八 角 形 に ゅ ー す

2012年2月8日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

聖書雑感・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・教会委員長 前山

教会委員会報告(1月21日)

2012年教会委員会・活動部新役員

副委員長を引き受けて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 岡田

第5地区証し部門2012 分かち合う集い・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 牧野

幼児洗礼を終えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 中島

2011年大震災復興支援バザー収益金について・・・・・・・・・・バザー企画委員会 牧野

2011年バザー収益福祉分配先・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・福祉部 曽根 

横浜オリーブの会からのお礼とお願い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・横浜オリーブの会会長 樫原

石巻教会のクリスマス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 鶴田

HELP喫茶

「脱原発世界会議」に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 森田

がりらや便り

小田原郊外にあった敵国人抑留所・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 高木

横浜天主堂献堂150周年の祈り

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聖書雑感
教会委員長 前山

昨年に合本が出版されたフランシスコ会訳の聖書を、注釈があること・読み易いとの評判もあり、入手してみました。

聖書私の学生時代にはバルバロ神父訳の新約聖書しかありませんでしたが、注釈がついており理解の助けになりました。その後、共同訳聖書の時代になりました。プロテスタントとの共同使用のため注釈がなくなってしまい、浅学な私には理解し難い箇所も数多くありました。み言葉を正しく理解するには解説があった方が良いのにと思っていました。

フランシスコ会訳聖書を手にしてまず感じたことは、大きくて重いということでした。以前出版した分冊の注釈を簡略化して合本化したということですが、それでも新共同訳と比べて約3割もページ数が増えています。日常気軽に手にするのは、チョッとしんどい感じです。今後、電子データ化などで軽量化されれば、より気軽に親しめるかと期待しています。

さて、せっかく入手したフランシスコ会訳ですので、従来の新共同訳を読み比べてみました。
山上の説教(マタイ第5章)の冒頭部分は、

新共同訳 「心の貧しい人々は、幸いである、 天の国はその人たちのものである。」
フランシスコ会訳 「自分の貧しさを知る人*は幸いである。 天の国はその人たちのものである。」
*「自分の貧しさを知る人」は、一般には「心の貧しい人」と訳されているが、直訳では「霊において貧しい人」。人を幸福にするものは、自分の力で手に入れられるこの世の富ではなく、祈りによって神から与えられる恵みだけである。

"心の貧しい人"との翻訳が広く使われているようですが、その意味は? 注釈を読んでみて少しは理解出来るような気がしました。

なお、大船渡市の信徒、山浦玄嗣氏のケセン(気仙)語訳では
「頼りなぐ、望みなぐ、心細い人はア幸せだ。神さまの懐に抱がさんのアその人達だ。」

とありました。原文からの意訳だそうで、ケセン語は理解できませんが、ニュアンスが何となく伝わってきます。その地方の方にはピンとくる翻訳とのことです。教会の認定したものではないようですが、こんな訳も面白いと思います。

聖書の翻訳にはいろいろな種類があり、これは理解し易い、こっちの方が黙想し易いなど比較されることもありますが、神さまの語りかけをどう受け止められるかが大切なのだと思います。個々の言葉にとらわれることなく、祈りと共に読み、黙想し、神さまの声を聴くことが一番重要なのでしょう。

「八角形にゅーす」1月号の鈴木神父様の断章に「聖書を読んでも理屈が頭の中に出てくると神の呼びかけがピンとこない」とありました。理屈に走りがちな私としては、心して聖書と付き合っていきたいと思っています。



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教会委員会報告(2012年1月21日)

<報告事項>

1.財務関係

昨年度の実績集計報告(中間)があった。信徒総会に向け最終詰めを急いでいるが、献金が右下がりで減る傾向は続いている

2.営繕関係

今年度の予定になっている教会聖堂内アスベスト除去工事について検討をした。2006年時見積もりでは、除去工事で1,800万円、封じ込め工事で500万円であった。それから時間も経っているので、最新工法の検討や、再見積を行い、アスベスト対応を図ることになった

3.合葬の園

申し込みがこのところ減少しているので、近く改めて呼びかけを考えている

4.湘南台センター賃貸借契約更新完了

2年ごとの更新を完了した。次の更改は2013年12月末

5.ブロックの行事・ミサ当番方式変更

今年から1カ月ごとに行事、掃除、ミサ当番を担当する方式になり、北地区担当でスタートした

6. 3部門連続講座

12月末は、外国コミュニティーによる各国クリスマスの話があり、好評であった。次回は3月であるが、大震災1年目になるので関連したテーマを考えている

7.幼児洗礼式

昨年12月25日(日)9時30分ミサ中、7名の幼児洗礼があり、その後、祝賀パーティーが催された

8.市内キリスト教連絡会合同祈祷会

キリスト教一致のための合同祈祷会が1月21日(土)に日本基督教団片瀬教会で開催される。トゥ神父が説教を担当

9.第5地区福祉(証し)懇談会

1月22日に片瀬教会で開催される。尚、今までは福祉懇談会と呼称していたが、今回「証し」を入れることにし、今進めている3部門との連携をクリアにする

10.信徒総会

2月5日(日)9時30分ミサ後一年に一度の信徒総会を予定している。第2部の分かち合いテーマは「もっと楽しい教会にするには?」終了後お汁粉サービスがある

11.横浜教区春期典礼研修会

2月11日(土・祝)10時より藤沢教会にて教区典礼研修会が開催される。多くの方の参加を希望する。講師は白浜満神父、カンペンハウド神父

12.湘南キリスト教セミナー

今年5月26日(土)に講師にイエズス会の片柳神父(六甲教会)をお招きし、「マザーテレサの教えを今の日本にどう生かすか(仮題)」で開催

<承認事項>

教会に集まっている震災募金の向け先を仙台と福島のサポートセンターと福島県の「桜の聖母学院」の3カ所とする。現在の残高約290万円を仙台と福島に各95万円、桜の聖母学院に100万円とすることについて承認した。尚、今後引き続き震災支援募金は続けていく

<ブロック・活動部>

(鵠沼)拡大ブロック連絡会を1月22日に開催し、新しい当番方法などについて打ち合わせ予定

(辻堂) バザーの収益金から178万円を宮城県の震災遺児育英基金に送った

(北1)例年通り黙想会を計画したいが、会場をお願いしている聖園の予定が決まらないと日程が固まらない。固まり次第改めて呼びかけをする。これにはブロックを超えた参加を期待する

(北2) 2月26日にブロック集会を予定している

(福祉部)4月22日に福祉バザーを予定している。また、震災復興支援ボランティアが少なくなってきているので、教会からも長期的にボランティア支援をしていきたい。派遣支援への交通費支給、廉価な交通手段なども検討したい

(宣教部)
・ 湘南台センターの昨年末までの献金累計は約123万円。1月28日に今年度の予定を練る
・ 売店棚卸しは1月9日に30名ほど参加し終了。昨年の売り上げは約1,200万円
・ 今年の堅信式は司教様をお招きし10月7日(日)に予定。準備講座は4月から半年間開催予定

(教育部)
・ 1月8日から新学期が始まっている。また、クリスマスのミサでは聖劇も行った
・ 恒例の5、6年生のお泊り会を2月25、26日に行う。また、中高生会では3月24、25日に藤沢教会で山梨県の4つの教会の中高生と合宿を行う

<将来ビジョンの話し合い>

これまで活動部中心の話し合いがもたれ、今後のビジョンのたたき台を作成中である。これからは、ブロックも入り、信徒全員へと浸透を進めていく。基本方針案として次の4点を挙げたが、これについて今後教会委員会を含めて全信徒で考えていきたい

1.信徒が自ら築く教会
信徒は司祭、修道者と協力し共同宣教司牧に励む

2.信仰を豊かに分かち合う教会
個人の信仰から共同体としての信仰へ、信徒が積極的に典礼に参加すること

3.新たな担い手を育てる教会
新しい人、若い人、外国籍の人の居場所を用意する

4.一人一人を大切にし、社会に開かれた教会
藤沢教会の地理的有利さを生かした活動を進める



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2012年教会委員会・活動部新役員

主任司祭 鈴木  
事務局長 川辺 
教会委員   
 委員長 前山 (鵠沼2)
 副委員長  岡田 (藤沢1)
   〃 浅野 (善行)
   〃 鶴田 (藤沢1)
 財務部長 押木 (湘南台)
 鵠沼ブロック 清水 (鵠沼3)
   〃 小藤 (鵠沼2)
   〃 福井 (鵠沼1)
   〃 井上 (鵠沼2)
   〃 牧野 (鵠沼3)
 藤沢ブロック 家田 (藤沢1)
   〃 井上 (藤沢2)
 辻堂ブロック 佐々木 (辻堂2)
 北1ブロック 大泉 (六会)
 北2ブロック 矢部 (長後)
活動部長 
 宣教部長 牧野 (鵠沼3)
 典礼部長 浮田 (辻堂1)
 教育部長 平山 (藤沢3)
 総務部長 沼波 (六会)
 国際部長 秋元 (湘南台)
 福祉部長 曽根 (藤沢2)
 広報部長 竹内 (大庭)



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副委員長を引き受けて
藤沢1区 岡田

この度、前山新委員長からお声掛けいただき、副委員長に就任致しました。2年間、宣教部長として共同宣教司牧フォーラム、3部門共同連続講座、将来ビジョンを担当し、現状認識に基づく変革の必要性を感じてきました。一方で神様の救いのみ業に比べれば、自分の働きはケシ粒にもならないと感じます。この感性を忘れず、皆様と共に救いのみ業に一層導くものを識別し、実現できますよう、お力添えよろしくお願い申し上げます。

善行 浅野

12月の初金の例会で、「次年度の教会委員長が決まりました。」と言う報告を聞きながら、あの時、前山さんは高校の制服を着ていたな…と、初めて会った丘の上の教会時代を想い出していました。次の日曜日の朝、聖堂前でパッタリ。「教会委員長を引き受けて下さってありがとう」と挨拶をしました。「それで、実は浅野さんを待っていたのです」「…」

何日もどうお断りをすればいいのか、考えていました。その頃「聖書100週間」でモーセの召命のところを読んでいました。黙想の中で無難なところに自分をおこうとしていることに気づかされました。

こんな小さな器だけど「私を必要としてくれた」この呼び掛けに素直になろうと思えたのです。新委員長のスタートがスムースに滑り出せるように協力をしよう。50年もお世話になったこの共同体のために、まだ必要とされることがあるなら素晴らしい。家族も背中をおしてくれました。委員長の支えになれるように、ハンドルはキリストに委ねて、共同体の良いところ探しの旅に出かけようと思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。

藤沢1区 鶴田

忙しい毎日なので、勤まるかと不安ですが、皆様に助けていただき頑張ります。

私は結婚や子育てという標準的?な女性の生き方をしてこなかったこともあり、長い間教会の中で居心地が悪く「場所がない」と感じてきました。副委員長を拝命した今、殊に外国人はじめマイノリティ(少数派)や「居場所がない」と感じている方、「忙しい、余裕がない」方も参加できる多様性のある教会目指して力を尽くします。ご支援をお願い致します。

教会委員
岡田さん   前山さん   鶴田さん   浅野さん



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第5地区証し部門2012 分かち合う集い
鵠沼3区 牧野

1月22日(日)14〜16時、片瀬教会にて標題の証し部門の集いが開催された。従来は第5地区内各教会の福祉担当者からなる福祉連絡会の集会であったものを、昨年から「証し」を意識したものとし、今回は第5地区証し部門と共催する形で「共に気づき合いましょう、あなたも私も証ししています」のテーマで行われた。参加者は司祭3名、修道女1名、信徒42名(藤沢からは10名)であった。

初めに片瀬教会マリオ神父様のご挨拶があった後、各小教区の福祉(証し)担当者からこの1年の活動についての報告があった。第5地区7教会はそれぞれ、東北被災地支援、福祉・高齢者施設でのお手伝い、ホームレスの方への支援、教会内高齢者の方のお世話、福祉バザー開催など多方面にわたり継続的活動をしていることが話された。

続いて、数名ずつ8グループに分かれて分かち合いが行われた。分かち合いのテーマは自由に決めていただいたが、「被災地支援」、「高齢者」、「障害者」に関するテーマを選んだグループが多かった。各テーマで身近な活動で気付いたことをお互い分かち合ったが、課題は尽きないこと、人のつながりを大切にし、地道に活動を続けることが大切であることなどが再確認された。中でも地区外の鎌倉雪の下教会から参加された方から、昨年の大震災の際に、直ちに支援のための「雪の下プロジェクト」を立ち上げ、40代の層を中心とした広い年齢層の協力により継続的支援活動を行っているという話があり、皆強い印象を受けた。

最後に、大船教会久我神父様から次のような厳しい激励のお言葉があった。「司教様の言われる『神の愛を証しする力を育てる』ということの理解が不足している。証しすることと証しする力を育てることは違うものである。自分たちが証し(福祉)活動をしているからそれでよいというものではない。証し活動を広げるためには、一人が同じことを長く続けてはいけない、他人に、特に若い人に役を委せることが大切である。そして、見えないところ、まだできていないところからの神の言葉に耳を傾けることである。この恵まれた第5地区の中で証しする力が育つため、皆が回心するように。」

お開きの後は、信徒会館でお茶をいただきながら、参加者同士の交流を深め多くの気づきとお恵みに感謝しました。素晴らしい会場の提供と準備をいただいた片瀬教会の皆様にこの場を借りてお礼申し上げます。



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幼児洗礼を終えて
藤沢1区 中島

昨年12月25日、長女・絃菜は幼児洗礼を受け、無事教会の一員となりました。神父様、スタッフの皆様、教会の皆様方に大変お世話になりました。誠にありがとうございました。

「幼児洗礼は親が勝手に行うこと」トゥ神父様との面接で説明を受けました。確かにそのとおりだと思います。実際に私も幼児洗礼を受けました。しかし中学校・高校と他に楽しい時間ができると教会に通う機会がなくなっていき、最近では教会やキリスト教の教えとは疎遠になっていました。恥ずかしながら堅信も受けていません。しかし祖母・中島享子、祖父・中島チサトの葬儀という形で教会に久しぶりに足を運び、キリスト教の教えに久しぶりに触れる機会がありました。その中でふと「自分の根幹にあるのはキリスト教なんだ。今まで知らず知らずのうちに支えられていたのかもしれない」と感じ、自分の子供にも幼児洗礼を受けさせようと決意しました。今から思えばこれが祖父母からの最後の教えだったのかもしれません。

我が子・絃菜がこれからこの厳しい時代を生きていく上で、本当に困ったとき、自分の力ではどうにもならなくなったときが何度も訪れると思います。そのときに立ち返る考え方の候補のひとつにキリスト教の教えがなったらと願っています。そして本当にキリスト教を生涯の信仰とするかは本人が成人になったとき決めればよいと考えています。

これからもう一度自分の信仰も見直して、絃菜とともに勉強します。その中で教会の皆様のお力をお借りすることもあるかと思います。どうか親子ともどもよろしくお願い申し上げます。



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2011年大震災復興支援バザー収益金について
バザー企画委員会 牧野

昨年10月に開催した2011年復興支援バザーは、皆様のひとかたならぬご支援、ご協力で300万円余の収益を上げることが出来ました。ここに改めて深くお礼を申し上げます。

この収益金の配布は、皆様方とお約束をしたように震災遺児の支援のために、「東日本大震災みやぎこども育英基金」の寄付口座に1,778,343円を昨年末寄付致しました。これに対して、宮城県知事村井様よりお礼状と受領書を頂いております。

受領書

また、地域の福祉団体には都合137万円を、その内77万円を近隣の福祉団体へお送りすることにしました。一方、辻堂ブロックの方が事務局長のアジア学院は被災されたため、福祉部とも相談の上、今回は50万円をお送り致しました。137万円の内訳は、福祉部の報告をご覧ください。

バザーはこれですべての勤めを終えましたが、皆様からお預かりした貴重な善意を役立てていけるように引き続き何か出来ることがあればと思っております。その最初の一つとして、辻堂ブロックのバザー企画委員を中心とした有志による「石巻を支援する会」が立ち上がりました。その責任者は辻堂3区の野村さんです。この会は藤沢教会で毎月第2,第3日曜日に開催される福祉コーナーの中で、仙台味噌・醤油や福島のエゴマ味噌などの販売を致します。復興支援は長く続けていく必要があります。どうぞ引き続きご支援いただきますようよろしくお願いいたします。長いこと本当に皆様ありがとうございました。



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2011年バザー収益福祉分配先
福祉部 曽根

このたびは福祉のために皆様から温かいご支援を頂き、心から感謝申し上げます。福祉部会で2回にわたり意見交換を行い、以下のように決定致しました。昨年の12月22日までにすべて送金を完了し、先方にはよいクリスマスプレゼントとなったと思います。

バザー収益福祉分配先



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横浜オリーブの会からのお礼とお願い
横浜オリーブの会会長 樫原

昨年、皆様藤沢教会より私共横浜オリーブの会は多大なご寄付を戴きました。私共の会は家族の会員からのみ年1,000円の会費を戴くという形で運営しておりますので、運営資金がわずかのため皆様のご寄付は本当に助かりました。本当にありがとうございました。こころから御礼申し上げます。

この横浜オリーブの会は精神の病で苦しむ当事者、家族の癒しのカトリックの会でございます。横浜教区福祉委員会傘下にありまして、福祉委員会担当司祭でおられる芹沢神父様のご指導の下に鎌倉カトリック雪ノ下教会で奇数月第2土曜に集まり、分かち合いの会を行っております。ほとんどの皆様はあまりご存じないかもしれませんが、精神の病を患っておられる方は全国で320万人を超えており、仮に、お一人のご病人が二人〜三人の家族とお住まいであるとすると約1,000万人以上の人達が病にかかわり苦しんでいることになります。こうした方々のほとんどは、病気についての十分な理解が行き届いているとは言い難い今日の社会にあって、人に知られまいとひっそりと隠れるようにして、肩身の狭い思いで生活しているのが現実でございます。多くの当事者は家に引きこもって社会と断絶して何年も過ごしているのが実情です。中には希望を失い自ら命を絶つ人さえおります。そういう人知れず一人で苦しんでおられる方々に、同じ苦しみにある人がいること、そして、苦しんでいるのは自分だけではないことを知ってもらい、苦しみを分かち合って戴けたらどんなにか救いになることかと思い、梅村司教様のご許可を戴いて会を立ち上げ、今年で5年になります。

精神の病は、薬の進歩で症状は驚くほど改善されるようになって来ておりますが、一人社会から取り残されている孤独の苦しみは神様のあわれみによって取り除いて戴かない限り自分の努力だけではどうすることもできません。社会の受け入れと神様の支えが必要です。カトリックの会として当会は、神様への信頼のもと、信仰のこころをもって活動を進めております。例会では今ここに神様もおられるとの思いを持って心を開いて自分の苦しみを語り、また、他の人の話に耳を傾けて癒され、福音朗読と福音説教を聞き、アヴェマリアの祈りをもって終了致します。

横浜オリーブの会とはこのような会でございますが、皆様にお願いがございます。皆様の身近な方で精神の病で苦しんでおられる方がおられましたら、精神の病で苦しんでいる人のための癒しのカトリックの会、横浜オリーブの会があることを紹介して戴きたいと思います。苦しんでおられる方が少しでも癒された思いになってくれればと願っております。横浜オリーブの会への問い合わせ先は、下記の事務局でございます。どうぞご遠慮なくご連絡ください。また、当会では会の活動にご協力戴ける方を賛助会員として募集しております。こちらの方も事務局までお問い合わせ戴ければ幸いに存じます。

<横浜オリーブの会事務局>
236-0052 横浜市金沢区富岡西5-38-11 山本方
Tel:045-774-9382  Fax:045-774-9712
Eメール : otomamayqd5.so-net.ne.jp (マーク大文字になっています。メール送信時は小文字 @ に。)



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石巻教会のクリスマス
藤沢1区 鶴田

石巻教会昨年のクリスマスイヴは石巻教会の7時のミサに預かりました。私の所属する医療ソーシャルワーカーの団体が石巻の仮設住宅の方たちへ支援活動を行っているのに12月の3連休に参加したときのことです。一緒に活動していたソーシャルワーカーが「子供のころ日曜学校に行ったことがあるので、私もミサに行ってみたい」というので、一緒に刺すような寒さの中を出かけました。石巻教会は赤い尖塔のある可愛らしい教会で、マリア様のステンドグラスが外からも輝いてみえました。高台にあるため、避難所やサポートセンターとなっていたようです。ミサには100人位の方が参加されており(普段は30人位だそうです)とても明るい雰囲気でした。でも神父様がミサの最初に「天に召されたみたまも、今日このミサに一緒に与かっていらっしゃるでしょう」とおっしゃった時、この明るい可愛らしい教会の負っているものの重さに胸を衝かれました。お説教では併設の幼稚園の園長先生でもある神父様が入園のための保護者の面接をした時、ある保護者が、なぜこの幼稚園にこどもをいれたいと思ったかというと、津波が来て高台に逃げていくとき、幼稚園で「どうぞお入りください」と呼んでくださった。そのとき真っ暗な中、幼稚園バスの常夜灯だけがぽつんと明るかったのを見たからだといわれたと話され、「闇が深ければ深いほど、小さな光でも輝く」とおっしゃったのが深く心にしみました。

ミサのあとのパーティが幼稚園のホールで開かれました。手作りのいなり寿司やサンドイッチなどがならび、子供たちが走り回ってにぎやかでした。教会委員長さんらしき方が「前にも藤沢教会の方がいらっしゃいましたよ」と話しかけてくださり、片瀬教会ご出身で岡田さんのお友達というシスターにもお会いしました。藤沢で販売している仙台味噌の山形屋さんにはお会いすることが出来ず残念でしたが。フィリッピンの方たちも多く、藤沢教会で教わってきたタガログ語で「メリークリスマス」の挨拶をして、ウケました? 皆さんとても親しみやすく、私も、はじめてミサに来た同僚も、すっかりくつろいだ気分になりました。でも神父様が幼稚園のこどもの一人が津波で行方不明になり、やっと最近ご両親が決心してお葬式をされたこと「その子が昨日遊びに来たような気がしたんですよ」とおっしゃったときは言葉もありませんでした。

大きな大きな傷を負いながら、でも明るく暖かい石巻教会の皆さんの中に、幼いイエス様が希望の光として確かにいらっしゃると感じ、私もそのイエス様を抱かせていただいたような重みを感じました。この方達そして被災地の皆さんのことを決して忘れてはいけない、そして深い闇の中でも小さくても「希望の光」が確かにあることを信じ、それをいただき伝えていきたいと願いつつ、雪の舞い散る中、教会を後にしました。



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HELP喫茶

2011年のHELP喫茶の売り上げは47,000円でした。全額を教会事務局に献金させていただきました。近隣のこまっている方々のために使っていただくことになっております。みなさまのご協力本当にありがとうございました。今年もよろしくお願いいたします。



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「脱原発世界会議」に参加して
辻堂1区 森田

パシフィコ横浜で1月14日、15日の2日間に亘り、「脱原発世界会議」が行われ友人に誘われて参加しました。

脱原発世界会議

その友人は、脱原発についてインターネットで調べその都度情報を提供して下さり、この度の会議は市民が参加できるということで両日参加しました。各部屋では、同じ時間帯に多くのプログラムがあり、右往左往しながらいくつかの部屋に参加しました。初日は、国や老若男女を問わず5千人の参加者で溢れていました。

脱原発世界会議その中の1つ、「世界のヒバクシャから学ぶ」の部屋に参加しました。オーストラリアから、先住民アボリジニの男性が登壇されていました。ウランの輸出量はオーストラリアが世界の3分の1を占めている。勿論日本も輸出先である。そして輸出していることを申し訳ない、と言われたのです。自分の母と祖母はイギリスの核実験で被爆したと。ウランはもう埋蔵されたままにしておいてほしい、これ以上輸出しないように!と強く訴えておられました。その後だったか、郡山から横浜に避難している小学4年生の富岡悠吏君のメッセージは大人顔負けの堂々たるものでした。「国の偉い人たちに言いたい。大切なのは僕たちの命ですか、お金ですか。原発より安全なエネルギーがある。原発はいらない」と。昨年の3月11日以来、ずっと原発のことを考え続けています。何かどこかおかしいと思いながらも、いつの間にか快適な生活にすっかり慣れてしまっている自分がいます。石川県から来られた若い女性の方も、便利な生活に戻ってしまい、ふと気が付くと被災された福島の方々とのギャップに驚かされた。このままではいけない、原発のことをもっと知らなければという思いで一人で参加されたそうです。

翌15日、「ふくしまの部屋」に参加しました。一人の福島から来られた女性の話です。被災された方たちの中には、もう疲れ切ってしまい、親切も要らないお金も要らないと何もかも無関心にになってしまった方も多いということです。私の想像にあまりあります。午後、「脱原発・首長会議」を傍聴しました。南相馬市の桜井市長と5人の首長方(世田谷区長、国立元市長、静岡県湖西市長、牧之原市長、新潟巻町元町長)が登壇されました。桜井市長は、「原発事故を二度と起こさないために脱原発を力強く口にするようになった」と発言されました。そして、「脱原発市区町村長会議」を結成することになりました。

「核燃料サイクルから段階的に脱却し、原発を廃炉にする工程表を作る」

これが「横浜宣言」です。私は、原発が人間の手に負えない恐ろしいものであるということを30年ほど前からインプットされていました。その頃、土地の名前は忘れましたが原発建設反対の署名運動をしたことを覚えています。日本に原子炉が導入されたのは、1957年の8月東海村だったと記憶しています。即脱原発の思いを新たにし、2日間で1万5千人余りの参加者の熱気が、そのまま国の指導者にウエーブのように届くようにと願いながら寒い夜の横浜を後にしました。  

私たちは、神から命を、自然をいただいています。支配の意味を誤解するのではなく、必要なだけの他の命を押しいただきながら自然の秩序を保っていくことだろうと思います。マンモン(お金)の神に従うのか、私達キリスト者の命のもと御父である神に従うのか、今私たちは二者択一を迫られているのではないでしょうか。



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がりらや便り

寒い日が続きます。しかもサハラ砂漠より乾燥しているとか。皆さまお風邪など召されませぬようくれぐれもご自愛ください。

「崩壊の時代に射す光」         
星野正道著   オリエンス宗教研究所発行   1,470円

―ヨブとミツが立つ世界の中で―との副題の通り旧約聖書「ヨブ記」と遠藤周作の作品「わたしが・棄てた・女」を素材に、白百合女子大の教授でもある星野神父が、神そして福音の意味を説き明かし、様々な困難に直面する現代人に寄り添う希望のメッセージを送ります。キリスト教への道案内としても最適


「塹壕の聖母―光といのちと愛」
絵・文 場崎 洋   ドン・ボスコ社発行  1,470円

1942年スターリングラードでソ連軍に包囲されたドイツ軍が塹壕の中で迎えたクリスマス。軍医クルト・ロイバーの描いた聖母子画は、絶望的な状況の中で仲間たちに生きる希望をあたえた・・・実話をもとに命の尊さ、平和の意味を伝える札幌教区司祭の絵物語



「ボクの言い分―神父様だって投書しちゃう!」
水浦征男著   フリープレス発行  1,260円

愛と正義の伝道者としてこの現実を見逃せない!そんな思いをカトリック司祭が訴えた道は新聞投書だった。「28年、500本の新聞投書」から選び抜いた242通





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小田原郊外にあった敵国人抑留所
鵠沼3区 高木

昭和の時代になってからのマリア会山荘は同じく足柄上郡北足柄村大字内山字山ノ上に再建されました。それは二棟あり一棟は洋風の木造2階建(88坪)であり、他の一棟は日本風の木造二階建(89坪)でした。

昭和16年(1941)12月8日、日本国はアメリカ合衆国と英国に対して宣戦布告をしました。従って英連邦国であるカナダ、オーストラリア、ニュージーランド、アイルランドとも戦闘状態に入ったわけでした。続いて12月10日にはオランダ国が対日宣戦布告を行い、12月20日にはベルギー国も対日宣戦布告を行いました。そこで開戦と同時に敵国人となった人々は計画通り横浜市中区根岸蓑沢29番地にある競馬場の付属建物と横浜市中区新山下町3丁目7番地にある横浜ヨット・クラブの建物に収容されました。そのことは昭和16年(1941)7月に発覚した国際スパイ事件でゾルゲが逮捕されたことにより内務省警保局が外国人を内偵していたからでした。勿論外国人であるカトリック宣教師もスパイ視されていました。また外国人であるシスター方は女性でもあり初めは軟禁程度でしたが昭和17年(1942)6月7日のミッドウエイ海戦の大敗北以来、日本政府は外国人を極端に警戒させ外国人の怖さを煽っていました。

その頃、国際間においては非戦闘員抑留者を保護する条約はありませんでした。だが日本政府としては明治40年(1907)10月18日にオランダのハーグで署名された「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」の実施国でした。また昭和4年(1929)7月27日にスイスのジュネーブで調印された「俘虜の待遇に関する条約」に署名したものの陸海軍の反対によって実施国ではありませんでした。さて横浜に抑留された敵国人については昭和16年(1941)12月10日、日本国駐箚スイス国公使カミール・ゴルゼの申し入れで交渉は難航したものの敵国人抑留者一部の送還が実現しました。先ず昭和17年(1942)2月12日日米双方で交換協定が成立し、3月30日日英双方でも協定が成立しました。

・ 昭和17年6月25日 第1回日米交換船浅間丸が横浜出航
・ 昭和17年8月10日 第1回日英交換船鎌倉丸が横浜出航
・ 昭和18年9月15日 第2回日米交換船帝亜丸が横浜出航

その後、第2次日英交渉、第3次日米交渉などももたれましたが日本軍の戦況悪化により中止してしまいました。実際にはカトリック宣教師の場合、駐日ローマ教皇庁使節パウロ・マレラ大司教が戦争中箱根強羅の民家(函嶺白百合学園の前)に疎開していたため外交交渉で解決すると思って帰国には反対していました。だが結果は失敗してしまいました。その間満洲国や朝鮮からもカトリック宣教師が横浜に送られ帰国できないままになってしまいました。

昭和16年(1941)12月23日「敵産管理法」が公布されました。それは敵国人となった人々の財産を管理するものでしたが、当時のマリア会修道士の母国フランスはぺタン将軍のヴィシー政府とド・ゴール将軍の英国亡命政府とに分けられていました。だが日本政府としては占領下の仏領印度支那の関係もありフランス人には好意的でした。

昭和18年(1943)5月18日マリア会山荘は接収ではなく神奈川県に買収されました。それは6月10日根岸競馬場の建物が日本海軍によって接収されてしまったからでした。そこで6月25日マリア会山荘は神奈川第1抑留所となり、交換船で帰れなくなったり横浜にいた敵国人約40名と満洲国や朝鮮から移されたカトリック宣教師13名の合わせて53名が収容されたわけです。そして小田原警察署から二人の警官が常駐するようになりました。この中カトリックの宣教師はフランシスコ会2名(朝鮮)、サン・スルピス会1名(内地)、ケベック外国宣教会5名(満洲国)、ラ・サール会4名(満洲国)、ヴィアトール会1名(満洲国)などの司祭方でした。その他、メリノール会、聖コロンバン会の司祭方は箱根のホテルなどに収容されたようでした。

昭和17年(1942)1月30日、内務省では「抑留敵国人取扱要綱」を定めました。それによると第3条には「抑留所での宗教行為は許容される」とあります。そこで毎日ごミサは捧げられましたが、後に聞いた話ではフランシスコ会の一名の日本人修道士と聖母病院の日本人シスターが頻繁に日用品を届けていたということです。ある日のこと警備主任の渡辺勝之進巡査部長は検閲の時、ごミサ用のパンとブドー酒を藪の中に投げ捨てたということです。そこで二人は夜遅くまで探したということでした。

やがて昭和20年(1945)8月15日日本国は連合国に無条件降伏をしました。そのためGHQが指令「陸海軍一般命令第1号」を出したことにより解放されています。



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横浜天主堂献堂150周年の祈り

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