡に話を戻しましょう。聖書のメッセージを念頭において考えてみると、わたしたちがゆるしの秘跡を受けるときにどのようなことを心がけるべきかが見えてきます。ゆるしの秘跡には大きく分けて、痛悔、罪の告白、償い、ゆるしの4つがありますが、この中の痛悔と罪の告白について考えてみます。「痛悔」は「悔い改め」とも言われ、ゆるしの秘跡の中で特に重要な部分ですが、何を悔い改めているのかが大事になります。聖書における罪の理解から考えれば、焦点をあてるべきは、わたしたちを愛してくださっている神との関わりになります。自分のしたことや、そのときの心の動き、そしてそれによって引き起こされた結果などを、自分の良心に照らして振り返ることも、もちろん大切になってくるのですが、その際に「神との関わり」という視点がなければ、聖書が求めている悔い改めにならず、ただの反省や後悔になってしまいます。罪の告白も、ただ自分がしたことや自分の思いを述べるというだけでは、不十分です。ダビデがしたように神に向かって心を開き、わたしたちの罪を愛ゆえにゆるしてくださる方を信頼し、犯した罪を悔い改めてゆるしを乞い願い、賛美と感謝をささげることこそが、ゆるしの秘跡を本当の意味での「神とわたしの関わりの場」にし、「神とわたしのいやしの秘跡」にするのです。もちろん、これを実践するのは簡単ではないかもしれません。しかし、完全に実践することが出来ないからといって、ゆるしの秘跡から離れてしまうのは、ますますいつくしみ深い神から遠ざかってしまうことになります。たとえ、わたしたちの準備が不完全であっても、神はゆるしの恵みを与えてくださるのですから。神からの最高のプレゼントである秘跡の恵みをもっとよく味わうために、わたしたちは自分のゆるしの秘跡の準備や受け方についてよく考え、見直していくことが必要なのではないでしょうか。
典礼におけるひかりの意味
善行 岡村
「キリストの光、神に感謝」と唱えるように、ローソクの光はキリストが今ここにあるしるしの一づとしてミサ聖祭の中にあります。そして、ことばの典礼と感謝の典礼の二つからミサ聖祭はできていますが、それは人となられたキリストが、私たちのところに来られ行われたことの蠣序をあらわしています。はじめに、いのちの言葉として行われ、次に私たちのためにいのちを父に捧げ、死んで復活され、人となられたキリストを示されたのです。ミサ聖祭に二つの祭壇があるのはそのためです。そして、キリストが今ここにあるしるしの一つとして、その時々にローソクが灯されます。
4年前、テハン神父が試みられた聖堂内の配置は、ミサ聖祭のすがたを私たちに見事に示されました。二つの祭壇は、離れた場所にあり、ことばの典礼が終わると、感謝の典礼の祭壇を目指して、人となられたキリストは私たちの中を歩まれます。それは、まさしく十字架の道行きでした。「神は、人の敗北の中を通ってその勝利へと歩まれる。」入堂の時も十字架の道行きの時も、十字架とローソクの光と聖書とが同行しました。その試みによって、人となられたキリストが私たちの中を歩まれる姿を見るという大切さを教えられました。その歩まれた日々の姿を福音書は伝えているので私たちはその日常に重ねて、夫れぞれキリストを受け止めることができます。
「私たちの中を歩まれる」について、ではどのように歩まれるのでしょうか。キリストの光は私たちの何を照らしているのでしょうか。十字架は何を示しているのでしょうか。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」マタイ18:20を、人となられたキリストの名(はたらき)の一つ、インマヌエル・神は共に居られる、に結び付けて、どのようにして共に居られるかと問い続けてきてようやく気付きます。神は、「いのちの交わり」として常に私たちと共に居られる、と。「いのちの交わり」として福音書を読むこともできます。そして、もし復活したキリストによる派遣がなかったら、私たちがキリストのからだになる意味もありません。(ヨハネによる福音20:21〜23)
2006年初秋、聖堂入口に「鈴木神父と一緒にスケッチに行きませんか」というちらしが置いてありました。行き先は腰越漁港。我家から近いし、行ってみようか、と思いましたが、中学の図工の時間で絵を描いて以来、絵筆を握ったこともなかった私でも参加できるのか、わからないまま、とにかく道具(絵の具、スケッチブック、鉛筆など)を揃え、10月3日集合場所の片瀬江ノ島駅に行ってみました。集まったのは、鈴木神父様ほか私を入れて3人でした。小春日和の中、漁港の防波堤の上から、無我夢中で江ノ島を描いたことを思い出します。それ以来、毎月原則第2火曜日を定例写生会の日として、今日まで続いています。近くの海、公園、街に出かけていき、各自思い思いの場所でスケッチします。描き終わった絵を並べ、神父様からアドバイスをいただき、感じたことを分かち合います。会を重ねる毎に参加人数も増え、今では総勢23人となりました。メンバーには藤沢教会のほかに大船、中和田、磯子教会の方もおられます。一緒に描くことを楽しみながら、メンバー間の交わりも深まっています。
最初の写生会に参加した3人の中に田邊徳成さん(大庭)がおられました。田邊さんは学校で絵を専門に勉強された方でしたので、師範代として会の発足当初からいろいろとお世話をしてくださっていましたが、残念なことにご病気のため2008年10月帰天されました。「アートグループ・K」と言う会の名称は田邊さんが名付け親で、無論、Kは師匠である勁介神父様のKです。2007年11月に教会のセンターホールで初めての作品展を開催、その後2008年4月の第2回以降、毎年藤沢市民ギャラリーで開催しています。作品展を通して多くの方に絵を楽しんでいただければ幸いです。
(世話人 鵠沼2区 小藤)
合葬の園から(6)竣工しました。
建設委員 辻垣
9月15日早朝、静岡県天竜森林組合から納骨棚が搬入され、同日組立て設置されました。1つ1つに骨壺が収まるように、各々の扉に番号と鍵がセットされています。地元の桧材で製作され、合板は使われていませんから、その香りがいっぱいです。
楢材による玄関ホールの両開き框戸など木建具も入り、ステンレスを加工した取手も彫刻家・早川榮二氏によってセットされました。
17日、建設委員会による竣工検査があり、20日に引き渡されました。2坪の便所棟も木造で同時に竣工し、身障者用の共有トイレと物入れ機能を備えています。外構はアプローチ、駐車スペースが砕石で転圧され、建物廻りが管理上一周できるように、階段や木柱による手摺も設けられました。斜面補強工事90uに及び、汚水管接続、別途電源の確保などは追加工事として完了しています。
コンクリートの冷たさもなく、木造に見える外観。祭壇や十字架も現地伐採木が使われていますから、新米とは思えない程、空間に馴染んでいます。桧の椅子も20脚
壁際にセットされ、ゆったりと黙想もできそうです。一度お試しください。
朝礼拝室に入ると南正面の十字架の上にトップライトの光が映り、時刻によって漆喰の壁面を移動するのがわかります。
延べ7年の歳月を掛け、多勢の方々のサポートを受け、竣工することができました。大工さん、左官屋さん、板金屋さん、鉄骨屋さん、鉄筋屋さん、型枠大工さん、多くの職人さんが大矢主任の元、良い仕事をしてくれました。(株)門倉組に感謝!
何よりもこの土地を提供し、温かく見守って下さった聖心の布教姉妹会に感謝!修道院の教会建て直しと偶然合致したこの不思議なタイミングを与えてくださった神様に本当に感謝致します。
なお、「合葬の園」の看板の文字は当教会の篠沢さんにお願いし、これから入る正面脇の2枚のステンドガラスは倉橋美和氏によってデザインされます。お楽しみに。
10月ロザリオの月
レジオ・マリエ
キリストの救いのわざに協力した第一人者・聖母マリアへの崇敬は、初代教会からすでに始まっていました。マリアは人間でありながらも、神の特別な恵みを受けて救い主・キリストの母となるために選ばれたこの女性の姿は、神に対する心からの従順を示すものとして、またキリスト信者の生き方の模範として、さらには父なる神に取り次いでくれる助け主として特別に崇められてきました。
そのマリアに対する祈りの中でも、幾世紀にもわたって大切にされてきた信心として、ロザリオがあります。この祈りを歴代の教皇はたびたび言及し賛えています。ピオ11世教皇は「われわれが神の御母に向かって唱えるいろいろな、そして有益な祈りのうちで、聖なるロザリオは特別な、きわめて主要な地位を占めていることを知らない信者はない」(回勅「イングラヴェシェンティブス・マーリス」)といっています。また2002年10月16日に教皇ヨハネ・パウロ2世は、使徒的書簡「おとめマリアのロザリオ」を発表されました。「喜び、苦しみ、栄えの神秘」に「光の神秘」を加え、この祈りを通してより豊かにイエスの生涯の神秘に触れることができるようになりました。
ロザリオの信心は、聖ドミニコ(1170〜1221)が異端と戦っている時、聖母マリアからの啓示を受けたのが始まりだとされています。さらにドミニコ会士らがこの信心の普及に尽くしたことも大きいようです。一定の形式の祈りを連続して唱える修道会での習慣が何時でも、何処でも、誰とでも自由な形でできることから次第に信徒の中に浸透してきたと考えられます。10月7日は「ロザリオの聖母」の記念日ですが、これは1571年のギリシア・レパントの海戦でキリスト教徒がオスマン・トルコ軍に対して勝利を収めたことを記念して、聖ピオ5世教皇(1566〜1572)によって定められました。この勝利は、ロザリオの祈りによってもたらされた聖母の助けによるものであると信じられています。またレオ13教皇(1878〜1903)は10月を「ロザリオの月」と定めました。ロザリオということばは、ラテン語でバラのリースという意味があります。それはイエス様の生涯、受難、復活、光の神秘とマリア様の生涯と関係する神秘について黙想しながら聖母にさしあげる霊的なバラのリースのようなものだからです。この「祈り」をともに献げることを通して私たちは、キリストのみ名のもとに連なる環として一つに結ばれて、共同体を造り上げていきたいものです。
藤沢教会では、毎主日の午前8時から203号室で、毎水曜日9時のミサの後にロザリオの祈りを共に祈っておりますが、10月と5月聖母の月には、毎主日のミサの前に一連と、毎金曜日の午後7時から一環を祈っております。環を拡げてまいりましょう。
(文責 善行 浅野)
長い酷暑も去り、空気の頬にやさしい季節になりました。2011年カレンダー、手帳を各種取り揃えました。お早めにお選びください。 「わたし 行きます」―回想 ヘルムート・ウルフ先生 「健やかな心と体で生きる知恵」 「神父燦燦」 |
本誌前月号に「ある浦上キリシタン家族の記録」」と題して投稿をいただいたアロイジオ中島 驥(なかしまちさと)様は8月21日帰天されました。8月上旬この原稿についての当編集部との打ち合わせにお元気に応じ、当時の話をされて、更に浦上天主堂再建秘話についても書こうかと言っておられました。今回が遺稿となりましたが、貴重な長崎原爆被災の経験を寄稿いただいたことに感謝し、永遠の安息を心よりお祈りいたします。(編集部) |