八 角 形 に ゅ ー す
2001年12月9日
聖シモン&聖ユダ
藤沢カトリック教会
目次
現代的なキリストの誕生・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・主任司祭トーマス・テハン神父
教皇様の呼びかけについてのお知らせ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・横浜教区長 梅村 昌弘
恵みの時・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・カプチン会 ペトロ神父
印象的だった黙想会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大庭 池田 孝
ある証人の話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 本多 正昭
親愛なるイエスさま・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・平塚教会 山本 祥子
めぐみの季節・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂3区 鈴木 和子
新しい聖堂の発見・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 岡村 正
受洗アフターケアー講座現在進行中・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長後 戸村 忠子
多発テロの犠牲者を哀悼し平和を祈る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 浮田 久子
父と子と聖霊のみ名によってアーメン・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善行 加藤 君子
こんな私・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・堀川 春雄
ボーイスカウト藤沢16団・キリスト教章受章者レポート・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 岡田 友季子
キリスト教章講座を受けて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鵠沼1区 山本 篤
宗教章レポート・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 岡田 牧人
宗教章課題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 平井 敏之
フィリピンからの便り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 海老原 美子
親と子のかかわり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 綿貫 明宏/光江
聖書100週間・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 渡辺 義夫
『あの人は今、林 大樹』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 本多 正昭
「聖霊による生活刷新セミナー」について・・・・・秦野教会 寺田 正明/浅田教会 平岡 幸巳/鎌倉雪ノ下教会 大井 花子
「葬儀を考える会」報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂2区 佐々木 美奈子
キジト神父様をお援けする会より・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辻堂1区 浮田 久子
藤沢ブロック黙想会に参加して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢1区 松井 薫
静修の日・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤沢2区 平野 和子
現代的なキリストの誕生
主任司祭トーマス・テハン神父
イエス・キリストの誕生日おめでとうございます。今年のイエス・キリストの誕生日の祝いで強調する点は、2000年前の出来事よりも、「今の我々の生活、あるいは今の世の中で、受肉しているキリストが現れているのはどこでしょうか?」ということです。しかし、今、受肉したキリストがどこで現れているのかを説明するために、2000年前のイエス・キリストの誕生についてマタイ福音には、こう書いてあります。「見よ、おとめがみごもって、男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれる」と。この名は「神はわれらと共にいます」という意味です。
またマタイ福音書の最後の言葉に「あなたたちは行って、すべての国の人々を弟子にしなさい。父と子と聖霊のみ名に入れる洗礼を彼らに授け、わたしがあなたたちに命じたことを、すべて守るように教えなさい。わたし(キリスト)は世の終わりまで、いつもあなたたちと共にいるのである」と書いてあります。
キリストの弟子はキリストと何のかかわりを持つでしょうか? ヨハネ福音書15章の中で「わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたたちのものとなり、あなたたちの喜びが満ち溢れるためである。わたしがあなたたちを愛したように、互いに愛し合うこと、これがわたしの掟である。愛する者のために命を捨てること、これ以上の愛はない。わたしが命じることを行うなら、あなたたちはわたしの愛する者である。もう、わたしはあなたたちを僕(しもべ)と呼ばない。僕は主人が何をしているか、知らないからである。わたしはあなたたちを『愛する者』と呼ぶ。父から聞いたことはすべて、あなたたちに知らせたからである」との説明があります。キリストの弟子は僕ではなく友人です。キリストの弟子の友情とは自分のために役に立つことと友人と共にいることよりも、相手に本当の自分が会うことです。恐れるところがあれば、その友情が育つことは出来ないでしょう。信頼と良心に基づく愛を持っていれば、なんでも乗り越えることが出来るでしょう。そのしるしはどこに現れているのでしょう? クリスマスの時の洗礼式はひとつの例であると思います。受洗の方の回心により、キリストに従う者になりたいことを皆の前で表現することです。洗礼は生まれ変わることです。教会のフォーラムを通じ、自分の意見を発表することよりも、うらの感情と経験したことも、皆のために差し上げることと、また相手の分も受け入れることも合わせることにより、キリストが我々とともにおられる感じがします。
今年の家庭訪問を通じ、個人やグループで心の話がよく出たところがあり、痛みが癒されたことは少なくありませんでした。キリストの訪れと私は感じました。ある日、高齢者を訪問した時、福音的なあかしを聞き、喜びました。毎日感謝したり、祈ったり、養老院の方のために毛糸を編んで靴下を作ったり、近所の人々のごみを別けたりして過ごしています。それ以外の例も沢山ありますが、今年の降誕祭で現代的に大勢の人に魅力を与えましょう。復活なさったキリストは我々の中に生きておられるのではないでしょうか。
特集「神の霊の働きはどこに現れているか ・・愛されるよりも愛することを・・」
教皇様の呼びかけについてのお知らせ
横浜教区長 梅村 昌弘
教皇ヨハネ・パウロ2世は、11月18日(日)バチカンでアンジェラスの祈りに先立ち、全世界のカトリック信者に対して、12月14日を断食の日とし、世界中の苦しむ人々との連帯を呼びかけられました。また同時に、2002年1月24日、世界の宗教指導者をイタリアのアッシジに招き、真の平和の実現のために共に祈ることを提案なさいました。
教皇様は「全世界の兄弟姉妹が今もなお直面している耐え難い困難を忘れることができません」と延べ、9月11日のテロ事件による数千人の犠牲者と、今現在も家を追われ、飢えと寒さのために死の危険にさらされている女性や高齢者、子供たちに思いを寄せられました。そして「困難が乗り越えられそうもなく、先の展望が見えにくいときこそ、より強く、相互理解と、調和と、平和の賜物を、神に祈り求めなければなりません」とし、旧約聖書の教えから「祈りは断食と施しを伴うとき、より力のあるものとなります」と述べられました。さらに、まもなく待降節を迎え、「平和の王」の誕生を祝う準備に入るカトリック信者に向けて「来る12月14日を断食の日とし、この日、正義に根ざした不変の平和が世界にもたらされるよう、また世界を苦しめている多くの争いを解決する適切な手立てを見出すことができるよう、心をこめて神に祈ろうではありませんか」と呼びかけられました。
また教皇様は、2002年1月24日、分裂を克服し、真の平和を促進するために、アッシジにすべての宗教の指導者を招き、共に祈る集いを開催する意向を明らかにされました。「われわれ、とくにキリスト者とイスラム教徒は、ともに集い、宗教が決して争いや憎しみ、暴力の動機となってはならないことを、世界の面前で宣言したいと願うのです」
テロと戦争によって今もなお苦しんでいる多くの人々の痛みを共有し、平和な世界の実現のために、わたしたちも心を合わせて祈りたいと思います。
2001年11月24日
恵みの時
カプチン会 ペトロ神父
いつでしたか友だちに誘われて歌舞伎を見に行ったことがあります。何も分からないで見ていましたが、それでも面白かったです。 しかし、行く前から歌舞伎についてもう少し分かっていたら、なお面白かったに違いありません。これは、歌舞伎の場合だけではなく、どんなことにもいえるでしょう。
クリスマスの場合も同じです。面白いことに「クリスマス」という言葉は10月の末か11月早々から街のあちらこちらで見聞きします。「クリスマス・セ−ル」、「クリスマス・バザ−ル」、「クリスマス・メニュ−」、「クリスマス・コンサ−ト」、「クリスマス・パーティ」など、クリスマスという言葉がいろいろな行事や催し物に付いています。人々はこうした「クリスマス」の呼び名で、それぞれに一定の場所に呼び集められます。賑わい、楽しい様子なので、別に悪いとは思いませんが、それでもちょっとおかしいのではないでしょうかという気もします。と言いますのは、人々が集まるのは「クリスマス」のためではなく、セ−ルやバザ−ルなどのためだからです。クリスマスはほんの飾りに過ぎません。別にクリスマスでなくてもよいのです。集める人も集まる人も、快楽と欲求を満たすために楽しい交わりを持ち、それぞれの利益を求めます。結局、クリスマスを利用するだけです。
毎年のことなので、また、教会でもなれきって特別のことと感じなくなります。少なくともその傾向が強いのです。しかし、そうするわけにゆかないのです。
クリスマスは単なる年中行事の繰り返しだけでもなければ、キリスト様の誕生を歴史的な出来事として記念するものだけでもありません。「神は、御ひとり子をお与えになるほど、世を愛された」という事実の中で神様の永遠の愛が輝いていて、また毎年このすてき愛を新たに味わうように呼びかけて下さっておられます。クリスマスは恵みの時です。
かなり前にテレビで見た宣伝を思い出します。それは朝食用のシリアルに関するテレビ宣伝でしたが、「再び、初めてのように食べなさい」という勧めの言葉がありました。なかなか面白い表現だと思いました。
「クリスマス」に応用しても差し支えはありません。さしずめ、「再び、初めてのようにクリスマスをお祝いしましょう!」とか「再び、初めてのクリスマスの喜びや幸せを味わいましょう!」などとなるでしょう。クリスチャンであろうがなかろうが、クリスマスはキリスト様に出合うよいチャンスです。「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」(2コリント6:2)」と聖パウロが言ったとおりです。
今年のクリスマスがあなたとご家族にとって恵みと喜びのきっかけになりますよう心から祈ります。
*藤沢教会では、毎月第1月曜日に、“祈りの園”のペトロ神父様をお迎えして集いを行っております。
この会は1995年8月より藤沢教会では始まりましたが、近隣の教会の方、その他いろいろな教会から皆様が集まります。
午前11時のお祈り、聖歌から始まり、ペトロ神父様の毎月のテーマによる講話、昼食を挟んで皆様との分かち合い、その後、午後2時よりのミサ、聖体降福式で終わります。
皆様のお集まりを世話役一同お待ちしております。
印象的だった黙想会
大庭 池田 孝
その黙想会の第5グループは俗にいう「放蕩息子」のたとえ(ルカ15・11〜32) の分かち合いを大筋で終わり、あと約数分を残すだけという段階に来ていた。「あの、じつはわたし、この春の復活祭に洗礼を受けたばかりの、現在女子大三年目の学生ですが・・このお話を読み、そして皆さんの分かち合いをお聴きしていて、どうしても質問してみたいっていうか、不思議でたまらないことがひとつあるんです」
「ほう。不思議でたまらない? 魅力がありますねえ。ぜひ、お聞かせ下さい」 神父は邦人。見たところ40歳を超えているかどうか。豊かな受容力を想わせる微かな笑みを湛えている。主任指導司祭ではなく、その日の午後になってフリーに訪れ、ごくランダムに第5グループに加わったのである。
「神父さま。私にとって不思議なのは放蕩息子のほうではなく、父親なのです。 この父親という人は、放蕩のすえ帰って来た息子がまだ家に着かないうちに彼を見つけ、走り寄り、首を抱き、接吻したと書かれています」
「そのとうりです」
「そのとうりですって。神父さま。そ、そんなにも愛していた父なら、旅先まで、なぜ探しに行かなかったのですか。なぜ食うや食わずで帰って来るまで放っておくのですか。あんまりです。あまりにも不人情です!」
グループはざわめいた。
たしかに質問は単純に過ぎる。たとえ話の原作者は主イエスである。原作者が登場人物をどのように設定しようと筋書きをどのように展開させようと自由ではありませんか? グループのみなの心には、一瞬そんな、彼女に対するさかしらなリアクションが浮かんでいたかもしれない。しかし彼女の質問には、そうばっさりと片付けてしまうわけにはいかない『なんらかの主題』が内包されているような気もしてきて、一同、答えに詰まった。まあその辺りがざわめきの中心らしい・。
なんらかの主題? そう憶測しないわけにはいかなかった理由の一つは質問者が、放蕩の弟に対応する《神の愛》に対して、あんまりです! と激しく言い放ったからである。
「みなさん。いまのこの方の素朴な質問についてですが、みなさん個人個人で深く祈り、瞑想し、できなかったら結構ですが、もしできたら今晩予定されている次の分かち合いの場に、答えを用意して来て下さい。
今日この方の、ある意味では逆説的とも取れる質問によってもたらされる神の恵みは、計り知れないでしょう」
このとき分かち合い終了のアナウンスが流れた。神父は苦笑しながら立ち上がった。
「では夕食後8時から。その時が今から楽しみです。
あ、待って。そうですね、神父がこの質問から逃げた(一同失笑)、と思われるのも心外ですから? ひとつだけヒントを差し上げておきましょうか」 彼は神妙に襟を正してすわり直し、そして言った。
「各自、祈りに入る前に思い起こしておいて貰いたいことが、一つだけあります。 それは、わたしたちの主イエス・キリストは、換言すればこのたとえ話の原作者は、時間にも空間にも拘束されることのない霊の世界を支配されておられる方、なのだということです。 アーメン」
さてその晩のグループの、彼女の質問への対応がどのような方向で収束されていったであろうかは、読者の皆さんのキリスト者としての想像力を信じて割愛させていただく。
ただ、グループのみなさんの、祈りの成果としてもたらされた特筆すべき回答の幾つかだけを、ここに紹介させていただく。
▽父は兄に「弟は死んでいたのに生き返った」と言って喜びを隠しませんでした。つまり弟は「罪に死んだ」のです。それによって『お父さんのところへ帰ろう』と《気付く》ことになる。神はその時をじっと待っておられた、それが救い主である《神の愛》なんです。
わたしの夫の母は、76歳で息を引き取る、その間際にです。 あんたをぞんざいにして・済まなかった・ぽつりとそう言って死んだんです。そのときわたし・声をあげて哭きました。でもわたしは主である神さまに、あの詫びの言葉がせめてもう少し早く聴かせてくれられなかったか、などと欲は申しません。だって最後まで《気付く》ことなく、嫁の前で口をつぐんだまま死んで行く姑さんもいるんですから・はい。感謝でいっぱいです。
▽《救い主》っていう言葉、わたしたち信者はごくイージーに使っていますが・日本という風土(自然的・精神的)で育った日本人には、本質的に、完全な形では理解し切れない言葉なのでないか、と、私には思わせられます。聖書の世界は、はっきり申して父性的です。ですから質問した学生さんもまだそういう意味での抵抗感を、そのことは彼女の質問の中の『不人情』という言葉によっても象徴的ですが、つまり秘跡で戴いた『神と自分との神秘な交わり』という関係で表現される《神の愛》よりも、無条件に・ルビ・慈・いつく・しんで下さる、そういう『み・ルビ・仏・ほとけ・の愛』への日本的な? 憧れのようなものが、まだこの方の心情に残っているのではないだろうか。わたしにはなぜか、そんなふうに思われてならないのです。
▽わたしたち主イエス・キリストは肉において助けるんじゃなくて、霊において救われるんです。ですから握り飯を持って放蕩息子のところへ行くことはありません。アルコール依存症の患者さんがそうですが、いっとき助けて頂いて感涙に咽んでも、すぐまた「いつか来た道」を歩き始めるんです。蘇生と復活は違います。蘇生にはもう一度死がありますが、復活には二度目の死はありません。死に打ち勝って復活された私たちの主イエス・キリストは、わたしたちをその復活の栄光にあずからせようと、じっと回心を待っておられるのです。
21世紀、最初の降誕祭が間近い。『人はだれでも、人生という名の最少一つの小説を作る』そう謂った先哲がいたという。小説の主役はもちろん自分だ。当然のごとくそう思い込んでいたのだが・はて、年齢のせいだろうか。最近とみに自信を喪くしている。 私の生をサポートしてくれてきた脇役。現になお、相当数にのぼる人たちと私との関わりをじっと祈りのうちに顧みていくと、ことごとくと言ってよいほどにも、これらの人たちの言葉、行いの端し端しから、主の愛を感じるのだ。果報である。
あのときの黙想会もそうだった。一大学生の素っ頓狂な質問がきっかけとなってグループが、思いも寄らない深い観想にみちびかれてゆく。彼女もまた、あるいは主が派遣して下さった脇役の一人だったのかも知れない。
ある証人の話
辻堂2区 本多 正昭
『神も仏もあるものか。何が神の愛だ!』そんな気もする人の世で現代人の年齢は、昔の人の年齢の七掛けに値するという説がある。
私は、この説を信奉し、自分は“若い”と信じている者である。
シャブや大麻、トルエンは勿論、酒も煙草も砂糖の入った飲物もやらず、食事にも気をつけ、毎日、体重を計り、腕立て、腹筋、背筋、スクワット、柔軟等、トレーニングも欠かさない。空手4段、柔道初段、小太刀護身道参段でもある。
しかし、そもそも私は、生来、20プリズムの潜在性外斜視という、通常人の20倍シンドイ目を持って生まれてきた。2度の両眼の手術とメガネを使用することで、一応楽になる迄、頭痛、吐き気。 近見困難(つまり字が見えなくなる等)苦しんできた。
血も傷痕も、外からは見えないが、内にはハンデを抱えていた私は、幼少時よりグズ呼ばわりされ、惨めな想いもして来た。
だから、余計、体のことには用心深くなっている。
その日、私は海辺の道を車で走っていて、突然、“今度、歯が悪くなったら、すぐに水口歯科にかかろう。まだやっているかな?”と思った。そして、茅ヶ崎の住宅街の中にある歯科医院の前を通ってみた。現在はもう無いが、その時はやっているのを確認し、そのまま通り過ぎた直後、私の目に一瞬、とんでもない文字が飛び込んできた。私はとうとう幻覚まで見るようになってしまったのか。 歯科医院の斜め前の民家であったはずの門柱にある文字は、『カトリック・メルセス会修道院』・・。
急いでバックして見直したが、私の幻覚ではなかった。(よかった!)
かって私が献堂後第一号の受洗者として洗礼を受けた東京都日野市の教会は、教会聖堂が竣工し、小教区として独立する迄、日野のメルセス会修道院の聖堂を借用した小さな群れであった。
そこの司祭室で神父さまと一対一で要理の勉強を始めるのと同時に、修道院の駐車場だった土地に教会聖堂を建設する工事も始まり、完成する頃、私の勉強も終わり、当時の白柳大司教様が来られて献堂式があり、その直後のクリスマス・イヴに、私は洗礼に与ったのであった。私とは特別な縁のある修道会の名前がこんな所に書いてある! 何で! どうして! と思ったが、やはり、日野の教会との出会いといい、私は神様の“保護観察処分”なのではないか、という不思議な気持ちになっていた。
まだ幻覚を見ているような気持ちのまま、門を入りベルを鳴らすと、“老”シスターが出て来られて中へ入れてくださった。
そして、修道会経営の光塩女学院(高円寺)の理事であった元、最高裁判事の松田二郎先生が、ご自宅を遺言で修道会に寄付されたことを伺った。
病弱であった奥様との間に子供のいなかった先生は、学院の生徒たちを我が子のように可愛がり、奥様のために空気の奇麗な湘南に家を建て、奥様を慰めるためにお庭を造られたとのことであった。 そう言われて、今は修道院となったお宅の庭を拝見すると、先に逝かれた奥様への深い愛情と、書庫だった部屋を拝見した後だったからかもしれないが、静かで学究肌の高潔なるお人柄が感じられる気がするのであった。
にもかかわらず、十分に俗人の私は、突然たずねたわたしをすぐに入れてくださった“老”シスターに言った。
今も未解決の事件もあるが、当時、教会を舞台にした事件が続いていた。
「世の中には羊の皮をかぶった狼、教会馴れした“ワル”がいるから、こんなに簡単に人を入れないでください」
私は、武道修業の一環として、五輪書や孫子の兵法、マキャヴェリ等も愛読している。
実戦では、リングでは無敵だった力道山やブルーザブロディ(注・猪木のライバル)ですら殺されししまう。
護身術の極意は、護身術を使わねばならないような状況に身を置かぬようにすることである。
幼少時、講道館の三船久蔵十段のお宅の隣に住んだことで運命つけられたためか、頭痛で苦しい時代も、下手な横好きながら、武道にしがみつくようにして続けて来た。
“武勇伝が無いのが真の武道家”“礼をする時も相手から目を離すな”“型を演武する時も残心を取って終わるように”“稽古をすればする程、ウンと弱くなっていただきたい”そう教える武道修業の結果、人を容易に信じない嫌な性格になっている。
光塩女学院の生徒たちに、信徒で剣道8段範士の師範が、稽古をつけている写真を見せてくださりながら、“老”シスターは言われた。
「見れば大体、どのような方か分かります」
人間関係で寂しい想いをしたことも皆無ではない私は嬉しかった。 しかし、それでも武道家は言った。
「有り難うございます。でも、世の中には、本当に“ワル”がいるから用心してください」
すると、お茶を飲みながら“老”シスターは、全く気負うでもなく、淡々と言われたのであった。
「私どもの修道会には、清貧、貞潔、従順のほかに、福音のために命を捨てるという第4会憲があります。
先輩たちは、奴隷になった兄弟を救うために命を捨てました。
今、敢えて街の中に修道院を設けた私達は、自分の安全のために、万々が一、本当に福音を求めて門を叩い方を追い返してしまうよりは、だまされて殺される方を選びます・・」
それを聞いて、しばらく体が震えていた。私もメルセス会の歴史や第4会憲を知っていた。しかし、現代の、特に日本では単なる“お題目”だと思っていた。深刻な顔もされず淡々と語られる“老”シスターの静かに燃える心に、“私達はこの宝を土の中に持っている・・。”という第ニコリント、4章を思い出していた。
次に彼女に会ったのは、教会のミサの人込みの中であった。挨拶すると、彼女はすっかり私のことを忘れていた。
「はあ、どなた様でしたか」
だから、やっぱり、“老”シスターなのである。こんなに可愛い(?)ボクを忘れるなんて・・。しかし、私は忘れない・。
彼女が見せてくれた“土の器の中に持っている宝”・・ イエスの死を身に負うことで現されたイエスのいのちをずっと先のことだろうが、今度会う時は、私のことを覚えておいて欲しい。
今、シスター・マリア・朝比清子様は、天国におられる。
親愛なるイエスさま
平塚教会 山本 祥子
ご存知のように、私は今まで自分が思うように人からやさしくされたり大切にされることばかり考えて、そのことばかり気に留めて生きてきました。私は神経過敏で、おまけに体調の波があるので、こういった性質や体質なのだから仕方ない、といつもあきらめつつ、それでも心の平安を必死に探し求めてきました。
ある時、それまで私のことをとても親身になって話を聞いて下さり、またいっしょに祈りつづけて下さっている方から、ほんの小さなことですが、私の予期しない思わぬ反応がありました。それは、私にとってとてもひどいショックでした。彼女が意識してしたことでないとははっきりしていました。それなのに、私は本当にひどく傷ついたのです。
そのことを、私ととても似た性質をいただいているお友だちに思い切って話してみました。話の終わりになって、ふと、彼女が私にこう言ってくれました。“ねえ、そのことは私達が特に自分の夫に対して、大切にしてくれない、私の気持ちをわかってくれないと日頃思っていることと、何か関係があるような気がするんだけど・・、今はまだそこまでしかわからないけれど・・。電話を切って、しばらく黙想しました。そしてそうだ、そのとおりだ、という声が私の中から聞こえて来ました。それでイエスさま、あなたに向かって私は祈りました。
ご存知のように、私は今度のことでひどくまいっています。 あの人との関わりを通してあなたが私に学んでもらいたいと思っていることを、今から少しずつ悟らせて下さい。・・
それから1週間して、また別の人が私に話してくれました。“私には、小さなことで人を裁くくせがあるのでこのごろはそのことを黙想しているところだ”と。 それを聞いたとき、あ、私にもそれと同じものがある!と、すぐ心の中でピンとくるものがありました。 そして、相手が意識していようといまいと、その人の反応の仕方で、いかに自分が、自分の思うように反応してくれなかったということで、いつもいつも相手を裁いていたか、ということに気がついたのです。明け方、ロザリオを回していたときのことでした。例えば、私が道を歩いていて、心からの笑顔で『こんにちは!』と声をかけられない人が私には一体何人くらいいるのか。それは、その人たちが私を傷つけたのではなく、その人たちが鏡となって、私が自分で自分を傷つけ、人を裁き、結果として心がかたくなになってしまっていたのだ、と。
私は今、不思議な解放感と静かな心の喜びに満たされています。 こんな気持ちになれたのは、イエスさま、あなたが私に触れて下さったからだ、と強く確信しています。イエスさま、このことを気づかせて下さって本当にありがとう!
最後に、私をこの気づきまで招いて下さった多くの方々に、そして、この気づきの直接のきっかけとなった、聖母マリアさまからのメッセージをここに伝えることによって、心からの感謝と、心からのおわびをしたいと思います。イエスさま、マリアさま、ありがとう、そしてごめんなさい。
愛する子供たち!
今日、私は平和のために決心するよう、あなたちちを招きます。 神があなたたちに真の平和を与えてくださるよう祈りなさい。あなたたちの心の中で、平和を生きなさい。そうすれば、愛する子供たち、あなたたちは、平和が神の賜物であるということを理解するでしょう。
愛する子供たち、愛なしには、あなたたちは平和を生きることが出来ません。平和の実は愛であり、そして愛の実はゆるしです。私はあなたたちと共にいます。小さな子供たち、私は他の何よりも先にあなた自身の家庭の中でゆるすよう、あなたたちを皆招きます。
そのとき、あなたたちは他の人々をゆるすことができるでしょう。 私の呼びかけに応えてくれてありがとう。
イエスさま、どうぞ私にあなたの真の平和をお与えください。どうぞ主人のこと、子供のこと、善意に解釈して、善意で小さなことのひとつ、ひとつに応えてゆくことができますよう、お助けください・。
主イエス・キリストのみ名によって
アーメンメジュゴリエにて 1996年1月25日
一連の出来事を通して、イエスさまが教えてくださったこと。
☆ 他人に祈りを依存しないで、自分で祈る。
“あなたと、私の信頼関係(つながり)を深めなさい”
ある素朴な人の主の祈りを、一緒に祈りながら聞いていて、祈りは、できる、できないではなく、今の自分を捕らわれから解放させ、光へと導きたまえと、心から決心すること。
☆ ある出来事によって、自分の中に湧き起こる感情は、生きているからあるのであって、神様からの大切なメッセージなのだと、怒り、恐れ、よろこび、悲しみ・・あらゆる感情には、良い悪いではなく、自分のもっているものについての気づきを与えてくれるサインなのだ、と。
めぐみの季節
辻堂3区 鈴木 和子
寒くなってクリスマスが近づくと、町や、家々でかざりつけが始まります。イエス様の御降誕を祝うための準備です。 ふと行った町でイルミネーションのいっぱい輝いている大きなクリスマスツリーに出合ったことがあります。ああ、めぐみの季節だ! と力強い幸福に身が包まれる思いでした。
教会のお祈りに、クリスマスはよろこび、平和、けんそん、恵み、光、贈りもの・・とありますが本当にこの季節はよいものがいっぱい、まわりに満ちている感じがします。
イエスさまのお誕生が世界中の人々の心を温め、私達は素直な気持ちになっているのでしょう。ことしもクリスマスツリーの光りの周りにみんなが、家族が集まって楽しいお祝いができますように。 独り言 キラキラ輝くクリスマスの飾りを見ると、私はなぜかワクワクしてくるのです。ですから、私はクリスマスが一年中で一番好き!
新しい聖堂の発見
善行 岡村 正
昨夕11月2日、教会で試みの新しい聖堂内配置の説明会があり、典礼関係者が集まりました。
新しい配置を初めて体験してみたくて、わたしは集合時間前に着いて一人で聖堂内に入りました。入ってすぐにわたしは、同じ建物でありながらこの前の試みとは違うゆったりした広がりをからだに感じました。
この前のが求心的なまとまりであったのに対して、今回は聖堂の外にまで広がる大きなまとまりをそこに感じたのです。何故だろうか、わたしは堂内をあちこち移動しながら考えました。
信徒の席が祭壇を囲んで入り口に向かっており、その祭壇の向こうに、ここに入ってきた時の外が見えました。ハッとして気付いたのですが、祭壇が堂内と堂外とを結ぶ働きになっているということです。
今までの聖堂はすべて、堂内に入って奥に祭壇があり、その背後に壁があって行き止まりになっています。
聖体の食卓が新しいいのちの生まれるところであり、信徒派遣のはじまり、出発点であるとしても、そこが到着点であるかのように感じるのが強かったのは、そのためであったと気付いたのです。
今、堂内にあって祭壇の背後に見える外の世界は、今までわたしのいた所でそこからここに来たのですが、これから出て行くところでもあります。
しかし、ここでこれからわたしたちにはじまる死と復活によって変えられるわたしたちの目に、それは果たして今までいた所と同じであるのでしょうか。
わたしたちの目にもうその先はない、終りのように見えたことが、新しいいのちのはじまりであったという福音、それを記念するのは、派遣された先で、わたしたち一人ひとりが、人々のなかで福音を証するまで続くのではないでしょうか。
ミサ聖祭は、そのように福音の記念のはじまりでもあります。その意味でキリストのからだ、即ちキリストによって集められ、キリストのはたらきに結ばれて人々と共に生きる共同体の誕生なのです。 わたしたちの思いや考えで、終わりだった今までの世界ではなく、それを超えてキリストによって創造される世界へ、わたしたちは必要とされ望まれて派遣されるのではないでしょうか。
「わたしの国は、この世には属していない」 ヨハネ18・36
聖堂の外にまで広がるまとまりを感じたとわたしが言ったのは、実は未知の御わざの既にはじまっているところで、その御わざに心を向ける開かれた共同体の感覚だったのです。
この感覚は、今までの聖堂に欠けていたのではないでしょうか。聖堂内で信徒だけで出来上がってしまうような堂内の空間構造、秩序だったからではないでしょうか。
今までと同じ建物でありながら、全く違ったはたらきになったのは、福音の目的に添ってその空間の使い方を変えたことによってでした。
わたしたちにも同じことが言えないでしょうか。回心とはこのようなことだろうと思います。わたしたちはキリストの立っておられるところ、わたしたちのなかの苦しんでいる部分に触れて、それをそのままで終りにすることは出来ないと物事の見方を今までと変えられるのです。そしてキリストのからだに変えられ、人々のなかでそのことを証するために派遣されるのだろうと思います。
34年前、わたしは洗礼を受けた年に、家族共々この藤沢教会に移りましたが、それが今日この日に立ち会うためであったと感じました。
受洗前から、典礼の現代に関わる仕事をして来たわたしは、聖堂の現代をも考え続けてきましたが、今その誕生の現場にい合わせたよろこびを感じています。
これからこの聖堂でいろいろ体験するであろうことを、また改めてお話したいと思います。
11月4日、試みの新しい聖堂内配置で、初めてのミサ典礼に参加して、その本質に関わる発見が沢山ありました。
今までの聖堂では、入り口から奥へと高まる聖なる働きという空間の求心的な秩序によって、わたしたちはミサ聖祭から再び外へ向かう、福音宣教の広がりとたかまりを感じるのを妨げられていたように思います。
しかし、今回の新しい聖堂内配置によってわたしたちは、聖体祭儀の祭壇の背後に派遣される世界が見えるので、祭壇上の「死と復活」のキリストが、囲いの内と外を結ぶはたらき、つまり囲いに出入りする門であることがはっきり見て取れました。
これは革命的な出来事です。
「羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。」 ヨハネ10・3−4
退堂の行列は、わたしには囲いの外に羊を連れ出すキリストの姿に見えました。また、聖体祭儀の終りに聖器具と祭壇布が片付けられ、裸にされた祭壇が現れたとき、わたしは聖金曜日のそれを想い出し、たった今ここで、わたしたちにいのちを与えるために主は死なれたのだと思わず目頭が熱くなりました。
聖堂に入って来るとき目にする裸の祭壇も、わたしたちの中に知らず知らずに放置されて苦しんでいる寂しい人たちを想起させます。
みことばの祭儀で、その裸の祭壇に向かって朗読台からみことばが告げられるのですし、みことばの祭儀が終わって司祭と奉仕者たちが祭壇に向かう行列は、十字架の道行きをわたしたちに感じさせないでしょうか。
聖堂奥に宙吊りになっている十字架は、今まで祭壇の象徴でしたが、司祭と奉仕者たちが入堂して着席した時の聖堂内の光景を見るなら、わたしたち共同体と共にあるキリストの象徴に変わったと感じるでしょう。
みことばの祭儀と聖体祭儀との司祭の向きの変化に、みわざの時間的推移と更なるその先を、背後に見る外の世界によって予感させるのではないでしょうか。 向かい合うみことばの食卓と聖体の食卓との間にある何も無い空間は、聖堂の中心でありまた共同体に囲まれていて、未知のこの先を感じる、聖なる気配に充満した場になっています。
そしてこの新しい配置による典礼は、実に豊かな黙想をわたしに与えてくれます。
聖堂の外にまで広がる大きなまとまりをそこに感じる、とわたしは先に述べました。それは祭壇の背後に見える外が、たった今此処でわたしたちに起こった「主の死と復活」によって、わたしたち共々変えられてしまうのを予感したのかもしれません。
「キリストによって、キリストと共に、キリストのうちに、聖霊の交わりの中で」というわたしたちの派遣される世界へと変えられてしまうのです。
「すると、二人の目が開けて、イエスだと気付いて」「わたしたちの心は内で燃えていたではないか」ルカ24・31 -32
「主の死と復活」によって変えられたのは、わたしたち共同体とその派遣される世界なのです。その二つは一体です。
来春の教区典礼研修会のテーマは、「秘蹟における共同体」になりますが、ミサ聖祭の中でわたしたちは、聖霊によって変えられ、聖霊によって一つに結ばれます。
「わたしが去らなければ、助け主はあなたたちのもとに来ない。」 ヨハネ16・7
わたしたちの思いや考えで終りにしていた今までの世界ではなく、それを超えてキリストの死と復活によってはじまった世界であると、人々に告げるのはわたしたちと共にある聖霊です。先の二人も主の死を、これで終りではない、これで終わってなるものかと心が燃えたに違いありません。これが霊性であり、祈りであろうとわたしは思います。「新しい聖堂」でわたしたちは、決して囲いの中で終わらないでしょう。人々の中でわたしたちは、「主の死を思い、復活をたたえよう、主が来られるまで」と唱え続けるに違いありません。
何のための共同体か一緒に考えましょう。
受洗アフターケアー講座現在進行中
長後 戸村 忠子
入門講座同様、初めに黙想、静思のひと時に心をゆだね、前回を簡単に整理復習して当日のエクササイズに入り、たとえ話や分かち合い等もあったりして、終りに主の祈りを唱えて終る形です。たっぷり2時間もの時が、あっという間に過ぎて了い、いつも、次回がたのしみといったところですが、講座の内容は? と聞かれれば、ひと言では説明し難いというのも、正直なところです。
聖書講座とも関連して、旧約聖書並びに、新約聖書の特質、それぞれのつながりや含蓄、読み取り方、使い方、祈り方の指導にあわせて、人生を振り返ってみて、出会った人々や、出来事を通して導かれたことを分かち合って、さらには自分を見つめ直したりしています。ときに・感情を意識すること、それを
で自分の心の動きがわかり、
によって客観的に自分が見えるようになる、そこで初めて
となり
段階を経て自然に良い方向へ歩み出すことが出来るといった順序の大切さを学びます。ともするとクリスチャンは、感情を抑え、先ず許すことを第一に美徳とすると考えられがちですが、それは無理のあることで、本当の意味での許しとはいえません。一方で、その事を忘れることで無関心を装うことは、逃避的でもあり、それも進歩が無いとのこと。あくまでも、感情の処置を誤らないよう心掛けることで、順を追って自他の立場に立って認め、正しく正直に相手にも伝えしらせる術(すべ)を考え、状況に応じて相互に受け容れ、ゆとりと努力の末、壁を乗り越えることが出来たなら、何時までも引きずらない。後は聖霊の働きにゆだねるといったこと等々の重要さに気付かされたことです。
といっても、口で言うは易し、行うは難しで、日々の生活の中に大なり小なり課題は山積、時と場所を踏まえて、出来るだけ冷静に善処したいと考えます。可能な限り見えないものを見分け、聞こえないものの叫びを聴き取れることが出来れば、幸せにつながることでしょう。
キリストとは? その弟子とは? それぞれの使徒達を通して強調された内容及び接点、その福音(良い知らせ)とは? キリストの死と復活を通して、私達の今を生きる恵みと喜び、感謝の泉、信仰、希望、大いなる愛の証し、聖祭の深い意味等々改めて味い深く、しみじみと心に感ずる次第です。
クリスマス・イヴに、死の床にあった亡夫の劇的ともいえる受洗に続いて、初孫の誕生といった恵みに与り、悲痛な経験の中にも素直な喜びと希望の時を迎え、受洗する運びとなり、復活祭にはからずも、息子共々受洗出来ましたことは誠に大きな恵みでした。
受洗後のアフターケアー講座を開設して下さると聞き及んで参加したものの、多少とも判ったつもりが、その実、殆ど何も分っていない自分に気付きました。毎回、心を新たにして、信仰と祈りの世界にひたりながら、新たなる発見と自分なりの生かされている意味を少しでも見い出し、ティム神父様の真摯(しんし)で適切な分り易いご指導や、参加者との分かち合いを通して、心に響く豊かな思考のひと時に恵まれたことを心から感謝しています。より良き目が開かれ、聴く耳が冴え、心が豊かに満たされて、少しでも、その恵みを家庭を通して、また、友人を通してあまねく平和な拡がりと、木霊(こだま)する縁(よすが)となれれば幸いと祈っています。
まだまだ道は遠く果てしなく迷える身なので、これからもゆきかう人々の温かい微笑に支えられ、元気を取り戻すことを信じ、只、無心に歩を進めたいと思います。 老いたる亀の歩みさながらも、方向性を見失うことなく、命ある限り研鑽(けんさん)に励み、何時如何なる時にも喜びと感謝のうちに!! と目下さらなる前進を目指して受講中です。
多発テロの犠牲者を哀悼し平和を祈る
辻堂1区 浮田 久子
9月11日、ニューヨークの世界貿易センタービルと、ワシントン近郊の米国防総省の一部がテロリストの自爆攻撃で崩壊しました。
一瞬のうちに多数の犠牲者を出し、超大国の威信を著しく傷つけられた米国の世論は、テロリストへの憤激と報復の叫び声に沸きたちました。
敵対する双方がわけもつ凄まじいばかりの憎悪と復讐心の行きつく果ては、絶望的な戦争ではないかとの恐れが私たちの胸に重くのしかかります。
9月26日の夕方、多くの人々が祈るために藤沢教会に集まりました。みんな心を合わせて犠牲者を悼み、この恐ろしい犯罪をおかした人間(犯人と、その人々を生んだ私たち自身も含めて)の罪の赦しをもとめ、ともすれば絶望に陥りそうな暗闇の中で希望の光を祈り願ったのでした。ひとり家で祈っている時とは、また違った励ましと勇気と希望をいただけたと思いました。
その後も状況は好転することなく、10月7日にはアフガニスタンへの空爆が開始されてしまいました。1ヵ月たった今も戦いはやむ気配がなく、こんどはアフガニスタンで何十何百万もの犠牲者が出るのです・・。
21世紀最初の今年、神はなぜこのような大災難を私たちにくだされたのでしょうか、もっともっと、祈りつづけ、願いつづけ、働きつづけなければと促されます。これからも、何卒一緒に忍耐強く祈る機会をつくっていただけますようにお願いいたします。
「平和の白いリボン行動」
9月11日の同時多発テロの後、すぐアメリカのコーネル大学生が始めた「平和の白いリボン行動」に呼応して、藤沢でも、この運動に取り組みましょうと声が上がりました。キリスト者として、一市民として、戦争ではなく平和的解決をとの思いで、藤沢教会の多くの信者、藤沢市その他多くの市や町の市民の方々がかけつけて行動を開始しました。藤沢駅サンパール広場での呼びかけも、すでに10回を数え、近隣の教会、市や町へも拡がっています。
テロや戦争によって、アメリカでもアフガニスタンでも死ぬ人、苦しむ人が際限なくふえて行きます。この現状を見る時、互いに武力による報復ではない方法で問題を解決するように、平和の実現に向かって声を上げ、祈りと共に出来る限りのことをして行きましょう。
父と子と聖霊のみ名によってアーメン
善行 加藤 君子
恥ずかしながら一筆書かせていただきます。私の家庭は仏教家庭です。母は8人の子供を生みましたが、4人が2歳とか、3、4歳の幼児の時に亡くなりまして現在4人が生きておりますが、その中の一人に目が見えなくて耳が聞こえない弟がおります。その弟は世間の生活が出来ませんので、福井県の光道園という施設に入っております。今はもう65歳になりました。生涯そこで暮らすことでしょう。私は一番上の姉の立場で、東京に妹、綾瀬市に弟がおります。この弟は今では孫が2人おります。今度2番目の娘が、今年の11月23日に秋田にお嫁に行くことになりました。結婚式に私も参列してくれと頼まれまして、私のような者が参列しなければなりませんが、聖主が己を捨てなさいとおっしゃいましたから、「めい」のために、11月22日から東京の妹夫婦の所へ行き、23日にお祝いをしてまいります。100年と11カ月生きた母は、今年7月10日に亡くなりました。
私は小学校6年生の時に耳の病気を患い、母が私を、当時医者で院長である父の妹シスター・ラファエラがおられた秋田の聖園病院に行かせました。そこでシスター・ポーラといわれる方が私のために、旧約聖書からずっと何年もかかって教えてくださいました。そしてもう大丈夫と、たいこ判をおされて洗礼を受けました。それが昭和20年のご復活祭でした。まだ戦争が終わっていなかったので、防空壕に入って震えておりました。今から56年以上も前のことです。
それで家族の中では私一人だけが信仰に入ることが出来ました。 私は聖園子供の家に30年間つとめました。平成元年に定年退職してもう13年たち14年目に入るところです。近くに八百屋さんがありますので、毎日のように出る段ボールをしばらせていただいております。そして出るゴミも紙くずとビニールに分けたり、近所近辺のあき缶、あき瓶、ペットボトル等を集めて指定された日に出しております。
市のゴミ回収車にゴミ減量は分別によると書いてありますので、私は微力ながら市役所を助けていると思うと、とても心がうれしさにはずみます。祈り、段ボールたたみ、ゴミの処理、そして自分の食事作り、これが私の日課です。背中は曲がっておりますが、胃腸が元気ですから、とても食物がおいしいのです。すべては神様のお恵みと受けとめ、毎日を感謝一杯で送らせていただいております。
こんな私
堀川 春雄
私は、生まれた時から家がびんぼう、10代の時、ある会社で左指3本、右指1本、なくしてしまった。20代の時にある人と教会に行った10代〜40代まで、自分で働いてためたお金、1000万円あった。半分が他人(ひと)にだまされてなくなった。後の半分は、父、母、その他に使った。 いままでに何回か死を考えた。でも、自分には神様が体の中にいると思って、今日まで生きて来た。
50代で、ホームレスになってしまった。でも、神様が生きなければダメだといったので、今日まで生きることにした。
人間は生まれたら、だれでもいつかは死がくる。そして最後は土にかえる。だから生きている内に、自分が出来ることをして楽しめばいいと思う。 自分は神様からもらった命があるから、いつか生きていれば自分に幸福がくるかもしれないから、毎日、神に祈る。
教会に来ると、父、母に会える。そしてこころのとびらがひらくまで、生きる。ひらいた後を生きて行く。教会は自分の出会いの場所であるから、いまは幸福かもしれない。今の世の中は自分は自分、他人は他人、だから自分自身強く生きなければいけない。人間は、生まれてからだれでも、心臓が20億回すると死ぬ。そして人間はこの世に何のために生まれてきたのか。