藤沢カトリック教会

八 角 形 に ゅ ー す

2012年7月11日

聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会


目次

断章(9)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・主任司祭 鈴木

教会委員会報告(6月16日)

藤沢教会にようこそ

いってらっしゃい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 牧野

東北ボランティア活動サポートチームの発足について

寄り添い続けるための拠点として・・CTVC−カトリック東京ボランティアセンター事務局長 漆原
〜福島に「カリタス原町ベース」開設〜

福島の被災者支援のお話を聞いて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼2区 和泉

「西湘の会」が出来ました・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大磯教会 岩崎

藤沢ブロック受洗者・転入者歓迎会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 高柳

第3回共同宣教司牧フォーラム報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・宣教部 牧野

初聖体おめでとうございます

第21回湘南キリスト教セミナー報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・宣教部長 牧野

黙想会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 岡村

はじめての黙想会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・廣野

教会バザーのお知らせ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長後 矢部

片瀬から追われたカナダ人宣教師たち・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 高木

小グループ活動−湘南台センターリフォーム教室

がりらや便り

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断章(9)
主任司祭 鈴木

亀何事もゆっくりできると良いのですがねえ。カメさんでも飼って眺めましょうか?

被災者を思う気持ちの表し方もゆっくりとできるでしょうか?ある人がNHKのど自慢に出場した動機を「被災地の人々を思って」と言ってましたが、そんなのもいいなあ。

他人に向って「それは神様のお蔭」と教えたがるのは何となくイヤですねえ。自分で気づくまで、ゆっくり、ゆっくり。

自分の救いを思っている限り、どんな言動も利己性から逃れられないし、結論を急いでしまいます。そこから見える救いも、自分の業が報いられるというイメージしか描けないのではありますまいか?

自分の救いすら神さまにまかせて手放すとき得られる救いとはどんなものなのでしょう。それが復活の生命とか永遠の生命というものなのでしょうか?

カインのささげものは神に顧みられませんでした(創世記4章)。人生の不条理とか神は公平でないとか思ってしまいますが、ささげたのだから受け容れられるかどうかは、どちらでもよいと思えたらよいのですが・・・。

オイゲン・へリゲル氏の話を思い出しますねえ。「正しい弓の道は矢を的に当てようとするものではない。」

高松志門氏の話もありました。「ゴルフをするとき一番良いのは何も考えず、何もせんことだ。」

聖書を読んだ。何も心に響かない。そういうときはそれで終いにする。とにかく読んだのだから。心に響いたら、恵みと思って感謝したら良いと思うのですが・・・。

まあ、恵みの時がくればそうなるのでしょう。希望を失わずにゆっくりやりましょう。



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教会委員会報告(2012年6月16日)

<報告事項>

1. ロバート神父・タム神父

ロバート神父は一年間ローマ留学のため、6月15日に出発されました。タム神父は6月28日に藤沢教会着任の予定

2. 第3回共同宣教司牧フォーラム(6月3日)

6月3日(日)9時30分ミサ後、「藤沢教会2020年ビジョン」のテーマで開催した。鈴木神父の講話の後ビジョンに関するアンケートに記入し、4グループに分かれての分かち合い、全体でのまとめを行った。今後は外国籍の方達や若い世代、教会から遠ざかっている方達など多くの信徒の意見を集約していくので今後も皆様の協力をお願いしたい

3. 福祉バザー(6月24日)

9時30分ミサの前後に福祉バザーを行う

4. 国際ミサ(7月29日)

9時30分のミサは国際ミサになる

<審議事項>

1.ガーデンパーティー開催について

実施したい、積極的ではないが実施したいと言う意見が多く、有志で実施することを承認した。土曜日は外国籍の方達が仕事で参加が難しいので日曜日に実施する。8月5日(日)16時からのベトナム語ミサを15時からに変更し、16時30分からガーデンパーティーを開催。第5地区では片瀬教会7月21日(土)、戸塚教会8月11日(土)、大船教会8月25日(土)、中和田教会未定、鍛冶ヶ谷教会と原宿教会は無しの予定

2.東北ボランティア活動・サポートチームの設立について

支援の必要な被災地に個人として何度も出かけている方もあるが、教会としてサポートし派遣ができるように考えていきたい。色々な活動をされている方の情報を一つにまとめること、何かしたいけれども何をしたらよいか分からない方の窓口になること、常駐している聖母訪問会のシスター達と一緒になり活動すること等を目的とし、教会委員会の公認とし、当面5年くらいを目標にスタートする。一人ひとりがどのようにサポートチームをサポートするか、またいずれ拡大されたサポートチームも必要となるだろう

3. 災害対策委員会の設立について

東日本大震災の経験から、教区災害特別委員会からの指示もあり「藤沢教会地震防災対応」2005年版の大幅な見直しが必要となった。当時の壮年部世話人会メンバーに新たに各ブロックと国際部からメンバーを募り、現状に合わせた話し合いを始めるように要望した。一年を目処に、行政のものをベースにして教会の独自な考えと方向性を出す。教会委員会関連の委員会として、順次委員会に繋げていく

<ブロック・活動部>

(鵠沼)(藤沢)ブロック集会で新しい方の紹介と歓迎

(辻堂)東北支援物資の販売、連絡網を見直し中

(北1) 6月2日に黙想会を聖心の布教姉妹会本部修道院で実施した。色々な行事と重なったこともあり参加者が少なく、経費を参加費でまかなうことが難しかった。ブロック主催よりも教会主催としてはどうか、黙想会と静修の日についてブロックでも話題にしてみる

(北2)北ブロック(北1・北2)として5月20日にバザーチームを立ち上げた
日程 :10月21日(日)にバザー
    :10月28日(日)フルートコンサート 
テーマ:「希望のあか灯り」
目的 :東日本震災の援助、地域のため、 教会のためとする

(宣教)
・ 5月26日(土)に第21回キリスト教セミナーを開催(主催:第5地区7教会)し、参加者は300人以上で盛況だった。講師は片柳神父(イエズス会)、テーマは「闇に光を〜マザーテレサの生涯に学ぶ」で、マザーが体験された「イエスの渇き」と「霊的な闇」についての深い内容だった
・ 5月26日(土)に湘南台センターでボランティア集会をし、福島訪問ツァーの体験談とロバート神父からウガンダの話を聞いた
・ 堅信準備講座は4月22日(日)から半年間、月2回の予定でスタートした。現在の参加者は64名で、「聖霊とともに」をテーマに宗教教育を行っている
・ 結婚準備講座は7月に大船教会で開催する。次は藤沢で11月に開催予定

(典礼)
・ 第5週の9:30のミサを「国際ミサ」とする。そのために第5週の英語のミサは無く、7月の第5週から始める。国際部と連携しながら、外国籍の方達と一つになれるように準備をすすめていく
・ 典礼研修会をして欲しいと言う希望がきている。どのようなテーマや講習を選ぶか、各ブロックで話し合ってほしい。それをもとに秋から始める

(教育)
・ 6月10日(日)14人のこどもが初聖体を受けることができ、皆さんの祈りに感謝
・ 6月24日(日)日曜学校は4年〜6年は山手巡礼。1年〜3年は湘南台文化センターに遠足
・ 7月8日(日)日曜学校サマーキャンプ説明会がある。またこの日から、保護者の勉強会が始まる 初聖体の子供の保護者を含めて年に5回、6年間続けられるように実施
・ 7月14日(土)ボーイスカウトはペットボトルレースに参加する
・ 中高生会は8月10日〜12日山中湖でキャンプ

(福祉)
・ 7月1日(日)に大磯駅前、聖ステパノ学園で「内部被曝を生き抜く」の映写会がある。収益は大磯教会が夏休みに南相馬の子供20名を迎えるための資金に全額使われる
・ ミサの中で子ども達は「アーメンハレルヤ」や「主の祈り」など手話でできるとよい

(国際)
・ 第5日曜日の国際ミサは共にいることを大切にできるミサにしたい
・ ガーデンパーティーはやりたい、皆で楽しめるようにしたい
・ 福祉バザーに参加希望
・ 新しい在留資格について、問題が起きないように、各コミュニティーで細かく徹底する
・ 今、検討中だが、それぞれのコミュニティーの言葉で、教会や国際部の行事などを書いたニュースレターを発行するとか、「八角形ニュース」にそれぞれの国の習慣について記事を書く、それぞれのコミュニティーの言葉で簡単な挨拶などを日本人信徒に知らせるなどを考えている

<その他>

・ 鈴木神父は7月7日〜8日は教区懇談会のために不在となる
・ ロバート神父の留学にともない担当者が変わる。国際・福祉・宣教は鈴木神父。教育・典礼はタム神父。広報と総務は必要があれば鈴木神父が対応する



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藤沢教会にようこそ

タム神父様のプロフィールをご紹介いたします。

お名前 洗礼者ヨハネ マイ タム
叙階 2012年5月29日 ベトナムにて
生年月日 1974年10月13日
出身地 ベトナムハアン・メ・トオック県 ダック・ラック市
教区 フ・クオン教区


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いってらっしゃい

ロバート神父様はローマ留学のために6月14日に日本を発たれました。実り多い勉強をされてお元気でお戻りになられると思います。皆様神父様のためにお祈りください。


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東北ボランティア活動サポートチームの発足について

教会委員会で本チーム設立の趣旨、活動方針を述べさせていただき、活動部と同じように教会委員会にぶら下がるひとつの独立した組織体として承認されました。

チーム名称 東北ボランティア活動サポートチーム
メンバー 小藤(キャプテン・鵠沼)・川辺(教会事務局)・曽根(藤沢)・ 前山(鵠沼)・牧野(辻堂)・丸山(鵠沼)
アドバイザー 鈴木神父
目的 藤沢教会の信徒が現在行っている様々な形での被災地・被災者への支援活動の継続及び拡大強化のための情報の収集・一元化・発信、ボランティア希望者の 受け入れ窓口、活動への資金的援助
主な活動

・岩手(釜石)・宮城(石巻)・福島(南相馬)の現地におけるボランティア活動
・被災地の農作物など地元産品の販売
・被災地より藤沢に避難している家族への支援(保養児童の受け入れも含む)

以上3つの活動へのサポート


担当メンバー役割 

現地ボランティア派遣支援 ・岩手県 丸山 (釜石ベースを中心に)
・宮城県 小藤 (石巻ベースを中心に)
・福島県 曽根 (原町ベースを中心に)
被災地からの地元物産販売支援 牧野 (近隣教会と連携をとりながら効率化を図る)
毎月第2,第3日曜日の福祉コーナーで販売を継続しており、 特に第3日曜日には福島の生鮮な農産物も販売致します。  
避難者の支援 川辺 
是非皆様からの情報を頂きたくお願いします。
会計担当 前山
今後、活動資金の募金を行いますので、ご協力をお願いします。

今後は東北被災地への支援の窓口となります。現地にお出かけになられる方々のコーディネーションや、情報について、少しでもお役に立てればと思っておりますので、上記メンバーにご遠慮なくお声を掛けて下さい。これから夏休みになりますが、この期間にも現地からの要望により各種ボランティアを派遣したいと思います。この費用のサポートも考えております。奮ってお申し込みください。

(広報担当 牧野)


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寄り添い続けるための拠点として
〜福島に「カリタス原町ベース」開設〜

CTVC−カトリック東京ボランティアセンター事務局長 漆原

全国のカトリック教会が東日本大震災被災地支援を続ける中、8ヵ所目のボランティアベースとして福島県南相馬市に「カリタス原町ベース」が誕生しました。2012年6月1日の開所式では仙台教区から平賀徹夫司教、ベース運営にあたるCTVC責任者の幸田和生司教(東京教区)、地域の南相馬市社会福祉協議会から鹿島区福祉サービスセンター所長の村上勇一氏によるテープカットで幕開けしました。岩手、宮城のベースからもスタッフが駆けつけ、地域で活動する復興支援関係者、NPOや地元の方々、首都圏からの教会関係者など70名を超える参加者で賑わいました。

カリタス原町ベースCTVC(カトリック東京ボランティアセンター)では2011年7月から、松木町教会、白河教会など福島各地のカトリック教会が主体的に実施している被災者・避難者支援活動をサポートしてきました。原町教会は福島第1原発から24.5kmに位置し、昨年の9月30日までは緊急時避難準備区域内にありました。全信徒25家族のうち10家族はいまだ県内外に避難中で信徒の数も激減しました。CTVCは原町教会でのミサや祈りの会に首都圏から参加者を募り、ともに祈りことによって連帯を続けてきました。

現在、南相馬市には28ヵ所の仮設住宅が建設され、同市の津波被災者の方、原発事故により強制避難している小高区、原町区の一部の避難者の方が入居しています。去る4月16日には原発から20km圏の警戒区域が再編され、小高区が避難指示解除準備区域に移行されたことにより、5月18日なってようやく地域の社協が募集するがれき撤去などのボランティア活動が始まりました。昨年3月11日から今まで、この地域(もと警戒区域)には全く人の手が入らず、家屋も倒壊したまま、車も田圃の中にひっくり返ったまま、すべてが3・11当時のまま放置されている状態です。

原町ベースにはCTVCスタッフの池上あけみ・哲也夫妻が常駐し、原町教会の信徒の方々と仮設住宅をまわり、集会所におけるカフェサロンの活動に参加しています。今後はボランティアの調整と宿泊の提供を行っていきます。

除染、食の安全、子どもの遊び場の確保など、福島の抱える課題はあまりにも大きく立ちはだかっています。私たちのできることは限られていますが、被災者・避難者の方々に「寄り添うこと」はできます。そして先の見えないこの状況下で長く「寄り添い」続けることと、その関わりから得られる学びやメッセージを世の中に発信していくことも求められていると思います。原町ベースがそれを示すしるしとなるように願い、活動を行ってまいります。

藤沢教会の皆さまも、ぜひ原町ベースにお越しいただき、現地の状況を肌で感じていただけましたら幸いです。今後ともご協力をどうぞよろしくお願い申し上げます。


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福島の被災者支援のお話を聞いて
鵠沼2区 和泉

福島の被災者支援6月9日、雪の下教会の山口神父による福島支援のお話を藤沢教会でうかがった。神父様は、表になり裏になり、様々な被災者支援のプロジェクトに関わってこられ、それらを個々に、また総括的に説明してくださった。

例えば小教区の働きとして、雪の下教会では震災後の4月、雪の下プロジェクトを立ち上げ、合同宗教者の集いを開催したり、37回、のべ140人以上のボランティアを被災地に送ったこと。そして、横浜教区としての動き、カトリック教会としての動きをご説明頂いた。

現在被災地では、支援の行き届いた地区もあるが、いまだ手薄な場所もあり、これからも継続した支援が必要である。しかし震災から1年以上が過ぎ、必要な支援の内容にも変化が生じてきている。例えば、傾聴ボランティアが重要視されたが、一般の人が世間話を聞くようなレベルの傾聴ではもはや限界で、プロでないと無理だろうというお話には大いに納得した。

原子力発電所の事故の問題では、福島県のあちこちで放射線量の高いところがあり、子供たちへの健康被害への不安や、子供たちの外遊びが満足にできないことによるストレス、それらが夫婦の不和や離婚に発展していること、農家の風評被害の問題、そこから自殺が増えていることなど、さまざまな深刻な問題について話された。

子供たちを健康被害から守るために、年に1、2カ月福島から離れさせ、鎌倉などに滞在させる、長期保養の計画を考えておられることや、当教会でもバザーのときに来ていただいた、二本松の野菜を売るプロジェクトなどにも言及された。特に二本松の野菜を売るプロジェクトでは、どのようにしたら効率良く売ることができるのか、藤沢や、逗子、茅ヶ崎など、大きな教会に協力してほしいとのお話に、協力したいとの声がいくつもあがった。

神父様はこれからの支援のありかたについて「スタンプラリーじゃない」「あっちがやったからこっちも、と競争しない」「自分の意識を整理する」とおっしゃった。被災者支援というと、ばくぜんとどこか遠くの困っている人をお助けするようなイメージであるが、数々の具体的なお話を伺い、被災地での活動のみならず、私たちが何をできるのかよく考えて行動することが大切だということがよくわかった。

エネルギーのありかたを考え、自然エネルギー利用の開発や、私自身の暮らしのありようを見直すことも重要だ。各自が意識を整理して、そのうえで、困っている隣人の心に寄り添えるようになりますように。



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「西湘の会」が出来ました
大磯教会 岩崎

此の度は「卒原発を考える会」主催の、「被災地福島を訪ねるバスツアー」に、第6地区福祉部3人が参加させて頂き有り難うございました。藤沢教会の方々の意識の高さに圧倒されどおしでした。44名もの方々と、素晴らしいスケジュールで現地の方々にお会いし、お話が伺えましたことに感謝しております。

今まで第6地区福祉部でも、未来ある子供たちのために愛の証の支援をと言う事で、シスター遠藤静子さんとお会いして、「桜の聖母短期大学」の被災された学生の援助に向けて動いていました。2月頃から「こども福島支援チーム」の須藤百合子さんより、夏休み期間中の支援を頼まれて、ことが始まろうとする時にこのツアーがあり、今の福島がどんな状態なのかを知りたくて同行させて頂いた次第でした。

福島での様子は笠島真佐恵さんが「八角形にゅーす」(239号)に詳しく書かれています。行って初めて、今でも線量の高い所で沢山の人が悩み・悲しみつらい思いをしながらも、毎日を明るく強く前向きに生きている方達もいらっしゃると言う事が分かりました。野田首相は早々に「収束宣言」を出し、大飯再稼働にゴーサインを出していますが、とんでもないことです。福島の原発は収束されていません。今も毎日放射線は垂れ流し状態で、風や雲に乗って何処にでも行っています。それどころか、4号機は今度大きな地震があって壊れたり、コンクリートにヒビが入って、燃料プールの水が無くなったら、東京も神奈川も住めなくなり、日本の終わりになるでしょう。

こちらに帰ってすぐに福祉部会があり、早速に「福島の子どもたちとともに・西湘の会」が立ち上がりました。お陰様で、7月31日〜8月5日大磯教会にお呼びする企画が進展しています。

これからも、地区を越えても藤沢教会の方々にご指導いただき、協力し合って、継続して行きたいと思っていますので、今後とも宜しくお願い致します。ツアーは大変有意義で、「百聞は一見にしかず」が実感され、私の生き方、考え方をも変えようとしています。有難うございました。神に感謝!



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藤沢ブロック受洗者・転入者歓迎会
藤沢2区 高柳

梅雨空のうっとうしさを跳ね飛ばすような明るい陽気に心を弾ませて、6月17日ごミサ後、藤沢ブロックの集会に参加しました。会場のセンターホールには、80人ほどの出席者の皆さんが、にぎやかな雰囲気のなかで、開始を待っておられました。

夫と私は、大船谷戸の三方の山の緑と鳥のさえずりが絶えない地から、藤沢の駅近くの電柱と建物しか見えないマンションに引っ越してまいりました。年令を重ねてからの引越しは何であれ大変とよく言われますが、私にとっても思い出多い住まい、喜びも悲しみも、願いも感謝も、私の全てをさらけ出した地からの移動は苦痛を伴うものでした。そして、昨年9月に大船教会から藤沢教会へ転籍しました。集会は、「主の祈り」を全員でとなえて始まりました。参加者が共に祈る時、私は何時も一つの共同体の一致と力を強く感じます。開会の辞の中で藤沢教会の活動の一端を知ることが出来ましたが、活動範囲の大きさに驚きました。その後、受洗者と転入者の紹介がありました。ほとんどの方たちが、何らかのかたちでこれまで藤沢教会とのつながりを持っていらした事を知りました。

私は18才で郷里金沢から上京し、24才でいろいろな事情のため親には内緒で受洗しました。そのころ金沢ではキリスト教は「毛唐の宗教」と言われて嫌われていました。私は自分がカトリック信者であることを口にすることは決してしませんでした。東京や湘南地方の明るく開かれた宗教観を驚きと羨ましさでみていたことを思い出します。当時とは隔世の感がある現代の日本で、自分の信仰をひそやかに、まわりを気にしながら、保っておられる方がいらっしゃるのではないでしょうか?次に、神学生の下瀬さんの楽しいお話をうかがいました。ベネディクト会が1500年の歴史を持つこと、日本には同会修道者が9人であること、戦中戦後の神父様方のご苦労などを始終笑顔でお話くださいました。そしてお食事。ナプキンにいたるまでのお心配りに、「私たちは受け入れられている」と嬉しく感じ、感謝しました。

マリア様への祈りをもって全てを終了しました。

当日のための準備などでお働き下さった方々、ご出席下さった方々に心から御礼申し上げます。そして「二人または三人がわたしの名によって集まる所には、私もその中にいる」とおっしゃったイエス様、ありがとうございました。



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第3回共同宣教司牧フォーラム報告
宣教部 牧野

共同宣教司牧フォーラム6月3日(日)9時30分ミサ後、センターホールにて第3回宣教司牧フォーラムが開催されました。テーマは「藤沢教会2020年ビジョン」で、昨年来検討が進められているものです。参加者は約50名でした。

最初に鈴木神父様から、第2バチカン公会議・NICE・横浜教区の共同宣教司牧の流れと、共同宣教司牧を理解するためのヒントが話された後、参加された方全員に事務局で準備した「2020年ビジョン」アンケートに記入していただき、その後、4グループに分かれてアンケート内容をベースとした分かち合いを行い、最後に全体のまとめを行い閉会しました。

鈴木神父様のお話は、バチカン公会議以降の教会の近代化に伴い、司祭・修道者・信徒がともに行動していく必要に迫られて「共同宣教司牧」という呼びかけがなされたが、言葉が先行して具体的な意味や行動指針が分からないという声が多いということから始められて、参加者との質疑応答形式で、どうしたら共同宣教司牧が分かるか、どう行動すべきかのヒントが与えられました。

「上から一緒にやろうと言われてもよく分からないなら、自分から一緒にやりたいことを呼びかけてやったらよい。ただし、無理してやらない方がよい。自分が何をしたいか、そしてそれは良いことなのか、必要なことなのかを考えて始めることで、自然に共同宣教司牧となるのではないか。利益を考えない人のつながりの中で自分のやりたいことを探すのがよい。中でも聖書を一緒に読むことが薦められる。神様の思い・計画を知ることで共同宣教司牧の輪が広がる。教会は人間の知恵ではなく神様の知恵で動いていくのである。」これらは誰にとって分かりやすいヒントであったと思います。

4グループでの分かち合いは、アンケートの第1項「信徒自ら築く教会」の中の質問、「あなたは、教会にどんな喜びを持って来ていますか」「あなたは、どんな教会にしたいですか」「あなたは、どんな役割を担っていきたいですか」を主体に進められました。

最後の全体まとめの中では、リタイヤした人材のリクルートをしよう、教会の仕事でのミスをとがめることはやめよう、知らない人にも挨拶をしよう、ビジョンはある方が良いがそれに縛られないように、方向は見失わず時を待ちながらやりたいことを少しずつ進めましょう、などの話が出ました。どれも大切なことです。信徒が皆で準備すれば、共同体の確かな基盤が築けるはずです。

回収されたアンケートは36枚でしたが、その中で教会に来る理由として男性は仲間に会うこと、女性は神様に会うことという回答が多かったこと、担いたい役割としてはキリスト教講座・聖書の分かち合いと病人訪問が多く、元気なミサにするには歌を重視する・役割を分担すること、日曜ミサ後は他の信徒との会話で過ごす人が多いこと、社会の苦しむ人との関わりでは、病者や高齢者に対して、身体を使って関わりたい人が多いことなどが特徴的でした。

今後は50代以下・外国籍・教会から離れている信徒を含めてアンケート回答数を増やします。そして、活動部と情報を共有し、それぞれの分野での見直しと対応を検討していただきます。今後とも信徒皆様のご理解とご協力をお願いいたします。



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初聖体おめでとうございます

6月10日キリストの聖体の祝日に、14名の子供たちが初聖体のお恵みに授かりました。当日は、留学前藤沢教会最後の司式となりましたロバート神父様の下、派遣の前にはアフリカ式に歌と共に踊りで、感謝と喜びを表しました。

初聖体おめでとうございます

初聖体イエス様のおん体 3年 翔大

ある日、教会に行ってかんしゃのてんれいに入った時にぼくは、おもしろい白くて丸い「物」を見ました。それは・・・・。お父さんに聞くと、イエス様のおん体だと教えてくれました。 その日から、白く丸い物がほしくて、イエス様のことをべん強しました。そして、この間の6月10日にやっともらえました。あじは、おいしくなかったけれど、聖体をいただけて、うれしかったです。

初聖体はつ聖体の感想 3年 紗来

私は、小さいころからご聖体を食べてみたくて、本当はちょっとくらい食べていいんじゃないかなと思っていました。でもお勉強をして、たく山いろんなお話を聞いてみたら、すごく大切で本当は洗礼を受けて、お勉強をしてやっと受けられるくらいすごいものだ。とよく分かりました。とくにしゅう道女さまからいただいた手紙やロバート神父さまのお話で、ご聖体は本当にイエス様なんだと思う事ができました。そのお話は子どものわたしでもよく分かって本当に心にのこりました。そんなにすばらしいご聖体なのに洗礼を受けてお勉強をすればだれでもご聖体を受けられる。イエスさまといっしょにいられるなんて、本当にすごい事だな。と思いました。 せかい中のたく山の人がご聖体をもらってもイエス様はその一人一人の人と一しょにいられるんだ。と思ったら、またもう一どご聖体ってすごいな。と思いました。



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第21回湘南キリスト教セミナー報告
宣教部長 牧野

片柳神父5月26日(土)14:00〜16:15、藤沢教会聖堂にて第21回湘南キリスト教セミナーが開催されました。講師は六甲教会片柳弘史神父様、テーマは「闇に光を〜マザー・テレサの生涯に学ぶ」で、300人以上の参加者がありました。片柳神父様の語り口の魅力もさることながら、誰もが良く知っていると思っていたマザー・テレサ(以後マザーと略記)の秘められた深い側面のお話については、私を含め皆様が驚きをもってお聴きになったことと思います。

神父様の第1講話は、マザーの生涯の概略と、ご自身がどのようにしてマザーと関わりをもつようになられたかについてでした。神父様は、貧しい人のために働きたいと考えていた大学時代にマザーに惹かれてカルカッタを訪問し、直接指導を受けられたマザーに強く勧められて日本にもどり司祭の道を歩まれました。また、マザーはイスラム支配下のマケドニアでアルバニア系カトリック移民の子として生まれ、信仰厚い母の下でロレット修道会に入り、志願してインドに赴任して極貧の人々に仕え、イエスの啓示を受けて「神の愛の宣教者会」を設立、1979年にはノーベル平和賞を受賞されたことなどが話されました。

マザー・テレサ本題となる第2講話では、マザーが体験された「イエスの渇き」と「霊的な闇」について詳しく解説されました。1942年第2次大戦中のカルカッタでマザーは「神が望まれるものは何でも拒まず差し出す」という私的誓願を立てられます。その後、1946年ダージリンへ向かう列車の中でマザーは十字架上のイエスから「わたしは渇く」、万感の愛を与えるとともに愛を受けることに渇いているという呼びかけを聴かれました。しかし、啓示を受けて、貧しい人々の中にあるイエスの渇きに応えられていたマザーにも恐ろしい「霊的な闇」、10年以上にわたって神の愛を感じられないというときが訪れたのです。長い苦しみの後、マザーは、これはイエスが十字架上で味わった闇、神の子なのに神に見捨てられたという闇をともに味わっていることに気付かれました。しかし、闇の中にあっても、貧しい人の中に寄り添うイエスを見出すとき初めて貧しい人に別次元で結ばれることを悟られました。闇と痛みがそのまま残りながら、闇が光に、痛みが喜びに変わるという試練と恵みの体験をされたのです。マザーは言われます。「私が聖人になるなら暗闇の聖人と呼ばれるでしょう。闇の中で灯りを点けて回ります。明るい天国にはいません」と。

ご講演の後、いくつか出た質問への答えの中で、東日本大震災の時、カルカッタのマザーハウスに滞在していた日本人ボランティアにドイツ人の管長が話された言葉、「帰ったら伝えてください。幸せになるには沢山のものは必要ありません。日本人は今こそ考え直すときです」は本当に心に響きました。私のような凡人はとてもマザーのようには生きられませんが、せめて少しでも近づきたいと反省した一日でした。



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黙想会に参加して
善行 岡村

おだやかに晴れた6月2日、今年も聖心の布教姉妹会の本部修道院にて、英隆一郎神父様の御指導による黙想会が行われました。深い木立に囲まれ澄んだ空気の中に、鳥たちの囀りが響いている静かな世界で。

今回の黙想のテーマは、「信仰」 − 今一度見つめなおしてみよう!歩みを深めるために − です。そのお話の概要を御報告いたします。

第1講話

・ マルコ1章14−15節のイエスは洗礼を受け、神に愛された者として福音を伝え始められるところ、福音(よいしらせ)を信じることの大切さについて語り始められました。
・ マルコ2章1−5節中風の人を癒された話
・ マルコ5章25−34節出血病の女の話を取り上げ、そのひたむきな信仰に対して「あなたの信仰があなたを救った」というイエスの言葉を強調されました。
・ 続いてマルコ6章1−5節について、郷里ナザレの人々がイエスを理解しようとしなかったので奇跡を起こすことが出来ず、イエスは人々の不信仰に驚かれたと話されました。今の社会に自分は不幸で存在意義がないと考え悩んでいる人々がいかに多いか、生きていれば困難は当たり前、困難を乗り越えてゆくには、神の恵みを信じる強い信仰が大切と話されました。

第2講話

信仰とは神の恵みを願って生きてゆくこと。
・ マルコ9章14−19−23節、悪霊につかれた息子の話で、イエスは「ああ何という不信仰な時代だ」と嘆きつつ「信じます、不信仰な私をお助け下さい」と叫ぶ父親の願いをきき入れ息子から悪霊を追い出された話です。
・ マルコ10章46節、盲人バルテマイが「なおして下さい」と叫び続け癒されます。ここでもイエスは「あなたの信仰があなたを救った」と云われ、その後バルテマイはイエスの後に従います。 信仰とは、信頼して歩みを起こすこと、行動に結びつくこと、十字架のイエスに従うことです。弟子たちは不信仰で、十字架のイエスに従って行かなかったのです。そして信仰について、プロテスタント、創価学会など、一元化して信じる人間の努力で何でも達成できると考えることの問題点を述べられました。
・ マルコ12章21節、イエスの十字架をキレネのシモンが背負う話、当然背負うべき弟子たちはそこに居なかったのです。
・ マルコ16章1−8節、イエスの復活を信じないで逃げ出していく婦人達や弟子達の話の後にイエスが弟子達に現れ、全世界に行き復活の福音を伝えなさいと云われた。そして、希望をもって復活を信じる者は救われるのです。すべてよくなるのです。と話されました。

第3講話

信仰共同体としてどのように歩むのか。
・ 使徒行録2章42−46節、聖霊の恵みを受け初代教会は、@使徒の教えを守り、A相互の交わりを強め、財産を共有して助け合い、Bパンを裂いた後食事を共にし、C共に祈ることを守り、多くの不思議なわざを行ったので、民衆にも好意を持たれ、教えが広まって行った。
・ 使徒行録4章32−34節、信じる人々は心を一つにし、一切を共有して一人の貧しい人もなく、主イエスの復活について証をした。イエスの昇天の後、使徒達は聖霊降臨をひたすら祈っていました。信仰の深まりには仲間が大切であるが、何が大切かを考えなければならない。教会の刷新は何度も行われ、プロテスタントも生まれ多くの修道会も刷新を繰り返して来ました。
東日本災害の現地では、人々が互いに助け合い分かち合い、祈りと共に信仰共同体が生まれました。確かに聖霊が降り、働き、神の御手が支えて下さるのを感じます。そして、聖霊の恵みがあれば互いに理解し響きあえるのですと話されました。

今回の黙想会で心に鋭く響いたのは、信仰の究極はキリストの十字架を担うことであるということでした。



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はじめての黙想会
廣野

私は、今までの人生で、キリスト教の教会に全く縁のなかった人間ですが、今年の5月から、藤沢カトリック教会の活動に参加させて頂いています。遅くても、来年の春には「洗礼」を受けさせて頂きたいと思っており、ただ今、キリスト教の基本を勉強中です。

この度初めて黙想会に参加させて戴きましたところ、キリスト教入門者としての体験から「八角形にゅーす」に何か書くようにというお言葉を頂き、恥も省みず、私の、藤沢教会についてのまだほんの僅かばかりの経験と印象から体験を書かせて頂きます。

6月2日(土)の聖心の布教姉妹会本部修道院では、新緑の美しい木立ちに囲まれた美しい修道院で、また町の中の教会とは別の雰囲気の中で、落ち着いた時間を過ごすことが出来ました。いつも、「喧騒」と「饒舌」の中で慌しく時間に追われている毎日を、このような「静寂」と「沈黙」の中で、静かに振り返ることの出来る黙想会は、私には清新な経験でした。最後のグループ毎に行なわれた分かち合いでは、無論はじめてお目に掛かる方達ばかりでしたが、私のような初心者の素朴な感想も、気後れしないで語れるような開かれた雰囲気の中で、たちまち皆さんと楽しく打ち解けることが出来、45分の決められた時間があっと言う間に過ぎてしまいました。また機会があれば、次回も是非参加させて頂きたいと願っています。

この黙想会の体験も併せて、藤沢教会についての今までの私の印象を一言で言えば、「開かれた教会」というものです。このような教会に参加させて頂いた幸運を感謝させて頂くと共に、来年春には「洗礼」を受けさせて頂くことを目指して、引き続きキリスト教の基本を学ばせて頂きたい、と思っております。どうぞ宜しくご指導をお願い致します。



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教会バザーのお知らせ
長後 矢部

今年のバザーは10月21日(日)、テーマは「希望のあかり灯」です。その目的の一つは東日本大震災援助です。震災や原発で起きた問題はいつ解決するか、まだまだ先が見えません。この出来事を忘れないで、未来に向かって支え合いましょう。10月28日(日)には吉川久子さんのフルート演奏会も計画しています。希望の灯とフルートのしらべを東日本に届けましょう。北(北1、北2)ブロックが担当しますが、皆様のご協力をよろしくお願いいたします。

わたしたちは主においてひとつ
わたしたちは主においてひとつ
耳をすませばはるかかなたより
立ちて歩めと主の声がする
イエスはいつでも共にいるから
信じて歩めば希望の灯が・・・



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片瀬から追われたカナダ人宣教師たち
鵠沼3区 高木

湘南の別荘地

明治35年(1902)9月1日、江の島電気鉄道が藤沢大阪町―川口村片瀬間が開通しました。本当は8月10日に開業する予定でしたが連日の大雨で境川が氾濫して線路が水浸しになったからでした。途中の停車場は石上、高砂、川袋、柳小路、藤ヶ谷、鵠沼、新屋敷、西方、浜須賀、山本橋、片瀬の12駅でした。当時は人力車の時代であり藤沢駅の車夫たちは電気鉄道の開通に反対していました。その白砂青松の地鵠沼に最初別荘を構えたのは旧信州田野口藩の殿様大給家でした。

要塞地帯と外国人宣教師

昭和2年(1927)8月、駐日ローマ教皇庁使節ジャルディーニ大司教が片瀬南浜の山本家別荘でミサを捧げました。当時は鎌倉郡川口村片瀬でしたが昭和8年(1933)4月1日から鎌倉郡片瀬町となりました。信者は山本家、吉沢家、出渕家、伊東家などの人々でした。

昭和4年(1929)4月、小田急電鉄が片瀬まで延長されました。そして夏になると信者の海水浴客も集まるようになりました。そこで片瀬にもカトリック教会設立の気運が高まってきました。すなわち土地は山本家で500坪提供し、聖堂は吉沢家、伊東家、出渕家などで負担することでした。その頃、湘南地方の信者は大正2年(1913)2月に設立された鎌倉町塔の辻18番地の大町教会に行くしかありませんでした。

昭和11年(1936)7月26日、東京からシャルトル聖パウロ会のシスターたちが幼稚園設立のため山本家別荘を修道院としました。そして10月4日東京浅草教会からジャン・バプテイスト・リサラグ神父様が教会設立の使命を帯びて赴任してきました。

片瀬教会設立の申請

昭和12年(1937)1月26日、リサラグ神父様を主任司祭として教会設立申請書が神奈川県に提出されました。ところが7月にはリサラグ神父様が聖テレジア療養所に入院してしまい、9月1日に亡くなってしまいました。

その頃、昭和11年(1936)11月19日外務省の圧力によって東京教区が二分され横浜教区が新設されました。そこでシャンボン大司教様が教区長として横浜へ移ってきました。そのような情勢の中で片瀬教会設立の認可は中々おりませんでした。

フランシスコ会士の着任

昭和13年(1938)3月31日、シャンボン大司教様は奄美大島を追われ東京の田園調布教会にいるエジト・ロア神父様(帰化名米川基神父)を主任司祭として片瀬へ連れてきました。彼等フランシスコ会士は昭和5年(1930)3月21日2名が鹿児島から東京に出て昭和7年(1932)10月4日田園調布に教会を設立していました。

その経緯は明治40年(1907)6月5日、初めてフランシスコ会士が札幌に来て布教していました。ところが第1次世界大戦が始まるとフランス人であるパリ外国宣教会の司祭たちが多く召集されたため大正10年(1921)11月3日以来フランシスコ会カナダ管区が鹿児島県下の布教を担当するようになりました。そして昭和2年(1927)3月18日には鹿児島知牧区を設立していました。その教勢は奄美地区だけでも教会16ヶ所、司祭7名、修道士1名でした。ところが昭和9年(1934)11月10日、日本の軍部によってスパイ事件が捏造され昭和11年(1936)12月27日にカナダ人全員18名が追放されてしまいました。そこで一部の神父様が田園調布教会に避難していたわけです。

対南方作戦

大正8年(1919)9月6日、日本は第1次世界大戦に参加して赤道以北ドイツ領を委任統治領としました。いわゆる南洋群島を領有したわけです。ところが委任統治条項に違反して軍事基地を造ってしまいました。それに対してアメリカ合衆国はハワイ、グアム、フィリピンの線を防衛線としてオレンジ作戦を展開しました。そこで日本としても海軍を増強し連合艦隊を常設して鹿児島の錦江湾や奄美大島の古仁屋湾を重要基地としました。そのためカナダ人宣教師が邪魔となり女子修道会(聖名会、クリスト・ロア会、聖血礼拝会、聖アンナ会)までも追放されてしまいました。それについて駐日ローマ教皇庁使節パウロ・マレラ大司教も何回か日本外務省に抗議していました。

3人のカナダ人宣教師

昭和13年(1938)4月5日、エジト・ロア神父様に続いて2人の神父様が片瀬に着任しました。ところが間もない4月7日田浦憲兵隊から荏原軍曹や堀川上等兵が来て身辺調査を始めました。そこで4月10日にはマレラ大司教も視察に来ましたが結局は4月15日3人の宣教師は退去させられてしまいました。それも4月26日の東京朝日新聞には「教会は造るが外人牧師お断り」と報道しました。その後、片瀬を追われた3人の神父様は朝鮮の太田修道院へ去りましたが、更に南米ペルーへ渡り日系人の司牧にあたりました。昭和22年(1947)2月23日、エジト・ロア神父様は現地で亡くなってしまいました。

片瀬教会の設立

昭和13年(1938)5月19日、片瀬にパリ外国宣教会ジャン・フランソワ・ラリウ神父様が着任しました。そして6月20日漸く設立認可がおりて12月14日上棟式を行いました。昭和14年(1939)3月19日鎌倉郡片瀬町南浜に聖ヨゼフ教会が献堂されました。建物はシャンボン大司教様の意向で外観が仏教寺院のようになりました。結局、英連邦国であるカナダ人はスパイ視されていたわけでした。私達藤沢教会の母体である片瀬教会の設立にはそのような苦難の歴史がありました。



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小グループ活動
湘南台センターリフォーム教室

4年余り前よりカトリック湘南台センターで、留守番をかねて洋服のリフォーム教室を開かせて頂いております。毎月第1水曜日と第3水曜日午後1時〜午後4時迄開いています(祭日はお休みです)。費用は、会場費として、湘南台センターに200円納入して頂きます。自由参加ですので、いつでもどなたでも興味のある方はご参加下さい。

教材は自由教材ですが、高価な和服や帯等処分する事も出来ず、さりとて着ることもなく眠ったままでいるのをリフォームして世界に1枚しかない洒落たジャケットやベスト、スカート、ズボン等にしています。また昔愛用していましたが、ちょっと形の古いものや窮屈で着る事の出来ないスカート、ズボン、洋服のお直し、大きくて着られないもの等のリフォームをしています(直せない物もあります、ご免なさい)。家ではなかなか出来ないことも、ここでは出来ると皆さん時間のたつのも忘れ、3時間があっと云う間に過ぎてしまいます。

1枚のものが出来上がる迄は手間ひまがかかりますが、出来上がった時は本当にうれしくなります。頭や、手先を使う事により脳が活性化されますので、物忘れも少なくなるのではないかなーと思います。 

(湘南台 五木田 )

 



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がりらや便り

鬱陶しい梅雨どきですが紫陽花がことのほかきれいな季節です。静かな環境で読書を楽しみましょう。今月は月刊誌「家庭の友」(サンパウロ)に連載された記事の単行本2冊とカトリックの思想家ジャン・バニエ氏の著書です。

「天国の窓」 
詩・晴佐久 昌英 写真・菅井 日人 サンパウロ2,415円 
タテヨコ198mm 80頁

「今の世界に最も足りないのは、魂を救う美しいことばだ。・・・暗い気持ちのとき、心が不安なときは、この本を開いて、あなたにそっと語りかけてくるふしぎな光に耳を澄ませてほしい」(「あとがき」より)。 4万2千部のベストセラー「だいじょうぶだよ」から10年、待望の第2詩集です。


「365日全部が神さまの日」 
稲川 圭三 著 サンパウロ 1,260円 A5版 136頁

教会の長い伝統の中で形づくられた愛と信仰の告白である「信仰宣言」についての解説と、教会の典礼暦を通して祝われる「主の祝祭日による福音」によって、イエスの生涯と救いのわざを思いめぐらせ、賛美と感謝のうちに生きるよう招かれるカトリック司祭の著書です。


「ジャン バニエの言葉」 
ジャン・バニエ 著 新教出版 1,680円 B6版変形 156頁 

知的障害者と彼らの生活を支えながら共に生きる人々の共同体である国際的団体、ラルシュ(日本では、静岡県静岡市の「かなの家」が加盟)。その創設者が日本人の黙想会を指導した際の講話と対話、そしてさまざまなメディアに応じたインタビュー類を収録。「今日の支配的なシステムと厳しく対立するラルシュの生き方をやさしく語った言葉」と紹介されています。





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