八 角 形 に ゅ ー す
2013年8月21日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
目次
祈れる幸せ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・聖母訪問会モンタナ第二修道院 Sr. 西田
緑陰黙想会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 森田
ガーデンパーティー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 浮田
ガールスカウトキャンプ・・・・・・・ガールスカウト神奈川県第105団 ブラウニー3年生 熊田
福島の子ども達を迎えて・・・・・・・・・・・・・・・NPO「子どもたちに未来をin湘」 善行 浅野
東北ボランティア活動サポートチーム 一年を振り返って・・・・・・・鵠沼2区 小藤
フィリピンコミュニティ25周年・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・湘南台 秋元
バザー準備会報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・バザー準備会 辻堂2区 佐々木
書評「教皇フランシスコ」―12億の信徒を率いる神父の素顔・・・藤沢2区 兼子
歴代駐日教皇庁使節の年譜・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼3区 高木
福音川柳(続20)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・主任司祭 鈴木
祈れる幸せ
聖母訪問会モンタナ第二修道院 Sr. 西田
最近私は、自分の中に動いている恵みからの幸せを、しみじみ味わっています。
小学生の時、私の同級生に知的ハンディを負っているY君がいました。Y君は授業時間になると、どこかに行ってしまうのでした。そのY君が4年生になったとき、私たちと同じように机に向かい始めたのです。ふと見ると、Y君のための手作り教材が担任の"太田垣恵一先生"によって準備されていたのです。その時私は「大人になったら"このような人"になりたい!」と、強く思いました。
中1の時に大好きな祖父が亡くなりました。そのとき以来死と向き合うようになり、なんとも言えない恐怖が心に起こり始めました。その後、ミッションスクールの寮生活と共に、シスター方との交わりがはじまりました。「キリストの復活」を教えて頂いた時、私の心は太陽のように輝き、希望で満たされたのでした。そして高1で受洗。と同時に【渇く】というイエスのみ言葉に魅せられ、両親の反対も退け、修道生活を望むようなりました。34歳の終生誓願までの道のりは、遠く、つらく、迷うことの多い、私自身の【渇き】でもありました。
終生誓願の最終的な決断をさせたのは、4歳のアスペルガのN君との出会いでした。コミュニケーションのできないN君と、いったいどのようにしたら良いのか途方にくれ、毎晩「神様教えてください!」と真剣に祈りながら関わりました。そして2年目の雨上がりの午後、園庭でN君の目と私の目がはじめてバチッと合ったのです。その瞬間私は「この子は治る」と思いました。日増しに成長していくN 君。このN 君との体験を通して、自分の子供を持たない修道者として、他の子供たちへのいとおしさが実感され、涙と共に必死で祈り、関わる「主の霊とともに歩む道」を確信できたのです。多くの人びとを通して、今もなお小学時代の「望み」を、実現し続けてくださる神様に感謝です。そして私は本当に幸せです。教会共同体が、出会いを通して、お互いの神秘に触れ、神様のいのちが輝きますように!
教会委員会報告(2013年7月20日)
1. 災害対策検討委員会 報告について
2005年のものをベースに一年かけてまとめた。検討しなければならないこともあるので、各ブロックは5部くらい持ち帰り、多くの人に目を通してもらい、9月に意見を持ち寄ってほしい。災害対策委員会を正式に組織化し教会委員会の中に位置づけ10月からスタートしたい。また、9月の委員会までに、10年後の教会の姿(6月号参照)を各ブロックと活動部は集会などの時に話し合い、9月までにまとめを出してほしい
2. バザーについて
6月30日(日)にブロックを越えて呼び掛けに応えた18名が集まり、第1回「信徒の有志によるバザー準備会」が行われた。日程は片瀬教会のバザーと重なってしまうが、中心になる人たちの都合と外国語のミサのない第4日曜日10月27日(日)に行うこととなった。「ここならできる」と声をあげた人たちで担当者を決め、今後膨らませていく。協力してくれる人の輪を広げていきたい
・ これまでのかたちに捉われない
・ 当番ではなく、皆で働く喜びのあるバザーをやりたい
・ 収益は福祉・東北支援・教会のために使う
・ 外国コミュニティー、日曜学校、ボーイスカウト、ガールスカウト、壮年部などこれまでバザーに参加していたグループに声かけをする
・ その都度お知らせにも載せるが、準備会を7月28日(日)、8月25日(日)に予定した
・ 9月に手伝い表を貼りだす
・ 準備作業も簡素化するこのやり方は初めてなので、来年度以降に繋げて行けるように資料を残す
・ 責任者は佐々木さん(辻堂)に決まった
3. 聖ヨハネ・マリア・ビアンネ司祭の記念日
8月4日は「司祭の守護聖人」聖ヨハネ・マリア・ビアンネの記念日にあたり、9時30分のミサ後に司祭のための祈りとお祝いを行う
4. ガーデンパーティ
8月4日(日)16時30分からガーデンパーティを実施する。そのため、ベトナム語のミサは15時からに変更になった。浮田さんを中心に、7月21日11時から準備の集まりをする
5. カトリック入門短期講座指導者養成コース
10月5日(土)から11月まで、6回のコースで予定されている。希望者は9月22日(日)までに牧野宣教部長か前山教会委員長に申込む
6. 「証」こん談会
9月8日(日)13時から15時まで、センターホールで第5地区「証する力を育てる部門」の主催で開催される。お茶でも飲みながら話し合いましょう
8月は北1ブロック、9月は鵠沼ブロックの担当になる
(鵠沼)
・ 8月18日(日)にブロック集会をし、10年後の姿を話し合う
・ 9月12日(木)10時開催予定で、送迎の必要な人たちの敬老会を準備する
・ 9月15日(日)敬老ミサの後のお茶の準備をする
(藤沢)
6月の当番月は無事に終わった。連絡網を使い、全体に声をかけて当番月のミサ奉仕を募集した。少しずつミサの奉仕をしたい希望者が出てきている。9月にブロック集会をする予定
(辻堂)
6月23日にブロック集会をし、10年後の姿を話し合った
(北1)
8月が当番月にあたっているので、7月21日(日)ブロック集会をする。「聖書と典礼」を読んで分かち合いをする。鈴木神父も出席予定
(国際)
・ 昨年堅信を受けた中学・高校生にバーベキューパーティへのお誘いがあった。各コミュニティに呼びかける
・ 堅信準備講座のファシリテーターにフィリピンコミュニティは村越エレナさん、ベトナムコミュニティからも参加する
・ 8月15日(木)聖母被昇天の祭日は17時からベトナム語のミサとパーティがある。他のコミュニティ、日本人も多数参加してほしい
・ 8月4日(日)のガーデンパーテイと10月27日(日)のバザーに参加する
(宣教)
・ 9月11日(水)と9月12日(木)から、キリスト教入門講座の新しいクラスが始まる
・ 8月11日(日)から25日(日)まで、湘南台センターは夏休みで休館となる
・ 8月3日(土)14時〜15時30分まで、市内キリスト教連絡会主催の「平和のための合同祈祷会」が聖マルコ教会(聖公会)で行われる。テーマは「すべての人の平和を願い、すべての人の平和を祈る」
・ 6月30日(日)過去7回の幼児洗礼受洗家族を対象にティーパーティを開催した。7家族が参加し、活発な意見交換が行われた。日曜学校前の子供の信仰教育について話し合っている
・ 8月4日(日)は一粒会祈りのリレーの今年の担当日。この日は共同祈願の時に「召命を求めるいのり」にかえて「一粒会祈りのリレー」をする
・ 9月23日(月)函嶺白百合学園にて一粒会大会が開催される。希望者は8月10日(土)までに鈴木崇代さんまで申し込む
・ 9月から来年3月まで、新たな堅信準備を開講する。テキストは「聖霊とともに」を使用する。8月25日(日)のミサ後、中高生対象のフォローアップバーベキューをする
・ 三浦神父の連続講座「人生の終わりを迎える日に備えて」の第2回講話は6月22日(土)に行われ40名が参加した。第3回は7月27日(土)「死の時までの生活の仕方について〜何をどうするか?〜」。第4回は9月28日(土)14時から15時30分
(教育)
・ 7月26日(金)〜29(月)ボーイスカウトキャンプ
・ 8月6日(火)〜8日(木)ガールスカウトキャンプ
・ 8月23日(金)〜25日(日)第5地区日曜学校・中高生会合同キャンプ
・ 8月17日(土)中高生会江戸巡礼(片瀬教会・藤沢教会)
・ 9月4日(日)子供のミサ
(典礼)
・ 9月15日(日)ミサ後、祝敬老とエルダース20周年を記念して、コンサートをする
・ 9月29日(日)11時から、典礼奉仕者養成コース卒業生の集いをする
(福祉)
・ 9月12日(木)敬老会のミサを例年通りお願いしたい。送迎の必要な方の敬老会は今まで11時でその後お食事会だったが、ご高齢の方にお食事会は負担になるかもしれないので、ミサを10時にしてお茶会にする
・ 各ブロックは個人情報の問題はあるが地震防災を考えて、独り暮らしの老人を把握してほしい
(広報)
8月9月合併号は8月4日原稿締切、8月18日(日)発行。次号は10月6日発行予定
緑陰黙想会に参加して
辻堂1区 森田
7月15日、イエズス会の英隆一郎神父様のご指導の下、1日黙想会に参加しました。場所は聖心の布教姉妹会本部修道院。和風のずっしりと格調ある門をくぐると広大な森に入った様に鬱蒼とした木々が、夏の光の中で静謐さを醸し出していました。また、瓦屋根の八角形の聖堂、レンガ造りの修道院など、初めて訪れた私はそのたたずまいへの感動から始りました。
さて、英師は、いつもの様に静かな口調で20分ほどお話をされ、その後の40分を私たちは沈黙の内に与えられたヒントと共に各々黙想をしました。テーマは「交わりとしての共同体を目指して」です。三つのお話がありました。
一つ目は使徒言行録2:42〜47、聖霊降臨の後の所です。初代教会のキリスト者は、当時の慣習通り土曜日が安息日で、日曜日朝早くどこかの大きな家に集まり、パンを裂き、食事をして仕事に出掛けたとの事です。でも後にいつの間にか安息日を日曜日とした様です。聖霊降臨後、人々は驚きながらも生き生きと共同生活を送り、ペトロの力強い説教を聞いて、その日に三千人程の仲間が加わった、とあります。今の私たちの教会のモデルがここにあります。初代共同体はどの様だったのでしょうか。彼らは四つの原則に熱心だった。すなわち、使徒の教え(今のみことば、福音書)、相互の交わり(デイアコニア)、パンを裂く(ミサ聖祭)、祈り(詩編を唱える)です。相互の交わりとは、助け合い、支え合い、分かち合うこと。当時は文字通り物を分け合つたと。パンを裂く事も今の小さなホステイアではなく、ナン?の様な大きなパンであつたらしい。こうした中で人々は喜びと真心を持って神を賛美していたとあります。終わりに英師は、では各々自分の共同体体験を振り返ってみましょうと私たちを黙想に導いて下さいました。
二つ目は1コリント11:23〜26、主の晩餐の制定のところです。ミサ聖祭の記述はここが一番古いとの事です。コリントは信仰都市であつたが、やがて分裂が始まっていたので、パウロは心を痛め手紙を書いています。共同体のあり方とミサとの深い関係の事を。先ずパンを裂くとはイエスの受難の象徴で、私たちはその受難に与る、苦しみを分かち合うという事、イエスはわたしたちの共同体が分裂し易い事をご存知なので、ご自分を裂いて(パンを裂いて)私たちを一致させようとされたとパウロは述べています。ミサの中で私たちは平和の挨拶をしてから---一致を確認してから---ご聖体を拝領する、これはカトリツクの大事なところと英師はおつしゃいました。
昼食を挟んで、三つ目は1コリント12:1〜31、霊的賜物についてです。コリントのゥ教会で起こった解決出来ない問題に対して、パウロは答えています。初代教会は聖霊の働きが強かつたので、諸々の賜物が人々に与えられたが、そこには優劣が無いということ、また、身体に喩えて共同体はキリストの身体であり、手や足各々の違いを認め合うこと、初代教会でも初めは皆一致団結していたのに、すぐ能力ある人達の間で自分の方がエライと競争が始まる、いわば賜物競争だと。今も、市民活動が理想に燃えて始まるのにやがて99%分裂する。分裂しない団体とは、超カリスマ的リーダーがいるか(もつとも、いつかは分裂の憂き目に会うのでしょうが)、無気力な団体だそうです。この世は強い人が牛耳り、弱い人は切り捨てられて行く。逆にパウロは弱い人をこそ中心に置く事だと教えています。
ジャン・バニエは問題の無い共同体は実は内に問題が隠されている、問題のある共同体と共に歩める共同体こそ理想的共同体であると述べています。そのためには愛が無ければ出来ません。パウロもどんなにすばらしい諸々の賜物やあらゆる知識を持っていても愛が無ければ無に等しいと説いています。
さて、私たちの属している家庭、教会、仕事場などなどの共同体はどんなでしょうか。問われています。緑陰黙想会を計画して下さつた方々、英神父様はもとより修道会の方々に心よりお礼申し上げます。大変豊かな1日を有難うございました。
ガーデンパーティー
辻堂1区 浮田
今年のガーデンパーティは、例年通り8月の第1日曜日、即ち4日の16:30から始まりました。数年前までは第1土曜日に行われていましたが、外国コミュニティの皆さんが仕事の関係で参加し難いとの理由で、日曜日の開催となった訳です。
パーティに先立ち、当日のお料理のメニューは?量は何人分作る?アトラクションは誰が何を?その順番は?ミサの合間に会場の設営はどうする?ドリンクは何をどれだけ仕入れる?天候判断は何時誰が?・・等など、取り決めることは多種多様沢山あります。
しかし、外国コミュニティの方々を含めて、スタッフが集まる準備会はたった二度で済みました。これまでの色々な経験がある手慣れた人々が集まって、実にスムーズにことを運んだのです!少し大袈裟かも知れませんが、国際ミサ他を通してこれまで私達が培い、分かち合って来た歴史が、こういう時に役立つのだとつくづく感じました・・嬉しいですネ。
心配した当日の天気は、絶好のガーデンパーティ日和(ちょっと暑過ぎ?)で、そこいら中のテーブルから、楽しそうな笑い声が聞こえてきます。聖堂前のステージでは、歌やダンスの楽しいショーが繰り広げられました。こうしてあっと言う間に夏の夕の宴は終わったのですが、やや残念だったのは日本人の参加が少なかったかな?という点です。
ガーデンパーティはもう数十年前、男性達が堅い話を抜きにしてたまには教会の庭でお酒でも飲んだら!というご婦人方の提案で始まったと聞きます。それが今日の様に形を変えてきたのですが、友人や近所の方をお連れして教会を知って頂く、また共同体の仲間と一層深く知り合える絶好な機会でもあります。どうぞ、来年(もしあったら?)は是非参加下さい!
このパーティを手伝い、支えて下さった方々に感謝。
藤沢教会を育成母体とするボーイスカウト藤沢16団は、来年5月に創立40周年を迎えます。併せてカトリックスカウト創立100周年"Keep the lamp burning"を記念して、7月26日〜29日、新潟県の妙高教会で団キャンプを実施し、スカウト・リーダー31名が参加しました。ロバート神父にもミサと朝の祈りを共にしていただき、苗名滝ハイクや流しそうめん、キャンプファイヤを楽しみ、体を強くし、心を健やかに、互いに徳を養いました。入団説明会を、9月22日(日)11時30分から予定しています。お子さん、お孫さんも一緒にお越しください。
ボーイスカウトのキャンプで、みょうこうこうげんにいきました。はじめてのキャンプでドキドキしたけれど、たのしいことがいっぱいありました。中でも一ばんのおもいでは、なえなだきへのハイクです。カブたいのお兄さんたちといっしょに、4じかん歩きました。とおかったけれど、と中の森でキノコやカエルを見つけたり、いもりいけでスイレンを見たりしながら、たのしく歩けました。もっと歩きたかったです。がんばって歩いたので、あとで「かんとうしょう」をもらいました。とてもうれしかったです。
3ぱく4日のみょう高高原キャンプ おつかれさまでした。今年のキャンプでぼくの思い出に残ることは、何時間も歩いてがんばったごほう美で見られた「なえ名たき」です。去年、立山のキャンプに参加した時に見た「しょう名だき」と同じぐらいにきれいでした。しょう名だきは落さがありましたが、残念ながら降水量の関係か、2カ所のうち1カ所から流れ落ちるたきしかみられませんでした。そのためなえ名だきは、すごい水力で流れ出ていたので、はく力を感じました。次はどんなたきに出会えるか楽しみです。
この40周年記念キャンプに行って感じたことは、「つらい」の一言である。4日間のキャンプ場にいた中で2日以上、雨が降り止まなかったことは言うまでもない。最もきつかったのは、撤営の時である。雨の中で、晴れの時とは真逆の展開でやっていくやり方は、ボーイ隊参加者の4名も全員初めてだったが、てきぱきとしっかり動いてくれていたので、せめてよかった。ボーイ全体として、みんながしっかり動いたところはそのプログラムぐらいであろう。でも班員がいなければなしえなかったキャンプであるので、その点は感謝したい。個人的には、流しそうめんとBBQがプログラムとして一番楽しめたと思う。また機会を設けてほしいと思う。3日目にあったキャンプファイアは、カブの出し物が一番良かった。もちろんビーバーも。僕の隣に座っていたカブスカウトを主に、皆の演技を見ながら、「宿舎で羨ましいな」とも考えていた。しかし、大人にしかウケが取れなかったあのボーイの出し物は、今思っても恥ずかしくなってくる。そんなこんなで、このキャンプではとても苦しい時があったが、時折、楽しいことがあったのでよかった。何らかの行事があるときは、陰で必ず誰かが動いていると集会で隊長らが言っていたことを忘れずに次回も頑張っていきたい。
今回の団キャンプで私が学んだことは、自分のことだけでなく人のことを考えるということです。設営する、食事を作る、キャンプファイヤの薪を組む、撤営するなど、何をするにも1人だけではできないし、一人一人協力しないと何も進みません。そして、うまくみんなが協力していくために、年上のスカウトが指示をしていかなければなりません。私は上級スカウトとして、全体を把握して下級スカウトのことを良く考えて行動することが大切だと学びました。さらに、このキャンプはリーダーや団委員さんたちが企画してくれ、キャンプに必要な食材や道具を用意してくれました。リーダーや団委員さんの協力が無かったら、このキャンプはできませんでした。私はリーダーや団委員の皆さんに本当に感謝しています。そして自分自身も怪我無く帰って来れたことに感謝しています。これからも、ボーイスカウトの活動には必ず誰かの協力があるということを頭に入れながら、リーダーや下級スカウトのことを考えて行動していきたいです。
ガールスカウトキャンプ
ガールスカウト神奈川県第105団 ブラウニー3年生 熊田
私は6月29日から1泊2日で足柄ふれあいの村へ行きました。
宿までの道のりは坂道が多く、荷物は重くとてもけわしく長く感じました。
荷物を置いた後、少し歩くと昔の小学校がありました。
校長室にはこわれている物がたくさんありました。
高校生みたいなちょっとこわい顔をした人たちに「こんにちわ」と言われましたが、はずかしくて小さい声で「こんにちわ」といってしまいました。
保健室になぜかオルガンがあり、ぜったいこわれていると思ったけど、音がなってビックリしました。
ロープウェイにものり、最初は「だいじょうぶかな?」と心配でしたが景色がよくすごく楽しかったです。
帰る日にビール工場にも行きました。ビールの色々なことを知りました。ジュースがとてもおいしくて3ばいもおかわりできました。工場の庭はとても広くて、きれいな花がいっぱいで水もきれいでホタルもいるそうです。思っていたよりキレイでした。
この2日間歩くのはちょっとキビしかったけど、色々なことができてとてもとても楽しい体験ができました。
NPO法人カリタス釜石よりの連絡です。「7月中旬〜9月末にかけて多くのボランティアを希望してくださることが見込まれます。一人でも多くの方と釜石で時間を共にしたいのですが宿泊の関係でどうしても定員が発生します。定員に達し次第締め切らせていただきますのでお早めにお申し込みください」。事実8月1日の活動人員は31名です。7月初旬は1日15人位の人数でした。
釜石でボランティア活動に興味のある方はホームページ・カリタス釜石をご参照ください。毎日の活動内容が仔細にご覧になれます。 (丸山)
6月24日より27日まで、カリタスジャパン・米川ベースに滞在し、南三陸に行ってきました。のどかな山村の米川から、車で峠を越えると様相は一変。志津川湾に面した平地には、建物が無く、草の波があたり一面を覆っていました。草の波は、3年目の夏草が、かってあっただろう民家のコンクリート土台を覆う様に茂っている姿で、南三陸町の防災センターは鉄骨のみがポツンと残っていました。 山裾はある一定の高さまで褐色に木が枯れており、その高さまで津波が到達したのだろうと容易に見てとることが出来、さらに高い所に住宅地を造成中でした。以前は静かで、のどかな風情の漁村だったのだろうこの町が、静かな時を過ごせる日々が何時になれば来るのだろうかと心さびしく感じました。
ボランティア作業は、南三陸ボランティアセンターで割り振られ、私は、瓦礫撤去や牡蠣の清掃などのお手伝いをしました。瓦礫撤去は、伊里前商店街の近傍でコンクリート片やガラスの破片などを集める作業で、地面を少し掘っただけで、茶碗のかけらや、スプーン、子供のおはじきなど生活用品がどんどん出てくる。今は荒れ果てたこの土地に、ほんの少し前まで人の生活があったのだ、ここに住んでいた人は無事だったのだろうかと思わず祈りながら作業を進めました。 牡蠣の清掃は、志津川漁協の牡蠣作業所で、牡蠣のまわりについたムール貝、フジツボや海藻などを、分厚いゴム手袋をはめて、大きな器具を用いて取り除きました。海水が飛んで顔にかかったり、ゴカイがうにょうにょとハイ出てきたり面白い面もありました。ボランティア作業の合間に現地の方と少しお話しをする機会があり、津波のものすごさや若者たちが復興に向かい力強い第一歩を踏み出している様子を伺い、まだまだこれからなのだとの思いを強く持ちました。
自宅に戻り、日常の雑事に埋没している自分を見るにつけ、被災地との距離感(地理的、精神的)をひしひしと感じ、今、ここで何が出来るのだろうかと思う日々が続いています。(押木)
今月は、仙台の報告になります。
7月30〜8月1日まで米川ベースに入りました。米川ベースには聖母訪問会のシスター方がたくさんおられ藤沢教会が提供された生地・毛糸・ミシンなどが届けられている仮設住宅を訪問致しました。私が想像した以上に生地・毛糸などが活用され、ひとつのグループとなって分からない事はお互いに教え合いながら「手芸」を楽しんでいました。おやつは東北名物の「おしんこ」で各家庭からの持ち寄りのものを、ご馳走になりました。
また、翌日は南三陸に入りました。ここでは津波で漁網が全滅したのですが、全国から寄せられた様々の種類の網を漁業再開のために作り直すお手伝いをしました。その時に一人の漁師さんが、流された網が今頃どこかで迷惑をかけてないだろうか?と心配をしておられたのが印象的でした。
短時間でも出来るボランティアがたくさんありますので、皆さん出掛けてみませんか?東北の人々はいつも待っています。
8月11日・18日のミサ後に皆様からご協力頂きました「ネクタイ」で作られた「ミニポーチ」を販売致します。ロザリオ入れ・薬入れ・小銭入れなど用途はたくさんあります。是非ご自分の提供された「ネクタイ」を探してください。又、近隣教会からもたくさんの「ネクタイ」をご協力頂いています。お声をかけてくださった皆様にお礼申し上げます。有難うございました。これからも引き続きよろしくお願い致します。(曽根)
石巻の醸造品や、福島の農産物販売もやや低減傾向にあります。我々は少しでも多く販売し、被災地に貢献できればと考え、がんばっております。さて、福島は果物王国と言われております。これからは収穫時期となり、おいしいモモやブドウなどが入荷します。是非皆様「被災地からのおいしいもの」をご賞味ください。(牧野)
福島の子ども達を迎えて
NPO「子どもたちに未来をin湘」 浅野(善行)
まだ恋も 知らぬ我が子と思うとき 「直ちには」とは意味なき言葉
俵万智さんが福島原発事故により、お子さんと避難された後に詠まれた歌ですが、これはそのまま南相馬のお母様達の気持です。昨年の夏休みに、福島の子ども達を湘南に呼ぼう!と始めた活動も夏休み、冬休み、春休みそして2度目の夏休み保養プログラムが実施されました。南相馬の家族25名は7月26日から29日まで寒川神社に宿泊し、児童養護施設・福島愛育園の子どもと職員43名は8月2日から6日まで建長寺に宿泊しました。
今もなお南相馬では放射能から身を守るために、子ども達は家の玄関から学校の玄関まで車で送迎しています。放課後も外で遊べない子ども達のことを、一緒に保養に来られたご家族の皆さんは心配していました。何とか自費で除染しても、数ヶ月でもとに戻ってしまう「イタチごっこ」のような日々でのストレスは計り知れないものでしょう。子供達の将来のこと、避難して4割は戻ってこない生徒達のこと、バラバラで生活しなければならなくなった家族のこと、狭い間取りの気疲れと窮屈さ…とお話は尽きることがありませんでした。「遠くに行った人たちのことはそれでいいんだ、子ども達も自分で選べる歳になったら南相馬を出て戻ってこなくて良い」と何度も自分に言い聞かせるように話してくれましたが、福島の家族の抱える苦悩は日本全体が共に担う問題と思います。10月1日から2日まで、教会の卒原発主催で南相馬にバスで行きます。関心のある方、ご一緒しませんか。
福島愛育園の子ども達とも1年ぶりの再会です。昨夏に、浮田さんのお宅に宿泊させていただいた数人は小学校の1年生になっていました。浮田さんがどんなに喜んで、子ども達を抱きしめたか…。第2日目は班ごとに出かけました。「今年も海で釣りをしたい」と釣り竿持参組や、新江ノ島水族館、銭洗い弁天や源氏山散策、江ノ電に乗りたい、小町通りを歩いて七里が浜で昼食などなど、思い思いの計画での一日でした。第3日目は海浜公園のプールに行きました。「流れるプールが楽しかった」と真っ黒に日焼けした笑顔で話してくれました。夜は小野さん達のやすらぎマジッククラブ7名の演技に大喜びし、片瀬教会の方からお茶の作法を学び神妙な顔でのお手前でした。
回を重ねてきたことで、互いに心をゆるし合い楽しむ事もできてきたように感じています。南相馬の家族の為のポストファミリーには3組10人が応えてくれました。原鉄道模型博物館と日清カップヌードルミュージアムは団体行動をし、その後家族単位で動きました。ご協力ありがとうございました。ホストファミリーして、南相馬の家族と一日を共にしてくれた小さな大使のメッセージです
とても良い友だちができて楽しかったです。また遊びに来てください。
こっちも遊びに行きたいです。優作(小4)
東北ボランティア活動サポートチーム
一年を振り返って
鵠沼2区 小藤
2011年3月の大震災以来、2年4ヶ月の歳月が流れました。被災地を訪れますと、町の倒壊した建物は解体撤去され、瓦礫もきれいに片付けられて更地となり、新しい道路の建設も始まって、復興が進んでいるかに見えます。しかし、一歩郊外に出ると崩れた建物もそのままの小さな集落がありますし、ましてや原発事故の放射能で汚染された福島県の多くの地域ではいまだに全く手付かずの状況です。また大勢の人々が今も仮設住宅や故郷を遠く離れた土地での避難生活を余儀なくされています。このような状況の中で藤沢教会の東北ボランティア活動サポートチームが発足して1年が経過しました。そこでこの1年を振り返り、体験の分かち合いを通して、今後の方向について話し合い、考えるために7月28日(日)9時半ミサ後「一年振り返りの集い」を開催しました。アドバイザーの鈴木勁介神父、サポートチームのメンバーをはじめ、これまでにボランティアとして被災地を訪れた人たち、被災地の物産販売やその他支援活動に関わってきた人たち30人ほどが集まり、熱心に話し合いが行われました。
まず、サポートチームのメンバーからこれまでの活動内容について報告がありました。この1年間に岩手(釜石)、宮城(石巻・米川)、福島(原町)の各地には延べ40人ほどの信徒がボランティアとして出かけました。釜石は遠距離にあることもあり、ボランティアに来る人が少なく不足しているそうです。また原町は放射能汚染の影響で立ち入りできなかった地域に入れるようになったので、手付かずだった震災後の片付け作業が漸く始まり、そのためのボランティアが必要になるとのことです。被災地の物産販売(福島県からの野菜・果物、石巻市からの味噌・醤油など)では皆様のご協力のお陰で毎月平均7〜8万円の売上げがありましたが、ここにきてやや減少傾向にあるとのことです。引き続きご協力をお願いします。放射能汚染のために野外で遊ぶことができない福島県の子供たちが休暇を利用して湘南に保養に来たときの対応にも藤沢教会の信徒家族は協力しています。子供さんやお孫さんと一緒に来られたご家族の方とも直接お話できるいい機会だと思います。資金面ではチーム発足以降バザー収益からの106万円も併せ146万円のご寄付をいただきました。その内50万円は福島県原町教会へ寄付、そのほか主にボランティアの被災地への交通費補助、仮設での手芸用材料など物資輸送費に活用させていただいています。皆様のご協力に心から感謝いたします。
次にこれまでボランティアに参加された方々から、活動を通じて感じたこと、サポートチームに対する要望など分かち合いを行いました。被災地の海岸に近い場所では地盤沈下が激しく、復興にはかなり時間がかかるであろうことを実感した、被災者の中でも震災当時の悲惨な体験を自ら語ってくれる人もいれば、今でも思い出したくない、話したくない人など様々なので、被災者との会話には気を遣ったなどの体験談がありました。またボランティアに参加したい気持はあるが、なんとなく躊躇してしまうので、きっかけを作ってほしいとの意見もありました。今回の集いに福島県から藤沢に避難して来ておられる信者の方が出席されて、避難生活の心境などお話くださいました。藤沢および周辺地域で避難生活を送っておられる方々が集まってお互いに話ができる場所が必要であれば教会をご利用くださるようにお伝えしました。最後にアドバイザーである鈴木神父より今日の集いの総括として「被災地を見たり、被災者の方から話を聞いたり、ボランティア活動を通して何かを感じたことから一歩が始まるのではないか」「皆が参加してみよういう気になるような企画の具体化」「そのためにはサポートチームの仲間を増やすことが必要ではないか」などお話がありました。今後の活動に生かして参りたいと思います。皆さん、まだ遅くはありません。ボランティアとしてではなくても、観光でも、温泉めぐりでもいいでしょう、とにかく一度現地を訪れてみましょう。被災地の人々は待っています。いろいろな出会いもあります。そしてそこから一歩が始まります。
フィリピンコミュニティ25周年
湘南台 秋元
藤沢のフィリピンコミュニティは1988年6月にわずかな数のメンバーだけで設立されましたが、現在はとても増えています。すべてのメンバーの協同によって、私たちは長い人生の道のりを歩み、今とても幸せで、恵に充たされ、そしてこのことを誇りにしています。
去る6月16日、私たちはこの記念日を祝いました。最初にミサ、そしてその後フィリッピン音楽による歌や踊りラッフル、そして一緒に食事をする小さなプログラムが行われました。この簡素なお祝いを通して、私たちはお互いにそれぞれのやり方で、自分たちの幸を表わしました。
私たちは多くの方法で私たちを支えてくださった藤沢の小教区のみなさんに感謝します。藤沢カトリック教会のおかげで、私たちフィリピンコミュニティは今もここに存在しているのです。私たちのコミュニティが他のコミュニティとともに、いつまでも、世々に続いていきますよう望み、お祈りします。
バザー準備会報告
バザー準備会 辻堂2区 佐々木
今年のバザーは10月27日に行います。6月30日の第1回準備会に続き、7月28日の9時半のミサ後に第2回のバザー準備会を開きました、他の会合と重なり6名の欠席がありましたが、17名が集まりました。色々な意見が出され、皆で検討しました。先ずバザーの目的を「近隣の福祉」、「教会の修繕費用」、「協働の喜びを体験する」と確認しました。今年は今までのやり方を見直す機会を得、単一ブロックではなく教会全体から有志が集まってバザーが企画されています。準備の段階からの簡素化を目指し、バザーをして良かった・・と思えるように、また来年に繋げられるようなものにしたいと考えています。
賛助金は各地区への配布を止め、封筒を聖堂内に置くようにします。9月に入りましたら日曜日各ミサ後に賛助金のお願いをします。ブロックの連絡会で各地区の実情にあった方法で協力のお願いの仕方を検討して下さい。ウエルカム券は50円券10枚綴りで500円とし、各ミサ後に販売致します。
多くの労苦が求められる会場の設営に関して、毎年中心になって働いて下さっている沼波さんからいくつかの提案がありました。
1) 以前と同じでなく、新しい視点で考えて欲しい
2) 作業する人の高齢化を考慮し、出来ることと出来ないことの確認をしたい
3) 衣類用のハンガーラックは設置しない。代替え品の購入を考える。商品のストック棚は作らない・・など
9月に入りましたら聖堂入り口に各部門の「お手伝い表」を貼りますので、ご協力下さる方はご記名をお願いいたします。8月25日に3回目の準備会を予定していますので、ご意見、ご提案などお寄せ下さい。
私達1人1人が小さな平和の道具として働くことができますよう願っています。ご協力をお願い致します。
書評「教皇フランシスコ」
―12億の信徒を率いる神父の素顔
藤沢2区 兼子
新教皇は就任直後の第一声で「奉仕の精神こそが真の力です。教皇はみなさまに、取り分け最も弱く、最も貧しく、最も虐げられた人々に仕えてまいります」と高らかに宣言された。その首には通常、教皇のつける金の十字架の代わりに、彼が昔からつけている「鉄の十字架」がぶら下がっていた。「もっとも貧しい人たちに、(仕えられる為ではなく)仕えるためにきた」という言葉は、なによりも明確に新教皇の立ち位置を表している。
いまや世界のカトリック信徒12億の頂点に立つ新教皇(G.M.べルゴリオ神父)だが、3月13日に教皇に選出されるまでは部外者にとっては殆んど無名の存在だった。その教皇が選んだフランシスコ(歴史上初の教皇名)という名前に籠められた意図は何だろうか。素直にそれを読み取ろうとするなら、13世紀初に「私の教会をたてなおせ」という神の声を聴いたアッシジの聖フランシスコに倣う「清貧、他宗教に対する寛容の態度、なにより虚飾を排し徹底した改革の必要性」をアピールする姿勢だろう。
この本の帯には「日本語で読める初の評伝」と記されているが、じつに時宜にかなった翻訳の出版である。カトリック・プロテスタントを問わず、キリスト教信者ではない日本の多くの人達にとって新教皇の素顔はどう映っているのだろうか。新教皇はどういう方なのか。新教皇はどういう姿勢で教会の改革に臨もうとされているのか。南米のアルゼンチンにイタリア系移民の子として生まれた教皇の生い立ちから、教皇に選出されるまでの聖職者としてのキャリアの各ステージにおける「飾らぬ素顔」をこの本ほど、わかりやすく魅力的に述べている本は他にない。
欧米における教皇の影響力について日本の国内にいては分かりにくい。スターリンはかつて「教皇は何個師団の戦車をもっているのかね?」と尋ねたと言われるが、たとえ現代における教皇の軍事力は皆無でも、信仰の最高の指導者としての影響力は大きい。教皇が世界のカトリック信徒の道徳的・宗教的行動に与える影響にはじつに多大なものがある。それ故にまた教皇の担う責任も計り知れない。
バチカンは現在、かってない深刻な問題を抱えている。バチリースク・スキャンダル(聖座内情報漏洩)は前任者べネディクト名誉教皇の退任の意思を予想以上に早めたかもしれない。その他にも北米やヨーロッパの聖職者による児童性的虐待の解決も終わってはいない。先進諸国における多様に変化する婚姻のありかた、生命の始まりと終りにおける医療倫理のアポリア、そして各地で火種となっている宗教間の争いの対話による解決の促進、しかし教会の直面する最大の問題は「信者数・聖職者数の減少」だろう。日本の信者数も高齢化により、じりじりと減少の一途を辿っているが、ヨーロッパにおける急速な世俗化による教会離れは深刻である。世俗化の浸透とともに教会を去り、散りじりになった迷える子羊たちを主のもとに連れ帰るのは容易なことではない。カトリックから他の宗教に転向するものもいる。かつて(19世紀末)ブラジルは99%カトリック国だったが、いまでは64.6%にまで落ちている。さらに深刻なのは、ヨーロッパにおける聖職志願者の減少である。(信者数の増加と相関し、しかしこれはアジアやアフリカという他の大陸が補いつつある)これらの難問の解決はどれもみな容易ではない。
前任のべネディクト十六世が自らの選出のコンクラーベを前にした真摯な祈り「それだけは、おやめ下さい。私より適任者がいます」は新教皇の場合も同じだった。いや状況はもっと悪化していると言えるかもしれない。救いはヨーロッパ大陸からではなく、アジア、アフリカや新大陸からくる。そういう意味でヨーロッパの伝統の柵のない新大陸からの初の教皇の選出は希望を抱かせる。上にあげた多くの問題を前にして、21世紀のバチカンはどこに向かおうとしているのか。12億のカトリック信徒は期待をもって見守っている。
私たちに馴染みの少ない「コンクラーベ」についても、この本はかなり詳しく伝えているが、最後に新教皇のユーモア精神にも著者エスコバルは触れている。即ち「コンクラーベ」直後の枢機卿たちとの晩餐の席で、教皇は「あなたがたがなさった(自分を教皇に選出した)ことを、神様が赦して下さいますように」と述べた。その時の教皇がどのような顔をなさっていたかについては残念ながら著者は何も書いていない。
この本によると教皇はどのような階層の人とも分け隔てなく接する方であること、他人に対する思いやりの人であることは分かったが、それだけではない。厳しいと同時にユーモア精神のある方でもあるのだと。
(M.エスコバル著 八重樫克彦・由貴子訳 新教出版社 1470円 「ガリラヤにて販売中」)
歴代駐日教皇庁使節の年譜
鵠沼3区 高木
・ 初代使節ペトロ・フマゾニ・ビオンディ大司教
1872年ローマ生まれ。
1919年(大正8年)11月26日駐日使節に任命。
1920年(大正9年)3月11日着任、49歳。東京市京橋区明石町35番地の旧東京大司教館に入る。秘書官シャンボン神父。1921年(大正10年)3月26日神戸出帆、12月アメリカ合衆国使節に着任。
・ 第2代使節マリオ・ジャルディーニ大司教
1877年ミラノ生まれ。使徒バルナビト修道会司祭、
1921年(大正10年)12月8日駐日使節に任命。1922年(大正11年)3月18日神戸上陸、44歳。秘書官早坂久之助神父、大正12年9月1日の関東大震災で築地の使節館が破壊のため上智大学教授館に仮寓。間もなく10月には荏原郡大森町山王台3135番地に住居。翌大正13年11月には麻布区霞町22番地の芳沢邸に移る予定をするも大正14年5月麻布区本村町144番地に移る。続いて大正15年11月26日麻布区新龍土町12番地の三井物産会社某氏の邸を(670坪)入手する(市電麻布3聯隊下車)。昭和3年(1928)11月10日の天皇即位大典で出席を申し出るも列国外交団の席次にないため断わられる。昭和6年(1931)4月11日帰国する。
・ 第3代使節エドワード・ムーニー大司教
1882年アメリカ合衆国メリーランド州マウントサベージで生まれる。
昭和5年(1930)駐日使節に任命、昭和6年3月27日着任、49歳。昭和8年(1933)1月24日日米関係が険悪となり復命する。当時、日米間には太平洋の防衛を巡り争いが激化して鹿児島県下では男子フランシスコ会士や女子修道会までもが弾圧を受け全員が退去させられていた。
・ 第4代使節パウロ・マレラ大司教
1895年ローマ生まれ。
昭和8年(1933)9月15日駐日使節に任命、12月19日横浜上陸、38歳。昭和9年使節館にスチームを入れたり、倉庫、車庫、玄関、応接間、食堂などを改造する。昭和9年2月秘書官土井辰雄神父、昭和13年3月秘書官田口芳五郎神父、昭和16年(1941)12月8日日英米開戦、昭和17年(1942)6月にローマ教皇ピオ12世の親書を天皇に奉呈、両国の国交が始まる。昭和18年(1943)9月29日、戦争激化のため「外国人ノ主要都市退去命令」が出され、秘書ウンベルクロード神父と共に12月神奈川県足柄上郡宮城野村強羅1300番地に疎開する。(現在の白百合小学校の斜め前、もと山岡理髪店の所)その後更に宮城野村仙石原に再疎開する。昭和20年(1945)4月15日、東京の使節館が空襲により焼失する。8月15日日本の敗戦により12月に麻布区新龍土町12番地の旧ビルマ公使館跡に入る。昭和20年12月15日GHQが「外交停止命令」を発したため12月17日在ローマの日本公使館は閉鎖されるも、在日使節館は宗教使節館として機能停止はなかった。それに11月21日GHQはマレラ大司教を在日在韓米軍の従軍司祭総代理に任命している。昭和23年(1948)8月19日、千代田区麹町3番町9番地の味の素鈴木社長宅を入手するも12月にオーストラリア使節に任命され昭和24年2月10日東京駅を出発して呉から空路シドニーへと去っていった。
・第5代使節マキシミリアン・ド・フルステンベルク大司教
昭和24年(1949)3月8日、駐日使節に任命され7月2日着任。一時仮使節館である内田医院跡に入るも9月5日千代田区麹町3番町の使節館に入る。昭和27年(1952)4月28日、日本政府と聖座との国交回復により教皇使節は教皇公使に昇格した。以後、宮中で信任状・解任状の奉呈が行われている。因にローマ教皇使節は1815年3月19日(文化12年2月9日)ウイーンで採択の「外交使節の席次に関する規則」によると列国外交団の代表的資格となっている。また、1961年(昭和36年)4月18日ウイーンで採択の「外交関係に関するウイーン条約」に日本政府は1962年(昭和37年)3月28日署名、7月8日効力発生、6月26日公布となっている。その第14条では、教皇使節は外交団の代表となっている。
今年の夏も猛暑が続いております。立秋を過ぎたのも忘れてしまいそうな相変わらずの日々、一日も早く風の音に驚きたいものです。皆さまもうしばらく熱中症にお気を付け下さい。 「YOUCAT(日本語)――カトリック教会の青年向けカテキズム」 「まだ見えなくてもあなたの道は必ずある――世界にたったひとりの自分へ」
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福音川柳(続20)
主任司祭 鈴木
今回はC年その3です。( )内は鈴木神父の注記です。
2013年
5/5
分裂をしたがる性(さが)は原罪か
(復活節第6主日)「ヨハネ14:23−29」
(人の世はとかく意見が割れるが、父と子と聖霊がちらっと頭をかすめれば・・・)
5/12
赦されているかいないかクイズです
(主の昇天)「ルカ24:46−53」
(まだ悔い改めが足りないと思っているくらいが、
健全な証になっているのではないか)
5/19
ないものか ああ聖霊の風予報
(聖霊降臨の主日)「ヨハネ20:19−23」
(聖霊に従いたいが、その働きがよくわからないのが悩み)
5/26
二人では神様だって行きづまる?
(三位一体の主日)「ヨハネ16:12−15」
(三位一体の神として神がご自身を表わされたのは、
人間のためになることだから)
6/2
本当の良い子はパンにありがとう
(キリストの聖体)「ルカ9:11b−17」
(パンに込められたイエス様の苦労が見えるでしょうか)
6/9
これからは感動したと言わないで
(年間第10主日)「ルカ7:11−17」
(これほどの奇跡を見てイエスに心動かされたのに、
十字架につけてしまった人々・・・)
6/16
赦された思いがわかる 優しさに
(年間第11主日)「ルカ7:36〜8:3」
(優しさに秘められた 赦された経験の神秘)
6/23
十字架を背負っているよないないよな
(年間第12主日)「ルカ9:18−24」
(人は皆人生のどこかで十字架を背負って生きているが、
そうだからこそ復活の希望が見える)
6/30
なまじっか考えなけりゃわかるもの
(年間第13主日)「ルカ9:51−62」
(ともに生きることにも苦しみがある、
その中にある意味はいつわかるのだろう)
7/7
気がつけば神の国より勝ち負けに
(年間第14主日)「ルカ10:1−12、17−20」
(イエズスさんは、私達がどの程度のものかよくご存知です)
7/14
み言葉は厳しい掟か福音か
(年間第15主日)「ルカ10:25−37」
(「あなたはそれ(律法)をどう読んでいるか」と、主はいわれる)
7/21
耳が遠い 他人(ひと)のことではありません
(年間第16主日)「ルカ10:38−42」
(皆 神さまの言うことをなかなか聞けないが、
いつか聞く恵みをいただく時が来る)
7/28
しつように祈れるほどのことあれば
(年間第17主日)「ルカ11:1−13」
(しつように祈れれば、
思いがけないとき、思いがけない形で神はこたえてくださる)